★モーツァルト:クラリネット五重奏曲 ケーゲルシュタット・トリオ
(演奏:イザイ弦楽四重奏団)
1.クラリネット五重奏曲 K.581
2.ケーゲルシュタット・トリオ K.498
3.アダージョ&フーガ K.546
(2004年録音)
ホールイン・ワンをしてしまった。
あの日は、遅れないように5時に起きて余裕をもって車で出かけた。
家を出てからおにぎりを買うためにコンビニに寄ってゴルフ場に到着するまで、車中でかけていたのが、このイザイ弦楽四重奏団によるモーツァルトのクラリネット五重奏曲だった。
そんなこんなでいっきにゲンのいいディスクになったと思ったわけだが、禍福はあざなえる縄のごとし、スゴイを通り越して神がかり的なことをしてしまうとお祝い、励ましからタカリに至るまでさまざまに気を遣わなければならないアプローチがあってよかったのか悪かったのか・・・。
折しもオリンピックたけなわの時期のこと、自分も「ホールインワン達成者」という肩書を授与されうる立場となったことで、種目として正味38名おられるらしいメダリストと呼ばれる人たちと、もしかしたら近しい境遇になっているのかもしれないと感じている。
当日多少調子が良かったにせよ自分の実力はなんら変わっていないのに、周りの囃子(決して期待ではあるまい)が一変した・・・と思う。
真にゴルフに打ち込んでおられる先輩こそ「ホールイン・ワンは初心者と熟達者に多いと言われているがお前はどっちかわかっているな」と、まだ自分が成し遂げていないことを嘆いて見せて正しく祝ってくれるものの、明らかに私など足元にも及ばない実力をもつゴルフ好きの上司筋から「プロ・プロ」と持ち上げられるのは、必ずしも気持ちの良いものではない。それでも祝ってくれているだけありがたい、のだが。
あの日違っていたことと言えば、いつもは7番アイアンとサンドウェッジを2本ずつ持っていくところを、9番アイアンとアプローチウェッジの間がやっぱりほしいと思い立ち当日朝にサンドの1本をピッチングに替えた・・・ことぐらい。
そしたら、そのピッチングでやらかしてしまったのだから、閃きというか何かに憑依されたとしか言いようがない選択ではあった・・・ことになる。
しかし・・・
ショートホールでピンが見えるのならいつもそこをねらって打っているくせに、いざ入ると大騒ぎするのも奇妙な話かもしれない。
もちろん、これは私が体験して数日が経過しているから言えること・・・。
嫌味になる可能性があると承知の上で体験談を言わせてもらえば、そのホールでティーショットを打つ時に思ったことは、単に(距離の合う)ピッチングを持ってきてよかったということと、無風でランが出ないように高い球を打とうと思ったという2点だけ。
パーティ4人の4番目で、同伴の誰も(当たり前だが)そんな物珍しい光景がその後にあることなど期待のかけらもなかった。
はたしてイメージ通りにスィングできて、「いい感じで球が上がったな」とそこではシメシメと思って「あとは距離があっているかだな」とボールの行方を追ったところ2バウンドでカップに入った・・・のである。
高くあがったとき、間違いなくシメシメと思った・・・が、カップに入った時は「あっ!?」と思っただけであった。
同伴のみなさんもそうだった。
むしろその日に7~8mのパットを沈めてパーセーブしたときのほうが、素直にガッツポーズもでて「よし」という声も出た。
周りも「ナイスパー」と盛大に言ってくれて、達成感、満足感はホールイン・ワンの比ではない。
もしかしたら自然にドヤ顔も出ていたかもしれない。
しかし、ホールイン・ワンはちがう。
文字通り「あっ!?」であり、「ヤッター!!」でも「どうや!?」でもない。
それは私が特にゴルフに打ち込んでいるというわけでもないから、ホールイン・ワンを達成するために努力しているはずもなく、願っていもしない想定外のことをやらかしたとしても何を実感してよいかわからない。
他のみなさんがパットをしているあいだ、ピンをもって「ナイスイン」とか言っている自分の所在のないことったらないし、居心地もよろしいものではない。
いまだに達成感らしいものはなく、とんでもないこと(やっちゃったんだから「ありえないこと」ではない)が起こったという事実のみを反芻するばかり。
同伴の上司は「事故」ではなく「事件」だと言われたが、言いえて妙だと感じている。
いつもと同じようにやっていながら、とてつもないことがはからずも達成できたことが幸せかどうかはわからないが、達成してみないと実感できないことがわかったのはよかったに違いない。
イザイ弦楽四重奏団のこのディスク、彼らが自らのレーベルを興して既発の作品もリニューアルして出したものの一環である。
彼らはレコード会社の意向に囚われず、自らの望むレパートリーによる芸術作品を創造し残すことを目指したのに違いないのだろうが、どこにも余計な力が入っていない当たり前の演奏を繰り広げ、その気概にふさわしい会心の作品を残しているのだと思う。
カーステレオで心地よく聴いていながら、私を神がかりモードに誘ってくれたのかもしれない。
とすれば、本当はペヌティエの参加するケーゲルシュタット・トリオを目当てに入手したのだった・・・このあたりも因果関係があるのかないのかわからないが・・・から、世界で起こっていることのすべてが、今ここの時間に流れ込んでいるのだとしたら、少なくともペヌティエのシューベルト演奏のクリティックに出会ったあの日あの時、また中古ショップの店頭でたまたまペヌティエの新品を廉価にしたディスクに巡り会ったあの日あの時から、このホールイン・ワンは約束されていたのかもしれない、そんなこともやらかしてしまった今となって、いろいろ考えたりするのである。
ところで、私のCDプレーヤーのZZ-EIGHTとX-50wの違いが少しずつ体感できるようになってきた。
ZZ-EIGHTは心持ちタイトであり、X-50wはそれよりはやや緩く賑やかな音がする。
X-50wはこの2台のうちの比較論では華やかといってもいいのだが、ソースによってはそれが「滲み」と感じられてしまうこともなくはない。
ZZーEIGHTのトップローディングの「フタ」のセットも面白い。
鑑賞前の儀式として恭しく行うことが楽しいこともあれば、なんとはなくわずらわしいと感じることもある。
いずれも私の鑑賞能力をまだまだはるかに超えたところで鳴っている機械だから、その日その時に自分が感じるところに従って、楽しく傾聴できればそれでよい。
続けていれば聴きなれたディスクから、それこそホールイン・ワンのときのような驚きや、ロングパットを沈め溜飲を下げたような快感を感じることもあるだろうから。
もとより、ミスショットやもったいない1打が出ることも念頭に置いておく必要があるだろうけれど。
(演奏:イザイ弦楽四重奏団)
1.クラリネット五重奏曲 K.581
2.ケーゲルシュタット・トリオ K.498
3.アダージョ&フーガ K.546
(2004年録音)
ホールイン・ワンをしてしまった。
あの日は、遅れないように5時に起きて余裕をもって車で出かけた。
家を出てからおにぎりを買うためにコンビニに寄ってゴルフ場に到着するまで、車中でかけていたのが、このイザイ弦楽四重奏団によるモーツァルトのクラリネット五重奏曲だった。
そんなこんなでいっきにゲンのいいディスクになったと思ったわけだが、禍福はあざなえる縄のごとし、スゴイを通り越して神がかり的なことをしてしまうとお祝い、励ましからタカリに至るまでさまざまに気を遣わなければならないアプローチがあってよかったのか悪かったのか・・・。
折しもオリンピックたけなわの時期のこと、自分も「ホールインワン達成者」という肩書を授与されうる立場となったことで、種目として正味38名おられるらしいメダリストと呼ばれる人たちと、もしかしたら近しい境遇になっているのかもしれないと感じている。
当日多少調子が良かったにせよ自分の実力はなんら変わっていないのに、周りの囃子(決して期待ではあるまい)が一変した・・・と思う。
真にゴルフに打ち込んでおられる先輩こそ「ホールイン・ワンは初心者と熟達者に多いと言われているがお前はどっちかわかっているな」と、まだ自分が成し遂げていないことを嘆いて見せて正しく祝ってくれるものの、明らかに私など足元にも及ばない実力をもつゴルフ好きの上司筋から「プロ・プロ」と持ち上げられるのは、必ずしも気持ちの良いものではない。それでも祝ってくれているだけありがたい、のだが。
あの日違っていたことと言えば、いつもは7番アイアンとサンドウェッジを2本ずつ持っていくところを、9番アイアンとアプローチウェッジの間がやっぱりほしいと思い立ち当日朝にサンドの1本をピッチングに替えた・・・ことぐらい。
そしたら、そのピッチングでやらかしてしまったのだから、閃きというか何かに憑依されたとしか言いようがない選択ではあった・・・ことになる。
しかし・・・
ショートホールでピンが見えるのならいつもそこをねらって打っているくせに、いざ入ると大騒ぎするのも奇妙な話かもしれない。
もちろん、これは私が体験して数日が経過しているから言えること・・・。
嫌味になる可能性があると承知の上で体験談を言わせてもらえば、そのホールでティーショットを打つ時に思ったことは、単に(距離の合う)ピッチングを持ってきてよかったということと、無風でランが出ないように高い球を打とうと思ったという2点だけ。
パーティ4人の4番目で、同伴の誰も(当たり前だが)そんな物珍しい光景がその後にあることなど期待のかけらもなかった。
はたしてイメージ通りにスィングできて、「いい感じで球が上がったな」とそこではシメシメと思って「あとは距離があっているかだな」とボールの行方を追ったところ2バウンドでカップに入った・・・のである。
高くあがったとき、間違いなくシメシメと思った・・・が、カップに入った時は「あっ!?」と思っただけであった。
同伴のみなさんもそうだった。
むしろその日に7~8mのパットを沈めてパーセーブしたときのほうが、素直にガッツポーズもでて「よし」という声も出た。
周りも「ナイスパー」と盛大に言ってくれて、達成感、満足感はホールイン・ワンの比ではない。
もしかしたら自然にドヤ顔も出ていたかもしれない。
しかし、ホールイン・ワンはちがう。
文字通り「あっ!?」であり、「ヤッター!!」でも「どうや!?」でもない。
それは私が特にゴルフに打ち込んでいるというわけでもないから、ホールイン・ワンを達成するために努力しているはずもなく、願っていもしない想定外のことをやらかしたとしても何を実感してよいかわからない。
他のみなさんがパットをしているあいだ、ピンをもって「ナイスイン」とか言っている自分の所在のないことったらないし、居心地もよろしいものではない。
いまだに達成感らしいものはなく、とんでもないこと(やっちゃったんだから「ありえないこと」ではない)が起こったという事実のみを反芻するばかり。
同伴の上司は「事故」ではなく「事件」だと言われたが、言いえて妙だと感じている。
いつもと同じようにやっていながら、とてつもないことがはからずも達成できたことが幸せかどうかはわからないが、達成してみないと実感できないことがわかったのはよかったに違いない。
イザイ弦楽四重奏団のこのディスク、彼らが自らのレーベルを興して既発の作品もリニューアルして出したものの一環である。
彼らはレコード会社の意向に囚われず、自らの望むレパートリーによる芸術作品を創造し残すことを目指したのに違いないのだろうが、どこにも余計な力が入っていない当たり前の演奏を繰り広げ、その気概にふさわしい会心の作品を残しているのだと思う。
カーステレオで心地よく聴いていながら、私を神がかりモードに誘ってくれたのかもしれない。
とすれば、本当はペヌティエの参加するケーゲルシュタット・トリオを目当てに入手したのだった・・・このあたりも因果関係があるのかないのかわからないが・・・から、世界で起こっていることのすべてが、今ここの時間に流れ込んでいるのだとしたら、少なくともペヌティエのシューベルト演奏のクリティックに出会ったあの日あの時、また中古ショップの店頭でたまたまペヌティエの新品を廉価にしたディスクに巡り会ったあの日あの時から、このホールイン・ワンは約束されていたのかもしれない、そんなこともやらかしてしまった今となって、いろいろ考えたりするのである。
ところで、私のCDプレーヤーのZZ-EIGHTとX-50wの違いが少しずつ体感できるようになってきた。
ZZ-EIGHTは心持ちタイトであり、X-50wはそれよりはやや緩く賑やかな音がする。
X-50wはこの2台のうちの比較論では華やかといってもいいのだが、ソースによってはそれが「滲み」と感じられてしまうこともなくはない。
ZZーEIGHTのトップローディングの「フタ」のセットも面白い。
鑑賞前の儀式として恭しく行うことが楽しいこともあれば、なんとはなくわずらわしいと感じることもある。
いずれも私の鑑賞能力をまだまだはるかに超えたところで鳴っている機械だから、その日その時に自分が感じるところに従って、楽しく傾聴できればそれでよい。
続けていれば聴きなれたディスクから、それこそホールイン・ワンのときのような驚きや、ロングパットを沈め溜飲を下げたような快感を感じることもあるだろうから。
もとより、ミスショットやもったいない1打が出ることも念頭に置いておく必要があるだろうけれど。