命こそ宝
(北海道新聞夕刊<魚眼図>2012年3月1日掲載)
圧倒的な武力をもつ軍が侵入してきて、土地が奪い取られる。そんな相手にどう立ち向かうか? 沖縄県・伊江島の人びとにとって、その相手はアメリカ軍だった。
(伊江島と城山)
伊江島は沖縄本島の中ほどの本部町(もとぶちょう)からフェリーで約30分の所にある。島の真ん中に城(ぐすく)山という巨岩が聳(そび)え、対岸からもすぐにわかる。1945年4月、この島は日米の地上戦に巻き込まれ、他の沖縄の地域と同様、多くの一般住民が犠牲となった。生き残った村民は戦後あらためて農業に精を出し、平和な生活を取り戻していった。ところが55年、アメリカ軍は島西部の農民たちの畑や住居をブルドーザーで破壊して、基地にするという暴挙に出た。そうやって土地と家を奪われた一人に阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(1901~2002年)がいた。
(阿波根昌鴻さん 撮影・高岩仁さん)
阿波根さんらはこの強力なアメリカ軍に、徳性で立ち向かった。相手を責めない。悪口も言わない。道理をもって説得する。これらの姿勢を貫いたのである。それは相手の良心を引き出し、人間として教え導くという道であった。これが現実を動かし、島の約6割を占めていた軍用地の半分を解放させるに至った。だが残りの返還は皮肉なことに、沖縄の日本復帰後、膠着(こうちゃく)状態に陥った。
(ヌチドゥタカラの家入口)
阿波根さんは「助け合って、ゆずり合って、教え合って、共に生きる人間」が平和をつくるのだと考え、「平和的手段による平和」を実践し続けた。その一つの表れが、伊江島の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」である。「ヌチドゥタカラ」とは「命こそ宝」の意味。同名の著書「命こそ宝」(岩波書店)は阿波根さんの力強い言葉が刻まれた名著だ。沖縄の基地問題は現在、重要な局面を迎えている。阿波根さんの名を今こそ想起すべき時ではないだろうか。
(小田博志・北大大学院准教授=文化人類学)
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『命こそ宝』より阿波根さんの言葉
「この伊江島はね、海も動いているし、生きておる。こうして木を見ていますとね、風は三味線ですよ。静かな三味線をひくと、木の枝はみな、クミウルイ(組み踊り)する。・・・
何でも生かしていかなければならない。戦争がない平和の島をどうしてもつくっていかなければならない。わしはそう思っております。」(191ページ:本文最後の言葉)
「戦争(殺し合い、奪い合って、騙し合って生きる人間のこと。)
平和(助け合って、ゆずり合って、教え合って、共に生きる人間のこと。)」(211ページ:牧瀬恒二氏宛の手紙より)
「自分たちの目的は基地撤去であり、土地をとりもどすことです。喧嘩することではない。だから、銃剣を持って来る人の立場も考える。この兵隊たちは命令に従うしかない人たちで、可哀そうだという同情心がなければいかない。」(185ページ)
「わしらの闘いの基本は、何より相手のことを考える闘いだということだったのであります。」(186ページ)
(団結小屋に記された琉歌:「貧乏人の庭でも、金持ちの庭でも、選ばずに咲く花の美事さよ」)
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