今から半年ほど前、地元にある県内最大規模の精神病院の周りを、息子と一緒に散歩していた。実はここは、彼が会うことのなかった彼の祖父がかつて院長をしていたところだ。
その病院の正面玄関の前を通り過ぎた時、息子が言った。
「ここはなんのびょういん?」
刹那の逡巡。何て答えようか。一秒ぐらい間を置いて、
「うん、そうだね、ここはいろんな人が来る病院だよ」
と答えた。なんとなくこの会話を早く終わらせたいと思っている自分に気づいた。どうしてだろう。すると息子は、
「ここは◯◯もくるの?」
と、とても素朴に言うので自分はますます困りつつ、
「いや、◯◯は来ないよ」
と答えた。
いつか息子にゆっくりとメンタルヘルスや臨床心理学について教えていこうと思っていたけど、その心の準備がまだできていなかった自分に気づいた。
しかし息子の好奇心は強まるばかりで、
「どういうひとがくるの?」
と、より具体的に尋ねてきた。
ここで再び刹那の逡巡。3歳になったばかりの息子に適切で誠実な回答はなんだろう?しっくりいく結論が出ないまま、
「うん、ここは心の病気になってしまった人が来るんだよ」
と答えた。「心の病気」という表現はあまり好きではないけれど、3歳児には分かりやすいかなと思った。すると彼は、
「◯◯もこころがおれることがあるの?」
と、再びとても素朴に言った。
ここでまたはっとする思いがした。3歳の息子は既に私の話をよく理解している。そして、ずっと先だと思っていたメンタルヘルスについての彼との対話のタイミングが突然訪れたのだ。
それにしても「こころが折れる」という言い回しはどこで覚えたのか。
「そうだね。◯◯も心が折れる事はあるかもしれない。でもね、◯◯にはいつでもパパとママがついているから大丈夫だよ。すぐに元気になるよ」
と答えた。すると彼は安心した様子を見せた。
(続く)