興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学博士、黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

成功につながる不可欠な失敗

2020-02-06 | 戯言(たわごと、ざれごと)

先日実家のインターネットの接続の問題でプロバイダーのお客様センターに電話した時の事です。

最近の0120によくある、音声ガイダンスに従って番号を押していくタイプのもので、嫌な予感がしました。

これはアメリカでは1800に該当するもので、2000年代初期に銀行などを中心にアメリカ社会に一気に広がり、当時アメリカ人達からは、「企業ができるだけ客と直接繋がらないように、客との接触を回避している」と大変不評でした。今では世界的にこのシステムが当たり前になりましたね。

さて、このお客様センターも最初の音声ガイダンスからオペレーターになかなか繋げてくれない雰囲気に満ちています。とてもゆっくり話すのは客が聞き取りやすいようにとの配慮だけでしょうか? 全部聞いていたら日が暮れてしまいそうです。

1つ目の音声ガイダンスは普通に終えて、問題は2つ目です。

いきなりスマートフォンにショートメールが送られてきて、

「ただいまお客様の携帯電話にショートメールをお送り致しました。ショートメールは届きましたか? 届いた方は1を」

と聞こえたところですかさず1を押したら最後、「ショートメールの説明をお読みください」と通話は切断されました。

なんて理不尽な。

これでは初見でオペレーターと繋がるのはほぼ不可能です。

2回目の電話で無事に繋がったオペレーターの方は非常に親切で癒されましたが。

さて、先ほど「ほぼ不可能」、と言ったのは、恐らく1回の通話で繋がれる人もいるだろうということです。

例えば別の会社の別のカスタマーサービスで以前同様の経験をされた方は、アナウンスがどんなに遅くても選択肢を最後まで全部聞いていたかもしれません。

ちなみに「ショートメールが届いた方は1を」の次に流れたのは、「オペレーターとお話になりたい方は、2を」でした。

こんな体験の後にたまたま見たYouTubeの動画は、元祖スーパーマリオブラザーズを改造した、全面クリアは不可能じゃないかと思える内容の作品をある男性が時間をかけてクリアしていくものでした。

この作品はマリオが実は極悪の殺人鬼でルイージに次々に罠を仕掛けてくるというもので、非常に凝った作りで完成度の高い作品です。個人的には面白いと思いますが、とにかく怖くてグロテスクなので、興味のある方のみ各自で検索してみてください。

この13分ぐらいの動画はある男性がこのあり得ない難易度の改造スーパーマリオに解説付きでひたすら挑んでいくものですが、私が感銘を受けたのは、この男性、何度ルイージがやられても決して諦めないところです。

普通のスーパーマリオと異なり、やられるときはなかなか生々しく、ゲームオーバーになったら最初からやり直しで、陰鬱な気持ちになります。見ているだけでこころが折れてしまいそうなのだけれど、この方はとにかく何度でもやり続けます。

相当に編集してあるので、彼が実際クリアするまでに一体何時間掛けたのかは見当もつきません。

恐らくプロのプレイヤーである彼でも初見では絶対に生還できない場面が目白押しで、彼の操るルイージは何度も何度もやられながら、どこにどんな罠があるのか学んでいきます。

それどころか彼は自らいろいろと実験をして何度も自爆しています。

これは毒キノコに見えるけど実際には何なのか好奇心からキノコに触れてみて食中毒で倒れたり、穴は普通の穴なのか、この穴に飛び込んだらどうなるか、実際に飛び込んで自爆します。

そんな試行錯誤を何十回と繰り返しながら、最終ステージに辿り着くわけですが、私はこの動画から、人生の成功哲学について再確認させていただきました。

私たちは生きていくなかで、本当に様々な失敗をします。あるいは避けられたかもしれない失敗もありますが、ほとんど不可避であった失敗もたくさんあると思います。失敗経験が多いほどに、大きな失敗はしなくなり、後の大きな成功に繋がっていきます。

弱さを経由しない強さはあり得ないですし、失敗を経由しない熟達は存在しません。

カウンセリングをしていると、相当に前進したクライアントさん達がしばしば口にするのは、(ご自身の成長を認識する一方)、それまでの好ましくない経験や失敗は、ものすごい時間の無駄だった、不必要なことだった、あんなことは経験したくなかった、ということです。

こうした時、クライアントさんたちの悔しい気持ち、残念な気持ち、悲しい気持ち、腹立たしい気持ちなどに寄り添いつつも私がよくお伝えすることは、そうした無意味に思える経験や、失敗があったからこそ、今の生きやすさや充足感や幸福な生活があるのだということです。

無意味に思えることも決して無駄ではなく、不必要で避けられたと思える過去の辛い経験も、矛盾するようですが、今だからそれが無駄だと思えるのであり、その「無駄」が無駄であると経験的に知ることができたからこそ、今回自分にとってより良い新しいものを選ぶことができた、ということです。