SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

【緊急特集】マラン・マレ生誕350年記念特集

2006年12月31日 21時31分54秒 | 器楽・室内楽関連
★マラン・マレ:ヴィオール作品集
          (演奏:ミーネケ・ヴァン・デル・ヴェルデン(ヴィオラ・ダ・ガンバ))
曲目詳細の紹介は割愛します。
ヴィォールのための組曲、小品の間に、L.クープラン作曲によるハープシコードのソロが曲間のつなぎのように4曲ほど挿まれています。
                  (2000年録音)

みなさん今年2006年(!)は、マラン・マレ生誕350周年に当たる記念年です。
巷ではモーツァルト生誕250周年とかまびすしいですが、我がSJester制作本部では世情に流されることなく、マラン・マレの生誕350年記念特集を総力を挙げて敢行するものであります。

かかる重要な作曲家のメモリアル・イヤーがかくも忘れられた扱いを受けることは極めて不当であります。

「メディアにおかれても、リストの没後120年よりキリがいいじゃないですか?しっかり情報提供してくださいよ!」などと言いたいところですが、リストの記事を見たのはは“ショパン誌”だから「マラン・マレの特集なんて組めねぇよなぁ~」という事情は理解しております。

責任があるとしたら、私が目にした音楽関係の他誌だね。
書いてあったのに、私が気が付いていなかっただったならごめんなさいだけど。
ちなみに、今回気づいたのはレコ芸の2007年1月号の某所に書いてあるのを先ほど見たためです。

まぁ年初、年の瀬にこんなブログを自分が書いてるなんて考えてもいなかったからなぁ。
私のアンテナがきっと低かったんだな・・・。うん、うん。

なんてことを言っているヒマはない!!
とにかくすぐやらないと、もう50年ぐらい出来ないから・・・。ヘタすりゃこっちの命も危ない。
ここまで「あと猶予はどれほどあるんだ!?」的状況では、誰も350周年中にこの記事を見られないでしょうね。
ここまでくるとモーツァルトでさえ最早お呼びでなくて、音楽は今年あと紅白の残りと蛍の光を聴くだけだと思ってらっしゃる方ばかりかもしれません。

そういえば紅白ってもう何年見てないんだろう?
大晦日の晩にテレビ見ること自体ほとんどないし・・・なんて言っていると、投稿自体今年に間に合わなくなっちまうぅぅぅ!!!
そんときゃバックデートしますケド。


さてミーネケ・ヴァン・デル・ヴェルデンのヴィオラ・ダ・ガンバ、グレン・ウィルソンのハープシコードによるマラン・マレのヴィオール作品集です。

一言で言って本当に素晴らしい!!!(大絶賛)
ジャストの潤いの音色、伸びやかな表現は古楽器のそれの最良の特徴だし、古楽器に往々にしてある音色の不安定さがありません。したがって音色は軽いのに、極めてリラックスしてくつろげる。
演奏解釈も奇を衒わないオーソドックスなもの、でも退屈とは無縁。いつまでも聴いていたくなるような演奏です。

プログラムはマレのヴィオールの組曲や小品を随意に並べた中に、ハープシコードのソロ(クープラン作曲)が効果的に差し込まれているといった体裁。
伸びやかで張りのある旋律を多様に引き分けている他、例えば“セント・コロンブ氏のトンボー(墓)”の中間部など短く区切った音もひとつひとつ特徴を描き分け、印象的に弾かれていることも、わくわくしながら聴かせてもらえる要因のひとつでしょう。
もちろん、ハープシコードのグレン・ウィルソンの好演の貢献も見逃せません。

ただ、奏者以外にこのムード作りに最も貢献しているのはほかならぬ録音でありましょう。
中音域の潤いにはさきほど触れましたが、ときおりヴィオールがバスを奏でたときの音色などとても芳しく、その一音で雰囲気が出来上がってしまいます。
というのは、この点で次に紹介する平尾さんの盤とは録音のコンセプトが違うのではというぐらい耳に届く音の印象が違うのです。

こちらは“音色はある程度克明に録ることを心がけながらも、聞いた際の雰囲気重視”、平尾さんの録音は“努めて明瞭に音を拾いあげた、音の密度(情報量)の高いはっきりクリアな収録”を目指しているのではないかと思います。
もちろんどちらが正しいとかいう問題ではありません。
かねてこのブログで話題にしていることが、ここでも感じられたということです。

★マラン・マレの横顔Ⅱ
                  (演奏:平尾 雅子(ヴィオラ・ダ・ガンバ))

1.組曲ト短調 (第3巻.1711)
2.組曲ニ長調 (第4巻.1717)
3.ジャリヴァリ(第3巻.1711)
4.組曲ホ短調 (第2巻.1701)
                  (1997年録音)

近年我が国の古楽器の演奏の水準は目を見張るものがありますねぇ。

私は古楽オーケストラの演奏は、特に弦楽合奏は、えてして音色が毛羽立ったようになるところにちょっとひっかかるときがありますが、音色が不安定でわずかな弾き方の差でニュアンスが変わることを承知したうえで、それをきちんとコントロールできる演奏家によるものであるなら、ソロ、アンサンブルともに逆に魅力を感じます。
繊細な音色の変化によって立ち上る雰囲気が一変してしまう、そんな妙味を楽しみに聴くことができるのです。

ここで聴く平尾雅子さんの演奏は居住まいを正してはいるものの、気負ってはいない演奏。
曲自体の要因もあるのでしょうが、ヴェルデンの演奏と比べると低音がふんだんに盛り込まれて下半身が安定した曲が目立つように思います。

そして先ほど述べた音色なのですが、本当に古楽器かと思わされるほどに、これが極めて安定しています。
シャリヴァリにおける闊達な音色に含まれる古楽器特有の金属的な音が、こんなにも同質の音色を揃えられるというのも、非常な訓練の賜物だと思います。
伸びやかに弾いたときの音色は、金属的な音も含めて極めて精妙にコントロールされています。艶消しの音色になったり、ふっとボウイングの力を弱めて計算の上で金属的な音色を溶け込ませたり、それが曲にふさわしくとても自然にできているあたり、センスがいいとしか言いようはないですね。
演奏家がいかにこの楽器と一体になっているか、楽器固有の特性もありましょうから、それをどれほど手の内に入れているかということを強く感じさせずにはおきません。

雰囲気も上々で、個々の楽器の音はそれぞれ伸びやかに収録されていながら、ぎゅっとアンサンブルは締まっていて、密度間も高いです。
本当にヴィオラ・ダ・ガンバの音が美しく収録されています。
非常に微妙なところではあるのですが、録音に関してもう少し低音の音をルーズにしたらもう少し気楽に聴けるかなとも思いました。

今年このシリーズもⅣ(未聴)まで来ましたが、Ⅲまでの中ではこのⅡが最も多彩なプログラムに思われ好きです。
平尾さんは質の高いディスクを満を持して発表される方。。。
今後もぜひご活躍いただきたいアーティストですね。

★マラン・マレ;音階その他の器楽曲集(1723年出版)
                  (演奏:寺神戸 亮(バロック・ヴァイオリン))

1.パリのサント・ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘
2.音階 (小オペラ形式による)
3.ソナタ《ラ・マレジェンヌ》 (マレ風のソナタ)
                  (1998年録音)

ここで寺神戸さんが弾いているヴァイオリンの音がいいですね。
えてして古楽器のヴァイオリンというと、刺激的な金属音という感じの音色のものが少なくありませんが、そういう音を選択しておられるときもあるのでそういう音が出ない楽器ではないにもかかわらず潤いのある音色を多用し、曲が中低音域で奏でられることが多いこともあって、私にとってとても落ち着いて聴きやすいディスクです。

曲調も概ねリズムもよく立っている明るい感じのものであるため、充実した演奏ながら深刻ワールドに引きずり込まれるようなことも余りありません。

美しい音色・アンサンブルに耳をそばだてながら、おぉもうすぐ年越しじゃぁぁぁ!
大晦日も押しせまって、このような名演に心躍らされるとは幸せなこってす。


おかげさまでなんとか2時間あまりを残して仕上がりましたねぇ・・・。
これなら平均アクセス数からすると15人ぐらいの方は、マレ生誕350周年を私とオンタイムで共有できることになりますな。
などと言っている間にも、どんどん共有できる時間がなくなってしまいますね。
さっさと投稿しなくては!!

それではみなさま、良いお年を!!
今年お付き合いいただいたこと、心から感謝いたします!!! (^^)/

リスト没後120年特集 (その29 孤独の中の神の祝福編2)

2006年12月31日 00時00分10秒 | ピアノ関連
★リスト:詩的で宗教的な調べ 
                  (演奏:アルド・チッコリーニ 2枚組)
1.詩的で宗教的な調べ 全10曲
2.2つの伝説
3.コンソレーション 全6曲
4.オペラのパラフレーズ 4曲
                (1968年、1970年、1971年、1982年録音)

チッコリーニが「自信作と自負している」と言明している作品です。
このブログでももう既に“伝説:波を渡るパオラの聖フランシス”を語ったときに採り上げています。
本人が言うだけあって、全編素晴らしいリストの演奏が展開されています。
それは、それぞれの曲のありようを弾き表すのに必要な経験は既に十分積んで、かといって老成しているわけでもなく、という絶妙のタイミングで記録を残せたためだと思います。
概ねじっくりと曲の深奥を意識して演奏されています。

また“詩的で宗教的な調べ”“コンソレーション”の全曲が収められているディスクってありそうでありません。その意味からも、とても貴重なディスクといえるのではないでしょうか。
そしてそれが名演であるが故に、どうしてこんないい曲がめったに全曲録音なされないのだろうと疑問に思えてしまうほど・・・。

さて“孤独の中の神の祝福”ですが温かみに溢れた解釈で、ピアノの音も装飾音といえどもあまりキラキラさせないで、最初の部分は気持ちゆっくり目に進行していきます。そして展開につれ情感は高まっても、決して音が毛羽立たないところが素晴らしい。中間部のテンポをそれとわかるほどに速め、変化をつけて、元のテンポにもどして再現部、流麗にしかし本当に曲の表現しているところを余すところなく伝えてくる・・・。
聴き手の心にエネルギーがあれば、いい曲・素晴らしい曲と聴こえ、エネルギーがなかったらふっと心に入り込んで潤してくれるに違いありません。

私も疲れたときに聴くにはこれがいいかな。
最後に触れるこの曲の“最高の演奏”と比べると重くないので・・・。

★リスト:詩的で宗教的な調べ S.173 全曲
                  (演奏:スティーヴン・オズボーン 2枚組)

1.指摘で宗教的な調べ S.173 全10曲
                  (2002年録音)

スティーヴン・オズボーンは、今世紀に入って俄かにメジャー以外で最も注目されるレーベルと認知されるに至ったハイペリオンが、イチオシと踏んでいる若手ピアニストのようです。
このディスクでは2枚に渡って“詩的で宗教的な調べ”全曲が演奏されています。
こうやってみると“孤独の中の神の祝福”の他、比較的演奏されるのは第7曲の“葬送曲”ぐらいかなぁ。ブレンデルの新しい方の“ロ短調ソナタ”の盤にカップリングされてましたね。ショパンの亡くなった少し後に発表されたので、ショパンへの葬送かという話もあるようですがどうも違うようですね。。。

ところで、ハイペリオンのピアニストのラインナップってすごいですよねぇ。
分けてもアムラン、ヒューイット、ハフなんて面々は名実ともにメジャーですよね。知名度では劣っても実力的には決して先ほどの面々に“そうは”引けを取らない連中もいっぱいいる。。。(要するにちょこっとだけ劣るのはしょうがないと言っているのですが)
決して忘れられないのは晩年のニコラーエワ女史のバッハ演奏が、すこぶる付きの名演で遺されていること。
人気があるのは至極当然であると再確認。

さてオズボーンの“孤独の中の神の祝福”はつや消しの音色と、残響を巧みに取り入れた録音(マイクを立てる位置を工夫したんでしょう)により、ピアノの音の真は残しながらも刺激的な音がマスクされています。弾きぶりも極めて淡々と進められているおかげで却って素朴なイメージが膨らんで“ほの温かい”神の祝福が感じられました。
そんなに入れ込んで神に祈っているわけでもなく、日常の中でときにふと感じられるちょっといい感覚ですね。
あくまでもつや消し、華美さとは無縁です。それも全曲に渡ってその傾向がある。
私は決してジミとは言ってませんよ!

オズボーンはこの他メシアンの“幼な子イエズスにそそぐ20の眼差し”やドビュッシーの“前奏曲集第1巻・第2巻”をリリースしていますが、どのディスクを聞いてもこの人の弾き出してくる音には独特のものがありますね。
いぇ、私は決して・・・。

★アラウ・エディション:リスト
                  (演奏:クラウディオ・アラウ 5枚組)

(曲目のご紹介は省略させていただきます。)

大トリは我らがクラウディオ・アラウです。
思えばこのエディションにも収録されている“ペトラルカのソネット104番”や“オーベルマンの谷”が収められた小品集から、今回の特集はスタートを切ったんでしたね。

アラウによる“孤独の中の神の祝福”は深々としたタッチから醸し出される巨大で奥行きのある音色、温かさ、温度感が違います。
もちろん重厚な演奏でありますが、人間関係に疲れたときなどでもやはり人間が好き・人しか愛せないという思いにまで駆られるものです。

このような演奏ができたアラウとは、どれほどの心のキャパシティーを持っていた人なのか・・・。
どうやってそれを身に付けたのか?

平素聴くにはちょっと重いかもしれませんが、心の暖炉に火をくべたいとき、聴き手の心の中で最も燃焼力の高い薪となってくれる演奏です。
最後にこれを紹介できて、嬉しく思います。


さて29回にわたって“リスト没後120年特集”を連載しましたが、今回が最終回です。
いかがだったでしょうか?
目にしていただいた方、すべてのかたに感謝するとともに御礼を申し上げます。
本当にありがとうございましたっ!!!

年が明けたらまたこんな企画を -今は絶対したくありませんが- やってみ・・・
まぁ、ぼちぼちやりますわ!

リスト没後120年特集 (その28 孤独の中の神の祝福編1)

2006年12月30日 00時23分27秒 | ピアノ関連
★Liszt:Piano Works 
                  (演奏:スティーヴン・ハフ 2枚組)
<1枚目>
1.メフィスト・ワルツ第1番
2.タランテラ (巡礼の年 第2年補遺「ヴェネツィアとナポリ」 第3曲)
3.スペイン狂詩曲
4.死者の追憶 (詩的で宗教的な調べ 第4曲)
5.小鳥に説教するアシジの聖フランシス
6.孤独の中の神の祝福 (詩的で宗教的な調べ 第3曲)

<2枚目>
1.アヴェ・マリア (巡礼の年 第3年 第1曲)
2.エステ荘の糸杉に 第1番 (巡礼の年 第3年 第2曲)
3.エステ荘の糸杉に 第2番 (巡礼の年 第3年 第3曲)
4.エステ荘の噴水 (巡礼の年 第3年 第4曲)
5.瞑想
6.悲しみのゴンドラ 第1番
7.悲しみのゴンドラ 第2番
8.ダンテを読んで (巡礼の年 第2年「イタリア」 第7曲)
9.アヴェ・マリア (ローマの鐘)
                  (1988年、1990年、1991年録音)

さて、この特集も次回が最終回! ご紹介する最後の曲目となりました。
私の所有するリストの大半のディスクはご紹介させていただいたことと、今年が終わっちゃうので没後120周年の大義名分がなくなってしまう(!)ためです。

「ホッとしてるだろう~」と言われれば、正直に「はい!(^^)/」と申し上げます。
その後に「あったりめぇだろ~がぁ!」とも付け加えたい気も、いたします。

最後に残しておいたのは“孤独の中の神の祝福”です。
これは“詩的で宗教的な調べ”という曲集の中の第3曲にあたります。
演奏には概ね17~8分かかる曲ですが、初めて聴いたときから私を捕らえて放さない曲です。
どうしようもなく心が弱ってしまっているときにピアノ曲を聴こうと思ったとすると、自ずと手が伸びてしまうのがこの曲なのです。

曲冒頭から言いようのない優しい旋律が、星の瞬きにも似た高音に装飾されて現れます。それがわずかずつ変容を重ね、大きく呼吸しながら昂まって盛り上がる・・・。やや高らかではあっても決して声高にならず、とにかく深い慈しみの心に満ち満ちて思わず涙がにじんできそうなほど感動的!
中間部は、過去を回想するような鐘を思わせる音型から始まり悟ったまなざしで、上手くいかなかったことどもに煩わされていた自分を振り返っているかのよう。

最後に冒頭の旋律が帰ってきてさらに大きく高まりを迎えた後、塩じ~が政界引退のときに人生のロスタイムと言ったことを髣髴させるコーダが続き、静かに消え入るように終わっていきます。
全曲通してまさにタイトルどおり“孤独の中の神の祝福”を感じることが出来る曲。。。

私は神様も仏様も自分の心の中にいて、宗教の儀式やらお祈りやらは同じルールをコミュニティーが共有し安心して暮らしていく目的で出来た、要するに同じ文化圏に所属する人は同じ神様を世代を超えて営々と子孫の心の中に作ってきたのではないかと思ったりしています。

今風に言うと“コーチング”のコーチかな。
自分の心の中の神様に気づかせてくれて、その教えに従って善行(普通の日常の行いでしょうが・・・)を積むことができるための仕組みこそ「本来の」宗教なんじゃないかと思いますが・・・。

逆に言えば、宗教や教育を通じて学んだ道徳的観念をよりどころに、世代を超えて共有する「みんなで一緒に時を過ごす」ためのルールに則って生きることで形成された良心の結晶みたいなのが“神様”で、それを抑えて「私だけが」と人を出し抜こうとする極めて人間的な心の象徴が“悪魔”なのではないかと思っています。

(神様が人の心にもともと棲んでるのか、遺伝子の中に刷り込まれてるのか、小さいころの躾で仕込まれたのかは私にはホントはわかりません・・・。)

ただ言えることは、この曲は“心の中の神様”にすごく働きかけてくれるということです。
ただひたすら誠実に時を過ごした人であれば何を残すことなくとも、何か心を痛めるようなことがあったんだとしても、「少なくとも自分自身は自分を許してくれるだろうし、そして愛してくれもする」、そんな風に思えるのではないでしょうか。そんな気持ちのことを充足感というのではないかと・・・。
それこそまさに神の祝福を受けた状態ではありませんか?

詩的で“宗教的”な調べとは、本当にこの曲に相応しい名前であると思います。

ところで私の好きな歌に
  月かげの 至らぬ里はなけれども 眺むる人の 心にぞ棲む
というものがありますが、この歌などはそんな心境を歌ったものではないでしょうか。
洋の東西を問わず畏敬の念を抱く対象のありかたは似ているのかもしれません。

“神の祝福”は自分が自分を認め、許し、愛している状態のときに感じられるもの・・・。
決して自分の外からの何らかの刺激には、自分を心底充足させる力はないと思います。

そしてこの曲は、空っぽの心にエネルギーを充填してくれる“心の応援歌やぁ~!”と彦麻呂さん風に言ってしまうと、雰囲気ぶち壊しやぁ~~!

 ♪Leave a Tender Moment Alone~ って感じですな。

現在のハフは極めてスタイリッシュなピアニストです。なかなか尻尾を出しませんが、どうしても出自はもう少し荒くれ系ではないかと思えます。貴族風なミエの切り方が、まるこちゃんに出てくる花輪君のように思えてしまうときがあるのです。
ただ本人には「弾けないフレーズも弾き表せない高貴な感情もない」といったどこから来たかは知らないがゆるぎない自信があって、うそぶいているんだろうと疑いつつも証拠がない・・・。

この特集にもこれまでに“ロ短調ソナタ”と“巡礼の年第1年”ほかで採り上げて、いささか鼻につくケッペキぶりを賞賛の言葉とともに投げかけましたが、正直言って私にはこのディスクの一枚目こそが現在最高のリスト弾きのひとりであるハフの真骨頂であると確信しました。

ミモフタもない言い方になりますが、どんなときも深いタッチで音をしっかり出しながらテクニック的に非常によく弾けているし、曲の表情が自然なのです。
“感じておくれよ、ベイベェ~・・・”的なところが少ないし、いい意味で精一杯弾いている。言葉を変えればテクニック的には余裕はあっても、表現されている内容の深さを追う姿勢には「限界ギリギリやってます」的なゆとりの少なさを感じます。
それがまたさらなる曲の深みを聴き手に想像させて、いっそう感銘深く聞かせてくれているのかもしれません。

ただし“孤独の中の神の祝福”は私にはやりすぎと思えます。
特に再現部の盛り上がりはもっと肩の力を抜いて淡々と弾いてくれればよかったのに!
静謐に弾かれるところが麗しく感動的な部分だけにちょっと残念。

とはいえ巡礼の年第3年の冒頭4曲とダンテを読んでを中心にした2枚目も含め、本当に充実したリスト小曲集で聴き応えがあります。
値段も安いし・・・。

★BACHの主題による幻想曲とフーガ ~リスト・リサイタル2
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)

1.J.S.バッハのカンタータ「泣き、悲しみ、悩み、おののき」のコンティヌオによる変奏曲
2.死者の追憶 (「詩的で宗教的な調べ」 第4曲)
3.BACHの主題による幻想曲とフーガ
4.孤独の中の神の祝福 (「詩的で宗教的な調べ」 第3曲)
                  (1976年録音)

先述した“心を捕らえて放さない”初めて聴いたこの曲はブレンデルによるここでの演奏です。
録音時期によるのでしょうが、アナログ録音の技術の完成時期にあたるこの録音はもちろんブレンデルの潤いある美音を余すところなく捉えています。どんなに毅然と打鍵した部分も音が荒れずに聴かれるということは、ピアニストの技量と録音の技術の双方が最高度に機能しているからに他なりません。

他の3曲ではその要請に応じて英雄的な高らかさ、抑制されていてもけたたましさを表現する強音を駆使していますが、ブレンデルは“孤独の中の神の祝福”においては決して声を荒げることなく、美しい音で心と対話し思索していきます。
アナログ録音のせいか明晰な録音であるにもかかわらず、詩的な雰囲気が感じられます。
いい時期に録音されたものだと思います。

さてディスクに収められている4曲ともチョー渋~い通好みの選曲なのですが、1曲目華麗、2曲目頑迷、3曲目迫力、4曲目自浄といったテーマではないでしょうか?LP時代A面B面と分かれていたので、コントラストはより鮮やかだったと思います。本当に素晴らしいプログラム。
白眉は“すべて”なのですが・・・敢えて言えば“BACHの主題による幻想曲とフーガ”でしょうか。
この曲でのブレンデルのテクニックは、数多くのヴィルトゥオーゾの技を聴いてきた私にも信じられないほど傑出しています。
主旋律と背景の音との描き分け、特にBACHというテーマとなる音がはっきり明示されているわけですからこれができていないと話にならないけれど、ブレンデルに至ってはそれぞれの表情付けまで曇りなく成し遂げてしまう。。。
壮麗かつ大迫力のスペクタクルという感じで曲は華々しく終わるのですが、明らかにプログラム上はピークをここに持ってきているに違いありません。

その大迫力の後“孤独の中の神の祝福”、このテーマが対照的に潤いを伴った音色でたっぷりしたテンポで出てくる。。。
いろいろ書きたいのですが2つだけ・・・。
中間部の思いの深さがこれに勝るものはないと思われること、そして再現部に入ったときの曲のなんとも幸福感に満たされていること!
背景の音たちなどは天国的に彩られ、演奏に触れたときの気分がもはや優しさに満たされた感がある。
そして盛り上がっても(音量的には相当出ている)が決してうるささを感じさせないクライマックスの後、先述のように消えていく・・・。ディスクもそこでおしまいなので余計にその後の静寂が深く感じられます。

最高のリサイタル盤の一枚ですね!

★エステ荘の噴水/ボレット・リスト・リサイタル
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)

1.ヴェネツィアとナポリ S.162 (「巡礼の年 第2年」補遺 全3曲)
2.エステ荘の噴水 (「巡礼の年 第3年」S.163 第4曲)
3.孤独の中の神の祝福 (「詩的で宗教的な調べ」S.173 第3曲)
4.バラード第2番 ロ短調 S.171
                  (1983年録音)

ここでもベヒシュタインのピアノの音色がどうしても曲のイメージの大きな部分を決しているようです。ただ、ボレットのどこまでもゆとりと慈しみの心を持った奏楽があって初めて、直接心に語りかけてきてくれるような親密感が生まれることは間違いないのですが・・・。

あくまでも深刻にならずに、やりすぎもせずおおらかに曲の求めるところを弾き表しているという演奏。極端にロマンチックというわけでもないし・・・。
気安く母の懐で揺られるという気分を味わうことが出来ます。

ふと思い当たったのですが、ボレットがアメリカのピアニスト(出身はキューバ)だからなんでしょうかねぇ。この懐の広さは。

思えばボレットのディスクも多くを紹介したものです。
キャリアの最後期にリストの集大成を遺してくれたことに、改めて感謝の念を禁じえません。 

大感動!!!

リスト没後120年特集 (その27 巡礼の年編)

2006年12月29日 00時00分09秒 | ピアノ関連
★リスト:巡礼の年 第1年「スイス」
                  (演奏:スティーブン・ハフ)
1.巡礼の年 第1年「スイス」全曲
2.グノーのオペラによるパラフレーズ (全3曲)
                  (2003年録音)

リストの“ロ短調ソナタ”に次ぐ大規模な曲はこの“巡礼の年”だとブレンデルが言っています。
決して小品といえない規模の曲も含まれていますが、あるカテゴライズされたテーマを持って曲集を作って、さらにそれを“第1年~第3年”とシリーズに編んでしまうというのは、シューベルトが“水車小屋”と“冬の旅”をシリーズにしたみたいなもので結構凄いことではないでしょうか?

したがって、作曲年代は若いころ下書きして中年のときに今の形に仕上げたものから、晩年のどよ~んとした気分の作品がまでそろっており、さながら“展覧会の絵”を生涯にわたって3編作曲したようなものとも言えるかも知れません。

ハフのリストは総じて勝気で威厳には欠けるかもしれませんが、あくまでもそれはブレンデルやボレットといった、更に人生経験を積んだ後録音した大家と比較してのこと。
自分に弾き表せないことはないという自信に裏付けられた、美しい音色と極彩色の表現力を駆使して自分の美学に徹底的に忠実に則った、ファンタスティックな奏楽。
ハフは、とにかく美しいものしかお皿に盛りませんという感じ。
これは他のディスクでもそうですが。。。セレブ向けの音楽作りをしているかのようです。

それがまた、男が聴いてもシビレるからすごいんですよねぇ。
私の性分からすると、最も毛嫌いしそうなタイプなんですが・・・。

一言で纏めるとすると、ブレンデルの演奏の方が思慮深いと思うのですが、別の切り口からみたときにはよりスタイリッシュで捨てがたい盤ということがいえると思います。

★リスト:巡礼の年 「スイス」「イタリア」
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)

1.巡礼の年 第1年「スイス」 S.160
2.巡礼の年 第2年「イタリア」 S.161
3.巡礼の年 第2年補遺「ヴェネツィアとナポリ」 S.162
                  (1984・1985年録音)

ボレットは巡礼の年の第1年、第2年全曲と第2年補遺も全曲を遺してくれています。それもすこぶるつきの名演を!!
私はリスナーとしてこの上ない贈り物をもらっているような気持ちにすらなります。
第2年補遺は、以前ご紹介したDVDでも演奏姿ともども見ることが出来ます。
音源は別だし、CDではベヒシュタイン、DVDではスタインウエイとピアノも違っていて本当に興味深く見ることが出来ます。

ブレンデルとの相違を2点だけ述べるとすれば、1点目はボレットはブレンデルよりも1世代前の演奏家だけあってグランドマナーを身に付けていること、サロンなどでインティメートな雰囲気で(コンサート会場で多くの聴衆を前にしないで)演奏する術を心得ており、当然楽曲に対する姿勢、演奏に対する姿勢が異なっているということです。
ボレットは曲をよーく理解したうえで楽しく雰囲気よく聞かせる姿勢であること。したがって、演奏効果の高い曲でもその目的に沿った形で聴衆に提示します。ブレンデルだと曲の真意を追い詰めること、美しい音色で奏でることに終始します。
要するに聴衆に向けて演奏するか、自分自身の音楽創造の機会として演奏するかの違いであるかもしれません。それはブレンデルが決してプロの演奏家としては、“愛の夢第3番”をメインに演奏しないことなどにも現れていると思います。
(ブレンデルの“愛の夢”って聴いてみたいですねぇ・・・。恐いもの見たさでしょうか?)

2点目は、例えば“ウィリアム・テルの礼拝堂”では孤高のヒーローへのオマージュを描いているのは確かですが、ボレットの場合ヒーローの弱さ、寂しさまで雰囲気で伝えてきます。音の中に確かに苦みばしったところが感じられるのです。
対してブレンデルは孤高の高みを徹底して表現して、弱さはいっさい感じさせません。

テルは「強者は一人で闘うときが一番強い」という信念を持っていたようですが、時として仲間を思う気持ちが“雑念”となってさいなまれることがあったのかもしれません。
ボレットは「仲間がいるからこそ守るべきコミュニティーが存在する。けれどもその仲間とともにあるために、自分だけなら登れる高みをあきらめなければならないことも少なからずあった・・・。」、そんな心情まで感じさせます。

ブレンデルはそう感じさせることを排除して、あくまでも人々のリーダーとして敬愛された人物をリアルに表現するという解釈を採っているようです。

いずれも味わい深い名演であることに変わりはありません!

★巡礼の年:第3年
                  (演奏:ゾルタン・コチシュ)

1.巡礼の年:第3年
 ①アンジェラス、守護天使への祈り
 ②エステ荘の糸杉に「悲歌」第1番
 ③エステ荘の糸杉に「悲歌」第2番
 ④エステ荘の噴水
 ⑤ものみな涙あり
 ⑥葬送行進曲
 ⑦心を高めよ(スルスム・コルダ)
                  (1986年録音)

とにかくこのころのコチシュの演奏はフレッシュでした。ショパンのワルツにしてもしかり。
恐ろしいほどの技の冴えで、どんな曲でも弾きあげていっちゃうという感じでした。
その後ドビュッシーを録音するころになると、単なる鮮烈さは少し落ち着くんですけど。。。

1970年にハンガリーのベートーヴェン・ピアノ・コンクールで優勝し、1973年にリスト賞を勝ち取っているコチシュは、やはりリストを弾く際に求められるものをすべてその手にしているように思われます。

どんなに技巧的なことをしても、技巧が表に出ない。話題にすることないって感じです。当たり前に弾けちゃってるから・・・。
晦渋な曲なのに、爽やかにフレッシュに聴かせてくれます。かといって、これらがわかりやすい曲では決してありませんが。。。

先述の大家と比べると、聴き手におもねるところなくリストの残した楽譜から呼び覚ました事象・感情などを、とにかく思い切って音響に変換することに徹しているように思います。

後は聴き手が勝手にその音響が何ものかを判断してくださいと・・・。
そんな潔い態度が好感を得るのか、それとも空虚に聴こえてしまうのか?

ことこの演奏に関しては、残念ながら私にはコチシュの言わんとすることがまだ上手く聞き取れないでいるようです。

もちろん音響効果としてのこの曲を鮮やかに描ききった演奏という点からすれば、「他では聴かれない独自の完成度を誇るものである」ことは言うまでもありません。
ドビュッシー、ベートーヴェン、ラフマニノフなどのCDからは、例外なく高い完成度が実現されている現代屈指の名手なのですから!

リスト没後120年特集 (その26 ブレンデル編2)

2006年12月28日 00時12分22秒 | ピアノ関連
★巡礼の年:第1年「スイス」
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.巡礼の年:第1年「スイス」全曲
 ①ウィリアム・テルの礼拝堂
 ②ワレンシュタートの湖にて
 ③パストラール
 ④泉のほとりで
 ⑤嵐
 ⑥オーベルマンの谷
 ⑦牧歌(エグローグ)
 ⑧望郷
 ⑨ジュネーヴの鐘
2.イゾルデ愛の死 ~ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」から最終シーン
                  (1986年録音)

さて私のクラシックピアノを聴くに当たってのお師匠さん、ブレンデルによる“巡礼の年”です。
巡礼の年は、リストが若いころ旅のアルバム的に書いた曲を、後年今の形の書き直したものです。
そして“第1年スイス”は正に旅先での風景・史跡に感化されたリストがその描写、さらには心象の描写を主に試みた作品だと私は思っています。

そして、今回改めてこの演奏を聴いてみて感じたのは、「なんというしなやかで感じやすい演奏なんだろう!!」ということ。
これは今回の3枚のディスク全てにいえることですが、私が独墺系のレパートリーにベートーヴェンのソナタ以外で初めて触れたのがこの“巡礼の年”のCDでした。
これらは初めてとっかかりに聴いたピアニスト“ブレンデル”の得意な楽曲ということだったので、その方向に手を広げた訳です。
それまでに既に野島稔さんで“ロ短調ソナタ”は耳にしており、今の私がリゲティやらシェーンベルクを聴くよりも晦渋な曲という印象を持っていたので、“聴きやすい小品集”であるこれらにしたのです。
それにもかかわらず、最初は以前にも書いたようにまったくよそよそしいものに思われました。
私は部屋を真っ暗にして、修行するかのように何日か理解しようと聴き続けました。「この曲の良さが理解できなければ、オレはこれらの曲を聴く資格が与えられない」と思い込むぐらいでしたので、結構必死に聴いたように思います。
しかし、残念ながらそのときには曲の真髄に触れることはできませんでした。

今回聴きなおしてみてムカシの努力の甲斐があったのか、ブレンデルの素晴らしくセンシティブな側面まで聴き取ることができました。。。
多くの曲、多くのピアニストの演奏に触れて、それぞれ感動を重ねてきたことで、私のほうに知らない間にレセプターが出来ていたのでしょう。
そんなわけで個人的には、この記事のテーマは“Discover Brendel”だと思っています。
やっぱり素晴らしいピアニストだったんだと再確認。心にビンビンきましたねぇ~。

“ウィリアム・テルの礼拝堂”では、孤高の勇者のヒロイックなところはもちろん不退転の気概を感じます。強音をハーフペダルで処理することで、決然としたキッパリ感を強調したり、次回ご紹介するボレットと比較すると“清新さ”においてブレンデルのテルのほうが頼もしい。
切れ目なしに“ワレンシュタートの湖にて”に移ると場面が一転、“パストラール”や“泉のほとりで”では音色美の極致という感じ。水面に反射する光を思わせる音型などまさにキラキラの世界です。
“嵐”での荒れ狂う音楽の中で左手のオクターブが強靭に暴れているのも凄い。
“オーベルマンの谷”も秀演ですが、最高に盛り上げてほしいところでなぜかタッチを浮かせてスタッカートにしてしまう・・・。ちょっと解釈は疑問です。ブレンデルのほうがよく考えているとは思いますが、私の願いとは違う・・・。
以降、冒頭での晴朗で輝かしい音が戻り、巡礼の年は静かに閉じられます。

全体を通してリストの目に映ったもの、これがリストにどのように映ったかという観点から曲を解釈しているように思われました。

ただ、後の“イゾルデ愛の死”をブレンデルが敢えてカップリングしたのはなぜでしょう?
これのみ私にもいまだに晦渋な解釈に思われるのですが・・・。
斎藤雅広さんのような、とことん入れ込んで演じきっちゃったような官能性も感じられないし、なによりこの曲を「客観的に弾いて何の意味があるのか?」と思えるような演奏でした。

しかし私もエラそーなことを言うようになったものだ!!

★巡礼の年:第2年「イタリア」
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)

1.巡礼の年:第2年「イタリア」
 ①婚礼
 ②もの思いに沈む人
 ③サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
 ④ペトラルカのソネット第47番
 ⑤ペトラルカのソネット第104番
 ⑥ペトラルカのソネット第123番
 ⑦ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」
                  (1986年録音)

さて、第2年「イタリア」では風光明媚なイタリアと銘打ってはありますが主として文学作品から受けた感興を題材に作曲されているようです。

このディスクを聴いて更に感じたのは、ブレンデルの“ストイックさ”です。
決して感情に身を任せない。感情というより気分といった方がいいのかもしれません。要するに気持ちの一定の盛り上がりまでは表現できるし違和感がないのですが、そっからさき所謂“いいところ”が客観的に醒めた眼で見られているように思えてしまう。。。
もちろん演奏がコントロールできなくなっちゃうのは論外ですが、そうはいってもある意味“イッちゃって”ほしいところでリミッターをかけられてしまうと・・・。

ブレンデルがショパンやロシア物に手を出さない決断をしたというのもうなづけるような気がしました。彼が独墺系ではなく、そちらの方面の曲を極める決心をしていたら、もしかしたらこの上なく濃厚な仕上がりになっていたのかもしれません。

1曲目の“婚礼”は、その日の朝清楚で無垢な新郎新婦が、この日を迎えるまでに両親をはじめいろんな人のかかわりの中で育まれたであろう“確かな”と信じている愛情と同じだけの不安をかみしめるような演奏。盛り上がったところなど、最高に美しいピアノの音色も手伝って感動の渦になります。
こういう客観的に他人の心象を表現するときのブレンデルは、非常に多彩です。

続く“もの思いに沈む人”。これも雄弁極まりない!!
なんと言っても沈んじゃってるわけですから、いろんなことを考えまくっているブレンデルのお手の物。彼がその客体になりきってしまえば、独墺文学的な思索の幅は斯界で並ぶものがないぐらい深い人だし、テクニック的には弾き表せないものがないぐらい恵まれた人なので、一発でハマっています。

ブレンデルには“楽想のひととき”などの著作があり私も一応持っていはいます。
なぜこんな回りくどい言い方をするかというと、読めないからです。日本語が書いてあるのですが、日本在住40年の私にも意味がわからない。ってゆうかぁ、いくら翻訳だからってこれを読んで「ムツカシクテわからん」以外に何を思えって言うんでしょうという感じです。感想があるはずがありません。
それくらい物事を考え抜いた人が、納得してもの思いに沈んだ人を表現しているのですから、そりゃ迫真の演奏になろうってもんです。

“サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ”はコミカルな人柄ながら、ブレンデルは実直にその心情をある種の気高さまで付与して明らかにしています。
これら3曲はいろいろな心情を表しながら、音色がおしなべて明るいのがなお聴きやすさに繋がっています。

そしてカンツォネッタから休むことなく“ペトラルカのソネット”に移ります。
しかし、のっけからコクるのにアセってつんのめったような感じで始まるのはなぜでしょうか?
演奏としては、それ以前の曲と比して何の違和感もありません。
でも表現できているのが、こと“愛情”それも“愛欲”的な要素を含む愛情となると、何故かブレーキがかかるように思えるのは気のせいでしょうか?
ここに先に述べた“ストイックさ”が災いしているように思えるのです。

静かなトキメキを表現するとか、あーだこーだ頭の中で逡巡するところは非常によく判るのですが、「さぁ行けー!」ってとこでどうしても音のハギレが良すぎるような気がする。。。
特に第104番、これがこの3曲中では白眉でしょうけど、もそっとねちょ~っとアヤシイ方がいいんじゃないでしょうか?
喩えはヘンだけど井上陽水みたいに・・・っていっても、ブレンデルは“陽水”しらないか・・・。

最後に“ダンテを読んで”。
今まで話したことから、この演奏が悪かろうはずがないことはお分かりいただけると思います。

★エステ荘の噴水~リスト・リサイタル1
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)

1.エステ荘の糸杉に 第1番 (巡礼の年:第3年より)
2.エステ荘の噴水 (巡礼の年:第3年より)
3.ものみな涙あり (巡礼の年:第3年より)
4.子守唄 (クリスマス・ツリー:第7曲)
5.忘れられたワルツ 第1番 嬰ヘ長調
6.不運
7.眠られぬ夜(問と答)
8.モソーニの葬送
9.死のチャルダッシュ
                  (1979年録音)

今回の記事を“ブレンデル”特集としたのは、この一枚が“巡礼の年”だけではないからです。でも冒頭の3曲、これがこのディスクの白眉であることは間違いないのですが、これが巡礼の年“第3年”からの抜粋です。
この第3年は、老境にあるリストが住んでいた居宅の身の回りにあるものが題材に採られていますが、客体そのものではなくそれらを通して自身の境遇や心情を表現しているというイメージに思えます。ここでは、心の中を旅行しているわけです。
したがってブレンデルであれば、まさに全曲録音すればよさそうなものなのに3曲のみの抜粋です。
“ペトラルカのソネット”より合ってるレパートリーのようにも思えるのですが、そのような性格の曲であればこそ審美眼が厳しくなっているのかもしれません。

それとも本記事の中ではこれが最も早く録音されていることから、このディスクの好評の勢い(我が国でもレコードアカデミー賞を獲得している)で、第1年、第2年の全曲録音が決まったのかもしれませんね。

ちなみにこの曲集には、第2年の“補遺”として3曲のとても演奏効果の高い、どちらかというとその弾き映えをより多く意図したと思われる曲集がありますが、ブレンデルは当然のようにこれらの録音はパスしています。
十分に予想できることで驚くには当たりませんが・・・。

ともあれ前回の記事で、“展覧会の絵”にカップリングされた曲とほぼ同じような系統の曲をここでブレンデルは演奏しています。
その盤でもブレンデルは確かに冴えたテクニックを聞かせていましたが、多少空々しいところもありました。

ところがここでの演奏はどうでしょう!?
浄化された魂が眼前に現れたかのようです。冴え渡った音色そして“リズム”!

“エステ荘の糸杉”は単に糸杉を表現したものではなく、それに重なってリストの凛とした信念こそが明らかにされていると思わせられる演奏です。
年齢を重ねたリストは、頑迷とも思える不動不屈の精神をそこに見ています。

“エステ荘の噴水”はもちろん描写音楽としても超一級の作品ではありますが、この潤いと清らかさをどこまでも両立させた奇跡の奏楽を前にすると、リストの自負、すなわち常に自身の音楽的感性に水のように自然に振舞いながら、“新しい音楽”を志向してきて、細く太くすべての流れを通りここに至ったという自信、新鮮な気持ちをこそ聴かされるような思いがしました。

“ものみな涙あり”にしても、なんと感動的に心に響くことか・・・。

“忘れられたワルツ”、小股の切れ上がったリズム、内声の描き分けにより他にはない際立って洒脱で立体的な演奏で楽しめます。なぜかこの落ち着かなさは、ただ単に楽しんで聴いてしまっていいか問いかけられてもいるようですが。

繰り返しになりますが、最初ピアノ曲を聴き始めたころは「何でこんなものがありがたがられるんだろう?」と半信半疑だったのですが、一度耳にしておいて、他のいろんな事柄を学び心を動かされることを体験して、再度この最高の演奏に帰ってきたからこそ、その真価が感じ取れるのだと思います。

もっと年を経てから聴いたら、また違うことを感じるのかもしれませんし、きっとそうだとおもいます。とても楽しみです。いい時間を重ねなければ!!

この曲集を聴いてさらに思うのは、音そのもの・和声・表現が、聴き手の心に特定の感情を思い起こさせることを期待して作曲されるという方式の嚆矢だと思います。
例えばドラマの効果音・・・サスペンスドラマでの不気味さ・不安さを表現する音列というか、そういったものをリストがせっせと研究して作曲されているようにも感じられました。
隠居して大きな屋敷を貸し与えられても、決して枯れちゃったわけではなく、精力的に未来の音楽・音響効果の実験をしていたのであると。。。

ところで晩年のリストを、我が国から憲法の研究をするために渡欧していた伊藤博文が聴いているという話があるようです。伊藤はそれにいたく感動して、何とか日本に教師として招くことは出来ないかと言ったとか・・・。

もしリストを招聘することに成功していたら我が国の音楽教育史はどうなっていたんでしょうねぇ。
交響曲“新世界~黄金の国より”なんてのを書いてたりして・・・ないでしょうね!
ここで聴かれた、未来を志向している音楽が創造されていることで充分でしょう。


関係ないけど、我が国のウォーターガールズの先生は中国に招聘されて行っちゃいましたねぇ。

リスト没後120年特集 (その25 ブレンデル編1)

2006年12月27日 00時13分34秒 | ピアノ関連
★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.伝説1 小鳥に語るアシジの聖フランシス
3.伝説2 波を渡るパオラの聖フランシス
4.悲しみのゴンドラ 第1番
5.悲しみのゴンドラ 第2番
                  (1981年録音)

ブレンデルは私が初めてディスク(LPレコード)で触れたピアニストです。
70年代に彼が2度目にベートーヴェンのソナタ全集を録音したうち3大ソナタ(8番、14番、23番)を抜粋したものでした。
この人も自分の特許取得済みのピアノの音色を持っています。
当初聴いたころより“まろみ”が出てきたというか、わずかな変遷はありますが基本線はもちろん大きく変わろうはずがなく、この音を聴くと今でもホームに帰ってきたという思いがします。

このディスクを手に入れたころは80年代半ば、本格的にクラシックを聴き始めたころでした。その10年前の小学生時分から聴いていたブレンデルのピアノの音は、既に私のDNAに刷り込まれていたと思いますが・・・。

当時のブレンデルは、一連のリスト作品の録音をちょうど終了したころに当たっていたと思います。媒体もLPからCDに劇的に変遷を遂げようとしていた、そんなころ。。。私はまだまだ音のみでなく文字からも多くの情報を仕入れないことには、自分の感じ方が正しいのかどうか、自分の耳が心もとなくて判断できかねる、そんな気持ちでひたすら多くのディスクを聴いていました。
要するにライナーノートが欠かせなかったわけです。

そしてブレンデルの一連のリスト録音のブックレットの解題を読み、リスト弾きの第一人者であるとの認識を持ちました。
そしてこのディスクや巡礼の年などを「この良さが判るようにならなければ人間失格! 成長など覚束ない!!」ぐらいに思い込み、部屋を真っ暗にしてひたすら集中してお坊さんがお経を暗記するように集中して聴き込んだものです。

そんなことをしていた暫く後に、NHKでブレンデルのロ短調ソナタのリサイタルを見て、遂に開眼してしまった次第です。

というわけで、リストのみならずクラシックのピアノ演奏を楽しむためのコツを、まったくの五里霧中の中から手繰り寄せるときのよすがとしたディスクのうちの一枚であり、言い方を換えれば私にとって“教科書”みたいなディスクだということです。

肝心の演奏ですが、ここでは2つの伝説曲についてのみコメントします。
当時滝に打たれて修行する思いで、これらリストの曲をまとめて聴いていた(今と似てるなぁ~)のですが、例えば“巡礼の年”中の“オーベルマンの谷”のよさはあまり良くわからなかったのですが、この2曲とエステ荘の噴水だけは実に耳に心地よかったし、ピアノが表現の幅が広く雄弁な楽器であることを実感できた初めての楽曲でした。
特にアシジの聖フランシスのほうは、息を殺して耳を傾けるうちに“ピアニスティック”というものがどういうものか、単語ではなく実感として理解できた演奏だということができます。
パオラの聖フランシスは、主題の旋律が涙が出そうなほどヒロイックであること、波のしぶきを表現していると思われる左手の駆け回る動き、こんなに弾ける人はほとんどいないに違いないと思いました。
当時の私の世界には輸入盤が存在しなかったので、このブレンデル盤がCDのカタログ上唯一だったと思います。

後になって、これを録音してる人がわんさかいることを知ったのですが。ブレンデルほど伝説を客観的に語って聞かせてくれている人は、やっぱり稀ですね。

初めて聴き込んだピアニストがブレンデルだったことは、おおらかで親しげに語りかけてくるといったタイプでもなく、コケオドシというタイプでもなく、極めてオーソドックスである故に、いろんなディスクの特徴を冷静に判断できる素地を作ってもらえたという点でよくよくラッキーだったなぁ、と折りに触れて思っています。
ブレンデルには心からの感謝を捧げたいと思います。

★変奏曲集
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)

1.モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 ニ長調 K.573
2.メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 ニ短調 作品54
3.リスト:バッハの主題による変奏曲
4.ブラームス:主題と変奏曲
                  (1989年録音)

知性派と言われるブレンデルが、変奏曲に造詣が深いのは当然であると思います。
真摯というよりも“くそ真面目”に近いものがあるブレンデルの態度からは、上に述べたとおりオーソドックスな奏楽が聴かれますが、聴く側の態度としてはやはり曲にある程度精通しており、ブレンデルの演奏の聴き所のポイントを外さないための訓練を経ていないと、これを楽しむという境地にはなかなかたどり着けないものではないでしょうか。

モーツァルトの出だしが極めて晴朗であることに耳を引かれる以外は、このディスクも心行くまでブレンデルしています。
テーマのリストの“バッハの主題による変奏曲”はもちろん、ディスク全般に普遍的な魅力がある、よく聴けば味わい深い演奏と言っておきましょう。

ちなみにこの曲はホロヴィッツがその生涯の最後に遺した曲ですね。

それぞれに演奏のコンセプトというか、何のために演奏するのかの意味合いが違っているのが聴き取れて興味深いです。
ホロヴィッツが自分を曲に投影させているのに対して、ブレンデルはあくまでも客観的に曲のあるべき姿をひたすら求めて、それを具現化しようとしているように思われます。
もちろんこの落ち着いた威厳に触れた私には「この曲はこのように演奏されるために作曲されたのだ」と言われれば、ニコッと微笑んで「そうですね」と言うだけの準備があります。

しかしまぁ、このジャケットの写真ときたら。。。
だらしなく居眠りしてるところから、お行儀よく座っているところまでを4段階に分けて撮影していますが、もちろん“変奏曲”のディスクだからなんでしょうね。

ものすごく頭が良くユーモアの持ち主と呼ばれる方が、なまじ「皆に判るように」などと気を遣ってサービスしてくれちゃったりすると、とんでもなくハズす結果になるという典型でしょうなぁ。。。

このことは演奏の価値には一切関係ありません!!!

★ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
                  (演奏:アルフレッド・ブレンデル)

1.ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
2.リスト:王の御旗
3.リスト:スルスム・コルダ(心を高めよ) ~「巡礼の年:第3年」より
4.リスト:夕べの鐘 ~「クリスマス・ツリー」より
5.リスト:祈り ~「詩的で宗教的な調べ」より
                  (1985年・1986年録音)

ブレンデルのロシアものってこれが唯一無二ではなかろうか?
独墺系の曲に特化したレパートリーに拘ることを決意した以降のブレンデルが放った、唯一の“禁じ手”ともいうべきディスクがこれですが、ブレンデル品質は保証されているものの“いまいち”と言うかあんまり楽しいと思えません。

今や“展覧会の絵”なら高橋多佳子だよねというのが、私にとっての常識です。
まぁ、ここまで思い入れが強くなってしまうと自分でも「フェアじゃない」とわかっていますので、多佳子さんは別枠にして考えないといけないかもですね。

でも、やはりピアニストが「展覧会の絵」という曲を演奏するのであれば展覧会に絵が飾ってあることを客観的に表現するのではなく、その絵を通して得た感興を演奏を通じて表現してほしいですね。
その点では、いうまでもなく多佳子さんの演奏のほうに軍配が上がると断言できます。
要するにコンセプトの違いですね。
私が求めているこの曲のコンセプトには、はるかに多佳子さんの演奏のほうが近いということです。
そうは言ってもブレンデルは私の最初のお師匠さんですから、ツボにはまればDNAに刷り込まれたその音色でブレンデル・ワールドへ拉致されてしまうこと請け合いです。
ベートーヴェンのバガテル集なんか最高ですよ!

ところでフィルアップにリストが4曲。
余程聴きこんだ人でないと知らないだろう曲が収録されています。
一聴してブレンデルのリストへのこだわりと、熱い思いが伝わってくることを痛感します。

ただどうしてもブレンデルさん、ラスト曲で迫力いっぱいに“祈る”ときにも客観的に(知性的に)抑制を効かせまくっています。
この演奏は、はっきり言って詩的でも宗教的でもない。
音色・強弱・フレージングで全てを表現しようとしているために、ある種の窮屈さを感じることは否めません。ピアニストもそれは十二分に判っているとは思うのですが、響きの向こうに何かを託すという解釈は取らず、客観的事実を怜悧に描きつくそうとしているように思えるのです。
いつもはそんなことを感じないのですが、まぁ仕方ありません。
それこそがブレンデル、それでこそブレンデルなのでしょうから。
“展覧会の絵”とカップリングするということで、曲や演奏内容をいつもの独墺系の曲の演奏要領とすこし変えているのかしら・・・。

そういえば“夕べの鐘”なんて曲集「クリスマス・ツリー」のうちの一曲だから、あたしゃ未だにクリスマスを引きずってるんですねぇ。(^^)v


いよいよ新しい年を待つばかりになってきました。

この特集、今年中に終えられないと120周年が狂ってしまうんだ・・・。
今気づきましたが、ムリっぽくない・・・?

とにかく、ちゃんと段取りしなくっちゃ。(汗)

リスト没後120年特集 (その24 コンソレーション編補遺)

2006年12月26日 00時00分01秒 | 器楽・室内楽関連
★浪漫派 ~ロマン派のオルガン曲~
                  (演奏:松居 直美)
1.メンデルスゾーン:オルガン・ソナタ第4番 変ロ長調 作品65
2.ブラームス:一輪のばらは咲きて (コラール前奏曲 作品122-8)
3.ブラームス:我が心の切なる願い (コラール前奏曲 作品122-10)
4.レーガー:幻想曲とフーガ ニ短調 作品135b
5.リスト:アダージョ 変ニ長調
6.リスト:コラール「アド・ノス、アド サルタレム ウンダム」による幻想曲とフーガ
                  (1990年録音)

コンソレーションの続きとして、このディスクとこれまで紹介が漏れた2枚をご紹介します。

このオルガン作品集の第5曲のアダージョの原曲こそ、“6つのコンソレーション”の第4番にほかなりません。ライナーによれば、この編曲はリスト自身によるものということ。

さすがにこういった曲調のものなら、オルガンにするとまた静謐で敬虔な味わいがしますねぇ。
旅行案内なんかで教会を紹介するならこの曲をBGMにっていう感じがしないでもありませんが・・・。
まぁ楽器にせよ曲にせよなじみのないうちは、とにかく雰囲気に慣れることですよね!

次のコラールによる幻想曲とフーガは30分余の大作で、リストの器楽曲で「ロ短調ソナタ以外にもこんなのがあったんだ」と思わされた曲です。
リストにとって画期的な曲らしいのですが、やはりなじみがないので30分鍵盤を縦横に指が駆け巡って、高音でピロピロしてるところがあるなぁとおもったら重低音が“がー”と鳴ってみたりという事実しか掴めず、そのよさがわかるまでには時間がかかりそうです。
といって、15年以上前に手に入れたディスクなんですが・・・。
今回ホントに久しぶりに聴きました。こんな特集でも組まなきゃ、次いつ聴いたんでしょうねぇ?
ブラームス、レーガーはそれなりに興味深く聴けたので、そういう意味では音楽的感受性というか許容性が大きくなっっているかもしれません。
コレを聴いてそれを確認できたのは、有意義なことでした。
カオを洗って出直します、って感じです。

これはそもそも録音を聴くために買ったもので、ダイナミックレンジの広いオルガンを世界で始めて“20ビット録音”したという触れ込みで発売されたものでした。
今じゃねぇ。。。
フォーマットもそれ以上のものができちゃってるし、これからもっと録音よりも演奏のほうが魅力的に思えるようになっていくんでしょうね。
ちゃんとつきあえばの話ですが・・・。

★孤高のピアニスト アワダジン・プラット デビュー!
                  (演奏:アワダジン・プラット)

1.リスト:葬送曲 (「詩的で宗教的な調べ」より 第7曲)
2.フランク:プレリュード、コラールとフーガ
3.ブラームス:バラード集 作品10
4.J.S.バッハ/ブゾーニ編:シャコンヌ (BMW.1004より)
                  (1993年録音)

CDを初めて聴いたときにどう思ったかは結構はっきり覚えているものでして、この特集を通じて好印象をもったにせよ、いまいちと思ったにせよちゃんと印象が形成されていることに驚いています。
そして、コレを聞いてからもう10年以上経っていることになお驚いています。
時の流れの速さにもですが、最近認知症ではないかと思えるぐらいモノが覚わらなかったり、わすれちゃったりということが続いているのにこの記憶の粘り強さときたら!
“博士の愛した数式”で博士の記憶が80分しかもたないという設定でしたが、今の私ときたら、ついホンの今コレをしようと思ったことをコロッと忘れちゃったりする・・・。
「ボクの記憶は80秒しかもたない!」いや8秒かもしれません。。。

また要らないことを書きました。
「中年さらに老いやすく、学ますます成り難し」と思っただけです。
最近“楽”は鳴ってるのでまぁ良しとしなくては。

このCDは輸入盤の評を見て気にしていたのですが、探す前に国内盤がリリースされたので手に入れたものです。なにしろ当時はインターネットが我が家になかったもので・・・。
この私が、こんなブログに縷々ブラインドタッチの練習をすることになろうとは・・・とまた話がそれました。

肝心の演奏ですが、若々しく思い切った音遣いと、しっとり潤っていながらも清潔な叙情の表現など聴くべきところは多いディスクです。
リストの葬送曲にしても、冒頭の重厚かつ荘重な鐘の音がフラッシュバックのように詰まって収斂していくところなどスリリングにつんのめった感じなのですが、その後のメロディーではひじょうにゆとりのある表現をしていて、その対比がとても自然。大したモンです。

他もロマン派の1軍の実力ある補欠みたいな曲が並んでいて、いかにも「通のかたもどうぞ」というプロモーションかと思いましたが、それはいらぬ詮索。
一聴してピアニストの最も好きな曲たちだろうということは想像つきました。

なんにしろプラットの特徴はメロディーの運びがしなやかで、ばねのように強靭であること。
殊に弱音でレガートに弾くときの音色には他の誰にもない魅力があります。
例えばブラームスの1曲目、2曲目なんて思わず引きずり込まれちゃいそうになりますねぇ。こりゃ他のピアニストが使う“レガートに弾く”というテクニックと少し違うテクニックじゃないかと思えるぐらい・・・。
そして“ばねのように”ですから、粘り強くても音離れはよくべとつかない。この音にはまいりました。したがってディスク全曲を聞き終えた後には、静かで爽やかな充足感に浸ることが出来ます。なかなかの佳演盤でした。

謳い文句に“90年代のグレン・グールド”とありますが、演奏に触れると事実そんな感じがします。
グールドの方が音色が多彩でさっぱりしてますが・・・。
もちろん、多彩だからいいってモンじゃありません。
実際にはプラットがグールドと同じようにイスを極端に低くして弾くことと、容姿がジャケット写真のように一般のクラシック音楽家とは一線を画していることによるものであると思います。もちろん先に書いたフレージングの妙もひとつの要素だと思うのですが。

元のタイトルも“LONG WAY FROM NORMAL”ですから、プロモーションはあくまでも独特な奇異性をウリにしたものだし、演奏家本人もどのような理由があるにせよそれを了解して世に問うたと思うのですが・・・。
はっきり言えば失敗ですね!

この音楽は確かに他にないものということでは独特ですが、その音楽性が健やかで豊かなこと、ましてそれが演奏家のフィーリングとぴったり幸福にマッチしているという点ではきわめて正統的なものであると思います。
容姿はどうであれ、典型的なクラシックの作法に則ってプロモーションした方があとあと変な色物扱いされずにすむからいいんじゃないかと思うのですが。
事実そんなイメージでこのディスクの本質を聞きもらしていたのではないかと思ってる人が、“ここ”にいます。もったいない!

この後、ベートーヴェンの後期のピアノソナタのディスク(未聴)などを出してからどうしておられることやら・・・。
久しぶりに引っ張り出して、虚心坦懐に聴いたうえでの感想でした。
最初から虚心坦懐に聴かせてもらえていたら・・って、そういう風に聴かなかったのは私のせいなんですけどね。
アーティストにとってもプロモーターにとっても、私にとってもこの10年余りは不幸だったかなと。
私にとっては大した話じゃないけれど。
むしろ10年越しに、また一枚のディスクを“お気に入り盤”に追加することが出来てよかったかもしれない。

こういう記憶にかぎって8秒以上もつのはなぜだろう?

★リスト:超絶技巧練習曲 S.139
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)

1.超絶技巧練習曲 (全曲)
                  (1985年録音)

この特集の最初のころ、「横山幸雄さんの超絶技巧練習曲集以外は、全曲通して楽しく聴けない」的な発言をしましたが、撤回します。(^^)/

演奏は音色もマナーもまさにボレット、いつもどおり、期待通りなので説明を割愛します。

このほか、クラウディオ・アラウによる全曲もあります。
ボレットと比較すると使用しているピアノの性格のせいもありはるかに濃厚・重厚ですが、これにも有無を言わせぬ魅力があることを発見しました。

曲個々にはやはり練習曲という以上の価値を見出しにくいものもあるので、説明を省略します。
ただ、夕べの調べ(第11曲)はやはり名曲です。

こうやってまとめて聴くことでいろんなことを気づくことができたことは、非常に有意義であったと個人的には思っています。
が、みなさんとって何かのお役立ちにはなりましたでしょうか? 
なってなくても許してネ。 (^^)v

リスト没後120年特集 (その23 コンソレーション編)

2006年12月25日 00時56分22秒 | ピアノ関連
★ため息 ボレット/リスト名曲集
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)
1.二つの演奏会用練習曲 S.145
2.三つの演奏会用練習曲 S.144
3.コンソレーション(全曲) S.172
4.「ドン・ジョバンニ」の回想 S.418
                  (1985年録音)

“コンソレーション”はクリスマスにピッタリの曲ではないかと思います。
実は、クリスマスにアップするべくとっておいたのです!!

が、諸般の事情で「聖夜」に(ほとんど)間に合いませんでした。予定通り25日にアップしたのに!
今日の夜がクリスマスじゃないのね(泣)。。。
今、まだ寝ないで読んでくださってる人にだけは間に合った・・・かな?

さて、リストは後半生下級聖職者の地位を得ていますが、この曲などを聴くと「なるほどね」と思えなくもありません。
リストが聖職者って言うのも、素行からするとあまりピンと来ませんけどねぇ。
漢字の「聖」の字はりっしんべんのアレじゃないかと!
オヤジさんが女グセを心配しながら亡くなったとか聞くし、また主なお相手はダグー伯爵夫人とかヴィトゲンシュタイン公爵夫人とか誰かのかーちゃんばっかりだったりするもんだから。。。
ピアノが上手いのが理由でモテたのかなぁ?

それでも音楽を聴いちゃうとねぇ・・・。
こういった敬虔な側面もあったように信じられちゃうから不思議といえば不思議。
なるほどなるほど・・・。
だから、口説けちゃうのかもしれませんが。

本当に聴けば聴くほど、音楽的な幅は途方もなく広いかたでいらっしゃる。
深いかどうかはいささか疑問の残るところですが。。。
私見では「深い曲は深いけれど、浅い曲は深くない」という見解ですが、みなさんはどう思われるでしょうか?

さて、またもやボレットですが“コンソレーション”全曲を遺してくれているのは本当にありがたい。。。

以前ジルベルシュテインの静謐で途方もない集中力に覆われた演奏をこの特集の“白眉”とご紹介しましたが、それとは対極にある演奏です。

すべてがロマンティックなメルヘンの世界の中でのことのよう。ボレットの人柄そのもののようなぬくもりをベースに、ベヒシュタインのほどよい湿度の光沢のある音色が織りなす綾は、あたたかな部屋の暖炉の前でサンタクロースの物語に耳を傾けているようなイメージを想い浮かべさせてくれます。

この曲集は第3番のみが突出して有名ですが、こうして全曲聴くとシューベルトの“楽興の時”にも引けを取らない曲集だと思うんですけどねぇ。
ぜひ一度聞いてみてください。
ボレット、ジルベルシュテインのほかにチッコリーニを持っていますが、これも心温まるいい演奏です。全種類聞いても損はありません。
ミョーなクリスマスアルバムよりは絶対に役に立ちますよ!
今年は特にクラシックブームらしいし!
私はいつもクラシックブームですけど。。。

この盤には、“森のささやき”“こびとの踊り”“ため息”といった人気曲も、その本来の曲集の姿で収められています。
いうまでもなく外面的な印象は抑えられつつも極めて鮮やかなテクニックで、いつものように親しげに奏でられている佳演であります。

★オマージュ & エクスタシー
                  (演奏:ヴァレリー・アファナシエフ)

1.フローベルガー:トンボー
2.ワーグナー/リスト:エルザの夢(ローエングリンより)
3.ラフマニノフ:前奏曲 ト長調 作品32-5
4.ラフマニノフ:前奏曲 嬰ト短調 作品32-12
5.スクリャービン:前奏曲 イ短調 作品11-2
6.スクリャービン:前奏曲 ホ短調 作品11-4
7.スクリャービン:前奏曲 嬰ハ短調 作品11-10
8.シューマン:クララ・ヴィークの主題による変奏曲
9.グリーグ:ちょうちょう
10.グリーグ:孤独なさすらい人
11.ショパン:マズルカ ヘ短調 (ヤン・エキエル版)
12.ドビュッシー:雪の上の足跡
13.リスト:コンソレーション第3番
14.リスト:コンソレーション第5番
15.チャイコフスキー:舟歌
16.ワーグナー:(主題)変イ長調 WWV93
                  (1996年録音)

アファナシエフが過去の名ピアニストに対して、それぞれ短いオマージュを捧げています。
グールド・ラフマニノフ・ソフロニツキー・ホロヴィッツ・ギレリス・ミケランジェリが献呈先ですが、選曲が非常に凝っていて興味深いですねぇ。
ギレリスにグリーグって、確かにグラモフォンに名盤があって私も感銘を受けましたけれど・・・。
普通なら違うでしょう。。。ベートーヴェンとかじゃないかなぁ?
といいつつも、ともあれ好企画盤だと思います。

私にとって最も素晴らしい奏楽は、フローベルガーです。
グールドのディスク“エリザベス朝のヴァージナル音楽選”の演奏を想起しての選曲だと思いますが、グールドに勝るとも劣らない内容で格好のオマージュになっています。
ちなみにグールドは最も好きな作曲家としてギボンズを挙げていたり、先の盤を自身の最も気に入ったディスコグラフィーであるような発言をしていますので、アファナシエフの選曲は当を得たものだと思います。

因みにバッハコンクールに優勝したころのアファナシエフの演奏は、極めて生気に富んだ「正当派を音で表したらこうなる」といわんばかりのものでした。
昨今は時として“けったいな”演奏解釈なきにしもあらずのアファナシエフとしては、この盤全体にわたって過去を懐かしんでいる(オマージュを捧げてるわけですから)ために正統派にもどったのかもしれません。

コンソレーションからは2曲が抜粋されていますが、いつもはテンポが極端に遅い彼にしては意外なほどスムーズな進行です。
でもいつもながらの美しいタッチで、曲の旋律構造をくまなく明らかにしていきます。
極めて健康で人間的な営みがなされた奏楽で、“ジ・アファナシエフ”を期待した人にとっては、ひょっとしたら“はずれ”かもしれません。
逆に「良質なピアノ演奏を!」と言われたら、むしろいつものアファナシエフよりずっと「推せる!」とも思いました。

ところで、このコンソレーションで描かれている心情は、いささか心中穏やかならぬ様子であり“慰め”というより“慰めて!”といった訴えに聴こえます。
まぁ、それはそれでいいんですけどね。。。

★オールドバラ・リサイタル
                  (演奏:マレイ・ペライア)

1.ベートーヴェン:自作の主題による32の変奏曲ハ短調 WoO.80
2.シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化芝居 作品26
3.リスト:ハンガリー狂詩曲 第12番 嬰ハ短調
4.リスト:コンソレーション 第3番 変ニ長調
5.ラフマニノフ:練習曲集「音の絵」より4曲
                  (1989年録音)

ペライアの演奏のうちでも、私の最も好きな時代のもののひとつです。
ホロヴィッツとの親交の中で何かをつかんで、繊細な技巧はそのままに“骨太”というか、一種の“凄み”を身に付けた瞬間の記録。

一聴して直ちにペライアの音だと判る音色。リストは2曲ですが、ハンガリー狂詩曲の技巧と音色の素晴らしさ! フリスカでも決して音が荒くならない。
それどころか右手の単音で高速に駆け回る音色などは、これこそがシンギング・トーンなんだと思わされるゼツミョーな指さばきで、恐れ入ったと聞き惚れるしかないです。

コンソレーションが素晴らしいのは言うに及びません。
旋律線を辿る右手、伴奏のアルペジオを奏でる左手ともに絶美の音色で、温かみにあふれどこまでも透明感を失わない・・・。
そして終始穏やかなうちに心地よい充足感をもたらしてくれる、これぞ“慰め”!!
看板に偽りなし!

他の曲も、彼の音を使って極めて雄弁に聴かせてくれます。
本当にパテント付の音色を持っているピアニストは強いですね。硬軟とりまぜた魅力的なプログラムで、聞いた後とても満足できるディスクです。


そういえばコンソレーション第3番には、以前ご紹介したティモン・バルトにも名演がありましたね!

もっとクリスマスでしょう!!

2006年12月24日 15時16分07秒 | JAZZ・FUSION
★スピリット・オブ・クリスマス
                  (演奏:THE RITZ)

曲目紹介はヤボなんで省略します。(おサボリの言い訳と思うべからず!)
これも毎年この時期聴いてるディスクです。
冒頭のタイトル曲、スピリット・オブ・クリスマスが何度聴いても素晴らしい!!
じっと耳を澄ましていると目頭が熱くなります。

THE RITZは素晴らしいハーモニーを誇っていたグループです。
このアルバムの後に、よりオーセンティックなコーラスグループにしたいメンバーと、よりポップスを志向したいメンバーと、レコード会社の方針が入り乱れて分裂してしまったのは残念です。
その後の動向を知りませんが、素晴らしいアルバムを残してくれているだけに、それぞれが堅実に活動してくれてたらいいなと思う私でありました。

ポール・マッカートニーの“ワンダフル・クリスマス・タイム”も跳ねるベースに乗っかって美しいコーラスが光ってます。昨今ではこの曲をポールの曲だと知らずに聴いている人も多いんじゃないかというぐらい、おなじみの曲になってしまいましたね。
他にも、誰でも知ってるクリスマスの定番曲が目白押し!

私には、このグループにはマントラほどの器用さや身軽さはないけれども、アコースティックでムーディーな曲を歌わせたら独自の魅力を発揮できたように思われます。
何かの機会に再結成して、さらに各々が成熟を果たした成果をぶつけ合って欲しいものです。

★ヒー・イズ・クリスマス
                  (歌唱:Take6)

かのクインシー・ジョーンズが神業・天才と絶賛するTake6。
クリスマス・アルバムにおいても、もちろんその魅力は全開です。
彼らにかかるとコーラスなんてもんじゃなく、声によるオーケストレーションというのが相応しいと思います。

有名曲もあるけれどアレンジやパフォーマンスの態度を含めて、本格的・硬派という姿勢が貫かれています。
しなやかで自然でふくよかな声の綾。
クラシカルでもないし、ポップスでもジャジーでもない。
一番近いのはやはりゴスペルなんだろうか?
でもあんな風に絶叫しないし、洗練のきわみですからねぇ。
ジャンル分けなんてできませんね。これは。
ジャンル“Take6”と言っておきましょう。

★クリスマス・ポートレイト
                  (演奏:カーペンターズ)

カレンの声こそは、私が最も愛する女声のヴォーカルであります。
正直“最も愛する声”っていっても何名もいるんですけど、その中でも極めつけに近いと思ってください。
別に私がどう思おうが、カレンの声が変わるわけじゃないので・・・気にしていただく必要はさらさらありませんが。

カーペンターズってリチャードは確かに天才ですけれども、お兄さんの才能に負けないようにいつも必死で喰らいついていったカレン、彼女の声こそが生命線のユニットですよね。
ご存知の方なら、たいてい私の意見に同意していただけるとは思いますが。

それくらい当たり前のことをわざわざ・・・と思わないでください。
ウチの会社にも、カーペンターズを知らないとノタマう若いやつが出没し始めましたから、今や知らない方もいらっしゃるのでしょう。

若人よ、このカレンの声に“何か”を感じなければ、キミはおじさんより感度が鈍いということになるのだぞよ!
最もよき時代のアメリカを象徴する声。もしよければ、じっくりとご堪能あれ!

やっぱクリスマスでしょう!!

2006年12月24日 00時00分01秒 | JAZZ・FUSION
★A Winter’s Solstice Ⅲ
                  (演奏:WINDHAM HILL ARTISTS)
1.リトル・ドラマー・ボーイ / ショーンヘルツ&スコット
2.ホープフル / マイケル・マンリング
3.クリスマス・ソング / スティーブ・アーキアーガ
4.ここにつどいて / タートル・アイランド・ストリング・クワルテット
5.クリスマス・ベルズ / ジョン・ゴルカ
6.ルラ・ルリー / バーバラ・ヒグビー
7.「くるみ割り人形」よりトレパック / モダン・マンドリン・クワルテット
8.給えし愛を / ティム・ストーリー
9.コヴェントリー・キャロル / ポール・マッキャンドレス
10.おきよ、夜はあけぬ / アンディ・ナレル
11.雪降る / ナイトノイズ
12.パヴァーヌ / リズ・ストーリー
13.厳冬にて / ピエース・ペティス
14.もろびと声あげ / マイケル・ヘッジス
15.アース・アバイズ / フィリップ・アーバーグ

かつて一世を風靡したウインダム・ヒル・・・。環境音楽なんていわれていましたね。
オールスターキャストによる1990年発表の3作目のウィンター・コレクションがこのアルバムでした。
本当に個性豊かなアーティストたちが、寒い冬を暖かくするべくムードを盛り上げてくれています。
間違いなくこのレーベルはこのころが最盛期でした。

これはほぼ毎冬楽しんでますねぇ。
私は特にこの時期にダイクを集中して聴く習慣はないですが・・・。
ことしはリストでそれどころじゃない!!

全曲掛け値なしに素晴らしいのですが、冒頭を飾るショーンヘルツ&スコットが私のお気に入りです。
音数は少ないんだけど、軽い音で壮大な雰囲気を醸し出してくれています。
歌ものでは、バーバラ・ヒグビーとナイトノイズがいいですねぇ。
特に後者の切なく震える声。まさに雪降るって感じですよ。
ピエール・ペティスの歌も捨てがたいかも。。。要するに全部いいんです!

★クリスマス・ソングス
                  (演奏:エディ・ヒギンズ・トリオ)

1.レット・イット・スノウ
2.ザ・クリスマス・ソング
3.クリスマスは家で
4.世の人忘るな
5.サンタが街にやってくる
6.ベツレヘムの小さな町
7.メリー・リトル・クリスマス
8.クリスマス・ワルツ
9.ホワイト・クリスマス
10.ウインター・ワンダーランド
11.ひいらぎを飾ろう
12.そりすべり
                  (2004年録音)

エディ・ヒギンズの作品を語るのに四の五の言うことはありません。

洒脱で朗らか。

以上です。

ヴィーナス・レコードにおけるアルバムは、まずピアノの音が良く録音もしっかりしてる(スーパー・マグナム・サウンドというらしい)し、どれもがいやでも楽しませずにはおかないといった作品ばかり。
曲が曲なだけに、この作品などその最たるものです!
アルバムの最後なんて、とんでもなく目くるめく技をこともなく決めて盛大に盛りあげたところから、気持ちよく下降グリッサンドで締めるところなんかサイコー!!

オムニバスじゃなく、ヒギンズ・トリオが全曲演奏してくれているというところにも品質保証されているというか、価値がありますな!
ピアノの音色だけで、ヒギンズだってすぐわかる。。。

要するにオトナがおしゃれに聖夜を楽しみたいなら、やはりこれで決まりでしょう。

★fiesta
                  (歌唱:今井 美樹)

1.Prelude
2.(They long to be) Close to you
3.The lady wants to know
4.Reunited
5.Feel like maki'n love
6.Snow falling thick and slow
7.Lovin' you
8.Superstar
9.Company ~ Epilogue
10.ひとりで X’mas

いやぁ~今井美樹さん紅白でるんですねぇ~。

これ「クリスマス・アルバムじゃないじゃん!」と思われたかた。
私は一度もクリスマス・アルバムを紹介しますなどとは言っておりませんですよ!

といいつつ、ラストの曲をご覧あれ!! 
   へっ・へっ・へっ・・・  (^^)/

今井美樹さんは、何よりもその歌声で魅了してくれますね。
“瞳がほほえむから”なんてとろけちゃいそうですもんねぇ。おじさんとしては・・・。
おっと、これもオカシイ言い方です。
なぜって、今井美樹さんと私は同学年ですから。。。
彼女が4月生まれで、私が3月生まれなのでまるまる11ケ月彼女が年上ということになりますが・・・。
私をおじさんといってしまうと、彼女はオバサンになってしまう!

さてこのアルバムは彼女が好きな洋楽のカヴァー集ですが、驚くほど私の趣味にピッタリ。
よくぞリッキー・リー・ジョーンズのカンパニーなんて曲を選曲してくれました。
マイケル・フランクスを演るっていうのも、コテコテのジャズ・シンガーならともかく・・・。
もしかしたら我が国のアーティストの中で、洋楽に関するセンスはサイコーなんじゃないでしょうか?
とにかくこのアルバムはステキです。

まぁホントになんて形容したらいいんでしょうねぇ。。。 このクリーミーな声!!
ん~~ うっとりぃ~~~ (でれ~~ん)

平井堅さんが“Ken’s Bar”ってのをルーティンにしてらっしゃいますが、お手本はこのアルバムにあるような気がしてしかたありません。
ディスクの構成も似てるし、ねぇ。。
平井さんのもとっても素晴らしいディスクなんですけどね! やっぱ女声の方が・・・。


今年は単身赴任後、初のクリスマス。
家族とはなれて文字通りひとりきりのクリスマスなのですが、このへんのアルバムを聴いて過ごしてりゃ気にならずに終わっちゃいそうですねぇ。
メタボの私だけだと必然的にケーキもなしだし・・・。

え、クリスマスカードはちゃんと贈りますよ。 子供にも、かみさんにもね!

みなさまにも・・・

   I wish you a Merry Merry X'mas !!
             
                by SJester

リスト没後120年特集 (その22 歌曲トランスクリプション編)

2006年12月23日 00時00分03秒 | ピアノ関連
★SCHUBERT
                  (演奏:シモーネ・ペドローニ)
1.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
2.シューベルト/リスト:6つの歌曲トランスクリプション
 ①ライアー回し
 ②幻
 ③セレナーデ
 ④若い尼
 ⑤アヴェ・マリア
 ⑥魔王
                  (2003年録音)

「リストの特集でいきなりシューベルト!?」と思わないでください。
これが前回の記事でご紹介した、今私が最も心惹かれるシューベルト変ロ長調ソナタのディスクです。
これを入手したのは、まだ先月末のこと。
レコ芸12月号の海外盤試聴記に出ていたのが頭に残っていたのですが、何気に新宿のタワレコに行ったらあったから買ったというものです。

このディスクを初めて聴いたときは、スピーカーの前にクギ付けになりました。
その後、高橋多佳子さんの(そのレコ芸で特選になっていた)“ラフマニノフ・ムソルグスキーの新譜”をかみさんに強奪されていたこともあって、リスト特集と並行してほとんど毎日聴いてましたねぇ。

多佳子さんを見知っていて身近に感じているという事情を考慮せず、単に音盤のみのショック度で測ったら間違いなく今年のナンバーワンのディスクです。
私にとっては、多佳子さんの“ショパンの旅路 Ⅴ”以来の衝撃盤という感じでしょうか・・・?

その演奏はレコ芸でこのディスクを紹介してくださった喜多尾道冬先生の評のとおり、またジャケット図柄のとおり、モノトーンであればこそ却ってその明度の差が鮮明になるという類の演奏。
ちょっと聞きは先回紹介したカッサール盤と似ているのですが、コントラストの掘込みが深い。
第一楽章の第二主題でそれと判るほどにアチェレランドするのは、並みの演奏であれば弾き飛ばされたように軽くなってしまうためマイナス要因と感じるのですが、ことこの演奏に限っては“ぐっ”と音楽に内在するトルクがキツくなり、言いようもないほどの切迫感が伝わってくることになって、結果この曲のこのフレーズで初めて耳にする感動をもたらしてくれました。
あたかもシューベルトの心情の奥の真情まで切り込んでいるという感じです。
決して前回のカッサール盤が食い足りないといっているわけではないので誤解のないように。。。

本題の歌曲の編曲ですが、セレナーデ、アヴェ・マリア、魔王と有名どころもあります(詳しい人には全曲有名どころなのでしょうが、生憎私は歌曲をほとんど聴かないし知らないので・・・)が、概して遅いテンポで進行し、硬い石の中から心情を切り出すかのごとく演奏されています。
歌曲を華麗な編曲で気安く楽しむという感じではありません。
ペドローニは選曲からしてまま重ための曲をチョイスしているようであり、これらの曲から深刻さをも表現したいと思っているのに相違ありません。そしてその思うところは、実に見事に達成されているのではないかと思われます。

正に出会えたことを感謝したいような一枚でした。

演奏者のシモーネ・ペドローニはイタリアのピアニストで、1993年のヴァン=クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した人のようです。
ライナーの裏に写真が出てましたが、いかにもこれを演奏した人という風貌でいらっしゃる。
真面目で誠実そうで。。。
実演ならいざ知らず、DVDとかで弾いてる姿を特に見たいとは思いませんが・・・。

★ます/リスト:シューベルト歌曲トランスクリプション
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)

1.ます
2.水車小屋の男と小川
3.どこへ
4.さようなら
5.さすらい
6.ぼたい樹
7.聞け、聞け、ひばりを
8.水に寄せて歌う
9.郵便馬車
10.わが家
11.涙の讃美
12.魔王
                  (1981年録音)

うまい!!
この一言でいいかもしれません。でもこれだけでは吉牛みたいなので、も少し書きます。

まず上記ペドローニのディスクと選曲が魔王しか一致していないことからして、このディスクのコンセプトが深刻さからは遠いところにあるというのが分ります。
本当に聴いていてリラックスできる演奏。時折奏者の笑みが漏れているのに気づいて、こちらの頬まで緩んでしまいそうな演奏です。

ここでもベヒシュタインのピアノの魅力、その最良の部分が出ています。
いかにもサロンで重宝されただろうインティメートな雰囲気。美しい高音が魅力的ながら、ヴォリューム感を求めない比較的乾いた響き。
ボレットもそれを心得て過度に潤わせたりしないで、心ゆくまで歌いこんでいます。
こんな風に弾けてしまったら、楽しいだろうなぁ~。

音楽の奥底に眠っている真理をしゃにむに穿り返すだけが、正当な音楽ではないとつくづく思わされます。
ただ、日ごろそんな音楽の真理を求めて必死にやってる人だからこそ、こうして和むこともできるのかなとも思いますが。。。
このテのヴィルトゥオーゾって、絶対ストイックなまでに鍛錬を欠かさないくせに、お客様(聴衆)の前ではそれこそストイックにそういう実態を気取らせないよう余裕しゃくしゃくを装っていたんでしょうねぇ。

まぁ、この演奏の場合、聴く側は全面的に身を委ねて楽しんじゃえばいいんです。
どこを聞いてもまったく危なげないですから。。。

ピアノで「歌う」とよく言われますが、それこそショパンのソナタの旋律線を歌うのと、こういった人声のための歌曲の旋律をピアノで辿るのとでは、実は全然違うのではないかと思ったりします。
つまり、チェロなどでその旋律を歌うということであればまだイメージがわくのですが、ピアノやギターで旋律を追ってなおかつ歌っているように聴かせるというのは、実は大変なことではないかと考えるわけです。

それがボレットは違和感なく出来ます。
これを超ロマンティックに極めるのがグランドマナーの極意なのでしょうか?
そんな演奏が楽しめるというのは、やはりチョー感謝ものですね。ありがたいことです。
録音技術の発達しかり、ボレットがこれこれを遺してくれたこともしかり。。。

★ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
            (演奏:エフゲニー・キーシン 小澤征爾指揮/ボストン交響楽団)

1.ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30
2.ラフマニノフ/リチャードソン:ヴォカリーズ 作品34-14
3.ラフマニノフ:前奏曲 変ロ長調 作品23-2
4.リスト:スペイン狂詩曲
5.シューマン/リスト:献呈
                  (1~3 1993年録音、4.5 1990年録音)

キーシンの献呈は私に歌曲トランスクリプションの素晴らしさを最初に教えてくれた録音です。
ラストのリスト2曲はカーネギーホールのライブですが、このディスクを最初に聴いたとき一番鮮烈な印象が残ったのが献呈でした。

今ではさすがに私の耳も肥えてきて、このころのキーシンの演奏には若いというか粗いと思える部分も聴こえるようになってしまったのですが、それがまたセイシュンの蒼さを感じさせていいんだよなぁ~。
判官贔屓も甚だしいと自分でも思いますけどネ。

弾き出しは素っ気ないほどあっさりですが、甘酸っぱい感傷と何かを振り切るような決然としたパッセージ、思わず「どうしたんだっ!」と声をかけたくなっちゃうようなモノローグと一曲のうちに何回も表情が変わります。音が濡れて来たかと思うとキッパリさっぱりになったり、かと思えばウルウルの高音が鈴を転がしたように鳴ったりといった具合。
そこらへん判っているんだけど引き込まれちゃうんですよね。

極めつけは終わり間際に、確かにシューベルトのアヴェ・マリアのフレーズが2回繰り返されるのが聴かれる。。。
実演で聴いたら本当に感動するのではないでしょうか?

もちろんラフマニノフのコンチェルトはレコードアカデミー賞に輝いた名演!!
この直前ぐらいまでキーシンは神童から一人前のピアニストになる過渡期で、本人も傍目にも産みの苦しみの時期だったように思います。
はっきり言っちゃえば精彩がなかった。
しかし私には、このラフマ3番の演奏で進化を遂げたことがはっきり聴き取れ、巨匠への道の巡航速度に達したことが確信できました。
あっ、誰の耳にも明らかでしたか!? そりゃ、失礼しました!

殊に第一楽章カデンツァの求心力や、第二楽章のピアノが高らかに奏でる歌のスケールの巨きさときたら。。。

・・・リストの特集でしたね。

最高のピアノ録音とD.960の名演

2006年12月22日 00時04分00秒 | ピアノ関連
★FRANZ SCHUBERT  Sonates
                  (演奏:フィリップ・カッサール)
1.ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 DV960
2.ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 作品120 DV664
                  (2001年録音)

私が所有するディスクのうちで「最も優れたピアノ録音は?」といわれた際に挙げるディスクをご紹介します。

優秀なピアノ録音と一言で言っても、やっぱり演奏が良くないことには始まりませんし、ピアノ自体の音が素晴らしくないと、さらには弾かれている楽曲にも相応しいものでないと、といろんな要素が絡んできます。
ただ、それらすべてを総合的に判断すると「このディスクがトップになる」というのは、実は私にとっては案外すんなり得心がいくものです。
それぐらいこの録音のスペックは抜けていると思います。

ハーフペダルの効果、タッチの色合いなどを自然でありながら明確に描き分けられている盤なんてありそうでありません。
えげつないほどに直接音のみとか、ホールのエコーのお化けが天ぷらの衣のようにまとわりついているといった録音もあるなかで、この音触は奇跡のようです。
こんな風に録音できるなら、全てのディスクをこの仕様で録ってほしいと思えるぐらい・・・。
ちなみにこの“ambroisie”というレーベルには好録音盤が多く、チェロのオフェリー・ガイヤールのバッハ無伴奏全曲も非常な好録音だと思います。

ピンときたかたもおいでかもしれませんが、実はこのディスクは演奏ではなく録音評を見て購入したものです。そうしたら演奏もとんでもなくよかった。。。というのが真相・・・。

私みたいなディスクの買い方をする人は主流ではないにせよ、レコ芸1月号に高橋多佳子さんのディスクが、連載「話題のレコードを最新のオーディオで聴く」で取り上げられ、小林利行先生と菅野沖彦先生が演奏を手放しで絶賛し録音にも興味深い意見を述べておられることで、「どれどれ・・・」っていう人も日本中に100人ぐらいはいるんじゃないかなぁ~。
その方々はきっと私がカッサールのディスクを聴いた時と同じように、演奏そのものにも感激して「当たり!!」と思うことになるんでしょう。

さて肝心のカッサールの演奏ですが、40種類以上あるシューベルトの変ロ長調ソナタのディスク中、私の好みでは同率首位という感じの盤です。
録音の良さを考慮しないとナンバー2になるかなぁ。1月前までは不動のファーストチョイスだったんですけど。。。

テンポ設定も自然で、すべての音も旋律も素直。表現上工夫を凝らしているところはそれとわかるものの、まったく嫌味がなく、楽曲の要請に応えたものという風に信じられる。
シューベルトの曲って、雰囲気が醸し出されないとダメじゃないですか。
でも演奏者が雰囲気を作りに行ってしまうと、シャイなシューベルトはスッと逃げていってしまう結果、演奏者だけが浮いちゃって“最悪ぅ”になってしまうことがしばしばあるんですけれど。。。
この演奏には、そういったことがまったくない。

私が変ロ長調ソナタを聴くときのポイントは、まず第一楽章のテンポ設定を気にします。
しょっぱなの出だしで、楽曲からどのような空気を引き出すことが出来るかによって、演奏全体のおおかたの印象が決まってしまうからです。
曲の核心に触れられるかの鍵は、第二楽章にあるのではないでしょうか。第一楽章のエコーも聴こえ、諦観に満ちた音楽が延々と。。。

もうひとつ、極めつけは第四楽章の解釈。
この楽章だけ浮いてしまって別の曲みたいに聞こえてしまう演奏も少なくありません。
そういう私ですら、この楽章はないと困るから書き足しただけなのかもしれないと思うことがあるくらいです。
でも、あのシューベルトが脱稿しているわけですから・・・他の上手くまとめられなかった作品をあれだけ破棄している実績を考慮するならば、ちゃんとした作品に仕上げたという自負を信用してあげてもいいのかな、なんて考え直してみたり。。。
でも最後の3曲のピアノソナタを完成したころの出版社宛の手紙を見る限り、生活苦しそうだし、やっぱり最後はエイヤーかぁ?
とかね。。。聴けるモンなら聴いてみたいものです。もちろん通訳を介して・・・。

要するに、聴かせかたの難しいやっかいな曲なのです。
そこをカッサールは見事にクリアしている、ということのみが言いたいわけです。

併録されている小イ長調ソナタも、美しいピアノの音色(録音)の助けもあってノーブルな心情豊かな名演です。
こんな人には、ぜひとも全集を作ってもらいたいもんです。


まぁ、最優秀録音としてご紹介したのがシューベルトの変ロ長調ソナタのディスクであるということは、ある意味当然かもしれません。
なぜって、一番たくさんの種類持ってるのがこの曲だから。。。
手許に41種類あるのは確認しましたが、留守宅と実家にまだいくつかあったと思うし。。。
宝くじを買うときに、最も販売量の多い店が一番当たる確率が高いという世界かな。
そういう店に限って、ウチは当たったと実績を誇示してるようですが。。。ようやく昨日で終わりましたね。
結局どこで買っても確率は変わらないんじゃないかなぁ~。よくわかりませんが。

あと2枚、フィルアップに変ロ長調ソナタのお気に入りをご紹介します。
一枚は映像つきの名演。もう一枚は古楽器の演奏によるものです。

★ピアノ・リサイタル
                  (演奏:ゾルタン・コチシュ DVD)

1.モーツァルト:幻想曲 ハ短調 K.475
2.ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 作品111
3.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
            (1998年4月28日録音 スイス・ベリンツォーナでのライブ)

ある評論家(W先生だったと思うけれど定かでないので実名は出しません)がコチシュのシューベルトを実演で聴いて、空前絶後と評していたのでとても気になっていました。
先般のリストの協奏曲やドビュッシーなどの録音を聴いてシューベルトのディスクを心待ちにしていたのですが、昨今指揮者としての活動のほうも忙しそうであるうえ、主な録音レーベルのフィリップスではブレンデル・内田光子と名うてのピアニストが相次いでシューベルトを発表しており、当分はムリかなと思っていたところに願ってもないリサイタル盤がDVDで出てきてくれて。。。

まずこのプログラムを見ただけで、ピアニストの入れ込みようが判ろうかというもの。
そして演奏がこれまた期待に違わぬ出来栄え。演奏後、観客の喝采に顔を上気させながら恭しく応えている姿は、モーツァルトのようでもあり、“のだめ”のようでもあります。

何といってもDVDで映像がついていることは大きいと思いました。
音楽が紡ぎだされていくさまが“見える”わけですから。最高の、というか普段は見えないアングルからも見られる・・・。

元来“音楽”とは、聞こえてくる音だけでなくその視覚的要素・雰囲気、もっと言えばホールや教会のたたずまいにいたるまで、全ての五感で感じ取れるもの全体のことを指していたんだと思います。
DVDで見るということは「その場にいない」ということ以外、取りうる情報をより多く取ることができるため、CDで聴くだけよりもはるかに本来の演奏が持つ情報を多く正しく伝えてくれているということ、と感じます。

そしてその結果は。。。
3曲ともを通じて、空前絶後の演奏会の記録だと信じられます。
解釈・テクニック・演奏マナー全てを通じてウルトラスーパーな出来栄えだと思います。集中力にも長け、私が思い描くシューベルトの世界をなんとリサイタルで実現してくれています。
さすがは、コチシュ!!!

★シューベルト:ハンマーフリューゲルのためのソナタ Vol.2 (2枚組)
                  (演奏:トゥルーデリース・レオンハルト)

1.ピアノ・ソナタ 第19番 ハ短調 D958
2.ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960
3.ピアノ・ソナタ 第13番 イ長調 D664 (遺作)
4.ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 D850 作品53
                  (1985年録音)

こいつは何といっても、苦労して手に入れたディスクですよぉ~。
結局はドイツの“jpc”という販売店のネット販売で買ったのですが、多分もう手に入らないのではないかと思います。再発されないかぎり・・・。
それくらい貴重な出会いによって私の手許に来たのです。
目的もなくフラッとサイトを訪ねたらたまたま見つけて、目を疑って、即お買い上げというラッキーさ!!
こんなことがあるから、PCの前にいる時間が長くなる。。。

私は、レコード芸術などで活躍されている喜多尾道冬先生のシューベルトに関する文章を拝見して大いに勉強させていただきました。
その先生でさえも件の雑誌の写真を拝見する限り、LPレコードしか持っておられないのではないかと思います。ちょっと優越感に浸ってたりして・・・。

さて、この盤を時代楽器の演奏の代表として紹介させていただきましたが、シュタイアー、タン、インマゼールなど錚々たるメンバーの録音の中で、もっともニュアンスに富んだ演奏であると思われます。
ピッチが現代の一般の場合より半音程度低いことも影響しているかもしれませんが、演奏上温かみ・落ち着きがもっとも強く感じられます。
奏者が女性であることも母性を感じさせる要因となっているのかもしれません。

D.960の第一楽章はあの世からの旋律のようにも、物心つく以前に母親の腕の中で揺られたときのBGMのようにも聞こえる、というかそんなイメージがありますよね。
そうだからこそ女性による演奏のほうが揺らぎ方に和みを感じるのかもしれませんね。

もちろんこの演奏は単に情緒的なだけの演奏ではなく、むしろ画然として弾き進められていきます。なんといっても、ピアニストはあのグスタフ・レオンハルトの妹さんですから、一点一画をおろそかにすることもありません。
特に第四楽章のテンポやリズムの取り方などは、聞きようによってはぎこちないとも思われるようなもの。それで何が伝わってくるかというと、晩年のシューベルトのすさんだ気持ちと、反対にそれを慈しむような奏者の気持ちが、会話しながらないまぜになったような何ともいえない感傷です。

シューマンは“ザ・グレイト”交響曲を聴いてシューベルトの楽曲の長大さを“天国的な長さ”と喩えていますが、この曲も負けずに長い。
T.レオンハルトの最終楽章の演奏なんて、シューベルトが「まだ、この世を去りたくない!」とだだをこねているところを、「そんなこと言わずに父なる神が待つ天国へ行きなさい」と演奏者が優しくなだめ諭しているみたい。それがまた延々と続く・・・。
要するにうだうだと“力んでは慰め・・・”が続いた後、ふと会話が途切れた刹那シューベルトが気まぐれに「わかった。さよなら!」と幕引きをするといった感じで終わる。。。

実はこの“うだうだ”こそシューベルトの世界そのものではないでしょうか?
私はその“うだうだ”をこそ、心から愛しています。実際この“うだうだ”に好き好んで付き合える人でないと、シューベルトなんてとても聴いていられなくはないでしょうか?
だから心からシューベルトの音楽を受け入れられる人は、きっと心の中に言いようのないツラさ、孤独あるいは淋しい思いといったものを秘めている人に違いありません。

この“うだうだ”は即興曲のような自由な形式のものだと何故か目立たないのですが、ピアノ・ソナタや室内楽、シンフォニーなど多楽章の曲だとしょっちゅう「あーでもない、こーでもない」と始まってしまうように思います。

この曲でも踏ん切りをつけて終わったように見えて、実は踏ん切っていないことはミエミエであり、シューベルトは成仏できてないだろうなとも思います。
まぁ、仏様になることはないでしょうが・・・。天国へ着いたのかなぁ。

そしてこの“うだうだ”は、後世ブラームスに引き継がれることになりますね。

奏者トゥルーデリース・レオンハルトのお兄さん“グスタフ”のレパートリーはもっと以前のバロック時代のものが主流(というよりその分野での一大権威!)ですが、妹さんはシューベルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーンと初期から中期のロマン派音楽に強みを発揮しておられるようで、その辺も興味深いものがありますね。

もちろん私はこのソナタ・シリーズのVol.1も持っていますから、このレーベル(ジェックリン)に録音したものはあらかたそろっていると思います。
また、この後にCASCAVELLEレーベルに録音した即興曲なども何枚か入手しました。けれどどうしても、入手できないものもありまた偶然の出会いを期待して日夜ネットサーフィンしています・・・。

と、図らずもシューベルト特集になったので、シューベルト的世界で“うだうだ”文章を書き連ねてみました。要約したら9割ぐらいカットできるかもしれません。
まぁ、それぐらいの素材を加工して聴き応えのある楽曲に仕立てるのが、シューベルトやリスト、ブラームスといったところではないか。。。と言い訳しておきましょう。


さて次回はリストの特集に戻りますが、今日敢えて紹介しなかった“変ロ長調ソナタ”の突然現れたファーストチョイス盤もご紹介します。

最後に先ほどの喜多尾先生お勧めのD.960の筆頭はパウル=バドゥラ・スコダがハーモニーレーベルに録音したもののようなのですが、これがどうしても手に入らない状態です。
一度マジで聴いてみたいと思っています。入手ルートにお心当たりがある方がいらっしゃれば、ぜひとも情報をいただければありがたいと思います。
よろしくお願いします。

リスト没後120年特集 (その21 ピアノ協奏曲編2)

2006年12月21日 00時56分05秒 | オーケストラ関連
★リスト:ピアノ協奏曲集
             (演奏:ゾルタン・コチシュ
                 イヴァン・フィッシャー指揮/ブダペスト祝祭管弦楽団)
1.リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
2.リスト:ピアノ協奏曲第2番イ長調
3.ドホナーニ:童謡による変奏曲 作品25
                  (1988年録音)

ここでご紹介する3枚ですが、当初はトップはツィメルマンの予定でした。
何回も申し上げますが、別に順番として優劣をつけるつもりはさらさらありません。
とはいえ、やはり鑑に置くからにはそれなりの思い入れがあるものであると考えていただいて間違いないのもまた事実であります。

コチシュは私がクラシックに興味を持って後、その最初期に惹かれたピアニストの一人です。
以前触れたようにミケランジェリのドビュッシー“映像”の盤でクラシック音楽の底なし沼に足を突っ込んでしまったのですが、次にしたことはありとあらゆるドビュッシーのディスク漁りでした。コチシュの“月の光”はロマンチックに朗々と歌い今でも大のお気に入りです。たまに耳にすると、クラシック音楽を聴き始めたころの“気分”を明確に思い出すことが出来ます。

さて、そんなコチシュによるリストのコンチェルト。お察しのとおり、ドビュッシーの後コチシュの演奏を漁ったわけでありまして、そのうちの一枚がコレであります。
当時は「上手なんだろうけれど、なんとも素っ気ない演奏」というのが感想でした。「こんな演奏のよさがわかるようになる日が来るのか?」と思ってもいましたが。。。
果たしてその日が来たのです!!!

今回一聴して「えっ!!」と思いました。なんと気骨溢れる演奏ではありませんか!
前に紹介したオムニバス盤のリヒテル/コンドラシンが豪胆な演奏だとすると、それをもう少しこなれた当世風のスタイルにして颯爽と弾き上げた演奏であると聴けたのです。
フィッシャーもコチシュと同じベクトルでの演奏を展開していて、気骨溢れる重心が低くとも鈍重にならないタクトさばきでつけています。

演奏から滲み出てくる音楽的な意味あいがここでの3枚中最も深いものがあると思ったので、急遽トップを張ってもらうことにしました。

コチシュはリヒテルの練習相手として指名されたとか、ブレンデルの引っぱりでフィリップスとの録音契約が成就したとか、かねて超一流どころからの評価が高いのですが、やはり内実を備えた人だったということが再認識できました。ちょっと生真面目ですけどね。

なおこの演奏でのコチシュの音色が、ソリッドで美しいことも付記しておきたいと思います。

いやぁ演奏はもちろんのことですが、なによりも自分の感性に感動したなぁ~!
(典型的B型症状発病)

★リスト:ピアノ協奏曲集
           (演奏:エマニュエル・アックス
                エサ=ペッカ・サロネン指揮/フィルハーモニア管弦楽団)

1.シェーンベルク:ピアノ協奏曲 作品42
2.リスト:ピアノ協奏曲 第2番 イ長調
3.リスト:ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調
                  (1992年録音)

サロネンって鋭敏な感性の指揮者というイメージがありますが、シェーンベルクでは結構切り込んでいっているのに対して、リストでは完全にアックスの伴奏に回っているような気がします。もちろんそれで正解で、それほどにリストにおけるアックスのピアノに説得力があるというか、包容力・頼りがいを感じます。

この3名のなかでは最も温かいというか、角の丸い音色ですが抑制されたトーンでじっくり語っていく2番などは特にこの人ならではの演奏で、聴いた後の充足感は最も深いように思います。

コチシュとは対照的な解釈で、こういう多様な演奏が楽しめるから聞き比べってやめられないんですよね!
どっちが良いとかいう問題ではなく、気分で選んで聴けばいいこと。なんて贅沢なんでしょう!

★リスト:ピアノ協奏曲1&2番、死の舞踏
             (演奏:クリスティアン・ツィメルマン
                     小沢征爾指揮/ボストン交響楽団)

1.ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調
2.ピアノ協奏曲 第2番 イ長調
3.交響詩《死の舞踏》
                  (1987年録音)

この録音のころがツィメルマンの独特の音が完成した時期だと思います。
自分のピアノを自分でトレーラーに積んで自分で運転してコンサートをこなしているという話も聞かれるツィメルマンですが、やっているかどうかは別にして自分で調律も出来て、録音にも明るいというから結構入れ込んだ人なんだろうなと思わせます。

最近なんか、忘れたころに協奏曲録音は出てもソロがまったく出てこない。。。
あんまりケッペキだとデュカスが作品を残せなかったのと同じように、録音なんかおっかなくって世に問えなくなっちゃいますよと言いたいのですが、ホントに出てきませんねぇ。
結構、来日公演はしてると思うのですが。。。

さて、本記事のトップをコチシュに譲ったとはいえ、ここでもツィメルマンのピアニズムは冴え渡っています。本当に弱音の輝かしい音をペダルで混ぜたときの音、バスからバリトン音域の音を“打ち込んだ”時の“ビンッ”とくる感触!!!
例えば“死の舞踏”の冒頭のアクセントの効いた音など、他の誰からこの音が聞けましょうか?
魔法のようなタッチとはこの方の演奏のようなことをいうのだと、つくづくそう思います。

特にこの演奏は曲の特徴を考慮してか、そういった外面的な要素を積極的に追求しているように思われてなりません。華やかな協奏曲の代表みたいなものだから、また音楽的内容がそんなに深いメッセージ性を持っているような性質の楽曲でないから、聴き手の耳にとにかく麗しい音をいっぱい送り込んでやろうというコンセプトで演奏しているのではないかと思うのです。

もちろんその企ては大成功で、彼にとっては身に付けたばかりのスタイリッシュなピアノサウンドを大々的に披露できる、まさにプロパガンダ的な思惑もあったのではないでしょうか。
とにかく一枚通してピアノの音色美にとことん魅惑されるディスクです。

世界の小沢の付けもツィメルマンのそんな思いに同調してか、ここぞでピアノが映えるようにきちんと配慮して、曲の終わりなど盛り上げるところはほんのわずか華やかめに仕上げられています。今日紹介した3枚に共通して言えることですが、識者とソリストの幸せなコラボレーションが実現されている意味でも好ましいディスクではなかろうかと思います。

さてツィメルマンのこのディスクは、先般破損して手放したソナス・ファベールの“コンチェルト・グランドピアノ”スピーカーを購入するときに、販売店で試聴した際にテストディスクとして使ったものです。
なにより、ツィメルマンの多彩なピアノの音色がいかに美しく聴けるかという点をチェックしたかったわけです。あと、弦の音色もですが。。。
その際はおかげさまで、狙い通りの聴き疲れしないスピーカーが手に入りました。今でも転勤の引越しに際して破損して、使用できなくなったことが残念でなりません。

この次先立つものの目途が立って、後継のスピーカーの購入が検討できるようになったらば視聴用のディスクは何を使うか?
もちろん聴きなれたディスクということで、高橋多佳子さんの“ショパンの旅路Ⅴ”を使いますが、実はそれとは別にピアノの“音および録音”で最高と思っているディスクがあり、それも併用して確認したいと思っております。

次回はそのディスクをご紹介させていただこうかと思います。

リスト没後120年特集 (その20 ピアノ協奏曲編1)

2006年12月20日 01時04分22秒 | オーケストラ関連
★ショパン&リスト:ピアノ協奏曲第1番
                  (演奏:ユンディ・り (p) 
                         サー・アンドリュー・ディヴィス指揮
                             フィルハーモニア管弦楽団)
1.リスト:ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124
2.ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11
                  (2006年録音)

これは差込の記事です。当初の予定にはありませんでした。
あと多分にやっかみが入りますのであらかじめお断りしておきます。(^^)/

さて、このディスクですがジャケットが違うというお声があるかもしれません。
そう、違うんです。。。
これは内ジャケ!!
外ジャケはこれです。別に勿体をつけるようなことではありません。


「何でそんなことするんだ!」という声はないと思いますが、多分にこの記事を書いてる私のほうに思惑があるもので。。。

実は、このディスクは私の所有ではありません。
  誰のものか・・・?
    かみさんの。。。です。
  イ・ムジチを除けばクラシックのディスクは5枚位しか持ってないかみさんの!?

16・17日の土日に留守宅に帰ったのですが、かみさんが見せたいものがあると言って見せてくれたのがSMAPのポスター。。。ホントに嬉しそうで結構なこってす。
なんでも、DVDだかCDだかを買ったらもらえたといって大事そうにしまってありました。
「ポスターなら飾れよ!」とも思いましたが、その場では本能的に言い忘れるという選択をしました。

もう一枚買ったCDがあると言って見せられたのが、このユンディ・リくんでした。
デパートのCD売り場でかかっていたのを聞いて、店の人にどれかを聞いて買い求めたのがこれだったそうです。だとしたら、かみさんの性向からしてリストのほうだったろうなぁ。
本人に「かかってたのは、この盤のどの部分?」と聞いたけどすでに「判らない」と言っているくらいだからアヤシイものです。

それで何を言い出すかと思ったら、
「外ジャケより、内ジャケの写真のほうがロマンチックでいい!」
ということでした。。。

「あっ、そ!」ってなもんですが、嬉々とした顔で訴えるかみさんを認識して、本能的にここは聞き役に徹するべしという第六感が働き、そのミッションを遂行しました。要はそんないきさつがあったもので、愛する妻が好きな内ジャケを冒頭にしたわけです。

さて、あいづちは打つもののかみさんが話す言葉をまったく耳に入れることなく、視覚的情報からかみさんの台詞が収束したのを確認して「俺もちゃんと聴くために東京に持って帰りたいから貸せ!」という趣旨の内容を親しみを込めた言い回しで伝えてみたのですが、「だめ! 私もちゃんと聴いていないから!」だって。

「きみはディスクを購入した後に、まず何を鑑賞するのだね?」と言いかかったのですが、私の賢明な体の中でエマージェンシー・コールが響いたかと思いきや、突然リセットキーを押すという選択がなされたようで、暫く無言で立ちすくむだけで事なきをえました。

さて「ごちそうさま」と言われない先に痴話げんかめいた話は止めて、肝心の演奏の感想に移ります。ちなみにディスクマンにパソコン専用スピーカー(一応音楽用)を繋いで聴きました。いつものコンポじゃないので、そこはご容赦を!

まずリストは相変わらず伸びやか・しなやかとしか表現できないような演奏。適度に迫力もあるし、特に気づいた点は彼の右手が「ヨーイドン!」でジェリーのように走り回る。それが若干のタメの後に美しい音色でしなやかというか本当に自然に駆け回るので耳をそばだてさせられるのは分ります。確かに、この点はユンディ・リでしか聴けない部分(美点)です。

でも私の総評はユンディ・リ“を”聴かなくてはいけない事情がある方はいざ知らず、ユンディ・リ“で”聴かなくてはいけない理由は余りないかもね。。。というもの。
もちろん第一級の演奏だと思いますよ。この奏楽で楽しめないということは一切ありません。
でもこの世界、“超一級”の演奏ってのもあったりするもんで。。。

翻ってショパンは、また訳のわからない例えで恐縮ですが“中国の霊峰の霞の向こうから聞こえる優雅なショパン”という感じ。
間違いなく東洋人の感性に基づいた歌だと思わせられました。
これは紛いないユンディ・りの個性が発揮された演奏であると。。。

いずれの演奏にも華があって大器であることは認めますが、冒頭の写真はねぇ~~~
オジサン許せません。キミはアイドルのアクターではない。
ツィメルマンはゼッタイしなかったぞっ!!!

といいつつ、初期の仲道郁代さんの一連のショパン盤のジャケットに掲載されているフォトを、毎度楽しみに見ていた自分を思い出している私。。。

女性はいいの!!  オトコはダメなの!!!  というのが結論!

あと気づいたのはオケが凡庸。どこまでもリ君に屈託のない笑顔で寄り添っているばかり!
A.ディヴィスって本当はいい指揮者なのに。。。
プロデューサーから「リを立てて、丁々発止するな」とでもいわれたのかしらん。

もう一つこの記事を書くに際して(かみさんがディスクを貸してくれなかったので)、ユンディ・リの公式サイトから情報を取ったのですが、曲順がディスクではリスト→ショパンなのに、ディスク紹介の曲順はショパン→リストになっているのも気になる疑問。
 ♪なんでだろう~~♪

やっかみが入ると、あたしゃシツコイよぉ~~~。
ちなみに、ウチのかみさんはヨン様も好きです。

★アルゲリッチ:5大ピアノ協奏曲 (2枚組)
                (演奏:マルタ・アルゲリッチ (p) 
                     デュトワ(1) アバド(2~5)指揮
                     ロンドン交響楽団(1~3)ベルリンフィル(4.5))

1.チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
2.ショパン:ピアノ協奏曲 第1番
3.リスト:ピアノ協奏曲 第1番
4.ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
5.プロコフィエフ:ピアノ協奏曲 第3番
                  (1968年録音:ショパン・リスト)

このディスクは20年近く前に紙パック包装の廉価盤で手に入れたのですが、必然的にジャケットがないために当初はこの特集記事に載せず“封印”しようと思っておりました。しかし、他でもないユンディ・リのお陰でいかにも“廉価盤の中ジャケ”という風貌で蘇ってもらうことになりました。

それは2つの理由によります。
ひとつ目はリ君もアルゲリッチもショパコンの優勝者であるということ。
ちなみにリの優勝は2000年、アルゲリッチは1965年優勝ですから35年の月日を経ての後継者ということになります。
そのときリは1982年生まれなので18歳、アルゲリッチは24歳でした。
リスト&ショパンのコンチェルト録音はリが23歳、アルゲリッチは27歳位のときです。

そこで演奏の聴き比べですが、アルゲリッチは王道です。
リストは泰然自若。久しぶりに聴きましたがアルゲリッチの才気煥発といったイメージは余りなく、きちんと弾き進めていく姿に却って空恐ろしいものを感じました。本当に、曲との一体感がこのピアニストの場合恐ろしく高い。その曲がそのようにあるべき姿で、寸分の違いもなく収まるべきところに収まっているということに改めて驚かされました。
座りがいいって言うのはこういうことを言うんだといわんばかりの内容です。

逆にアバドがいろいろやってるのが笑えました。
トライアングル協奏曲などと揶揄されたこの曲ですが、曲の終わり際なんかティンパニ協奏曲(!)になっています。
録音のせいというには最後だけやたらティンパニが目立つというのも。。。
ちなみにショパンでも、管のオブリガートを強烈に吹かせてみたり「若いのぉ」と。。。

ショパンのコンチェルトはショパコン本戦のライブが、演奏に傷があろうが会場ノイズがしようが、“興奮のルツボ”やら“熱狂の嵐”の中では関係ない、って感じでかつては好きでした。その勢いたるや、連戦連勝のジャンヌ・ダルクの進軍というか、むしろアレキサンダー大王の東征みたいなイメージ。向かうところ敵なしでした。
しかし今すでに脂の抜けた私には、その3年後のスタジオ録音を聴いてルツボや嵐よりもむしろ、アルゲリッチのリを遥かに凌ぐ強靭なしなやかさと他にない安定感こそ正に“王道”であると再確認させられました。

ここでもアルゲリッチは音楽と一体になっているだけです。同じショパコン優勝者とはいえ音楽の“質量”が違う。。。
風格があるうえさらに若々しい演奏といったらいいでしょうか?
り君はあと3・4年で、アルゲリッチのこの境地に匹敵するところまでたどり着けるんでしょうかねぇ?
もちろん時代も、本人の資質、求めるものも違うので、健やかな彼自身の境地の開拓を祈りたいものですが、ここまでの訴求力を身に付けようと思うとまだまだ大変だぁ~というのが、私の率直な実感です。

アルゲリッチ・ポセイドンに蘇ってもらった2つ目の理由は、他ならないユンディ・リのコメントにあります。

日ごろ(国内盤しかないものを除き)輸入盤ばかり購入しているので、ライナーは読まない(読めるわけねーだろーが!海外レーベルの代表はこぞって日本の音楽市場はデカいと言うが、ライナーに日本語訳を入れないのはマーケットをナメてるかないがしろにしている証拠だ(!)、と思っています)私ですが、たまさかかみさんが日本盤を購入したので何気に読んでみました。すると、次のようなユンディ・リの発言が目に止まったのです。(意訳します)

「私はショパコン優勝者ということでショパンを一方の中心に据えて演奏しているが、他方でラヴェルやプロコといった作曲家の作品にも惹かれている。その意味で、小さなころから慣れ親しんできたリストとショパンのコンチェルトをディスクに出来たのは自分のその両面を披露できて意義がある・・・。」云々

要するにラヴェルやプロコの協奏曲も自信アリってことね!!

アルゲリッチは1967年ですから26歳位のときに、上記曲目のとおり演奏しています。
まったく持って大した度胸じゃない?
この演奏を超えようと思ったら、とんでもなく大変ですよぉ・・・。
ユンディ・リには競争する気なんてさらさらないでしょうが、私が比べてしまう。善し悪しを云々する気はないけれど、出てきてしまったら「比べるな!」って言うほうがムリですよ!

ラヴェルはグラモフォンにアバドと再録して、そちらのほうが整っているけど生きの良さではこっちでしょう。プロコフィエフはこの目くるめく高揚感と最後の盛り上がりは、この曲の最良の演奏です。

更にまた、いずれの曲も夫婦だったこともあるデュトワと最近EMIに再録しています。
これもこれで文句の付けようのない演奏だけれども、私にはアルゲリッチのお母さんが演奏しているような気がしてしまって。。。
35年も経ればそうなるほうが当たり前なのかもしれませんが、少しこなれたというか老獪な色が感じられます。それを叡智の証と見るか、何の思い入れもない無垢な魂の翳りと見るかで評価は変わるのだと思います。

ムカシのも今のも持ってて、気分によって聞きわけるなんてなんてゼータク!!
私がどちらをチョイスすることが多いのかは、ご想像にお任せします。

そしてユンディ・リ君には、自身が愛するレパートリーで聴き手の私に「マイッタ!」と言わせてくれることを心から期待しましょう。
確かに彼こそ、そう言わせてくれるだろうピアニストの最右翼であることにはまったく異論はありませんからね。(^^)v

直接対決を避けて、ラヴェル・プロコとも左手一本で勝負なんてのも一興?
いやいや、ここは真っ向勝負あるのみでしょう。

リスト没後120年特集 (その19 ハンガリー狂詩曲ほか)

2006年12月19日 00時01分00秒 | ピアノ関連
★「スペイン狂詩曲」ロマン派ピアノの世界
                  (演奏:マレイ・ペライア)
1.フランク:プレリュード、コラールとフーガ
2.リスト:メフィスト・ワルツ第1番
3.リスト:ペトラルカのソネット第104番 (巡礼の年第2年「イタリア」第5曲)
4.リスト:森のささやき (二つの演奏会用練習曲第2番)
5.リスト:こびとの踊り (二つの演奏会用練習曲第1番)
6.リスト:泉のほとりで (巡礼の年第1年「スイス」第4曲)
7.リスト:スペイン狂詩曲
                  (1990.1991年録音)

メフィスト・ワルツ第1番、どうしてもペライアの一枚が外せませんでした。
ペライアも(レパートリーによりますが)私が最も好きなピアニストの一人ですから。。。
彼の音楽には、かつては非常に繊細で細身というイメージがありましたが、1989年に亡くなったホロヴィッツの最晩年に親交を得ていろいろと啓示を受けたそうで、この時期に劇的に演奏スタイルが“頼もしく”変貌しました。
もろにホロヴィッツ化しちゃったわけではありませんが、もともと器用だったところに曲の要請に応じて“凄み”を演出することが出来るようになったと思います。

この人の描く旋律線は、曲のテンポが速かろうが遅かろうがホルショフスキ譲りのシンギング・トーンと呼ばれる“ペライアにしか弾けない”と思われる美しい音符間のつながりに彩られており元々素晴らしかったのですが、中低音の音色をコクのあるファットなものにすることに成功したことと、打鍵時に力を入れるタイミングを絶妙に工夫をして、ホロヴィッツとは違った意味での迫力を出すコツを手に入れたのだと思います。
もちろん自分の思い描く旋律に合った音色を模索したのだと思いますが、これにより一気に正統派の大物に名を連ねるようになりました。

この時期録音されたものには、ブラームスの第3番のソナタ、オールドバラ・リサイタルと呼ばれるリサイタル盤(スタジオ録音)、モーツァルトのソナタ3曲(超名演)などがあり、いずれも私が一生懸命聴いたディスクです。
ちょうどこのころ私はクラシック音楽の知識の裾野を広げるべく、さまざまな知らない曲を片っ端から聴いていたころでして、ペライアは最もお世話になった水先案内人の一人でありました。

91年から親指の怪我で約2年間音沙汰なかったのですが、無事カムバックしてそれ以降も大活躍されているのはご存知だと思います。

ただ、ベートーヴェンのソナタ1・2・3番のディスク、ヘンデル&スカルラッティのディスクは超名演だと思いますが、バッハは世評は高く興味深く聴けますが私の流儀にはあっていません。その素晴らしさが判ったうえで、ピンとこないのですから単に相性の問題だと思いますけど。。。

またショパンのバラードのディスクは世界的な賞を獲得していますし、練習曲集も決定版として高い評価を得ていますねぇ。もちろんとっても凄い演奏だと私も思いますが、なんかちょっと華やか過ぎるように思えなくもありません。「よくぞそこまで弾けますね」という意味では、脱帽ですけど。。。
シューベルトの最後の3つのソナタもちょっと私にはピンボケ。

要するに1989年から1997年ぐらいまでのペライアが、私にとって最もピッタリ来ていたピアニストでしたという話です。
もちろん、今でも大注目していますけど。。。

それで“メフィスト・ワルツ”ですが、落ち着いたテンポを取った演奏で、覇を唱えるというわけでなく、王道を行くというほど大げさでもなく、さりながら程よく重厚であって、右手は元気よく駆け回りますが華美になることもないという理想的な演奏です。
久しぶりに聴いて、懐かしかったです。

★リスト:ハンガリー狂詩曲全集
                  (演奏:アルトゥール・ピサロ)

1.ハンガリー狂詩曲全19曲 (2枚組)
                  (2005年録音)

このピアニストは、リン・レコードからはショパンとベートーヴェンのディスクをSACDで世に問うております。何か気になって手に入れちゃいましたけど、もう少し聞き込まないとこの人の本当のよさというのは私には理解できないかもしれません。

リストのハンガリー狂詩曲は全20曲あるとされていますが、一般に演奏されるのは15番までで、16番~19番までが聞かれるのは珍しいようです。また、20番はめったに演奏されることはないということです。

ピサロは高音弦を補強したといわれるブリュートナー社製のピアノを使って、繊細なリスト演奏を聴かせます。そしてこの演奏が、シフラに代表されるヴィルトゥオジティ発揮を最優先にしたかのような奏楽とは明らかに違った出来栄えであることから、敢えてご紹介しようと思った次第です。

本当にこの高音に特徴のあるピアノの音色は、あらゆる曲を通して映えます。

ラッサン(主に前半のゆっくり目のところ)部分では、じっくりしたテンポを取りつつややべダルを節約することによって重量感とか迫力を追求せずに、むしろ分離の良い音を駆使して朴訥に聴かせます。後半のフリスカ部分では確かにテンポは速くなるものの、決して弾き飛ばしたり走ったりしない、ましてや乱痴気騒ぎにはならないという独特の解釈が施されているおかげで、普段はヴィルトゥオジティを誇示するようにハデに弾かれることが多いこの曲集を、詩的とも思えるように聴かせてくれます。

したがって決してジプシー色豊かというわけにはいかないですし、“聖歌のように始まりサーカスのように終わる”ことを期待するとハズレます。

ただ、何といっても2枚に145分の演奏が詰まっていてわずか1,000円ぐらいだったので、コスト・パフォーマンスは抜群ではありませんか?
肩の力を抜いて楽しめるレパートリーですから、結構万人向きではないかと思ったりもするのですが。。。どうでしょうか?
もちろん私はこの演奏をとても楽しんでいます。

★リスト:ハンガリー狂詩曲集
           (演奏:クルト・マズア指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)

1.第1番 ヘ長調 (編曲:リスト/ドップラー)
2.第2番 ニ短調 (編曲:ドップラー)
3.第3番 ニ長調 (編曲:リスト/ドップラー)
4.第4番 ニ長調 (編曲:リスト)
5.第5番 ホ短調 (編曲:リスト)
6.第6番 ニ長調 「ペストの謝肉祭」(編曲:リスト)
                  (1984年録音)

リストは先のハンガリー狂詩曲のうち6曲を、一部弟子のドップラーの協力を仰いで管弦楽に編曲しています。この盤はその全曲を収めたディスクとしては最右翼とされているものだと思います。

もちろん編曲に当たって調性は変わっているし、ピアノ曲と曲順も違うので注意が必要です。その管弦楽版も2番と4番と入れ替わったりしているのがあるのでなおややこしい。。。

演奏は競合盤を持っていないので比較できませんが、端正な演奏で、適度に華やかさもあって気安く楽しく聴けるディスクといっていいのではないでしょうか。
まぁ、もともとが深刻な曲じゃないモンで。。。
やはり管弦楽曲にすると、表現の幅は目に見えて(耳に聞こえて?)広くなりますねぇ。弦楽器の合奏で旋律を演奏されるとすごく流麗になるし、トゥッティの迫力はいかにピアノといえども動かす空気の量が違うといった感じのゆとりあるものになる。。。

ピアノでも人気の2番、3番、4番がやっぱり特に聴きやすいかな。
3番ではツィンバロンも活躍するし、こうしてピアノばぁっかり聴いてきたところで同じレパートリーをオケで聴いたために、ゆったりなごむことができたのかもしれません。
どう表現したとしても、ピアノ曲について話をするということは弦をハンマーが叩いた結果について語るわけですから。。。
ピアノから生み出される音って“打撃音”ばっかりですものね。

以上コメント終わります。(^^)v

さて、管弦楽が出てきた勢いを借りて、次回はピアノコンチェルト行ってみよー!!