市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

駅前商店街の街づくり

2006-12-05 | 都市論
 駅前商店街組合から、意見が合わず抜けたという商店主から話を聞いた。その理由に、街づくりを宮崎大学学生の街づくり研究会にお任せだとうのである。組合員の意見も聞かないのならと止めたというのだ。これはぼくにとってもおどろきだ。都市研究会という宮崎大学生の学生たちが過去3年ほど宮崎市の街づくりを研究してきている。しかし、その実績はない。指導教官に期待しているのだろうか。平成元年の橘通り活性化のときも、都市論学者が提言しているが、結果は3丁目半分を除いて他は無残な崩壊を招いた。なぜ、またも期待を研究会に寄せるのだろうか。

 それと、商店組合では、アーケードの撤去に始まり、宮崎市の補助金をもらって実現しているわけで、これからの街づくりも補助金、補助金の掛け声が喧しいという。補助金をもらえるならもらえるでいいのだが、ただし、宮崎市は景観条例や、看板規制などを掲げて街づくりの柱としているのを忘れてはいけない。景観条例も看板規制も街の活性化と殺ぐ施策である。補助金はそういう街づくりから自由なのであろうか。いや、その景観づくりに一致する街となるように方向付けられるだろう。「ひさしを貸して母屋を取られる」というが、補助金もらって商店街が崩壊する可能性が大いにあると思われるが、いかがか。

 今、目に見えるのは、曲線の歩道、カラー舗装、植樹、ベンチ、駐車、駐輪禁止
清潔で管理されて、見た目はきれだが、面白みも活気もない冷えた道路が広がるだけの未来の商店街の有様である。たちまちカラー舗装道路の両側には、空き地を生かすためのマンションが、ここぞとばかり立ち並ぶ。そして人は街を歩かない。駅前商店街は消滅する。ちょうど、上野町のバージニアビーチ公園や、そこから南へ市庁舎までの300メートルが均質無味乾燥の道路になったようにである。

 別の異質の発想こそ必要である。これまでの発想では、活性化どころか、崩壊した商店街がまた増えるだけであう。彼を早急に組合に戻ってもらう必要がある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アメリカのイメージ つづけて | トップ | 天気予報の安心感 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

都市論」カテゴリの最新記事