興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

歌からの連想と追憶

2007-03-06 | 戯言(たわごと、ざれごと)
毎年この季節になると、なんだか胸騒ぎがして
ずっと昔の自分が聴いていた曲や、いつか流行っていた
曲などが無性に聴きたい衝動に駆られることがある。
そういう訳で、先日の深夜にいろいろと思いついた曲を
ネットで漁り、ダウンロード可能なものを片っ端から
落としていった。

 音楽とは不思議なもので、忘れていたその時の
気持ちだとか、出来事だとか、情景だとか、
その時に自分の人生の中にいた人のことだとかが
自由連想的にどんどん思い出されてゆく。

 自由連想法(Free Association)という心理療法の
テクニックを生み出したフロイトは、後に、
自らがつけたこの名前は、そのテクニックの性質に
おいて語弊があると認めている。確か。。。

 つまり、自由連想法の実態は、ある事象からそれに
付随して思い出されることをどんどん述べていくの
だけれど、「自由」と言われるその発想は、実は、当人の
コントロールを超えていて-つまり、本人の意思とは
無関係に-どんどん思い出されていくものなので、
-それが良性であれ、悪性であれ-「自由」という
名称はおかしいのではないかということだ。

 自由な連想であれば、思い出したくないこと、
連想したくないことは、その人間によって
コントロール可能でなくてはならない。そういう
ロジックだ。この話を何かで読んだ時に、自分は
非常に興味深く感じたのを覚えている。「自由連想」は
「強迫的」に、無意識から意識へと、時に洪水のように
押し寄せ、時に暗闇のように忍び込んでくる。

 一方で、思い出したいことが自動的に思い出されて
いく時に、人は春の夜のそよ風のような心地よさを
感じたりする。心地よい追憶は、こころに優しく、
気持ちよく、しばしの間その人間を上等なワインの
ようなほろ酔いへと導いてくれる。

 春という季節は不思議である。

 一般的に、人はこの時期にいろいろなことを
思い出すように思われる。

 こころに闇を抱える人々が特に不安定になるのも
春であることが多いも、なんだかよく分かる気がする。


 人は、何故春に思い出すのであろうか。
 それが楽しいものであれ、悲しいことであれ。

 春の夢。

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2 コメント

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Unknown (yodaka)
2007-03-06 10:55:10
「たわ言」カテゴリーお初です。
本文がタイトルから逸脱しています。
返信する
自由と記憶を奏でる春うらら (シオピー)
2007-03-06 22:58:36
 人が自由であること、自由に活動することとは、自らの意思が明確にそこにあり、その認識に基いて、自分の意識と行動を制御しつつ、自分の人格を、そのあらゆる可能な身体的動静を用いて、発現できる場合の現象をもって言えることなのでしょう。
 
 自由とは、明確に作為的であり、意識の混濁した状況下での、脈絡のない所作は、もはや人間の属する観念の世界の外というべきで、自由な行動とは異質な現象なのでしょう。

 自由連想が、この意味に於ける自由の意味内容にそぐわない、とするならば、この澎湃と湧き出づる、記憶の洪水は、どこに起因するのでしょう。

 人が、何かを経験する場合、その経験が、理解の領域に入る前の段階に、その事象との直接的且つ不可分な無意識的な領域にある状態、いわば感覚的な経験がまずあって、それを次の瞬間に、論理的に分析して今経験した事柄の意味内容を理解して、一つの経験した事象として記憶する、と考えられるとすれば、いわば、覚醒した意識によってコントロールできる記憶と、もっと深いところに、自らの、覚醒した理解を超えた、直接経験としての記憶が、一つの事柄にも、表裏一体に、違う印象で、張り付いている気がします。
 
 見方を変えれば、意識でコントロールできる記憶をインデックスとして、その意識下に置かれるまでの様々な身体的な記憶が、導かれる、そしてそのキッカケが、心理療法で用いられるものであったり、好きな音楽であったり、或いは季節の移り変わりだったりするのでしょう。
 
 音楽は、やはり感覚に訴えるものだから、頭では意識しない身体的な現象にも、無意識的に反応してしまうのだと思うのです。

 春という季節感も、明らかに、寒い季節から、暖かい季節への移り変わりの感覚であり、最も暑い季節に向かって時間が走る、そんな、時の躍動と広がりを感じる季節なのだと思います。それ故、その躍動と広がりを感じる大きさの程度を、それまでの体験的な記憶との対比の中で、無意識的に活発に過去の事柄を検証してしまう、そんな季節であるように思えるのです。

 だから、そこには、プラスの観念とマイナスの観念が大きく共存し、誰もがスタートを意識する季節だけに、それに包含される過去の記憶によって、様々に意識構造が変化させられ、時としてマイナスの観念が、バランスを崩して肥大化し、許容に耐えられなくなる場面もまた、生じ易いのではないかと感じます。

 春こそ、やっと顔を出した、自然の息吹に浸り、人間の存在も、自然の一部なんだくらいの優雅さを、素直に感じていたいものです。
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