SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

サヴダージの教祖 もしくは 音楽版ウォーリーを探せ!

2013年02月25日 01時40分35秒 | J-POP
★Shiplaunching
                  (演奏:富田ラボ)
1.Shiplaunching
2.プラシーボ・セシボン
3.Like A Queen
4.アタタカイ雨
5.Launching On A Fine Day
6.ずっと読みかけの夏
7.恋は傘の中で愛に
8.しあわせのBlue
9.Is The Rest Silence?
10.Prayer On The Air
                  (2005年作品)

いつだったかはよく覚えていないがYou-tubeをサーフィンして思いつくまま曲を検索していたら、リコメンドされた曲の中に『冨田ラボ』なる見慣れない言葉を発見し「おや!?」と思って画面を遷移した・・・のが運の尽き。
そのときどの曲を聴いたのかはこれまたよく覚えていないが、全般的な特徴として雄弁なベースラインと流麗なストリングスが魅力的なユニットだと感じ入って、次々とおすすめ欄に表示される「富田ラボ」の曲を辿り、何曲かをお気に入りに登録して繰り返し聴いているうちにどうしてもCDで欲しくなってしまって・・・
今ここにこのディスクがある。
そもそも大半をyou-tubeで聴けるのにこんな経緯で買っていたらキリがない、とわかっていながら、いいものはいいから仕方ないで済ませてしまう自分はどうかしている。


多分、冨田恵一さんというどことなく教祖チックな男性が主宰するユニット(ヴォーカルと管楽器・弦楽器演奏を除く伴奏のリズムセクションに関して、パーソネルを見る限り基本は『楽団ひとり』のようだけど)を好む人には、顕著な共通のツボがあると思う。

それには2段階あって、まず万人に言えることとして「サヴタージの気分に対する感受性が高いこと」があげられるのではあるまいか。
ノスタルジーとはちょっと違う・・・
このサヴダージとしか言いようのない感傷的な気分を引き出すツボを、一貫して押してくる曲群。
これだけで教祖(の作品)に帰依たい・・・と“ころっ”といってしまう人さえ少なくないだろう。


しかし、2つめのツボは人を選ぶがさらに強力である。
私などはすでに中毒(それもかなり重症)の診断を下されてもおかしくあるまい。
それは、ひとことでいえば「知的好奇心を刺激される」ということ・・・
ある程度のポピュラー音楽のバックグラウンドを持っている人には共感いただけるのではないかと思うのだが、本来はそんなことを気にせず音楽を楽しみさえすればいいのに、教義に施されたあらゆるシカケが気になるのである。

教祖はさすがに修行を積んでしかるのちに悟りへの道を提示しているのだろう。
繰り出される音からはっきりと「修行のあと」が私には聴き取れる・・・知らず知らずそんな気にさせられちゃっている自分がいる。

サヴダージを引っ張り出す手練手管のひとつなのかもしれないが、曲全般に借景となる原曲を措定してアレンジしているだろうと思われるのである。
そのうえに、思わずニヤッとしてしまうような音楽版ウォーリーがそこここに顔を出す・・・見つけてしまった時の快感は何ものにも代えられず、「ウォーリーはいるはずだ!」と信じて曲に向かうようになってしまったら、あまり姿を露わにしないこの教祖に魂を握られてしまうことになる。

どんなに・・・いくつウォーリーを見つけたとしても、ジャズからソウルフルな音楽まで徹底して血肉と化した教祖はさらに多くのウォーリーを忍ばせているに違いない・・・
こう思わずにはいられないことは自縄自縛だとわかっていても、それが教祖の計算かもしれないとわかっていても逃れられない・・・これこそ中毒ではあるまいか?


さて、これらの楽曲はもちろんオリジナルで、中心は歌もの。
バックの演奏(先にも書いたが、ベースラインと独特なストリングスのアレンジが、さまざまなウォーリー的借り物のおかずがあっても作品が独自のものであると主張している)には、きっとプリンシパルな制作ルールがあるのだろう。

そこに最適なヴォーカリストを招き彼・彼女をフロントマンとして教義を説かせる、逆スティーリー・ダン型がもっぱらのスタイル。
これがまた、実にバラエティに富んでもいるし、実力者ぞろいで聴きごたえがあるのも表向きの大サービス。
その実、「冨田ラボ」名義のアルバムであるだけに、背景のしらばっくれた伴奏にこそ、あまたある生半可の音楽経験に裏付けされた知識を持つと自認する聴き手(これが教祖にとってのきっと真のカスタマー)たちを中毒症状にさせしめる媚薬を忍ばせているにちがいない。


たとえば、これらの楽曲について中毒症状の好人が語るとさしずめこうなるだろう。

■プラシーボ・セシボン
スティーリー・ダンの「ヘイ・ナインティーン」を第一主題、「グラマー・プロフェッション」を第二主題、「タイム・アウト・オブ・マインド」を第三主題にして、がちゃがちゃぽんに展開したらできたんだろう。
ギターは音色もフレーズもラリー・カールトンしているし、大貫妙子さんに至ってはガウチョのレコーディングに参加していたに違いない。
もしかしたらサンプリングしてコラージュしたのかも。

■アタタカイ雨
これって大滝詠一さんの新曲でしょ!?
え、田中拡邦さん!?
彼、自分の曲じゃこんな声じゃないよ・・・きっとミキシングのときイシキしてやってるよね。
これ聴いたら、ジャンクフジヤマさんみたいにヤマタツ路線でやりたくなる人、きっと出てくるよね。。。(関係ないか・・・)


こんな調子で私には、「Like A Queen」には「Miami Viceのテーマ」が、「ずっと読みかけの夏」にはイヴァン・リンスの「ラヴ・ダンス」が、「恋は傘の中で愛に」にはブロンディの「ハート・オヴ・グラス」が、「しあわせのBlue」にはボズ・スキャッグスの「ミス・サン」のエコーが聴こえて、終始ニヤニヤしっぱなしなのである。
傍目にはヤク中にしか見えないのかもしれないだろうが、本人はフレーズの端々に神経を行きわたらせてラリー・カールトンやステイーヴ・ガッドが隠れていないか耳を皿のようにして探している至福のときを過ごしているのである。


そんな聴き方をしているから・・・
木を見て森を見ず、借景の曲調しか頭に入っていないつまんない聴き方になっているのかもしれないという人がいるかもしれない。
言うなら言うに任せるが・・・と開き直ってしまえるところが、中毒患者たる所以でもあるのであしからず。


ちなみに、冨田ラボ一連の楽曲の中で、私がもっともサヴタージを感じるのは、畠山美由紀さんのアルバム「Wild & Gentle」に収められている「罌粟」である。
このアルバムには3曲の冨田ラボ製品があるのだが、いずれも高品質なことは折り紙つきだが、いまだにウォーリーが発見できない。
『ない(かもしれない)ものをあると思って探す』こと・・・
「乳がんを自分のチェックで見つけられる人」の資質として真っ先に挙げられることだが、私にはその素質はある・・・
そして富田ラボ中毒にどんどん浸潤されていくのであろう。

幸せなことかもしれない。



《閑話休題》
何かシカケがあるに違いないという思いは、楽曲のみならずいろんなところへ猜疑の眼を向けるに至っている。
例のイタリア豪華客船の事故・・・は、発生の何年も前なので関係ないだろうが、それとの関連さえ疑いかねない勢いなのである。

たとえば詞・・・
パーソネルを確認するうえで、プラシーボ・セシボンのヴォーカルのおふたり、高橋幸宏さんと大貫妙子さんが、それぞれ別の1曲ずつの作詞を担当しているではないか?
ヴォーカリストが豪華な布陣であることはみんな気が付いているだろうが、作詞家陣もとびきりであることは特筆されてよい。

たとえばジャケット・・・
11名の楽団員を従えているが、ここにある楽器はすべて曲中でつかわれているか?
楽団員のモデルのクレジットも確かに11名ある、が、女性の名と思しきものがないのだが・・・?
裏ジャケで、小型バスの車窓に見えるのはコントラバスとチェロの男女のみだが、それに隠されたテーマはないか?
このミニバスに楽器は積めないのではないか?


しかし・・・
いつからかくも病的になってしまったのだろう?
クラシック音楽を聴く、それも名手の解釈を聴き比べるようになって、同じ曲でも曲調の差、ディテールの彫琢の差・・・
そんなことに気付くことで、ひとつひとつ悟ったようなすっきりした気分を味わってきたなれの果てだとしたら・・・

まぁ、それこそどうでもいい話ではある。
楽しく麗しいわが人生を重ねていくうえで、大勢に影響はあるまい・・・
とは言えないかもしれないな。(^^;)

2012年、私のレコード大賞

2013年02月08日 00時50分27秒 | ピアノ関連
★ブラームス 後期ピアノ作品集
                  (演奏:田部 京子)
1.6つのピアノ小品 作品118
2.3つの間奏曲   作品117
3.4つのピアノ小品 作品119
4.主題と変奏    作品 18
                  (2011年録音)

信じられないことですが、2013年もはや1ヶ月を過ぎ旧正月を迎えようとしています。
この際、年末に手に入れたものまで含めてじっくり味わって、昨年「入手した」ディスクを総括しようという気にようやくなりました。
あくまで、私が手に入れたのが昨年のもの・・・が対象なのであしからず。。。

というわけで、2012年に私が個人的にもっとも感銘を受けたディスクはこれ・・・
田部京子さんのブラームス作品集であります。

毎年のことですが、昨年もクラシックはもとより、ロック、ジャズ、ドメスティック(J-POPっていうのかな?)と、さまざまな分野のディスクを数十枚入手しました。
実は、ノミネート5点とかいわれると実はとっても困ってしまいます。
10点どころか25点ぐらいすぐに指を折ることができてしまう・・・んです。

でも一枚だけ、大賞だけということなら至極簡単で、このディスクを選ぶことにはいささかも逡巡することはありませんでした。

選考が難儀するあまり・・・
ロック部門はこれ、ジャズ部門はこれで・・・なんていう部門賞を作る必要もなかったし・・・
どこかのコンクールみたいに一位なしの二位3枚なんてこともなかったし・・・
圧倒的に私にフィットして「2012年の1枚」として、聴いた数、感動した数、あらゆる指標で突出していたもので、私の中では満場一致で大賞贈呈って感じです。
・・・満場一致といってももちろん私は一人しかいませんし、大賞と仰々しく持ち上げたところで副賞で何が出るわけでもないんですけどね。


さて・・・
ブラームス後期作品集といえば、私が最初に聴いたのは稀代のリリシストと謳われるルプーのそれでありました。
実は、なんだかよくわからなかった。。。

それでも、他の例にもれず「名曲であるならば制覇せずにはおかない」というかつて持ち合わせていた熱意はこの曲集でも発揮され・・・
夥しい種類のディスクを折に触れ耳にする中で、グールドの「無垢」、アファナシエフの「メランコリックな明瞭さ」、ポゴレリチの「妖艶な焦燥」、レオンスカヤの「きっとこれが正統」とでも評すべき演奏たちが、私の記憶に深くこの曲集の魅力を伝えてくれた・・・
という整理になっています。

同じ曲なんだけど、これらにはそれぞれ違ったアプローチを感じます。
良くも悪くも偏っている。
アファナシエフは極端なゆっくりなテンポで、ブラームスの音同士のかかわりあいをこれでもかというぐらい丁寧に彫琢していました。
(結果としてなにかしらぬくもりを感じさせる得難い味わいがあって、永らく私のファーストチョイスになっていました。)
グールドは昇華された無垢とはいっても個性的、堂々と聴き手を幻惑しにかかるポゴレリチは言うに及びません。
正統と書いたレオンスカヤでさえ、正統さを感じさせるという偏りを私は感じてしまうのです。

しかるに、ここでの田部京子さんの演奏はどうか?
ひとことでいえば「無」あるいは「空」とでも言えましょうか・・・。

はじめて聴いてたちどころに惹きつけられて以来、これを聴いてる間中、私自身のすべてでこの曲が響いているとでもいうような感覚に襲われ続けています。
世界すべてが同じように響いちゃうんだから偏りようはありません。
すべてを肯っちゃってるんだから、テクニックだとか解釈だとかを気にする余地も必要もない・・・。

もちろんピアニストの解釈と技量と、録音の質が幸せな邂逅をはたしての所産であることに間違いはありませんが、ただただ虚心坦懐にこのディスクの再生音と向かい合うだけでどれほど豊かな体験ができるものか・・・感服するほかありません。
すべてが突き抜けていて、好きとか嫌いとか、先のいくつかのディスクも魅力的とはいえもはや同列に論じられないほどの存在感です。
「これらの曲集のリファレンスは?」と問われれば、躊躇なくこのディスクを挙げるでしょう。

あるいは将来・・・
あれほど不動のリファレンスであったアファナシエフのディスクが、今や「聴き手に執拗に自分の感情を受け入れるよう強要するメランコリック症候群的に奇矯な演奏」に聴こえてしまうような事態が起こっていることから、田部さんのディスクが自分の感覚から遠く感じられる日が来るのかもしれません。
でも、時は流れても不易なものがある・・・自分の全存在をかけてそう信じられるだけのインパクトを(ピアニストはそこまで意識しているはずもありませんが)与えてくれたディスクとして、きっと永く記憶し聴き継いでいくことになることでしょう。

私自身が偏執的に愛している作品117や118-2など、この節度ある演奏ぶりからいかに無限の透明感・深みを感じ得ているか?
大絶賛です。


田部京子さんは、この前にメンデルスゾーンの曲集を出されていました。
デビュー直後にも無言歌集の選集を出されていて、いずれも私の愛聴盤・・・メンデルスゾーンでもファーストチョイスです。
特に新盤は選曲からみてもスケール大きく、昨今の充実ぶりがうかがわれる出来栄え。
デビュー間もないころのシューベルトの変ロ長調ソナタもよかったし、「アンコール」「ロマンス」と題された小品集もいくつもの曲で目からうろこが落ちたり、心が洗われるような思いを味わえました。

でも、驚くほどしっくりこない演奏となることがないわけではない。。。

思うに、田部さんは直感的に曲のオイシイところを嗅ぎ分け表現することに長けていて、私がその正解を導き出せていた場合には身も心も100%同化できてしまうんだろうな・・・と。
だから、メンデルスゾーンやブラームスの(演奏時間にかかわらず)比較的簡素で、一曲ごとに性格を描き分けやすい完結型の作品には共感できるんだと思うのです。

逆に1曲の中にいろんな要素がアラカルトで散りばめられ、複雑に絡み合っているような曲・・・リストのロ短調ソナタなど・・・の田部さんの演奏は、ときとして食い足りなく感じることがあったりします。
原因は、先に書いた通り、「正解」というかストライクゾーンが違うから・・・なんでしょうかね。
きっと、その曲の本質的なところは針の孔ほどの1点であって、その穴を突き抜けえた場合にはじめて「全面展開」、私の中いっぱいに演奏が鳴り響くのでありましょう。

田部さんがそんな体験をさせてくれる数少ないピアニスト・・・という確信を強く持った1枚でありました。


ちなみに、「主題と変奏」はブレンデルの演奏で聴いたことがあるだけでした。

そのブレンデル・・・
ブラームスの演奏はと言えば、協奏曲こそアバドとの録音がありますよね。
第2番(第一楽章以外)に魅力を感じない(一楽章より劣る)とするブレンデルの発言には反するようですが、第2番の演奏ではとりわけ第一楽章クライマックスのトリルにぶっ飛びました。
他では決して聴けない粒立ちが印象的で・・・私のこの曲の最初のリファレンスになったことを覚えています。

しかし・・・
独奏曲の録音はというとこれがまたほとんどない。
彼は独墺系にレパートリーを絞って、他は弾かないと言っていたわけですが・・・
だとすれば、早いうちに録音が出てきて良い作曲家だと思うのですが、結局のところ、なぜ手がけなかったのかな~?
フランソワのようにブラームスその人を嫌ってたはずはないと思うんですけどね。


ムリして「2012年の受賞作候補」を列挙すれば、大賞候補は田部さんできまりとして・・・
にわかに開眼して凝ってしまった弦楽四重奏団の一連のディスクからのリストアップが主となりますが、近くその歴史にピリオドが打たれる東京クヮルテットのシューベルト、ブラームスそれぞれの五重奏曲をあつめたディスクは、例年なら大賞を選ぶための最終選考までのこされたことでありましょう。
アウリン・クヮルテットのフォーレの弦楽五重奏曲他のディスク、ペーターゼン・クヮルテットのベートーヴェン弦楽四重奏曲のうちの教曲には驚かされ傾聴させられたなぁ~。
ピアノでは、ポール・ルイスを聴き、そのシューベルトのピアノソナタ他の作品集・・・現代最高のシューベルト弾き、の誉めそやされかたが決して誇張でないことを感じました。

ジャズ・ロックの世界では、マイケルフランクスの1990年代の作品集「ドラゴンフライサマー」「ベアフット・オン・ザ・ビーチ」「アバンダンド・ガーデン」を大人買いしたのですがやっぱりいい。
ベン・シドラン主催のゴー・ジャズ・レーベルに在籍していたことで知ったリッキー・ピーターソンが出している4枚のCD。
これらもすべて入手して聴きまくったものでありました。

でも、大賞は文句なしに田部京子さん・・・なんです。
コレクションの拡充が図られた、まことにいい1年でした。