(北海道新聞夕刊<魚眼図>2012年2月1日掲載)
四国の高知県で、北大の尊敬すべき卒業生のことを知った。西森茂夫さん(1938~2004年)である。高知市出身の西森さんは、北大獣医学部で学び、札幌でしばらく教員をした後、帰郷した。そのひとつの理由は、槇村浩(こう)(1912~1938年)という同郷の詩人を再発見したことにあった。槇村は31年(昭和6年)に満州事変が勃発して間もなく反戦詩を書き始め、「兵士たちよ君たちの敵は向こうにはいない」といった内容の反戦ビラをも起草した。
西森さんは帰郷後、土佐高校で教えながら平和運動に従事した。まず高知空襲(45年)の被害を仲間と共に掘りおこして、特別展を開催した。さらに89年には民立民営の「平和資料館・草の家」を自宅敷地内に創設。民間の平和博物館の先駆けとなった。会費とカンパなどを運営費にするほか、資料館の上層階を賃貸ワンルームマンションにして、その収益を建設費の返済などに充てることにした。ここでは高知空襲ばかりでなく、日本による戦争の加害、槇村ら反戦抵抗者に関する資料などが展示され、さらに行事や会合が開けるようになっている。2階には平和関係の膨大な図書がある。ここはいわば「平和のインフラ」だ。
「草の家」の名称には、草の根の民衆と、自然界の基となる草の意味が込められている。西森さんの考える平和は自然とつながっている。私が館でいただいた詩集「花いばら」にそれが表れている。「子どもらは希望のしるし/だから君よ風になろう/平和を運ぶ風になろう」。さらに西森さんは森を再生させる「憲法の森」プロジェクトにも着手した。平和の種子を蒔(ま)き続けた西森さんの人生から、私たちが学べることは多い。
(小田博志・北大大学院准教授=文化人類学)
↓ 一階部分が資料館になっている
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