SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

相乗効果の妙

2013年04月26日 00時00分31秒 | JAZZ・FUSION
★THE BENOIT / FREEMAN PROJECT
                  (演奏:THE Benoit / Freeman PROJECT)
1.Reunion
2.When She Believed In Me
3.Mediterranean Nights
4.Swept Away
5.The End Of Our Season
6.After The Love Has Gone
7.Smartypants
8.It’s The Thought That Counts
9.Mirage
10.That’s All I Could Say
                  (1994年作品)

クルセイダーズに“ヴォーカル・アルバム”というコンピレーション・ベストとでもいうべき企画盤がある。
大好きな曲とそれなりの曲(はっきりいえば嫌いな曲)があったり、その大好きな曲がエディットされていたり・・・と、注文を付けたいところも多々あるのだが、聴き手コンシャスな好企画だと思う。

そんなことはプロデュース側も百も承知だろうが、いくら大切なファンとはいえオーディエンスにいいとこどりされるばかりではガッキの演奏を聴いてほしいアーティストの腹の虫が収まらなかったり、100%の商品を出してしまうと、知的財産たるもの、なかなか重ね売りが難しい性格があるため商売あがったりになるケースがほとんどだろうから、そうそう出すわけにはいかない事情もよくわかる。


もしかしたら、「今のご時世、MP3などデータファイルで切り売りしてるんだから、ホントにやりたきゃ自分でやれ」と開き直られているのかもしれない。

上等じゃねぇか・・・
と、勝手にインネンをつけてケンカを受けて立ったわけではないが、手始めにデヴィッド・ベノワの作品群から自分の好きなヴォーカル曲ばかりを選りだして、自分だけのプレイリストを作ってみた。。。


便利な世の中になったもので、ネットをちょっと紐解けば、ベノワの熱狂的ファンであろう先達のご丁寧な解説文がいくつもヒットする。
私とて、このスペースにずいぶんと勝手なことを書き散らして人様に情報提供できているケースもあろうから、それらをありがたく拝借して、どのアルバムのどの曲がどんなヴォーカル曲なのか、おおよその見当をつけるぐらいのことは許されてよかろう。
そして、you-tubeやGroovesharkにアクセスすれば、驚くべき簡便さでプレイリストに迎えるべき楽曲をセレクトすることができるのである。

家人に話したらやたらとメンドいことしてるとの感想を述べられたが、やってる本人は決してそうは思っちゃいない。
仮に一般の人が面倒と感じるならば、「多少のやる気とCD1枚あまりの出資で気軽に楽しめる極上の『ヴォーカル曲集』ができる」と書いておけば間違いないか?

いずれにせよ、ゲストの歌声もさることながら、自らの奏楽をこそ楽しんでほしいと願っているだろう楽器演奏者には申し訳ないが、「あなた絡みの演奏を愛好してるんだから許してね」ってノリである。


さて、デヴィッド・ベノワというピアニストは、同じデヴィッドでも直截でシンフォニックなフォスターに比して、はるかにノーブルでジャジーであるゆえに私の好みである。

それは、自身がプロデュースしていない場合の他のアーティストの作品への客演(ピアノ(キーボード)奏者として)が、きっとベノワのほうが多いだろうことからも、かなりの確率で普遍的な認識なのではないかと思われる。

フォスターにせよ、最初はスタジオ・ミュージャンだったわけだが、あまりにもプロデューサーとしての手腕が卓越していたため、ある時期以降「演奏だけ」というのはどうだろう・・・多少はあるのだろうか?

翻って、ベノワに関しては、ケニー・ランキンやデヴィッド・パック、デヴィッド・ラズリー(それにしてもデヴィッドだらけだな・・・)など、すでに持っていた私のお気に入り旧作CDのピアニストが実は・・・というケースを多々発見するに至った。
むべなるかな・・・である。


と、書いてきたものの、彼のインスト曲も決して悪くはない。
いや、スムーズジャズなどと言われている分野では、他に例のないまごうかたなきブランドを確立しているし、品質も高い作品が多いのではなかろうか。

バックボーンとなっている音楽もコテコテのジャズからイージーリスニング風のサウンド、歌伴まで引出しがいっぱい、多彩であるのにちがいないのだが、こちらにこらえ性がないのか、なぜか1枚通して聴くのは、歌がないとしんどい・・・のが正直なところ。

“ヒーローズ”というほとんど知っている有名曲ばかりをカバーしたアルバムにせよ、奏者の楽曲へのなみなみならぬ愛着を感じながらも、何曲か聞くとツラくなってしまった。


そこへいくと、今回のお題“ベノワ・フリーマン・プロジェクト”のCDは、ケニー・ロギンスとフィル・ペリーのヴォーカルがことのほか素晴らしかったのでMP3ではなくCD品質で聴きたいと願って求めたものだが、実際にはプリンシパルに組んだラス・フリーマンとのコラボレーションが素晴らしいので、飽きることなくめでたく最後まで聴き通せた画期的な作品となった。

自己の流儀を持ったアーティストは、ともすればそれが自縄自縛につながってしまうかもしれない。
それを打破する一つの打ち手が、他の得難い個性・才能との共演なのかもしれないし、きっとそれは実効性も高いだろうことは想像するのに難くない。
その化学反応が吉と出れば、「相乗効果の妙」でかくも聴き手の耳を惹きつけずにはおかない作品となるだろうし、このコラボプロジェクトは典型的な好例・・・なのだろう。


それはさておき、かくして私がこしらえたヴォーカル・アルバムは、有為のアーティストたちの「相乗効果の妙」をあらゆるケースで堪能できるステキな万華鏡的玉手箱となった。
それもそのはず、先に例示したアーティストのほか、ダイアン・リーヴス、ジェニファー・ウォーンズ、ベス・ローレンス、アル・ジャロウ、マイケル・フランクス、Take6などなど・・・
これだけメンツが揃っていて悪かろうはずがない。

プレイリストの曲順は、自身のアルバムに客演ヴォーカルを迎えたものにせよ、ヴォーカリストのアルバムに客演したものにせよ、何も考えることなく年代順に並べただけである。
プロデューサーとしては中途半端な仕事とのそしりをうけるかもしれないが、再生時にシャッフルしちゃうので一緒・・・これで常に新鮮な気持ちで聴くことができるので出来栄えにはすこぶる満足している。


実は、この作業にハマってしまい、続けてFourplay、KennyG、デヴィッド・サンボーンのヴォーカル曲だけを選抜したプレイリストも作ってしまった。

Fourplayは当たり!
これも客演ヴォーカリストのトラックだけを年代順に並べただけだが、ずっと聴いていても飽きることがない。

これとて、エル・デバージ、チャカ・カーン、フィル・コリンズ、マイケル・マクドナルド、アニタ・ベイカー・・・とくれば、一篇の映画のサウンドトラック以上にすごい顔ぶれである。
松田聖子さんだけは、デビュー以降、独身時代の大ヒット曲のほうが好きだけど。


KennyGはびみょ~。
デュエット・アルバムなるヴォーカリストや他のアーティストとコラボする企画盤もあるのだが、どこということはないのだが、なんかいまいち吹っ切れていない。
結果としてそこからは1曲も採らなかった。
とはいえ、キャリア初期のシナトラやスモーキーとのコラボは見事だし、トニ・ブラクストン、マイケル・ボルトン、シャンテ・ムーアなどとの共演はさすがというほかない。
一番気に入ったのは、ベベウ・ジルベルトとのイパネマの娘・・・かな。


サンボーンは意外にも曲に当たり外れが多かった。
私には、他人のアルバムでひと吹きしたときのサンボーンのほうが、圧倒的に魅力的だったから。。。
(あくまでも歌伴の曲しかためしていないので、インストを聴いたらもしかしたらぶっ飛んでいたかもしれない。)

忘れられないのは、ケニー・ロギンスのハート・トゥ・ハート・・・
当時、世の中にこんなファンキーでかっこいい曲があるのかと思い、サンボーンのソロの奔放さに感激していたものだが、そんなサンボーンを他に期待すると他ではあまり出会えないような気がしてしまった。
ブレンダ・ラッセルのル・レストランや、マイケル・フランクスのアントニオの歌にしてもすばらしいんだけどな。。。
どうして、自分のアルバムでは違ってしまうんだろう。。。

それでもカサンドラ・ウィルソンとのデイ・ドリーミングや、リズ・ライトとのドント・レット・ミー・ビー・ロンリー・トゥナイトは自分のサンボーンのイメージとは違うけど、とてもいい曲だと思うので収穫はあった。

破天荒で天衣無縫な苦労を知らぬミュージシャンだと思っていたけれど、結構、眉間にしわが刻まれるような人生を過ごしてきたんだな・・・
と妙にしんみりした感覚に襲われたものである。


コンピレーションのプレイリストを作ってみて思うのは、やっぱり、これをCDレベルの音質で聴きたいということ

ハイレゾとかでダウンロードできるようにならないかな・・・
などと、いつもなら携帯もIT機械もない国へ行きたいと願っているおじさんがにわかにテクノロジーに恃む気を起こしている。

我ながら勝手なものだ。。。(^^;)


さて、この調子だとお気に入りコンピを作る熱は冷めそうにない。(冷める時はあっという間に冷めることを経験上知ってるんだけど・・・)

してみると、次回投稿の書き出しは・・・
>フランク・シナトラに“デュエッツ”というコンピレーション盤がある。トニー・ベネットもしかり・・・
てな、感じになるやもしれぬ。

主語は誰?

2013年01月28日 21時42分47秒 | JAZZ・FUSION
★CLUB NOCTURNE
                  (演奏:YELLOW JACKETS)
1.Spirit of the West
2.Stick_to_it_ive_ness
3.Up From New Orieans
4.The Evening News
5.Even the Pain
6.Love and Paris Rain
7.The Village Church
8.Twilight for Nancy
9.Automat
10.All is Quiet
11.Livin’ inside Myself
                  (1998年作品)

ブレンダ・ラッセルの“Love and Paris Rain”の初出は、このアルバムらしい。
いずれにしても、この曲はラッセル・フェレンテ他がこしらえたものに共感した彼女が、じつに彼女らしい詞を乗せて、彼女ならではの歌声で聴かせてくれる名作に違いない。

そんなこんなで、このアルバムにも触手を伸ばしてしまったのだが・・・
録音のきっかけは、YELLOW JCKETSのピアニスト、ラッセル・フェレンテがファンレターに返事を書いていたら、奥さんから男性からばかりだと指摘され、女性ファン開拓を期して制作された作品なんだとか。。。
そうCDのライナーノーツに記されていた。

正直、このグループはこのCDとその前の“BLUE HATS”というアルバムしか聴いたことがないのでサンプル数は少ないと言わざるを得ないが、硬骨漢ばかりが好むサウンドメイキングであるとはそれほど思わない。
でも、その2作からだけでも、押しも押されぬ地位を築いたグループゆえの他に代えがたいテイストをもっていることが確かに感じられる。
さらに驚くべきは、その感覚がすでに普遍性を獲得していると思われることである。

なぜだろう・・・?
彼らの醸し出す音楽が一級品であることは疑いはないのだが・・・なぜにこうまで違和感なく聴けてしまうのか?
もしかしたら知らず知らずテレビや街中のどこかで彼らのオトをきかされていて、サブリミナル効果で刷り込まれ慣らされてしまっているとか・・・
潜在意識が無意識のうちにステマ攻撃にあってるようなものかもしれない。


さて・・・
このアルバムを入手しようと思った動機は、実はもう一つある。
それは、日本盤のボーナストラックに収められたジノ・ヴァネリの“Livin’ inside Myself”のカバーの存在。
いや・・・
これがあったからこそ今このディスクが私の手許にあるのであって、ブレンダ・ラッセルの佳曲が入っていることの方が従だったかもしれない。


ジノ・ヴァネリは、NHKで放送していたかの「むしまるQ」において、代表曲“アパルーサ”のパロディ曲、その名も「ナメク☆ジノバネリ」という曲にのせて、ナメクジの根性を称える題材として採られたほどの大物歌手である。
なんじゃそりゃと思う向きもおありになろうが、むしまるQのパロディ曲のネタ歌になることの意義は重大で、私にとっては世界を舞台にした音楽界での第一人者の証であることを意味する。
わかりやすくたとえるなら、殿堂入り・・・
もっと具体的言えば、日経で「私の履歴書」が書けるぐらいの実績を残した斯界の重鎮・・・といったところになるだろうか。

そして、この曲はジノ・ヴァネリの1981年のアルバム“Nightwalker”所収の大ヒット曲。
もちろん私はオン・タイムで聴きアルバム自体も所有しているのだが、いつ聴いてもジノ・ヴァネリというアーティストのとてつもない暑苦しさに(うまく心がフィットした場合には)陶然としてしまう名作・・・である。

なにしろこのアルバム全体が8曲しか入ってないくせに、やたらアツクルシイというか濃縮5倍って感じのこゆ~い内容だった。
その前の“Brother to Brother”の“アパルーサ”にせよタイトル曲にせよ、米国産プログレとハードロックとジャズロックが圧力釜で蒸されて混然となったようなサウンド、そのうえさらにハードロック色のソースを重ねてかけたみたいなもんだったといえば、どれだけ強烈な印象を残すオトか伝わっただろうか?

ジノ・ヴァネリは今も健在でジャズに傾倒した音楽を志向しているが、今もって唯一無二のヴォーカリストでありサウンドクリエーターとしても折り紙つきの第一級アーティストある。
しかし・・・
私は彼がある意味もったいない存在に思われてならない。

ある意味と書いたが、我が国で言えば、松山千春的にもったいないと感じられるのである。
つまり・・・
絶対的な歌唱力以上にあまりにも強烈な存在感がいつも圧倒的に迫ってきてしまうのが、気になって仕方ないのである。
ジノ・ヴァネリの、千春の、そこが好きなんだ・・・とおっしゃる方の気持ちはよくわかるのだが、時としてというか、長時間続けて聴くとたいてい私の受忍限度を超えてしまうのである。

クラシック界に置き換えるなら、そう、まさにシューマンのもったいなさ・・・
彼の音楽に身を任せて陶酔し続けられるか、最初はいいと思ってもどこかでくどく思えてきてゲンナリしちゃうかの違いで、ジノ・ヴァネリ耐性があるかどうかがわかるような気もする。

年を取って淡泊になるからついていけなくなるんだ、という方もあるかもしれないしそのとおりなのだろうが、ジノ本人もいつまでも若くはない・・・
それでも出てくるサウンドは頑なにワン・アンド・オンリーを貫き、取り巻きが多少変わってもやはり耐えがたくアツイのだ。

要するに・・・
彼は屈指のヴォーカリストではあるのだが、ブレンダ・ラッセル同様、他流試合をして相乗効果を狙ったときにハマると、とてつもない魅力を放つタイプなんじゃないだろうかな?

そして、その昇華された実例がここ、イエロージャケッツとのコラボにある・・・。

楽曲はジノのものだが、組曲風のアレンジや引き締まったバックのサウンドはイエロージャケッツのもの・・・そのすべてがつくづくすばらしいヴァージョンだと惚れ惚れする。。。

結果として・・・
このアルバムにおける「ノクターン」というコンセプトに壮大さや理屈っぽさがそぐわないとしてハズされ、日本盤のボーナストラックのみの収録に甘んじているのだろうが、まことに惜しいことである。

日本人としては慶賀すべきことだが・・・
フェランテが奥さんに示唆された、欧米のアツイ婦女子の気を引くためには、ぜひ入れるべきだったと思うのは私だけではあるまい。

大物ジノを迎えて、件のアルバム本編に収めない・・・
ってところこそが、実はイエロージャケッツが硬骨漢に好かれるゆえんで、フェランテその人がもっとも硬骨漢なんだということが裏付けられたともいえようか。。。
ともあれ、聴けて幸せ・・・である。


さて、この“Livin’ inside Myself”という曲は、歌詞をつらつら眺めるに「彼女にフラれて、自分を失い、殻に閉じこもっちゃった男」という内容を、このうえなく情熱的に歌っちゃったもの。


かねて私は・・・She is living inside myself・・・だと理解していた。
彼女の思い出とともに生きよう、彼女は自分の中で永久に生きている・・・というふうに。。。
私がこの歌に仮託したシチュエーションも、先のブレンダ・ラッセルに関する投稿のとおり、「いつまでも他人の思い出とともにある」、「心の中で思い起こしうるかぎり誰も死んだりしない」・・・というものだったわけなのだ。


でも・・・
本当の主語は「I」で、いじいじした軟弱なヤローの歌だったとは。。。

そんなこんなで、勝手にひどく失望したことを覚えている。
ジノ・ヴァネリのせいではもちろんないけれど、かえすがえすも残念!!


日本語は主語をしょっちゅう省略するけど、英語は基本的にそうではない・・・と昔習った気がするが、やはり主語を省略しちゃうと間違いは起こるものである。
これは何も詩に限ったことではなく、日常生活全般に当てはまるだろう・・・。
仕事にあってもコミュニケーション上の間違いが起こらないよう教訓として、心に留めておくとしよう。

思い出のために もしくは 墓(トンボー)によせて

2013年01月24日 01時20分38秒 | JAZZ・FUSION
★PARIS RAIN
                  (演奏:ブレンダ・ラッセル)
1.IDEAL WORLD
2.SHE’S IN LOVE
3.CATCH ON
4.WALKIN’ IN NEW YORK
5.LOVE AND PARIS RAIN
6.EXPECT A MIRACLE
7.PLEASE FELIPE
8.YOU CAN’T HIDE YOUR HEART FROM ME
9.MOVE THE MOON
10.SOMETHING ABOUT YOUR LOVE
11.BABY EYES
                  (2000年作品)

ある悲しい出来事があって・・・
その時間には、自分がたまたまこのCD収められている曲をyou-tubeで聴いていたと後から知った。
いうなれば、このCDはその出来事の「思い出のために」入手したものである。

残念なことを「記念」とは言いづらいし「形見」というのもヘンなので、「思い出のために」とちょっと気取って言ってみたわけだが・・・
チャイコフスキーのあの室内楽曲を多分にイメージしてのことだし、サブで選んだトンボーという言い回しはラヴェルのタイトルに倣ったもの。

これまでブレンダ・ラッセルを特に好きだったわけでもないし、今、自分の手許にこのディスクがあるのはまさに偶然・・・
でも、悲しみが癒えるにしたがって、このディスクの良さがじわじわ感じられるようになってきたのは驚くべきこと。
なんともいえない不思議な感覚になる・・・。

そういうものの、以前からブレンダ・ラッセルについてはそれなりに知ってはいた。
一般的に代表曲と目される「ピアノ・イン・ザ・ダーク」はナンバーワン・ヒットになったほどの曲だし、マイケル・フランクスの名作「SKIN DIVE」で「WHEN I GIVE MY LOVE TO YOU」をデュエットしていたのを覚えてもいる・・・

前者は正直ピンとこないが、後者は何度耳にしているかわからないほど聴いている・・・
もっとも、マイケル・フランクスが主でステキなデュエット相手として聴いていたにすぎないのだが。。。

あるいは、アーティスト、ブレンダ・ラッセルの最大の功績はオリータ・アダムスの歌唱でCMにもなっていたと記憶する「GET HERE」をこしらえたこと・・・かもしれない。
彼女が非常に多彩な楽曲を作ることができることは、この作品でも十二分に証明されている。
歌手としても非常にチャーミングなのだが、なんかこうクワッと迫ってくるものがなかったりするせいか、件の「GET HERE」にしても「たかが歌」って感じに留まってしまっていた気がしてならない。

それが、オリータ・アダムスみたいな存在感あるディーヴァって感じの人がが歌唱すると、おんなじ曲でも魂を揺さぶられる感じがして「されど歌」になっちゃうもんだから不思議。
要するに、ベートーヴェン的にいうと「心より出でて心に届く」作品をものにすることができるのだが、表現者としては、よりインパクトのある触媒的な人物に共演・助演してもらうことで活かされるタイプ・・・というのが私の個人的なブレンダ・ラッセル観といっていいのだろう。
でも、そんな素晴らしい楽曲をこれまでいくつも残してきたことだけでもたいしたこと・・・であるのは言うまでもない。

そんな彼女の楽曲を何十年と折に触れ耳にしてはいるのだが、先のエピソードもあり、とりわけ私の心に馴染んだ経緯をもつのがこのディスク。
そんなに気にいったんだとすれば・・・
いろんなアーティストでそうしているように、このディスクから受けた感銘を再体験したいという衝動の赴くままほかのブレンダ・ラッセルのCDを漁ろうと思いそうなものだが、まったくそんなつもりはない。
それは・・・
他でそうした期待が叶えられた経験がほとんどないことをようやく学習して懲りたから・・・
ではなく、本当にこのCDだけで充足できているからである。

ほんとうに偶然に、アーティスト本人のあずかり知らない個人的体験と分かちがたく結びついたことが出会いのきっかけなのだが、全編、まったく心地よく聴ける・・・
この人には、こんな満足できるCDがあるのに他の作品を求めるのはナンセンスというものだろう。
このフィーリングそのものが奇跡的なのに、それを超えるのを求めるなんて容易じゃないに相違あるまい。。。

SMOOTH JAZZ・・・
以前は生理的に受け付けないような気がして天邪鬼的反応をしていたのだが、昨今、それに身をゆだねるのも心地よいと思えるようになった。
日和ったんだろうか・・・
いや、諸行無常・・・生きているかぎり、ものごとや人の感じ方は流転していくんだろうな。

いつもの記事と違って、今回、楽曲個々の感想などについてはひとことも触れていないのだが、私のこの個人的な感覚を文章にすることは困難だし、仮にそれができたとしてもあまり意味があるとは思えない・・・
むしろ、それぞれの人に、私と同じような経験に根差したお気に入りの盤があるんだろうなといういうことに思いを馳せてとりとめない駄文を投稿する次第。

あえて情報としての感想を述べるとするならオーディオ面。
このCDがHDCDだとZZ-EIGHTにセットして初めて気が付いたのだが、高音質に恥じない鮮度の高い音が聴かれたことはうれしい驚きだった。
X-50wで再生したときより明らかに相性がいいい・・・そりゃフォーマットが違うから・・・ことが、クリアに実感できた。
HDCDがこんなに実力があるなら、他にもいいのがないかと、こちらは大いに気になるところである。

それと、真に実力のあるアーティストが聴いたことのないレーベルから1枚だけ作品を発表した場合・・・
これは非常な力作、名作であることが多いと感じる。
もとより、そのようなこだわりや良心のかたまりのようなレコード会社が長続きするとは到底思えないので、短命に終わることが常だろうという想像もできてしまうのは残念。
ジェニファー・ウォーンズのフェイマス・ブルー・レインコートを出したサイプレス・レーベルなどがその代表例なんだろうが、ブレンダ・ラッセルのこのCDをカタログに残したヒドゥン・ビーチなるレーベルははたして現在も存続しているのだろうか?
気になるところである。


そうそう・・・
文字通り新婚旅行の「記念」として、パリのマドレーヌ寺院で購入したCD・・・
いい思い出のはずなのに、これが見事に記憶の彼方に葬り去られている。

「連れ合い」とは新婚旅行以来20年近くそれなりにやってこられたと理解しているので、記念品のひとつやふたつ忘れ去っていたとしても祝着至極のはずなのだが・・・
なんかちょっと残念なような気がしないでもない。

ルーツの開陳

2012年06月26日 00時25分33秒 | JAZZ・FUSION
★ソフィー・ミルマン
                  (演奏:ソフィー・ミルマン)
1.おいしい水
2.アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニシング・バット・ラヴ
3.ギルティ
4.マイ・ベイビー・ジャスト・ケアズ・フォー・ミー
5.バック・ホーム・トゥ・ミー
6.ザ・マン・アイ・ラヴ
7.ロンリー・イン・ニューヨーク
8.アイ・フィール・プリティ
9.バラ色の人生
10.マイ・ハート・ビロングス・トゥ・ダディ
11.黒い瞳
12.ディス・タイム・オブ・ジ・イヤー
13.アイ・ガッタ・ハヴィ・マイ・ベイビー・バック
14.ストーミー・ウエザー
                  (2004年作品)

引っ越して・・・
CDを置くイーゼルがどっかへいっちゃったので新しいものに買い替えて・・・
アンプをZZ-ONEに替えて・・・
当ブログのテンプレートをジャズ風のものに替えて・・・
CDプレーヤーに・・・めちゃくちゃ無理して・・・ZZ-EIGHTを加えました。

まだまだいろんな音楽をとっかえひっかえ聴いているところで、ZZ-EIGHTがすばらしいプレーヤーであることは疑いのないところですが、ZZ-ONEとのつながりがいいとか、ESOTERICのX-50wの押し出しの強さのほうがいいとか言えるまでに至っていません。
いずれも深く濃く表現する傾向にあるとは思いますが、強いて挙げれば残響の多寡に多少の違いがある・・・
ZZ-EIGHTのほうが直截で、X-50wのほうが付帯音が若干多い、それぐらいの差しか感じられません。
この間違い探し的なことひとつとっても、新鮮な気持ちでの楽しい楽しい聴き比べはまだまだしばらく続けられそうです。


もとよりこれらは全部中古。
今のラインナップで言うと、SACDプレーヤーだけが新品で導入したもの・・・です。

一昔前の私にはまったく想像できなかった事態・・・
私のご先祖様がたは、痩せても枯れても新品で物を迎えて最後まで使い尽くすことをとことん信奉していました。
いまから思えばそれは信仰みたいなもので、理由なんて・・・・きっとない。。。

私もそれが当たり前との思いで生きてきましたが、ここへきて宗旨替えを果たしたといえるでしょう。
家族と一緒に住むにあたって泣く泣く手放さざるを得なかったギターの多くも、今使っているゴルフのクラブも中古だし・・・
一族の掟をこれみよがしに(ひとり)破ってしまっています。(^^;)

きっかけはインターネットの台頭によって、廃盤CDや手に入りがたいCDが広く中古市場で出回っているのを見つけたこと。
それがどんどんほかのものに広がって、とうとう機材までネットで見つけて吟味して・・・というところまで来たわけです。

なぜ古いものを買うのかといわれれば「ずっと憧れの商品だったから」という話につきます。
もちろんあれも好き、これも好き・・・実現したいシステムのルーツはそれこそ古今東西を問わず幾通りもありました。

でも、別格にフィーリングが合う商品、いつかは使ってみたい商品というものがある・・・。
そのようなコンポーネントとご縁があれば巡り会い、数あるうちのただひとつの「一期一会」さえ成就させれば、それ以降の流れはあるていど必然となります。

今回のZZ-ONE⇒ZZ-EIGHTの場合は嬉しくも邂逅のご縁が続いた・・・
あまりにもスパンが短かったので、別の意味でとっても大変でしたが、今こうして充足した気分で音楽に浸れるのは、多少首の回りが悪くなったとはいえ、理由なく道理を引っ込めて無理をしたからに相違ありません。

かつて心の中で自分の夢をかたどってくれたモノが、今ここで、記憶を超えて目の前で自分の好きな音楽を奏でてくれる・・・
いい音楽を聴くのに、新品でなくてはならぬ、という教えは、ご先祖筋にとってはともかく、こと私にあっては足かせ・呪縛であったといえましょう。

そして・・・
私の夢をかなえるルーツたる数あるコンポーネントの中から、ボウ・テクノロジーズの路線に踏み出したいう選択は、マーク・レヴィンソンやマッキン、クレルなどの超重量級路線を必然的に捨てるという選択でもあり、実は、かなりの量の夢の実現性をリストラしたということです。
多少のお金があったとしても、この狭い家ですからML-2Lが鎮座するというのは現実味に乏しいですから、この選択は必然であり、お墓まで持っていきたいと心底思える逸品であることを思えばもっとも自分向きの幸運の女神の前髪を掴むことができたんだと、自分を正当化し続ける毎日であります。

                 

さて・・・
ジャズのテンプレートに替えた(戻した)ことでもあるので、日ごろそうそうは聴いていないジャズ・ヴォーカルからお気に入りを挙げておきます。
とはいえ、みんな知ってる人でしょうけど。。。

ソフィー・ミルマンは彼女の2~3枚目のアルバムにポール・サイモンやブルース・スプリングスティーン、スティーヴィー・ワンダーの佳曲を入れています。
それをyou-tubeで見つけて「ほう・・・」と思って聴いて・・・あっさり惹かれちゃいました。
いくつかの彼女の歌唱を聴いてジャズシンガーとしては特徴的なレパートリーをソツなくこなす歌い手だとは感じましたが、あにはからんやポップスの名曲たちは客寄せというにはクォリティーが高いから・・・
本当はこの人は何をしたいのだろう・・・とわずかな戸惑いも感じていました。


それが・・・
さかのぼって手に取ったこのデビュー・アルバムで、実はこの歌手のバックグラウンドには実に広範なルーツがあって、ここではそれが複数のプロデューサーの手によってみごとなまでに開陳されているのを知りました。
バラエティ豊かな選曲に編曲、歌声もときにイーデン・アトウッドを思わせる小悪魔的な瞬間や、伊藤君子さんの力唱を思わせる歌い回しがあったりと変幻自在、それにいい意味での気負いかもしれない勢いがあってまことに活きがいい・・・これこそが彼女の最大の魅力だと感じました。

録音には少し暗騒音を感じたり声に生々しさをもうひとつ求めたい気もしますが、それは新鮮な機材で聴いているので私にはとるに足らないこと・・・であります。

このルーツの方向性を大幅に絞って、なおかつレパートリーに工夫を加えて次作以降が制作されている模様ですが、私には最大のウリに感じられる活きのいい声の表情がいささかセーヴされているように感じられるのが残念です。
大物とかゴージャスとかいう批評は外れていないけれど、若いんだからもっとはっちゃけていいんじゃないか・・・?
テニスのセカンドサーヴィスのように工夫して置きに行くのではなく、どんなタイプの曲でもファーストサーヴィスのような勢いを取り戻す・・・
そのほうが、今の彼女の良さがもっと生きるんじゃないか、なんて思っています。

まぁ、大人気の彼女のこと、これからもどんどん新譜をリリースするんでしょうから、畢竟の傑作に出会う日を楽しみにフォローしていくことといたしましょう。


ゆくゆくはソフィー嬢はジャズ・シンガー界にあって、ポップス界で先般物故したホイットニー・ヒューストン(私と同学年の年なのに驚いた)のような存在にさえなりうる逸材と信じています。
なぜか知らないけれど、気が付くとファースト・アルバムばかり手に取ってしまうところは似てほしくないですが。。。

そういえば、デビュー当初のホイットニーは実力はいかんなく発揮しながらも、多少猫をかぶっていたように私には思われます。
ここはソフィー嬢と逆ですね。

ここにいるよ・そばにいるね

2009年05月18日 03時33分33秒 | JAZZ・FUSION
★スピーク・ロウ
                  (演奏:ボズ・スキャッグス)
1.インヴィテーション
2.シー・ウォズ・トゥー・グッド・トゥ・ミー
3.アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー
4.スピーク・ロウ
5.ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒァ・フロム・ミー
6.アイル・リメンバー・エイプリル
7.セイヴ・ユア・ラヴ・フォー・ミー
8.バラッド・オヴ・ザ・サッド・ヤング・マン
9.スカイラーク
10.センザ・フィネ
11.ジンジ
12.ディス・タイム・ザ・ドリームズ・オン・ミー
13.アズール
14.サム・アザー・タイム~ウィ・アー・オール・アローン
                  (2008年録音)

タイトルと記事が一致しないとお思いの向きもおられると思うが、私がソルジャ氏やテルマさんの曲を積極的に聴く嗜好を持っていないことは、よくおいでくださるかたには自明のこと・・・なので許していただきたい。

この記事のテーマは過ぎた時間とノスタルジー。
解題のボズ・スキャッグスは、洋楽アーティストとして私にとってはかねてより別格の存在であり、その最新作“スピーク・ロウ”こそ今月採り上げようと思ったディスクである。

彼を知る人であれば誰しもが認める代表曲・・・人口にもっとも膾炙したした曲はやはり“ウィ・アー・オール・アローン”に止めを刺すだろう。
その曲が収録されたアルバム“シルク・ディグリーズ”のバックバンドから先ごろその活動を停止したTOTOが生まれたこと、AORの先駆と謳われ本来アーシーな魅力を振りまいていたところにソフィスティケートされた要素が絶妙な魅力で加わったオトナ向きのロックのヒーローとなっていったこと・・・そんな歴史も、同世代の洋楽好きならば基本的な知識なのだろう。
35歳以上限定の観客に正装を義務付けたコンサートなど、とても画期的だった・・・ことなども当時のニュースで騒がれていたことを覚えている。。。

個人的にはやはり“シルク・ディグリーズ”収録の“ハーバー・ライツ”こそが彼の最高傑作であり、アルバムとしてもっとも楽しめるのは網タイツの女性の腿を枕に紫煙をくゆらせるジャケットが衝撃的な“ミドルマン”なんだと思う。

“ミドルマン”にはデヴィッド・フォスターが全面的に関わり、ファンクな“Jojo”などのナンバーから車のCMにも使用されたサンタナのギターソロが絶品のバラード“ユー・キャン・ハヴ・ミー・エニイタイム”まで聴きどころ満載。
何度聴いたか判らない・・・大学時代、通学時にカセットテープのウォークマンでエンドレスでこればかり聞いていたわけだから、きっと高橋多佳子さんのショパンより聴いた数ではまだ多いんじゃないかと思う。
このアルバムにせよ最も好きな曲には変遷があって、いまでは“イズント・イット・タイム”“ユー・ガット・サム・イマジネーション”というおしまいの2曲にもっとも魅力を感じるようになった。
大学時代とはこの点も大いに異なっていて、なぜそのように感じるようになったか自分自身でも興味深いところだ。

ただ、その後離婚による精神的なダメージでフォスターとの次回作をキャンセルしたことで、いくつかのサウンドトラックに参加したことなどを除いては、新しい音源の提供は8年ものブランクが開いた。

そして結果として発売された“アザー・ローズ”は結論だけいえば力作・傑作ではあったし、野心作として成功だと思うが人口への膾炙はどうだったのか・・・という作品となった。
楽曲の途中に、カッコつけた受け狙いの小憎らしい仕掛けを散りばめて、それがまた(特に東洋の島国の人間には)かっこよく映ってしまうという作品、代表曲としてはかのボビー・コールドウェルとのコラボレーションによる“ハート・オブ・マイン”を所収する作品(ボビー・コールドウェルには新しい“ハーバー・ライツ”をこしらえてほしいとオーダーしたらしい)というのが私の印象。

そして私にとって、ボズがボズであった最後の作品であるとも言える。
甘酸っぱい絶品バラード“ヴァン・ゴッホの夜”(これもボビー・コールドウェルとのコラボだ)をもって、ボズ・スキャッグスは私のロックヒーローとして存在は歴史上の人物となった・・・。

ボズの作品で共通なのは、その『声』の魅力であることに異論を挟む人はあまりいないと思う。
たしかにサウンドも様々なティストを含んで、多彩で華麗なのだが、根底には彼でしか出せないヴォーカルの魅力が余人を以って変えがたい要素として保障されているからこそ、ボズの作品には唯一無二の価値が現われるのだ。

年を経て感じるようになったのだが“ミドルマン”でのボズについて、そのサウンドの多彩さに比して、どうしても声の調子が若干不調であると思えてならない。
“アザー・ローズ”ではまたまた全快となっているので、アルバム全体が気に入っているだけに余計に残念ではある。

その声について、ボズの歌をへたうまなどという人がいるがこれは当たらないと個人的には思う。
要するにうまいとかヘタとかいうレベルでなく、好きな人には抗しがたい魅力を持った声そのものであり、歌いまわし(フレージング?)なので比較のしようなどない・・・というのが妥当だと思う。
先の“アザー・ローズ”の発売時に音楽誌のニューリリース欄に、ボズの新譜を心待ちにしていた女性ライターが「あれさボズさま、どうなと好きにしてくだしゃんせ!」とそのヴォイスを讃えていたのもむべなるかな・・・である。

さて・・・
長々と文章を連ねたが、かくのごとくかつて若いパワーにあふれた時期にAORの神であったボズを慕い、崇拝し・・・といったその音楽と共に生活があった者にとっては、特に言語でその魂を共有することの難しい東洋の人間にとっては、アーシーな原点に回帰しようとしていたボズ、現代的なシンセ・サウンドを身にまとってエキサイティングに楽曲を展開するボズ・・・というチャレンジに対して、その意気やよしであるが、馴染めないものがあったのも事実。

そして初のスタンダード集“バット・ビューティフル”が発表された・・・。
このアルバムは当時お気に入りのピアニストを発掘したから制作したなどと報じられ、アメリカのジャズチャートでは6週連続トップを飾ったらしいが、やはり東洋の島国の人間にはイマイチすぐについていくことはできにくい作品であったのではなかろうか?

それはボズ流のジャズ・スタンダード演奏のメソッドを作ろうとしていたからではないのかと今になって思われる。
演奏にも聴かせどころを・・・歌い方にも独自の工夫を・・・という具合に。。。
だから、逆に伝わるべきものが伝わらないというところもあったのではないかと思う。

しかし・・・
その後、かつての最盛期の楽曲を中心にしたライブ映像がDVDで発売されたのに狂喜し、年を経て、さらに自らの楽曲に深みを加えて演奏している姿に接し、自分が若い頃同じ曲から勢いだけしか感じ取れなかったことを少し恥じ入りながら堪能するという機会を持った。
これは以前のこのバックステージ記事で紹介しているはずである。

そして、今回の“スピーク・ロウ”。
実際に聴いてみて実にさりげない、作ったところというか、意図的なところが殆ど感じられない。
“バット・ビューティフル”ではバックの演奏でサックスが絡んでいたところが、オーボエというか別の楽器に置き換えられていたり・・・ハデにならないようなバックに終始しているのだ。

確かに冒頭の曲など、隣で聴いていた家人が「かぐや姫の音楽みたい」と評する(当を得てると個人的に思ったが)ようなある意味斬新なアレンジが施されている。
しかし、全編を通じてバッキングはひとつのことに資するように出来ている。
すなわち、ボズの声を最大限に引き立てること・・・である。

そして、録音の秀逸さも伴って稀代の声の実在感をともなって、そこでヴォイスを操るボズがいる。
スタンダードを歌唱しているのだが、そうではなく、ただボズがそこにいるという空気が表出されている・・・そんな雰囲気なのだ。

これがこのアルバムの最大の勝因。
かつて青春を一緒に燃え、謳歌したスターと私個人が、いまや同じだけ年齢を加えて違ったシチュエーションにある。。。

当然に私もいろんな経験を好むと好まざるとに関わらず重ねて当時と少し異なった立ち位置にいるのだが、同じように違う経験を重ねて違う歌を歌うようになったボズ・・・その声だけはよりリアルに身近な存在として感じる・・・がいる。

ボズの歌を聴きながら学校を卒業して社会人になって・・・
上司や顧客とカラオケにいったら演歌ばかりを聴かされ、歌わされ・・・そんな曲を歌った人の魅力に気づくと共にそんな歌の魅力も少しだけ知って・・・そんな経験を誰しもがしているのだと思う。

その経験、時間を経てまたボズの音楽ではなく・・・ボズの声との邂逅を果たした。
日本盤のボーナストラックである最終曲に“サム・アザー・タイム~ウィ・アー・オール・アローン”なんてもってくるところは、エヴァンス好きであろう日本のジャズファン(ボズを聴いていた洋楽ファンの趣味が高じたところもあるであろう)にもウケルだろうし、ブリッジに自らの代表曲を織り込むなんていやらしいことこの上ないが、ボズなら許せるという特権を利用しているに違いない。

このアルバムでは声だけにフォーカスできることによって、同じ時間を加えたボズが「ここに・そばに・いる・・・」。
これだけの歴史を共にしてきた者たちにとって、これで至高の時間が約束されないはずはない。。。

このアルバムがでたことで、前回しっくりくるまでいかなかった“バット・ビューティフル”までが存在意義を持つものとなった。
時間を経てなお、やはり、ボズは進化して私の前にあり続ける・・・のか?

いや、進化ではないな・・・
懐かしさを感じさせる別人であってほしいと切に思う。

コンセプト次第の歌姫

2008年10月23日 23時52分01秒 | JAZZ・FUSION
★ザ・ブック・オヴ・ラヴ
                  (演奏:シェリル・ベンティーン)
《チャプター1:Longing》
1.ユー・ドント・ノウ・ミー
2.ビー・マイ・ラヴ
《チャプター2:Flirtation》
3.ブルー・ムーン (デュエット;with ジョン・ピザレリ)
4.レッツ・ドゥー・イット
《チャプター3:Lust》
5.ドント・セイ・ア・ワード
《チャプター4:Love》
6.ザ・ブック・オヴ・ラヴ
7.ユー・トート・マイ・ハート・トゥ・シング
《チャプター5:Joy》
8.ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド
《チャプター6:Disillusion》
9.クライ・ミー・ア・リヴァー
10.アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー
《チャプター7:Loss》
11.グッドバイ
《エピローグ》
12.ザ・ブック・オヴ・ラヴ(リプライズ)
                  (2006年録音)

マンハッタン・トランスファーのソプラノ、シェリル・ベンティーンが卓越した歌手であることに異論があろうハズはない。
しかし、彼女を仮に歌姫と認めても、ディーヴァだと言われると違和感があるのは私だけだろうか?

いや、マントラでの彼女とて恐るべきコーラス・ワークを披露している割には、そしてソプラノという花形のパートを担当している割には目立たない・・・はっきりいえば地味なのではあるまいか?
いや、それだけコーラスのハーモニーが堅固でバランスがよいという裏返しでもあろうが。。。

当然に察することができることとして、彼女はひたむきで真面目で周りの音をよく聴きながら花形のパートを担当している・・・そして、そんな彼女であればこそ生きる他のメンバーのそれぞれ独特な個性に囲まれているからこそ、サイコーのアンサンブルになると考えられなくもない。
“ヴォカリーズ”やら“バードランド”などは、確かに人間業とは思えない圧倒的なエンターティメントを感じさせてくれる。。。
それも、やはりあの4人のアンサンブルがあればこそである。


しかし、彼女のソロ・アルバムとなると難しい問題がある。
すべての彼女のソロのディスクを持っているが・・・何だかんだ言いながら、要するに彼女のファン・・・我が国のかつての美徳、どこまでも真面目でひたむきな彼女の態度は時として単調で退屈さを覚えさせることになる・・・ことがその問題である。

旧くはベーシストのロブ・ワッサーマンのアルバム“デュエッツ”において、“エンジェル・アイズ”の緊張感ある壮絶さに魅入られた歌唱にしても、リッキー・リーやらアーロン・ネヴィル、そしてジェニファー・ウォーンズなど錚々たる個性派が1曲ずつ入替わっていく中にあったために、シェリル・ベンティーンここにありという感じで存在感を示すことができたのだが、あの歌を10曲並べられたらとても聴き続けられない。。。
1日1曲ずつ細切れで楽しもうという感じになってしまう。

彼女が曲やアレンジを如何に工夫したとて、本格派の曲に本格的に取り組んじゃった時には、私には肩の力が抜けきっていない作品に思えてしまう。
すましていながら意識してはしゃいだように聴かせたいと思っているように感じられた“レット・ミー・オフ・アップタウン”や“トーク・オブ・ザ・タウン”などは、ブレーキを踏みながらアクセルを吹かそうと頑張っているかのような歯がゆさも感じたのは事実。。。
駄作ではないのに、なぜか積極的に聞きにいけない・・・そんな作品だった。

でもこのアルバムを耳にして、それらの作品の彼女もすべて許せるようになった。
やはりすごい歌手だったんだと・・・そのように思わせるようになったことが、このアルバムの最高の値打ちだったとさえ思える。


このアルバム“ザ・ブック・オヴ・ラヴ”というタイトルどおり、憧れから破局まで“愛の物語”を曲を追って一冊の本を編むがごとくバラードでコンセプチュアルに綴ったもの。

冒頭から思わずジンとくるようなバラードを配し、先のエキセントリックさも“クライ・ミー・ア・リヴァー”などで、さりげなくドスを効かせていたりする。

このアルバムに、彼女のクラフツマンシップが他よりも多く注がれているかどうかは定かでないが、アルバム全体から仄かに立ち上るオーラがあって、紛れもなくその空気感に虜にされてしまうような、そんな1枚である。

秋の夜長に女声ヴォーカルをといわれれば、今、(語弊を恐れず言えば)最良の意味で不器用な彼女の歌声と共にありたい。

そんな気分なのである。


★ザ・ライツ・スティル・バーン
                  (演奏:シェリル・ベンティーン)

1.ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ
2.ザ・ライツ・スティル・バーン・イン・パリス
3.ブラック・コーヒー
4.イフ・エヴァー
5.キリング・ミー・ソフトリー・ウィズ・ヒズ・ソング
6.シャッタード
7.ソフィスティケーテッド・レディ
8.ラブズ・リヴァー
9.リトル・ガール・ブルー
10.ユー・トート・マイ・ハート・トゥ・シング
11.ヒー・ワズ・トゥー・グッド・トゥ・ミー
12.タンゴ・デル・ファンド
13.グッドバイ
                  (2003年録音)

さて、シェリル・ベンティーンの作品で最も好きなものは・・・と問われれば、実はこれかもしれない。
ジャケ写が“ぶりっ子”しているとおり、ここでのシェリルはいささかポップな感じの伴奏に乗って、やはりしっとりバラードをお嬢っぽく、でも親しみやすい方式でものにしている。

喩えて言えば隣のちょっと品のいいお姉さん・・・という感じだろうか。
それが深窓の令嬢っぽくて、また上品で真面目で一生懸命で不器用さも感じちゃったりするので、目を離すわけには行かない・・・これが計算でできているならたいしたものだが、ポテンシャルな魅力として彼女に備わっているに違いない偶然の能力だと信じている。

ゴードン・ジェンキンスの“グッドバイ”は私の大好きなナンバー。
先の“ア・ブック・オブ・ラヴ”でも採り上げていたけれど、くちゃくちゃに心砕かれた別れではないと思うけれど、多分歌い手の性格からすれば深刻なダメージを受けちゃった別れなんだろうな・・・と好意的に受け止められてしまうところが不思議な歌唱である。

もとより愛聴盤のひとつ・・・である。


★ムーンライト・セレナーデ
                  (演奏:シェリル・ベンティーン&ザ・ハーモニー)

1.ムーンライト・セレナーデ
2.ブルー・プレリュード
3.不思議の国のアリス
4.キャラヴァン
5.ハウ・ハイ・ザ・ムーン
6.ランド・オブ・メイク・ビリーヴ
7.ソフト・ストラム・ブルース
8.マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ
9.フォー・クラウディオ
10.トゥル・ティルズ
11.シンス・ファースト・アイ・ソー・ユア・フェイス
                  (2003年作品)

プロデュース、コンセプトが成功していると感じられるものとして、このコーラスアルバムがある。
マントラとは別の魅力があることはいうまでもない。

本来、周りに溶け合ってその魅力を発揮しているマントラでのシェリル・ベンティーンだが、ここでは主役を張らねばならないことが第一要因である。

そして確かに彼女は主役として主役のパートを歌っているのだが・・・いい意味で主役と思えないって感じがするのだ。
カリスマ的な歌唱で、圧倒的な存在感でその場を仕切ることはやはりない。。。

それを物足りないと取るか、彼女の個性と取るかで好悪は分かれるだろうが、私はそういうもんだ・・・と思える聴き手である。

本当にシェリル・ベンティーンは不思議な独自の存在感を持っている。


★シングズ・ワルツ・フォー・デビー
                  (演奏:シェリル・ベンティーン)

1.ラスト・ナイト・ホエン・ウィ・ワー・ヤング
2.ブルー・ムーン
3.ザ・ボーイ・ネクスト・ドアー
4.アイ・マスト・ハヴ・ザット・マン
5.バット・ビューティフル
6.ソウ・スウェル
7.ホエン・ユア・ラヴァー・ハズ・ゴーン
8.イージー・リヴィング
9.イン・ア・センチメンタル・ムード
10.ストンピン・アット・ザ・サヴォイ
11.アイ・ゲット・アロング・ウィズアウト・ユー・ベリー・ウェル
12.ワルツ・フォー・デビー
                  (2004年録音)

エヴァンス所縁の曲を多く配し、ケニー・バロンと対峙させたこのアルバム。
これも彼女のクソ真面目なところがクローズアップされる結果となり、最初聞いたときはカタイな~とか、一本調子だなと思ったものだが。。。

“ザ・ブック・オヴ・ラヴ”
このアルバムでの歌唱を聴いて後は、ひたむきなよい歌手であると思えるようになってしまった。

バロンのピアノは私にはややトーンがキツいけど・・・
最後の“ワルツ・フォー・デビー”の歌声には、この歌手の巧まずして人をひきつけずには最良のトーンが聴かれ、ただ聞き惚れるのみ、そんな感じで贅沢な時間を貪ることができるのである。

地味だから何でもできてしまうというワン・アンド・オンリーな個性を武器にする歌姫・・・
次なるコンセプトはどんなものだろう。
とても楽しみなのである。

充足~デジャ・ヴの素

2008年03月24日 02時10分11秒 | JAZZ・FUSION
★メイク・ディス・モーメント
                  (演奏:インゲル・マリエ・グンナシェン)
1.レット・イット・ビー・ミー
2.メイク・ディス・モーメント
3.ブレイム・イット・オン・マイ・ユース
4.ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロー
5.バット・ビューティフル
6.メランコリー・ブルー
7.フール・オン・ザ・ヒル/ネイチャー・ボーイ
8.ソング・フォー・ユー・ファー・アウェイ
9.オールウェイズ・オン・マイ・マインド
10.ジャスト・ア・ソング・ビフォア・アイ・ゴー
11.セバスチャンズ・ワルツ
                  (2004年録音)

忙しいというのは、文字通り心を亡くすこと。
音楽を聴く機会が減っているように感じられるのは、時間的な要因もさることながら心の余裕がないことのほうが大きいんじゃないか?
それとも、それ以外のことに充足しているから無理して聴かなくちゃという必要に迫られていないとか・・・?

いずれにせよそんなときこそ聞き慣れた安全志向のディスクより、以前真価を見いだせず眠っているディスクを選んでみたいもの。

インゲル・マリエ・グンナシェンのデビュー作は、まさにこのときのために取ってあったようなものである。(^^;)


おめでとう!
インゲル・マリエ。

あなたは、自分が何をしたいかを知り、それを実現・表現する力を手に入れることができているんだね。
そして、同じ道を歩んで行ける仲間にも出会っている。

そして、ありがとう。
私は確かにあなたのディスクを聴いてあなたの充足を感じることが出来たし、私の人生のひとときを安らかに同じように充足した気分を味わわせてもらうことができました。

どの曲にもこの歌手にしかない味わいが感じられたけど、特に“オールウェイズ・オン・マイ・マインド”などには、これだけさりげない中に情感がこもっているのが嬉しいと思えるほど。
ウィリー・ネルソンになんら遜色ない解釈だと言っていいでしょう。(^^;)

その他、ビートルズの“フール・オン・ザ・ヒル”はじめいろんな工夫を凝らしてあるとは思うけど、各曲にこれ以上のコメントはいらないでしょうね・・・。


こんなディスクとの出逢いがいくつもあって、しらずしらず人生って彩られているような気がする。

たとえ、私がこのディスクの存在を忘れてしまっても、確かにどこかに残っていくんだと思う。
もしかしたら将来『デジャ・ヴ』・・・なんて感じる素になるのかもしれない。

星メグリウタからの回想

2007年10月16日 00時27分19秒 | JAZZ・FUSION
★デュエット
                  (演奏:ロブ・ワッサーマン)
1.スターダスト/アーロン・ネヴィル
2.ムーン・イズ・メイド・オブ・ゴールド/リッキー・リー・ジョーンズ
3.ブラザーズ/ボビー・マクファーリン
4.デュエット/ロブ・ワッサーマン
5.ワン・フォー・マイ・ベイビー/ルー・リード
6.バラッド・オヴ・ザ・ランナウエイ・ホース/ジェニファー・ウォーンズ
7.風と共に去りぬ/ダン・ヒックス
8.エンジェル・アイズ/シェリル・ベンティーン
9.虹のかなたに/ステファン・グラッペリ
10.枯葉/リッキー・リー・ジョーンズ
                  (1988年)

このCDを聴いたのはいつ以来だろう?
長野の佐久に住んでいたころにオーディオ雑誌で、例によってフウ先生が推薦していたので手に取ったディスクであります。
あのころ無条件にフウ先生のおっしゃるディスクは当たりだったような気がします。

そして、佐久からアキバ(もちろんそのころアキバなんて言葉はなかったですが)に出向いて、ケンウッドのCDドライブ(DACの付いてないヤツ)とマランツのDAC内臓型のプリメインアンプとビクターのスピーカーのワンセットを購入したのが私の始めてのステレオ購入でありました。
もちろんこれもフウ先生の雑誌でのお見立て、そのまんま。(^^;)
それまではラジカセ1個でしたから、大出世であります。
でも、今考えてもあの音は良かった。

考えてみれば、その後プレーヤーはほどなく壊れて、フィリップスのLHH500になり、スピーカーはソナス・ファベールのコンチェルト・グランド・ピアノになって、アンプもマランツの上位機種になり・・・と変遷を重ねて今はこのバックステージを始めたころに書いたとおりプレーヤー3台をマランツのアンプとヤマハのスピーカー(ご老体)でそれほど不満なく聴いているというのが実情。。。

昔話を振り返ったのは、まずは最初にこのディスクを聴いた時の感覚が蘇ったことと、それぞれ新しいコンポーネントを手に入れる前、あるいは買ってすぐに、「これがどのように聴こえるか?」とチェックするのに使ってきたという思い入れあるディスクであるからに他なりません。

そして、これを聴こうと思ったのは何も佐久時代に毎日仕事で行っていた小諸市で禍々しい事件が起こっているからではなく、あるディスクを聴いて思い起こしたからであります。


まずはこのディスクの要諦から述べておきますが、ベーシスト、ロブ・ワッサーマンがゲストであるアーティストとデュエット(2人でパフォーマンスしているという意味。多重録音もちろんアリです。)をした作品を収めたという趣向。

メンツは曲名の横にあるとおりで、ご覧のとおり錚々たる面々であります。(^^;)

アーロン・ネヴィルのファルセット・ヴォイスはネヴィル・ブラザーズやソロで聴くほど黒いものではありませんが、いかに声のコントロールが効いているのかという観点から聴くとき、また歌の巧さという観点から聴くとき、どんな聴き方をしてもタメイキが出るという感じ・・・かつてはそうでしたが、今、年取って聴くとこれはチョッとキモイかな・・・と。(^^;)
普通にソロとかで歌っている通りのほうが今は好きになりましたね。

リッキー・リー・ジョーンズって最も好きな女性アーティストでしたが、最近は母親になって世界の不条理に立ち向かう音楽になり、バックのギターなんかもめっちゃトレブルが効いて攻撃的で刺激ある音楽に変遷しております。
彼女は“パイレーツ”(「だっちゅーの」ではない!)のころが1番よかったかな。またここで特集しなくっちゃ。(^^;)

ボビー・マクファーリンも懐かしい名前ですね。
この後どんな声でも出せるパフォーマーとして“ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー”でブレイクして、クラシックの指揮活動まで報じられていましたが・・・今は何してるんでしょうね。
“ドント・ウォーリー~”の曲だけは今もそこここで耳にしますけどね・・・。(^^;)

ルー・リードなんてどうしてるんだろ・・・?
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなんてもう知ってる人のほうが少ないかもしれませんね。(^^;)
今や、ルーさんといえばイングリッシュがトゥギャザーしちゃった人ですもんね。

私にとって、馴染み深いのはジェニファー・ウォーンズとシェリル・ベンティーンの2人です。
前者はここでもご紹介したとおり、ステレオの視聴盤として“フェイマス・ブルー・レインコート”を死ぬほど聴いたうえ、ドイツのzoundレーベルから高音質盤(このバラッド・オブ・ザ・ランナウエイ・ホーシズ”もリマスターされて入っている。薄皮が1枚はげたような仕上がり!)も出ているので、案外頻繁に耳にする歌手ですし、シェリル・ベンティーンもマン・トラとしてではなくソロとして一連の作品を発表しているものはことごとく堪能していますから・・・。(^^;)

まぁグラッペリのヴァイオリンも彼ならではだし・・・。
彼は鬼籍に入っちゃったんですよね。何してるなんて聞くまでもなく・・・。(^^;)

今となってはあの人は今特集みたいなディスクですが、私にとっては20代後半を本当に彩ってくれた懐かしい一枚であります。
ここまでくるといい悪いじゃないですね。録音も含め・・・。


★宮沢賢治に捧ぐ  星メグリウタ スベシャル・バージョン VOL.Ⅱ
                  (演奏:YOSHI(吉川よしひろ))

1.組曲パッハルベルのカノン
2.イン・ザ・ミスト ~甘美な時~
3.星メグリウタ ~スペシャル・ヴァージョン~
4.ジムノペディ変奏曲
                  (2006年)

このディスクは会社の同僚のかたにお借りしたもの。
他人のディスクをここに紹介するのは初めてなのですが、これをきいたときに先に書いたとおり、瞬間的にワッサーマンのディスクがインスピレーションで思い起こされました。

こちらは5弦チェロと踊るように(?)弾く“スタンディング奏法”で演奏される人らしいんですが、実際に演奏姿は見たことありません。

ただ、曲をどのように表現したいかがあってそれを追求してあらゆる奏法を駆使する人であることは確かです。
パッハルベルの荒々しいと言っていいかもしれないピツィカートとか、多重録音されているバックのハーモニーのチェロの音色とか、イコライジングも相当施された自然な音ではないにもかかわらず、本当に自然の息遣いを感じるときがあります。

サティはちょっと歌いすぎという気がしないでもないですが、もちろんこんなのもアリだという解釈。(^^;)

驚いたのは、“星メグリウタ”。
これのみ出だしがちょっとだけスペイシーなピアノで、チェロによって真っ当な旋律が歌われるのですが作曲者はなんと宮沢賢治!?

えぇモン聴かせてもらいました。(^^;)
同僚に感謝です。

讃歌のはさみうち

2007年10月06日 23時40分43秒 | JAZZ・FUSION
★ヒアズ・トゥ・ライフ
                  (演奏:シャーリー・ホーン・ウィズ・ストリングス)
1.ヒアズ・トウ・ライフ
2.カム・ア・リトル・クローサー~ワイルド・イズ・ザ・ウインド
3.ハウ・アム・アイ・トゥ・ノウ?
4.ア・タイム・フォー・ラヴ
5.ホエア・ドゥ・ユー・スタート?
6.ユーアー・ニアラー
7.リターン・トゥ・パラダイス
8.イズント・イット・ア・ピティ?
9.クワイエットリー・ゼア
10.イフ・ユー・ラヴ・ミー(愛の讃歌)
11.サマー(エスターテ)
                  (1991年録音)

シャーリー・ホーン。
思えばこのピアニスト=シンガーも鬼籍に入っちゃったんですよね・・・。

音源としては多くの印象深いアルバムを残している彼女ですが、一枚を上げろといわれれば、私の選択はどうしてもウィズ・ストリングス・アルバムのこれってことになっちゃいます。
彼女自身は、ピアニストこそが本分であるとわきまえた活動を心がけていたようですが・・・私はこのアルバムで彼女を知ったもので余計にそう思えるのかもしれません。

確かに彼女は個性的で、味わい深い音楽を作ることのできるアーティストであり、それは彼女のピアニズムからも如実に感じ取られることではあります。
でも、私には彼女の歌い口のほうが唯一無二の個性を表明しているように思えてならないのです・・・。

さて、このアルバムは上述のようにピアニストを自認する彼女が本当に久方ぶりに自分のパフォーマンスのハーモニーを他人に委ねた作品であります。
オーケストレーションしたのはかのジョニー・マンデルですが、さすがはプロ中のプロ、本当にシャーリー・ホーンというアーティストを際立たせるように背景を整えている・・・そんな気にさせられますね~。(^^;)
曲は概ねというか全編スローなテンポの曲、とはいえ曲調はさまざまでリズムも多様ですから、ずっと傾聴することについて何ら差し障りはありません。
とにかくオケの響きが決して声を邪魔することなく気持ちよくそこにある(鳴っているという感じじゃなくて、まさしくそこに“ある”)んです。
よく聴くと、ん・・・もしかしたらファンタスティックなんじゃないの!?・・・という感じといえばよろしいでしょうか。。。


でもでも、あらためて私は最高の聴き所は彼女の歌、それもヴォイスだと言ってしまいましょう。

たとえば冒頭の“ヒアズ・トゥ・ライフ”にせよ、曲はメロディーやらフレーズがモノを言うつくりじゃありません。
それは、語りからウィスパーから心情の吐露から口を使って表現できるすべてを演じきることができて、はじめてその楽曲が持っているものの深さを聴き手に伝えることができるという類のもの・・・。

他の解釈者による演奏も持っていますが、それは曲をただ麗しく歌っている・・・それだけでも十分に人を感動させることの出来る能力をもった曲であることは認めますが、脳みその中で響くところが違うように思います。
いや、よくある例えのように「頭で聴く」のか「ハートで聴く」のかというイメージのほうが近いかもしれませんね、「耳から音楽的に美しい情報を取り込んだ」として聞くのか、「心に響いたそのようすをただただ味わう」ものとして聞くのか、そんな感じといえばよいのでしょうか。

いずれにせよ、彼女シャーリー・ホーンはこの人生の讃歌(といっていいんじゃないかなぁ~)を絶妙に演じきり表現しきっています。
きっともう一度やれと言われても、できないほどにこの録音のときは乗っていたんじゃないかと思われるのです。

声の張り、トーン、かすれにいたるまで、その心情を正しく反映している・・・。

彼女の楽曲への心からの共感を聞き取ることが出来ます。
決め手はやっぱり、ハートなんです。。。

センシティブで頑固なアーティストである彼女。
何かを声高に主張するわけでも、だれかに阿(おもね)り媚びるわけでも、投げやりなわけでも、捨て鉢なわけでもない。
ただ、あるがままを余計な思惑を抜きにして受け止めながら、きちんと正面を向いて自分の信条にもにた歌詞を伝える・・・それだけのことでこれほどまでに感動的な歌唱ができちゃうんでしょうね。

これほどまでの声の演技といえば、比肩すべきはジャック・ブレルの“行かないで”ぐらいでしょうか・・・。
これもホントに感動的な名唱だと思いますけど。(^^;)

そして、このアルバムのラス前には“愛の讃歌”がさまざまな楽曲を挟み撃ちにするように配されています。
あたりまえではありますが、ここで歌手は最高に感情を高ぶらせて歌い上げこのアルバムにおけるマンデルとのコラボレーションを祝福しているようです。

この作品全体が、そんな彼女のしずかな達成感も十ニ分に伝わってくる佳作であると言えるでしょう。

実は、このセッションには彼女のキャリアにとって甚大な影響を与えた人物マイルス・デイヴィスの共演も予定されていたようですが、彼の他界のために実現せず、ウィントン・マルサリスが代打でソロを執っています。

もしかしたらマイルスに捧げる意図もあったかもしれませんね。。。


私のこの盤はSACDですから歌もオケも確かに音はスムーズに聞こえますけど、彼女のソウルというかハートはラジカセで聞いたとしても十分に我々を感動させてくれるもの、それは間違いないでしょう。

たまに聞きたくなる所以かもしれません。(^^;)

イマジナティブな電子音楽のはしり

2007年10月05日 23時21分47秒 | JAZZ・FUSION
★ウィーンの一夜
                  (演奏:ショーンヘルツ&スコット)
1.望みの泉
2.世の見える窓
3.カーニバル
4.心、安らぎて
5.ウィーンの一夜
6.バヤングメ
7.カイロへ
8.センチメンタル・ウォーク(“ディーヴァ”のテーマ)
                  (1987年)

ウィンダム・ヒル・レーベルは一時「ニュー・エイジ・ミュージック」と呼ばれる癒し系音楽の雄として、その影響力は絶大なものがありましたよね。(^^;)

代表的な作品としては、ジョージ・ウィンストンのオータムに収められている「あこがれ/愛」でしょうか?
私も楽譜を買ったわけではないですが、冒頭のところだけピアノで音を拾ってみました・・・。
ワンフレーズ弾くだけで、「おぉ」と言ってもらえるというのは短絡的においしい話でありまして・・・一節だけ弾けるというのは他にもいくつかあります。。。(^^;)

さて、レーベルの領袖であるウィリアム・アッカーマンを含め、主要なアーティストは当初全編アコースティック音楽で通していたと思います。
数あるニュー・エイジ・ミュージックのうちでも、このウィンダム・ヒル系の音楽などをとくに「環境音楽」などと言ったりもしていましたね。


さて、このショーンヘルツ&スコットというピアニスト(シンセ・キーボード)+E.ギターのユニットによるチームは、楽器編成からしてお分かりの通りエレキテルの力を全面的に借りています。
当時のイメージとしては、“ウィンダム・ヒル=アコースティック”だったのですが、オーディオ評論家のフウ先生(漢字がでない・・・)が何かの視聴用のソースとして紹介されていたのを見て、どれどれと思って入手したものであります。

しかし、これが私にとってウィンダム・ヒルのレコードの中で最も永く愛聴するディスクとなりました。(^^)/

フウ先生の紹介は「イマジナティブなことこの上なし」といった口調だったと思いますけど、当時軽井沢近くに住んでいた私にとっては自然の中であったり、また塩沢湖のペイネ美術館などのたたずまいであったりにもっとも似合う音楽のひとつであったように思います。
そのうちにあってエレキテルを活用している音楽の中ではときかれれば、今でもこれが随一だと答えるでしょう。

非常にロマンティックなシンセのサンプリングをヨーロピアンな楽曲に当てはめて、うっとりと聞かせてくれる内容になっています。
聴きはじめた当初は、どこにエレキギターが使われているかわからなかったですが、ギターを効果音としてさまざまなエフェクトを駆使して利用するとこんなにも多様なサウンドが出せるということを勉強したアルバムでもあります。

ショーンヘルツはその名から感じられるとおりヨーロッパはウィーン生まれということでありますが、ヨーロッパを意識した憂いを含む音楽を多くプログラムに入れているということもアメリカのレーベルであるウィンダム・ヒルの中にあって異彩を放つ要因のひとつです。

特にヨーロッパ色が顕著な2曲として、“ウィーンの一夜”はミステリアスな曲調が印象的で、ラストの“センチメンタル・ウォーク”は映画“ディーヴァ”のテーマ曲であるなど静謐な音楽でありながらアグレッシブさも思わせるような感じ。
ピアノによるダルな反復伴奏の音型は、サティのジムノペディをゼッタイ意識しているものとおもわれます。
もしかしたらこれらの曲にフランス風味を感じてペイネに似合うと思い込んでしまったのかもしれませんが・・・。(^^;)

でも、私が本当にこのユニットならではの美点だと感じるのは、どこまでも幸せなイメージを表現している曲、たとえば“望みの泉”“心、安らぎて”といった曲。
特に後者では非常に透明感のあるヴォイスも心地よい・・・。

通常のシンセの音色もさることながら、パーカッションの音(これもサンプリングのシンセだけど)が当時としては破格に印象的だったので、ここらへんがオーディオ・チェックなどに有効だったんでしょうね。

私は別にオーディオ・チェックではなく、音楽そのものを楽しむことができちゃう音源になりました。


スムース・ジャズとかいろんな癒し系音楽もこの後ありましたが、ウィンダム・ヒルのような電子音楽も今ならさらに自然かつイマジナティブに表現できるようになっていると思うので、またはやると良いですけどねぇ~。

エンヤとか好きな人には、これらのアルバムは心地よいかもですよ!(^^;)

いいぞ!その汗 ~猥雑なライヴ

2007年08月16日 00時10分42秒 | JAZZ・FUSION
★アマンゲスト・ザ・ピープル:ライヴ・アット・ザ・ハウス・オヴ・トライヴス
          (演奏:ウィントン・マルサリス(tp)、ウェッスル・アンダーソン(as)、エリック・ルイス(p)、中村健吾(b)ほか)
1.グリーン・チムニーズ
2.ジャスト・フレンズ
3.ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
4.ドナ・リー
5.恋とは何でしょう?
6.セカンド・ライン
                  (2002年録音)

あらためてお断りするまでもなく、私はジャズも聴きます。

このライヴはスゴイと聞いて入手したのですが、本当にスゴイ!(^^)/
何がスゴイか私に問う前に、四の五の言わず聴いてみてその魅力に組み伏せられたらいい・・・そんな感じのディスクです。

ウィントン・マルサリスというと、キャスリーン・バトルとのバロックのアルバムなども手がけており高潔なジャズ・トランペットのジェントルマンというイメージを持っておりましたし、それらのジャケットでは黒のスーツでしゃきっと決めておりましたからジャズをやるときゃ難しいヤローだと思い込んでおりました。
イメージ的にはナカリャコフくんと同様、すんげ~テクニシャンという触れ込みで最初売り出されましたからね。。。

先だって亡くなったお兄さんのブランフォードさんにもそういう傾向があったように、果たして彼は、知的に考える先進的なジャズを志したこともある・・・というか志す側面もあるので、そういったときにはど~しょ~もなくしょ~もないというか、聴く気の失せるアルバムを作っちゃうこともあるのですが、本能はまっとうにワイルドなジャズ・ミュージシャンであったということがよ~く判りました。(^^;)

ゲ~ジュツとかそういったことに関わらず、演奏の一回性というか垂れ流しというか、スポンティニュアスな側面を強調したプロデュースをすれば、かくもエネルギッシュで猛々しい、そうでありながら知的なアプローチができるんだということなのでしょう。
聴き手の私は、全面降伏白旗降参状態であります。


会場の異様な熱気。。。
火照っていると言うか、燃え上がっていると言うか、ざわついた感じがどうにも猥雑でたまりません。(^^;)
ディスクの音のみの情報なので、実際のマンハッタンの会場がどんなところかは想像するしかないんですけれど、舞台の上で繰り広げられていることは確かにすばらしいジャズの演奏ではありますが、私にはほとんどマナ板ショーと同じノリが感じられます。


コイツら、イッちゃってるッ!!(^^;)


たとえ、お利口さんのウィントン君が曲中どんなにクレバーなフレーズを挟もうとも、すべては演奏と言う情事の中でのこと・・・と言わんばかり。

ステージの上でも下でも、カネボウのナイーブの宣伝のように「いいぞ!その汗」状態ですモンね。

こんな演奏会に出くわしちゃったら、さぞかし終わった後のクールダウンに時間がかかるでしょうね。
理性のタガが外れた人ばっかりになっちゃうでしょうから、こぶができたり子供ができたり大変なことになっちゃいそうな気がします。

もうこうなるとスタンダードの曲名が書いてあっても、何の曲だか関係ないですしステージはもちろん、最もノッてる客に負けじと付いていくしかないですもんね。


という、このディスクに最早これ以上の講釈は無用でしょう。
とにかく演奏の完成度は著しく高いですけどそんなことは関係なしに、ジャズの最高にホットでヒップな雰囲気を味わいたいというヤツに、「一度耳にしてはどうだい!」と耳打ちしてあげたいディスクであると私は思います。(^^)v

共鳴ウィスパー

2007年08月12日 00時00分12秒 | JAZZ・FUSION
★アメリカン・ソング
                  (演奏:アンディ・ベイ)
1.ネヴァー・レット・ミー・ゴー
2.プレリュード・トゥ・ア・キッス
3.スピーク・ロウ
4.エンジェル・アイズ
5.ミッドナイト・サン
6.キャラヴァン
7.ラッシュ・ライフ
8.サテン・ドール
9.イッツ・オンリー・ア・ペイパー・ムーン
10.ロンリー・タウン
                  (2004年)

何年か前にグラミー賞にノミネートされていたこのディスク・・・。
もちろんジャズの部門ですけど。(^^;)
我が国では話題になったんでしょうか?
オトコの声による歌を聴きたかった私に、内容は忘れてしまいましたがとっても書評がビビッとくるものだったのでこのディスクを求めたのを覚えています。

このアンディ・ベイという歌手の声はなんとも不思議な魅力にあふれています。
クラシックの歌手のような声の張りみたいな要素も感じさせますが、決してクラシック歌手のそれではない・・・。
だいたい声を張り出すこと自体、特定の曲のここぞということろでしかありません。

あとは、この歌い手の体躯がどのようなものかわかりませんが、おそらくはそれなりの長身・・・それを頭の先から下腹部ぐらいまでを共鳴させてふと~い声を共鳴させた“ウィスパー”って感じの歌い方です。
この“共鳴ウィスパー”がこの歌手の最大の色気であり、魅力であります。

声を張り上げるだけなら・・・確かに精悍な美しい声なんですが・・・中途半端なバリトン歌手か、できそこないのゴスペル歌手に堕してしまうでしょう。
それが“共鳴ウィスパー”が加わると、ゆとりある焦燥感とでもいうべき、他の誰にもない味わい深い歌い口になる・・・わけです。

その背景にはリズム&ブルース・ジャズを感じさせるのはもちろん、やはりスローテンポで丹精に歌い語るさまからは私はシャンソン的な雰囲気も感じます。
でも中低音域が主であることと、声の共鳴のさせかたが管楽器を思わせるところがあることなども相俟ってまったく独自の世界を作り出し出すことに成功しています。

声を張り上げるのは“スピーク・ロウ”や“キャラヴァン”のセカンド・ヴァースなどですが、その声にはしっかり芯が通っている。
ところが、“共鳴ウィスパー”の場合はその芯が共鳴によってかき消され、本当に空洞で“言葉を乗せた音”が響いているように思えるのが不思議・・・。
だからこそ、張り上げたときの声が生きている。。。

その共鳴のさせ方もバリトン・サックスを思わせるようなときもあれば、バスクラリネットのときもある。バスーンって時もあるなぁ。
要するに、多彩なんですね。(^^)/
そんな声を生かしたアレンジなっていることもあってか、テンポがグッと落ち着いているため歌詞もよく聞き取れるので、たとえ何を言っているかわからなかったとしても聴いててフラストレーションがたまることはありません。
まあ、収録曲は全部スタンダード・ナンバーで知ってる曲ばかりだからかもしれませんけどね。(^^;)

伴奏陣も心得たもので、決して自分が正面に出ることなく雰囲気作りに徹しています。
基本はピアノトリオですが、そこに本当の管楽器(クラリネット・サックス)が絡んだり、ギターが加わったり、とってもテンダーないいムードなのであります。


聴き進んでいくうちに、やっぱりこの“共鳴ウィスパー”は人間管楽器だという思いを強くしましたね。
間違いなく、サックス、それもバリトン・サックスあたりのバラード演奏を絶対に意識してそれを模している・・・。

言葉が乗せられることはサックスには出来ない芸当でありますが、そうでなくとも“人声サックス”をフィーチゃーしたアルバムとして聴いてもなかなか面白いものがあります。

特に、“サテン・ドール”のようにアンディ・ベイがテーマを“共鳴ウィスパー”で歌った後、本当のサックスがアドリブでソロを吹いたときの対比、その後精悍な生声でサビを歌い上げる・・・・この流れ、本当にカッコいいです。(^^)v

楽器のアドリブ・ソロを譜面に起こして言葉をつける“ヴォカリーズ”という手法がジャズにはありますが、このディスクはメイン・テーマを楽器としての声が表現する・・・なんとそれに言葉がついているという感じであり、この歌手独特のジャンルといっていいと思いますねぇ~。
味わい深いディスクでした。


この蒸し暑い不快指数の高い時期ではなく、晩秋から初冬のころに聞いたらあったかくなれるヴォーカル・アルバムであるかもしれません。
たまに思い出して聴いてみたくなる・・・そんなディスクになっていくのかもしれません。

キャットへの憧れ

2007年08月07日 00時00分00秒 | JAZZ・FUSION
★イタリアン・キャット
                  (演奏:ジェジェ (GEGE AND BOPARAZZI))
1.ウー・シュビ・ドゥ・ビー
2.雨に歩けば
3.ストーミー・ウェザー
4.フライディ・ナイト
5.ザ・サイドワインダー
6.フィーヴァー
7.ヒー・ビープト
8.マンブルズ
9.ナッティ
10.エスターテ(夏)
11.スポンティニュアス・コンバスチョン
12.スキパニの冷蔵庫
13.セックス・マシーン
                  (1993年)

“キャットへの憧れ”って銘打ったものの、元来私は(毛の生えた)動物が嫌い・・・。
アレルギーって程じゃないけど、以前は尻尾を振って寄ってきた犬がズボンの上から私の腿に触っただけで、赤くただれたりしてたんですね・・・。

でも、考えてみれば犬なら、マジで「飼い犬に手をかまれた」ことがあるのでニガテであるだけの理由がきちんとあるんですが、ネコには相手にさえしてもらっていないので恨んだり、恨まれたりするはずはないんですね・・・。

20年来仕事で取引先を訪問していれば、犬ギライじゃ行けなくなっちゃうところもあったわけで、息を止めて突入してたこともありますもんねぇ。
おかげさまで今では若干体質改善ができたようで、犬に触れられても赤くはれるということはなくなりましたが・・・ハナをくっ付けられたり、まして舐められたりすると・・・と思うだけでやっぱダメですな。

その点ネコはまだかわいいと思えるところがある。
静岡で息子と釣りをしていた際、珍しく(それなりの大きさの魚が)爆釣だったときがありましてバケツ一杯に釣れた魚を放り込んでおりました。

と、そこへネコがやってきて物欲しそうにバケツの周りを窺っている・・・。(^^;)
まず息子が自分で釣っておいてキモいと言っていた“モンガラカワハギ”を投げ与えたら、さっと咥えてひとしきり遠くへ行ったものの「食えねぇ~」って感じで放り投げた・・・。
で、またやってきて今度は息子にメバルをもらったんですが、これは最初からいらないってことで相手にしない。。。(^^;)

結局、息子がアジを渡したらそれこそ“泥棒ネコ”のように一目散に咥えて持ってっちゃったと思ったら、あっと言う間に平らげてしまいました。
ヒカリモノに拘るところなんか微笑ましいし、またぞろ寄ってくるところも可愛いところがある。。。
というわけで、ネコは犬ほど苦手というわけではありません・・・ってどうでもいいことですよね。


さてまたムダ話ばかりしていますが、今回は知り合いのネコ好きな人と話をしたことから“キャット”という単語に思い至って、このジェジェの作品を引っ張り出してみました。(^^)/

ところで、ゴージャズ・レーベルってすごく好きだったんだけど、いつの間にか見なくなっちゃいましたよね~。
ベン・シドラン主宰で、錚々たるメンバーを集めて、エッと思えるような作品を立て続けにモノしていたのに・・・どうしちゃったんでしょうねぇ?
今さらいうのもナンだけど、チョイと残念。。。

シドラン名義の作品ももちろんのことですが、何作も持っています。

このディスクが録音されたころは、完全にデジタル録音の潮流がアナログを飲み込んでしまった後だと思うのですが、敢えてアナログ録音に拘っているところはやはり“温度感”が欲しかったからなのかなぁ~。

CDになってるからには、デジタル・サウンドにコンバートされている分けなんですが、入口をアナログにしていることで微妙な生々しさをディスクに封じ込めることに成功している・・・ような気がしてなりません。
ジャズからその熱気を取ってしまったら、それはそれはさびしい音楽になっちゃいますからね!


さてさて“キャットへの憧れ”とは言うものの、別に小さい頃からネコになりたかったわけじゃありません。
そりゃ「ニャンコ先生に“キャット空中3回転”を教えてもらいたい!」と思ってはいましたが・・・。(^^;)

この場合の“キャット”とは、ジャジーなフレーズをイカしたフィーリングで歌えるヤツ・・・ってコトです。
ここで共演者として出てくる重鎮ヴォーカリストのジョン・ヘンドリックスによれば、「それと併せてスキャットもセンスよくできないといけない」などとやたらハードルを高く設定しておりますが。。。

で、そのヘンドリックスのお墨付きを得たイタリア人“キャット”、ジェジェ・テレスフォロがまたカッコいいんです。
いとも簡単にありとあらゆるスキャットが口を突く。。。
考えて歌ってるって感じじゃないんですね、とにかく湧き出してくるものをそのまま自然にノドを通せば思い通りのものが響きとして出てくるようなもの。
もちろん、そこには音の要素だけじゃなくって、粋であり旨味でありが乗っているからたまらない!(^^)/

ドナルド・フェイゲンの名曲(になっちゃいましたよね)“雨に歩けば”の出だしマイアミの空のはずが“イタリアの空”になっちゃってるのもご愛嬌だし、“ザ・サイドワインダー”のヘンドリックスとのデュエットもサマになってる以上のものがあるし・・・。
私はむしろ“ストーミー・ウエザー”の妖しいデュエットや“フィーヴァー”といった火照りを感じさす曲に彼の本領を見ますが・・・いずれにせよ最後のセックス・マシーンでバンド紹介しながら悪戯しきって終わるのが、楽しいショウを観たって感じでいいですよねぇ~。

バンドもノリノリで、それこそセックス・マシーンのあのリズムに乗せて、しれっと“マイ・フェイバリット・シングス”の旋律を混ぜちゃうカンカク。。。
そういう遊び心はオトナになってから好きになったもの・・・「そこいらの坊ちゃん・譲ちゃんにはわかるめぇ~」というオヤジの悪あがきを助けてくれるニクイ一枚ですな。
久しぶりに聴けてよかった!(^^)/

がんばりーにましょう!

2007年04月05日 00時00分10秒 | JAZZ・FUSION
★ラッシュ・ライフ
                  (演奏:ロバータ・ガンバリーニ&ハンク・ジョーンズ)
1.ユー・アー・ゼア
2.アイル・ビー・タイアド・オヴ・ユー
3.ホン・ライツ・アー・ロウ
4.ディープ・パープル
5.リミニッシング
6.サパータイム
7.ジャスト・スクゥィーズ・ミー
8.サムシング・トゥ・リヴ・フォー
9.スターダスト
10.ラッシュ・ライフ
11.スカイラーク  (ライヴ)
12.ボディ・アンド・ソウル  (ライヴ)
13.クール・ブリーズ  (ライヴ)
14.ラッシュ・ライフ  (ライヴ)
            (2005年録音(スタジオ録音)、2006年録音(ライヴ録音))

まこと女性というのは豹変するものでありますな。
中国の昔の君子よりも、その豹変の度合いは大きいかもしれません。

将来を嘱望されるジャズ・シンガーであるこのガンバリーニ嬢も、まさにそんなことを感じさせてくれたレディのひとりであります。
そして、このディスクは待望の彼女のセカンド・アルバムであります。

今年88歳になった(?)らしい、要するにお年寄りの重鎮ピアニストであるハンク・ジョーンズが惚れ込んで一緒に作ったアルバム。
宣伝には老ピアニストはガンバリーニ嬢と一緒になら20枚でもCDを録音したい・・・と言ったというような入れ込みぶりのとのことです。
H.ジョーンズのキャリアを考えると、本当にそう思っているのなら確かに尋常なことではないようにも思えます。

スタジオ録音ではピアノ一本を
しかしこのディスクを手にした理由を告白しておきましょう。
ジャケ買いです!! (^^)/

ガンバリーニ嬢なら、ピアニストに関係なくいいに決まっていると思うのですが、実は手に取ったときには顔写真入りのジャケットであるにもかかわらずガンバリーニ嬢だとわからなかったのです。
デビュー盤のジャケ写とのイメージが違いすぎて・・・。

歌唱については、なんといっても湿り加減が絶妙なのです。
旧きよき時代の雰囲気を大いに持っているし、多分録音するについても、そんなところこそを彼女のインプレッションとして強調することを課題とされたセッションだったのでしょう。

基本的にジョーンズ翁のピアノ一本をバックに歌われていますので、もてるテクニックを駆使して楽しく聴かせてくれるとはいえ単一のムードを終始キープしており、最良のコンディションでのリサイタルを楽しんでいるような感じですね。

そしてライヴでは、パフォーマンスの精度はそのままにライヴならではのパッションも加わります。
スキャットの曲【13】などはこのうえない爽快なスリリングさも味わえます。やっぱりこの人すごいです。


それでは、彼女のデビュー・アルバムを下に紹介します。

★イージー・トゥ・ラヴ
                  (演奏:ロバータ・ガンバリーニ)

1.イージー・トゥ・ラヴ
2.オンリー・トラスト・ユア・ハート
3.ラヴァーマン
4.明るい表通りで
5.ポーギー&ベス・メドレー
6.恋人よ我に帰れ
7.トゥー・ロンリー・ピープル
8.センターピース
9.ゲス・アイル・ハング・マイ・ティアーズ
10.ノー・モア・ブルース
11.煙が目にしみる~オール・ザ・シングス・ユー・アー
12.トゥー・レイト・ナウ
13.マルチ・カラード・ブルー
14.モンクス・ムード~ルッキング・バック
                  (2004年録音)

演奏はデビュー盤にもかかわらずグラミー賞にノミネートされるほど絶賛されているわけで、実力のほどは折り紙付きであります。
二枚目と比べると、やはりデビュー盤らしくいい意味でかっちり作ってかっちり歌っているという感じはします・・・。

でも、すごい歌い手が次から次へと出てきますよねぇ。
ほんとにわずかなチャンスをモノにできたかできないかだけで、本場には実は、知られざる実力者がうようよしていそうにも思えます。

しかし私が強調したいのは、ジャケット写真から受けるイメージなのであります。(^^)v

新盤は“ジャケ買い”をしちゃうほど洗練されたものですが、先に触れたようにジャケットを見たときにこれがガンバリーニ嬢のディスクだと気がつきませんでした!!
クレジットを見ても、同姓同名だと思ったくらい・・・!?

“売り場に並べて置いてあったからこそ同じ人の作品だとわかった”というぐらい、新盤のジャケットは魅力的に見えるように写真が撮れているように思えます。

それにしても彼女、相当に痩せたんでしょうねぇ。
デビュー盤のジャケットではどう見ても(イタリア系の)イモいねーちゃんですよねぇ。
本格派の端正な声にマッチするのか、ミスマッチなのか判断がつかないような質実剛健なルックスです。
それが新盤では、何という躍動感ある笑顔がステキなレディになっちゃったんでしょう!

肝心の歌はもともとテクニックはもうカンペキに身についている人なので、デビュー盤から既にグラミーにもノミネートされていましたねぇ。
そして、新盤ではそれを凌ぐムードを醸し出しています。特にアルバム後半のライヴ録音は先に述べたように本当に素晴らしい!!

一枚目はメドレーが3つあることなどからも、いろんなタイプの曲を混ぜこぜにしてもアルバム全体が散漫にならないよう、極めて丁寧な工夫を凝らして作ってあるような気がします。
そして、ガーシュウインからモンクまであくまでも多彩に彼女の適性があることを知らしめる、彼女のイントロデュース盤というコンセプトなんでしょうね。デビュー盤だから当然かな?

でも、やっぱりジャケットの工夫がちょっと・・・・・まあ、白いシャツで何色にも染まりますと言うか、何でも歌える健康優良児っていうイメージが伝わってるからいいのかしら・・・。

なにはともあれ、ガンバリーニ嬢の今後のますますのご活躍を祈りたいものです。
ますますキレイになったらなおよろしい・・・ってこともネ。(^^)v


★ラッシュ・ライフ
                  (演奏:ジャシンタ)

1.ザ・ブールバード・オヴ・ブロークン・ドリームズ
2.ブラック・コーヒー
3.サマータイム
4.ラッシュ・ライフ
5.黒いオルフェ(カルナバルの朝)
6.いそしぎ
7.ホエン・ザ・ワールド・ワズ・ヤング
8.セプテンバー・ソング
9.ハーレム・ノクターン
10.スマイル
                  (2001年録音)

『ラッシュ・ライフ』のタイトル繋がりで、どちらかというとオーディオ界でもてはやされている歌姫ジャシンタのウィズ・ストリングス盤をご紹介しましょう。
ウィズ・ストリングスといっても基本的にはピアノ・トリオ等のプリンシパルな演奏があって、補助的にストリングスが絡んでいるだけってのがほとんどです。
メジャー・レーベルじゃないもんね・・・この辺はしゃ~ない。
でもそれだけで充分なように、きちんとアレンジされていますから・・・とフォローを入れておこう。(^^)/

ジャシンタって、オーディオに関心おありの方にとっては、音を聴いたことがあるかないかは別にして名前すら知らないということはない人でしょうけど、私はこの人はディスクの評がほとんどあてにならない類のタイプのアーティストだと思っています。

まず第一に取り沙汰される録音からして評価はまっぷたつですもんね。
専門家の先生のうちでもキチンと説明をくれている人はいませんが、良いと言う人と良くないという人に分かれます。
「どっちでもない」という人がいないのがむしろオモシロいぐらい・・・。
ちなみに現在のHMVオンラインショップでこのディスクのユーザー評を見ると、録音が最高と言う人と、この録音は最低だから買っちゃダメとまで仰ってるかたがいらっしゃるってな感じ。

推測ですが判るような気がするんです。というのは、私はSACDプレーヤーを2台とCD専用機を1台の計3台持っているのですが、かけるプレーヤーによってアンプとスピーカーが同じであるにもかかわらず凄く音が違う。

音の繊細さというかソノリティーはSACDのほうがスムーズに出るのですが、このスムーズと言うのが曲者で、時としてジャズにほしいゴリッとした感触がなにかシームレスな感じになっちゃうことがある。
さらにSACD2台を比べても、強烈に音が異なるように思うのです。
すなわちS社のはベースの胴鳴りを感じさせつつもスカッと抜ける、M社のはそれよりずっと濃密でパンチも効いているといった具合。
聴く人の嗜好にマッチしていればどっちもいい音なんだけど、合わないときにS社は薄味のモヤットな音になるし、M社は不自然に強調された音に聴こえるんじゃないかと思うのです。
もちろん合ってれば絶賛しますよね。

ですから、私はこの録音はいい音が録れてはいるんだけど、自分の趣向に合った音が出るかどうかは機材によりますという録音である・・・という録音評が正しいと思うのです。
端的に言って、いまどきどのディスクについてもこれは言えることなんでしょうけどね。

ちなみに私はこのディスクはS社の方で聴いた方が好きですね。これはいい音です。
でも、ジャシンタの他のSACDすべてがS社のほうがいいかというとそうでもない・・・。

オーディオ好きは、後はセッティングとかで詰めるのを楽しむんでしょうね。ディスクごとにシステムを替えるわけにいかないモンね。
でも、斯界の権威の先生は「どの機械を使ってもその方の音がする」らしいので、やはり研鑽する余地は充分にあるんでしょう。私も、不調のスピーカーはともかくとして(先立つものの関係で愛器の老体を酷使している状態)、今ある機材を充分に生かして自分好みの音を作れるように調整しなくちゃね。

さて次は歌唱についてなのですが、やはりこれも好悪が分かれるんでしょう。
これもわかるんです。
ガンバリーニ嬢のように、圧倒的な歌唱力とかテクニックが身についていて、それを駆使するという芸風じゃないんでねぇ・・・。
めくるめく爽快感とか、突き抜けた感動とかに誘われることはまずない。

じゃ、彼女の魅力は何かというとリアルなヴォイスと、まとわりついてくるような主としてダークな情感表現、要するに女優業も本業というだけあって濃いのです。
彼女の歌世界の非日常の恋が、どこか行きつけのクラブあたりで静かに飲んでるさなかにノンフィクションで迫ってくるようなイメージをもたらすのです。

だからそこにいる少女に身につまされるような共感を抱くのか、きっぱりウザいと思うのかで評価は二分されることになってしまうように思います。
好きな人にはたまらないし、好まない人ははっきりノーと判断しちゃうような・・・。

で、私は結構いいムードだしているなという“肯定派”であります。彼女の最高傑作をこのディスクだという評価には首肯しませんが。
ジャシンタのこれまでの最高傑作はきっと“枯葉”のディスクだと思います。
いずれまたご紹介するんじゃないかと思います。(^^)v

ケツァルコアトゥル

2007年03月17日 00時00分50秒 | JAZZ・FUSION
代々木公園にきています。

噴水を見やるカップル・・・。
羨ましいことに本当に親しそう、楽しそうにお話していましたね。
自分にはあんな頃があったのだろうか?
時々ふとそう思うときがあります。

何を話しているのでしょう・・・?

かみさんとの話題に詰まることの多い私には、「何をそう話すことがあるんだろう?」などと思ってしまうのですが・・・。
ぜひともどんな他愛のない話でもいいから、二人で談笑できる、いや笑えなくてもいいから会話が出来るネタが欲しいものです。
何故かお互い話をすると、「子供の勉強を誰がみる」とか業務連絡みたいになってしまうんです・・・。

そういえば、代々木公園にはこんな像もありました・・・これぐらいのときならいいんだよね、まだまだ。
幼稚園の勉強ぐらいなら楽勝でみてあげられるから・・・。(^^)v
          

しかしまぁ、こんなんでよくもまあ結婚することが出来たもんだ。

といいながら、多かれ少なかれ“結婚”というものはそういうものであるというか、そういう経過を辿るということを聞いてはいるので安心している私。

要するに幸せならいいんです。


と、どうでもいい話は措いて“ケツァルコアトゥル”というのはこの像の題名です。
     

メキシコのフェデリーコ・シルバという方の作になるこの彫刻、台座の説明によると、古代メキシコの文化神“ケツァルコアトゥル”の化身ということなんですが、いったい何だと思いますか?

“羽毛のある蛇”なんだそうです・・・。


羽毛といえば代々木公園には、バードサンクチュアリなんて看板がありました。
   

さまざまな鳥が観察できると絵まで描いてあったけれど・・・確かにツグミとスズメはいましたが、後はカラスしかいませんでしたねぇ。
しかもそのカラスの数が尋常ではない!!
いつヒッチコックの映画状態になってもおかしくないぐらいでした。

自分の名前が載っていない“鳥の名を紹介をした看板”にとまっているカラスと思わずにらめっこになっちゃったりして・・・もちろん人間の意地で撃退しましたよ!(^^)v
思えば、抗議の意志表明だったのかもしれないので、少々可哀そうだったかもしれませんが・・・。


よく見ると看板には“よく訪れる鳥たち”と書いてあるので、いつも居座っている鳥は描いてなくてもおかしくないのか・・・?


いずれにせよヒッチコックの鳥も恐いけど“羽毛のある蛇”も目の前にいたら結構恐いような気がします。
この“ケツァルコアトゥル”という3日後には間違いなく言えないだろう神様も、いろんなサイトを調べたのですがかの国では相当ワケアリな神様のようですね。

そういえばこの写真を撮るときにも、像の上にカラスがいるのを追っ払ってからでした。愛知県一宮市出身の私には、カラスという言葉はどうも好きになれない事情がありまして・・・。仕方ないかもですね。カラスのせいじゃないですけど。

           ミモザの木です。



★星へのきざはし
                  (演奏:ニューヨーク・トリオ)

1.恋人よ我に帰れ
2.星へのきざはし
3.木の葉の子守歌
4.煙が目にしみる
5.アイル・ビー・シーイング・ユー
6.キャント・ヘルプ・ラヴィング・ダット・マン
7.ボディ・アンド・ソウル
8.ザ・マン・アイ・ラヴ
9.スリーピング・ビー
10.星影のステラ
                  (2004年録音)

ディスクの紹介をするのはエラく久しぶりのように思ってしまう私であります。
チョイスした理由は、単に冒頭写真とジャケットが似ているから・・・であります。
シチュエーションが・・・・・・・・・・ね!

結構お気に入りで、一時よく聴いたCDです。

私が思うにニューヨーク・トリオのピアニスト、ビル・チャーラップはヴィーナス・レコードにあって最も普遍的な魅力を持ったピアニストではないでしょうか。
“万人ウケするピアニスト”と言おうと思ったけど、何か語弊があるような気がしたのでそうは言わずにおきますね。(^^)v

高音でころがすフレーズが、ロックのウィスキーの氷が解けてグラスに当たったときのような雰囲気の音に聴こえます。
要するにムード満点ってことね。

そして、どうしてもエヴァンスゆかりのレパートリーが並ぶと聴いちゃうんですよね、私・・・。

モントルー・ジャズ・フェスティバルでの“スリーピング・ビー”、“1958マイルス”の冒頭を飾った“星影のステラ”など私の好きなエヴァンスの名演奏も頭に浮かんできます。

チャーラップとエヴァンスとではぜんぜん演奏の傾向は違うんだけど、同じ曲を演奏するということでどうしても背景に他人の演奏が見え隠れしてしまうのです。
そんなところも「同じ素材をいろいろな人がどう加工するのかが聴く際の一つの醍醐味」であるジャズを聴く楽しさなんですよね!


しかしながら、ヴィーナス・レコードのハイパーマグナム・サウンド・・・。
このエネルギーは相当高い。
受け皿を早く探さないと・・・スピーカーがビビること、ビビルこと・・・折角いい演奏なのに。

ぐっすん・・・(>_<)