SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

リスト没後120年特集 (その18 メフィストワルツ第1番編2)

2006年12月18日 00時41分19秒 | ピアノ関連
★メフィスト・ワルツ(リスト名曲集)
                  (演奏:エリック・ハイドシェック)
1.ノルマの回想(ベルリーニ/リスト)
2.葬送曲(指摘で宗教的な調べ 第7曲)
3.小鳥に語るアシジの聖フランシス(伝説 第1曲)
4.海を渡るパオラの聖フランシス(伝説 第2曲)
5.悲しみのゴンドラ 第1番
6.メフィスト・ワルツ 第1番
                  (1994年録音)

貴族の末裔ハイドシェックの演奏です。
この方、判りやすい大巨匠って感じで、好みが分かれるところだと思います。
濃厚っていう感じとはちょっと違うんですが、すべからく濃いんですよね。。。味付けが。
フランス人ってフランス語をぼそぼそ話すってイメージですが、フランス語ではきはき話した演奏みたいに感じられてしまいます。それもベース音を豊かに響かせて。。。

ディスク全体が何らかの訳ありなんだと思いますが、すべての曲がアタッカで演奏されています。曲間がほとんどないのです。明らかに意図していると思うのですが、すべての曲がシームレス。。。になるはずもなく、ノルマと葬送曲のときは「なにか企んでるな!」と思ったのですが全部くっつけられると、「イミないじゃん」とか思ってしまったりもします。

先ほど仄めかしたように、音自体は非常に美しくゴージャスな響きを実現し、あらゆる手練手簡を使うことで表現の幅も極めて広くて、それらを愛でることにつき決してやぶさかではありません。
が、しかし“悲しみのゴンドラ”なんて「うらぶれた薄気味悪い曲ですよ」という演奏をされていながら、そのピアノの音色(おんしょく)では真昼間に出てきたユーレイのようで全然気味悪くない。。。残念!!ッていう感じ。

“メフィスト・ワルツ”もアゴーギグというか極端なフレージングでデフォルメされており、いい効果を挙げていると思う私とやりすぎと引いちゃう私の両方がいます。ただ、最後気持ちよく盛り上がって盛大に終わるかと思いきや、“ひょいっ”と消えてしまうような終わり方をされたのは、ちょっと予想外で、私は好意的に思いましたけど。。。

とにかく第一級の個性を持った巨匠による、期待通りの巨匠風な味わいが縦横に詰まっている一枚です。楽しめるかどうかは聴いた人が判断してくださいな。
私は“ノルマの回想”は名演だと思います。

★浮遊するワルツ
                  (演奏:青柳 いづみこ)

1.ショパン:6つのワルツ
2.シューベルト/ドホナーニ編:高雅なワルツ
3.ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
4.サティ:嫌らしい気取り屋の3つの高雅なワルツ
5.リスト:メフィスト・ワルツ第1番
6.ドビュッシー:ロマンティックなワルツ
7.ドビュッシー:レントよりなお遅く
                  (2003年録音)

この“メフィスト・ワルツ”はもっともオーセンティックな演奏として共感できるものです。前にロ短調ソナタで紹介した野島稔さんの演奏と双璧だと思います。とっても情感もたっぷりなんだけど余計なことをしていない。そこに共感できます。
とってもいい演奏で好きです。
この方も日本人としての良さをお持ちだと思うし、無意識に共有しているものがあるのかもしれませんね。間違いなく“日本語”など日本の風習は共有しているし。。。

この盤も青柳さんならではのコンセプトアルバムですが、楽曲の要請するところに沿った演奏でありながら、すべて青柳色で塗られている。

彼女といえばやはりドビュッシーの演奏が注目されるわけですが、ほかのドビュッシー盤と共通する風合いで、さすがこの作曲家のオーソリティーだと思わせられます。
日本人演奏家によるドビュッシー解釈では、今のところ青柳さんの説得力に勝るものはないと感じられます。ドビュッシーが想像していた解釈とは、いささか趣を異にするとは思いますが。。。
ホントに例えば“レントよりなお遅く”のまとっている響きは、なんと表現したら良いのだろう?
古色を感じさせながら、とても親密で豊かでもある。。。
そんな奇跡的な音で綴られた末に、思いがけず消える。それがえもいわれぬ余韻となっています。

★メフィスト・ワルツ~キーシン・プレイズ・シューベルト & リスト
                  (演奏:エフゲニー・キーシン)

1.シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D.960
2.シューベルト/リスト編:セレナード S.560-7
3.シューベルト/リスト編:さすらい S.565-1
4.シューベルト/リスト編:どこへ? S.565-5
5.シューベルト/リスト編:すみか S.560-3
6.リスト:メフィスト・ワルツ第1番「村の居酒屋での踊り」S.514
                  (2003年録音)

この言い方がキーシンにとってどう響くか判りませんが、この邦題は私にとって極めて適切に思われるのです。
このディスクのプログラムを見る限り、メインディッシュはシューベルトの“変ロ長調ソナタ”であり、他の曲はフィルアップの位置づけだと思われます。
でも、タイトルは“メフィスト・ワルツ”になっています。。。

実は私は“変ロ長調ソナタ”のディスクを、リストの“ロ短調ソナタ”の倍以上の枚数所有しています。その耳で聴いた結論を申し上げると、キーシンのそれははっきりいって食い足りないです。
確かに独自色が打ち出された集中力にもこと欠かない演奏だとは思いますけれど。
ただこれも小山実稚恵さんのリスト小品集を最初に聴いたときのように、次代の音楽の萌芽の解釈で、私がついていけていないだけなのかもしれませんが。。。

第一楽章の出だしはたっぷりと夢の奥から沸きあがってくるような感じで期待を持ったのですが、途中やはり性急に過ぎるように思われるところが散見されてちょっと興ざめしてしまいました。

第二楽章と第四楽章は、もう少し練ってくださいという感じ。
第一楽章もそうですが、左手が三連符で伴奏するときの旋律の歌い方が、一般的に認知されているシューベルトの世界に遊ぶさまを表現できていない。。。

大家になったころまた録音してくれると思うので、それに期待したいと思います。

翻って“メフィスト・ワルツ”。
元気はつらつ、美しいピアノの音をたっぷりと鳴らしきって騒々しいところも、誘惑されちゃいそうなところも、表現の幅を考えうる限り広く取った快演が繰り広げられます。
最後の終わり方なんて、もう黙って聴いておられず上気してしまってかぶりついてしまいました。言葉もないほど素晴らしい。これが実演なら立ち上がって拍手しちゃうもん、私。
キーシン・アズ・ザ・NO,1ヴィルトゥオーゾ!!

終わりよければすべてよしではありませんが、シューベルトの歌曲の編曲の演奏もキーシンは定評があるところであり(昔のシューマンの“献呈”のライブなどのほうが生気に溢れててたけど。。。スタジオ録音なんでまとまりが良すぎちゃったかもしれない)、後半しり上がりに楽しみが増してゆき、最後ははじけちゃって大団円となるいいディスクだといっておきましょう。

それにしても、シューベルトの特集には手を出さないようにしようっと。
“変ロ長調ソナタ”については、特に気に入った盤のみ近日中にご紹介します。
さすがにこのソナタが、最も私がディスクを所有している枚数が多い楽曲であると思います。シューベルトは即興曲も多いけど。。。

リスト没後120年特集 (その17 メフィストワルツ第1番編1)

2006年12月17日 00時31分40秒 | ピアノ関連
★リスト:ピアノ・リサイタル
                   (演奏:レイフ・オヴェ・アンスネス)
1.「巡礼の年」第2年「イタリア」より 
  第7曲 ダンテを呼んで:「ソナタ風幻想曲」S.161-7
2.「忘れられたワルツ」第4番 S.215-4
3.「メフィスト・ワルツ」第4番 S.696
4.「ノンネンフェルト島の僧坊:悲歌」(ピアノ用編曲)S.534
5.「バラード」第2番 ロ短調 S.171
6.「メフィスト・ワルツ」第2番 S.515
7.「詩的で宗教的な調べ」より
  第9曲「アンダンテ・ラクリモーソ」S.173-9
8.「メフィスト・ワルツ」第1番“村の居酒屋での踊り”S.514
                   (1999年・2000年録音)
今回はメフィストワルツ第1番を含む小品集の特集です。
トップはアンスネス。他にけばけばしいほど華美な演奏があるなか、技の冴えを見せつつもちょっとくすんだ雰囲気の中に曲を進めて行きます。
それを殺風景と見るか、内面的に踏み込んだ表現が奥深く隠された演奏と見るかは好みによるのだろうと思います。
特に今は、多くの演奏を並べて聴いているからそう聞こえるのかもしれません。

選曲が凝っていて、2・3・4・6・7などは、他ではほとんど見られないのではないでしょうか。
そんなことも含めて、わずかに色調を落として描くことで他にないリスト演奏を実現しているという意味では、独自色を打ち出すことには成功したディスクということも出来ようかと思います。

とくに4は本来は先の“特集その14”で聴かれたように、チェロを交えた曲ですがピアノ独奏に編曲し、ややあせた色調で描き出すことによって回想風なイメージが沸きます。
情緒的というか、より心に響くような気がするのは、選曲からなにから、きっとちゃんと計算されてのことなのでしょう。
よくできたディスクだと思います。

★アシュケナージ・プレイズ・リスト
                   (演奏:ヴラディーミル・アシュケナージ)

1.超絶技巧練習曲集より7曲抜粋 S.139
2.ゴルチャコフ即興曲 S.191
3.メフィスト円舞曲 S.514
                   (1970年録音)
アシュケナージって今やN響の音楽監督として、極めて円満などこにも角が立たない解釈と温かみある音楽性で、円熟期を迎えているといわれています。
別に反対はしません。。。

しかし、この演奏を聴くと若いときは気持ちよくやんちゃだったのではないかと思わされます。
今のおとなしさ、すべてを大所高所から見る視線、指揮をするにしてもピアノ演奏するにしてもバランス感覚を発揮したというと聞こえは良いけれど、簡単に言うとつまんなくもなってしまうような姿勢。。。

しかしこの演奏にも素晴らしくバランス感覚は働いているのですが、別人のように生気に溢れている。聴き手も血沸き肉踊るという感覚にさせられる。かといって、決してエキセントリックな演奏ではないのです。熱演ではありますが。聞かせ上手とはこのことをいうのでしょう。

また、超絶技巧練習曲集の“夕べの調べ”では、たっぷりしたテンポの中にありながら、けっしてもたつくことなく歌い上げられていきます。艶っぽい鐘の音がわずかに強調されるほか、ピアニシモでオクターブの旋律をたどるところなどに、この人ならではの慈しみややさしさみたいなのもしっかり聴かれて本当になごみます。

このディスク、レコード・アカデミー賞も受賞しているそうですが、それもなるほどと思わされる内容であります。よくこのレパートリー、それも抜粋で取れたものですなぁ。CDになって収録時間が長く取れるようになったので、なんでも全部突っ込んでないと気がすまないという風になってしまったのでしょうか?

メフィストワルツも快調、軽快、ご機嫌です。必要とあれば力技も見せ、ペダルを上手く使って響きを湛えたカオスまで作りあげるところには、“総合音楽家”ではなく、かつては“エンターティナー”アシュケナージが確かにいたことを確認できるディスクです。

★リスト:ピアノ作品集
                  (演奏:ブルーノ・リグット)

1.夜
2.ペトラルカのソネット3曲
3.葬送曲
4.メフィスト・ワルツ
5.灰色の雲
6.凶星!(不運)
7.悲しみのゴンドラ第1番
8.リヒャルト・ワーグナーの墓に
9.夢の中に
                   (1991年録音)
サンソン・フランソワの唯一の弟子でしたっけ、この方は?
よく弾けていて何も足りないところはないけれども、これはというウリみたいなものが感じられない点で、どう紹介していいかわからないです。
演奏を聴いている限りではピアノもよく鳴っており、“葬送曲”の出だしのアクセントの置き方や最後の盛り上がりかた、“ペトラルカのソネット104番”のフレージングなどに独自の間というか、聞かせかたの工夫が施されているのもわかるのですが。

繰り返し言いますけれども、この演奏を聴いている限りはまったく充足して聴くことができます。
でも他と比べると、時としてそっけないとか、デモーニッシュな響きが欲しいところが少し薄味だとか、そんな感じがしないでもありません。
逆に言えば、極めて中庸を行ったディスクだとの評価があっても、私はおかしくないと思いますけれども、私がリスト作品を聴きあさる一環として耳にしたというシチュエーションがこの作品にとってはいささかアンラッキーだったといえるかもしれません。

メフィストワルツも同様。
メフィストが誘惑しようという意図を持っていることは、伸縮するフレージングや多彩な音色の使い分け、とりわけ高音の輝きのある粒立ちの音色の多用などで演奏設計の意図通りに実現されていることはよくわかるのですが、それでは全体としてみた場合にどれほど魅力的かというと。。。
極めて中庸なんです。

リスト没後120年特集 (その16 番外編)

2006年12月16日 00時03分52秒 | ピアノ関連
★《ボレットの遺産/リスト&ショパン・リサイタル》
                  (演奏:ホルヘ・ボレット DVD)
1.ショパン:バラード第1番 ト短調 作品23
2.ショパン:夜想曲 嬰ヘ長調 作品15-2
3.ショパン:夜想曲 ヘ短調 作品55-1
4.ショパン:バラード第4番 ヘ短調 作品52

5.リスト:ペトラルカのソネット第104番(巡礼の年 第2年《イタリア》より)
6.リスト:ペトラルカのソネット第123番(巡礼の年 第2年《イタリア》より)
7.リスト:ゴンドラを漕ぐ女(巡礼の年 第2年補遺《ヴェネツィアとナポリ》より第1曲)
8.リスト:カンツォーネ(巡礼の年 第2年補遺《ヴェネツィアとナポリ》より第2曲)
9.リスト:タランテラ(巡礼の年 第2年補遺《ヴェネツィアとナポリ》より第3曲)
                  (1987年録音)
番外編ということで、初めてDVDを取り上げてみました。
このピアニストがディスクにおいてリストを弾くときには、いつもベヒシュタインが使われていましたが、ここではそうではなくスタインウェイが用いられています。
もちろんそのことに起因するであろう感触の違いはありますが、ロマン溢れるグランドマナーに依った演奏はまぎれもなくボレットのものです。
ショパンも含め、映像が残っていたことに感謝です。特にバラ4は入っているのには感激です。
音楽が生み出される瞬間の動く映像が見られることはとても嬉しいものがあります。

巡礼の年から抜粋されていますが、お城のサロンで演奏されていることもあり、とても雰囲気のいい演奏が展開されています。
演奏されている曲の内容は豊かですが、演奏姿はどこまでも淡々としており、画面にもほとんど細工がしていないというか工夫がありません。でもよいものはよいです。最上の意味で芸術家が芸術を想像しているという瞬間の記録という気がします。
尊い!

★展覧会の絵 ~ザ・ヴィルトゥオーゾ
                  (演奏:斎藤 雅広)

1.リスト:ラ・カンパネラ
2・ムソルグスキー:展覧会の絵
3.スクリャービン:練習曲 嬰ハ短調 作品2-1
4.ワーグナー/リスト:イゾルデ愛の死
                  (2002年録音)
このラ・カンパネラは外せません。ということで、番外編に収録です。
世界中でラ・カンパネラをこのように弾く人は、この人をおいて他にありません。まずはスピードが速い。それだけでスカッとさせられます。
技巧が鮮やか。前にクズミンのところで“難しい曲じゃないみたい”とコメントしましたが、斎藤さんはたやすい曲ではないがこんなに鮮やかに弾いて見せますといった感じで、ヴィルトゥオジティ全開で弾きとおします。正しく看板に偽りなし、タイトルどおりですな。
ペダルのせいか、録音のせいか響きも潤沢に取り入れられており、さらに華やかさを増して演奏効果を高めています。

この後の展覧会の絵も、高橋多佳子さんを聴きなれた耳からすると響きの多い録音です(どっちかというと多佳子さんのほうがソリッドなのかもしれない)が、聴き手を飽きさせずに楽しませてくれるという意味では特筆もの。いたるところに音作りの工夫がいっぱい。さすがは音楽の森の“キーボーズ”!
スクリャービンを経て、イゾルデ愛の死もやりたい放題入れ込んだ演奏で、聴いてる側も巻き込まれてつい頬が緩んでしまう一枚ですね。

我が国のピアニストによる本格的レパートリーのディスクで、ここまでのエンターティメントを感じさせてくれるとはスタンディング・オベーションものです。
きっとオマージュを捧げられたホロヴィッツも、愛好を崩しているに相違ありません。
ブラヴォ~~!!

★リスト大好き!
                  (オムニバス)

1.交響詩「前奏曲」・・・ハイティンク指揮 ロンドン・フィル
2.ピアノ協奏曲第1番抜粋・・・リヒテル(ピアノ) & コンドラシン指揮 ロンドン・フィル
3.ハンガリー狂詩曲第1番 ヘ長調・・・マズア指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス
4.ハンガリー狂詩曲第2番 嬰ハ短調・・・ミッシャ・ディヒター(ピアノ)
5.エステ荘の噴水・・・アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
6.演奏会用練習曲第3番「ため息」・・・クラウディオ・アラウ(ピアノ)
7.愛の夢第3番・・・ユリ・ブーコフ(ピアノ)
8.ハンガリー狂詩曲第3番 ニ短調・・・マズア指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス
 
このディスクの基は、フィリップスへの録音の集大成と見えて大物の演奏が並んでいます。
まあ、それなりの方もいらっしゃいますが・・・

このディスクで一番恐れ入ったのは、ライナーに楽曲解説はあっても演奏者について一言も(!)触れられていないこと。。。
デジタル録音も混じってるというのが凄いというくらい昔に買った(何といっても私が入門用に買ったのだから)ので、もちろんDGやデッカとも合併していないころでクラシック音楽も隆盛を誇っていたころなのでしょうか?
随分恐れ多くもという、この方の演奏が収録されているというだけでハクがつく連中だと思うんだけどなぁ。
初心者はそんなこと考えずに買うのかもね。

さて、これを取り上げた理由はひとえにこの中の“愛の夢第3番”が素晴らしいからであります。
確かにリヒテルが豪胆な演奏を展開していますし、コンドラシンってこんなに素晴らしい指揮者だったのかという再発見もののサポートも聴かれますが。。。
さらにブレンデルやアラウの特徴のよく出た名演もありますが。。。
でもここでは“愛の夢”なのです。

さりげなく気取らない演奏で、どこにも奇を衒ったようなところはなく誠実に描かれていきます。自然体であり特にファンタスティックにしようなどと思っているフシはまったくなくとても好感が持てるのです。
クライマックス後のカデンツァに入る瞬間に一瞬「荒いか?」と思わせる箇所もあるのですが、その後も実に流れよくまとめられています。
フィリップスですから、このほかにもこの曲の名演は数あるはずですが、これを選んだ理由は「初めてリストに触れる人」にデフォルメされていない素の良さを伝えられる曲だと思ったに相違ありません。
個性的な演奏をいっぱい聴いた後にこれを聴いても、地味に思われてしまうかもしれませんけれど。。。
その意味で、ごく初期にこの演奏に出会えていたというのはラッキーだったかもしれません。

演奏者のユリ・ブーコフについてはぜんぜん知らなかったのですが、ネットで検索したらエリザベート王妃国際音楽コンクールの1952年(第1回?)に8位で入賞している人で、メジャーレーベルにもそれなりに録音は残しているらしいですね。CD化はされていないようですが。。。残念。。。と思いつつさらにサイトをのぞいていったら、今年1月に亡くなっていた(!)。。。さらに残念でした。

ともあれ、この演奏がなんとも言えずよいので前回の“愛の夢”特集に繋げるため、わざわざここに“番外編”を置こうという気になったわけですが、追悼の想いも捧げさせていただこうと思います。
ついでみたいで、申し訳ないけれど。。。合掌。

それにしてもメジャーレーベルには、まだまだ私の知らない音源が数多く眠っているんでしょうね。可能な限り復刻してもらいたいものです。
多分そのアーティストの最も旬な時期の演奏が聴けるわけでしょうからね。

ところで、このディスクの選曲を見るとハンガリー狂詩曲が3種類入っている。。。
リストの捉えられ方が今とはまったく違うような気がします。
昔は、リストというと“愛の夢”など人口に膾炙した作品を除けば、ハンガリー狂詩曲が代表作だったという話を聞いたことがあります。他にといったら、トランスクリプションをとんでもなく膨大にやらかしたという話になってしまったとか。。。
誤解されてきた作曲家っていっぱいいますよね。それでも今やリストは評価が正当になされている方なのかもしれない。

蛇足ですが、私が最初に読んだ音楽の本(詳細は忘れましたが)にはショパンのことを“ポーランド生まれのフランスの作曲家”てなことが書いてありました。
間違いではないのでしょうが、なんかひどく間違っているような気がする。。。
“マズルカ”や“ポロネーズ”なんて、阿倍仲麻呂の“三笠の山に出でし月かも”と同じ心境だったのかなぁなんて思ったりして。。。

この表記について、みなさんはどう思われますか?

リスト没後120年特集 (その15 愛の夢第3番)

2006年12月15日 00時37分14秒 | ピアノ関連
★la nuit
                  (演奏:ホアキン・アチューカロ 1998年録音)

ホアキン・アチューカロはスペインのベテランピアニストで、お顔立ちからもいい歳の重ね方をしたピアニストだということがわかるような、味わい深い演奏をされる方です。
ピアニストでステキでおしゃれなおじさま特集をしたら、高順位に顔を出すに相違ありません。
ここでは夜にちなんだ小品を集めて演奏しておられます。
ショパンのノクターンはもちろん、ドビュッシーの“月の光”などスタンダードもありますが、ボロディン、ガーシュイン、イリンスキーなどの珍しいレパートリーもあり盛りだくさんです。

とにかくこの“愛の夢”はおしゃれなことこのうえない。
じっくりではあるけれども重くなくファンタジーに溢れ、これまでの人生経験で如何にロマンチックに生きていることが素晴らしいかを、とことん教えてあげようというムードに包まれています。
ボレットのときのように、サビでは若干音符を足しているようでこれもオシャレ。
明らかにオヤジやおじさんでなくておじさま、いや“オジサマ”による音楽であります。
それにしてもこの一枚。。。男が聞いても惚れるねぃっ!

★アンコール!
                  (演奏:田部 京子 1994年録音)

このころの田部京子さんはクラシック音楽界にあって、しっとりとさわやかに、しかしはっきりとその存在意義を示していたように思われます。あたかも沢口靖子が「澪つくし」でデビューしたようなといってわかる人がどれくらいいるか疑問ですが、私にはそう思えるんだから許してつかーさい。

その理由は、あくまでも曲の求めるものに従って演奏をしていたからだと思います。曲に向かって「あなたはこんな風に弾いて欲しいんですか?」と問いかけながら弾いているような。。。

翻って今の田部さんは「田部京子が弾いている」という刻印を、強く曲に施そうとしているように思います。
シューベルトのソナタ録音でも、確かに新しいものほど整って完成度は断然高くなっていくんだけど、逆に田部さんの「こうなんだ!」という声は聞こえても、曲そのものの声によって語らせなくなってしまったというか。。。

でも、ここでの“愛の夢”はまさに愛の夢。
美しい女性には“こう弾いてもらいたい”っていう演奏がまさに展開されていて、とっても幸せになれます。曲にお伺いをたてながら、というか曲と会話しながら楚々として聴き手に届けられるこの演奏はイチオシかもしれません。

他にもリスト編曲の“歌の翼に S547(メンデルスゾーン)”“夕星の歌 S444(ワーグナー)”が収録されていて、それぞれとても詩情豊かに奏でられていますです。

★ウゴルスキ・ピアノ・リサイタル 左手のための2つの小品 他
                  (演奏:アナトール・ウゴルスキ  1994年録音)


とつぜんムサいおじさんが出てきたなぁ。
タイトルにあるようにポプリ集なんだけど、案外マトモというかすごくロマンチック。

肝心の“愛の夢”ですが、じっくりと濃密に弾き進められます。最初の旋律からしてくっきり濃い目です。中間部、盛り上がりを見せるものの決して声高に音を鳴らさない。。。バスの音をたっぷり鳴らしてそのうえにさりげなく愛の歌を乗せて高まっていきます。そして再現部の歌も、じっくりと言葉を選んだモノローグ。。。

この一枚にもドビュッシーの月の光が入っていますが、文字通りとっても静謐な展開で傾聴させられました。シューマンの“トロイメライ”もまさに夢の中を辿っているような、文字通り夢見るような演奏。スクリャービンは、やはりこの方が入れ込んでいるだけあって、ロマンを溢れさせながらも普遍的な美しさを引き出していて好演です。ピアノの音色も美しいし。

このおじさん、その気になれば案外マトモに弾けるんだ。。。
シューベルトの“さすらい人幻想曲”のディスクでは、本人が大好きといっていたわりに随分デフォルメされてたんで。。。  

クラウディオ・アラウのショパン演奏

2006年12月14日 00時22分59秒 | ピアノ関連
★アラウ・プレイズ・ショパン
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)
1.スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
2.スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
3.バラード 第1番 ト短調 作品23
4.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
5.即興曲 第1番 変イ長調 作品29
6.即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36
7.即興曲 第3番 変ト長調 作品51
                  (1952年録音)

今回はクラウディオ・アラウの1950年代~60年台初頭のショパンのディスクを紹介します。
アラウはご存知のように、1960年代半ばから晩年に至るまでフィリップスに多くの録音を残しており、そのうちには名演の誉れ高いものも数知れず。。。
もちろん、私とて、今残された活動の記録を紐解くときには、まずフィリップスのディスクの中から探すのが普通だと思います。なんといっても、モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・シューマン・ショパン・リスト・ブラームス・ドビュッシーと主要な録音がアラウ・エディションとしてまとめられており、独墺系のレパートリーであればほとんどアラウの演奏で聴けるのではないかと思われるほどに充実したライブラリーなのですから。

しかし、敢えてその前のEMIなどに録音した音源をご紹介するのは、単に“SJester”がひねくれものだから。。。ではありません。
フィリップスに移籍後の演奏が、最早“押しも押されぬ大家”(日本での知名度は別にして)としてのそれであり、とにかくどっしり構えて、えもいわれぬ色気のある音色・フレージングを使いつつもときおり武骨に力技を「むん!!」と決めるというようなイメージがあるのに対して、このころの演奏は、磐石の足腰でありながら小股の切れ上がった機敏さが先ほどの音色・フレージングと相俟ってとにかく素晴らしいのです。

もちろん音質はそれなりで時折ピアノの音が“まんまる”に聞こえたり、割れてしまっていたり、モノラル録音だったりしますが、聴き取るべきものが音楽の中身であるならばショパンの演奏が好きな人ならきっとその演奏にひとつの頂点を感じ取ることができるでしょう。

さてこのディスクですが、すべて超名演。私の中では“殿堂入り”って感じです。
技術的に安定しているなんてものじゃなく、技術が凄すぎてそれを話題にすることも忘れ、とにかく音楽の内容のことにしか注意が行かないぐらい自然です。

後年のフィリップスへの録音では、ことにスケルツォなどは晩年間際の録音であったこともありちょいともたつくところ(アラウだから気になる程度)がありますが、それと比すると淡々と弾いているようでいて、フレーズの歌い口などほんの微妙にニュアンス付けするとかごく自然に隠し味が施されており、聴き手の緊張感を一切高めることなく曲のあるがままを興味深く伝えてくれています。

バラード第1番も、私はミケランジェリのそれと並んで最高の演奏に数えられるものだと位置づけています。後年のフィリップスのディスクも名演ですが、この演奏の前では「霞む」といっていいほど素晴らしい。

舟歌から即興曲も磐石の左手の伴奏の上に、えもいわれぬフレージングが縦横に飛び交い、先ほども述べたようにこちらをとにかくリラックスさせた状態で、楽しみを満喫させてくれるといった演奏です。

とにかくあらゆる工夫をされていながら、それらをやりすぎていないなかで充足させてしまうというのは実は結構大変なことではないかと思います。本盤はそれが完全に実現されていることで、アラウの数ある所有ディスクの中で最も感銘を受けたディスクです。

★ショパン;練習曲集
                   (演奏:クラウディオ・アラウ)

1.12の練習曲 作品10
2.12の練習曲 作品25
3.3つの新しい練習曲
                   (1956年録音)

このころのアラウの手にかかると、弾きたい曲が弾きたいように弾けてしまったのではないでしょうか?
ここでもどの曲もあわてず騒がずですが、1音たりとも揺るがせにせず磐石の構えで最後まで聴きとおさせてくれます。これらの曲が、技術的に困難さを伴う練習曲という性格を持っていることは、一瞬たりとも念頭に浮かぶことはありません。それぐらい弾けちゃっていると思います。
例えば作品10-6などは、このテンポでこれだけの詩情を溢れさせて演奏する人を他に知りません。作品25-1(エオリアンハープ)の歌いくち。作品25-10、作品25-11(木枯らし)の迫力など、それぞれの曲にそれぞれ聴き所がありますが、これらが白眉の一部かなとも思います。

しかし、この録音はちょっといただけませんなぁ。。。
翌年に演奏・録音ともに名盤の誉れ高い、ミケランジェリ/グラチスの“ラヴェルのト長調コンチェルト”をものにしたEMIの録音陣であれば、「もうちょっと何とかならんかったんかい!」ですね。それとも、テープの保管状況がいまいちだったのかしらん。
まぁ、文句を言っても仕方ないこと。
長らくお蔵入りだった音源を“忘れじのショパン名演奏”ということで廉価で再発してくれたことには大感謝です!!(^^)v

★ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番、幻想曲 ほか
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)

1.ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58
2.ショパン:幻想曲 ヘ短調 作品49
3.ウェーバー:ピアノ小協奏曲 ヘ短調 作品79
4.メンデルスゾーン:アンダンテとロンド・カプリチオーソ 作品14
                  (1962年録音 ショパンのみ)

アラウで残されたショパンのソナタ唯一の演奏です。これも長らくEMIでお蔵入りだったようですが、近年とうとう復刻されて私は喜んでいます。EMIさんありがとう。

アラウの演奏が過渡期に入ったように思います。美しい音色ではありますが、全体の構成を重厚長大に移しつつあるような、そんな時期の録音ではないでしょうか。でもまだ決して重すぎはしません。

第1楽章はじっくりと歌い、展開部の弱音の綾などはとことんまで味わいつくしているかのように感じられます。この演奏に関しては、通常演奏されているものと若干異なる異稿によるものと思われ、主題提示部の最後の音の配列が変わっています。この後にサハロフとルイサダがこの稿に拠っているので、アラウの勝手な改変ではないと思います。
第2楽章は、やはり後年の兆候が少し現れており、走り回る走句は軽妙ですが、ユニゾンから“じゃじゃじゃぁーん”と決めるところは横綱相撲ですな。
第3楽章、最初ペダルを控えめにしながらバスの音とか前打音の音色・ニュアンス巧みに進行していきます。やはり尋常でない集中力を発揮して、ピアノの響きをコントロールしていくさまは大家の技だと思いました。
第4楽章でもアラウの集中力は途切れません。じっくりしたテンポで、やはりひとつひとつの身振りに重みを与えるようにアラウ自身が意識して演奏していることが感じられます。とはいえ右手の走句は左手が持っている手綱を放したら、どこまでも走っていってしまいそうなほどの勢いと身軽さがあります。最後の最後まで、抜群の安定感で連れまわしてくれて、ゴールに着いた。。。という感じで終了。
アラウ60歳を前にしての演奏ですが、まだまだ闊達に指は動くものの徐々に重厚路線に移って、良くも悪くも枯れていくというタイミングでの録音だったと思います。

そしてこのディスクは、結果的にショパンのソナタ演奏史の中で特別な位置を占める一枚になりえているのではないでしょうか。
現に、アラウ自身がこの曲についてはフィリップスに遂に再録音しませんでしたから。それなりの満足感を得られているのではないかと思います。

フィリップスでは再度ショパンの大半の曲を録音しておりますが、そのなかでもノクターン全集は独特の妖しい色香が漂うというか、艶っぽい演奏で世評も高いようです。うちでもクラシック音楽に厳しいかみさんご用達となっています。これは極めて珍しいことです。
他の演奏家と比較した場合、相対的には重厚ですが、ときおり指を立てて鍵盤を押しているのかツメが当たる音みたいなのも聞こえ、それもなにか色気に通じているように思われなくもありません。単に演奏ノイズなんですけどね。。。
私もこれが名演として広く親しまれているのは不思議ではないと思ってますですよ。

70年代にはバラード全集も録音してくれています。
そしてその中の第4番が私の大のお気に入りだったのですが、“ショパンの旅路 Ⅴ”で高橋多佳子さんがさらにインプレッシブな演奏を届けてくれて、それに感動して (中略) 現在に至るわけです。

最後にアラウの略歴を。。。
アラウはチリに生まれ、幼児のころピアノ教師だった母親が生徒へレッスンしているのを横で見ているうちにとんでもなく上手に弾けるようになり、ドイツに渡ってリストの弟子の名教師クラウゼに師事。そのクラウゼに「私の最高傑作になる」と言わせるほどだったそうです。クラウゼ死後も自分の師はクラウゼしかいないということで自分で研鑽を積み、神童から中堅になる際に苦労をしたものの、それを乗り越えた後は亡くなるまで第一線のピアニストとして大活躍した人であります。
基本的にはドイツのピアニストと考えていいと思われ、ベートーヴェンやリストなどの独墺系のレパートリーを得意としているということになっていますが、ショパンも自他共に認めるレパートリーの中核でした。
(ただ決してラフマニノフ等には手を付けない、どころか嫌悪していたようです。)
そんなわけで、日本ではどっちつかずのハンパモンみたいな感じのイメージが勝手に出来てしまっていたようです。欧米での人気に比して、我が国で相応にブレイクしたのは随分遅かったと言われています。でも、晩年はどこよりも持ち上げられているようにも思われますので、通算でチャラかな。
どっちにしても、私には世間の評価云々は関係ないのでどっちでもいいんですが。。。

あらためてお名前をハンドルネームに使わせていただいていることに感謝します。
アラウさん、ありがとう!!

リスト没後120年特集 (その14 忘れられたロマンス)

2006年12月13日 00時35分51秒 | 器楽・室内楽関連
★リスト:晩年の作品集
             (演奏:ジョス・ファン・インマゼール(hp)、セルゲイ・イストミン(vc))
1.夜 Sz.699(1866) 
2.墓場の子守歌(エレジー第1番) Sz.195a(1874) 
3.子守歌 Sz.198(1881) 
4.エレジー第2番 Sz.131(1877) 
5.灰色の雲 Sz.199(1881)
6.忘れられたロマンス Sz.132(1880) 
7.リヒャルト・ヴァーグナーの墓に Sz.202(1883) 
8.尼僧院の僧房(ノンネンヴェルトの僧房) Sz.382(1883) 
9.執拗なチャールダーシュ Sz.225-2(1884) 
10.別れ Sz.251(1885) 
11.悲しみのゴンドラ Sz.134(1885) 
12.凶星!(不運) Sz.208(1886)
                  (2004年録音)

今回はチェロ入りの曲が混じってます。
時代楽器を使った演奏で、インマゼールは19世紀末の2台のエラールのピアノを使い分けているそうです。イストミンは18世紀末のチェロということらしい。。。
とにかくこの微細なニュアンスときたらもう。。。現代楽器では表現できない(その代わり現代楽器のほうがずっと安定した音色が出ると思うけど)世界が目の前に現れてぞくぞくします。
古楽器ってあまり得意じゃないけど、この演奏には引きずり込まれてしまいました。
演奏というより「余韻」に、です。

また“灰色の雲”がとんでもなく不穏な曲であることもこの演奏を聴くと明らかになります。弾いている楽器の音色からして不安定なんだから、それはそれはゾクッとしたものになります。それを計算して作曲したリストも、期待通りに再現したインマゼールもグッジョブです。
現代ピアノで演奏するとどうも頭が勝ってしまったような演奏が多い(それを目指して演奏しているからだと思いますが)ように思われますが、リストが表現しようとしたのは、何も“未来音楽の嚆矢”という理屈を体現したというだけではなく、聞いた実感としてなんとも言えないすわりの悪い不安感を惹起させる、なおかつ耳に不自然でない音楽だったのではないでしょうか。この感覚は発見です。インマゼールあっぱれ!

冒頭、じっくり演奏される“夜”の和声で雰囲気が下準備された後、適宜チェロ曲がの間にピアノ独奏曲が挿まれるという“展覧会の絵”のような構成であり、これもアイデア賞もの。最後の“凶星!”でふっと途切れるように終わる。。。
うーん、いいプログラムだなぁ~。
寒々とした中に、ほんのりと人肌のぬくもりをという気分の時には最高かもしれません。

★《エレジー》
                  (演奏:キム・カシュカシャン(va)、ロバート・レヴィン(hp))

1.ブリテン:ラクリメ 作品48
2.ヴォーン・ウィリアムス:ロマンス
3.カーター:エレジー
4.グラズノフ:エレジー 作品44
5.リスト:忘れられたロマンス
6.コダーイ:アダージョ
7.ヴュータン:エレジー 作品30
                  (1985年録音)
ヴィオラの第一人者であるキム・カシュカシャンの佳作アルバムです。
全曲の曲名を敢えて書いたのも、その全体の出来が素晴らしいからにほかなりません。
タイトルどおりそれぞれの作曲家によるしんみりした曲が並べられていますが、よくもまあこんないい曲ばっかり探し当てたものだと感心してしまいました。昼下がりの公園のベンチで穏やかな日差しを浴びて、何をみやるともなく物思いしているようなアンニュイな気分がいっぱいです。
もう少しさみしい雰囲気かもしれませんが。。。
“なくした恋の傷あとでものぞいてるのかしら?”っていう感じかなぁ~。

ECMレーベルの初期の名録音ですよね。
レーベル・プロデューサーのアイヒャーが狙っていた効果がわかります。
このころって、ウィンダム・ヒルとかはやってたころですよね。そういえば、“環境音楽”っていう言葉、どこいっちゃったんだろう?
ジャズにせよクラシックにせよ、変に新しい味付けを施そうとしなかったこのレーベルのほうが、奇を衒っていない分だけ息が長かったということなでしょうか?
いずれにしてもウィンダム・ヒルはアッカーマンを失ったのが痛かった。。。

かたやECMは今やピアニストではシフ、ヴァイオリニストではクレーメルをも抱える一大勢力。
卓抜な企画と優秀な録音、なによりアーチストを含む制作者全員の丁寧な作品作りが今の隆盛を築いたに相違ありません。

この作品は、その礎を固める中心的な石のひとつでありました。

★忘れられたロマンス
             (演奏:スティーブン・イッサーリス(vc)、スティーヴン・ハフ(pf))

1.リスト:忘れられたロマンス S132
2.グリーグ:チェロ・ソナタ イ短調 作品36
3.リスト:エレジー 第1番 S130
4.リスト:エレジー 第2番 S131
5.A.ルビンシテイン:チェロ・ソナタ 第1番 ニ長調 作品18
6.リスト:尼僧院の僧坊 S382
7.リスト:悲しみのゴンドラ S134
                  (1994年録音)
こいつも切ない。。。
イッサーリスは時代楽器ではありませんが、ガット弦を使用していることで有名ですよね。
だからいきなり大迫力にはなりませんが、さっき時代楽器を聴いちゃったから。。。
朗々と言っていいかわかりませんが、スケールは随分と大きくなりました。でも、音が安定した分、さっきと違ってもっとひんやりした感触は伝わってきます。音色はあったかいんですけどねぇ。

A.ルビンシテインのソナタだけが唯一明るい光彩を放っていますが、後は概ね孤独な心情を吐露したような作品。
そんな中、“尼僧院の僧坊”はなぜか水辺をイメージします。特に、ピアノの音がきらきら輝くさまは照り返してくる光という感じでしょうか。
ハフのそれは暮れかかった磯の岩場で、少し離れたところにいる人がもう黒いシルエットにしか見えないぐらいにとっぷりしてきた最後の残照の照り返しっていう感じかなぁ。
先ほどのインマゼールは、もう少し早い時間の川の瀬に照り返した光っていう感じ。

でも、どの録音を通してもリスト晩年の寂しさみたいなものがありますが、チェロ(カシュカシャンはヴィオラ)で演奏されることでものすごく救われている。
チェロの持つ人肌の温かさ。。。
リストでなくとも、恋しくなるときがありますよね。

リスト没後120年特集 (その13 小品集ほか2)

2006年12月12日 00時06分17秒 | ピアノ関連
★マルク‐アンドレ・アムラン・プレイズ・リスト
                  (演奏:マルク‐アンドレ・アムラン 1996年録音)

本日は爆演・快(怪)演特集。今日は曲名紹介も省略。難しいこといわずに楽しみましょう。
なにせ相手はその楽曲が“聖歌のように始まりサーカスのように終わる”と謳われたリスト大先生なんだから、何でもありざんしょ!
ちなみに、シフラ大先生は聴いたことありますがもってません。ケマル・ゲキチのを持ってたはずなんだけどぉ・・・出てこない。。。「うぇ~ん(泣)」という状況を最初にお断りしておきます。

で、アムランですがとにかくうまい!
この人のことは、今さらとやかく説明するこたぁないでしょう。
“ハンガリー狂詩曲第2番”にせよ、自前のカデンツァまで引っさげてとことん楽しませてくれます。
私がアムランで始めて手に入れたのがこのディスクでした。
エンターティナーぶりがサイコーで“大当たりぃ~!”と思った記憶があります。
ホントに“ため息”なんかでの技術たるや。。。他の誰もこんな風には弾けないでしょうね。
けたたましいのを涼しい顔して弾いちゃうのも、なおすごいけど。。。

★リスト・リサイタル
                   (演奏:ツィモン・バルト 1988年録音)


ジャケットを見ると、クラシックというよりフュージョン界の・・・みたいな風貌。
で、演奏がこれまた「大変な曲をたいへんに弾いています!」という風に聴こえる。
最初の“マゼッパ”からカマシてくれてますねぇ。
“葬送曲”も重厚なんだかそうじゃないのかわかんないような出だしで始まるくせに、中間部なんか戦車部隊の総攻撃の突進って感じの畳みかけを聴かせてくれます。とにかくもの凄い迫力!
“ペトラルカのソネット”も104番なんて曲が違ってるのかと思ってしまいました。。。
この曲を畳み掛けるとは、おぬし何者?
123番になると、こんどはやたらめったら静謐にじぃ~~~っくりと弾かれる。。。
このディスクで最も普通であり、出色なのが“コンソレーション第3番”です。さりげなく、この“にーちゃんピアニスト”のセンシティブなハートを伝えてくれています。
最後はお約束どおり、“ハンガリー狂詩曲第2番”。これも、最後引っぱって、引っぱって、もっと引っぱって大団円につなげています。
今日のギグも盛り上がったぜ!!

バルトには今はどうだか知りませんが、このころはピアノが面白いおもちゃだったのではないでしょうか?派手な曲はバスの音を有効に膨らましながら、大仰に作っていくし、“夕べの調べ”や“ペトラルカのソネット123番”などは、オモシロい音色の作り方をして誠実な若者を演じています。聴かせ上手というには意見が分かれるかもしれませんが、いろんな表現の引き出しを持った人だなあと思いました。
でも、ピアノからオーケストラの響きを出そうとしたと伝えられるリスト先生の演奏をするに当たっては望ましい心構えかもしれません。腕は確かなのですから。。。

“コンソレーション第3番”がやはり心に残りますねぇ。
先般のEMIからでたコンピレーション・アルバム“ベスト・ピアノ100”に選ばれたのも当然でありましょう。

★クズミン・プレイズ・リスト
                  (演奏:クズミン 1992年録音)


こいつもハデに聞かせることにかけちゃあ、人後に落ちないヤローですなぁ。
しかも一本調子でない。。。けたたましく鳴らす中にも、コントロールが効いています。
主たる音はガンガンいってるのに同じとき高音域で密やかに音が添えられていたり、メロディーを歌う音の弾き出されかたが鮮やかであったり、ホントに密やかなところは密やかに弾けちゃったりしたり、華やかに聴かせるツボは外すことがありません。
とことん聴かせ上手であります。この点ではバルト兄より数段場数を踏んでるプロフェッショナルって感じはします。

“ドン・ファンの回想”からもうトップギアで、聴いててため息の世界。聞きほれるしかありません。
“ラ・カンパネラ”も全然難しい曲じゃないみたい。。。
こんな奴もいるんだなぁと感服するものの、どうして知る人ぞ知るという存在なんだろう。。。
それに「このディスクなんかジャケットが「絵」じゃん!? 写真もねーのか? こんな絵なら写真のほうがナンボかましだろ!?」と思って、ライナーを見たらリストとチャイコフスキーの協奏曲のディスクが宣伝してあって、そのジャケットに写真が出ていました。合理的な写真の掲載のしかたではあるけれども。。。おい、こいつ革ジャンきてるじゃん!?

やはり実力にもかかわらずいまいちブレイクできないのは、我が国では、著名人たるにはある程度謙虚さが求められるからなんでしょうか?
クズミンは相当の自信家でもあるようです。そりゃぁ、こんな演奏が出来れば「自信なんてナンボでも持てるわぃ」って言うのもよーく分かりますが。。。

ライナーに記してある彼のコメントを紹介しておきましょう。なるほど、すげー自信だ!!!

  “Written by the Devil Himself.
    Played by…
     Just Listen…“
                   Leonid Kuzmin

モーツァルト忌の雑感

2006年12月11日 00時00分01秒 | 高橋多佳子さん
12月5日に八王子の市民会館で行われた平成18年度人権週間行事の一環で、高橋多佳子さんのトーク&コンサートがあったので、勤労感謝の日に勤労した代休をとって行ってきました。

薄い緑のドレスで現れた多佳子さんはいつもながらステキでしたが、登場するなりおもむろに1曲目“バッハ:主よ人の望みの喜びよ”を演奏されました。
昨年の12月8日に新潟県三条市で初めて多佳子さんのコンサートに行ったときと同じスタート。“うーん、懐かしい”ってあれからまだ1年しか経ってないんですよね。ずっと昔の出来事のように今では思えてしまう。。。
あいかわらずコラール部分のテノール旋律などでは、なんと表現していいかわからない素晴らしい音色で。。。
最初、ピアノがオンボロ(失礼!)に見えたので大丈夫かいなと思っていましたが、「いい音するじゃん、このピアノ」という印象に早変わり。いい音といいうよりも、普段CDで聴いている高橋多佳子の音に結構近いのではないかと思った次第。
反射音がほとんど来ない位置にいたこともあるかも。

続いてはモーツァルトのトルコ行進曲。先般のコンサートでもアンコールで聞いたけれど、軽やかでとても気安く聴けました。そう、とてもこの日はリラックスして幸せそうに弾いておられたのが印象的。
アウトリーチ活動で学校に行ったとき、子供に一番人気の曲だそうな。。。

そして幻想即興曲。これも、軽井沢で聴いたときより力の抜けた演奏でよかったような。。。
左足を「だん!」と踏み込むような弾き方もそれほど大袈裟でなかったし、ピアノのコンディションやいろんな条件にもよるんでしょうね。
左手の六連符のバスがとってもノリを感じさせて、その音色がまた麗しいものでウットリ。
もちろん右手も雄弁に旋律を綴っていく。。。例えばオクターブと内声をバラバラ弾きながら旋律線をたどっていくところ(味気ない言い方だなぁ)で、楽譜上は繰り返しの部分はアクセントが小指側に来てスタッカートで弾くように記譜してあるはずなのですが、ここのスタッカートにした加減、その音を作るためのスパイスのさじ加減が極めて絶妙でいつもクラッと来ちゃうんですね。もちろんこの日もステキでした。
中間部のあま~~い旋律は、歌う歌う。もう再現部手前最後の旋律のリフレインなんか、音色から何から万感の思いがこもっていて満足!

展覧会の絵からの抜粋も、最良の意味で気楽に弾かれたのではないでしょうか。弾くことを楽しむことを目標に弾いた結果、イキイキした時間が創り出せたっていう感じ。感動の瞬間はいっぱいあったのですが、今回はキエフの大門でのロシア聖教のコラールが2度、遠く近く聴こえる場面で、多佳子さんは曲の解説で「分かるように弾く!」と言われていたのですが、ホントによく判りました。もちろんこの曲は多くの方の演奏で聴いているうちにも、この部分があることは知っているはずだったのですが「そうかぁ。こんな祈りの節だったのかぁ~。」とまた新しい気付きがあってとても嬉しい思いになりました。
こういうことがあると、他の誰の演奏を聴いてもまた違って聞こえるようになるんだよねぇ。
“展覧会の絵”はここんとこ多佳子さんのばっかり聴いてるから、これまでのお得意さんだったキーシン君の演奏でもまた聴いてみようかなっと。

アンコールは“ラ・カンパネラ”。これもリラックスした好演でした。多佳子さんがリストを弾くと、いつも会場が唖然としてうなっちゃんだよねぇ。
わたしの隣にいたタオルを首にかけたおじさんも身を乗り出して聴いてました。
さすが、リスト先生。グールドに“最小限の労力で最大の演奏効果”といわせしめた作曲家の一人でいらっしゃる。。。そーは言っても難しいんだろうケド。

会社休んで行った甲斐があったどころか、大収穫、大満足のリサイタルでした。

なんでまた、多佳子さんがこの催しにと思ったのですが、インタビューでポーランドの生活を10年されていてアウシュビッツを目の当たりにされていたり、アウトリーチ活動で学校訪問されているなど旬の人権の話題と近いということだったのかなと。。。

しかし、ポーランドが日本のことをそんなに親しく感じていたなんて知らなかった。“ロシアという大きな森を挟んだお隣どおし”なんていい表現じゃないですか。日本もポーランドのことをもっと知らないといけないなと思いました。

ただ最もオモシロかった多佳子さんの話は、バーバ・ヤガーの説明で森に住んでいて“箒でなく臼みたいなのに乗った魔女“といわれたこと。その瞬間に、ばいきんまんを想像してしまったのですが、私のほうがおかしいのでしょうか?
あの円盤は、どう見ても“臼型”だと思いますが、いかがでしょう。。。
(どきんちゃんのは“薄型”って。。。)

その後は「博士の愛した数式」の映画を見ました。
映画というとすぐウルウル来ちゃうので、二階席の一番奥に避難して見ました。普通は見ないんですけどね。入れ込んじゃった自分を後から自己嫌悪するので。。。
でもこれは、“大感動っ!”てんじゃなくて、じんわりと伝わるものが途方もなく多くあるというスタイルの映画だったので、とても私にはありがたかったですね。
人権の集会にピッタリの内容だったと思うし。

来年も同じようにやってほしいもんです。


映画では、“オイラーの公式(eiπ + 1 = 0 ←iとπは乗数:うまく記載できずすみません)”が“博士の愛した数式”で、これは3つの無関係な数字に1を加えると0になる極めて美しい真実であるということが共通認識になっていました。
登場人物の誰がeで誰が1なのかはハッキリしませんが、多様な理解をすることが出来るおもわせぶりな設定だと思いました。これはこれで考えさせられるのでよいのかなと。

ただ、公式の内容はさっぱりわかりませんねぇ。帰ってから“Wikipedia”なんか見たら余計何のことだかわかんなくなっちゃいました。

ところでLed Zeppelinは私にとってのロックのカリスマ中のカリスマですが、そのアルバムの1枚目で衝撃的なデビューを果たして、2枚目は人気うなぎのぼりの中でツアー中の勢いを借りて制作され、3枚目はアコースティックな曲を多く録れていろいろ物議をかもして人気はあるけれども今いち評価が定まらないところがありました。全部性格の違うアルバムだったので。。。

★レッド・ツェッペリンⅡ
                  (演奏:レッド・ツェッペリン)


“胸いっぱいの愛を”“ハートブレイカー”などが有名なセカンド。私もペイジをコピーするためにレスポールを手に入れた一人です。上手くなりませんでしたけれど。ペイジの味を出そうと思うと、上手くなれないような気がする。。。
あっ、決してペイジのせいではありません。ヘタなのは私が悪いんです。(^^)v


ところがそこに一般に“Ⅳ”と呼ばれているタイトルなしの、じーさんの絵がジャケットにあるアルバムが発表されるや、それまでの作品・活動全部ひっくるめて歴史に残る偉大なバンドになってしまいました。美しい。。。
3枚目までであれば、単に色んなことをやろうとしたバンドという感じだったのでしょうが、4枚目が先ほどの公式で言う“1”の役割を果たしたに違いありません。そこから先は、最早何をやっても偉大なバンドということになりました。

★“             ”
                  (演奏:レッド・ツェッペリン)


先ほど書いたように、タイトルなしがほんとなのでカッコだけにしました。(^^)/
数学の話が出たので、空集合の記号にでもしてやろうかと思いましたが...

“ブラック・ドッグ”“ロックンロール”そして“天国への階段”が収められているこの一枚は無敵ですな。
どれだけこれらのギターのリフを弾いたかわかりません。天国の階段もアコギでギターソロが出るまで弾いて、エレキに持ち代えてソロから先をカセットに合わせて弾いたりしてたなぁ~。いろいろやったけど、我が青春のというとこのへんかなぁ。。。(もちろん彼らの解散後ですけど)
アルバムとして一番好きなのは、この先の“フィジカル・グラフィティ”ですけどネ。

そういえばこのアルバム発表時に、この後メンバー4人それぞれの象徴となるシンボル(マーク)が初めて出てきたのですが、この4人がそろって初めてZeppelinだったんだと思います。完全な公式みたいなもんかな。そういう意味ではボンゾの急死は残念でした。

4枚目といえば同様の例は、長渕剛さんにも当てはまると思います。
デビューから3作は注目は集めましたがいまいち決め手に欠き、4枚目の“乾杯”が発表されたことですべての楽曲が良くなったですね。これはなにも私が最初に言ったことではなく、評論家の富澤一誠さんが仰っていたことです。私もまったく同感です。
これもエラくコピーして歌ったなぁ。。。

4枚目でブレイクしたって言い出したらTOTOだってそうでしょうね。

ここまで書き上げて3つのことを思ったのですが、ひとつ目はケージの“4分33秒”を高橋多佳子さんが“弾いた”ら、ここでどのようにコメントしたらよいかということ。ツェッペリンの4枚目のタイトルの記載をする際にふと思いついてしまった。。。

もうひとつは、この記事のカテゴリーをなんにしようかということ。
切迫した問題です。多分“高橋多佳子さん関連”にすると思いますが、適切かどうかは判断できません。。。

最後は、私の愛する数式  →  “摂取カロリー数” > “消費カロリー数”

タイトルをご覧になって記事を読み始め、もしここまで読み通した方がいらっしゃったなら、最大級の敬意を表します。ありがとうございましたっ!! (^^)v

イリーナ・メジューエワさんのリサイタル

2006年12月10日 01時20分45秒 | イヴェント
12月5日に新宿の四谷区民ホールでイリーナ・メジューエワさんのリサイタルを聴きました。
財団法人新宿文化・国際交流財団の主催で、モーツァルト生誕250周年記念の「モーツァルト・ピアノソナタ全曲演奏会」の一環で7番手としてのご登場ということのようです。
ちなみに、前回はパウル・グルダで次回はジャン・フィリップ・コラールだって。。。
新宿区ってすごいのねぇ~~。
これこれ、“コラールのリサイタルは来年なのに250周年?”とかいうツッコミは入れないように!

さて、以前このブログでも“ロシアの姫君”としてメジューエワさんのロシアの小品集を取り上げました。私にとっては、それこそ高橋多佳子さんを知る前からずっと聴いていた人なわけですから、初めて実演に触れるに際してとても期待して出かけたものです。
彼女のモーツァルト演奏はデンオン時代にあったのを覚えており、それは良くも悪くも“しっかりした演奏”でした。

果たして今回の演奏会でも同じ感想を持つことになりました。
それも数段スケールアップして。。。

ステージに現れた彼女を見てまず驚いたことは、思っていたよりずっと背が高いこと!
“でけぇぇ~!”って感じ。
ジャケットの写真などから想像していたイリーナちゃんではありませんでした。
ジャケ写からは“可憐で華奢な女性が驚くべき精神力を発揮してる”と勝手に思い込んでいたのですが。。。
一瞬面食らったものの、逆に外見上からも立派な芸術家の風貌で現れたことで、より本格的な演奏が望めそうだと期待が高まった私。

これは私だけの感覚かもしれませんが、歩き方がやや猫背であることと表情(特に眼つき)が、タワレコ渋谷で見たときのポリーニにそっくり。これは徹底的に充実した演奏会が始まるぞと、さらにテンションがあがる私。。。
そして、昨今のCDジャケットがそうであるように、衣装もドレスから髪どめまで黒一色で纏め上げられていました。これだけでポリシーが貫かれている清々しさを感じました。
また演奏中が始まったのちは、ときおり左手を巻き取るような形で鍵盤から離すしぐさがみられ、それは洗練された作法に則っているようであり、女性ならではの繊細さもあり美しい弾きぶりだと見入っていたものです。

そこから弾き出される音楽そのものはとても、とても素晴らしく充実したものでした。
技術的に鍛え上げられているのはもちろんのこと、出てくる音はやはり硬質で深い。駆使される音色も多様だし音楽の適切な表情付けに貢献しています。これで楽曲のフレーズのひとつひとつが整った構成のうちに細部まできれいに彫琢されているのです。
特にモーツァルトもJ.C.バッハも奏法としてはスケールがしっかり弾けないといけないのでしょうが、本当に整った粒立ちの音できちんと弾かれているのに驚きました。更に、メジューエワさんにしかない高音域での“ロックグラスに氷が当たるような”というか、どことなくチェレスタを思わせるようなクリスタルな輝く音質が、結構多用されていて、より美しい演奏に仕立て上げられるのに貢献していたと思います。

プログラム中では、やはり後期の作品ニ長調・変ロ長調のソナタが特に私がなじんでいることもあって興味深く聴くことができました。出だしから独特な雰囲気の場を瞬時に作って、かつて聴いたことがないテンポ・特徴的な解釈で弾き進められました。
彼女は表現上思い切ってある箇所を強調することがたびたびあり、大きな効果を感じるときと“えっ”と戸惑うときがあったりします。今回の演奏中も随所にそれが見られたのですが、不自然さはまったく感じませんでした。逆にそう弾かれていることで、かけがえのない個性的な演奏として強く印象に残っています。
特に中間楽章の集中力は比類がなく、ことのほかじっくりと精神力を持続し、最後まで緊張感を失わない演奏。こっちもつられて息を詰めてじっと聴き入り、楽章終了したら思わす深呼吸しちゃったほど。。。

結果、私には彼女の希求する音楽がどんなものかが感覚的につかめたし、演奏はそれを真に体現されたものと信じられる出来映えだったと思います。
期待通りの奏楽に“スゴイ”と思いました。その意味では満足したし、最大級のブラヴォーを送りたいと思います。(^^)v

ただ一方で気になる点があったのも事実。またまたおせっかいに他なりませんが。。。

それは、彼女は何者かに縛られてしまっているようであったこと。
“何者か”とは彼女自身が作った神様のようなものにも思えます。彼女の演奏の内外を問わず、あらゆる表情、黒一色のいでたち、楽譜への固執、そして何より紡ぎ出される(というより抉り出される)音そのものがそう感じさせるのです。
彼女がピアニストになっていなかったら修道女になっていたというのにもうなずけます。ピアノを弾くということが彼女にとって身を削るような献身であるということに他ならず、その時点で彼女が主体的に弾いているというより、何者かに弾かされているように聴こえることと言い換えることができるかもしれません。
献身する相手が“作曲家”なのか“聴衆”なのか、それとも(彼女が楽譜の向こうにいると思っている)“彼女自身の中にいる神様”に対すものかもわかりませんが。。。

さて、メジューエワさんは楽譜を必ず見て弾きます。また、ご本人によるその理由を解題とする文章がプログラムにありました。要約すると、「作曲家が死んでしまっている以上、すべては楽譜の中にあるのであって自分の頭や心の中にあるのではない。作曲家の意図を確認しながら弾くのだ」というのです。
しかし、私が見たところ“楽譜を見る”などという生易しいものでなく、“凝視する”といった風情でした。もちろん彼女は間違いなく暗譜しているにもかかわらずです。アンコールにいたるまで(!)すべて楽譜を見、そのアンコールのロンドで譜めくりが誤ってめくったところを慌てて自分で戻すといった徹底ぶり。尋常ではないものを感じました。いくら人前とはいえアンコールはアフター・アワーズであり、リラックスして聴衆とともに楽しみながら演奏するものであるという感覚を私自身は持っていましたので。。。

楽譜を通した向こうにはきっと、御簾越しに作曲家の姿をした彼女が作った神様がいるのではないでしょうか。御簾越しなので凝視せざるを得ない。そしてその神様が、そこは優美にとか厳しくとかというご託宣をテレパシーで告げるとおりに彼女は演奏をしているといった感じがします。
彼女は極めて献身的かつ忠実にそれを現実に弾き表していくのだけれど、それでは彼女の解釈であって彼女の解釈ではない、喜びを表現していても彼女はただ誠実に尽くしているのであって喜んでいないというふうにどうしても思えてしまう。
しかも、彼女の楽譜の向こうにいるモーツァルト(例の神様が変身しているかもしれないが)はえてして“結構ストイックなんじゃないかなぁ~”とも思えてしまう。

ところで、同じ日に八王子で高橋多佳子さんの演奏とインタビューを含むトークを聞いてきました。その中で、「伝えたい心がまずあって、技術はその手段。心がなければ意味がない」と極めて明瞭に言い切っておられました。ファンとしては「再確認した」というくらい当然のことと受け止められるご発言ですが。。。

もちろん私は、多佳子さんも楽譜をとても大切にしていることを知っています。
例えば、いくつもの版がある場合どれを選ぶか尋ねたときに、経験に照らして動物的勘みたいなものを働かせて最良のものを選んでいると答えておられます。その作業だって膨大な時間も手間もかかるに違いありません。
また作曲家の意図をよりよい形で聴衆に提供するために、ラフマニノフの楽譜は彼の2種の出版譜から切り貼りして(ホロヴィッツ版は作曲家了解のもと手が加わっているがそれとは異なり、彼の選んだ音符を変えない形で)独自の版を作って演奏したりしておられます。
そしてその奏楽からは、自発性に富んだいきいきした表情があふれている。感情表現が自然といったら良いのでしょうか?自分の心に一度反映させて、作曲家の意図をあくまでも自分の責任で音に変換しているからなのではないでしょうか?

翻ってメジューエワさんは、神様の意図を再現しているのでどうしてもそこがちょっと客観的なのかな、と。
その代わり、彼女はどんな困難な箇所があっても神様がいるから精神的に屈強です。暗譜が真っ白になる危険がないという程度の安心ではないと思います。楽譜の中の真実(と思っている)を忠実にトレースすることこそが為すべきことと考えておられるからこそ、いつでも“しっかりした演奏”が出来るのです。
彼女は聴衆の前で弾くというのは最も大事な機会だと言っておられ、それは真実の言葉だと思います。ただ彼女はそれは聴衆がいるとかいないとかにかかわらず、常に楽譜の向こうの神様に忠実に振舞っているのであって、その儀式をするについて聴衆がいようがいまいがコンセントレーションを左右されることはない、というような強さを持っている。。。
そもそも、そんなメジューエワさんにはその神様がついているからこそ、演奏できるのかもしれません。

言いたいことは、ときにはメジューエワさんの心のままの演奏を聴きたいということ。
メジューエワさんの演奏するときの心は、神様の声に忠実にという気持ちでいっぱいだと思うのです。
心から楽しんでいると感じられる奏楽が聴かれれば、特にモーツァルトの場合にはさらにもっと感動的な演奏になるように思われます。

もっとも、それは彼女が望むスタイルではないかもしれません。家では息抜き(この人はピアノを弾いたら息抜きできないかも)で、気ままにピアノを爪弾く(orハデな曲を弾き倒す)ことも実はあるのかもしれません。
今回のリサイタルでは、かねてストイックなものを彼女に感じてきて、それを愛でるファンのひとりとしては大満足でしたが、楽譜を見る見ないにかかわらずご自身の心のままを聴かせていただくことをもまたファンとして熱望したいという思うわけです。

それが証拠に、先のロシア小品集やメトネルの楽曲はむしろ、神様が「君のロシアへの思いに忠実に弾きなさい」と指示していると思われる素直な弾きぶり。彼女の声として心に届きます。

メジューエワさんが得意とする作曲家のひとり、ベートーヴェンも「心より出でて心に届かんことを」と言ってるぐらいなのですから、作曲家の意図を重視しつつ自分の心のうちを聴かせてもらえるような奏楽をも、メジューエワさんには期待したいですねぇ。おじさんとしては。。。

さて、コンサート当日ショパンの24の前奏曲のディスクが手に入ったので、デンオンのメトネル作品集以降のメジューエワさんのディスコグラフィーはすべて揃いました。
サイン会でそのことをご本人に告げたところ、横のマネージャーさん(?)に大声でお礼を言われてしまった。。。
演奏が素晴らしかったとお伝えしたとき喜ばれたけれど、そのときははにかんだようにしていらっしゃいましたねぇ。
その中で「特にお気に入りです(にこっ)!」ということで以下の2枚にサインをお願いしたら、いずれにもとても丁寧に書いてくださって感激しました。
ホントに真面目で控えめなお人柄という印象については想像していたとおりでした。
これからも注目して、応援していきたいですねぇ。

★メトネル・アルバム
                  (演奏:イリーナ・メジューエワ)

1.ピアノ・ソナタト短調 作品22
2.忘れられた調べ 作品40
3.牧歌ソナタト長調 作品56
                  (2002年録音)
彼女のメトネルのアルバムの中では、プログラム上も一番バランスの取れたものではないかと思います。
この作曲家は最初聞くと、「なーに、たらたらやってるんだ。。。」みたいに思えてしまうのですが、ずっと聴いていくとその全体の世界の中でいろんな心象風景が表現されているのが分かって、その世界に遊ぶことを楽しむべしというようなタイプの作曲家だと思います。
たしかにいろんな形式とかに則っていますが、私にはそれは余り重要なことであるようには思えません。
その意味でイメージ的にはシューベルトに近いように感じます。彼ほど深刻ではないですが。。。
そのシューベルトには一発で聴き手を引き込む旋律と転調の妙、和声の工夫があるのでたらたらの繰り返しの世界に行っても、夢の中であったり心象風景の中に遊ぶことは比較的容易ですが(弾いてるほうは余程入れ込まないと大変でしょうけど)、メトネルにはそこまで強烈な特徴は感じられません。したがって、弾き手がそこを音価・音色の妙で補ってやる必要があるのですが、その点メジューエワさんは先ほどまでに述べたような独特の音色(高域のクリスタルの音色もここぞで聴かれます)で、この世界に慣れ親しんだ住人として案内してくれます。
それでも《夜の嵐》ソナタの盤などは、ちょっとまだとらえどころのない曲のように思われたりするのですが。。。

あと、ジャケットのドレスに彩度があるのがいい!(^^)/
ロシア小曲集の衣装も限りなく黒に近い紺だと思うけれど、ありゃ黒のうち。。。
色のない世界から、お姫様を救ってやりたい。。。
白馬だと色がないから、橙色の馬に乗って・・・  やめときます。

★ショパン:スケルツォ(全4曲)
                  (演奏:イリーナ・メジューエワ)

1.スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
2.スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39
3.即興曲 第1番 変イ長調 作品29
4.スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
5.スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54
6.夜想曲(第20番)嬰ハ短調(遺作)
                  (2002年録音)

これは以前にも触れた録音です。ポリーニのそれにも比肩すべき私にとってのスケルツォの名演集。
即興曲第1番の名演も忘れるわけにはいきません。
この盤ではメジューエワさんの独特な強調・アクセントが結構頻繁に現れるのですが、それが作品の激しさを音量とか騒ぎ立てるというオプションを選択しないで表すための、重要な役割を担っており結果として大成功を収めているように思います。
曲順も、プログラムもよく考えられていますね。
ともあれ、いくらピアノが弾けるといっても異国の地で一人で暮らしてということになると、やはり相当の心の強さが求められたのだろうと思いますが、彼女はそれをも強さにかえてしまったようです。

そういえば、外国に留学した演奏家って名のある方なら殆どといえるぐらいですよねぇ。
みんな悩んで大きくなったんですね。

それにしても、このうえなく崇高な“異教徒の儀式”でした。ただならぬ尊崇の念を抱きました。
ちなみに日本語にもご堪能なメジューエワさんですが、ステージ上ではついに一言も発せられませんでした。
いつも出向いている高橋多佳子さんのリサイタルとはここでも対照的ですな!
今ではどっちが主流かわかりませんが。。。

リスト没後120年特集 (その12 小品集ほか1)

2006年12月09日 00時44分02秒 | ピアノ関連
★リスト・リサイタル
                  (演奏:リーリャ・ジルベルシュテイン)
1.2つの伝説
2.6つのコンソレーション(慰め)
3.BACHの主題による幻想曲とフーガ
4.バラード 第2番 ロ短調
5.4つの忘れられたワルツ 第1番 嬰ヘ長調
6.即興曲(夜想曲) 嬰ヘ長調
                  (1995年録音)

清々しくもとてもスケールの大きな演奏をする、とても好感度の高いピアニスト、ジルベルシュテイン。
このディスクも私にとっては、決して外すことの出来ないもののひとつです。
とりわけ“コンソレーション”については、全曲を通してこれほどの温かみと強い集中力を湛えた演奏を他に知りません。もちろん3番もじっくりしたテンポで左手はどこまでも静謐に、右手はこの上なく慈愛に満ち溢れた音色ながらくっきりと歌い、癒されるという以上に(タイトルどおり)慰められる演奏です。
これをご紹介できたことは、この特集の白眉のひとつと信じています。

“2つの伝説”も特筆もの。それぞれの聖フランチェスコが見事に弾き分けられているし、他の曲も申し分のない演奏であり、これ以上の説明は無用に思います。
あとは聴いていただければ分かる、と。

★リスト・ピアノ作品集 「ラ・カンパネッラ」
                  (演奏:小山 実稚恵)

1.パガニーニによる第練習曲集より第3番 「ラ・カンパネッラ」
2.巡礼の年 第3年より 第4曲 「エステ荘の噴水」
3.巡礼の年 第2年「イタリア」より 第5曲 「ペトラルカのソネット104番」
4.ウィーンの夜会より 第6番(第1版)
5.超絶技巧練習曲集より 第11番 「夕べの調べ」
6.4つの忘れられたワルツより 第1番 嬰ヘ長調
7.ハンガリー狂詩曲 第2番
8.夜想曲「夢の中に」
9.超絶技巧練習曲集より 第5曲 「鬼火」
10.メフィスト・ワルツ第1番 「村の居酒屋の踊り」
                  (1995年録音)

我が国で人気の高いリストの小品といえば、ほぼここにある曲で網羅されてしまうのではないでしょうか? 
そんな意味でもとてもお買い得だと思ったこのディスク。(^^)v
ただここに愛の夢第3番がないのは、これ以前のポプリ集で録音されているからではなかったかとは思いますが。。。収録時間のせいかな?

しかし、これも随分と前のディスクになってしまいました。
これが発表されたころ私は長崎に住んでいて、福岡のナディアパークでの小山さんのリサイタルをかみさんと長女と一緒に聴きました。その時分の最新盤だったのに。。。
95年10月10日付けのサインはそのときのものです。そのとき1歳の長女は握手もしていただきましたけど、その後あまりあやかることはできなかったなぁ。

当時の小山さんは新進から中堅へなろうかという途上だったと思います。リストを中心にしたプログラムでしたが、ラフマニノフの前奏曲とかもあったような。。。
エステ荘の噴水がとても生気に溢れたフレッシュな演奏であったことは、よーく覚えていますけど。
全般に極めて安定感のある演奏だったということと、演奏前に実に優雅な身振りで中空の一点をずっと見つめて集中されていた様子が印象に残っています。
他の細かいことは忘れちゃいましたが、とても素晴らしかったとの記憶はありますです。

その後は、横山幸雄さん・有森博さんの子供向けのリサイタルに行ったことを除いて、昨年の高橋多佳子さんのリサイタルではじけちゃうまで実演に触れる機会がなかったのは、子供を連れて聴きに行くと、夫婦のどっちかが犠牲になっちゃうから。。。
もちろん子供がゴネれば、子供の選択によりかみさんが泣くことになってしまうのですが。
また、かつては私一人だけで聴きに行こうと思わなかったため、「わざわざそこまでの思いをして・・・」という気持ちになってしまっていたのでした。

さてさて、このディスクの演奏はとにかくフレッシュです。清潔だし。。。
これが出た当時は、正直やや薄味だという第一印象を持ったような気がしますが、今聴くとやはり小山さんは我々の世代の旗手の一人という感を新たにします。ホントに私の感覚にフィットする演奏だと(今では)思えるのです。
もちろん現在の彼女であればもっと深みも、味わいも表現できるのかもしれませんが、このころの彼女ならではの新鮮味は、それはそれで貴重で価値あるものだと思います。
久しぶりに聴いてみて、とても楽しいひとときが過ごせました。
最新盤のシューベルトなどと比べると曲の性格の違いもあるとは思いますが、無邪気さ、天真爛漫さに溢れていることがとても印象的です。

これ以前に出た小山さんのシューマンのディスク評に“コンピューター世代の演奏”というものがあって、そのときはネガティブなイメージで捉えられていたものだと思います。
今振り返れば、それはそのときの彼女の演奏が“次世代の演奏流儀の萌芽”であったということの裏返しでもあったのだと思えます。
もちろんその演奏自体、現在に至るまで進化も深化も遂げていることもあるでしょうが、かつての演奏スタイルの延長線上に確立された今の彼女の世界は、時代を代表するポジティブな意味での“コンピューター世代の演奏”にほかならないのではないでしょうか?
これからも私たちの世代を中心にシンパシーを感じることが出来る活動をされ、ディスクも出し続けてくれるに違いありません。
とても楽しみです。

★リスト:超絶技巧練習曲集全曲
                  (演奏:横山 幸雄)

1.超絶技巧練習曲集全曲
                  (1998年録音)

私にとって“超絶技巧練習曲集”は“鬼火”と“夕べの調べ”の2曲以外は、残念ながら魅力的なものと思われないのです。確かに演奏効果は凄いと思いますけれど。。。
またその“鬼火”とて、音楽性ということになるとそれほどの深みがあるとも思えないくらいで。。。
現にアシュケナージ(名演!)もキーシンも野島稔さんも、全曲ではなく抜粋でしか録音してません。そうそう、上の小山さんのだってそうでしょ!
したがって唯一、全曲を飽きさせずに聴かせてくれるこの横山幸雄さんのディスクのみ紹介させていただければ済んじゃうのではないかと。

これは名高いヴォルフ・エリクソンのプロデュースで、彼が演奏者として横山さんを指名したと聞いています。そして、エリクソンの思惑通りにピアニストのヴィルトゥオジティが縦横に発揮されたこの上ない快演が展開されているのです。
多分誰もこのように弾けないのではないか、と思われるほどの鮮やかさで、初めて聴いたときは唖然としました。アジアの若い男性ピアニストについては、大抵の場合私のやっかみが入るので評が辛口になるのですが、こればかりは諸手を挙げて礼賛したものです。
切れ味の鋭さはいうまでもなく、件の“夕べの調べ”も深刻にならず、ほのぼのとした程よい味わいでゆったりと聴けました。テクニックの凄さを武器に、あくまでも華麗に、切迫感なく、ゆとりすら感じさせる安心感に溢れた演奏でキメてもらえたのが勝因だと思います。

横山さん自身も当時、この曲集を若いうちに録音出来てよかったようなことを仰っていましたが、彼の文句なしの最高作だと思います。これほどまでに、このころの彼にピッタリのレパートリーは他になかったのではないかと、エリクソンの卓見に舌を巻くばかりです。

ところで、先に書いたとおり横山さんは正確無比のテクニックを誇っています。
でも、彼の“音色”は美しく必要な箇所では迫力もあるけれど、実は“私”には何故か深みを感じ取ることができにくいタイプなのです。したがって、出来上がった音楽もきれいではあるのですが、表面的に聴こえてしまうことがある。だからこそ、この曲集が胃にもたれないように弾き上げられている。。。そんな気もします。

彼のコンサートにも家族で行って聴いていますが、そのときも私は凄いテクニックと思いつつも、やはりそのような食い足りなさを感じました。しかし、かみさんはとても感激してファンになりました。そんなこんなで、サインをもらったことは言うまでもありません。このディスクが出る以前、ショパンのディスクなのですが。。。

というわけで、実は1990年のショパコンでは、後に私たち夫婦がそれぞれにファンになる邦人演奏家2名が入賞していたということになります。もちろん、もうお一人は高橋多佳子さんです。
この年に、かつて高校の同級生だった私たち夫婦が、久しぶりに再会し交流を再開したんじゃなかったかなぁ。インネンかもしれません。

その前回(1985年)では小山さんが入賞し、この次の回(1995年)では現在デュオ・グレースとして高橋多佳子さんとユニットを結成されている“理香りん”さんこと宮谷理香さんが入賞しているわけですよねぇ。
私たち世代の邦人ショパコン入賞者には、夫婦ともども随分お世話になっているものだと再確認した次第であります。

入賞されたみなさんと輩出してくれたショパンコンクールにお礼を言わなければいけませんね。
いつもお世話になりありがとうございます。 今後ともよろしくお願いいたします。(^^)/
って、リストの特集じゃなかったっけ!?

リスト没後120年特集 (その11 ロ短調ソナタ編8)

2006年12月08日 22時57分29秒 | ピアノ関連
★リスト・ピアノ・ソナタ/愛の夢/他
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調  S.178
2.ヴァルス・アンプロンプチュ S.213(即興的円舞曲)
3.愛の夢 ―3つの夜想曲 S.541
4.半音階的大ガロップ S.219
                  (1982年録音 ベヒシュタイン・モデルEN―280使用)

“ロ短調ソナタ編”、しんがりは鬼籍に入ってしまわれたこの方々から。

ボレットは19世紀のグランド・マナーを身につけた最後のヴィルトゥオーゾなどと呼ばれておりましたが、主にベヒシュタインを使って非常にスケールが大きく懐も深い、かといってあんまり深刻にならないとても聴きやすいピアニストでした。そのように肩がこらないとはいえ、超本格派であるところがまた凄い!!
晩年にリスト作品集をまとめて録音し多くの著名な作品が遺されましたが、企画としては他にも予定があったとのこと。まぁ、これだけでも録音できててよかったと思うしかありませんけれども。
ちなみにこの“ロ短調ソナタ”が初演されたときハンス・フォン・ビューローが弾いたピアノこそ、開業2年目のベヒシュタイン製のピアノであったそうであります。

さて、私のようにクラシック音楽の専門教育を受けていないものからすると、昨今の演奏家は、“楽譜至上”というか“楽譜の奴隷”のように見えてしまうことがあります。
もとよりそれを否定や非難しているわけではありませんが、次に紹介するボレットの発言など今時どのように受け入れられるのであろうかと、非常に興味深く思っていたりします。

曰く、(意訳です)
リストはとても多忙だった。リストの作品にリスト以上に長く接することができている私には、リストが何を言おうとしているのかが分かる。だから、彼が慌てていたため書き漏らしてしまった音などを足して弾いてあげるのだ。

ボレットは楽譜に対して時として大胆に振舞うことがあります。先の話のように和音に音を足すことはもちろん、削ってしまうこともあるようです。
“ロ短調ソナタ”中でも私が気がつくだけでも何箇所か、他のディスクにない和音の構成音が増えていると気付くところがあります。
また、最後の和音が3回鳴るはずのところが2回しか鳴りません。
その合理的な理由はわかりませんが。。。シロートには結構どうでもいいことです。

このような彼の演奏からはとてもおおらかで気品にあふれた、やや語弊があるかもしれませんがメロウな“ロ短調ソナタ”を聴くことができます。
(でも、スピード感に乗っているし、弛緩した演奏ではありません。)
聴くたびに優雅で楽しい気分を味わうことが出来るため、私には大変に好ましいものに思えます。
そんな風に意図的に楽譜に手を加えることを不遜と見るか、愛着とみるか。。。
今の風潮だと、問題外・論評に値せずという感じになりはしないかと思ってしまうのですが。。。
とにかく、この曲をこんなに安心して聴かせてくれてしまう彼のテクニックが、凄すぎるぐらいに凄いからこそ気にならないのではないでしょうか?
文字通り他にはない、かけがえのない演奏であります。 

フィルアップの“愛の夢”も、インティメートでロマンチックさに気品があって大好き(!)です。
殊に第3番。。。
この曲の中間部のクライマックスなど音符足しまくり(♪)で凄くファンタスティックですよ。
音符を足した効果につき、ここならきっと誰が聴いても納得いただけると思います。

★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.メフィスト・ワルツ第1番
3.愛の夢 第3番
4.ウィリアムテルの礼拝堂:巡礼の年 第1年 スイスより
                  (1989年録音)

故クラウディオ・アラウもリストを得意としたピアニストです。
フィリプスで録れたリストの集大成のセットも持っていますが、そこには1970年録音の“ロ短調ソナタ”が入っています。
そこではまさにバリバリの演奏が聴かれますが、ここでのアラウは枯れています。
実は、ヘタしたらこの演奏はクラウディオ・アラウのものだからありがたいだけなのではないか、私には残念ながらそんなふうに思えてしまうものです。
確かに世の批評家の方が仰るように、“音楽の本質のみが鳴っている”とか言われればそのとおりかもしれません。威厳も確かに感じられます。
しかし、やっぱりこの曲にはノー・エクスキューズで聴いたらばもう少し運動性能があったほうがよいのではないでしょうか。
その意味では旧の演奏のほうが、アラウの闊達にして味わい深い演奏が楽しめるように思われます。
当盤では、最後の“ウィリアムテルの礼拝堂”の荘重さが出色であり、ここにこそアラウの志の高さや気高さが自然に現れ出でているのではないかと思われます。

なお、この企画自体の冒頭で紹介した小品集のすばらしさは、ここでももう一度アラウの功績として言及しておきたいと思います。
やはり、この点からもアラウの最盛期は50年代から70年代にかけてではないか?
晩年、ようやく我が国でも真価が認められた大巨匠ではありますが、少なくとも技巧的に指がもつれそうな楽曲の演奏については、それ以前が旬だった。。。そう思われます。
“ロ短調ソナタ”新盤も含め、晩年の演奏は凄いのではなく“尊い”といったほうが私にはぴんと来ます。
こんどはアラウ特集をしようかな!

★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 / 演奏会用パラフレーズ / オーベルマンの谷
                  (演奏:エマニュエル・アックス)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.演奏会用パラフレーズ
3.オーベルマンの谷 巡礼の年 第1年 スイス より

アックスって、本当はとてつもなく凄いピアニストだと思うのです。
ヨーヨー・マとかとの室内楽の伴奏の名手っていうイメージがありますが、このリストの“ロ短調ソナタ”なんて一瞬も弛緩することなく聴かせきってしまうその力量たるや。。。
スケール・迫力・構成力ともに申し分なく、中庸の解釈といえると思いますが平凡でない!
とにかく、揺ぎ無い安定感のうちに堰を切ったように走り抜けるかと思えば、旋律をスタッカート・テヌートを駆使して強調してみたり、この効果のためにペダルを使うのだといわんばかりの模範的なよく分かる演奏。

ただ最後のクライマックスでは、高音を連打するところもインテンポで駆け抜けてしまう。。。
他の人はみんなそこで2度見得を切ってから上り詰めていくのになんでだろう?
その後の盛り上がりは迫力満点で申し分ありませんけれど。
それでもこの人で聞くと、宴会の中締めで安易な3本締めではなく、十分に盛り上げたうえで1本締めを決めたのだと感じられる、そんな説得力をもっているところがまたスゴイ。
余白の3曲もとっても味わい深くてステキなディスクです。

私がオジさんになったからには・・・

2006年12月07日 01時28分41秒 | J-POP
森高千里さんは、私にとって忘れられない“アイドル”の一人です。

ただ“森高ランド”や“非実力派宣言”といった一連の流れの中の彼女はプロデュースのされかたに問題があったと思っており、彼女のせいではありませんが、あまり好感をもつことはできなかったですねぇ。
あんなにもイキイキした人間らしい彼女を、着せ替え人形か、子供向けの超合金ロボのようなまったく生活臭のないオモチャ扱いして。。。個人的には残念でたまりませんでした。

では、いつ、彼女のどこに惹かれたかというと、もう20年近く前になるのでしょうか。。。タモリさんがやっていた「今夜は最高」という番組のCMに出ていたときです。
それはPIONEERの宣伝でしたが、少なくとも彼女がブレイクするより前でした。
ドラムセットに座っている彼女が、おもむろにスネアかシンバルかを叩いて画面は躍動的になるような内容だったと思います。
その一瞬で「誰だっ!?」と閃き、画面右下隅に出ていた「森高千里」の名前をインプットした瞬間のトキメキは今でも容易に思い出せます。
漢字もカンタンだし。。。すぐ覚わりました。
まだ少女だった彼女の、繰り出したスネア一発の切れ味にマイッた状態になった私。
こんなこと言ってるくらいだから、まだマイッているのでしょう。
ホントに“なつかCM”とかでもう一度見られないかなぁ~。。。

冒頭の“ステップ・バイ・ステップ”というアルバムのジャケ裏でドラムセットを前にした彼女の写真を拝むことが出来ます。

ずいぶんと大物になってしまわれた後なので、CMで感じたであろう初々しさなどは後退していると思いますが、そうはいってもやはり素敵であります。
それ以前のアルバムジャケットで麗しいオミアシを露出していたころも、全然そういったことには関心が向かわず、なぜか彼女に関してはその新鮮さというか瑞々しさというか生身の人間の姿を求めておりました。
このアルバムのころになって、ようやく“商品”から“人間”になってくれたのかなぁと思えて嬉しかったのを覚えています。

ビールの宣伝で“♪ のもぉ~・・・”と歌われるサビが一日中テレビから出まくっていた“気分爽快”という曲で始まり、なかなかバンドサウンドとしてもオモシロい曲が収められていますよ。
わけても私が最も共感できるのはザ・ビートルズの“エヴリィバディズ・ガット・サムシング・トゥ・ハイド・エクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー”のカヴァーであります。
もちろん本家のジョンのように“ノリのよさで勝負!”とは行かないですが、学生時代にバンドでドラムスを叩いていたという経歴を知ってみると、本当に憧れの曲をかっこよくやってみたいという純粋な気持ちが感じられてとてもほのぼのさせられます。
「よかったね(^^)/」みたいな。
バンドのメンバーも腕達者がそろっているし、彼女も楽しかったのではないでしょうか。。。

彼女にはご承知のとおり自らが作詞した“私がオバさんになっても”という代表曲がありますが、私がオジさんになったからには彼女とても小娘ではいられますまい。
幸いご夫君といっしょにカレーの宣伝かなんかに出ておられるのを見て、私は勝手に引き続きほのぼのした気分になっていますし、彼女もお幸せそうに見えるのでなによりであります。

今でも彼女はドラムを叩いたりするんでしょうか?
彼女のプロパガンダな曲も、フリーキーなロックもこんなシステムで聴いたらおもしろいかなと思ったりします。

これで案外と素直な音がするんですよね。ルックスはかなりぶっ飛んでますけど。。。
「森高には合うぞ!」と感じます。

リスト没後120年特集 (その10 ロ短調ソナタ編7)

2006年12月06日 00時04分58秒 | ピアノ関連
★ラ・カンパネラ ~ ユンディ・リ / リスト・リサイタル
                  (演奏:ユンディ・リ)
1.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
2.ラ・カンパネラ (パガニーニの主題による大練習曲 S.566から)
3.献呈 S.566 (シューマン作曲/リスト編曲)
4.愛の夢 第3番 S.541
5.タランテラ (巡礼の年第2年補遺から)
6.リゴレット・パラフレーズ
                  (2002年録音)

クヤシイなぁ。。。
ユンディ・リってこのディスクしか聴いたことがないのですが、これが実に伸びやかで素晴らしい。
同胞(?)アジアからのショパコン優勝者でありそのこと自体は喜ばしい限りなのですが、巷で婦女子に人気がありすぎることが気に食わん!
個人的に確かにキムタクにも似てると思ってしまったから余計に邪念が入る。

「なら、もっとジャケ写の顔色考えてかっこよく撮ってやれよ!どうせ85年のBニンさんみたいなモンだろう。。。 彼も最初のショパン以外のディスクだったドビュッシーはよかったぞ!14曲しかいれなかったショパンのワルツ集では天才だと思ったけど、最近のBeArTonの24の前奏曲とかからは天才の面影ぐらいしか感じられなかった」ってな感じで完全アゲンストの姿勢で聴き臨みましたが、そりゃ今のアルゲリッチやポリーニのように聴き手の心が征服され蹂躙されるような破壊力はないものの、“若々しい”“健やか”“どこまでもしなやかで伸びやか”という重鎮たちにはない想いを抱かせられました。

やっぱり、ショパコン優勝者っていうのは何らかの華があるんでしょうね。
他の曲も本当に“しなやか”“伸びやか”っていう感じで。。。
私の苦手なシューマンの“献呈”にしても、シューマンの曲じゃないみたい。
脱帽です!!! 婦女子のみなさん、どうぞ勝手に騒いでください。

でも、ジェラっちゃうのは止めません!
内ジャケでピアノを弾いている写真が、ブルース・リーかジャッキー・チェンかというカンフーの使い手みたいな雰囲気であるのは微笑ましく好ましい!
どこまでもイヤラシクやっかんでやるのだぁ~!! (^^)/

しかし、この文章を公にすると、ユンディ君ファン、キムタクファン、Bニンさんファン、カンフーファンをすべて敵にまわすコトになるかも知れん。。。
これで後、ヨンさまファンを敵にまわしたら生きていけないかもしれない。。。
サルかに合戦のサル状態じゃぁぁぁ。なんとか挽回を図らねば!

オホン! 
ユンディ・リの天真爛漫な健やかさをもってすれば、きっとツィメルマンのように大成するのは間違いないと思っていますよ!
ツィメルマンもデビュー当初は、熱く詩情豊かではありましたが、ずっとイモっぽかったじゃないですか!それが今ではその良さをスポイルすることなく、あんなにスタイリッシュで私の最も敬愛するピアニストになってるわけですから!!! 
(いかんっ! ツィメルマンファンも敵に回したかも知れん。。。)

ショパコン優勝者の在り方はダン・タイ・ソンのような慎ましいのが望ましいと思います。
(これもダメっぽいなぁ・・・。)

そういえば、優勝者の後輩のブレハッチも独特な上品な繊細さで・・・
「書き方やめぃ!」と私の第六感が叫んでいるので中断いたします。。。

ユンディ・リ君とそのリストの演奏を褒めたこと以外は忘れてください。

★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 
                  (演奏:フセイン・セルメット)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
2.晩年の小品 9曲
                  (2000年録音 カワイ・コンサートグランドEX使用)

このブログを初めてすぐにラヴェルのディスクを紹介したセルメット。
ヤマハを使ったりここではカワイを使ったりと、ピアノの選択にこだわりを見せておられます。
スタインウェイでないと弾かないとか、ベーゼンやベヒシュタインの専属みたいな方もいらっしゃいますが、技巧的にもシチェルバコフとかと並んで最高のヴィルトゥオーゾである彼が、ピアノの表現力を曲に合わせて使い分けるのは考えてみれば当たり前でしょう。
ロックの世界でもストラト・テレキャス・レスポールと曲によって使い分けるのはよくあることだし。
ただピアノを一回のリサイタルで何台も弾き分けるのは余りピンときませんけれど。。。そこはどうしてもピアノに合ったレパートリーを組む、ということで対処するしかないでしょうけどね。

さて、本題に戻ってカワイのEX(EXって小林幸子さんのCMを思い出してしまった。。。)は、ややくすんだ音色でありながら妖しく底光りする正にこのリストのソナタにピッタリの音色。それを弾き出すピアニストも凄いんでしょうけれども。。。
何よりも凄いのが、音色を無限に使い分けるビミョーにしてゼツミョーなタッチ&ペダルワーク!!
冒頭の下降音階のテーマからハーフペダルの間に“揺らめく音”が007のような妖しい存在感をもっています。
演奏全体も確固たる構成がなされ、細部にも実に緻密な設計が施されているのは一聴すれば明らかです。こんなに微細な独特の図面が引かれた演奏は他にないかもしれません。そのうえ特筆すべきは、あらかじめ全体の構成上演出されているもののほかに、その場のノリ(感興?)で施されていると思われるホンのわずかなアクセントの置き方、音量・音色の変化で実に演奏をイキイキとしたものにしている点です。即興的にさえ思われる瞬間が少なくありません。
一例を挙げれば緩徐部分の後、フーガが続いて盛り上がっていくところのスリリングな進行は彼の演奏ならではのドラマチックな展開です。

ホールトーンを巧みに織り込んだ録音と、彼の演奏、ピアノの特性が見事に同じベクトルにマッチした技能賞もののディスクであり、個人的にもよく楽しむ演奏であります。

★ターマシュ・ヴァーシャーリ・プレイズ・ピアノ
                  (演奏:ターマシュ・ヴァーシャーリ)

1.ショパン:4つのバラード
2.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
                  (2003年録音)
ジャケットを見たときに、“年齢不詳だな、こいつ”と思いました。よく見るとやはりオヤジなのですが、若者に見えなくもない。
実は1933年生まれなので70歳のときの録音。

おじいさんじゃないか!!
昔から剣道をやっていた私は、年長者と見るとパブロフの犬のように敬ってしまう。。。

ヴァーシャーリ翁の演奏は基本的に快速テンポ、そしてちょっと前傾姿勢でつんのめった感じで突っ込むところと、溜めるところが絶妙。そのテの音楽用語では“アゴーギグ”っていうヤツだと思いますが、その施し方に老獪な旨味があります。
ペダルの使い方も独特で鍵盤上を掃くようなアルペジオを溶かしてみたり、浮き上がらせてみたり。。。
優しくなったり、べらんめぇになったり、決して人間業を越えていく瞬間はないですけれど、人間が持つ感情を表現する幅はこの世で積み重ねた時間を物語っていると思います。
愛すべき人間性には、オヤジの末席を汚すものとして憧れるものがあります。

そして、演奏には青年のようなさわやかで潔い側面もあります。
イメージ的には昔カミナリ族で鳴らしたオヤジが、少々枯れたとはいえ万感の想いを込めて新緑の山間(やまあい)の一本道をハーレーかBMWのバイクを悠然と駆っているという感じ。かつての仮面ライダーシリーズの“立花藤兵衛のような”といったらいいでしょうか?
どの一瞬一瞬にも新鮮な感覚を宿していて、「やれるだけのことをやって、生きているんだ」という雑草の逞しさみたいなものがあります。
そして、私が最も気に入ったのがその終わり方!
“アバヨ!”ってな感じで、思いを残しつつもこれだけさっぱりと消えていく最後にとてもすがすがしいものを感じました。

私が本郷猛ならきっとこう言います。
「おやっさん、若いねぇ! でも、まだまだこれからだ。頑張っておくれよ!!」

リスト没後120年特集 (その9 ロ短調ソナタ編6)

2006年12月05日 00時34分27秒 | ピアノ関連
★Liszt
                  (演奏:キャロライン・セイジマン)
1.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調  
2.オーベルマンの谷 巡礼の年 第1年(スイス)より
3.愛の夢 第3番
4.2つの伝説 第2曲 波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ
                  (2005年録音)

今回は、SACD(含むハイブリッド盤)で出ている比較的新進のピアニストの巻。

まずこの方はお若いのに落ち着きはらって、“大家”然とした演奏マナーを身につけておられますなぁ。
若いころ(今も若いだろうが・・・)アラウの弾くベートーヴェン“告別ソナタ”に触発されて研鑽し、この“ロ短調ソナタ”を何かの機会に演奏したときはアラウやペルルミュテールに比されたみたいなことがライナーに書いてあります。
確かに弱音で奏される旋律がクリアであったり静謐であったり変幻自在で、ひとつひとつのフレーズごとにしっかりと意味づけをしながら進めているという意図が見受けられるところなどから、それは感じられますなぁ。
そして音楽が勝手に走らない。たっぷりとした進行でゆとりを感じさせます。確かにアラウもそうでした。
併せて思いの深さも伝わってきますが、決して声高に叫ばない。進行の中で雄弁に語ってきます。むしろピアニシモが消え入りそうに思えて、こちらから聴きに行ったところ(特にオーベルマンの谷の中間部、尋常じゃなく集中された演奏です)を引き込まれてしまうといった風。
すべての秘密は”左手“が旋律を奏でるにしても、オクターブで低域を支えるにしても、最高の雰囲気を醸し出すいい仕事をしていることにあると思います。
そんな演奏を実現する最高に繊細な感性を持った女性が、まさに質実剛健に演奏した好盤です。
ブラボォ~~!
ここでは「けたたましく盛り上げてよ!リストなんだからぁ~!」という人はちょっと黙っててくださいネ。

ところで、お名前(姓:Sageman)の読み方が分からず“セイジマン”と書きましたが本当はどう読むか分かりません。途中ローマ字読みをしてしまって思わず赤面してしまいましたが、先に述べたように夢見がちな文学少女を思わせる“身持ちが堅そうな”かたなのでくれぐれも誤解なきよう!
誤解しかかったのは私だけかもしれませんが。。。輸入盤に日本語でフリガナを振れとも言えないし!

★シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17 ・ リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
                  (演奏:ペドロ・ブルメスター)

1.シューマン:幻想曲 ハ長調 作品17
2.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
                  (2005年録音)

このブルメスターというピアニストもこれまで全く知らなかったのですが、ポルトガルのトップピアニストとのことです。英ライナーを読んだ限りは私と(多分)同学年の人であり、20年来この2つの作品と作曲家には親近感を抱いてきたらしいです。
ディスク入手の理由は、どうも“アルゲリッチの肝煎りらしい”という未確認情報によります。それも、どこから情報を取ったかすら覚えていないぐらい未確認な情報でして。。。

演奏を聴いたとき、まずはシューマンのフレージングの間に得もいわれぬ風情があると思いました。私はどちらかというとシューマンの感情表現が苦手なのですが、珍しく当たりかなという感覚を抱きました。
そして“ロ短調ソナタ”ですが、これも明晰です。こうと思ったとおりに弾き進め、弾き切る。立派です。さすがに永年インティメートな付き合いをしてきた楽曲たちですね。本当に仲良しの“お友達”だからこそ、その良いところを上手に紹介することも可能なのでしょう。
ディスク制作の原点がこの親密さにあることは間違いありません。

この演奏を聴いたときに思ったのはフィギュアスケートの安藤美姫選手の演技に、国際スケート連盟のチンクアンタ会長が「安藤はまだ自分が美しいと信じていない」と語って、さらなる練習の必要性を説いたという話。。。
ブルメスターはハンパじゃない練習を積んで、自分の友達を「他に比類がない美しさにまで磨き上げた」という“揺るぎない自信”を手に入れたのだろうな、と思わされました。
そうでなければ、天才的ではあるけど、ただのノー天気で不遜極まりないヤツなのかもしれない。。。

何故なら彼の演奏はどんなに素晴らしくとも、件のアルゲリッチのように形而上学的世界にイッチャッテルとか、この世のものとも思われないという非日常的なものでは決してありません。
にもかかわらず、非常な説得力を持っている。。。
そうだとすれば演奏のどこかで、何かの理由で“ある種の謙虚さ”を欠いていると思うほかありません。

そんなことを考えていたら、ブレンデルがブルメスターを評した言葉を見つけました。
曰く、
彼は強い個性でもって自我を押し通し、聴衆を魅了する。彼の演奏には見事な創造性と完璧なテクニックが存在する。その知性と教養にただちに着目せざるをえない。
ですって。。。

なるほど、言わんとすることはよーく分かります。さすがはブレンデル!
ただ聴衆が個々に魅了されるかはどうでしょうか?
ビビッとくるかどうかはやはり相性としか言いようがないかもしれません。
そうは言っても、この演奏家を認めない人はいないに違いないというだけの凄みを確かに持った人ですね。
要注目の人がどんどん増えて困ります!

★リスト:ピアノ・ソナタロ短調、BACHの主題による幻想曲とフーガ、死の舞踏(P独奏版)
                  (演奏:マルクス・グロー)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
2.BACHの主題による幻想曲とフーガ S.529
3.死の舞踏 (リスト自身によるピアノ独奏編曲版)
                  (2004年録音 スタインウエイ使用)

このディスクはとんでもなくコメントしづらいディスクです。
正直に書きます。
“ロ短調ソナタ”は奏者グローによりとても鮮やかに弾き上げられています。迫力もあるように聞こえます。すみずみまで気持ちも行き届いているようです。決して単調でも退屈でもありません。楽曲の解釈も、“ここはこうであってほしい!”という普遍的にしてほぼ理想的な内容です。それを実現しているのですから、太鼓判を押してもよい技術の持ち主だと思われます。
そして他の2曲も本当にこの上なく鮮やかな手さばきで、とてつもない難所と思われるところも極めて安定しており、技術の冴えを見せるべきところでさえインテンポできっちり弾き抜けていくさまは思わず溜飲が下がる想いでした。。。

が、ほとんど心に迫ってこないのです!!!

SACDの余りに流麗な録音のせいだろうかと思って、CDモードでも聴きましたが同じでした。
我が家には5.1chで聴く設備がないので確かめられませんが、そのモードで聴いたときには目くるめくように思えるのかもしれませんが。。。
小学生が読書感想文を書くときに、「ぼくが、この本を読んで感じたのは・・・」に当てはめるものがどうしても見出せません。すべてが揃っているのにねぇ。。。
こんなに褒めて心の琴線に響かないというのは無責任かもしれませんが、これ以上説明できません。
ごめんなさい!

奏者のグローは、95年のエリザベート・コンクールの優勝者らしいです。
演奏の力量について“なるほど”と思う反面、煮え切らなさが残るディスクでありました。
我が国ではヴァイオリンの諏訪内さんと組んでのリサイタルが好評だったようですね。それは当然だろうと思えます。
そんなこんなで次回作に期待したいと思います。


今回SACDの特集でしたが、音はSACDのフォーマットで再生するよりも、エソテリックのX-50wのCD層の再生で聴くほうがことごとくよかったです。
確かにエソテリックはCD単体プレーヤーの完成形だと確信した次第ですが、他のSACD再生機種もフォーマットは上回っているわけだし、決して劣るとは思えないですけどねぇ。。。
単に私の音の好みのせいかなぁ~? ビミョーに複雑。。。

リスト没後120年特集 (その8 ロ短調ソナタ編5)

2006年12月04日 00時03分12秒 | ピアノ関連
★リスト:ダンテを読んで
                  (演奏:ミハイル・プレトニョフ)
1. 「巡礼の年」第2年イタリア~ダンテを読んで
2. 「2つの演奏会用練習曲」S145~小人の踊り
3. 「詩的で宗教的な調べ」S173~葬送
4. ピアノ・ソナタ ロ短調S178
                  (1997年録音)
今日は“本格派”の特集です。
ここで言う“本格派”とは、おおよそ「(当該演奏において)思いのたけを饒舌に主張したり外面的な演奏効果を狙うのではなく、オーソドックスな運びの中で“旨み”を内に閉じ込めたかのように感じられる奥深い演奏」をしている人ぐらいにご理解くださいませネ!
間違っても他の人が奇を衒っているとか、亜流であると言っている訳ではないので、くどいですが誤解のなきように。。。


さて、プレトニョフはプレトニェフと表記されることもありますが、ここではプレトニョフに統一させていただきます。

そのプレトニョフですが、“本格派”とか“正統派”というより“鬼才”などと称されるように、才気あふれるピアニストであるという認識が強いと思います。
なお先に“本格派とは?”と断ったのも、ことこの演奏についてはという縛りをはっきりさせたかったためでもあります。
彼がドイツ・グラモフォンに移籍して、ピアニストとして最初にリリースした“ショパンのロ短調ソナタ”ほかの演奏にはまさにその才気が横溢していて、きわめてユニークかつ巧妙に仕上げられていたので、耳に新鮮さが絶えることなくとても楽しませてもらいました。
しかし、えてしてその演出が逆に耳についてしまうときがあるのも事実です。
そのときは確信犯的に敢えて楽曲の本質を捻じ曲げ、知性を誇示しているような趣の奏楽に聴こえてしまうのです。
実は、こちらのバイオリズムによっているのかもしれませんが。。。
さりながら、その企てを完璧なテクニックで音に変換して届けてくれてしまうその実力には、いつでも恐れ入るしかないのですけれど。

ところが、この“リストのロ短調ソナタ”では彼の持てる知性・技術がすべて才気のほうではなく“王道”を行かせるものに作用していると思わせる仕上がりです。
なんといっても構成がしっかりしている。曲全体を俯瞰しても、どんなに細部を細かく区切っても、すべての音がその意味を与えられているかのように整然と配置されています。
そして、構成の意図をはっきりさせるため惜しみなく繰り出される“技”の数々の切れ味!
何ら、がなりたてることなく風格・品格・華麗さすべてが必要なだけ備え付けられているといった風情。
正に「これを“本格派”と言わずして何という!!」という解釈であり、演奏であります。恐れ入りました!
彼のカーネギーホール・コンサートのディスクでは、ショパンのスケルツォも演奏されていましたが、同じショパンでも曲を工夫して聴かせるというのではなく、自然にパワフルに盛り上げられていて好感が持てました。そのように、知性のベクトルが好ましいほうに向かったときには、もともと技は抜群なヒトですから当代随一といってなんら差し支えない凄いピアニストであると思います。
本人が“世界一のピアニスト”と自称しているぐらいですから、きっと間違いありません。
あんたが大将!!

★リスト:ソナタ、バラードとポロネーズ
                  (演奏:スティーヴン・ハフ)

1.メランコリックなポロネーズ ハ短調 S223-1
2.ポロネーズ 第2番 ホ長調 S223-2
3.バラード 第1番 変ニ長調 S170
4.バラード 第2番 ロ短調 S171
5.子守歌 S174 (初稿)
6.ピアノ・ソナタ ロ短調 S178
                  (1999年録音)

ハイペリオンでの録音を中心に、とても充実したディスクをコンスタントに届けてくれているハフにも、“ロ短調ソナタ”の録音があります。
いつもながらとても美しい音を操って、そのフレージングには時として我を忘れてうっとりさせられてしまいます。まさに現代を代表するピアニストの一人と言えましょう。

テクニックに関して人後に落ちないこのヒトに、リストはまさにうってつけのレパートリーであり、事実ディスクも何種類も出ているようです。私の手許には2枚組みのりストの曲集もありますが、快刀乱麻を断つテクニックの冴えで、聴き手の耳を楽しませてくれるすばらしいディスクになっています。

前置きの曲は“バラード第2番”を除き無名ですが、十全なテクニックで曲が本来内包している詩情を充分に聞かせてくれるので、楽しめないところはありません。
そして“ロ短調ソナタ”ですが、やや無骨な“子守歌”に続き現れます。

演奏は慌てず騒がず、とはいえ時として必要なだけの音はちゃんと轟かせて弾き進められます。しっかりと特徴付けられ弾き分けられたいくつもの旋律が綾なすさまはしつけの行き届いた貴族の趣を感じさせ、クライマックスに向かう壮麗さはこのヒトならではのものがあります。
“本格派”度合いは、品格ある美にとことんこだわった“侯爵”の演奏みたいという感じでしょうか。
それは、品性が自ずと内面からあふれ出たものではなく、絶えず意識して実践した“規律ある振舞いの賜物”なんじゃないかと思わせられることから感じるんですけれど。
徹頭徹尾ヒロイックであることに徹しているこの演奏からは、もしかしてこのピアニストが付き合いにくい人間かもしれないと思わせられるほどでした。
「美しくないものは見たくも、触れたくもないよ」と言われるんじゃないかという気が。。。


★野島稔・プレイズ・リスト
                  (演奏:野島 稔)

1.メフィスト・ワルツ第1番
2.ラ・カンパネラ (鐘)
3.夕べの調べ
4.鬼火
5.ピアノ・ソナタ ロ短調
                  (1986年録音)

我が国の第一人者、野島稔さんの演奏です。この録音から20年経っているんですねぇ。。。
実はクラシックのCDで最初に買ったディスクはこれです。理由は「録音がいい」と評判だったからです。
私が読んでいた雑誌の中に、当時はまだ(地方都市には)余り普及していなかった“輸入盤”扱いだったこのディスクについてコメントがあり、もちろん録音のみならず演奏もそれ以上に米国で評価されていると知ってはおりましたが。。。

当初の感想は前段4曲の小品については、当時の私にもヴィルトゥオジティの凄さ、“夕べの調べ”での詩情の豊かさは理解できていました。しかし“ロ短調ソナタ”については、以前ブレンデルの項で告白したとおり「この冗長な曲はなんだ!」と思うばかりだったのです。
それは単に曲に関するあらゆる知識が足らなかったためだったと思います。そして何人もの何種類もの演奏をおそらく何百回も聴いた今、この曲のあらゆるおもしろさを感じることができるようになってきているのではないかと思えます。そして、これからも聴くほどにその深さを実感していくのでしょう。

野島さんの演奏はそんな今聴き返してみてこそ、全世界的に見て傑出したものと断言できます。
どこをとっても不足がないどころか、本当に充足した奏楽が展開されています。そのおもしろみというか含まれているすべては、噛みしめるほどに沁み出してくるような類のもの。不案内なものがにわかに聴いてわからなかったのは当然かもしれません。
今となっては、全てが包含されたとても含蓄のある演奏であることに、いささかも疑う余地はありません。日本の誇りです。


ところでこの演奏も最近になってリマスターされHDCD盤が出ています。
どのような素晴らしい音質になったか、やはり聴いてみたいものですねぇ。
これはもう、どうしようもないサガですな。。。