★SCHUBERT
(演奏:シモーネ・ペドローニ)
1.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
2.シューベルト/リスト:6つの歌曲トランスクリプション
①ライアー回し
②幻
③セレナーデ
④若い尼
⑤アヴェ・マリア
⑥魔王
(2003年録音)
「リストの特集でいきなりシューベルト!?」と思わないでください。
これが前回の記事でご紹介した、今私が最も心惹かれるシューベルト変ロ長調ソナタのディスクです。
これを入手したのは、まだ先月末のこと。
レコ芸12月号の海外盤試聴記に出ていたのが頭に残っていたのですが、何気に新宿のタワレコに行ったらあったから買ったというものです。
このディスクを初めて聴いたときは、スピーカーの前にクギ付けになりました。
その後、高橋多佳子さんの(そのレコ芸で特選になっていた)“ラフマニノフ・ムソルグスキーの新譜”をかみさんに強奪されていたこともあって、リスト特集と並行してほとんど毎日聴いてましたねぇ。
多佳子さんを見知っていて身近に感じているという事情を考慮せず、単に音盤のみのショック度で測ったら間違いなく今年のナンバーワンのディスクです。
私にとっては、多佳子さんの“ショパンの旅路 Ⅴ”以来の衝撃盤という感じでしょうか・・・?
その演奏はレコ芸でこのディスクを紹介してくださった喜多尾道冬先生の評のとおり、またジャケット図柄のとおり、モノトーンであればこそ却ってその明度の差が鮮明になるという類の演奏。
ちょっと聞きは先回紹介したカッサール盤と似ているのですが、コントラストの掘込みが深い。
第一楽章の第二主題でそれと判るほどにアチェレランドするのは、並みの演奏であれば弾き飛ばされたように軽くなってしまうためマイナス要因と感じるのですが、ことこの演奏に限っては“ぐっ”と音楽に内在するトルクがキツくなり、言いようもないほどの切迫感が伝わってくることになって、結果この曲のこのフレーズで初めて耳にする感動をもたらしてくれました。
あたかもシューベルトの心情の奥の真情まで切り込んでいるという感じです。
決して前回のカッサール盤が食い足りないといっているわけではないので誤解のないように。。。
本題の歌曲の編曲ですが、セレナーデ、アヴェ・マリア、魔王と有名どころもあります(詳しい人には全曲有名どころなのでしょうが、生憎私は歌曲をほとんど聴かないし知らないので・・・)が、概して遅いテンポで進行し、硬い石の中から心情を切り出すかのごとく演奏されています。
歌曲を華麗な編曲で気安く楽しむという感じではありません。
ペドローニは選曲からしてまま重ための曲をチョイスしているようであり、これらの曲から深刻さをも表現したいと思っているのに相違ありません。そしてその思うところは、実に見事に達成されているのではないかと思われます。
正に出会えたことを感謝したいような一枚でした。
演奏者のシモーネ・ペドローニはイタリアのピアニストで、1993年のヴァン=クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した人のようです。
ライナーの裏に写真が出てましたが、いかにもこれを演奏した人という風貌でいらっしゃる。
真面目で誠実そうで。。。
実演ならいざ知らず、DVDとかで弾いてる姿を特に見たいとは思いませんが・・・。
★ます/リスト:シューベルト歌曲トランスクリプション
(演奏:ホルヘ・ボレット)
1.ます
2.水車小屋の男と小川
3.どこへ
4.さようなら
5.さすらい
6.ぼたい樹
7.聞け、聞け、ひばりを
8.水に寄せて歌う
9.郵便馬車
10.わが家
11.涙の讃美
12.魔王
(1981年録音)
うまい!!
この一言でいいかもしれません。でもこれだけでは吉牛みたいなので、も少し書きます。
まず上記ペドローニのディスクと選曲が魔王しか一致していないことからして、このディスクのコンセプトが深刻さからは遠いところにあるというのが分ります。
本当に聴いていてリラックスできる演奏。時折奏者の笑みが漏れているのに気づいて、こちらの頬まで緩んでしまいそうな演奏です。
ここでもベヒシュタインのピアノの魅力、その最良の部分が出ています。
いかにもサロンで重宝されただろうインティメートな雰囲気。美しい高音が魅力的ながら、ヴォリューム感を求めない比較的乾いた響き。
ボレットもそれを心得て過度に潤わせたりしないで、心ゆくまで歌いこんでいます。
こんな風に弾けてしまったら、楽しいだろうなぁ~。
音楽の奥底に眠っている真理をしゃにむに穿り返すだけが、正当な音楽ではないとつくづく思わされます。
ただ、日ごろそんな音楽の真理を求めて必死にやってる人だからこそ、こうして和むこともできるのかなとも思いますが。。。
このテのヴィルトゥオーゾって、絶対ストイックなまでに鍛錬を欠かさないくせに、お客様(聴衆)の前ではそれこそストイックにそういう実態を気取らせないよう余裕しゃくしゃくを装っていたんでしょうねぇ。
まぁ、この演奏の場合、聴く側は全面的に身を委ねて楽しんじゃえばいいんです。
どこを聞いてもまったく危なげないですから。。。
ピアノで「歌う」とよく言われますが、それこそショパンのソナタの旋律線を歌うのと、こういった人声のための歌曲の旋律をピアノで辿るのとでは、実は全然違うのではないかと思ったりします。
つまり、チェロなどでその旋律を歌うということであればまだイメージがわくのですが、ピアノやギターで旋律を追ってなおかつ歌っているように聴かせるというのは、実は大変なことではないかと考えるわけです。
それがボレットは違和感なく出来ます。
これを超ロマンティックに極めるのがグランドマナーの極意なのでしょうか?
そんな演奏が楽しめるというのは、やはりチョー感謝ものですね。ありがたいことです。
録音技術の発達しかり、ボレットがこれこれを遺してくれたこともしかり。。。
★ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
(演奏:エフゲニー・キーシン 小澤征爾指揮/ボストン交響楽団)
1.ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30
2.ラフマニノフ/リチャードソン:ヴォカリーズ 作品34-14
3.ラフマニノフ:前奏曲 変ロ長調 作品23-2
4.リスト:スペイン狂詩曲
5.シューマン/リスト:献呈
(1~3 1993年録音、4.5 1990年録音)
キーシンの献呈は私に歌曲トランスクリプションの素晴らしさを最初に教えてくれた録音です。
ラストのリスト2曲はカーネギーホールのライブですが、このディスクを最初に聴いたとき一番鮮烈な印象が残ったのが献呈でした。
今ではさすがに私の耳も肥えてきて、このころのキーシンの演奏には若いというか粗いと思える部分も聴こえるようになってしまったのですが、それがまたセイシュンの蒼さを感じさせていいんだよなぁ~。
判官贔屓も甚だしいと自分でも思いますけどネ。
弾き出しは素っ気ないほどあっさりですが、甘酸っぱい感傷と何かを振り切るような決然としたパッセージ、思わず「どうしたんだっ!」と声をかけたくなっちゃうようなモノローグと一曲のうちに何回も表情が変わります。音が濡れて来たかと思うとキッパリさっぱりになったり、かと思えばウルウルの高音が鈴を転がしたように鳴ったりといった具合。
そこらへん判っているんだけど引き込まれちゃうんですよね。
極めつけは終わり間際に、確かにシューベルトのアヴェ・マリアのフレーズが2回繰り返されるのが聴かれる。。。
実演で聴いたら本当に感動するのではないでしょうか?
もちろんラフマニノフのコンチェルトはレコードアカデミー賞に輝いた名演!!
この直前ぐらいまでキーシンは神童から一人前のピアニストになる過渡期で、本人も傍目にも産みの苦しみの時期だったように思います。
はっきり言っちゃえば精彩がなかった。
しかし私には、このラフマ3番の演奏で進化を遂げたことがはっきり聴き取れ、巨匠への道の巡航速度に達したことが確信できました。
あっ、誰の耳にも明らかでしたか!? そりゃ、失礼しました!
殊に第一楽章カデンツァの求心力や、第二楽章のピアノが高らかに奏でる歌のスケールの巨きさときたら。。。
・・・リストの特集でしたね。
(演奏:シモーネ・ペドローニ)
1.シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D.960
2.シューベルト/リスト:6つの歌曲トランスクリプション
①ライアー回し
②幻
③セレナーデ
④若い尼
⑤アヴェ・マリア
⑥魔王
(2003年録音)
「リストの特集でいきなりシューベルト!?」と思わないでください。
これが前回の記事でご紹介した、今私が最も心惹かれるシューベルト変ロ長調ソナタのディスクです。
これを入手したのは、まだ先月末のこと。
レコ芸12月号の海外盤試聴記に出ていたのが頭に残っていたのですが、何気に新宿のタワレコに行ったらあったから買ったというものです。
このディスクを初めて聴いたときは、スピーカーの前にクギ付けになりました。
その後、高橋多佳子さんの(そのレコ芸で特選になっていた)“ラフマニノフ・ムソルグスキーの新譜”をかみさんに強奪されていたこともあって、リスト特集と並行してほとんど毎日聴いてましたねぇ。
多佳子さんを見知っていて身近に感じているという事情を考慮せず、単に音盤のみのショック度で測ったら間違いなく今年のナンバーワンのディスクです。
私にとっては、多佳子さんの“ショパンの旅路 Ⅴ”以来の衝撃盤という感じでしょうか・・・?
その演奏はレコ芸でこのディスクを紹介してくださった喜多尾道冬先生の評のとおり、またジャケット図柄のとおり、モノトーンであればこそ却ってその明度の差が鮮明になるという類の演奏。
ちょっと聞きは先回紹介したカッサール盤と似ているのですが、コントラストの掘込みが深い。
第一楽章の第二主題でそれと判るほどにアチェレランドするのは、並みの演奏であれば弾き飛ばされたように軽くなってしまうためマイナス要因と感じるのですが、ことこの演奏に限っては“ぐっ”と音楽に内在するトルクがキツくなり、言いようもないほどの切迫感が伝わってくることになって、結果この曲のこのフレーズで初めて耳にする感動をもたらしてくれました。
あたかもシューベルトの心情の奥の真情まで切り込んでいるという感じです。
決して前回のカッサール盤が食い足りないといっているわけではないので誤解のないように。。。
本題の歌曲の編曲ですが、セレナーデ、アヴェ・マリア、魔王と有名どころもあります(詳しい人には全曲有名どころなのでしょうが、生憎私は歌曲をほとんど聴かないし知らないので・・・)が、概して遅いテンポで進行し、硬い石の中から心情を切り出すかのごとく演奏されています。
歌曲を華麗な編曲で気安く楽しむという感じではありません。
ペドローニは選曲からしてまま重ための曲をチョイスしているようであり、これらの曲から深刻さをも表現したいと思っているのに相違ありません。そしてその思うところは、実に見事に達成されているのではないかと思われます。
正に出会えたことを感謝したいような一枚でした。
演奏者のシモーネ・ペドローニはイタリアのピアニストで、1993年のヴァン=クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した人のようです。
ライナーの裏に写真が出てましたが、いかにもこれを演奏した人という風貌でいらっしゃる。
真面目で誠実そうで。。。
実演ならいざ知らず、DVDとかで弾いてる姿を特に見たいとは思いませんが・・・。
★ます/リスト:シューベルト歌曲トランスクリプション
(演奏:ホルヘ・ボレット)
1.ます
2.水車小屋の男と小川
3.どこへ
4.さようなら
5.さすらい
6.ぼたい樹
7.聞け、聞け、ひばりを
8.水に寄せて歌う
9.郵便馬車
10.わが家
11.涙の讃美
12.魔王
(1981年録音)
うまい!!
この一言でいいかもしれません。でもこれだけでは吉牛みたいなので、も少し書きます。
まず上記ペドローニのディスクと選曲が魔王しか一致していないことからして、このディスクのコンセプトが深刻さからは遠いところにあるというのが分ります。
本当に聴いていてリラックスできる演奏。時折奏者の笑みが漏れているのに気づいて、こちらの頬まで緩んでしまいそうな演奏です。
ここでもベヒシュタインのピアノの魅力、その最良の部分が出ています。
いかにもサロンで重宝されただろうインティメートな雰囲気。美しい高音が魅力的ながら、ヴォリューム感を求めない比較的乾いた響き。
ボレットもそれを心得て過度に潤わせたりしないで、心ゆくまで歌いこんでいます。
こんな風に弾けてしまったら、楽しいだろうなぁ~。
音楽の奥底に眠っている真理をしゃにむに穿り返すだけが、正当な音楽ではないとつくづく思わされます。
ただ、日ごろそんな音楽の真理を求めて必死にやってる人だからこそ、こうして和むこともできるのかなとも思いますが。。。
このテのヴィルトゥオーゾって、絶対ストイックなまでに鍛錬を欠かさないくせに、お客様(聴衆)の前ではそれこそストイックにそういう実態を気取らせないよう余裕しゃくしゃくを装っていたんでしょうねぇ。
まぁ、この演奏の場合、聴く側は全面的に身を委ねて楽しんじゃえばいいんです。
どこを聞いてもまったく危なげないですから。。。
ピアノで「歌う」とよく言われますが、それこそショパンのソナタの旋律線を歌うのと、こういった人声のための歌曲の旋律をピアノで辿るのとでは、実は全然違うのではないかと思ったりします。
つまり、チェロなどでその旋律を歌うということであればまだイメージがわくのですが、ピアノやギターで旋律を追ってなおかつ歌っているように聴かせるというのは、実は大変なことではないかと考えるわけです。
それがボレットは違和感なく出来ます。
これを超ロマンティックに極めるのがグランドマナーの極意なのでしょうか?
そんな演奏が楽しめるというのは、やはりチョー感謝ものですね。ありがたいことです。
録音技術の発達しかり、ボレットがこれこれを遺してくれたこともしかり。。。
★ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
(演奏:エフゲニー・キーシン 小澤征爾指揮/ボストン交響楽団)
1.ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30
2.ラフマニノフ/リチャードソン:ヴォカリーズ 作品34-14
3.ラフマニノフ:前奏曲 変ロ長調 作品23-2
4.リスト:スペイン狂詩曲
5.シューマン/リスト:献呈
(1~3 1993年録音、4.5 1990年録音)
キーシンの献呈は私に歌曲トランスクリプションの素晴らしさを最初に教えてくれた録音です。
ラストのリスト2曲はカーネギーホールのライブですが、このディスクを最初に聴いたとき一番鮮烈な印象が残ったのが献呈でした。
今ではさすがに私の耳も肥えてきて、このころのキーシンの演奏には若いというか粗いと思える部分も聴こえるようになってしまったのですが、それがまたセイシュンの蒼さを感じさせていいんだよなぁ~。
判官贔屓も甚だしいと自分でも思いますけどネ。
弾き出しは素っ気ないほどあっさりですが、甘酸っぱい感傷と何かを振り切るような決然としたパッセージ、思わず「どうしたんだっ!」と声をかけたくなっちゃうようなモノローグと一曲のうちに何回も表情が変わります。音が濡れて来たかと思うとキッパリさっぱりになったり、かと思えばウルウルの高音が鈴を転がしたように鳴ったりといった具合。
そこらへん判っているんだけど引き込まれちゃうんですよね。
極めつけは終わり間際に、確かにシューベルトのアヴェ・マリアのフレーズが2回繰り返されるのが聴かれる。。。
実演で聴いたら本当に感動するのではないでしょうか?
もちろんラフマニノフのコンチェルトはレコードアカデミー賞に輝いた名演!!
この直前ぐらいまでキーシンは神童から一人前のピアニストになる過渡期で、本人も傍目にも産みの苦しみの時期だったように思います。
はっきり言っちゃえば精彩がなかった。
しかし私には、このラフマ3番の演奏で進化を遂げたことがはっきり聴き取れ、巨匠への道の巡航速度に達したことが確信できました。
あっ、誰の耳にも明らかでしたか!? そりゃ、失礼しました!
殊に第一楽章カデンツァの求心力や、第二楽章のピアノが高らかに奏でる歌のスケールの巨きさときたら。。。
・・・リストの特集でしたね。