SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

安定した唯一無二のファンタジー

2008年08月04日 21時35分41秒 | ピアノ関連
★ドビュッシー:前奏曲集第2巻 ほか
                  (演奏:ジャン=フランソワ・アントニオーリ)
1.前奏曲集 第2巻
2.英雄的な子守歌
3.アルバムの一葉
4.エレジー
                  (1986年録音)

こうして転勤族をしていると、引っ越すたびにいくつかのCDが失われてしまっているように思われてならない。
それは、「あれ?あったはずなのに・・・」と思ったディスクがどうしても見つからないことがあるので、そう思うだけなのだが。。。

とにかく、現在の東京の潜伏場所に移り住むまでは全ディスクの収納ルールを決めていなかったし、現在に至るまで10年来、手持ちのディスクをカードにせよ、データ・ファイルにせよ図書館的に管理したいと思いつつ、実現に至っていないことからアヤシイ限りじゃないかと思わずにはいられないというわけなのである。


実はロック&ポップス系のディスクは、いちど相当数を手放したことがある。
そのときの印象は、みごとに二束三文で引きとられてしまったものだ・・・というもの。

さらにその後、あろうことか手放したハナからもういちど聴きたくなるという、とんでもない自分の性癖にも気がついて、やはりご縁があったのだから、一度入手した以上はそれを聴くと耳から出血するとか、体中に蕁麻疹が出るとか・・・そこまでいかなくとも、サンソン・フランソワがブラームスの楽曲や楽譜に対して抱いたような「触ったら手を洗わなきゃ・・・」と思われるぐらいの嫌悪感でも湧くようなら手放すのをためらわないとしても、基本的には自分の側に置いておこうと決めた。

だから、収納場所にはとっても苦労をしているのだが・・・。
また、2000枚はあろうかというこれらすべてのディスクを、もう一度すべて聴きなおすということも物理的に困難であろうから、何らかの形で社会に戻してやったほうがディスクも幸せなんだろうなと思うこともあるけれど。。。


だが今回、やはりそれは一寸待っとこう・・・と思われることが起こった。

それは、冒頭のアントニオーリのドビュッシーのディスクがありえないところから出てきたことによる。。。
ありえないところ・・・とは、ありえないところなのでそこへの突っ込みはなしにしていただきたいのだが、とにかく、どこへ行ったのかと永年思っていたディスクとの邂逅を果たすことができたのである。

本当は第1巻も持っていたはずなのだが、それは出てこなかった。
しかし、1枚出てきたのがより世評の高い第2巻であったことは、誠に慶賀すべきことがらであった。

それはそれとして、私がクラシックにのめり込むきっかけとなったディスクを1枚挙げろといわれれば、ミケランジェリのドビュッシー“映像”のディスクである。
無論、ドイツ・グラモフォンに録音された彼のドビュッシーはすべてディスクで持っている。
件の“映像”は結婚前にかみさんに贈ったので(あまり聴かれなかったと思われるが・・・)2枚あったりもする。

ただ、ドビュッシーの前奏曲集第2巻をはじめて聴いたのは、実はこのアントニオーリ盤なのである。
そのときは、長野県に住んでいて片田舎の日本の歌謡曲や演歌が主体のレコード屋に注文して、怪訝な顔をされたものである。
まさに「あんた・・・ナニモノ!?」という感じであった。

そりゃ、こちとらクラシック初心者で、インターネットもまだまだまだ普及していなかった時期であり、何を聴いたものか相談相手もなく皆目見当がつかなかった。
そこで、1993年だったかの国内で発売されている鍵盤楽器、声楽、音楽史のCD全点を“解説・寸評付き”で網羅した電話帳バリの一冊を頼りに、クラシック音楽の大海にまさに漕ぎ出そうとしていたところだったのである。

そうなれば、そのガイドに「特選」の文字があるものを注文するしかあるまい。

ミケランジェリの録音も88年だったはずで、相前後していたが件の本では推薦どまりだったように記憶している。
とにかく、私はアントニオーリ盤を選び注文して、案外程なく入手できて聴いた・・・・・・・・・・・が、今、私がシュニトケの音楽を聴くより戸惑ったような気がする。
これが練習曲集だったら、二度と聴かなかったかもしれないが・・・アントニオーリ盤をして、まったくなんだかわからなかった。

しかし、きっと15年ぶりぐらいに聴いたこのアントニオーリ盤には、私は魂を奪われた。
なんと安定して充足した演奏・・・そして驚嘆すべきは響やテクニックといったことではなく、音色あるいは音楽の佇まいで無限のファンタジーを感じさせること。

きっとこれは魔法だ・・・ピアノが座りよく鳴っているだけなのに、心の中にある独特の雰囲気がほのかに匂い立ち、この音楽にはこのありかたが最も相応しいのだと信じさせてくれる。。。

ツィメルマンの遠くから聞こえる煙ったような独特の音使いも魅力的だが、あれはツィメルマンを聴く演奏であって、この曲を聴くのはこの演奏のほうが相応しいと感じるのである。
もちろん、ドビュッシー・・・をイメージして聴く演奏でもない。。。

やはり『特選』だったんだ・・・それをオレは感じ取ることができるまでの耳、あるいは心を持つに至ったんだ、などと、超楽天的な想いに耽って何度も聞き返すことになったのであった。

私の中で、ずっと寝かされていて馴染んでいたのかな・・・いずれにせよ、幸せなことである。

神話の世界へ・・・

2008年08月03日 22時50分24秒 | 器楽・室内楽関連
★エトワールの夜~グザヴィエ・ドゥ・メストレ・プレイズ・ドビュッシー
                  (演奏:グザヴィエ・ドゥ・メストレ(hp)、ディアナ・タムラウ(S)、
                         ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団員)
1.ベルガマスク組曲
2.夢
3.ロマンティックなワルツ
4.エトワールの夜(星の輝く夜)
5.リラ
6.麦の花
7.月の光
8.マンドリン
9.美しき夕べ
10.まぼろし
11.2つのアラベスク
12.『前奏曲集』より ~ デルフォイの舞姫、帆、亜麻色の髪の乙女
13.『ハープと弦楽のための舞曲』 ~ 神聖な踊り、世俗の踊り
                  (2008年録音)

今、ユング(について)の本を読んでいる。
そんなときにこのディスクに出会ったのも、考えてみれば不思議な巡り会わせと言えるかもしれない。

彼の夢解釈にはフロイトと異なり「予知夢」的な側面が感じられるし、彼の考えによれば無意識の中には神話や昔話に象徴されるような、集合的無意識の元型があるとのことだから・・・そんな感覚がドンズバではまりそうな、こんな演奏が現われたので面食らってしまった。

逆に言えば、そんな本を読んでいたから、この演奏の感想がそっちに引っぱられただけなのかもしれないけどね。。。


実は、このディスクに食指が動いたのはレコ芸の特選盤になっていたから・・・。
私はハープのソロのディスクは、それこそ後段に紹介するマリア・グラーフの一枚を所有しているだけである。

もちろんモーツァルトのフルートとハープのためのコンチェルトなどは、数種のディスクを持っているが、ソロといえばグラーフのディスクのほかに入手することになるとはあまり思っていなかった。

今月のレコ芸はなんと・・・ピアノ独奏のディスクが一枚も特選になっていない。
別に特選盤を狙って入手しているわけではないが、御二人の月評子には(以前ほどではないにせよ)全幅の信頼をおいているので、いきおい特選盤に目が行ってしまうことは白状しておかねばなるまい。
でも、最近買うのはほとんど輸入盤なので・・・。

要するに、外盤も含めてピアノにこれはというものがなかったので、思わず血迷ってしまった・・・というわけ。
でも、これがまた大当たりだった。
ピアノと違って、アタックがきつくないからかけ流しておくのも含めれば、もう何度聴いたかわからないほどヘヴィーにかかっているのに飽くことがない。


とにかくドビュッシーの作品に、古代・神話を連想されるものが多くあることは知っていたが、こんなにもハープとの相性がいいとは思わなかった。
そしてハープで爪弾かれることが、また清廉なソプラノの背景に回ることが、幻想的な弦楽伴奏にのって神聖な舞曲のソロをとることが、東洋の島国の私の原初的な無意識にもはっきりとその本質を感じさせられるような効果を担保しているとは思いもよらなかった。

もちろんフリーメイスンとのかかわりなど作曲者ドビュッシーの、何かと取りざたされる機会が少なくない、どことなく神秘的な心の内奥の響を模していることもあろうが、演奏者の作曲者の心の内奥にある古代・神話的世界への共感に注目せずにはおれない。
また、それをこれほどまでに鮮やかに現実のハープの音に代えることができるテクニックについても称賛されよう。

まぁ、ウィーンフィルのハーピストなんだそうだから、それぐらいできる人であって当たり前だろうが、それぐらいできることはちゃんと評価してあげないとね。。。

オルフェウスって、きっとメストレのような人(神様?)だったのだろう。
ジャケット写真を見たときに、人間とは思えないほど指が長いように思われることも含めて・・・。


★マリア・グラーフ・リサイタル
                  (演奏:マリア・グラーフ)

1.キャプレ:2つのディヴェルティスマン
2.フォーレ:塔の中の王妃
3.フォーレ:即興曲 作品86
4.ルーセル:即興曲 作品21
5.タイユフェール:ハープのためのソナタ
6.ドビュッシー:2つのアラベスク
7.ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ
8.トゥルニエ:演奏会用練習曲「朝に」
                  (1990年録音)

メストレが如何にイケメンっぽいといえども、グラーフの目もとに如何にわずかにシワがよっていようとも、ジャケットの好感度はだんぜんグラーフの勝ちである・・・。

しかし、被っている2つのアラベスクの演奏はハープの音の余韻の捉え方なども総合して、メストレのほうが私の好みにあっているかもしれない。

このグラーフのディスクは永く私の手許にあり、かつては本当によく聴いた。
ハープのディスクはこれさえあれば・・・とも思っていた。

フォーレの塔の中の王妃などは、始めから私の心を捉えるだけの力を持った楽曲だったし、同じくフォーレの即興曲はさすがハープのためにかかれた曲だけあって、華やかにして慎ましさも感じさせる出来映えとなっている。

これにはキャサリン・ストットが作曲者がピアノ用に編曲した楽譜で演奏している名演奏もあるが、これを聴くといささか華やかに過ぎるのかもしれないと思ってしまう。

やっぱりハープには、それ独特の味わいがあるのだ・・・と強く感じた。

演奏に関して言えば、フォーレやタイユフェールの演奏の感動は、メストレのそれに決して遜色あるものではない。
この記事を書くに当たって聞きなおし、何年ぶりかで楽しませてもらった。

このディスクは発表当初は演奏内容もさることながら、むしろ好録音盤として好楽家の間に広まったようにも思える。
しかし、今の耳で聞くとやはり時代は流れているようだ。。。

音の表情、立体感、そこにある空気の気配といったものに差を感じる。
単に好みの問題ともいえようが、メストレのそれのほうがまろやかなのだ・・・。
そう考えると、実は演奏自体にはそれほどの差はないのかもしれない。

逆に・・・メストレのフォーレのハープ曲が聴ける日が楽しみ・・・である。