SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

渡辺 玲子 : カルメン・ファンタジー

2015年06月08日 00時01分49秒 | 器楽・室内楽関連
これも本当によく聴いたSACD。



渡辺玲子さんというヴァイオリニストはこのディスクを入手するまで存じ上げなかったのですが、この作品、とりわけクララ・シューマンの「3つのロマンス(作品22)」とシマノフスキの名作「神話(作品30)」には完全に魅了されました。

ここでの「神話」は、高橋多佳子さんの「ショパン:バラ4」のように、私にとってこの楽曲演奏のリファレンスとなったと言って差し支えありません。

よく決定盤として語られるDGのダンチョフスカ/ツィメルマン盤に惹きつけられてはいたものの、録音のせいなのかどことなくなんかしらいいたい・・・と思っていたところに、デッカのイダ・ヘンデル/アシュケナージ盤を耳にしたのですが、(大御所の演奏とあってか、私自身以前ここで「地に足がついた演奏」と評しているようですが)正直言えば受け付けられず・・・
ようやく「これだ!」と思える演奏がこれだった、というわけです。

この演奏に出会った後、バイバ&ラウマのスクリデ姉妹盤、パイダッシ嬢/ピアニストの名前の読み方がわからない盤など、きわめて楽しめて聴けちゃうようになりました。
反面、諏訪内盤・神尾盤のチャイコン・ウィナー組の演奏には(ことこの曲に関しては)ちょっと私の期待するポイントと違うところに奏者の意識がフォーカスしたものかもしれないと思わされています。

I・ファウスト、イブラギモヴァ・・・といった旬のアーティストにも録音があるので、機会があったら聴きたいな・・・と書いてきて、ソリストが女性ばかりであることにちょっと驚いていたりして。(^^;)

ともあれ、「神話」という名曲にすっかりなじむことができたことがまずもっての収穫でした。



ところで、ヴァイオリニストを知らんかったのになぜにこのディスクを入手したのか・・・
それは、伴奏者に江口玲さんのクレジットがあったからであります。

いずれこの欄で書くかもしれませんが、江口玲という伴奏者の凄さを知ったのは、加藤知子さんのブラームスのヴァイオリン・ソナタ集でした。
実は、それ以前にも同じく加藤さんのエルガーの楽曲集で耳にはしていたのですが・・・

前橋汀子さんのフランク・ブラームス第三番のソナタや、加藤さんのシューマンのソナタ集を通じ、どれもハズレがない・・・
というわけで、「神話」を目当てに渡辺玲子さんのSACDを手に取ったのであります。
ただでさえ難しそうなピアノパートにヴァイオリニストと相談して音を足している・・・なんざぁ、出ている音にノックアウトされた聴衆のひとりとしては「カッコよすぎ」以外に言葉が見つかりません。

もちろん彼のソロの録音にも興味があり、ショパンとリストの曲集を聴きました。
特別の由来を持つピアノを使用する・・・といった興味もさることながら、彼自身、伴奏ではそれほど感じさせないのですが、ソロではかなり自己主張の強い解釈をしている・・・


先の「カッコよすぎ」にプラスして自分のセンスにかくも正直である潔さもウケるのか、江口氏の女性ヴァイオリニストとの共演盤の多さにはまこと驚かされますね。

チー=ユンに始まり先の錚々たる面々に加え、竹澤恭子、奥村愛、マイヤース、小林美恵、木嶋真優、南紫音・・・

まさにベテランから新進までオリエンタルな女性ヴァイオリニスト総ナメといった趣で、絶大な信頼を得ていらっしゃりご同慶の極みと言うほかありません。

と思って確認のためHPをあらためて見に行ったら・・・
今年の新譜として、ディスコグラフィーにはさらにまた川久保賜紀さんの名前が追加されてました。
ホント同じオトコとして嫉妬しちゃうぐらいにスゴイですね。



ひとつだけ、このディスクで気になっていることは・・・
どんな大きさのモニター・スピーカーで制作されたんだろうということ。

音質にも何の不満もありませんが、以前遣っていたブックシェルフ型の小型スピーカー(ヤマハ:NS1)で聴けた濃密なヴァイオリンとピアノの絡み(特に第2曲「ナルシス」のクライマックスのところなど)が不必要にさわやかになってしまった気がします。

原因としては、ごく小さなモニターで点音源に近いミックスがされたからじゃなかろうかなどと推測しています。
録音・再生いずれの機材やセッティングの綾で当然にこういったことは起こりうると分かっているとはいえ、ヘッドホン、小型スピーカーで感じられるエクスタシーが薄まっちゃったと思うとちょいと残念な気もする・・・
もとより、Electra1028Beにしたことで得られたメリットはさらにでかいわけですから、ぶつぶつ言っていても仕方ないのはわかっていますが(やっぱり言わずにいられない)。。。


そうはいってもこのディスク・・・
Electra1028Beを購入するべきか決めようと、ショップに試聴に行ったときにかけたもののうちのひとつ。

「アルトゥーザの泉」での最初のさざなみのようなピアノと、そこに高音で絡んでくるヴァイオリン冒頭にはゾクゾクさせられました。
そこを聴いただけで「買いたい」感はほぼマックスになりましたね。

じつはそれ以前に、ソナス・ファベールのクレモナⅡを候補としたときにも試聴したのですが、そのときはなぜかピンときませんでした。。
渡辺さんの使用楽器はクレモナの工房で制作されたもの・・・なのに不思議なものですよね。



ところで私は冒頭、SACDであることをことさらに強調して書きましたが、ネットショップでは、私が買った時期を境に、SACDバージョンは在庫切れになってSIM-CDになってしまっているようです。
個人的にSACDはとてもありがたい存在と崇めている私ですが、SIM-CDというフォーマットには「所詮CDなんでしょ!?」というエクスキューズを感じています。

SACDやHDCDは器だけじゃなく仕組みが違うから・・・
まぁ・・・
1960年台とかの伝説的演奏家による歴史的名盤の復刻で、以前のCDよりはずっと音がいいだけ(今の水準では物足りない)のSACDがいっぱい出てるのはもちろん、新録であってもあんまり音がいいと思えないSACDもあるし、演奏や録音のロケーションのよさと相俟ってCDとはいえ驚くべき音質と感じさせる盤いずれもがありますから、そこだけに拘泥してものごと考えるのは得策ではないのでありましょう。

ただ・・・
HYPERIONのような高品位なハイレゾ音源をネット配信のみにして、SACDの製造をしない(CDのみしかディストリビューターにおろさない)というレーベルのスタンスには失望しています。
パッケージメディアをこよなく愛する好楽家はどこの国にも決して少なくないはずですから。。。

アムランやハフ、レイトン&ポリフォニーのCDは、SACDにしてもらえれば音質にずいぶん差があるに相違ない・・・
そう思わずにはいられないだけに残念です。

Oslo Kammerkor : Strid

2015年06月07日 18時08分00秒 | 声楽・宗教曲関連
これが2014年にもっとも私が繰り返し聴いたであろうSACDです。


それまでの私の嗜好からすると、まったく射程外のこのディスク・・・
オスロ室内合唱団にによる「戦い~ノルウェーの伝承曲」と題された2Lレーベルの作品であります。

2014年2月15日に名古屋国際会議場で行われた「オーディオフェスタ・イン・ナゴヤ」で、たしかK先生とおっしゃるオーディオ評論家のセンセイが、ウィーン・アコースティックス社のスピーカーでハイレゾのデモをなさっていたときにかかったのがきっかけで手に入れました。

ノーススターデザイン社のDACの説明だったと思うのですが、私は機材ではなく音源が気になって仕方がなかった・・・。


入手に当たってたよりになる情報は「e-onkyo music」のサイトからファイルを入手されたということだけでした。
なにしろセンセイのご説明では、デモ曲の途中にラフマニノフの合唱曲が織り込まれていたのに「クラシックらしくない」なんてコメントが挟まっていたもので・・・私的には混乱してしまったのです。

いや、もちろん、ハードや使いこなしについてのプレゼンはブースの担当者と示し合わせながらでしたから事実としてきわめて正確だったのでありましょう。
ただ、楽曲へのコメントについては「?」となってしまった、そういうことです。


帰ってからe-onkyoのサンプル音源を片っ端から聴き始めたのですが、当時は2Lのことなんて何も知らず、「BISあたりがクサいのでは?」とあたりを付けちゃったためにずいぶん遠回りをしてしまいました。
なにしろ2Lのサンプル音源は、同サイトのレーベル一覧の一番上にあるのに・・・
玄関にある「お宝」を、それと知らず、家じゅう探し回る探検家(空き巣とはいいたくない)になってしまったわけです。


それでも、なんとかこのディスクを発見し(この根気をほかのことに生かせればと心底思うのですが)、3月1日にはSACDをオンラインで注文するに至りました。
そして・・・
心底、眼を見開かせられた、いや、耳を聴き開かせられたというわけです。


まず、録音の素晴らしさ。
密閉型のブックシェルフで聴いた(その後ウォークマンで聴いても)一聴でそれと分かる空間の広さ、透明感、どれだけホメても褒めたりないと感じたものです。
のちのち2Lレーベルの何たるかを知るにつけ「なるべくしてなった音」と得心が行ったものですが、ウソっぽいほどにいい音で鳴る。

もうひとつ、奏楽の凄さ。
上記の録音に支えられ・・・というか、録音のよさに負けず劣らず、いつ聴いても飽きさせないうえに惹きこまれてしまう素晴らしい歌唱・合唱です。

もちろん伝承曲とクラシックの合唱曲をミックスアップするというアイディアそしてアレンジの妙味も秀逸なんでしょう。
ここらへんはこの種のディスクを他に持ってないのではっきり言えませんが。。。

いまに至るまで、聴くたびに何らかの感銘を与えてくれる、音盤としては異例なほどコスパ最高の買い物となりました。



いまにして思えば・・・
この「オーディオフェスタに行くべ」とふと思い立ち、このディスクを手に入れたことが、小型(ブックシェルフ型)スピーカーの低音の限界を悟らせ、Electra1028Beを手に入れる決定的な伏線となったようにも思います。


それまでにもチェロ・ソナタを近接録音したディスク(たとえばECMレーベルのペレーニとシフのベートーヴェン)を聴いたりすると、なんか低音域がごまかされてるような気がしないでもなかったのですが・・・
「思いっきり低い男声は、実はスピーカーから聴こえていないのではないか」ととうとう気づいてしまいました。

トールボーイ・スピーカーであるSonus Faber のコンチェルト・グランドピアノを使っていたときには、ちゃんと低い音も出てると思っていた・・・これもホントはドローンコーンによる幻だったかもしれない・・・ので、しぜん「やはりエンクロージャー(容積)のでっかいスピーカーが欲しい!」となっちゃったわけです。

その後さらに詳しく2Lレーベルのことを知り、ネット上の同好の志による各種情報などからも、同じようなコンセプトのレーベルの手になるSACDが手許に次第に増えてゆきます。

そして(仕事外における)根気のよさがまたしても発揮され、出物を待つ日々が過ぎてゆき、とうとう幸運の女神の前髪をガッと摑んだ結果、とにもかくにもElectra1028Beが今ここにある。。。


前回の投稿同様、スピーカーのことばかり書いていてディスクについてのコメントはほとんどないですが、私が今に至るまでに欠かせなかったディスク・・・
制作者にしてみればまったく与り知らないことでしょうが、そんなインパクトを買った人に与えうる傑作であるに違いありません。

FABRIZIO CHIOBETTA : SHUBERT Piano Sonata D960 / Moments musicaux

2015年06月06日 23時59分09秒 | ピアノ関連
尾崎亜美さんのこしらえた「オリビアを聴きながら」という佳曲があります。



♪~ お気に入りの唄 ひとり聴いてみるの オリビアは寂しい心 慰めてくれるから



と始まるのはご承知かと思いますが、これがオリビア・ニュートン=ジョンのどの曲なのか・・・
私にとってずっと謎なのであります。

そよ風の誘惑、愛の告白、ジョリーン・・・ちょっと違う。
ザナドゥ、フィジカル、ムーヴ・オン・ミーなどに至っては何をかいわんや・・・でありましょう。

マジック、サドゥンリーなんてあたりは彼女の楽曲のうちでも私も大好きなものだし、それらしいといえなくもありませんが、やはり色恋沙汰の艶っぽさがやや色濃い。。。(シャレじゃありません)



本題に移りますが、私にとって「ひとりで寂しい心を癒すために聴くお気に入りの楽曲」としてもっともしっくりくるのはシューベルトの手になる一部の作品であります。

古今東西、数多の作曲家が夥しい数の曲を産み出しているのに簡単に断言していいのかと思われる向きもありましょうが、これが50年生きてきた経験に照らし確信をもって発言できる数少ない事実のひとつであることは疑いありません。

故アリシア・デ・ラローチャも、レコード芸術だかの対談で、最晩年には「自分の楽しみのためにシューベルトを弾く」と述べていたと記憶しますが、おおいに共感を覚えます。


裏を返せば、体調がすぐれないときに甘いものを食べるとホッとするように、シューベルトが身に沁みるときには心身病んでいるときにほかならず、幻想ソナタ、変ロ長調ソナタ、楽興の時、八重奏曲、弦楽四重奏曲の第15番、弦楽五重奏曲なんてところに無意識に手が伸びたりすると、今自分がかなりキツい環境にあるんだと自覚するものです。
さらに、これらにどっぷりハマってしまった事態を客観的に観察できちゃおうものなら、「こりゃかなり重症だ」と自戒することになります。

これがドビュッシーあたりであれば、まだ、束縛から逃れようと無意識にもがくだけの余力ありと思えるのですが・・・
シューベルトはいけません。





同曲違演のディスクでもっとも多く所有しているのは、たぶんこの変ロ長調ソナタ。
こう書いてくると、いかに私が長き道を重荷を負って歩き続けてきたか・・・と思わずにいられません。
しかし、ピアノ好きにとってはこの事実はそう異論をはさむ余地はないのではないでしょうか?


はじめて聴いたのはポリーニ。
その後、田部、トゥルーデリース・レオンハルト、ピリス(カスカヴィル盤)、コヴァセヴィチ、カッサール、ペドローニなどお気に入りのディスクが次々と現れ、録音技術の進化とも相まって、いろんな観点から疲れ果てた私を楽しませ、癒し、今に導いてくれました。
(正しく導いてくれたのか、歪んだ道に陥れてくれたのかは自分で判断できませんが。)

たまにリヒテル、アファナシエフ、ラジッチ、キーシンなんてところの演奏に出遭い、よくもわるくも(こう書いて私の意向に沿った演奏であったとは思われないでしょうが)いろんな表現の余地があることを知ることもありましたし、ジャケットと演奏は覚えていても奏者の名前が出てこない・・・なんてディスクもいくつもある。。。



そして今・・・
シューベルトの変ロ長調ソナタと楽興の時を収めたクラーヴェスのこのCDにとてもハマっています。
タイトルをアルファベットにしたのは、ピアニスト名の読み方がわからないから。

このディスクの宣伝には、ピアニストの師でもあるシューベルトの権威、バドゥラ・スコダの賛辞が述べられていました。
このお褒めの言葉は決して誇張ではありません。

バドゥラ・スコダの演奏は現代楽器・時代楽器を問わず何種も聴いていて、いくつかには深い感銘を受けました。
その彼が絶賛する・・・
最先端の録音技術で捉えた、まさに(旧くから連なる伝統を踏まえた)今の感覚のシューベルト。

きっと師スコダをして、このように弾きたいと思わせしめた演奏であることは想像に難くありません。


私の変ロ長調ソナタ、楽興の時の楽しみ方を踏まえたとき、Electra1028Beから最適の解として流れ出るのはChiobettaの奏楽・・・

直截の論評を加えずとも、これは(少なくとも今の私に)そう言い切らせるほどの感銘を与えたディスクです。

叶夢

2015年06月06日 00時14分44秒 | オーディオ関連



久しぶりの投稿・・・
先回の投稿以来、これまでいろんな変化・トピックがありました。


このブログのテーマである音楽周りに関しては、以前はピアノを聴く比重が圧倒的だったのに、室内楽・声楽曲がそれに負けず劣らず増えました。

嗜好の変化の理由をつらつら考えるに・・・
録音フォーマットの進化により、弦楽器の織り成すハーモニーの妙味に目覚めちゃったことが大きいんじゃないかというのが自己分析の結果です。

ハイレゾ・・・という言葉もなにかと巷で騒がれるようになっていますね。
ただ、私はネットオーディオとかPCオーディオとかには手を出さず、未だにSACDなど高品位のパッケージメディアで「音楽」も「オトそのもの」も楽しんでいるのが現状。


振り返ってみれば、機材もちゃっかり夢を叶えつつあるな~と思います。
部屋の環境はお構いなしなので、決してすべて満たされたとはいわないけれど・・・
「求めよ、さらば与えられん」という命題は真だと十分信じるに足る変化を体現することができました。


アンプ・CDプレーヤーは、このブログで2007年に「スタイリッシュな」機材で欲しいと名前を挙げていたBow-TechnologiesのZZ-One、ZZ-Eightというコンビが揃いました。
HDCDを再生したなら、この右に出るプレーヤーはないと信じられます。

そしてEsotricのX-50wとマランツのDV-9500の2台はいずれも入院・修理を経ましたが健在で、それぞれの得意分野でゴキゲンな音楽を奏でてくれています。


そしてスピーカー・・・
2006年10月に「巡り会った」と邂逅と憧憬を記していたFocalのElectra1027Be・・・
その後継機であるElectra1028Be2が、10年近くの歳月を経て、ついに私の傍らにあって期待を上回る音色を響かせてくれる日が来ました。

最初に聴いたときからFocalの音のヌケのフィーリングは、私の感覚にとてもフィットしていると感じていました。
これまで使ってきた密閉型のスピーカーでも「突き抜けた音」とでもいうサウンドは経験していたつもりでしたが、この機種のそれはこれまで聴いたことがないほど「私好みに」違っていました。

バスレフ型やホーン型のスピーカーを試聴するたび違和感を覚え、自分が遣うことはないだろうと思っていましたが・・・生涯の伴侶となるだろう1台はそ結局バスレフ型、実に興味深いことです。
(同じFocalのバスレフでもChorusやAriaの音は、私の耳には合わない気がしたので、要はElectraのトールボーイが私に合っているということなのでしょう。)


というわけで・・・
これまでのブックシェルフ型スピーカーにはいっとき暇を出しますが、彼を鳴らしているときにはZZ-OneのEXPANDスイッチを入れっぱなしだったのに対し、トールボーイのFocalではまず入れることはありません。
やはり小型スピーカーの低音再生には限界があって、いわゆるサブソニックフィルターで高音・低音を補強しないと音全体に張りが失われてしまっていたのかもしれません。

Focalに代えて初めて、ZZ-Oneがカマボコ型の音質といわれる理由がわかりました。
ここまであまり感じることはなかったのですが、なるほどイコライザーがあると便利な場面があるかもしれない。。。

今後の課題はSACDとセッティングの追込み・・・でしょう。
ただしばらくはムリなので、機会をうかがうほかありません。
ZZ-EightもX-50wもすでにメーカーにピックアップレンズの在庫がないため、ここが故障したらおしまい・・・です。
そのとき困らないように、いろんなケースを想定して備えることにしています。



もちろん今でも、新譜・旧譜を問わず、相変わらず音楽鑑賞三昧の毎日・・・
これらの機材で聴き、こころに留まった1枚について再びここに記録していければいいなと思っています。