自然回帰

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西郷隆盛「西郷どん」も越えた可愛岳

2018-03-26 | 宮崎の山
西南戦争最後の決戦地、延岡の俵野地区。
その魂に触れることのできる山が今回歩いた可愛岳です。

和田越の戦いに敗れた西郷隆盛は俵野の可愛山稜が、天皇家祖先の御稜墓なのを知ってこの地なら官軍の砲撃もないだろうと宿陣しました。
最後の軍議で可愛岳突破の方針を下した西郷はこの地に傷病者を残し、薩摩の残軍600余で可愛岳突破を決行します。
四方の山々に政府軍が展開する中を俵野の住人数人を道案内として、西郷隆盛を乗せた籠を守るように進軍しました。
絶壁をよじ登り、政府軍と死闘を繰り返しながら郷里の薩摩を目指します・・・

延岡市俵野の西郷隆盛宿陣跡資料館は多くの観光客でにぎわいます。


東九州自動車道の北川IC、「道の駅はゆま」に西郷隆盛資料館の案内がありました、


同じ道の駅はゆまの西郷どん


西郷隆盛が官軍と戦いながら包囲網を突破したルート概要です。


西郷隆盛も越えたであろう「鉾岩」です。


途中の岩には弾痕跡と思われる小さな窪みが確認できます。
※参考:西米良の天包山にも薩摩軍と政府軍が交戦し同じような弾痕跡が残っています。


西郷隆盛は軍幹部を集め、薩軍として最後の軍議を開きそこで重大な決断をします。
兵士たちに半年間の苦労をねぎらい、感謝の言葉を述べ筆をとって薩軍解散布告令をしたため軍を解散しました。


薩軍解散布告令≪訳≫
我が群は戦いに負け追いつめられた。
今日より後はただ命をかけて最後の戦いをするだけです。
この際、諸隊においては、降参する者は降参してもよいし、戦って死ぬ者は死んでもよい。
幹部も部下も身分の差もなく自らの判断で好きなようにしなさい。

「以上、西郷隆盛資料館のパンフレットより抜粋」

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