SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

リスト没後120年特集 (その6 ロ短調ソナタ編3)

2006年11月30日 00時09分03秒 | ピアノ関連
★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
                  (演奏:ヴァレリー・アファナシエフ)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.ピアノ小品 嬰ヘ長調 S192-3
3.ピアノ小品 嬰ヘ長調 S192-4
4.悲しみのゴンドラⅡ
5.不運
                  (2000年録音)

IDカードのIDとは“アイデンティティー”(またはアイデンティフィケーション)の略だそうです。
さっき初めて聞きました。(^^)/
そんなわけで、傍目に見てもアイデンティティー溢れる個性豊かな面々のロ短調ソナタを特集したいと思います。
その際に○○コンクール入賞という実績などもアイデンティティーのひとつなのでしょうが、今その観点は抜き!
演奏の在りようがどうかという点だけで独特なかたを選んでみました。

そんな特集であればトップバッターはやはりこの人かと。。。
よく演奏が遅いと言われるけど、これなんか一般のそれより3割近く時間がかかっているので止まっちゃいそう。。。
最初の“ソ”から次の“ソ”の音からして、なかなか出てこなくてつんのめっちゃいそう。。。
ときにテンポなんてないのではないか、なりゆきで漂っているのではないかと思われるような瞬間もあるのですが緊張感は決して途切れません。
しかしそこから醸し出される心象は、その音色同様に深みがあり、すべからく思索的で引き込まれ傾聴させられます。
いつもながら本当に不思議です。

アファナシエフは「下手糞と言われてもいいが、楽譜に忠実でないと言われることだけは許せない」と言っています。ところで、この方の楽譜にだけテンポ記号が入っていないのでしょうか?(^^)/
モスクワレコーディングという30年以上も前のバッハを演奏した録音を聞いたときには、端正な美しい音色で生気も溢れ極めて真っ当で、しかもこのうえなく魅力的なバッハだったんですけどねぇ。。。
クレーメルと絶交したとか平均律の録音中にも誰かに裏切られたとか言ってるようですが、対人関係の不調からいろいろとナーバスになって、ただでさえセンシティブで哲学的な神経のどこかがマヒしちゃったんでしょうか?

そして、よくアファナシエフの演奏には当たり外れがあるといわれますが、これなどは誰からも当たりだと礼賛された演奏です。私も首肯することをためらいはしませんが、それは曲の構成を把握できた後に聴いたためだと思います。今だからこそ興味深く聴けたディスク。
リスト初心者の方には、ある程度修行を積んでからチャレンジしたほうがいいかもです。
後日ブレンデルのディスク紹介で書きますが、私もこの曲自体が素晴らしいと思えるまでに何年もかかりましたので。。。

★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 / スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番
                  (演奏:イーヴォ・ポゴレリチ)

1.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
2.スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 作品19《幻想ソナタ》
                  (1990年録音)

この人も2つの意味でアヤシイですねぇ。
ひとつは師匠であり奥様だった故ケゼラーゼ女史とケッタクしてウケ狙いの解釈をしているのではないかという“怪しさ”。この演奏でも、全体の流れというよりその刹那の演奏効果の細部を最大限詰めていったうえで全体の構成のバランスを合わせたという手順が見て取れるように思います。
そうはいっても、グローブのような恵まれたでっかい手で一時も聴き手の耳を離すことなく、大轟音もピアニシモも極美の音で設計されたとおりの演奏を現実のものにする手腕と感性にはただただ脱帽するほかありませんが。。。
そうですよ! こんなに楽しませてもらってて、文句言っちゃいけない!!

もうひとつは弾き出される音自体の質感、ことに複数の旋律が綾なしたときなどの響きが“妖しい”。。。
冒頭のスタッカートのソの音の響き具合からして他にはない。さらに進んでペダルを節約して右手は媚びるような旋律を纏綿と奏でながら左手の伴奏は関係なくモノローグっぽかったりする箇所もあります。さらにさらに、連なる和音の混ざり具合の味わい、フーガのところなど集中力を切らさず耽美的な音が泉のように湧き出てくるようです。とめども尽きぬアイデアと技術の宝庫であります。
リストはどこにも光が当たらない場所がないような明晰な演奏なので、妖しさはいつもの半分ぐらいですが、併録されているスクリャービンなどは曲が曲なだけに別に出ているDVDでの演奏なども含めて、ポゴレリチの演奏は妖しさ全開です。
(こっちのほうがポゴレリチらしいかもしれません)

いずれにしても、この人ほど“外面的”な巨大さを感じさせる瞬間をこの演奏に持ち込めている人はいないでしょう。反対にピアニシモも息を飲む美しさで聴き入らせてしまうことができることも、よりダイナミックレンジの広さを誇ることができる要素のような気もします。
聴いていて飽きない。楽しい。それでいいじゃないですか!! は私の意見。
ということは、あざといのがキライという人にはお勧めできないディスクかもしれませんですね。

★リスト:ピアノ・ソナタロ短調 ほか
                  (演奏:ロヴロ・ポゴレリチ)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.オーベルマンの谷
3.バラード第2番
4.水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ
                  (2006年録音)

上記イーヴォの弟で母国クロアチアでは知らぬものはいないぐらい知られた存在だそうです。
(要は関心あるヒトはみんな知ってるってことですな!)

兄者のように音そのものをコケ脅しや媚薬のように使ったりしないで、音楽でもってものごとを語る(“騙る”ではない)という姿勢が貫かれている極めてマトモなかたです。
表現方法に関してもはっきりした音だけでなく、グラデーションの中に溶かし込むことで別の効果を生み出したりもできる。(兄者はできるのに敢えてしないだけだろうが)
体格も当然のことながら兄者と遜色ないものがあるのでしょうから、生み出される音も非常にダイナミックで、スケールがでっかく広大無辺な印象を抱きます。兄と比べれば“内面的な”巨大さといえるかもしれません。
ただ生真面目な分だけ広大なサバンナをやや内省的に走破して終了という感がなくもない。。。
これはお兄さんのを聴いたすぐ後だからかなぁ~。
どこかの小泉さんと安倍さんの関係を見るようだ。。。

最初に聴いたときは音量を少し控えめに聴いたため、ネクラな変化に乏しい演奏でブラックホールに放り込まれたような印象を持っていたのですが、大きめの音量で聴くとロヴロの真骨頂が堪能できます。実は、気は優しくて力持ちだったんだ、と。
音量によって印象に非常な差が出ることが分かったディスクです。小音量で聴かざるを得ない人はヘッドホンでもいいからそれなりに大きめの音量で聴きましょう!(^^)/


★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 / ペトラルカのソネット ほか
                  (演奏:ヴラディーミル・フェルツマン)

フェルツマンはチャイコフスキー・コンクールの覇者で、これはデビュー当初ソニーに録れたディスクでした。
一聴してテクニックの切れにビックリしました。とても鮮やかで視界がぱぁーっと開けたような素晴らしい演奏です。目覚しい鮮烈な演奏をと思われる方はこれがいいかもですね。

その後、ソ連のお国事情でいろいろあって不遇を囲ってきたみたいですが、最近カメラータからディスクが紹介されているようでなによりであります。
以後いろんな国で録音を残しているようですが、会社が潰れちゃったとか何かでカメラータが救った以外には再発できていないのが残念です。
一度、名古屋のHMVでベートーヴェンの最後の3つのソナタやバッハのゴルドベルク変奏曲のディスクを見つけたことがあるのですが、そのとき手に入れなかったのが本当に悔やまれます。
最近はいささかクセを感じさせる好々爺的な演奏になっているようですが、とはいえテクニックに衰えはないだろうと思うので、合ったレパートリーをぜひディスクにせっせと残して欲しいですねぇ。限定をつけたのはショパンのノクターンのディスクが私的にはちょっとコケちゃったので。。。


そもそもディスクになっている奏楽であるからには、ひとつの楽譜を見てその演奏家が自らの存在意義を賭けて解釈・演奏をしたものばかりであるはずなので、それぞれのかたの思いの深さに等しくアイデンティティーは存在するんでしょうけどねぇ。
この方々の演奏は結果的にではあれ、特にそれぞれ一聴して分かる特徴的なものをお持ちでいらっしゃる。いつもながら優劣・良否は申し上げません。ただ、私にとってはパラダイムが異次元にあるぐらい転換しちゃったようなものもなくはありません。そんなかた、楽譜に忠実に素直に解釈したといいながら、実は確信犯的な面はちゃっかり持ってるんじゃないかなぁと思ったりもします。それもまたよし!

すべての演奏のいいところを聴こうと思って聴くのが私のアイデンティティーです。
俗に言う“優柔不断”ではないかとも思うこともありますが、これまでの経験に照らしてちゃんと(かなりキョーレツな)好き嫌いはありますよ。
これまでの記載の仕方で、私の好みはある程度分かっていただけますよね?
以前はよく、「この曲(演奏家)は“かくあるべし”」という思い込みを抱いて聴いていたのですが、それより「こいつはこの演奏を通して何を言いたいんだろうか?」と一旦それを受け入れる体制で聴いたほうがより楽しいことが分かったので、先のアイデンティティーを標榜するようになったのです。

そうとでも思っていなくては会社から帰った後に、ロ短調ソナタを一晩で何回も聴いたりできましぇ~ん!!

リスト没後120年特集 (その5 ロ短調ソナタ編2)

2006年11月29日 00時00分32秒 | ピアノ関連
★リスト & ベルク ソナタ ほか
                  (演奏:小山 実稚恵)
1.バッハ:パルティータ第2番ハ短調 BWV826
2.ベルク:ピアノ・ソナタ 作品1
3.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
4.ショパン:マズルカ3曲
                  (1998年録音)
今回は、日本のミューズによる演奏を3点。
小山実稚恵さんは、とてもスケールの大きいピアニストだと思います。デビュー当初からずっと聴いています(ずいぶん前ですが九州で生でも1度聴いてます。サインもらいました!娘は握手しているんですが、私は。。。そのときはかみさんが横にいたもので)が、デビューのころは曲が求めるスケールならびにご本人が志向するスケールの大きさに対し“いま少し”羽ばたきが足らないかもと思ったこともあるのですが、2度目の録音になるこのディスクではまったく曲の巨大さに負けていないどころか、この人ならではの毅然とした音楽が聴かれます。
他の曲についても同様ですが、小山さんの演奏からは純然とした日本的な凛とした響きを感じ取ることができます。
作曲家の流儀に飲み込まれて弾かされるのではなく、“小山実稚恵”の理性の下に作曲家の流儀はたしなみとして尊重されはしても、ピアニストがイニシアチブをとって弾いていると感じさせる人です。
高橋多佳子さんと並んで、私が最も共感を抱く日本人ピアニストの最右翼に間違いありません。
ショパン以外にもいっぱいディスクがあるのも嬉しいし、おのおののディスクのコンセプチュアルなプログラムが楽しみなピアニストですね。
ほやほやの新譜のシューベルト“さすらい人幻想曲 ほか”でも耳が洗われるような名演を楽しみました。
これ以上ここでは触れませんが、また何かの折に書きます。

★リスト:ピアノ・ソナタ
                  (演奏:田部 京子)

1.リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178
2.ペトラルカの3つのソネット
3.リゴレット・パラフレーズ
                  (1995年録音)
田部京子さんは逆にデビュー時に私に鮮烈な印象を与えてくれたピアニストです。
ショパンの名曲で編んだデビュー盤も新鮮でしたし、その後忘れられない2枚が続きました。それはメンデルスゾーンの“無言歌集”とシューベルトの“変ロ長調ソナタD.960”です。
メンデルスゾーンは彼女のディスクが今でも私のファースト・チョイスです。
シューベルトも発売当時は私に最もしっくり来る変ロ長調ソナタでした。はっきり言ってポリーニの上をいく解釈だと今でも思います。そしてその後積み重ねられていく彼女のシューベルトの作品集はどれも秀逸であるとは思います。しかし完成度はより高くなっていっているかもしれないけれども、共感度は変ロ長調ソナタのディスクが一番であるように思います。
理由はハッキリ分りません。でも、当初(ショパンは別にして)しずしずとどうでしょうかと言わんばかりに演奏していた彼女には、目を離せない何かを感じました。そして自信を得たからでしょうか、彼女の演奏は磨き上げられ文句のつけようもない完成度を誇るようになりましたが、反面取り付く島がなくなってしまったようにも思えます。
ホンの一時交通事故で活動できなかったときがあったと思いますが、その前後が境だったのでしょうか?彼女の技術はたゆまぬ研鑽により確実に高みに上っているように思います。でもスキがない。。。
彼女は自らが理想とする演奏をストイックに追って、聴衆の存在を忘れてしまうことがあるのかもしれません。
そして丁度このリストの演奏が彼女のその分水嶺のころに当たるのではないかと思います。
というのは、彼女はリストのディスク発表後のインタビューでロ短調ソナタを「征服しがいがある」弾き手の満足を満たす曲として語っています。音の潤いも表情も、彼女が願ったとおりのことが多分実現されているのだと思いますが、褒め言葉しか思いつかないけれども、聴き手として単純に「惹かれる演奏か?」と問われるとビミョーなものがあるからです。
自分自身の楽しみのために弾いておられるのは結構ですが、聴き手の楽しみ(学究的な模範演技という意味ではないです)のためにというのであれば、もうすこし人懐っこい雰囲気を感じられればと思わないでもありません。
あくまでも私の感想です。ペトラルカのソネットなどを含めて望みうる最高の演奏がここにあることは間違いありません。

★リスト:ソナタ ロ短調/ラフマニノフ:ソナタ 第2番
                  (演奏:片山 早苗)

1.リスト:ソナタ ロ短調
2.ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36
                  (1999年録音)
一聴したときになんと稀有壮大な演奏かと思いました。
語弊があるかもしれませんがベルマンのような凄さだと。。。
それはそれでとても興味深く聴くことができました。面白いディスクであると思います。
ただよく聴いてみると、そう思える要因のひとつには録音が残響を極めて多めに取り込んでいることがあるのではと感じました。解釈そのものも巨大さを志向しているために、(多分)録音のせいでぼやけた輪郭を頭の中で補正してみると地肌は意外と肌理が粗いのではないかと思ってしまいます。
ホールトーンを含めて、すべてひっくるめたものが演奏であるわけですから、私の聴き方は意地悪に過ぎるかもしれません。やはり生の演奏に触れないとそのニュアンスなどが聴き取れないため本当の力量はわかりにくいのかもしれません。
したがって総括すると、サウンド面では残念ながら表現の細部が残響に埋もれ、ピアニストの工夫などを聴取することができにくかったディスクという感じでしょうか。
とはいいながら「聞き流す分にはとても迫力があっていい」とも言えるかなぁ。。。
2曲とも大言壮語するというような雰囲気の曲ではありますし。。。

さらにどうでもいいことですが、男性のピアニストのジャケットであればリストとラフマニノフが凝った背景の上でにらめっこしているというものでも文句を言いませんが、裏表紙で美しいお姿を披露しておられるくらいなら「ジャケット表に出てこんかい!」という気も普通のオヤジ風に抱きます。
次回作ではぜひとも表舞台にご尊顔を。。。

リスト没後120年特集 (その4 ロ短調ソナタ編1)

2006年11月28日 00時01分00秒 | ピアノ関連
★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調/悲しみのゴンドラⅡ/夜 ほか
                  (演奏:クリスティアン・ツィメルマン)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.灰色の雲
3.夜
4.悲しみのゴンドラⅡ
5.葬送曲
                  (1990年録音)

リストのピアノ曲のうちこのロ短調ソナタが最高傑作か否かは措いたとしても、最も力の入った作品であることに異を唱えられることはなかろうかと思います。

そして数あるこの曲の録音の中から一枚を選べと言われれば、私が迷うことなく挙げるのがこのディスクです。このソナタをこれほどカッコよく、スタイリッシュに判りやすく聴かせてくれる演奏は他にありません。“ヴィルトゥオジティ”満載、ときに気高くときに厳しくも絶対に聴き手の存在を忘れてはいない。。。曲中のどこにいるのか、聴き手を迷子にさせることなくとても頼もしく曲をガイドしてくれる演奏です。

ところで“ツィメルマン”と表記しましたが、ディスクには“ツィマーマン”とあります。
ポーランドに住んでたことがあって、先だってツィメルマンの来日のときに楽屋を訪ねてお話しもされている高橋多佳子さんが“ツィメルマン”とおっしゃってるので、私も倣って“ツィメルマン”ということにします。(^^)/

彼のこのころの“シューベルトの即興曲”“ドビュッシーの前奏曲”などのディスクには共通して彼独特の音があります。
ピアノは彼自身の持ち物だと思いますが、楽器のせいなのか奏法にもよるのかは私にはわかりません。何かの文章でツィメルマンのスタイリッシュな演奏を支える技術として「指を着地させる名手」と記されていたのを覚えていますが、私にもショパンのバラードなどのDVDを見てると彼がタッチをいろいろ工夫しているのはわかります。
結果として、そのように繰り出される彼のピアノの音そのものに抗し難い魅力を感じるのです。
ペダルの奏法も巧みで絶対に混濁しない和音や、楔を打ち込むような単音による低音の切れ味などこの曲の演奏を見通しよくするためのテクニックには枚挙に暇がありません。それでいて適度にデモーニッシュなところも感じる。。。
私にとって本当に理想的な演奏です。
このディスクの発表のころは寝てもさめてもツィメルマンでした。
最近の彼はソロ・リサイタルはするものの、ディスク発表はコンチェルトばかり。。。それもごくたまにしか発表されないのか寂しいですね。
ブーレーズのウェーベルン全集の中のピアノソロ曲の録音以降、発表されたソロ音源ってあったかしら?
それって、何年前のこと!?
おーい、首を長くして待ってるよぉぉぉ!!!


訳もなく写真を掲げましたが、この写真を見たときにツィメルマン演奏のリストのロ短調ソナタをイメージしました。
というのは、山の尾根や針葉樹のとんがり具合、色づいた葉の様子がロ短調ソナタの構造のように見えたのです。下降主題の後、跳躍音の主題が山の尾根づたい進む、なだらかになったところが中間の緩徐部分、フーガ風の展開からクライマックスが右側の針葉樹。。。
赤や黄色はデモーニッシュさ加減で、ツィメルマンのクリアなタッチによって描き出されると全体像はこんな感じかなぁ~と。
ふと思いついた直感ですけどね。。。
3つまで写真がアップできるモンで、段落を変えるのにもいいかと思っただけという話もありますが。。。(^^)/


もう一枚、これはいうまでもなく(?)ツィメルマンが奏する“灰色の雲”です。
もやーん・どよーんという感じでフキツな感じがする曲というのが定説ですが、彼が弾くとハッキリくっきり「絶景かな、絶景かなぁ~~!」っていうイメージになるから不思議。
そう聴こえることが彼にとっていいコトかどうかは知りませんが。。。

この曲はなんでも無調音楽の嚆矢を飾る曲だそうで、音楽史上では未来を志向したリストの画期的な作品だそうで。。。
ブレンデルとか、ポリーニとか大物で薀蓄のありそうなかたがたによって演奏される機会が多いみたいですね。
聴くかぎりでは超絶テクニシャンのリストの作品でありながら「オレにも弾けるかも」という気にさせられますが、業界の方からすると表現すべきを表現するためにはとてつもなく難しいものがあるのかもしれない。。。
指の動きだけであれば、愛の夢のほうが数段忙しいに違いないと思う私は甘いか?

次回からは、ロ短調ソナタのディスクを駆け足でたどって行きたいと思います。

愛のハーモニー

2006年11月28日 00時00分01秒 | ROCK・POPS
先だって穂高の紅葉の写真を使って、エルトン・ジョンの“Harmony”をご紹介しましたが、続編として、エルトン・ジョン絡みでもうひとつハーモニーを。。。
エルトンひとりではなく、斯界の大物4名のハーモニーをば。

★フレンズ ~愛のハーモニー~
                  (ディオンヌ・ワーウィック)

エルトン・ジョンを始めとするスティーヴィー・ワンダー、グラディス・テイトという仲間とともに、ディオンヌ・ワーウィックが歌うこの歌が大ヒットしてもう20年以上経ってしまいました。
年をとるわけだ。。。
今聴いてもスティーヴィーのハーモニカ、エルトンのピアノのイントロからだけでも、優しさがあふれ出てくるようですなぁ。

当時はエイズという恐ろしい病気が一般に知られ始めたころで、その対策のキャンペーンの一環か何かの曲だったように記憶しています。間違ってたらごめんなさい。
あのころ、エイズの猛威で地球が滅ぶのではないかと言わんばかりに週刊誌などで騒ぎ立てられていたように思います。医学界では休むことなくたゆまぬ努力が続けられているだろうと思うものの、エイズは今でも脅威なのか、もはや克服の目途が立っているのかさえよくわからない自分がいます。。。
私が不勉強なのか、対策者の情報開示が怠慢なのか、情報伝達者こそが注目することを忘れちゃっているのか。。。
サーズとか鳥インフルエンザとか狂牛病とかも、結局どうなっちゃってるんだろう?

いまや人の噂が75日ももたないことは分っていますが、3日も持たない恐れがありますよねぇ。
ちゃんと決着まで根気強く情報発信してもらい、伝達してもらいたいモンです。


まぁ、来年の参院選時期の支持率が ―瞬間最大風速であったとしても― ピークになることのみを目論んでいるようにしか見えないみなさんがたの影響があるから、マスコミのかたもこれらの問題に限らずいたずらに世論形成できないような報道しかしない(できない)のかもしれませんが。。。

私なんかにはいったんは裏切り者として“刺客”まで送って切り捨てた輩を、ゾンビのように甦らせる錬金術を一生懸命練っている人がいて、そのさまを見た“刺客”がビビっているというのも滑稽極まりない茶番に見えますけどねぇ。
そんなこんなで、明日あたり霞ヶ関にもとうとうハロウィンが来るみたいですな。
それともキョンシーなんだろうか?
一人は“郵政”っていうお札を貼られて動けなくなってるようですから。

山田方谷の「理財論」にある“それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず”を実践できる政治家さんはいまどきいらっしゃらないのでしょうか? と思うことが多くなってきました。
藩政改革で財政を立て直したエライ方のお言葉なので、この人のようにやれば日本も国債の借金漬けから少しは脱却できるかもしれないのに。。。
そんな風にやってやろうという人が見当たらない。
コトのウチに屈してばっかりいて、何してるかわかんないって感じがします。

支持率と国益とどっちが大事か、大真面目に質問しちゃいたいような気がするのですが、どっちも大事というんだろうなぁ~。
ちなみに山田先生なら“義”が大事というんだと思いますけどね!
時代が違うのかもね。

茶化すのはさておき、無秩序な離合集散を繰り返すのではなく目先にとらわれず長期的な視点でブレない、“常に”頼り、頼られるような人たちの集まりの社会であったなら、昨今の騒動の殆どは起こっていないはすです。
いろんな個性、多様性があっても、そんな人たちの協調(ハーモニー)あふれる国になり、私もその一員としてひとつの音を奏でられたらいいなと思います。

なんか、いつになくカタい話になっちゃった。。。


♪ Knowing you can always count on me, for sure…
                     That’s what’s friends are for ~

ショパンの旅路 Ⅵ を聴いての雑感

2006年11月27日 01時33分19秒 | 高橋多佳子さん
★ショパンの旅路 Ⅵ 「白鳥の歌」~ノアンとパリⅢ
                  (演奏:高橋 多佳子)
1.ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58
2.3つのマズルカ 作品59
3.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
4、ポロネーズ第7番 変イ長調 作品61 「幻想ポロネーズ」
5.ノクターン第17番 ロ長調 作品62-1
6.マズルカ へ短調 作品68-4(遺作) 

リスト没後120年特集を始めたばかりですが、早くもブレイクです。
出張から戻って、安曇野で高橋多佳子さんにサインをもらったこのディスクを聴いちゃったからです!

このディスクが世に出たことは大変にラッキーでもあり、ありがたいことだと思わずにはいられません。
というのは、ショパンの旅路の企画がいよいよ終盤になった時点で何かアクシデントがあったようです。突然制作会社が変わったにもかかわらず企画が続行したばかりか、収録の会場も一緒なら24bit録音(マルチビット録音)を採用し可能な限りⅤまでの条件を踏襲したうえで首尾一貫した大団円の作品に仕上がっています。
ファンとしては、本当に幸運に感謝したい思いです。

それに応えてこのディスクにおける多佳子さんの演奏は極めて充実していて、聴くたびに新たな感動を呼び覚まされます。

とにかく彼女には独特のピアノの音があるのです。彼女のブログの常連さんたちも口を揃えて私と同様、まずは何よりその“音”に魅せられたと言っておいでです。音色のパレットも広く奏法的にも思い切った表現をされるので、その“音の言葉”によって描き出される世界がとても深く豊かに彩られる・・・その世界が私の感覚に何とフィットすることか・・・。
その“音の言葉”は、正に今の時代を生きている私の世代の日本語でもありポーランド語でもありという共通言語だからだと思います。
もちろんショパンとも親しく会話ができる言葉でもあります。
何度も“ショパンの旅路”の全ディスクを通じてその言葉に親しめば親しむほど、外国語がうまくなるように、そこに盛られている何かを探り当てることができるようになっていくのです。
もはや私にとってショパン演奏は、このシリーズにたどり着いたことで一旦はゴールを切ったような思いにも駆られます。
もちろん、いろんな演奏家の演奏をこれからも楽しんでいきますけどね。

そんな多佳子さんはここでもそもそものコンセプトに則って、ショパンの語りつくせない思いをオトで代弁するという気概を感じさせ、切羽詰った思いと周到な解釈、それを可能にする余裕あるテクニックに欠くところはありませんが、遊び心とか虚飾はなしにそれぞれの曲の真髄に分け入っています。

ソナタ第3番はショパンが綿密に構成を練った作品だといわれています。多佳子さんの演奏は各楽章・各旋律の性格が絶妙に描き出されてコントラストされていますが、それがいたずらにソフィスティケートされていないことで却って素直に思いが伝わってきます。
マズルカもよく雰囲気が出ています。彼女の演奏はポーランドでも高く評価されているそうですが、日本的感覚でも最高級に美しいマズルカではないでしょうか。
舟歌も初めて聴いたときから素晴らしいと思っていた演奏です。特にコーダの最後のアルペジオ(小節の中じゅう“前打音”っていうところ)が鍵盤を駆け巡るところの出だし!!
何度聴いても胸がキュンっとします。
幻想ポロネーズも“わが苦悩”とショパンが記したという曲自体の在り方が、作曲家の声を代弁するというこの盤のコンセプトに合っているため、心情が吐露というより激白されている凄みを感じます。最後のクライマックスなど空前の美しさで炸裂している。。。
ショパン最後の野心作といっていいんだと思いますが、このディスクだけでなくシリーズ全体を見渡しても壮絶な中締めとなっています。

ノクターン作品62-2はもうあの世に半分以上行っちゃったような感じ。ここでのショパンは投げやりでもなければ人生を総括するでもない、この世に未練があるわけでもないがあの世に憧れを抱いているわけでもなく無為にそこに存在しています。すでに半透明になった魂が、これまで過ごしてきた人生の重みが彼に歩いてきた道のりを振り返らせてこの曲を遺させたのではないでしょうか。曲をこしらえるというより、ふと伏せた目を上げたときに漂っていた旋律を見つけて書き付けたのではというストーリーを多佳子さんの演奏を聴いて思い浮かべました。
そんなショパンになりきり、その世界に遊びそんな独白を描き出すということは単にピアノを弾くという行為を超えているのかもしれません。まぁ、プロの演奏家は作曲家の精神や魂とお話しするものだといわれるのなら、「ちゃんとお仕事してるのね!」って言っちゃえばいいのかもしれませんが。。。常人にはできませんな。そんなイタコみたいなコト!
最後のマズルカはエピローグ。すべてのエコーのごとく弾かれています。

最近ショパンの人生って幸せだったかどうかと、よく考えさせられます。。。
彼はピアノ音楽史上並ぶもののない大家であることに疑いありませんが、私の考えでは少なくとも生き方が上手だった人ではない。
彼自身が生まれついて持っていたもの、持っていなかったもの、そんな彼だから手に入れることができたもの、そして彼が決して手に入れられなかったもの。。。私もその多くを知っています。
私がもしその“生”を生きたのだとしたらどんな思いで終焉のときを迎えたのだろうか?
そして私は既に、彼には与えられなかった時間を生きる年齢になっている。
ただ、彼の遺してくれたものが自分の人生をとても豊かにしてくれていることに思いを馳せるときには、自身の芸術に最後まで殉じてくれた彼に感謝を禁じえません。
おっとそれを届けてくれる演奏家の人たちにも感謝しなくちゃね!


さて、日本人によるショパン晩年の作品集といえば園田高弘さんのディスクが真っ先に思い浮かびます。
作品57の子守歌から始まって作品61の幻想ポロネーズで終わるというプログラムを見た瞬間かっこいいと思いました。ずいぶんと楽しませてもらいましたが、今思えば演奏はやはり私のオヤジの世代のそれだと思います。
園田さんはもともと折り目正しい構成感を追求される弾き手であり、ショパン演奏としてはややよそ行きで画然としているように思えてしまいます。
そして私の時代には。。。 ちゃんと私の世代の弾き手が現れてくれました。
先に述べたようにショパン・ポーランド・日本・19世紀半ば・現在をシームレスに繋ぐ音による言語をもって演奏してくれるピアニストが。。。
嬉しいことです。

ところで私は新婚旅行で8日間のパリ旅行に行き、さまざまな景勝地とともに念願だったショパン所縁の地のいくつかを訪ねることができました。
ショパンは1849年の10月17日に亡くなり30日に葬儀が行われたのですが、亡くなったヴァンドーム広場に面した部屋(ショーメという宝石店になっていた)、葬儀が行われたマドレーヌ寺院、埋葬されたペール・ラシェーズ墓地にあるショパンの墓などを見て回りました。ピアノが上達するようにと祈ってみたものの、練習しなかったおかげでやはりかなえてもらえませんでした。(^^)/
ショパンもやはりしゃにむに練習してたのかなぁ? 努力せんヤツは許さんって思われちゃったのかもしれません。

下の写真はそのマドレーヌ寺院で買い求めた、新婚一発目に手に入れた記念のディスクです。
マドレーヌ寺院据付のオルガンで演奏されています。

★LA MADELEINE ET SES ORGANISTS
                  (演奏:フランソワ・ヘンリ・ヒューバート)

マドレーヌ寺院のオルガンはショパンの亡くなった年に設置されたようで、葬儀の際にはそれでショパンの24のプレリュードの第4曲、第6番が演奏されたといわれているようです。
後年、フォーレがここのオルガン奏者になっているほか、かの“レクイエム”を初演している場所でもあります。
オルガンは1923年に改装されているとはいえ、これだけの歴史を持っているのですからその演奏には大変に期待して手に入れました。なかなか壮麗ながら重々しくないサウンドが楽しめます。
ただ、唯一知っている曲であるフォーレのノクターンが、レゲエのリズムに乗っているみたいに聴こえてしまうのはいただけませんでしたなぁ。弾き方もそうだけど(ハモンドオルガンで後乗りのリズムをつけているような感じ)、音色のせいでもあるんじゃないかとおもうのですが。。。
まぁオルガンに関しては弾き手の個性を云々できるほどまだよく分らないのが正直なところですから、これ以上偉そうにいうのはやめにします。

ショパンの葬儀に際しては、楽団は彼の愛好したモーツァルトの“レクイエム”を演奏したようですね。私はフォーレのそれのほうが好きですが、ショパンが亡くなったときはまだ作曲されてなかったわけで。。。
どっちみち、死んじゃったショパンは聞けるはずなかったんだから関係ないか?

さて、リスト没後120年特集へ戻るインタールードを少々。。。
ショパンのピアノソナタ第3番(ロ短調ソナタ)は本当に多様な要素を巧みに織り込んで作曲されていますよね。
例えば第1楽章では、例の“ちゃららららん”という下降旋律から始まって、シンフォニックな和音のメロディーあり~の、魅惑の旋律あり~のに続いて、展開部ではそれらのエコーまで聞こえちゃうという凝りよう。メロディーがどんどんずれてずれて横滑りしていく感じで、初めて聴いたとき(奏者はアルゲリッチ)は悪酔いしそうでした。
普通の作曲家であればソナタ3曲分ぐらいのテーマが、惜しげもなく放り込まれているのではないでしょうか? エチュード・プレリュードを見ればわかるように、このころまでのショパンの霊感の泉にあるメロディーは枯渇することを知らなかったので、それらを老獪に纏め上げることができたなら、こんな聴きどころ満載、大量コンテンツによる極彩色の万華鏡的展開になっても不思議はありません。

翻って、リストの唯一のピアノソナタもよく“ロ短調ソナタ”として並び称される作品であります。
発表当初はいろいろな評価があったようですが今や遍く傑作の誉れ高く、音楽史上に不動の地位を確立しています。
しかしショパン作品の豊かさとは違って、ここではある種の深さが追求されています。
というのは、構造上はソナタといって差し支えないのでしょうが単一楽章(少なくとも切れ目なく演奏される)で、何より主要な主題は3つぐらいしかない。それで30分の曲に仕立て上げられているのであれば、深くならざるを得ないでしょう。。。
厳選素材(?)をソナタの構造に当てはめて、なんどもかんども手を代え品を代えして繰り出しているわけですが、なぜかとても聴きごたえのある曲として聴けちゃう。。。
それでも私の最も好きな曲のひとつです。それはおいおいご理解いただけることと思います。

ショパンのロ短調ソナタと同様、曲頭下降旋律の第一主題で始まりますがテンポがまるで違う!(^^)/
こんな調子でリストがショパンのロ短調ソナタの素材を全部使って作曲したら、ワーグナーのリングみたいになっちゃう。。。かも。

ジャン=マルク・ルイサダがとても興味深いディスクを発表しています。

★SONATAS
                  (演奏:ジャン=マルク・ルイサダ)

1.ショパン:ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58
2.リスト :ピアノソナタロ短調
3.スクリャービン:ピアノソナタ第9番 “黒ミサ”
4.ショパン:12の練習曲 作品10-3 “別れの曲”

ショパンとリストのロ短調ソナタを並べたうえで、ショパン・リストの末裔のひとりがどうなっていったかを確認するにはナイス・アイデアのプログラムだと思います。
その末裔とはスクリャービンであり、ショパン、リストの没後さらに時代が下ったのちに現れふたりの精神や技術を継いだところをふりだしに創作活動を展開し始めます。
ソナタでは第2番、第3番などが人気も高いし私も大好きですが、彼にとってこれは序の口。どんどん自身の芸術に磨きをかけていきます。
そして第5番あたりで、「とーとーいっちゃったか・・・」という感じになり、ここに収録されている第9番あたりまでくるとさらに“いっちゃって”黒ミサ・白ミサだのいわれるイカレた世界に到達し、やがて消えていきます。
最後の“別れの曲”はこの流れからすると“なんでやねん”ですが。。。

さてさて、ルイサダの演奏はデビュー時から個性的というよりクセっぽかったとおり、ここでもおよそエレガントではありませんねぇ。BMGへの移籍盤のフォーレなどはまだよかったのですが、風貌も含めてときとして“イカレテル”と思えなくもないルイサダがこの盤にはいます。デビューしたころはちっちゃなイタズラをしてイキガってたチンピラが、少しハクがついて凄みを帯びてきたのかな。。。っていうイメージを抱いてしまいます。
例えが、あまりにも申し訳ないのですが。。。
真摯に研鑽を積んで、その成果を世に問うているのはわかります。
でも彼の着眼点は、ショパン・リストのあら捜しに通じる部分ばかりにフォーカスされているように思えてならないのです。
彼と私の相性が悪いというより、信奉する“正義”が違う。という感じ。。。
ウルトラマンの論理とバルタン星人の論理がかみ合わないような。。。
私にとってのアンチテーゼともいうべき演奏。
ボロクソに言っているように聞こえるかもしれませんが、アンチ巨人の人がジャイアンツについて語っていると思ってください。その存在について認めてはいるのですから。。。
ウルトラマンとバルタンの例えも、どちらがウルトラマンとは言っていません。
気持ちの上では双方自分がウルトラマンというに決まっていますけど。。。

さて、このショパンのロ短調ソナタはちょいと遅い!
提示部の主題を繰り返さないですが“ねちょーっ”と弾いているため10分余りかかっています。提示部の締めくくりがアラウが弾いていた遺稿によるのに対し、楽章の終わりは通常通りに弾き終えるのが不思議です。そういえばサハロフも同じコトをやってましたが。。。
リストもちょっとお品がよろしくないように聴こえてしまう。
オト自体そもそも聴きなれない音符が聴こえる。いくつか気になったのだけれど、一例を挙げれば最後の3つの弱音の和音の直前のフレーズの頭が半音低いのではないでしょうか?そういう版がたぶんあるんだろうけれど、何もその版で弾かなくてもいいのにって感じがします。「こんなの見つけてきました!」って知ったかぶりしたいんだろうとも思えてしまいます。
自分にも実は似たような気質があるので、反発しているのかもしれません。
だとしたら、反省しなくちゃ!という思いもありますが。。。
でも、この演奏にはデビュー時の彼にはなかった、迫力というか骨太な部分をクライマックスの前後に感じることができます。
スクリャービンはイッちゃってる感が必要な曲であるため、最もしっくり聴けました。
そして、別れの曲、プログラム的には「何でここに?」って言う感があります。
これもじっくりしたテンポでという点はこれまでの演奏と変わらないのですが、万感の思いを込めて弾かれているという一点において、とても共感できるいい演奏であると思います。
確証はないのですが、この曲にも中間部通常の楽譜と違うのではないかというように聴こえるような気がします。思い込みかなぁ~。。。

さぁてと、予告編はここまでにします。。
特集に戻ったら、まずリストの“ロ短調ソナタ”を追いかけていくことにしようと思っています。

思い出のコラージュ。。。

2006年11月27日 00時31分59秒 | 思い出
ビートルズの新譜“LOVE”を買いました。

周知のとおりジョンとジョージは既に亡くなっています。
どんな新譜かというと、レット・イット・ビー以外のアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティンが、息子とともに長い時間をかけてアビーロードスタジオですべてのマスターテープを検証して、それらを繋げて一枚のアルバムにしたものです。
だから、私にはビートルズのアルバムというよりもジョージ・マーティン親子の労作のアルバムという感が最初からありました。

さて、一聴して「とても楽しめたよ」とお伝えするのにはいささかもためらいはありません。
殊に気づいた点としては、何よりもアイデアの秀抜さ。
例えば“ゲットバック”の歌が始まる前に“ハード・デイズ・ナイト”の最初のギターの一撃が出て“バースデイ”のリンゴのドラムソロが入って・・・イントロが始まるといった趣向、同じように“ストレベリー・フィールズ”のエコーに乗っていくつものビートルズナンバーが現れるなどの楽しみが満載です。
ときたま“ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス”のようにどこから音源を拾ったのかわからないようなものもあり、さすがにレコーディングのすべてを掌握していたプロデューサーが息子というなんとでも使える、それもプロフェッショナルなパートナーを得てこしらえただけのことはあります。
ビートルズのメンバーには、リンゴはもちろんポールであったとしても、こんな芸当はできなかったでしょう。。。

ですから、このディスクはジョージ・マーティン親子のビートルズへの愛情が作り上げたオマージュに他ならない作品といえます。
彼らの流儀でビートルズの素材を活用して“思い出を走馬灯のようにコラージュ”することで、ジョン・ジョージはもちろん、今は亡きビートルズそのものを悼むような気持ちで、思いを表現したのではないかと思います。

ただ気持ちはともかく手法面では、メドレー方式はアルバム“アビーロード”のB面で既にされていることは誰もが知っていることですし、曲の途中に他の曲が聞こえると言うのは“愛こそはすべて”の後奏で“シー・ラブズ・ユー”やら“グリーンスリーブス”が織り込まれている例もあり、そのアイデア自体はビートルズが既に実践していたものの踏襲といえなくもないでしょうけど。。。
最新のデジタル技術、エレクトロニクスを駆使して、それらの可能性を徹底的に追求した執念の作品だと評しておきましょう。

その他の関心事としては、すべからくリミックス的な要素も多々あるため、今までのミックスでは聞き取れなかったことがいくつも確認できたことは大収穫でした。
特にジョンのサイド・ギタリストとしての腕前はよく話題になるところですが、改めてそれを痛感しました。EW&Fのアル・マッケイとはタイプは全然違うけれども、彼と場合と同じように、こんなギターがリズムを刻んでいたらリード・ギターはもしかしてなくてもいいのでは?
・・・そうとまで思わせられました。


この後は、いささか個人的な話をさせてください。

この土日、静岡に行ってきました。
2年前まで静岡で勤務していた際、社宅が一緒だった会社の仲間が先だって突然亡くなりました。
葬儀に出向けなかったので、この週末を利用して家族でご挨拶に伺ったわけです。
家族ぐるみで本当に世話になりました。
奥様とも多少しんみりしながらもお話でき、特に子供たちはまるで昨日と同じように。。。何もなかったかのように新作のゲームに興じていました。
そんな様子に安心するとともに、勇気をもらえたような気がします。

以前、彼のお宅でこれもビートルズメンバー没後の新譜“レット・イット・ビー・ネイキッド”を聴いたことを思い出したため、今回の新作にも興味を持ち購入したのです。。。

今日の午前中いっぱい、 ―家族はそれぞれの友人たちと旧交を温めあっている間― ひとりで静岡市の旧社宅から駿府城址、彼が亡くなった病院周辺を歩いてみました。
静岡での思い出が本当に走馬灯のように順不同に浮かんでは消え、次々と移り変わっていくさまは、まさに頭の中で思い出たちが“コラージュ”されているといった感じ。。。

当時住んでいた社宅はこの清水山公園のすぐそばにあります。




駿府城址の内堀沿いにあるこの“母子像”の前では、思わず立ち止まって見入ってしまった。。。


実は私自身も静岡にいるとき無理を承知で、それまで働かせ続けていた自分の体がとうとう音をあげて、まったく動けなくなっってしまった経験があります。
暫く会社を休み回復しかけたところで復職に必要な体力を戻すために、一時毎晩駿府城の周りを歩いてリハビリしていたんです。

内堀の一周は約1.4キロぐらいなのですが、当初は何度も休憩をとらないと歩ききれませんでした。それが2週間ぐらいで何とか歩ききれるようになり、1ケ月してようやく普通の速度で歩けるまでに回復したのでした。
そこには多くのオブジェがあり、次のオブジェまで「何とかがんばるぞ」という励みにしながら歩いたもの。。。よく覚えています。
そんな深夜のトレーニングから帰ってきたところに仕事帰りの“彼”がちょうどハチ会わせたこともあり、そのときは応援してもらっていたのに。。。

気になっていた弔意を伝えるご挨拶は何とか終えることができましたが、気持ちとしてはこれからも彼のご冥福と、遺されたご家族の平穏をお祈りするよりありません。

そして、深夜のトレーニングのとき。。。
ずっと一緒に歩いてくれて、気持ちも体も支えてくれた“かみさん”への感謝の気持ちを新たにしました。

おかげさまでそんな今日の私は、当時の動かぬ心身と闘う形相とも切羽詰った気持ちとも無縁のまま、かつて苦行を続けた“その道”を当たり前に歩くことができるようになっていました。
ともに生きてくれる人のいるありがたさをつくづく思ったこの週末。。。

走馬灯のような思いは、これから先も折りに触れてきっと現れるでしょう。
私の人生とともにある。。。
そんなシーンをすこしずつ増やしながら、これからも精一杯生きていけたらいいな。。。
と思っています。

リスト没後120年特集(その3 ペトラルカのソネット104番ほか)

2006年11月26日 06時21分21秒 | ピアノ関連
★リスト:エステ荘の噴水、ペトラルカのソネット 他
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)
1.ペトラルカのソネット104番
2.バラード 第2番 ロ短調
3.ペトラルカのソネット123番
4.オーベルマンの谷
5.忘れられたワルツ 第1番 嬰へ長調
6.エステ荘の噴水
7.2つの演奏会用練習曲

私が、クラウディオ・アラウの凄さを思い知ったディスクです。
この大特集の嚆矢を飾る一枚として掲げたのは、これこそが私がこれまでに聴いたピアノ曲のディスクのうちでの最高峰であるとの思いからであり、決してたまたまではありません。
リストの小品をこれほどまでにじっくりと味わい深く聴かされたことはありませんでした。
最初に聴いたのは10年余り前でしたが、それ以来最も数多く聴き、都度感銘を受けてきたディスクです。
お名前を私のブログの世界におけるハンドルネームとして使わせていただいていることが、改めて恐れ多いと感じさせられました。
(使うことになった“いきさつ”も申し訳ないし。。。)

ペトラルカ104番の中間部の盛り上がりや123番の始まりの静謐さなど、ちょっとこれを超える演奏に出会うことはないかもしれないし、それでもよいと思われます。
オーベルマンの谷もこの演奏がいまのところ最高。
これ以上語れません。どれほどかは、聴いていただくよりありません。

★リスト・ピアノ・コレクション
                  (演奏:キャサリン・ストット)

1.愛の夢 S541 (全3曲)
2.ペトラルカのソネット <巡礼の年 第2年イタリア>より
3.3つの演奏会用練習曲 S144

キャサリン・ストットがそのキャリアの始めにコニファー・レーベルから出した一連の作曲家別のアンソロジー集のうちの一枚です。
彼女の同レーベルへのソロ録音としては、この他にフォーレ2枚、ラフマニノフ、ドビュッシー、ラヴェル、ショパンがあり、いずれも詩情にあふれた秀抜な演奏です。

このディスクはいずれも甘い夢にあふれたゆっくりめの曲で、3曲ずつ対になっているものを集めたものです。若い女性による演奏であるというのもうれしいし、“ありそうでない”なかなかシャレたプログラムだと思います。愛の夢第3番は知らない人はいないでしょうが、3曲まとめて聴くならばこのディスクがもっとも私にはピッタリ来ます。(愛の夢を3曲まとめたディスク自体そんなにないような気もしますね。)
第3番もゆっくりなテンポで“じーっくり”歌い上げていて、とても優美な演奏。。。

全ての曲が詩的な雰囲気を湛え、甘美な曲を甘美に聴かせながらもただ単に流れていかないようツボが押さえられていて見事です。
最近もヨーヨー・マの伴奏やら、小川典子さんとのデュオなどで活躍されてはいるようですが、もっとメジャーに活動されてもいいと思われるピアニストの一人ではないでしょうか?

★巡礼の年 全曲
                  (演奏:ニコラス・アンゲリッチ)

3枚組の“巡礼の年”全曲集です。
アンゲリッチは最近私が注目しているピアニストで、ベートーヴェンの後期作品集やブラームスの独奏曲、室内楽ではピアノ三重奏曲集などのディスクを発表しています。
分けてもこのリストは最も気に入ったディスクです。

すこし響きを抑えめにしておもにピアノを直接打鍵した音で思いを語っているように思います。解釈の傾向の細部は違うのでしょうが、不用意に飾らないで問いかけてくる演奏姿勢はアラウのそれを感じさせなくもありません。
全編、真摯に語って聞かせてくれる演奏が楽しめますよ!
アンゲリッチには“好漢”という印象があります。


リスト没後120年特集の本編がやっと始まりましたが、気持ちの続く限りこんな感じで語っていきたいと思います。
実は当初、このブログはこんなイメージで私の感想を投げかけて、皆さんのご意見などを教えていただけると楽しいかなと思って始めたものなのです。
次はどのディスクの話題にしようかな!(^^)/

リスト没後120年特集(その2 前座)

2006年11月25日 00時49分23秒 | オーケストラ関連
天邪鬼な“SJester制作本部”が昨日付けで始めた掲題大特集の2回目、“前座の前座”ショスタコに続く“前座”です。
内容は“モーツァルト生誕250周年特集”です。リストの前座にモーツァルトといっても怒らないでくださいね。
それで、今回の選曲条件は“ピアノ抜きの曲”です。
この条件でも所有ディスクをまともにやっていたら埒があかないので、交響曲・室内楽曲・声楽曲から各1曲でという制約をつけてみました。

★モーツァルト:交響曲第41番 “ジュピター”& 交響曲第31番 “パリ”
                                 (写真は記事冒頭)
        (演奏:リッカルド・ムーティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー交響楽団)

交響曲部門で文句なく選出された1枚。
ムーティにはウィーン・フィルを振ったモーツァルトの交響曲のディスクがこれを入れて都合5枚あります。ただ、現在我が国ではこのジュピターのディスクのみ廃盤のようです。ジュピターは40番のト短調交響曲とのカップリングで、廉価盤で出ているため聴くことは可能なのですがパリ交響曲は手に入らない。。。
しょうがないので、イギリスのアマゾンにネット注文して買いました。

さて、後期3大交響曲だけでなくハフナーもリンツも、29番も大好きなのですが、一曲といわれればやっぱりジュピターですねぇ。ウィーン・フィルとムーティの相性は抜群といわれて久しいですが、まさにそう思います。曲調もムーティにピッタリだし、フィラデルフィア管が相手だとゴリゴリ盛り上げていくように聴こえるムーティも、ウィーン・フィルがパートナーだと持ち味をスポイルされることなく洗練されて聴こえてしまうというとっても幸せな組み合わせだと思います。
レヴァインもウィーン・フィルで全集を作っているようですが、ジュピター(と大ト短調)を聴いた限りではムーティの比ではないですねぇ。私にとっては。。。
所有しているディスクのうちで対抗馬たりえるのは、カラヤンとベルリン・フィルの演奏ということになるのでしょうが、ことモーツァルト演奏に関してはムーティのほうが断然私と相性がよいようです。
ガーディナー・コープマンやブリュッヘンなどの古楽器組も楽しめはしますが、何しろ「基礎体力が違うぜよ」ってな感じに聴こえてしまいます。昨今はオーセンティックな演奏のほうがむしろ主流なのかもしれませんが。

ある程度元気で、ますます爽快になりたいとき、このディスクは決して裏切りません!
まさに交響曲部門はこの一枚で決まり!!!

★モーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調 K.563&シェーンベルク:弦楽三重奏曲
                  (演奏:アルノルト・シェーンベルク・トリオ)

室内楽からはこれをチョイス。
ベルリン・フィルのトップ奏者が集まって結成したトリオだけあって、水も漏らさぬアンサンブル。技術水準が非常に高いことはもう一聴しただけで明らかです。
しかしこの演奏のスゴいところは凄い演奏なのに押し付け感がないこと、とても愉悦的であって、なにより聴いていてムショーに楽しいことです。

どうも私は ―モーツァルト演奏における弦楽器に関しては― 古楽器より響き(単体でも合奏でも)が安定している現代楽器のほうが、穏やかに聴いていられるのかもしれません。
あまりその点を意識しているつもりはありませんが、古楽器の多くの演奏には「ほれほれぇ、どぉだぁ~~。愉悦的だろうがぁぁぁ~~~!!」という念がこもっているように感じられてしまうのです。確かにそれはそれで魅力的な場合もあります。曲やシチュエーションによるのかもしれませんが。。。
また、短調の曲だとさすがにそれはあまり感じないので・・・とか言い出すとこのデシジョンがファイナルアンサーにならなくなってしまうので、その点で迷った候補のディスクはリスト大特集が済んで覚えていたら紹介します。
バンキーニとアンサンブル415の弦楽五重奏曲3番&4番なんですけどね。。。内緒ですよ。

★モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626 & アヴェ・ヴェルム・コルプス
         (演奏:リッカルド・ムーティ指揮 ベルリン・フィルハーモニー交響楽団)

声楽曲で選んだのは、“アヴェ・ヴェルム・コルプス”のほうです。
“レクイエム”はムーティのももちろんいいけど、クリスティの演奏ほうが好きです。(古楽器だけど・・・)
誰かがこの“アヴェ・ヴェルム・コルプス”とジョスカン・デ・プレの“アヴェ・マリア”が宗教曲の中でもっとも単純ながら美しく、かつ演奏が困難であるというようなことを書いておられたのを見たことがありますが、まさしくそのとおりだと思います。

この“アヴェ・ヴェルム・コルプス”の魅力はカンタンに説明できます。
他のが「演奏してます」っていう感じなのに対して、これのみ素晴らしいアカデミックな技術水準をクリアしながら「お祈りしています」っていう感じだから。それも敬虔に。
これを聴くと「心が洗われる」というか「胸を打たれる」というか、とにかく感動するのです。
それ以上の理由が他にあるでしょうか! モーツァルトの最高傑作は案外この曲なのかもしれないとさえ思います。

また、この曲の歌いだしの旋律はあくまでも穏やかに幸せそうな祈りに満ちていますが、これを短調にして厳しく悲しみに満ちた感じにすると、モーツァルトの絶筆といわれる“ラクリモザ”の部分のコーラス出だしの旋律と重なるように私には感じられてなりません。
いかがでしょうか?(^^)/

他にも未練が残るディスクはいっぱいありますが、今日は自分を制してバンキーニ以外はもらさずにおきます。
きっと、遠くない将来に話したくなって特集するでしょう。。。


さて、“アヴェ・ヴェルム・コルプス”にもリスト大先生のピアノ用トランスクリプションがあります。
シプリアン・カツァリスが演奏したものを持っていますが、モーツァルトの原曲のいいところをことごとくスポイルした稀有な編曲だと思います。がっくし。。。

リストの曲は、玉石混交。。。
神業みたいな曲から、ラブラブで俗っぽいものから、駄作だかなんだかよーわからんものまでいろいろあるように思います。知られている曲は、やはりそれなりにいいんでしょうけど。もちろんアカデミックな価値などは正当な音楽教育を受けていないシロートの私にはわかりません。
自分の耳だけが頼りじゃぁぁあ!!

さぁ、高らかに独りよがり路線を宣言させていただきました。
かくなるうえは次回から ―気が変わらなかったら― リスト大先生の大特集本編に移ります。
乞うご期待!!

リスト没後120年特集(その1 前座の前座)

2006年11月24日 23時33分24秒 | ピアノ関連
巷ではモーツァルト・イヤーなどといわれて久しいですねぇ。
のだめカンタービレの人気との相乗効果か、生命保険会社のCMまでもがモーツァルト250年などとのたまうのだから尋常ではないように思います。

しかぁし、思慮深い(“ひねくれた”ともいう)“SJester制作本部”はたやすくこれに便乗いたしません。
ブログを開設してちょうど1月、メインステージであるシゴトの都合上アップするのが後先になったことこそあれ、これだけ続けりゃ3日坊主とは言われることはあるまいとホッとしておりますが、しかるに、「ここでひとつ大きな特集をしたい(“話のネタが切れたのか?”と思わないこと!)」と考えていたところ、ショパン誌11月号に「リスト没後120年特集」とあるのを見つけて、最初は「そうか来年はそんな記念年なのか。。。」などと思ってみたもののよく見ると“今年(!)”じゃないですか?

そんな11月にまで押し迫ってから今年のネタぁ~? そんなの年初からやれよぉ!!

とブーイングをカマしてやりたいところですが、さらなるモーツァルトの企画ではもう散々あちこちで騒がれて新味がないのは理解できるところです。
ピアノ音楽専門誌がモーツァルトだけで通年企画をもたせるには、ちょいと厳しいといわざるをえないでしょうなぁ。確かに、ピアノ協奏曲は宝の山だし、ソナタや一連の幻想曲・ロンドなどもそれなりにありますけどねぇ。。。
交響作品、セレナード、室内楽、宗教曲までいれたなら、一年間楽勝で魅力ある特集が組めちゃうけどねぇ。
リスト先生をここになって登板させるのもむべなるかなと。。。

さて、“SJester制作本部”でも総力(ひとり!)を挙げて余の企画をぶち上げねばと意気込んでみたものの。。。
第一案:ドビュッシー没後88周年特集!!!  
       末広がりが二つでどうだ? → 意味不明の謗りあり× 
第二案:ショスタコーヴィチ生誕100周年特集!!  
       ショパン誌と同じ理由で大規模な企画をブツのは困難!?
第三案:やはりモーツァルト生誕250周年特集!
       あまり人口に膾炙したくないので企画自体ボツ。

結局ショパン誌を応援する気持ちも込めて、(本当は店頭のショパン誌が12月号になったため)リスト没後120年特集を敢行することにしました。
決してマネと思わないよぉに!!


勿体をつけるため、今回は“前座の前座”ショスタコーヴィチ生誕100周年特集とします。

★ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガ 作品87  (ジャケット写真は記事冒頭)
                  (演奏:タチアナ・ニコラーエワ)

バッハ・コンクールで優勝したばかりの若い奏者ながら作曲家がこの曲を作曲するときに念頭に置いて、意見をも聞いたというニコラーエワ女史の演奏をまずは指折るべきでしょう。
作曲家自身ショパコン2位という実績を持つピアニストであるだけに、ニコラーエワ女史ってホントに凄いのねという思いが募ります。彼女のバッハの演奏は大好きであり、いずれ特集したいと思いますが、没後256周年というのもキリが悪いのでまたにします。
私が持っているのは3回目の録音(女史のこの曲の最後の録音)であるハイペリオン盤です。

演奏は録音のせいもあるのか、とても広い空間の中にクリスタルな響きが漂うという印象を受けます。
環境音楽みたいというと怒られるかもしれませんが。
このディスクを手に入れて最初に聴いたときに思ったのは、佐賀県の有田にある“チャイナ・オン・ザ・パーク”という場所です。
今どうなっているかよく知りませんが、むかしはよく遊びにいきました。
ラベンダーの花壇があって、とてもきれいだったことをよく覚えています。
そこは宮内庁ご用達の深川製磁の工場内に作られたテーマパークであるとサイトの説明には書いてありましたが、その製品の展示室“忠次館”の空間にこんな音楽が鳴っていたら、ピッタリじゃないだろうかというインスピレーションを初めて聴いたときから抱きました。なぜか、私の中でこのニコラーエワ女史の奏楽とあの空間が結びついて離れないのです。
とてもストレスなく音楽が鳴っている。。。からなのでしょうか?

女史はこの曲を弾くたびに新たな発見があり感動があるというようなことを仰っていますが、とても共感を持って演奏されていることは良く分かるような気がします。
確かにこの曲の演奏をライフワークにされていたようですし。。。

★ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガ 作品87
                  (演奏:ウラディーミル・アシュケナージ)

ご存知アシュケナージの比較的近盤です。英グラモフォン・アワードを受賞しています。
でもニコラーエワ女史の演奏のような空間感はあまりありません。
しかし、かのリヒテルが「この曲は好きだが弾けない曲がある」と言って悔しがっているのを聞いたというアシュケナージさんは、満を持して録音に臨み見事に素晴らしい説得力ある演奏を実現しました。さすがというほかありません。
彼のキャリアが指揮者としての活動に力が移ってきたころである15年ぐらい前の雑誌に「自分にとってのショスタコーヴィチは交響曲作家であり、ピアノ曲はまだまだ先だ」と言っていました。
じっくり構えて臨んだことで、シンフォニーの演奏などで培ったショスタコ理解が奏功したのかもしれません。

★ショスタコーヴィチ 24の前奏曲とフーガ 作品87
                  (演奏:コンスタンチン・シチェルバコフ)

この演奏はアシュケナージ盤の前年の英グラモフォン・アワードを受賞しています。
実はこの曲は2年続けて権威ある賞の受賞盤を生み出すような名曲だったのです!
ショスタコってエラいのね!!
そんな演奏ですから多分いい演奏だと思います。前2者より概ね軽い足取りで弾き進められています。
この人はベートーヴェンの交響曲を“リスト”がピアノに編曲したものをレコーディングしたり、ゴドフスキのピアノ曲のシリーズ録音を続けていたり、やたらウデが立つ人であることは間違いないと思います。

よし、ちょっとだけ主人公リストに引っ掛けることができたかな。。。
リストは、トランスクリプションやパラフレーズなんかも夥しい数を遺していますよね!

ショスタコーヴィチのディスクについては、他にムストネンが弾く“24の前奏曲 作品34(これとは別の曲です)”や、バシュメトが弾くヴィオラ・ソナタを持っていますが、コメントは差し控えます。特に後者は力演であることと、ベートーヴェンの月光ソナタのモチーフが入ってることしかわからん(!)からです。

それでは「交響曲は持っていないのか?」って・・・持っていません。。。

結局は、私には余りなじみのない作曲家ということです。
コンサートでレニングラード交響曲やヴァイオリン協奏曲を聴きましたが、これもよーわからん。。。
演奏者が大熱演だということは伝わってくるのですがねぇ。
高橋多佳子さんが先だって長崎でショスタコのチェロソナタを弾いときに、「最初よくわからんかったけど社会主義国にいた経験が楽曲理解に役立った」と言っているところを見ると、私なんぞがいくら聴いてもやはりイメージできる気がしません。

したがって、演奏の雰囲気や説得力についてのコメントはしましたが、楽曲のことや解釈についてはそれが妥当かどうかわからないので触れられませんでした。
さらに言い訳をさせていただけば、バッハの平均律は、聞けばどの曲でも「ああ、そんなのあったね」と思いますけど、ショスタコの曲集はやたら耳当たりよく流れていってしまうので頭に入ってこないのです。
年に何回か聴いたりはしていますから、今後の自分の成長に期待しています。
果たして信念を持って語れる日は来るのか!?

Harmony

2006年11月23日 23時02分53秒 | ROCK・POPS
安曇野は常念岳の麓の木立が奏でる色彩のハーモニー。。。
秋の陽が樹木の葉に降り注ぐと、より鮮やかに映えますねぇ。

★Goodbye Yellow Brick Road
                 (演奏:エルトン・ジョン)

傑作バラード”Someone Saved My Life Tonight(僕を救ったプリマドンナ)”を以前紹介したエルトン・ジョンの2枚組大作です。
一般的にはこちらのほうが彼の最高傑作とされているのではないでしょうか。

今では“サー”の称号まで手にしたエルトン・ジョン。この作品の発表後から何年間かの間が彼のキャリアのピークであることは確かだと思うのですが、実は彼は多少の浮き沈みはあるにせよ、ずっと第一線を走っていることを否定する人はいないと思います。
なのに、彼はアルバムを出すたびごとに(佳作多し!)「エルトン・ジョン復活!!」といわれ続ける不思議な人です。それほどまでに彼のピーク時の存在感は凄かったんでしょうね!
自分でも「REG・ストライクス・バック」とか復調をアピールするようなタイトルの作品を演出したりしているから、計算ずくでのことかもしれませんが。。。

タイトル曲はじめ、土曜の夜は僕の生きがい、ベニ―とジェッツなどエルトン・ジョンというより、英国のロック・ポップスを代表するといって過言ではない楽曲がひしめいています。
ダイアナ妃が亡くなった際に歌詞を一部書替えて大ヒットした“キャンドル・イン・ザ・ウインド”もここに収められています。元はマリリン・モンローのことを歌った歌でした。

そしてこの作品は“Harmony”という美しい曲で閉じられます。
ハーモニーという歌詞がその言葉通りコーラスでリフレインされて最後の音が静かに消えていくと、しばらくの余韻の後本当に豊かな充足感を味わえるディスクです。


穂高駅から帰るとき、常念岳をはじめとする連峰の上のほうはわずかに雪化粧でした。
私はいまだに安曇野でのさまざまな感動の余韻に浸っていますが、安曇野の木々は既にハーモニーの和声を閉じ長い冬を迎えているのではないでしょうか。

部屋とYシャツと私

2006年11月22日 21時54分23秒 | J-POP
部 屋 ・・・・・・・西日がスゴイんです。。。





Yシャツ・・・・・・・単身赴任に際して買ったもの。。。





わたし ・・・・・・・野球帽を後ろ向きにかぶってます。。。



お願いがあるのよぁ~ で始まるこの歌。
いまだかつてこんなに切なくまっすぐな声で、これほど恐ろしくおぞましい歌詞が歌われる曲を知りません。

この曲を聞いて、嫁さんに長生きして欲しいと思うオトコは私だけではないでしょう。

歌い手は私と誕生日が3週間しか違わない。。。彼女のほうが上だけど(^^)/
ちなみにうちのかみさんよりは2ヶ月若い。。。
まさに同学年、同世代。

平松愛理さん。。。こわすぎ!



リマスターについて

2006年11月21日 00時01分38秒 | オーディオ関連
昨日の御嶽神社参拝顛末(一晩寝たら目的が紅葉狩りから神社参拝に変わっているが気にしない。。。)をアップした際に、ビリー・ジョエルの“ニューヨーク52番街”をSACDとCDの両フォーマットで持っていると言いました。
実は、“ストレンジャー”も両方持っています。。。
というのは置いといて、「元が同じなのにそんなに違うのか?」とお考えになる方がいらっしゃると思います。

答えは、違うのです。

もっともビリー・ジョエルの場合、SACDとCDということでディスクのスペック自体が違います。
CDも発売以来20余年を経過しており、その間に決められた規格の中で改良が重ねられたというものの、技術の進歩はさらに優秀な規格であるSACDやDVD-Aという新しい仕組みを生み出しました。

デジタルというのは1と0の信号だということはご存知だと思いますが、例えば1秒の間の音楽信号をどれくらい細かく1と0の信号に分けているのかとか、ディスクにはレーザー光をあててはね返ってきた信号を“ピックアップ”という部分が読み取るのですが、何%の光が戻ってくるようにできているのかという規格が、CDよりSACDのほうがはるかに高度になっているとお考えいただければイメージしやすいのではないかと思います。
したがって、キカイもより精度の高い機能を有しているもの(SACDマークがついているもの)を使わないと、再生できないということになります。
ですからこの場合には、少なくとも物理的に高性能な分、よりきめ細やかな音がSACDから出てくる。。。はずなのです。

悩ましいのは、その音が自分にとって気に入るかどうかは別問題ということです。
ただやはり、私も一般的には気配だとか雰囲気だとかはSACDのほうに分があると言っていいと思います。

さて毎度前置きが長い(本論も長いが)ですが、今日はCD→CDの“リマスター”の話です。
実はこれは結構頻繁に ―さまざまな理由によって― 行われています。

ロックやポップスのリミックス(“Remix”)とは違うので間違えないでくださいね。。。
とお断りを入れておいてと。

私にとって現在最も関心あるリマスター盤は、高橋多佳子さんの“ショパンの旅路”シリーズのⅠからⅤです。
いま市販されているのは、オクタヴィア・レコードから発売されているものです。
当初はトライエム(Tri-M)から発売されましたが、多佳子さんがⅤまで制作し発売したころに、この会社がクラシックの音楽制作から撤退したために ―いろいろ紆余曲折はあったのでしょうが― 最終的にオクタヴィアが企画を続行するとともに、それ以前に発売されていた“音源”を再発売する権利を手に入れたという流れのはずです。

このお陰で今でも全ての作品を聴くことができる訳で、これはこれで私にとっても大変ありがたいことでした。

このときにオクタヴィア・レコードで(音源としてどんなものが使用されたのかは知りませんが)製品にするとき“リマスター”作業をしているのです。それをしないと市販品になりませんから(笑)。
当然それまでの盤と元は同じものなので同じ音がする“はず”なのですが、機械(プレイバックを聴くスピーカーの個性)の事情やいろんな方法があるうちでDSDというフォーマットに変換して作業をすることになったこととか、もちろん作業をされるエンジニアの方の感性によって、ホンのわずか音が違うように思われるのです。
だから「両方欲しい」というのは、先般記事にしたとおりです。


さて、記事冒頭の写真の白いほうのディスクをまずもってご紹介します。
★バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第4番~第6番
            (演奏:カール・リステンパルト指揮 ザール室内楽団 1962年録音)

みなさんご存知のフランデンブルグ協奏曲なのですが、仏アコール盤です。平成4年ごろ手に入れました。
当時長崎に住んでいて、CDプレーヤーを物色していたときにショップの試聴用ディスクとしてかかっていたのですが、いっぺんに“演奏に”魅了されました。プレーヤーよりそのディスクのほうが欲しくなってしまって。。。

一旦は廃盤を確認してがっかりだったのですが、ほどなくして福岡市でやっていた廃盤市でたまたま見つけて狂喜乱舞したものです。

演奏は素晴らしいものだと思います。ソリストには、ヴァイオリン:ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルってホントかよっていう人や、フルート:ランパル、クラヴサン:ヴェイモン=ラクロワなど私でも知っている人が起用されています。
バックも控えめながら存在感のある好演。いえ、控えめではなくてソロがエラく前にせり出してきているのかもしれません。
とにかく主役の楽器群が、バックのかもし出す雰囲気(といっても弦なんかは結構主張してくるけど)に乗って「俺たちのオトを聞いてくれぃ。イケテルだろっ!」ってな感じなのです。
第4番の第2楽章なんか緩徐楽章のクセにソロ楽器ばっかりぐいぐい迫ってくる。また、第6番冒頭の弦楽器の合奏などはここでしか味わえないようなうねりを生み出しています。そのうねりに乗ってこそ曲の世界にトランスできるのです。
昨今の時代楽器によるオーセンティックといわれる演奏が、ともすれば軽すぎ&音色が不安定に感じられる中、バックを支えるオケの音はやはりこうでなくては落ち着きません。

録音も特筆モノでこの演奏にある一種の“熱さ”をよーく伝えています。
ただ録音年代が古いせいか、聴感上では多少トゥッティのピークでビリついているようにも思いますが、この雰囲気にはまったく関係ありません。本当に音楽を楽しく伝えてくれるのです。

ここまで読んでいただいただけなら「そりゃ、よかったね」なのですが、ところがぎっちょんちょん。。。
問題発生なのです。

CDの寿命は半永久的と言われてきましたが、実はいろいろな要因でもっと短くヘタすると傷とかをつけなくても“20年ぐらい(!)”というケースもあるようです。この盤がまさにそれで、第6番の第3楽章の途中で信号が読み取れなくなってしまったようなのです。傷がついたわけではないと思いますが、何らかの事情で変質してしまったのではないかと考えています。
あと、ブランデンブルグ協奏曲前半のディスクは探したのに見つかっていない。。。

インターネットというのは本当に便利なものです。
3年ほど前、冒頭写真の左側の茶色い箱の再発盤を見つけました。
リステンパルトの指揮したバッハ演奏が6枚組でまとめうりされているのを見つけて、早晩手に入れることができたのでした。

ここでも“リマスター”が施されていました。
ジャケットに、Olivier Saint=Yvesという方がオリジナルマスターから「24-bit(96Khz)」という(当時では)新しい技術を使ってよりよい音質を実現したようなことがクレジットされています。

こいつがとんでもない“クセモノ”で、結論から言うと先の“ほどよい熱さ”を全部消してしまった。。。
新しい音を「素晴らしく音場が広がって見通しのよい空間を実現しています」と評価したらいいのかも知れません。が、そりゃムリです!
最も美点だと思っていたところを、完膚なきまでにスポイルしている。。。
“ぶーぶーBOO!!!”です。
私に言わせれば見る影もないさびしい音になってしまった。同じ演奏のはずなのに。。。
期待して聴いたのにぃ~~~
したがって、トゥッティでのビリつきはとても鮮明なビリつきに早がわりぃ~ってな感じでちゃんと聴こえてしまいます。

リマスターをしたエンジニアには、以前の音は暑苦しくむさ苦しい音に聴こえていたのかもしれません。
当然その道のプロ、それも一流ブランドの責任者が音質についてOKを出しているのですから私が文句を言う筋合いはないけれど。。。
文句を言う権利はあるぞぉぉぉ!!!
でもどうにもならないぃぃぃ。。。ぐるるるるる・・・

ここに書いたから、ちょっとだけすっきりしたかもしれませんが。(^^)/

必ずしもリマスターが改善ばかりではないケースがあるということです。
あっ、これは私にとっての話限定です。見通しがよくなってGOODという人もいると思いますので念のため。
でもそんなヤツいるのかなぁ~!? 信じらんなぁ~い。。。とまだ思う私。


さてリマスターはポピュラー音楽の世界でもあるんですよ! 今度は逆に素晴らしいことが!!
★FAMOUS BLUE RAINCOAT
                  (歌唱:ジェニファー・ウォーンズ)

曲名内訳は割愛しますが、先般オーディオショウの常連の歌姫であるとご紹介したジニファー・ウォーンズの1986年のディスクです。
彼女は、リチャード・ギア主演の映画“愛と青春の旅立ち”のタイトル曲を、しわがれダミ声のジョー・コッカーとデュエットしていた人といえば分かっていただけるかもしれません。
このディスクは、そんな彼女がとても好きだという“レナード・コーエン”という人の楽曲を9曲まとめて編んだ一枚で、何年か前にこのなかの”BIRD ON A WIRE”がドラマのテーマ曲になっていたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんですね。

私が持っているのは、発売当初の“CYPRESS RECORDS”の盤です。
先のドラマの影響でヒットしたときにはそのレーベルはなく、どこか別の会社からリマスター盤で出ていたのではないかと思います。持ってないので分かりませんが。。。

当初からレーベルポリシーがアーティストの意向を尊重し、最高水準の音質でレコードを制作してリリースするということであったので、高音質盤だといわれていました。今の水準からすると音場が平板だという感じがする、とモノの本に書いてありましたし、現に私もそう思います。

何故そんなことがいえるのか!?

それは次のディスクを聴いているからです。
★Jennifer Warnes BEST
                  (歌唱:ジェニファー・ウォーンズ)

ドイツの“ZOUNDS”というレーベルが2000年に出した彼女のベスト盤です。
この中に、先のディスクの9曲のうち5曲が選ばれています。
また、先の“愛と青春の旅立ち”のテーマ曲や、彼女がベーシストのロブ・ワッサーマンのベース一本を伴奏に歌ったレナード・コーエンの“Ballad Of The Runaway Horses”が収録されているのも嬉しいこと。
出すアルバムが、ことごとくオーディオフェアの課題盤になる感がある彼女のディスクは 、演奏・録音ともに折り紙つきであるが故であるのは言うまでもありませんが、それがさらに最新の技術による細心のリマスター作業で薄皮が一枚も二枚もはがれたような瑞々しい音になっています!

こんな“リマスター”なら大歓迎!! 
大沢親分と張さんに“あっぱれ”をやってもらいたいもんです。
もちろん先のディスクも通して聴くとこれでしか聴けないムードを醸し出してくれるのでよく聴いていますよ。

この“ZOUNDS”社は他のアーティストの作品もベスト盤にして出しています。
サイモンとガーファンクルとかジェフ・ベックとか。。。
また機会を見てそちらもご紹介したいと思います。

基本的にロックとかエレキのサウンドはリマスターでクリアにしてもらったほうが、たいていは素晴らしい音になるんですよね。
クラシックは「そればっかりじゃない」ってのが、あぁ悩ましい。。。

(2006年11月19日記、一週間不在のため先日付で投稿いたします。)

憧れのソナスファベール。。。

2006年11月20日 00時49分48秒 | オーディオ関連
つい1年ほど前までは私の愛器スピーカーはソナス・ファベールのコンチェルト・グランドピアノでした。残念ながらネットワークの故障のため手放しました。
世評どおり弦楽器の再生なんかは素晴らしい質感をかもし出したものです。
全体の音もうまくまとめられていた。。。そう、安曇野での経験を経た今になって考えればうまくまとめられていたのです。


先だって東京インターナショナルオーディオショウとテレオンのイベントに出かけて、ソナスファベールの最新のラインナップの音を聴いて驚きました。
音色がとにかく明るいのです。開放的に、まったくストレスフリーに歌う。。。
最初に聴いた処女作エレクタ・アマトールはどちらかというと内に収束するような鳴りでしたが、それとは“対照的”といって良いほどに違う。
もちろん我が家で7年にわたり活躍したコンチェルト・グランドピアノと比較してもはるかに明るいし天国的なサウンドがする。。。それだけでいっぺんに魅せられたものです。
先ほどの“うまくまとめられていた”という感覚、悪く言うと出すと都合の悪い音を出さないことで“誤魔化していた”といえなくもない音作りも、あるもの全てを出しつくしていると信じられる音になっていました。

とりわけ私の印象に残ったのは、アマティ・アニヴァーサリオです。

弦楽器、古楽、声楽のジャンルだったら無敵ではないでしょうか?
私にとっては、平素余り耳にするジャンルではないために理性を失うほど騒いだりはしません(笑)が、音楽を聴くことが非日常的な行為・天国的な行為になることは疑いを容れません。ブースでの試聴ではピアノ曲を注文してしまったためいささかの違和感を感じはしましたが、グラモフォンの録音のような粒立ちのしっかり録れたピアノであればそんなことはないはずだし、事実プレトニョフのモーツァルト・トルコ行進曲がかかった際に非常に素晴らしい再生を実感させてくれました。

ストラディヴァリ・オマージュ(写真は記事冒頭)も同傾向の音ですが、すこし天国的とか開放的なところが抑えられより落ち着きのある音色になっていました。この2機種は他のどのメーカーのスピーカーとも異なる音色を誇っているように思われます。

ガルネリ・メメントも魅惑的な音ですが、さすがにスタンド込みのブックシェルフという造りのため、低音の量感はどうしても先の2機種ほどには感じられません。小編成の室内楽であればむしろこの方が雰囲気がいい場合もあるかもしれませんが。ピアノの音にしてもボディ感がもうひとつ欲しいのかなと。。。
クレモナは泣く子も黙る大ベストセラーになりましたが、音は未試聴なのでぜひとも近い将来聴いてみたいものです。ピアノがもしうまくなるようであれば悩ましい日々が訪れてしまうのかもしれません。

最後に、オーディオケーブルのブースでモニターとしてグランドピアノ・ドーマスがプライマーのシステムでドライブされていました。

まず、ソナスがモニターになる時代が来たんだなぁ。。。メジャーになったもんだという思いがありました。一聴して開放的な響き、他にないタイプの明るさを持っていたのでさもありなんと思い直しましたが、そのパフォーマンスは大変に素晴らしいもの。
これなんかもし上位機種のアマティ・アニヴァーサリオによる、さらにこの傾向の音を突き詰めた成果の存在を聴いていなかったら、狂喜して手に入れたいと大騒ぎを始めたかもしれません。いや、軍資金がヤンキースやレッドソックスのように出てこない一般のオーディオファンにとっては、CPではむしろドーマスのほうがあるんでしょうから。。。
この世界、わかっててダキョーすると結局後悔することになるので。。。

オーディオショウ以来、再び私の手許にこのブランドのスピーカーが来る日を夢に見るのですが、フォーカルもよかったしなぁ~~~。。。

それ以前(すごく前)の問題として、何分にも先立つものが・・・どょよ~ん。。。
性懲りもなく、今年も年末ジャンボにかけるであろう小市民がここにいます。

結局は、お金があってもどれにしようか決められずに迷ってしまうのでしょうが。。。
それでも、ぜひとも迷ってみたいものです!!!

(2006年11月17日記、一週間不在にするので先日付で投稿いたします。)

紅葉狩り!?

2006年11月19日 02時03分38秒 | 思い出
今日も東京はピーカン!(^^)/

閃いて、今日は紅葉狩りに行こうと決めた。
地理にはまだまだ明るくないが、ネットで調べれば楽チンなので便利な世の中になったものだ。。。

青梅の御岳渓谷がよさそうだ、ということで乗換案内も調べていざ出発。
12月並に寒くなっているらしいから、さぞかし紅葉もきれいであろうと、もこもこに着込んで出かけた。ところが電車は思いのほか混んでおり暑かった。。。

乗換駅の五反田には初めて行ったが、結構都会ではないか。
実は東武線に乗りかえるときに、「ここから150円圏内に紅葉のきれいな渓谷があるのか?」と思わなかったわけではない。
人のせいにするわけではないが、五反田駅の警備員さんに「この先“みたけやま”駅ってありますか?」と聞いたら、「“おんたけさん”駅があります」と答えていただいたから信じちゃったのだ!
いや、勝手に思い込んでしまったのだぁぁぁ!!!

結局到着したのは、青梅ではなく田園調布の御嶽山駅。。。
着いてすぐ、「あんれぇ~!?」と線路を渡って歩いてみれば御嶽神社があったので早速お参りをした。

私は小さいころから長野県の御岳山に先祖が神様として祭られているのでお参りに行っていたからだ。なにかゆかりがあるに違いない。

それはそうと道行く人に、「この辺で紅葉の名所ってありますか?」さすがにこの風景で「渓谷はどこだ?」とは聞けなかった。。。そして、だれも知らないという答えであるのもこの町並みの中ではいたしかたない。

駅前の商店街の飾りつけのもみじを愛で、御嶽神社で家族の健康を祈願するなど、サイコーの紅葉狩りじゃぁぁぁ!!

ほれ、駅のもみじも見事に色づいておろうがぁぁあ・・・がく。

駅前ジャスコのイタトマで昼飯を食べながら、青梅に行けるか確かめてみる。。。
携帯の乗換案内で調べるとやはり東武線の御嶽山駅が出てしまう。。。なぜだ?

要するに御岳登山鉄道の御岳山駅を検索すると、通常の鉄道ではないらしくエラーになるため御嶽山駅を検索することになってしまうようなのだ!
よし原因究明はできた。。。これで青梅へ行くと・・・4時!。。。
もう暗いじゃん・・・ばた!
あえなく紅葉狩り終了。。。

商店街の人ごみを音楽が包んでいる。。。
“HONESTY”かぁ~~~。。。あれ、レゲエのリズムだ!
このケーカイなリズムに何とゆうこゆ~いヴォーカルなんじゃぁぁぁ。
イタトマの入口なんかクリスマスのデコレーションみたいになってるしぃ~

音楽は夏していて、町並みと目的は秋していて、店の飾りつけは冬している。
恐ろしく季節感がない!
やはりここでかけるなら、本家本元のビリー・ジョエルのヴァージョンでしょ~がぁ~!
と、勝手に思いつつ帰ってきた。


いうまでもなく本家のディスクは記事冒頭の写真のもの。
私はこの“ニューヨーク52番街”のディスクはSA-CDのフォーマットとCDのフォーマット2つを持っている。
SACDだと自然な音、CDをエソテリックでかけると力強い音が楽しめるからだ。。。
スペックはSACDの方が高いことになってるだろうが、どちらの音も気に入っている。
ちなみに“オネスティ”だけなら、ビリー・ジョエルのベスト盤にも入っており同じ音源であるため、もうひとつヴァージョンを持っていることになる。これはクリアで伸びのある音。やはり音がちょいと違うような気がする。
さらには、ソ連でのライブ盤がありこのピアノ一本弾き語りって言うのもこたえられない。
家人ならずとも「何故に同じものを?」とはよく言われるが、なかなか分かってもらえないところである。

新宿に戻ってきて高島屋のHMV新宿に寄っていくことにした。
フラっとそこここを眺めていたら高橋多佳子さんの新譜が目に入り、説明が書いてあったので読んでみた。。。
なになに「・・・・・・・どうやっているかは分かりませんが銅鑼の音がはいっている・・・」だって。

私は自慢だが2回(渋谷・安曇野)もご本人から説明を聞いて、2回(安曇野・紀尾井)も実際に演奏しているところを拝んでおるぞぉぉお!!!

思いっきり溜飲を下げさせていただきました。
すっごいご利益。。。
何柱もの神々とあわせて、やはり多佳子さんにも手を合わせておかなければ。。。
弐禮二拍手!

礒さんの記事を見て・・・

2006年11月19日 00時20分46秒 | 礒絵里子さん
モーストリー・クラシック12月号に礒絵里子さんが出ていました。

礒さんについていろいろ書きたいことはありますが、要するに素晴らしいヴァイオリニストです。
彼女のブログとリンクを貼らせてもらい、はたと気づいたことがありこの前から悦に入っています。
すなわち、よくみるとリンクを貼らせてもらっているのは全員素敵な女性だなぁ。。。オレも捨てたモンじゃないねぇ。。。ってわけです。

また、11月4日の記事で礒さんの「踊る人形」というディスクを紹介しています。
どんな心境のときにも自分の心との距離感が快い、とても素敵なディスクで普段からよく聴いています。ピアノだとどんなに素晴らしい演奏でも耳障りがキツイと感じるときがありますが、弦だとそういうことが比較的少ないように思います。もちろん曲によりますが。。。そして、このディスクは楽しいときも、悲しいときもちょうどいい具合に見守ってくれるのです。

礒さんと初めて会ったのは、5月の連休の軽井沢でした。
Tiaraのデビュー前のお披露目コンサートに(かみさんと一緒に)行ったときのことですが、間近でその演奏に触れていっぺんに魅了されてしまいました。
印象深いのは、まずチェロの荒さんとのヘンデルのパッサカリアのデュオ。
空間を切り裂くほどに厳しくありながらも、潤いあるアンサンブル。。。
演奏されていたのが本当に目の前だったのでデビューコンサートで聴いたときよりも峻厳に聴こえていたように思います。
そして忘れられない“タイスの瞑想曲”と、アンコールに皆さんで演奏された“愛の挨拶”。。。
礒絵里子は天才だと思いましたねぇ。彼女のブログにもどっさり書き込みしたような。。。

Tiaraのデビューコンサートでは、ブラームスのピアノトリオ第1番の終楽章の終わり近くで、今度は物凄く壮絶な印象の音の質感を感じさせる全身全霊のボウイングで引き込まれてしまいました。
そんなときでも結構クールにあっけらかんとしているようにみえる。。。

ヴァイオリンはピアノほど多くの人の演奏を聴いたことがないけれども、実演で聞く分には、私には礒さん一人いればこと足りるのではないかと思えるほどにオールマイティです。
とはいえ、彼女にはソロのディスクが一枚しかないんで、いろんな人のを聴いてますがね。。。
と、ここまで書いてデュオ・プリマのディスクで、どこが彼女のパートだかわからないとは書きにくいですが。。。実はわからん!


礒さんの紹介はこれくらいにして、モーストリー・クラシックのヴェルビエ音楽祭の特集で
1999年に彼女がI.オイストラフ先生の勧めで音楽祭に行ってイダ・ヘンデル女史に指導を受けたという記事が載ってたのを見ました。

礒さんは生まれついての天才で、師匠連中の上手な指導もあり弾けない曲などなくプロになったというイメージを持っていました。
黒いドレスを着て“練習に励む”写真を見て修行時代もあったのか・・・“意外である”と。
ヴァイオリンのソリストってややふんぞって、コーコツした表情で上を見て弾いているという図がよくありますが、反対にやや上方から下向きで髪の毛で顔が隠れる感じで写真を撮ってあるので「修行中」という感じは出ていましたねぇ。常働曲なんか弾くときは、ソリスト本番でも見た目は修行中状態になるかも知れませんね。。。

礒さんを指導したというイダ・ヘンデル女史のシマノフスキの“神話”やエネスコの第3番ソナタをアシュケナージのピアノで収録したディスクを持っています。(写真は記事冒頭)
この“神話”、とくに“アレトゥーザの泉”の演奏は非常に素晴らしいと思います。
ヴァイオリンの音色が独特で、なんかピト~ッとしている。技術的なことはよく分からないですが、この曲でやたら出てくるトリルの仕方などもここでしか聴けないものがあるように思います。
ディスクで私がよく聴く“濃いくち”のムター姐さんの豊満な音色と比較すると、女史のそれは対照的に思えます。逆に、ヘンデル女史のトリルはムター姐のあの小指のビブラートにも匹敵する独特な必殺技にも思えてきます。
同じことを慣れないヴァイオリニストがやったら、ブヨがたかっているような音になってしまうのではないだろうか?
この曲では、ダンチョフスカがツィメルマンと入れたものがステキでしたが。。。
この2点ぐらいですね、知ってる限りの“神話”のディスクで違和感がないのは。

さて、ヴェルビエ音楽祭の記事は他にもいっぱいありました。
キーシンが散歩してたり、プレトニョフがあーしてた、レーピンがこーしてたなどと。。。アルゲリッチもこうした音楽祭のことになると必ず絡んでいるようですね。とても興味深く読むことができました。
ところで、かねてよりこの演奏会でキーシンがショパンのポロネーズや即興曲を録音していて、本人がたって発売して欲しいといったという音源の存在が言われていました。それが何ヶ月か前に発売予告されていたように思いましたが、知らない間に中止ないしは延期になっていました。
それが、今回発売になっていた。。。

★キーシン・ショパン名曲集
                  (演奏:エフゲニー・キーシン)

いずれも一聴してそれとわかる、こゆ~い演奏。
凄く集中力が高いのはわかるけれども、なにもそこまでという方もいるかもしれない。
この前、多佳子さんの実演を録音したものを比較して聴いた耳で考えると、プレイバックでこうなんだから本番は恐ろしく沈潜したというか息詰まる演奏だったと思われます。
濃厚な味付けのショパンを所望するときにはこたえられないディスクかもしれませんよ!

しかしタワレコ新宿のアナウンスには“1・3・6・8トラックがお勧め”とある。
順にポロネーズ第1番、即興曲第1番、幻想即興曲、英雄ポロネーズって、単に有名な曲ってわけではないですか?
私なんかゼッタイ、“2・4・5・7トラック”のほうがこの演奏に相応しいと思いますけれども。。。
ちなみにポロネーズ第2番、即興曲第2番、即興曲第3番、ポロネーズ第4番です。
この燃焼度の高いテンポをじっくりとった演奏には、特に即興曲2・3番がばっちりで素晴らしい演奏になっていると思います。
ヴェルビエ音楽祭のライブということでついでにご紹介しました。


さて、モーストリー・クラシックでは礒さんがDVDに出て、なんとあのタイスを3ケ月で弾けるように指導してくださるという。。。
うーむ、マスネの“タイスの瞑想曲”、エルガーの“愛の挨拶”、クライスラーの“愛の悲しみ”は弾いてみたいぞぉぉぉ!!

軽井沢で聴いたタイスが聴けるとあれば、そのDVDはゲットせずばなるまいて。
ちなみに今は“タイスの瞑想曲”といえばこのディスクを聴くことが多いですなぁ。
初めてこの曲を聴いたディスクなのでパブロフの犬のように反応するのかもしれない。。。

★チゴイネルワイゼン
                    (演奏:前橋 汀子)


礒さんに師事するということは、イダ・ヘンデルの孫弟子、D・オイストラフの曾孫弟子になるということなのだから、この際チャレンジしてみますか!
そしてゆくゆくはシベリウスのコンチェルトのイントロとか。。。R=コルサコフのシェラザードのテーマとか。。。(^^)/

さだまさしの“精霊流し”の前奏だったりして。。。

そういえばタイスを弾くための練習用ヴァイオリンは、モーストリー・クラシックの付録でついてこないのだろうか?