市街・野 それぞれ草

 802編よりタイトルを「収蔵庫編」から「それぞれ草」に変更。この社会とぼくという仮想の人物の料理した朝食です。

スッピンの中華料理店 2

2006-12-11 | Weblog
 小雨のうそ寒い夕暮れに、ガラス引き戸もがたがたな感じの店で、夕食は取る気ががしななり、こりゃダメだ、もっと暖かいレストランをと思った。6歳の孫も横文字のレストラン名をあげながらそっちに行くと言い出す始末だった。ぼくは家内に孫は父親に、たしなめられて、しぶしぶ店内に足を入れたのだった。

 意外と中は明るかった。新聞がかごに突っ込まれ、棚にはマンガ本がならんでいるだけて、なんの飾りもない単調な壁がぐるりと回り、奥が調理場で店主がむすっとした感じで炒め物をさかんにしていた。寂れた港町、たとえば油津の食堂という雰囲気で、おしゃれっけもムードもまったくない。気が滅入りそうだった。かすかに店内の清潔さが料理を期待させるのが救いではあったが。

 「チャーシュメン」「チャーハン」「マーボー茄子」「スーパイコ定食」「あんかけやきそぼ」と注文し、評判どおりおいしいのかどうかと試すつもりの注文をした。

 10分ほどして運ばれ出した、注文料理の皿を見て仰天した。どれもこれも洗面器か、手洗い桶なみの大きさにぶぁーっと料理が湯気を立てているのだ。たちまち食欲がうせ始める。いよいよ終わりかと、興味もなく箸を取った瞬間、「うめー!」次男が声を上げる、「おいしいっつ、この酢豚おいしいい!」と家内も声を立てだした。へえ、ほんとと、まずチャーシューを、次いで酢豚を口に運ぶとなんともいえない上品な味が口内に広がるではないか、まさに意外にも意外だったのである。

 ぼくの「マーボ茄子」は茄子一本が大きく切られたのが、たまねぎ、人参、ピーマンの大きな切身とともにマーボにまぶされ、野菜は大きく切ったほうが美味いという定説どおり、大胆にしてかつ微妙な味が出ていた。全体は上品なスープのような舌触りであった。どんぶり一杯のご飯がついていた。マーボ茄子を食べながら、ご飯をおかずのように口に運べた。それほど茄子が美味かったのである。

 孫もおどろいたことにチャーハンを3分の2ほど平らげた。日ごろは茶碗半分くらい食の細い子である。ぼくにしてもどんぶり一杯のめしを平らげるとは、ありえないことであった。とても食えないと思ったすべての皿を4人で食べつくしたのである。「美味い」とぱそういうことなのであった。

 まさに「食うだけ」に集中できる飾り気のないスッピンの見事な食堂だった。お値段も3100円くらいだった。「安くて、美味い」食堂の原点を、今もとどめた驚くべき「中華飯店」であった。この店は、どうやら10年どころか20年ほど前からあり、知る人は知るの店であったと、後で知った次第である。 
コメント (2)
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