SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

夢の共演! 高橋多佳子とヤングピアニスト (2012年)

2012年01月30日 01時38分53秒 | 高橋多佳子さん
★夢の競演!高橋多佳子とヤングピアニスト

 ※高橋多佳子さんの演奏曲目※

1.月の光/ドビュッシー

2.亜麻色の髪の乙女/ドビュッシー
3.泉のほとりで/リスト
4.ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」ハ長調作品53/ベートーヴェン

                  (2012年1月29日 プラザイースト ホールにて)

今回も聴きに行けてよかった、心からそう思える素晴らしいコンサートでした。
なにより「聴き手を元気にする」、ピアニストが子供たちに語ったその気持ちが言葉のとおりに感じられる得難い機会であったことがうれしいです。
ピアニストのみなさんにはもちろんですが、企画に携わられた方にも感謝したいと思います。


そもそも、この企画は、オーディションで選ばれた小学生から大学生までの11人のヤングピアニストと高橋多佳子さんが連弾するというものです。
私のお目当てはもちろん多佳子さんの演奏・・・ではありますが、まずは、主役は子供たちなのであります。

とはいえ、単なるピアノ発表会とはわけが違う・・・
もちろん身内じゃない人が聴いていてとても楽しい思いにさせてくれる、レベルの高いコンテンツがつまっておりました。


私など・・・
天下のショパンコンクール入賞者が、連弾のセコンドとはいえスターウォーズのテーマや木村カエラさんのButterflyを人前で弾く、それだけでも聴きものだと思うのですが・・・。
セコンドだからこそ、多佳子さんの魅力であるリズムの乗りやテナー声部の音色も堪能できて楽しめるわけですし。


多佳子さんは、プリモの子供たちに合わせて音量も弾きようも工夫しておられるのでしょう・・・
プリモが引き立つようにするのはもちろん、たとえ走り気味になったりミスしちゃったりしたときにも、絶妙によりそってすぐに落ち着きを取り戻させてあげるリードがさすがです。

そんな場合、子供たちとはいえ、上手に弾けたとみんなに褒められても間違っちゃったところは自分でもちろん気づいています。
悔しそうにしている素直さ、純粋さには、きっとこの子たちはまだまだ上達するんだろうなとほほえましく思います。
そんな新鮮な思いとともに、今の我が身を振り返れば、子供たちにひたむきに何かに打ち込むことの大切さをあらためて教えられたようで、反省することしきりです。



さてさて・・・
さすがオーディションを通った才能だけあって、連弾のヤングピアニストたちはみんな上手。最近は音楽を専門に勉強している人たちも受けに来ているというだけあって、レベルが高くなっているというのもうなずけます。

就中、ドヴォルザークのスラブ舞曲を弾いた小学4年生の女の子、特に私の印象に残っています。
しなやかなフレージングやリズムの感じ方は天性のものか、あのチャーミングな弾き振りはまねしようとしてなかなかできるものではありません。
お医者さんになりたいそうですが、ぜひとも音楽も続けてもらいたいものです。


高校生以上の4人には、休憩をはさんで1曲ずつソロを弾く機会がありました。
これだけの人前で演奏することは、この上ない経験となることでありましょう。
それぞれのピアニストに生の音楽を聴く楽しさを味わわせてくれたことに感謝の気持ちを伝えたいです。
そしてみなさんがさらに飛躍されるよう、こころから応援したいと思います。



さて、プラザイーストのピアノは凛とした音色のベーゼンドルファー。
多佳子さんのソロ演奏は、都合4曲とはいえ、それぞれに内容の濃いもので感動の濃さではいつもと同じ、いやそれ以上でした。

コンサート冒頭に弾かれた今年が生誕150周年であるドビュッシーの「月の光」。
いつだったかアンコールで聴いた覚えがありますが、あのときのウルウルの情感たっぷりのそれとは一線を画した奏楽。
雰囲気で聴かせるという感はなく、一音一音をゆるがせにしない、そうでありながら響きの合間からうるおいのようなものが感じられてステキでした。
格調は高いけど、親しみやすい・・・多佳子さんの最近のリサイタルの感想に必ず書いていますが、大家の域に達した境地に思えます。



そして、コンサート最後のミニ・リサイタル。

ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」
単音で弾かれるメロディー、その音色と歌い方ひとつで響きというよりホール全体の空気を支配してしまう手際には驚きを禁じえませんでした。
プロってすごいと思った瞬間ですが、ピアニストとはピアノを手なずけるだけでは足らず、聴き手の心を揺さぶるようアプローチしなければならないということを、身をもってヤングピアニスト達に示された瞬間だったと思います。

ここでこの音に鳴ってほしいという呼吸が、私の感覚とぴったりなのはいつものこと・・・
いえ、私に限らずその場にいる聴衆すべてと一致しているようにも思えます。
しっかり弾き込まれた音楽のうちからじんわりと立ち上ってくる芳香のような味わいは、ピアニストが巧まずして作り出しているのに相違ないわけですから。。。

映像第1集・第2集、版画、レントより遅く、喜びの島・・・いつの日か多佳子さんから聴きたいドビュッシーがどんどん浮かびます。


リストの「泉のほとりで」。
爽やかな小品ですが、一篇の詩集を味わったような量感があったように感じました。
音色の粒立ちのよさ、それも一音一音の比重がちがう・・・
一音一音でさえそうなのですから、それが絶妙に織りなされた音楽そのものの密度たるや相当なものだということは、私が聴いてもわかります。
なるほど、「これがリストか・・・」とうなるほかありません。


そして、白眉のベートーヴェン「ワルトシュタイン」ソナタ、ソロ演奏で誰に遠慮する必要もないからでしょうが、持ち味のリズムや音色が適切なのはもちろん、曲に必要なバスの音も迫力満点。
終始、安定感抜群の演奏で、第三楽章の半ばでは感動のあまり思わず涙があふれてしまいました。
多佳子さんの演奏を聴いたときには珍しいことではないかもしれません。
何がそうさせるのか・・・不思議ですが、ホールの雰囲気の中で多佳子さんの紡ぎだす音に身をゆだねるとそうなって、元気をもらえるのです。

音楽とは、単に聴き手を感動させればよいというだけのものではないとは思いますが、どんな演奏であっても弾き手も聴き手も元気になれるのであれば◎なんじゃないかな?
そんなことも強く感じました。

オクターブ・グリッサンドのパートをどう弾くか?
アラウはここをオクターブ・グリッサンドで弾けないピアノではワルトシュタインを演奏しないと言っていたし、ポリーニの来日公演では会場からのリクエストでオクターブ・グリッサンドのところだけを弾いてほしいとリクエストが出て答えている映像を見たことがあります。
CDで音楽を楽しむことがほとんどの聴き手にとって、ライナーノーツやピアニストのインタビューにあった「弾き手のこだわり」は、安易に捉われやすい罠ですね。

これだけ心に響く音楽であれば、演奏家やある種の専門家でない限り弾き方にこだわる必要もない気がしました。
かといって、演奏家が勝手に楽譜に足したり引いたりを安易にしたりしていいとも思いませんが・・・。


元気にしたいというピアニストが、元気になりたいと思う聴き手を感動とともに元気にしてくれたのであれば、これ以上何も求めるべくはありません。
ただただ、聴きに行くことができてよかった、素晴らしい演奏をありがとうと思うばかりです。


これほどの演奏の後に、アンコールはいらない。
そう思ったほどの感動の演奏だったわけですが、終演後に多佳子さんに聞いたら「まだまだ」とまだ目指すべき高みがあるという。

(リアルのだめといわれるらしいお話とかはともかく・・・)
ことピアノ演奏芸術面に関してはいよいよ大家の風格が誰の目にも明らかな多佳子さんをして、こんな言葉が出てくるのですから・・・
これからその山を登ろうとしているヤングピアニストたちは大変です。


そして、いつの頃かは知らないけれど、かつてヤングピアニストだったころ「ベートーヴェン弾きになりたい」とおっしゃっていたらしい多佳子さん!

熱情、ハンマークラヴィーア、作品109~111など、遠からず聴けることを期待しています。
「ベートーヴェンの旅路」も考えられるべき企画だと思いますよ!

好漢逝く

2012年01月11日 22時53分24秒 | ピアノ関連
ピアニスト、アレクシス・ワイセンベルクのディスクが我が家のターンテーブルに載ったのはいつ以来だろうか?

15年・・・いや20年以上も聴いていなかったかもしれない。
私が社会人となった前後にドイツ・グラモフォンにあって、気鋭のピアニストとしてならした彼。

彼のドビュッシーは何度も聴いた記憶があるが、ラフマニノフのソナタのディスクは巧いかもしれないがなんと無造作な弾き方かと思い、スカルラッティのソナタはペダルの踏みすぎではないかといぶかしんだ。
おかげで私のクラシックのキャリアの最初期に手に入れたCDのはずなのに、いまなお美麗で新品同様に見えてしまう。

それが今・・・
彼のラフマニノフを耳にするとなんと無駄なく、潔い男気を感じさせる演奏家であるかと感嘆し、スカルラッティにはピアノによる男の憩いの最良の表現であったと認識を新たにしている。



折しも東京事変解散の報があった。

椎名林檎の声明にはこうあった・・・


我々が死んだら電源を入れて
君の再生装置で蘇らせてくれ
さらばだ!



そして・・・
1月8日の訃報に接したアレクシス・ワイセンベルクは私のうちに今晩再び蘇り、不滅の硬派な好漢ピアニストとなった。

合掌

装丁のうち・・・

2012年01月09日 21時37分10秒 | 器楽・室内楽関連
★マニャール・フォーレ:弦楽四重奏曲
                  (演奏:イザイ弦楽四重奏団)
1.マニャール:弦楽四重奏曲
2.フォーレ  :弦楽四重奏曲
                  (録音:2004年)

今年はドビュッシー生誕150年の年。。。
ミケランジェリの【映像】に惹かれてクラシックの樹海に誘われたものとしてはショパンやリスト以上に慶賀の念に堪えない・・・というふうにならないのかもしれませんが、正直、いまいちどころかいまさんぐらい盛り上がりませんです。
このところほとんどドビュッシーは聴いてないから・・・。(^^;)

それというのも、「映像」はやっぱりミケランジェリの70年盤(最晩年のがオクラばせながら出てきたのはやっぱりオクラにしておくべきだったと思っています)を超えるものはないし、「ベルガマスク組曲」はドビュッシーの正統な流儀ではないかもしれないけどコチシュのすっきりながらロマンたっぷりの演奏にとどめを刺すし、その他、ツィメルマン、アラウ、アントニオーリ、ストット、青柳いづみこさん、小川典子さん、遠山慶子さんの前奏曲集や選集があればという状況が何年も変わらないですからね。
「牧神」にしてもアバドとクリヴィヌがあればいい気がするし、室内楽も弦楽四重奏曲は10種類ぐらいあるはずだけどラヴェルのそれのつけ合わせみたいな位置づけで聴いてきたから・・・今はこれはこれでいい曲だと思っていますが。。。

今年の記念年リリースの新譜に期待・・・ということにしておきましょう。
とはいえ、昨年のリスト記念年の成果をここで発表できないので、過度な期待はしないようにしなければなりますまい。
自分の耳にフィットする演奏が現れるはずだと思い込んで、「想定外」の結果に終わるとさびしいですからね。


さて、このところ弦楽四重奏曲(弦楽五重奏曲)を聴く機会が多い状況は相変わらずです。
ことにシューベルト・・・
メロス弦楽四重奏団は前回の記事に書いた通りですが、ブランディス四重奏団、ブロドスキー四重奏団、ペーターゼン四重奏団、アウリン四重奏団、カルミナ四重奏団、パノハ四重奏団、クス四重奏団などなどとっかえひっかえ聴きまくっています。
このほかにも聴いていますが私の耳にはまだピンと来ていません。
逆に、ピンと来るものだけでもこれだけある・・・ということなのですが。

弦楽四重奏曲第12番の断章以降、13番、14番、15番、そして弦楽五重奏曲D.956に至る曲は・・・あまりにすばらしい。
浦島太郎の歌のように、文字にできない美しさなので、語らずに沈黙するほかありません。

ピアノ・ソナタ第18番~第21番や即興曲集・楽興の時もそうですが、シューベルトの晩年の楽曲に心奪われてしまうと、あっち側の世界に連れて行かれて帰ってこれなくなりそうです。
こっちの精神状態がぐちゃぐちゃであっても、その意味でリセットできる気がするのは絶大な効用といえるでしょう。

この世のものとも思われない旋律があるかと思えば、地獄の入り口みたいな混沌もあり、とくに終楽章にはやけくそにも聞こえる舞曲のリズムあり・・・
演奏家の解釈と聞き手の気分次第で、どれだけの感じ方ができるか、まさに無限大、それも「天国的な長さ」で味わえるという・・・抽象的な書き方でしかシューベルトの曲を聴いたときの体験は語れないのです。

よくも悪くも聴いてるだけでこれだけ揺さぶられるのですから、弾いてる人たちは大丈夫なのかな・・・と思うこともしばしばですが、それで世をはかなんでという話も聞かないからきっと大丈夫なんでしょうね。


で・・・
今回取り上げるのはフォーレのディスクにしました。

イザイ弦楽四重奏団は今般新しいレーベルを自身で立ち上げ、新譜ばかりでなく自らの旧譜を新しい装丁で発売したようです。
レーベル立ち上げの理由はきっと、レコーディングの曲目やパートナーの選定に際して、アーティストの希望とレコード会社側で大きな開きがあることなのでしょう。
今般発売されたレパートリーを見れば、イザイ四重奏団の意欲と善意が感じられて思わず応援したくなります。

しかし、演奏の内容もさることながら、この新しい装丁というのが実に統一感があってオシャレでよろしい。
冒頭に掲げた写真は私が持っていたディスクですが、これは旧のジャケットです。
ネット上で新しくなったジャケットを見たときには、質感のある彫刻の絶妙なカットでむさいオッサンの並んでいるものよりもはるかによく見えてクヤシイ思いをしましたが、実際に店頭で見たらあんがいちゃっちかったので安堵することにしました。

これとは別にハイドンの「十字架上のキリストの7つの言葉」のディスクを新装丁のもので購入したのですが、このジャケットは素晴らしいと思いました。
演奏も安定感あふれる素晴らしいもので、牧師の説教入りのものとそうでないものの2枚ある・・・
解説書もおそろしく分厚く、研究の内容がつまびらかに記されている・・・

これです!

演奏だけではなく、収める内容、装丁、解説に至るまで自分たちの思ったままにプロデュースするという姿勢が本当に伝わってきます。
装丁のうちには、アーティストをはじめとするディスクにかかわる人の想いが詰まっている。。。
惜しむらくは解説が読めない・・・これだけマーケットがあるということで来日するアーティストが多いのに、どうして日本語の解説はつかないのか・・・ことだけです。。。


装丁の話をもう少しさせてもらうと、私はデジパックが嫌いです。
そもそも(装丁そのものを守るための)強度がない、やはりプラスチックのケースに入れてもらえると安心です。
しかし、アーティストの意向があるならばプラスチックのケースの上にもうひとつ紙で覆ってそこに好きな図絵をこしらえてくれるといいのになといつも思っています。

話がしっちゃかめっちゃかな方向に飛んでしまっています。
元に戻して、イザイ弦楽四重奏団のフォーレの弦楽四重奏曲の演奏に関して言えば、これまた安定感のある音色でフォーレ最晩年の名曲をわかりやすく聴かせてくれる、ようするに、うっとりと心をゆだねられるように聴かせてくれる横綱相撲の演奏だと感じます。

昨今、エベーヌ四重奏団という活きのいいチームが出てきてドビュッシー・ラヴェル・フォーレの弦楽四重奏曲のディスクで世界を席巻したのは記憶に新しいところですが、私としては勢いがありながら時折見せる響きのうるおいにポテンシャルの高さは十分認めるところではありますが、横綱イザイ・北の湖に関脇エベーヌ・千代の富士というほどに思われます。

シューベルトもフォーレも歌曲をめでる声が多いですが、私はまだそこまで手も耳もまわっておりませんで、フォーレのクァルテットなら志の高いイザイ弦楽四重奏団の演奏にとっぷり浸っていられれば幸せ・・・です。


≪ちなみに≫
・マニャールの弦楽四重奏曲は、シューベルトの舞曲のやけくそリズムにも似た感じがする曲です。
 イザイ四重奏団にしてみれば両A面的な扱いだと思いますが、私にはいまのところフィルアップにしか思えませんでした。
 良さがわかるまでにはまだまだ時間がかりそうです。

・フォーレの室内楽のディスクならアウリン弦楽四重奏団のピアノ五重奏曲集が絶品でした。
 これほどクールな美しさに満ちたフォーレは初めてでした。

・ドビュッシーの注目盤としては、旧譜ですが、フランソワ・シャプランのドビュッシー全集には期待しています。
 MP3ではすぐダウンロードできるようですがやっぱりWAVでほしいです。
 できれば妥当な金額でディスクで映像だけでも入手できないかな・・・と。
 今回のタイトルではないですが、装丁のないデータだけっていうのは、いかにも味気ないと思いませんか?
 レコードがCDになったときには俺たちの時代のメディアだと思いましたが、データをダウンロードするだけという時代が来るとは「想定外」でした。