興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

Joker

2019-11-08 | プチ・映画レビュー

Joker、先日遂に見てきました。

後ほどお話しますが私はここ2年ほど映画館とは無縁の生活をしており、今回も行く予定はなかったのです。

しかし、日々のカウンセリングのセッションで多くのクライアントさん達が熱心にこの映画のお話をし、私にも見るように勧めてくださる事もあり、重い腰を上げて久々に映画館へ行きました。

いやぁ、映画って本っ当に良いですね!!

今回の記事は、内容に触れることは最小限にしようと試みましたが、それでも読み返してみるとだいぶ内容について書いているので、これから見る予定の方はここで引き返して見てきてください!

この映画、私はすごく好きですが、すべての方にお勧めできるものではありません。

暴力的な描写が苦手な方、感受性が高く繊細な方、未解決なトラウマがあるという自覚のある方、現在鬱や不安、パニック障害、統合失調症、双極性障害など患っている方は要注意です。

行くのであれば、どなたか信頼できる人と一緒に行かれることをお勧めします。

こうした事に該当しない方は、ひとりで見に行く事をお勧めします。その方が、アーサーに対する同一視や投影が促進され、映画がより深く味わえるのではないかと思います。それからできればIMAXで見たいですね。

もうひとつ、バットマンの本名や生い立ちについて少し調べていくと、映画の理解度が深まりやはりより楽しめると思います。

この映画、ホアキン・フェニックスの圧倒的な演技力をはじめとするこの作品の凄まじい完成度はもちろんですが、今回ここでお話したいのは、ホアキン・フェニックスが演じる大道芸人のアーサー・フレックの半生です。

映画であり、エンターテインメントなので、視聴者に分かりやすくするための強調や簡素化は当然ありますが、この映画は精神病理学やメンタルヘルス、精神分析学や臨床心理学的観点からもよく作られています。

幼少期の家庭環境での深刻な虐待やニグレクト、その後も続く母子家庭の貧困と母親の精神病理、学校でのいじめなどによる複雑性PTSD、妄想、慢性うつ病を抱えながらコメディアンとして大成する事を夢見る若き大道芸人のアーサーは、貧民街のぼろぼろのアパートで母と二人暮らし。

心身を病んだ母親の介護をする、子供好きの心優しい青年として描かれています。

しかし彼の優しさには危うさがあります。

虐げられて生きてきた彼は、恐らく人生の最早期に、怒りや攻撃性を他の幼児のように自由に表現する事が許されないと学んだのでしょう。

小さな子供は自分のニーズが満たされない時、怒りや攻撃性を自然に表現しますが、彼の置かれた環境では、表現する事で養育者から寄り添ってもらえるどころかさらに虐待され、そうした感情は持たない事がサバイバルに必要だと幼心に学んだのかもしれません。

アーサーは、人間が適応的に生きるための自然な怒りや攻撃性を無意識に抑圧して生きているので、他者から不当な扱いを受けた時にも本来あるべき攻撃性が意識できずにやられっぱなしです。

非常に自虐的で敗北主義的なライフスタイルです。

しかし彼はある時、人でなしの同僚から拳銃を渡されます。

この拳銃を手にした時から彼の心の中の抑圧の防衛規制が破綻し始めます。

最初は拳銃に対して拒絶反応を示していた優しいアーサーですが、次第に拳銃に抗い難く惹かれていきます。

拳銃はアメリカ社会における自由と暴力の象徴です。アメリカは、今日に至るまで、銃を中心に発展してきましたが、現在では最大の社会問題の一つです。

拳銃は、アーサーのパンドラの箱を開けることになります。

彼がずっと心の奥底に抑圧して否認してきた怒りと攻撃性が次第に意識化されていき、やがて爆発的に解き放たれます。

私がこの映画で特に好きなのは、青年アーサーの心の動きのきめ細かな描写です。

彼は「笑い発作」の持病を持っているという設定ですが、よく見ていると、その笑いは決してランダムに出てくるものではありません。

彼が誰かから拒絶されて傷ついた時、本当は悲しい時、憤りを感じている時、動揺している時、不安な時、怖い時など、心が動く時、そうした感情が全て笑いに転換されてしまっているように見えます。

その笑いは悲壮感に満ちていて、心が痛むものです。

笑いは彼の感情の唯一の表現手段です。

彼がお人好しでドジで要領が悪くて貧乏くじばかり引いていたのは、自分の感情をうまく感じられないからです。自分の気持ちをうまく認識できなければ自分のニーズもわからないからです。自分自身とうまく繋がれない彼は他者とも繋がれません。極めて孤独な人生です。

でも彼が自身の怒りを強烈に感じられた時、彼はあらゆる呪縛から解き放たれ、心と体が一致します。ブレがなくなります。極めて俊敏でパワフルで効果的な殺戮が可能になります。ほとばしるエネルギーと破壊衝動です。

それにしても、なぜこのように陰鬱で残忍な映画が世界中で大反響になっているのでしょう? 

そこにはいくつもの理由があると思います。

トランプ政権の台頭から始まった世界中の大混乱や後期資本主義のもたらした修復不能な副産物などの社会情勢もありそうですが(例えば、技術的にあり得ないですが、この作品が20年前に上映されたらここまで話題にはならなかったと思います)、やはりそれだけ多くの人々が、国境や民族や文化を超えて、アーサーに同一視しているからだと思います。

この映画を見た多くの人が、アーサーに同情や共感してしまうと異口同音に言います。

心優しい気弱な青年が殺戮の悪のカリスマになっていくのには理解できる理由があります。

この映画を見て思い出したのは、町田康氏の小説『告白』の題材にもなった、河内十人斬りです。

なぜ11人もの人が惨殺された事件が河内音頭として現在まで人々に愛されているのか。

町田康の『告白』の主要なテーマのひとつに、「なぜ人は殺すのか」というものがあります。アーサーと『告白』の城戸熊太郎には実際多くの共通点があり、ストーリーラインも似ています。

Jokerの主題のひとつには、「生まれながらのサイコパスはいない」というものが含まれているように感じます。

虐げられ、いじめられ、馬鹿にされ、搾取され、極限まで追い込まれた弱者が自分のために立ち上がるというテーマです。
(言うまでもなくアーサーの方向性は間違っています。この記事での内容は、殺人はいけない事である事は前提で、倫理やモラルは別として書いています)

多かれ少なかれ、人間誰でもいじめられた過去があります。また、世の中あまりにも多くの人が、直接的、間接的に、暴力に晒された経験があります。何らかの未解決なトラウマがあります。

アーサーの孤独感、抑鬱、惨めさ、屈辱感、無力感、怒り、かなしみ、虚無感が全く理解できない人はあまりいないでしょう。

自分の中のこうした要素を自覚でき、ある程度受け入れられている人はアーサーと自身を重ね合わせてある種の代理体験を意識的、無意識的にするので不思議な浄化作用を経験するのでしょう。

一方、そうした自分の要素に無自覚であったり、それがあまりにも受け入れ難いものである人は、そうした自分自身の見たくないものを突きつけてくるアーサーに嫌悪感を感じたり、防衛的に無関心になるので、この映画が嫌いだったりつまらなかったりするかもしれません。

最後に余談ですが、私自身のこの映画の体験です。

うちはまだ子供が小さいので、私は随分長いこと映画館には行けていませんでした。

妻にお願いすれば映画館ぐらい行かせてくれます。

でも、家族を置いてまでみたいと思う映画はあまりなかったのです。

もちろん、見たい映画、気になる映画はこれまでもたくさんあったけれど、自分にとって家族との時間の優先順位は非常に高いので、それを超えるほどのものがなかったという事です。

ただこの映画に関しては、どうしてもこのタイミングで見ておきたい、見ておくべきだという直感や抗い難い欲求を感じたので、妻にお願いして出かけました。

たまにそういう種類の映画があります。

ちょうどその日は妻の実家の地元のお祭りで、一人で映画を見に行くにはまたとないチャンスでした。

直感が当たりました。

本当に見れて良かったです。

ただ、この映画のインパクトはあまりにも強烈でした。

この映画は、主人公の内的現実(妄想)と、外的現実(いわゆる現実)が絶妙に織り混じって展開していきますが、見ているうちに、どこまでが彼の妄想でどこからが現実なのか分からなくてなっていきます。

早朝でIMAXだったためか、館内はガラガラで、客は20人ぐらいしかいませんでした。エンドロールが終わって館内の照明が点いた後もなんとなく立ち上がれず、自分は最後の一人でした。

映画館を出ると、軽い離人感というか非現実感を感じている自分に気づきました。

目眩がするのでベンチを見つけて座り、しばらくじっとしていました。

早くこの感覚から脱却したいような、もう少しこの感覚を味わっていたいような、妙な感じです。

いずれにしても自分は映画を見たら妻に頼まれた買い物をしてとっとと帰る予定だった事を思い出して、非現実感を感じながら、アカチャンホンポに行きました。

すると一気に現実に引き戻されました。

そこは明るくて、周りはママとパパと赤ちゃん、お腹の大きな女性と浮かれた男性、楽しげなじいじばあばで溢れたなんとも平和な世界です。

多分アカチャンホンポは、Jokerの余韻を楽しみたい人はまず行くべきでない場所です(笑)。ある意味Jokerの世界とは対極にある場所です。

私はホッとしたようなちょっと残念なような気持ちでオムツを買って家族のもとに帰りました。異様に家族が恋しくなったのです。


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