SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

私の音楽殿堂(kyon2)

2007年03月31日 00時03分20秒 | J-POP
★バラード クラシックス
                  (演奏:小泉 今日子)
1.Flapper
2.哀愁ボーイ
3.木枯らしに抱かれて (Another Version)
4.涙のセンターライン
5.魔女
6.Smile Again
7.風のファルセット (Another Version)
8.胸いっぱいのYesterday
9.Today’s Girl
10.夜明けのMEW
11.ヨコハマ・スイート・レイン
12.One Moon (Whisper Version)
13.二人 (Another Version)
14.スターダスト・メモリー (Slow Version)
                  (1987年)

私が思うに、前回記事のおニャン子を向こうに回して、あのころ一人で立ちはだかることができた唯一のアーティスト(あえてアイドルと言わない私)といえば、小泉今日子さんしかいなかったのではないでしょうか?

そしてその小泉今日子さんの魅力はなんといってもその声・・・特にウィスパー・ヴォイスであります。
私の親父の世代が青江美奈さんに感じたような感覚に近いのかもしれません?

このディスクでは、そんなキョンキョンの魅力が全編感じられるような曲調の歌が集められており、久しぶりにこの記事を書くために取り出して東京都内を例によってふらついておりましたが、この1枚ばかり半日近く何度もずっと聞きとおしてしまいました。
ヒット曲ばかりでなくても、このようなアルバムが作れてしまう歌謡曲畑出身のアイドル兼アーティスト歌手ってあまりいなかったような気がします。
男性に置きかえてみると私の敬愛するジュリーにしても、それはできなかったことのように思われます・・・。

とはいえ冒頭の“Flapper”からして、キョンキョンでなくては表現し得ない世界のような気がして、アイドル歌手ではなくこのころまでには既にアーティストの顔を持っていたんだなと、懐かしみつつもしみじみ思ってしまいましたねぇ・・・。

ホントこれらのディスクは何年ぶりに聴いたかしら。でも、いいですねぇ・・・。


★ナツメロ
                  (演奏:小泉 今日子)

1.学園天国
2.S・O・S
3.お出かけコンセプト
4.赤頭巾ちゃんご用心
5.レディ・セブンティーン
6.尻取りRock’n Roll
7.恋はベンチシート
8.やさしい悪魔
9.Soppo
10.夢見る16才
11.バンプ天国
12.アクビ娘
13.みかん色の恋
                  (1988年録音)

kyon2は私より2歳年下であります。
したがって、彼女がナツメロと感じる楽曲は二アリー・イコールで私のナツメロとリンクします。
今となっては、このナツメロの録音自体が充分ナツメロなのですが・・・。

恐れイリアの“ジューシィ・フルーツ”が2曲も入っていたり、ハクション大魔王の隠れ名曲(隠れてないか?)があったり、ラストはなんと“ずうとるび”ですよ!
kyon2が初めて買ってもらったレコードが“みかん色の恋”だってライナーにあったので笑ってしまいました。
“ぺ●ング・ソースやきそば”のあの方にも、こんな時代があったっけ・・・ですねぇ。

共演陣では、“学園天国”などでキレのいいディストーションのギターを弾いてるのが“たのきん”のヨッちゃんだったり、“恋はベンチシート”の最後にデーモン小暮閣下が光臨されたけどkyon2にメロメロにされてたりと、今聴いても笑えますな。
わからない人は、おとうさん、おかあさんに聞いてくださいネ!(^^)/
しかし、kyon2みたいな声でおねだりされたら、なんでも買っちゃいますねぇ~・・・。今の私にはありえないシチュエーション・・・じゃチョッと寂しい・・・かな?

そういえば“恋のぼんちシート”なんて曲もありましたねぇ~。今どうしてるんでしょうねぇ・・・。
あの、田原俊彦・松田聖子を抑えて最優秀新人賞を獲った幻のグループは・・・。
私は今でも仕事中に、『今日、耳日曜』のギャグを実践してますけど・・・。

あ、話が違いますね。

それにしてもピンク・レディーにヤザワに銀蠅、キャンディーズに世良さんまで、よくぞ集めてくれました。
ピンク・レデイー“S・O・S”はご本家よりもコケティッシュで、キャンディーズもミキちゃんが唯一リードを取った曲で私が最高傑作と目する“やさしい悪魔”を選曲するなど、今もって(以前よりも)、あたしゃメロメロであります。

そしてどうしてもハズせないのが“赤頭巾ちゃんご用心”。
レイジーの曲ですが、このヴォーカルは先ごろご紹介した“むしまるQ”シリーズで大活躍しておられた影山ヒロノブさんでした。今ではアニメ主題歌なども含め、子供向けのフィールドでの活躍が目立ちますが、当時はこのようなかすかにヘヴィめなポップ・ロックの世界をやってたんですねぇ~。
まあ、ギターの高崎晃氏がその後に結成したラウドネスの楽曲と比較すれば、レイジーを続けるのをやんなっちゃったのはしゃ~ないなと思いますね、やっぱし。


★Best Of Kyong King
                  (演奏:小泉 今日子)

1.ヤマトナデシコ七変化 (Long Version)
2.Heart Breaker (Short Version)
3.水のルージュ (Berlin Version)
4.夏のタイムマシーン
5.夜明けのMEW
6.Good-Morning-Call (Another Version)
7.キスを止めないで
8.なんてったってアイドル
9.木枯らしに抱かれて (Chorus Version)
10.月の夜のシ・ア・ワ・セ
11.怪盗ルビイ (Ball-Room Version)
12.One Moon (Fairy Tale Version)

ここら辺まで来るとアイドル歌手というより、いろんなジャンルに挑戦するアーティスティックな姿勢が結構前に出てきてますよね。
そうでありながら“なんてったってアイドル”と喝破するkyon2の奥ゆかしさ。
それにしても“ヤマトナデシコ七変化”や“Heart Breaker”などの曲をこのように料理するのがいいかどうかは別として、ヒット曲満載で別ヴァージョンのアルバムができるというのも、当時としては凄いことだったのかもしれません。

私は彼女のナンバーの中では“木枯らしに抱かれて”が最もフェイバリット・ソングなのですが、ここではコーラスをバックにしたヴァージョンのものが聴けるのが
楽しみなのであります。

そしてラスト・ナンバーは朗読というか語りなのですが、夜寝るときにこんな語りで眠りにつけたらシアワセでしょうなぁ。
いやぁ、久しぶりに聴いたkyon2、ますますいいですねぇ~。


★anytime
                  (演奏:小泉 今日子)

1.My Sweet Home
2.la la la・・・
3.優しい雨
4.ドライブ
5.SEXY HEAVEN
6.あなたに会えてよかった
7.永遠の友達
8.月ひとしずく
9.ラブバラ(LOVE・BALLAD)
10.あなたがいた季節
11.自分を見つめて
12.Heaven
13.おやすみ・・・
                  (1994年)

5年後に取り纏められた、ほぼベストアルバムといっていい内容の一枚。
ぐっと大人っぽくなって、ますますステキ。
ここらまでくると、唯一無二のコイズミワールドですよね。この10年後の我が国の小泉ワールドよりはずっと夢があってステキ。
ウィスパー・ヴォイスもデーモン閣下を骨抜きにしたころと比べても、格段にセクシーになっています。
あのころ、ちゃんと私も誘惑してもらっておけばよかった・・・。


驚くべきことに、このアルバムを今回見直してみたところ、『KOIZUMI TRIVIA』なるkyon2に関する質問集がありました。その説明には「コイズミのカルトクイズ」とある・・・。この頃既に“トリビア”という言葉を使っていたコイズミの進取の姿勢に敬服すると同時に、カルトという言葉はすでに一般に流布していたと思しき事実に驚きましたねぇ。

50問のクイズにも驚きました・・・。2・3例を挙げると・・・

Q.29:コイズミが自宅の冷蔵庫の中に欠かさない食品は?
Q.30:コイズミはよく根も葉もない恋愛の噂をマスコミに書かれてプンスカ怒っていますが、たった一人だけ
     大ウソをかかれたのに大喜びした男性がいます。それは誰でしょう?
Q.31:コイズミが「今晩飲みに行こう!」という時によく使うフレーズはなんでしょう?
     ちょっと○○○ちゃおって感じ。

いかがですか?できそうですか・・・?

ちなみに小泉今日子さんは、デビュー25周年記念のベストアルバムを発表したばかりでしたね。
3年ぶりにステージに上がり「41歳です!」と高らかに宣言して(?)、『あなたに会えてよかった』などを歌ったとか。
この記事を思い立ったのは、そのニュースを聞いたからでありますが・・・。

女優としても歌手としても、まだまだ我々同世代を引っぱっていってもらいたい存在であります。


小泉今日子さんは私にとってこれまで、そしてこれからもずっと“日本女性のコケティッシュさの象徴”であり続けることでしょう。

この3名の関連は?

2007年03月30日 00時12分35秒 | J-POP
【40】日本「生稲」紀行
                  (演奏:生稲 晃子)
1.Jealousy In The Night
2.北斗七星の一夜
3.忘れたいのに
4.オ・メ・デ・ト・ウ!
5.モノローグ・・・春
6.あした元気になぁれ
7.Japanese Girl
8.さよならの岸辺から
                  (1989年)

日本人女性のディスクを3枚ご紹介します。
この3名にはある共通点があるのですが、それは何かをお考えください。(^^)v

このディスクを何で所有しているか?
答は簡単、おたずねした関連のメンバーのうちで、生稲さんがもっとも私好みの癒し系ルックスであるからであります。

収められてい楽曲はともかく、歌唱は丁寧で好感が持てるし、私は生稲さんの声が好きなので曲はなんでもいい・・・。
(^^)/ 
ちょっと言いすぎですネ。
アップテンポでダンサブル(?)な曲集もありますが、この歳になるともし聴くならこっちですな。ジャケットの写りもこっちの方がいいし・・・。

なによりこのジャケットの中に、プチ写真集みたいにいっぱい彼女の写真があるのがいい・・・。この写真の女性がこれらの歌を歌っているんだと思うだけで、満足です。

こんな可愛い女性から『あした元気になぁれ』と言われたら、元気にならないわけにいかないじゃないですか!

【38】unlimited
                    (演奏:工藤 静香)

1.禁断のテレパシー 
2.Again
3.抱いてくれたらいいのに
4.FU・JI・TSU
5.MU・GO・ん・・・色っぽい
6.恋一夜
7.嵐の素顔
8.黄砂に吹かれて
9.くちびるから媚薬
10.千流の雫
11.私について
12.恋模様
                  (1990年)

ここに並んでいる曲は、工藤静香さんのベストであると共に後藤次利さん作曲の楽曲ベストに他ならないですねぇ。
後藤次利作曲といえば、ここに“シブガキ隊”の『スシ食いねぇ!』が入ったらマジで・・・

     ・・・・・・・・・浮きますねぇ。 いくらなんでも判ってますよっと・・・。(^^)v

ただ、ここにある楽曲だけでも『無敵』ですな。

さらにこのシングル曲のベスト盤ではデビュー後からリリースした順に曲が並んでいますけれど、冒頭(ということはデビュー後すぐ)の何曲かのヴォーカルを新たに入れなおしているところが、更に無敵さ加減をいや増しているように思います。
というのは、ソロ・デビュー後すぐの工藤静香さんは、その後顕著に現われる彼女にしかない“凄み”が感じられませんでした。
いわば「なんちゃって静香ちゃん」だったのが、本来の彼女の持ち味が現われ“なんちゃって”が取れたひと皮もふた皮もむけた歌唱になっているのであります。
こうなるとそれぞれの曲をシングル盤でもっていたとしても、このベストを手にする価値というのはあるわけでありますな。

個々の曲についてのコメントはするまでもないのでしませんが、我々の世代でこれらの歌を耳にしたことがない人はそのころ海外亡命でもしていたのではないかというぐらい、流行りましたモンねぇ。今と違って、テレビでもラジオでもこういった歌謡曲が溢れていた時代・・・の最後のころ。
やはり、彼女達のグループの中で歌手として最も成功したのは工藤静香さんなんでしょうかねえ?

ちなみに私はギターの弾き語りで、彼女の歌をよく歌っていました。いまでもやればできるんでしょうけど・・・。自分で言うのもなんですが、ちょっとキモいかも・・・。

そうそう、私が最初に買ったパソコンは“富士通”製でしたが、フリーズしたりデータが消えちゃったりすると、このなかのある歌を知らず知らず口ずさんでしまってたりして・・・。
 ♪~ それはないんじゃない~  ・・・なんてね。

さて、前の生稲さんとの絡みで、冒頭質問の鍵を握る重要な公式をひとつご紹介しましょう。

《基本的な公式》
    【38】+【40】+【42】 = “うしろ髪ひかれ隊”

        (参考  【42】 =  斉藤満喜子さん)


【36】EVERGREEN
                  (演奏:渡辺 満里奈)

1.虹のマジック
2.バスルームでDIARY
3.夏休みだけのサイドシート
4.バラードを聞きながら
5.マリーナの夏
6.EVERGREEN
7.鏡の国のI LOVE YOU
8.次のページを開いて
9.秋服のボートに乗れば
10.恋の日付変更線
11.トロピカル・ジュース
                  (1987年)

とにかく“マリーナの夏”が彼女の名前と引っ掛けた、今で言うオヤジギャグに相当するノリで収められた曲あるのかどうかが私の最大の関心事ではありましたが、バックの演奏など丁寧に作ってあるディスクではあります。ただし、楽曲がそうかどうかは知りません。

そうなんです。満里奈さんも関連した人であり、手がかりの3人のうちのひとりであります。
もちろん上記の公式には満里奈さんが入っていないので、“うしろ髪ひかれ隊”が答ではありません。

満里奈さんも、ウチの子供なんかに言わせると“どうぶつ奇想天外”の解答者のお姉さん(チョッとヤバイか?)でありますが、父親の目には違って映っているのでありました。

だれもこのCDをかけても、家族の誰もがみのさんとやり合っているあのオンナの子(これもちとムリがあるか?)であるとわからないだろうなぁ~~。

でも、ひょっとして、もしかしたら・・・侮れないヒトが一人だけいるんで・・・。
河合その子さん(【12】)が後藤次利さんと結婚していることを知っていたからなぁ・・・。


さぁ、みなさんお判りになりましたか?
私の世代の男性であればこの3人から連想する衣料品として“セーラー服”が挙げられるはずであります。
厳密に言うと、“セーラー服”のときはお三方ともまだ関係なかったかもしれませんが、関係してから一度も“セーラー服”に関係なかったこということはないと思いますのでそのへん鷹揚にお願いします。

なお、先の“うしろ髪ひかれ隊”の前に、高井麻巳子さん【16】と岩井由紀子さん(ゆうゆ)【19】による“うしろゆびさされ組”があり、そこから連想される衣料品は“すきゃんてぃ”ですよね・・・。

何はともあれ、もうお判りになったでしょう!

いえいえ、『モーニング娘。』ではないですよ・・・。



《閑話休題》
いつもおちゃらけていますが、たまには本音トークをしたいと思います。タバコの話を少し・・・。

まず最初に私が決して子供にさせまいと心に誓っていることが、煙草とピアス(もちろんタトゥーなど論外)であるという考え方をもった人種であることをお断りしておきます。

儒教の考え方の中で親からもらった体の何一つ損なうことなく、天寿を全うするのを良しとされていることに影響を受けているのかもしれません。

私自身生まれてから金輪際、煙草の一本も吸ったこともなければ吸おうと思ったこともないという好奇心のかけらも見当たらない人間であるからかもしれませんし。

営業担当時代、相手との商談が煮詰まった時などに煙草を吸う人は、うまく間が取れるような気がしていいなとは思ったのですが、それ以外に煙草を吸ってメリットがあるという話を耳にしたことがないのに、ましてや体に悪いと散々言われていながらどうしてみんな吸うのだろうと、不可思議な想いをしておりましたので・・・というか、未だに不思議に思っているので。

そのほかにも、本当は茶髪にするなど髪を染めるのも許せない人種なのですが、これはすでに妻にすら徹底できてないと言うか寄り切られているので、不問に付しましょう。
自分自身もも白髪が増えてきておりこれを脱色してると言われたりとか、かといってそれを白髪染めで染めた場合につじつまが合わなくなるので、このことには触れないよことにします。
これで他人に迷惑をかけることはないし、親からもらった体に傷をつけることもないですしね。


さてさて、本題ですが『モー娘』といえば元メンバーの未成年女子が喫煙した咎で事務所を解雇されたというニュースが小さくとりあげられていましたね。
私の周りで、世代が下るほどに「煙草ぐらいで」という声があるのに非常な違和感を感じています。

煙草を吸う人のことを否定しているわけではないのですが、嫌煙権・受動喫煙の問題も取り沙汰されているのに、人前で、とくに禁煙席のない食事の場所で自分が食べ終わったところでいわゆる「食後の一服」を吸う人のデリカシーのなさには恐れ入ります。
基本的に禁煙席のないところには行かないので、最近はあまりそういうことで頭に来るケースは少ないんですけどね。

また路上喫煙の禁止をしている自治体も多いようですが、どうもこれも徹底されていないのが気になります。ルールは徹底されていなければ、これを守る風土は生まれないわけですから、取り締まるなら取り締まる、不問に付すならルールを作っちゃいけないと思います。モラルが下がるだけです。

私自身、東京にきてから、新宿の歩道を歩いていて手の甲にタバコがあたり根性焼きされたことがあります。相手さんには、すごく大袈裟に謝ってもらえちゃったので却って恐縮しちゃいましたけど・・・。
でも、子供の顔やら目に当たったらと思うと・・・いかが思われますか?

所定の場所以外禁煙という決まりになっている私の勤める会社の会議でも、上司が吸う人だとチョッと前まで治外法権といわんばかりに平然と吸ってた事実があったようですが、さすがに最近徹底されてきましたねぇ。
ちょっと前に、私の少しだけ上司がちょっとシンドイ状況を報告しなければならない会議に臨むに当たって、ヘビースモーカーの部長に「タバコ吸っていいですか?」と聞いたとき「いいよ!でも吐出しちゃダメだよ」と言われたのはケッサクでした。
もちろん会議中に内容共にやり込められたのは言うまでもありません。会議前に、自分の仕事ぶりがヤバイと宣言しちゃったようなものでしたからねぇ・・・。お気の毒様でした。

要するに言いたいことは、タバコを吸う時のマナーを考えて欲しいということです。
まず、未成年はちゃんと吸っちゃいけないという法律があり、その法律は何の疑念もなく正しいものと信じられる法律であるのだから、ちょっと背伸びしたいという気持ちはわかるけど吸ってはいけない。
大人も、近くで吸われることに不快感を覚える人が周りにいることをよく考えて欲しいのです。受動喫煙が体に悪いと言うだけでなく・・・。

笑うに笑えなかったのはさっきの話じゃないけど、以前職場の3人で食事に行って課長がいちばん早く食べ終わり「食後の一服」をしながら、「かみさんがいやがるから、家の中で吸えないんだよ」とか話さないようにして欲しいものです。
話かけられてる吸わない部下Aも、その反対隣の吸わない部下Bも、課長が奥さんにはできているその配慮を自分達にもしてほしいと思っているのが判らないのでしょうか?

なおちょうどタイミングよく3月29日号の『東洋経済』にガンの特集があって、我が国のタバコ事情と肺ガンの実体などに警鐘が鳴らされていました。

みなさんにもお考えいただきたい一節として要約引用したいと思います。

曰く、我が国でのタバコ問題は未成年者だと『非行』、成人者では『受動喫煙』『マナー』の問題だとされているが、欧米をはじめとする諸外国では例外なく『健康問題』として議論されている、ということです。

喫煙と肺ガンの因果関係がハッキリしないとされていることについて、同誌では数字を基に考察を加えた記事を出しています。
私は、少なくとも一面的には真実であると思っています。

いずれにせよ私はタバコを吸うつもりはないので、受動喫煙をしないように気をつければ『健康問題』としての弊害は避けることができるのですが・・・。


『モー娘』の元メンバーには酷に思われるかもしれませんが、今回の件は当然の措置だったと思いますし、中日に入った中村選手のように合法的な金銭闘争の態度でバッシングを受けたわけでなく法律違反で解雇されたわけですから、業界も「ほとぼりが冷めたら・・・」などという考えは捨てて、違う道を静かに歩ませてあげることを応援するようにしてあげてほしいですね。

そういえば今日の記事で「考えていただく」ことにした共通点の答えである出身グループでも、事実上活躍したメンバーの会員番号で最も若いのは新田恵利さんの【4】であるという理由は・・・やはり、喫煙問題でしたっけ。

残念ながら、また繰り返してしまったわけですね。


違った意味での繰り返しになりますが、「わかっちゃいるけどやめられない」と仰る気持ちもよくわかりますので、タバコを吸われる人についてどうこう思ってるわけじゃないですよ。
マナーを守っていただけないかたの行為について、断固改めて欲しいと思っているだけなんです。

いつも以上にとりとめのない記事になってしまいましたが、最後に植木等さんのご冥福をお祈りして終わりにしたいと思います。
私もよく笑わせてもらいました。

Happy Birthday to Myself

2007年03月29日 00時00分00秒 | 東京探訪あるいは漫歩
先般の桜の開花基準木記事の続き、千鳥ケ淵編です。
この記事には花の写真ならびに、皇居関連など日本人としてのプリンシパルな写真が多いので敢えて本日、私の43歳の誕生日の記事としてアップすることにしました。

  おめでとう、僕!
   そして、みなさんありがとう!! (^^)/

なにかしら“ラマになった王様”のセリフのような気がしないでもありませんが・・・。
でもブログを初めてまるっと5ヶ月になりますけども、気にしないといいつつやはりアクセスいただいていることを確認できるのは励みになりましたね。
これからも、それにこだわりはしませんが、ちょっとだけ気にしながら続けていければと思っています。
いつもホントにありがとう・・・。ヾ(o´∀`o)ノ+゜:。*゜+゜:。*゜++


ところで、今までテレビで『ヘキサゴン』というクイズ番組を見てたんですが、里田まいさんというとってもかわいいタレントさんが、私と同じ誕生日だということがわかりました。
それも、私のちょうどハタチの誕生日に生まれたということのようで・・・。
彼女はなかなか答えられずに苦労していましたが、とても愛嬌があっていいですね。
これからも、応援しちゃいたいですねぇ。(^^)v


なお、あらかじめお断りさせていただきますが、これは3月24日に歩いたときの記録です。
したがって、桜をはじめとする花の開花状況は只今現在と違いますので、そこのところはご容赦願います。


さてさて、千鳥ケ淵沿いの片側通行の道をしばらく行くと冒頭写真の・・・
熊谷喜美子さん作『桃花流水』というタイトルの彫刻です。この作品のよさは私にもよく判ります。(^^)v
もちろん陶淵明の“桃源郷”に題材をとった作品です。

熊谷さんが寄せられた銘に「平和な地で、万物を深く愛し続けた女達の一人が、収穫の甘き桃を持ちて、水辺に立つ姿を、男は生涯胸にいだきつづけた」とありましたが、戦没者を祀る場を近くにもつ御濠端にまさに相応しい像といえるんじゃないでしょうか。

そしてその水辺・・・千鳥ケ淵の写真です。
        

ご覧のとおり桜が咲いたらさぞかし美しい水辺になるのでしょうね。桃源郷もかくやというほどに・・・。

そしてまた、しばらく行くと今度は『泉』という作品がありました。
   

解説すると、ロクでもない方向に話が展開しそうなので割愛します。(^^)/


ここから先は、千鳥ケ淵を歩く中で出逢った花達を紹介していきます。わかるものは名前を書きます。
違ってたら教えてくださいませ。
         

ヒメジョオン・・・。この花を見ると、ユーミンの歌を思い出します。
    

花壇にあった花ですが、わかりませぶん・・・?
  

 ♪~ しらかばぁ~~~ あぉぞぉら、 みぃなぁ~~みいかぁぜぇ~・・・の後に続く花
      

東京の、嗚呼東京の春!!

椿!
 

千鳥ケ淵の終わりにも女性像がありました。タイトル読めなかったのよねぇ~。
      

千鳥ケ淵公園入り口の木蓮です。ここからは千鳥ケ淵公園の花が続きます。
 

でも千鳥ケ淵公園って地図で見ると千鳥ケ淵ではなくて半蔵濠に沿ってるように思うんですけど・・・。
千鳥ケ淵の交差点もそう思われるけど・・・いいんですよネ。
そんなことどうでも・・・。

夾竹桃の花のオバケみたいに見えますが、何と言う花か知りません。
     

スズラン・・・。私のように可憐ですね。すごく好きです。
  

水仙とスズラン・・・。
      

この水仙もくたびれたというか、かったるそうというかアジがあって好きです。

クレマチスみたいな花ですが、蔓日々草でしょうか・・・? まさかね?
 

要するにわかりません。

多分、江戸桜。これどっかの国の大使館前だと思います。
    


ここからは半蔵濠に沿った公園にあった花です。
この白い可憐な花もとても私好みです。みなさんはいかがですか?
 

こんな山野草(?)なら栽培できるものならしたいと思いますけど・・・。
うすいブルーのもありました。これもカワイイ!
    

花壇にあったパンジーなど。キチンと整備されていると本当にきれい!
      

半蔵濠です。中央奥に見えるのが半蔵門です。
  

メキシコから贈られたというモニュメント・・・。
       

またまた椿の花。
  

その樹も同じように見えながら、花の大きさや形が違っていたりするんですよねぇ。

そしてこれが半蔵門です。
 

半蔵門前の桜田濠側の土手には、このように白い花がびっしり咲き乱れていました。
     

アブラナの花越しに半蔵門を望むの図。
  

そして一応このような碑もありました。へぇ~、江戸城跡って特別史跡なんだ・・・。
『皇居』って書いてないのが奥ゆかしいですね。
     

レンゲツツジ?
  

野アザミでしょうか?違うかな?
    

タンポポっす。ダンデライオンですよね。やっぱユーミンを思い出す・・・。
  

桜田濠の景色です。都心のど真ん中にこんなのどかな風景があるなんていいですね。
 

ちょっと判りづらいですが、右側の樹には椿のような花が咲いています。
でもホントに椿なんでしょうか?
まったく葉のない状態で咲く椿もあるんですかねぇ?そういう点では桜みたいですね。

そうそうカモもいました。噂には聞いていましたけどね。
     

この樹は梅じゃないですよね!
   

ボケの花だと思ったんですけど、文字通りおおボケだったらどうしよう・・・。

そしてこれが歴史の教科書にも出てくる『桜田門』。
 

この奥にももう一つ直角に門があるので、外桜田門というようです。
ということは、例の事件は厳密に言うと『外桜田門外の変』ということになるんでしょうかね・・・?

その桜田門をくぐって桜田濠沿いに歩いていくと、とうとう着きました。皇居の二重橋です。


ここの近辺にはスゴイ人だかりがありましたが、環境省の腕章をはめているかた以外は日本語が通じなさそうでしたねぇ。
ツアーの旗をもったガイドさん(これも日本人ではなさそう)たちが、一生懸命説明しておられました。家族連れで記念写真を撮ってらっしゃる白人さんがいらっしゃったりして・・・。
今様の長崎出島って感じでしたね。

これが内桜田門です。内側から外を見る方向で写真を撮っています。
    


桜田門を出たところ、この建物は警視庁本部であります。
      

そんな目の前で白バイの違法駐車!?
であるはずはなく、その前の黒い車が何をしたかは知らないですけどつかまっていました。
警視庁の前で捕まるような運転をしでかす方がどうかしているのかもしれませんが、こんなスゴイ交通量のところでこんな風に停めてしまってよいのだろうか・・・仕事ぶりを白バイ警官がむりやりアピールしているのだろうか・・・とも思ってしまいました。

警視庁の前には当然警備員のかたが立っていたんですけど、道路を挟んでの捕り物をシレっと見てらっしゃいましたね。

チョイと戻ると・・・国会議事堂でした。


千鳥ケ淵を曲がった時はどこに行こうとも思ってませんでしたが、気がついたら国会だったなんて・・・。
先回の衆院選の比例区に、頼まれて出た自民党の候補の方みたいじゃないですか!?(^^)v
いよいよ私も政治家デビューの準備かな!? まぁ人望がないのでムリでしょう。

ここにも警備の方が2名立ってらして、閉まってる門の格子に手を突っ込んでケータイで写真を取ってる私を怪訝そうに見てらっしゃいましたね。
当たり前でしょうけど・・・。
撮影した後会釈したら、ニコッと笑ってくださったんでいい人でしたねぇ。

議事堂前の公園にも、このようにソメイヨシノとは違う桜が今を盛りと咲いていました。
  

ピンクのハナモモの花も庭園に映えてとっても綺麗。
 

私のほかに誰もいなかったのですが、もったいないですよねぇ。
靖国神社では咲いてない桜の下であれだけ『花見』をしてる人がいたのに・・・。

入ってきた道を引き返すと、先の白い桜の木と国会議事堂が重なってとっても絵になる・・・。
   

写真だと桜の花がまぶしかったのか画面が暗くなってしまいましたが、現地で見たときはとても印象深い明るさだったんですよぉ~。(^^)/

そして最後の写真は議事堂前公園にある“日本水準原点”標庫です。


日本の地図などの高さの基準となっているところだそうです。ちなみに海抜24.4140mとのこと。
何故こんなけったいな数字かというと本当は24.5m地点にするはずだったのが関東大震災で地盤沈下したためとか・・・。

不惑の40歳から42歳まで激動の厄年を過ごしたわけですが、否、動けなくなってたのですから激動はおかしいか・・・、ともあれ43歳を“水準原点”としてぜひとも浮上していきたいと思っております。
そのためにも地球温暖化を防ぎ、なんとしても海水面の上昇を抑えないと・・・なんてね。(^^)v

さて、この議事堂前公園について阿刀田高さんがシャレた文章を寄せてらっしゃいます。公園の前の碑に案内が記されてました。
それによるとこの公園は「あまり人に知られていないので素晴らしいデートスポット」なんだとか、「カノジョと政治について語るのもよい」などといったような・・・。
でも、小市民の感覚としては、このカップルきっとダメになりそうですね。
クリントン家とかならともかく・・・。

その脇には阿刀田さんの解説によると“三権分立を表現した”と言う時計棟があります。
そこへ向かう途中、高い時計棟を見てるわけですから当然顔は上のほうを向いて歩いてたわけですが、日本水準原点に最も近い水準点の埋め込みにけっ躓いてしまった・・・。
コケなくてよかったけど、なんと縁起の悪いこと・・・。

そして時計棟をケータイで写そうとしたら“電池切れ”。おやおや・・・。
こりゃ、疲れてきたこともありそろそろ運動も潮時であるとの、諸々の神々様のご託宣であろうということで引き上げることにしました。

もう一度桜田門方面に戻り、日比谷公園のほうへ抜けてJR有楽町駅から山手線で高田馬場まで戻りました。
ホントは東京駅で中央線に乗り換えようと思ってましたが、座ったとたんに寝ちゃったモンで・・・。(^^)/


靖国神社編からの東京探訪、これにてお開きであります。お付合いいただきありがとうございました。
43歳も頑張って駆け抜けたいと思います。その辺もまた、ひとつよろしくお願いしますです。

私はどこにいるのでしょう?

2007年03月28日 00時00分42秒 | 東京探訪あるいは漫歩
よせばいいのに、またこんな写真から始めてしまう“エロ・セオリスト”「あ~」オヤジさんなのでした。
案外、この呼称が気に入っていたりして。(^^)v

毎度毎度の東京探訪・・・今日は写真を順に掲載していきますので、私がどこにいるのかを教えてくださいましな・・・。


まず、今現在このように椿の花がきれいに咲いている建物です。
     

ちなみにこの後のテナントは“銀座ライオン”です。これで判ったらスゴイ!!















次はまた生垣越しです。これでわかりましたか?
            

先ほどのところとは随分場所が違うと言うか移動して撮っていますから、頭を切り替えていただいた方が良いかもしれません。













建物の北側に回りこんでみましたが、いかがでしょう・・・。
    

結構堅固な造りの建物のようですね。














このような回廊のような場所もありましたです。当たり前ですが、通り道というか通路ですね。
              

多くの人が出入りする建物のようですね。














このような通用口があります。
      

しかしこれはいっぱい写真を撮りたくってきて、後から適当な順に並べたんですけど相当あちこちの写真がバラバラになってますね。自分で見てもわからないかもしれない・・・。














ノーコメントです。
 















いちばん東側の入り口に近いところですね。
        

この角度から見ると、判っちゃいそうですね。













前の写真を移した場所から、もう少し南側に行って撮った写真です。
             

そろそろ判ったという方も多くなってきましたかねぇ? (^^)/















これは入り口の写真ですねぇ・・・大サービスです。
    

すっきりされましたか?












パリのヴァンドーム広場・・・?
  

んなわけありませんね。














同じ位置からちょっと角度を変えて撮影してみますと・・・
         

こんな感じ。















先の写真で1番手前にある彫刻をアップにすると、この写真のようになります。この広場にはいくつもこのような彫刻があります。
                    

そうそう、冒頭の写真もこの広場にあるものの一つですよ。
この像のほうがわかりやすいのでしょうが、確信犯的に冒頭にはあの像を置きました。なんといっても“エロ・セラピスト”じゃなかった“エロ・セオリスト”ですから・・・。(^^)v














今の広場を歩いていくと、なにやら出入り口のようなところがありますねぇ。
                 

やはり、結構な人の出入りがあるようであります。













その入口から入ってみると、いきなりこんなオブジェがある・・・。
        

これは何を表してるんでしょうか? 池に落とした鉄の枡を正直に答えたら女神様が金の枡をくれたのでしょうか?















先ほどの入り口とは、まったく違う入口付近であります。
    

ルーブル美術館前にもこんなのがありましたっけ?

















そろそろ建物自体の写真を掲載しましょうか・・・。
   

いきなり正面写真です。高層ビルの半ばを写しています。そんなことぁ、見れば判りますね・・・。
でも、何のビルだかはわかりましたでしょうか?













今度はてっぺんだけ・・・。ホントにぬけるような青空ですよね。昨今減量のために意識して散歩してるんですが、とっても気持ちよかったです。
             

もうお分かりですよね!?
私が散歩してる時、気まぐれにこれを記事にしようと思い立ったことが・・・。 













もう一つの入り口の方から見上げるとこのような姿に見えます。
    

ウルトラセブンに出てきたカプセル怪獣のウインダムに似てる塔が2つ突き出ていますね。















先の広場はこの2つの入口の間に中庭のように位置している部分でした。
           

その中庭から正面から見ると奥に見える塔のある建物を見上げたところであります。














皆さんもうお分かりですね。最も東の正面入口の写真がこれであります。
                

私は今、議事堂通りにいて京王プラザホテルを背にして写真を撮っています。正面の建物の正式名称は次の写真にあるとおりです。
              

ひとつうえの写真の建物の入口左隅にある表札、否、標石(?)です。












それでは奥まったところにある塔のような建物はなんじゃいなというと、これであります。
                  

そしてその建物の正式名称は・・・。
              

ジャジャジャジャァ~~~~~~ン!!!!!









そうだったんです。正解は『東京都庁』でありました。
                  

皆さん何枚目の写真でわかりましたか?
    

携帯で写しているので画面の構図はこれが限界なのですが、側面から見るとこんな格好になるんですね。
正面の写真は見た覚えがあるのですが、角度を変えてみた際にどのように見えるかは東京に来るまで知りませんでした。
まるで積み木細工みたいですね。(^^)v

さあさあ、果たしてここの主はどなたになるんでしょうか?
ちゃんと選挙に行かなきゃね・・・って、私は今、東京在住の新潟県民でしたっけ。。。

タイホする!!

2007年03月27日 00時00分00秒 | トピックス
写真は上野恩賜公園に飾られている“オーケストラ”と題された動物をモチーフにしたオブジェ(?)です。
不思議なものでこういった飾りというものは、見ているほうの精神状態などによって見え方が変わったりしますよね。

この像でいえば、ゴリラの指揮者を中心に楽しそうな音楽が溢れてきそうに思えるときと、ハリボテもハリボテで空虚に見え、もちろん音楽なんて聞こえてこないときといったように・・・。

                  

ところで、先般息子がとってもにこやかな顔で話しかけてきたのです。

曰く、
銭形警部がルパンを絶体絶命の袋小路に追い詰め「タイホする!!」と部下達に号令したのにルパンが捕まらなかったがどうしてか?

という問題に答えろということだったようなのですが・・・。
もちろん、子供のこと、こんな簡潔に設問を言ってはくれませんでしたけど。

まぁ、ルパン三世を見てる人にしてみれば「毎度のこっちゃないか」という話ではありますが、わからなかったので「主人公が捕まったら番組が続かないからじゃないの?」と答えたところ違うと言う・・・。
               

答は「タイホする」というのが『逮捕』ではなく『退歩』だからということらしい・・・。
退歩したから、その間にルパンは逃げたんだとさ・・・って、オマエなぁ~。

確かに銭形警部の「タイホだぁ~」と言われるのはカタカナで書かれるとどっちか判らない・・・んですけど。

世代の違う文字通り“親父”としては、赤塚先生の“メンタマつながりのおまわりさん”の『タイホ』もカタカナだったなぁ~などと思いつつ、彼の拳銃は何連発なのかとか、彼は鼻の穴もひとつしかないから詰まったら大変だろうなぁとか思いを馳せたものですが、どうしてもモヤッと状態を脱却できませんでしたねぇ。
         

ハードボイルドに仕事をこなす(追われているだけという話もある)男性によるいわゆる“オヤジギャグ”の使い手としては、ナンセンスであることはウエルカムですが、これほどまでに職業上、不合理である冗談は看過し難いものがありますね。

ホントにそのときは「およそ仕事で容疑者を追い詰めて、退歩するか!?」という感じで、まったく気が利かなくなっちゃって「漢字の勉強にはなるかもしらんが、つまらん」みたいに答えちゃったんです。

今考えると折角留守宅に帰って会っている貴重な時間なんだしもう少し大人の対応をして、「いや~、マイッタ」とか「スポーツ新聞の表紙に載るかも!?」ぐらい、子供にサービスしたリアクションをしてやればよかったと悔やまれるのですが・・・。
チョイと固まってしまいましたね。反省。(-_-))
       

しかし、昨今のスポーツ新聞の当て字についても目を覆いたくなるようなものがありますね。

あのテのは私はあまり楽しめないクチです。自分のこと棚に上げて言ってるのは十分に承知ですけどね。それでも懲りずに言うところに私のレゾン・デートルがあるというか・・・。(^^)/

一例を挙げると、甲子園で早稲田実業が“優勝”した時に『佑笑』という字を当てていたりして「野球は一人でやるもんじゃない」とか「最大の優勝の功労者かもしれないけれど、一人だけ持ち上げるのは教育上よろしくない」とかプンスカしてたのが思い起こされますなぁ~。

私はスポーツ新聞は買わないので、電車の中で他の人が読んでた見出しを見てうだうだ思ってたわけで、考えるだにイケスカナイおやじですねェ。

ぐちゃぐちゃいうのはこれぐらいにして、良質な笑いで明るく暮らしたいですよね・・・と何の脈絡もなくまとめてしまいましたけど許してね!


そうそう、こんな花を見つけました。
    

これをみて何を連想しますか? 私が名付けて曰く“三平師匠椿”です。

ちょっと左利きになっちゃってますようで・・・『どうも、すいません!』  (^^)v

ベアータ・ビリンスカ・ピアノ・リサイタル

2007年03月26日 00時00分00秒 | イヴェント
☆ベアータ・ビリンスカ ピアノ・リサイタル
《前半》
1.バラード第1番 ト短調 作品23
2.プレリュード第15番 変二長調 作品28-15『雨だれ』
3.エチュード第12番 イ短調 作品10-12『革命』
4.マズルカ ト短調 作品24-1
5.マズルカ ハ長調 作品24-2
6.タランテラ 変イ長調 作品43
7.アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 作品22
       ***休憩***
《後半》
8.スケルツォ第1番 ロ短調 作品20
9.ノクターン第20番 嬰ハ短調(遺作)<映画「戦場のピアニスト」>
10.ワルツ第1番 変ホ長調 “華麗なる大円舞曲” 作品18
11.ワルツ第6番 変二長調 作品64-1 『子犬のワルツ』
12.マズルカ 第30番 ト短調 作品50-1
13.マズルカ 第31番 変イ長調 作品50-2
14.マズルカ 第32番 嬰ハ短調 作品50-3
15.ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53 『英雄』
《アンコール》
16.シマノフスキ:プレリュード(アンダンテ・コン・モト)作品1-2
17.シマノフスキ:プレリュード(モデラート)作品1-7
                  (3月17日 佐倉市民音楽ホール)

ベアータ・ビリンスカはポーランドのピアニスト。カーネギー・ホールでも弾いたことがあるというから、ウデのたつ人に相違ないはずです・・・。

結論から言うと、コンサートの時には間違いなく、とてもシンパシー溢れるいい時間を過ごすことができました。
でも、私にとっては後にご紹介するCDを聴く前と聴いた後で、その感想が少しく変わったことは否めないような気がしています。
コンサート自体は、繰り返しになりますがいい雰囲気で、とても素晴らしいものだったんですけどね。

というのは、実演とCDとが同じ人の演奏とは思えないぐらい印象が違ったのです。
幸か不幸か、この先ずっと聞き継いでいくことができるディスクの演奏の方がより私好みであり、実演に接したことでよりイマジネーションを掻き立てられるところもあるため都合はよいのですが、CDにおける粒立ちのよい音を聴いた後、実演で散見され多少気になっていたミスタッチがやたら思い起こされるようになってしまいまして、演奏旅行の旅程がきつくてコンディションが悪かったのか、準備に充分な時間が取れずにいたのかと、ロクでもないおせっかいな言いがかりが『浮かんでは消え』するようになってしまっているのです。

でも、彼女の人柄の良さと意気込み、ショパンの音楽への愛情は充分に感じられる奏楽でしたから、これ以上総論的な心証を述べるのはやめにします。

冒頭のバラード第1番、荘重な前奏をことのほか荘重に響かせたうえ、最後のE♭の不協和音の音に凄く大きな意味づけをするように際立たせるように弾いた・・・。
その後、少し、否、高橋多佳子さんにもそういう傾向があるのですが、多佳子さんのそれよりも顕著に、急き込むかのように突込み気味に展開されることの多いフレージングが特徴的。

そして好感が持てたのは、フレーズをどの一音に至るまでも“何としても歌いぬくぞ”という姿勢で演奏されていたこと。あとは、解釈が気を衒ったものではなくあくまでも普遍的な演奏展開をしているうちに自ずと個性が滲み出ているというスタイルの演奏であったことも、私にはポイントが高かったですねぇ。

あくまでもその演奏会中の課題としては、メカニック・・・でしょうか?
特にアン・スピ以外の前半と、後半の途中までは歌おうとするあまりのミスタッチが結構目立ちました。
私は、日ごろ(当然演奏にミスのない)CDばかり聴く人であるうえに、そのようなミスを犯すかもしれない一発勝負の演奏会には、その不完全さへの懸念から足を運んでこなかったという経緯を持つケッペキ主義者であります。性格はちゃらんぽらんですが・・・。
そういう意味では、こと今回に関してはですが、ハズれた音が気になった類の演奏会だったと思えちゃうんですよね。
私が、そういうタイプの聴き手であるかもしれないことを割り引いて、この文章を判断してくださいね。(^^)/

CDの演奏におけるテクニックは、それこそ音楽に必要な分しか発揮されていない(テクニックの披瀝が勝った演奏ではない)という好ましいものでありながら、目も覚めるようなそれをピアニストが手の内にしていることは自明でありました。

音楽の中に伝えたいものがあって、それを極めて音楽的に伝えようとされていることについては、第一級の折り紙でものし袋でもつけたい人であることに間違いはありません。

プログラムとしては後半途中から俄然集中度が増したいい演奏になって、マズルカのリズムと言うより旋律の歌わせ方の美しさにウットリさせられたり、英雄ポロネーズの中間部、左手がオクターブのユニゾンで伴奏するところの音色など、わざと無骨なフレイヴァーを織り込むなど、耳が『初めて聴いた!』と喜ぶような瞬間にも事欠かなかったのであります。
文字通り、尻上がりに好調になっていったリサイタルだったと言えましょう。

ともあれ普遍的な解釈の中から、聴くべきを見事に歌いぬきながら提示してくれた力量は充分感得できました。こんな演奏が可能であると言うことは、やはり事前(直前ではありません)の相当な研鑽があったに相違ないわけですから最高度の敬意を表することにやぶさかではありません。

そして新鮮な驚きをもって聴いたのが、アンコールのシマノフスキでした。
ショパンとは全く違う雰囲気を、その曲名を告げた弾き始めるや否や、パッと現出させるところなど、やはりこれもポーランドの作曲家に対するリスペクトがあればこそなんでしょうね。
全編、とても幸せな気分にさせていただくことが出来、満足させられたリサイタルではありました。

最上のコンディションの彼女の演奏はもっとすごいのではないか?

ディスクまで聴いた私の感想ですが、期待できる人だとわかった後の感想であるということをお間違えのないように・・・。(^^)v
完調で気合が入ったときの彼女の生演奏が聴けるものなら、ぜひとも聴いてみたいものですね。

ちなみに高橋多佳子さんは、ビリンスカを学生の頃から知ってらっしゃるそうです。
やはりワルシャワに永く住んでらして、ポーランドにも拠点を持ってらっしゃる多佳子さんだからこそ・・・なんでしょう。


★ベアータ・ビリンスカ:プレイズ・ショパン
                  (演奏:ベアータ・ビリンスカ)

1.バラード第1番 ト短調 作品23
2.スケルツォ第1番 ロ短調 作品20
3.ノクターン第17番 ロ長調 作品62-1
4.ノクターン第18番 ホ長調 作品62-2
5.タランテラ 変イ長調 作品43
6.アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22
7.マズルカ ト長調 作品50-1
8.マズルカ 変イ長調 作品50-2
9.マズルカ 嬰ハ長調 作品50-3
10.ワルツ へ長調 作品34-3
11.ワルツ 変イ長調 作品42
12.ポロネーズ第6番 変イ長調 作品53 『英雄』
                  (2005年録音)

さて、ビリンスカのCDをコンサート会場で買い求めました。ご覧のとおりサインももらっちゃいました!
パッションに溢れたあつ~い歌心を聴かせてもらえるものと思ったのですが、最良の意味で違ってましたねぇ。
まず、ピアノの音色からして違う・・・。
収録されたピアノが違うのはもちろんですが、音を拾った際のコンディションやトーンマイスターの嗜好する音の好みの問題でもあるのだと思います。

ここでのビリンスカは確かに歌いぬいてはいますが、決してホットではありません。むしろクレバーでクールです。
指周りもカツゼツが良いというか、非常に磨きぬかれたメカニックという感じがして極めて完成度の高い演奏が収録されています。
どちらかというと、ライブに出かけるようになったのが比較的最近のことでしかない私としては、その場の感興に溢れたライブ演奏の良さよりも、それと判る傷がない何回も聴くのに耐えられるように少し引いた演奏がされているディスクのほうが安心して身を任せられるのかもしれません。

演奏家のかたにとっては若干酷なことかもしれませんが、私は“全く傷のない演奏”を聴きたいと思う気持ちが強いタイプのききてであるように思います。
以前にも書いたかもしれませんが、いつ間違えるんじゃないかとハラハラしながら聞くのがイヤだから、もしくは間違えるかもしれない演奏を聴くのが耐えられないから生演奏会には足を運ばなかったのですから・・・。
リサイタルなどの良さも今ではわかったとはいえ、やはり演奏には完全を求めたいという思いがあるんでしょうねぇ~。

“そう思うんだから、しゃ~ないやんけ”と開き直ってみたりして・・・。(^^)/

で、ここでの彼女の演奏は結論から言うとショパン曲集のアンソロジーとしては、大いに気に入りました。
練り上げられたクレバーな解釈と堅実なメカニックを駆使した、最良の意味で教科書的な演奏・・・音色のきらめきや表現上の霊感にも欠けていない安心できる演奏として、クールダウンしたい時に聴いたらいいのかなという演奏です。

そうはいってもスケルツォとか英雄ポロネーズはある程度、血沸き肉踊る雰囲気になるかもしれません。
でも、この録音状態だと窓越しに向こうで血沸き肉踊っている人がいるというように、案外冷静に聴けちゃうかもしれません。
次のラフマニノフのディスク同様に、大事に聴き継いでいけるお気に入りディスクになることは間違いありません。

高橋多佳子さんの“ショパンの旅路”はガッツとパワーが欲しい時に、逆に冷静になりたい時はビリンスカにって感じで聞き分けるといいかもしれませんね。
まあ、多佳子さんのディスクは私にとってはオールマイティなので、いつ聴いても感動しちゃうんですけどね。

演奏会当日サインをもらう列に並んでいたときのこと、リサイタルを聴いた妊娠5ヶ月という女性がビリンスカに向かって「素晴らしい演奏をおなかの子供に聞かせてあげられてよかった」というようなことを伝えたところ、彼女は「今サインをしているこのショパンのディスクは妊娠7ヶ月で録音したもので、2人のパワーで産み出したものなんです」というようなことを答えていました。そのご子息は今2歳半だということです。

ちょっといい話じゃないかな・・・と思ったりしています。

★ラフマニノフ:ピアノ作品集
                  (演奏:ベアータ・ビリンスカ)

1.前奏曲 嬰ハ短調 作品3-2
2.前奏曲 嬰へ短調 作品23-1
3.前奏曲 変ロ長調 作品23-2
4.前奏曲 二短調 作品23-3
5.前奏曲 二長調 作品23-4
6.前奏曲 ト短調 作品23-5
7.前奏曲 ハ短調 作品23-7
8.前奏曲 ハ長調 作品32-1
9.前奏曲 ト長調 作品32-5
10.前奏曲 嬰ト短調 作品32-12
11.練習曲「音の絵」 変ホ短調 作品33-3
12.練習曲「音の絵」 ト短調 作品33-5
13.練習曲「音の絵」 ハ短調 作品39-1
14.練習曲「音の絵」 嬰へ短調 作品39-3
15.練習曲「音の絵」 イ短調 作品39-6
16.ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品36 (1931年版)
                  (2003年)

一言で評すると“とっても聴きやすいラフマニノフ”です。

ここでも、実演とは違いクレバーで見通しのよい鮮やかな指捌きによる演奏が聴かれます。
そのように聴かせるように音を拾った、録音陣の技術や努力の勝利でもあるともいえましょう。

小品集は文句なくその見通しの良さが、ラフマニノフの音符の多さからくる押し付けがましさというか、暑苦しさから曲を救っています。タッチのソノリティも見事に捕らえられており曲の好さを表現するのに一役買っているようです。
これまで、キャサリン・ストッツの演奏を最上と考えておりましたが、演奏の傾向は違えど同率首位って感じですね。
できたら、クライスラーの“愛の悲しみ”のピアノ・トランスクリプションが入っていたらよかったのにと思います。
ちょっと、この曲集のプログラムの中では浮いちゃうかもしれませんけど・・・聴きたいモンで・・。

ピアノ・ソナタ第2番はこれも高橋多佳子さんの最新盤とレパートリーがかぶっていますが、第2版と演奏の版が違う(多佳子さんは初稿と第2版の折衷独自版)ために本当にコンパクトな曲に聴かれます。

これにはクズミンというとんでもないぶっ飛び演奏があって、それはそれで凄く興奮させられるのですが、ビリンスカは先のショパン同様練り上げられた解釈で冷静にヒートアップした演奏を聞かせてくれます。決してサーカスみたいに我を忘れて騒がしくなったりはしませんが、ちゃんと腰の据わったそれでいて曲をきちんと制御してやまないという落ち着いた演奏であります。ここでも、模範的ではあってもとても楽しめる演奏・・・といった感じでしょうか。
多佳子さんの奏楽が、いささか挑戦的でときとして攻撃的にも聴こえることがあることからすると、これも先ほどのショパンと同じようにパワーがあるときは多佳子さんの演奏と取っ組み合いをして楽しみ、ちょっとブルーなときにはビリンスカの演奏を聴くというような感じが精神衛生上自然なのかもしれません。

ともあれ永く楽しめるだろう好盤に出会えたことを、なにより私は喜んでいます。



何度かに分けて記事を書いてるモンで、同じことが何回も出てきますが・・・。
この文脈の中で手直しするのはややこしいように思われたのでそのまま投稿しちゃいました。(^^)/
ちょっとクドいけど・・・。

東京の桜開花基準木

2007年03月25日 00時06分14秒 | 東京探訪あるいは漫歩
今日は音楽ブログと言うことを一切忘れて、私との東京探訪にお付き合いくださいな。

今日の私の万歩計は、チョッと前に本気で痩せようと思い立って身に着け始めて以来、最長不倒の15,000歩余りを示しております。
40歳にして体調を壊してから42歳の段階でここまで気軽に歩けるように回復できるとは思っていませんでした。
個人的にはとっても嬉しいというか、気分がよいのです。

私にとって今日の散歩はある種のチャレンジでしたので、ついでに一つの記事にいくつの写真がアップできるかにもチャレンジしたいと思います。
そのうちには、路傍にあった花の写真もいっぱいアップしていきます。

文章はできるかぎり少なくします。これもチャレンジ・・・。

だから付き合ってネ。(^^)/
   

タイトルにあるように、3月21日になんと日本で1番最初に桜の開花宣言をものにした“東京の桜開花基準木”を見たいと思ったのです。
どこにあるかネットで調べたら靖国神社境内だという・・・。で、それはどこじゃいなとアクセスを調べたら“飯田橋駅”が最寄だと書いてありました。
で、例によって高田馬場まで出て地下鉄東西線に乗って“飯田橋”へ、そして近郊の地図を見たけど靖国神社がない?

すると“東京大神宮”なんていうお宮さんがあるようなので、靖国神社ってホントはそんな名前なのかななどと思って着いたのがここでした。
  

すごく趣のある神社で敬虔なキモチで参拝したんだけど、なんかやっぱり小泉首相がどうこうしてたときにテレビで見たあの神社とは違うような気がするよなぁ。


まさかここにいる神官の方や、参拝者の方に「ここは靖国神社ですか?」と精一杯の笑顔を作って訊くわけにも行かないので、神妙な面持ちでお参りをして縁起を見てみると伊勢神宮がなんとかで、天照大神やら何柱かの神々がお祀りされているとのこと・・・。
やっぱり違うんじゃないかと思う気持ち99.9%。

そしてなになに・・・日本で始めて神前結婚式を行ったところと書いてある・・・。だから女性の参拝客ばかりが多いのでしょうか???
いくらなんでも、彼を連れてこなきゃ神前であっても仏前であっても結婚式できませんよ・・・ということを教えてあげることもしませんでした。当然のことながら・・・。
ここの神様は、そういったパートナーを探すのにも手を貸してくださるのかもしれませんね。

ともあれ東京にいながらにしてお伊勢参りができたような気持ちで、すがすがしく靖国神社探しの旅へ・・・。
      

その後2名の通りがかりの方と、昼食で入った麻婆豆腐店のバイトと思しき女の子に、精一杯にこやか且つ自然な表情で「靖国神社がどちらか、ご存知ありませんか?」と尋ねたのですが、みんな「知らん」と言われる・・・。

そもそも飯田橋が違ったんじゃないかと思って、ケータイで検索したらやはり飯田橋と出ていました。
でも九段下との記載もあったので、道路の看板に九段と書いてある方向に行くと“靖国通り”の文字が!

ラッキ~!! 

これほど有名な場所に行こうとして、ちゃんと調べてから家を出ておきながらこんな調子だったのでとても嬉しかったですね。
右折したらほどなく大きな鳥居が・・・。屋台もにぎやかに出ていました。


実は靖国神社の桜まつりは本来3月30日からだったのですが、21日に開花宣言が出てしまったので1週間はやめてそこここに案内場を設けていてくださっていました。
神社入口鳥居の靖国通りを挟んだ対面にあった案内所に「開花基準木はどこですか?」と訊いたら、なんと女性の方が境内の中まで案内してくださって感激!!

助かりました。本当にありがとうございました。(^^)/

飯田橋で下りて来たと行ったら、九段下の方がずっと近いのになぜかと言われてしまいましたが、靖国神社のHPではやっぱり飯田橋って書いてあるんですけどねぇ・・・。不思議です。

なにはともあれ、靖国神社の神門です。
  

そしてその神門の開いた扉に輝く菊の御紋章。やっぱり厳かですね。
     

これを見て厳粛な気持ちになるというか、ありがたいと思ってしまう私は、やっぱり日本の小市民・・・。

そして、能楽堂横の囲いの中にあるこの樹こそが、桜の開花基準木(のうちの1本)であります。
          

実は開花基準木は、この木を含めて3本あってそのうちの2本が一定の花をつけたら開花宣言が出されると言うことです。
基準は、未確認情報ですが1つの枝に5輪以上の花をつけるということのようです。
なお、あと2本の木がどれかということはシークレットらしいのですが、今日現在このほかの木で花をつけていた木は殆ど見当たらなかったですね。
今の一本も囲いはこのしばらくの期間だけしか設置されないようで、普段はそれとはわからないということらしいです。

開花基準木が上方にかかる能楽堂では、法政大学の能楽の研究会のかたによる舞台がまさに行われているところでした。


今日の気温が18度まで上がったら、いっせいに花開いただろうにということなんですが、まあそんなに慌てなくてもいいじゃないですか。
基準木の花はこのようにちゃんと5輪咲いています。(^^)v
       

なにぶん携帯のカメラなので、接写が弱い上に望遠にしたこともあってピントがイマイチですが、そこはご容赦くださいね。
そうそう、記事冒頭の写真も開花基準木のものです。ピントをあわせようとすると、これぐらいの距離感になってしまうのです。

能は男性は紋付を着ているばかりなので華がないですけど(謡は朗々としてよかった!)女性の演目だといろんな色の着物で出てくるからその分華やかでした。
   

この演目は『松虫』だったかな?
本来の能は女人禁制だったような気もするのですが、このように伝統に触れ体現してくれる若者がいっぱいいるのは頼もしいことですね。


靖国神社拝殿です。ここはもうテレビでも露出の激しいところですから、説明の必要はありませんね。


ちゃんと先人の御霊に礼を尽くしてきましたよ。私の母方の祖父もレイテ島沖で戦死していますから・・・。
大戦に思いをいたし二度と戦争を起さないという決意をもって、前首相と同じように平和を祈願してきましたです。

拝殿に最も近い桜の木の根元に・・・ほら!
     

花が咲いてる!! 何か健気でこういうの好きだなぁ~。

参拝を終えて、辞去する時に神門の横を見ると白い鳩がいっぱいいる・・・。
         

鳩舎なんでしょうね。何のために飼ってるのかなぁ~。

神門を出る間際、鳩舎の反対側にある桜の木なんですけど・・・、


これ一本のみが何故か盛大に花をつけていました。これも基準木なんでしょうかねぇ。
誰がみても「こいつは咲いてる」っていえる唯一の木でした。
仮に3本のうちの2本がこれらの木だったとしたら、ダブルペリアのゴルフの大会で、何故か“ハンデが36ついて優勝しちゃった”状態の開花宣言だったのかもしれませんね。
ちなみに私は会社のコンペで、参加者中グロスでブービーなのにネットで優勝し他の優勝を狙っていた方々の顰蹙を買ったことがあります・・・。
ちゃんとルールに則った優勝であります。(^^)v

にもかかわらず、またその後転勤して部署も変わったというのに未だに恨みがましいことを言うのはやめてください、という方がいらっしゃいます・・・。
私はしばらくゴルフをしていないし、もっと回復しないとできるようにはならないんですから。
体調不良を口実に、もう「せずに済ませられたらいいな」と思ってるぐらいなんですよ。
死者に鞭打つようなことは・・・ねぇ。でも、そんなにクヤシイ思いをさせたんだと考えると、ちょっと気分がよくなる私はここでもやっぱり小市民。

さて、あまり文章を書かないと言ったのは大ウソだなと思いつつ、ようやく靖国神社を辞去して田安門前歩道橋から日本武道館(ちょこっと見える屋根の方)を望んでいます。
   

歩道橋を下りると、大山巌公の騎馬像がありました。
       

大山公は元帥陸軍大将だった方とのことですがそれ以上は存じません。すみません。

そしてその像の脇に可憐な紫の花が咲いていました。
   

この花って何の花か私は知らないのですが、鉄道沿線とかに咲いていたり結構土手などで一面咲きまくっていたりする花ですよね。
何故か気になっている花なんです。目近で見たのは初めてといっていいぐらいなんですけれど・・・。

そして観光地の案内はかくあるべしと思うほど、近くのものを案内した看板が・・・。


10mって・・・看板の立て方というか、表記のしかたが・・・わかるんだけど、なんか、こう、どうも・・・!?


さて、どれくらいアップできるかということにチャレンジしてきましたが、実は写真の文字数換算も含めて10000字を越えてしまったようなので、一旦ここで靖国神社編を終了し、千鳥ケ淵以降編は次にせざるを得なくなってしまいました。

“ドロー・ザ・ライン”・・・エアロスミスの曲ですが・・・限界ギリギリってことですな。(^^)v
これが判ったことも今日の収穫です。

ではまた・・・。

シマノフスキ没後70周年特集

2007年03月24日 00時00分02秒 | オーケストラ関連
★シマノフスキ:交響曲第3番 「夜の歌」
                  (演奏:サイモン・ラトル指揮 
                         バーミンガム市交響楽団&合唱団)
1.スタバト・マーテル 作品53
2.聖母マリアへの連祷 作品59
3.交響曲 第3番 作品27 「夜の歌」
                  (1993年録音)

先の記事でガーシュウイン、ラヴェルそしてこのシマノフスキの3名の没年がちょうど70年前であることをご紹介しました。
そして1枚ずつのディスクを紹介し、それをこの後も玉入れのかごに入った玉を数えるように誰かの分が欠けるまで続けようとも思いましたが、“夜のガスパール”だけで他の2名の何倍もある状況で続けるのはいくらなんでも失礼なんでやめよかな・・・と。

というわけで、とりあえずシマノフスキだけをまとめて特集することにしたわけであります。

まずこの冒頭の曲、スタバト・マーテルを聴いて思うのは「なんてハイ・ブロウな音楽なの!」ということ・・・。
これは完全なコンサート形式に則った音楽であり演奏のような気がするので、神様も客席に座っていてくださらないといけないような雰囲気がありますね。(^^)v
そう、教会で演奏するということを考えてないんじゃないかというように思える曲です。
コンサートホールにしても演奏している舞台の後に祭壇があるのではきっとマズくて、祈りの音楽とするためにはやはり神様に客席にいていただくか、オーケストラもその祭壇に向けて演奏しないと。
その場合も指揮者だけは神様にケツを向けることになりますが・・・。

交響曲も含めて、さすがはラトル・・・巧みに聴かせてくれます。
それほど彼のディスクを多く持っているわけではありませんが、彼の指揮はいつも曲にさまざまな表情をあたえて、たとえ知らない曲でも聴き手を退屈させることをしません。
ホントにこの人には、楽曲の表情をまるでこどもの表情のように素直に、そしてストレートに音に変えてしまう才能があるようです。それが演奏のヴィヴィッドな存在感に直結しているように思えてなりません。
ただ聴き終わった後、生気のある演奏だったということばかりが頭に残って・・・カンジンの曲がどんな曲だったかが頭に残りにくいような気がして・・・。決して褒めていたわけじゃないんです。

いやいや、ラトルのせいだといっているわけじゃないんですよ!
聴き手である私が、曲そのものの特徴や印象を聴き取ろうという目的を持って何度も聴いているはずなのに、ラトルの才気ばっかりに耳が行ってしまうという“根性なし”であるのが悪いんです。

むかし、カラヤンのあまりに流麗な演奏にうっとりして、曲の表面ヅラしか追わなかったので聴き終わった後“空虚感”を感じていたのが見当違いであったように、ラトルの演奏もたぶん角度を変えて聴いたら“お宝”がいっぱいなんでしょうけどねぇ・・・多分。
どっち向いて聴いたら音楽の“内実”が聴こえるんだろう・・・・・・。

いっそのこと、ケツ向けて聴いてみましょうか。
そうすれば聞いている間、指揮者のラトルと“おしくらまんじゅう”できる体勢になりますからね! (^^)v

★ストラヴィンスキー・シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲
                  (演奏:シャンタル・ジュイエ(vn) 
                         シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団)

1.ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ調
2.シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 作品35
3.シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 作品61
                  (1992年録音)

今度はヴァイオリン・コンチェルトのディスクです。
シャンタル・ジュイエというソリストはとっても素晴らしい演奏を繰り広げていますが、私は寡聞にしてこのディスク以外の彼女の活動を知りません・・・。
いいヴァイオリニストだと思うんだけどなぁ~。たまにこういうヒトいますよね。たとえディスクの発表でなかったとしても充実した活動をなさっていらっしゃればいいんですけどネ。毎度の余計なお世話でした。

このディスクの最大の聴き所はストラヴィンスキーとシマノフスキの対比なんじゃないかなぁ・・・。
ストラヴィンスキーは、曲そのものが遊園地でかかっていたら似合うような底抜けに楽しいというか、独特の造られた世界を感じるもの。
各楽章冒頭の妙な不協和音。
楽しいのか寂しいのか、一音でピエロの泣き笑いを思わせます。この曲はほかにムター姐のを持っていますが、ジュイエはよりソリッドに潤いを失わない音色で聴かせてくれます。
全曲を通して、デュトワの伴奏が色彩感豊かにリズムを際立たせているのがこの演奏の生命力の秘密ですね。ソリストはそれに乗ってまことに楽しく充実した演奏を繰り広げております。

一方、シマノフスキはこれも色彩感豊かなのですが、ストラヴィンスキーほどリズムがたっていないので、より広大で深遠な印象を受けます。
要するにストラヴィンスキーは閉じた人工的な空間をイメージさせ、シマノフスキは開いた地平、あるいは精神世界をもイメージさせるものになっていますね。
ジュイエは両者のそうした特質を、きわめて的確に弾き分けてディスクのプログラム全般の意図を明らかにしています。

どっちが好きかといわれると―どっちも好きなのですが―あえて言えばストラヴィンスキーは聴いて楽しいけど、シマノフスキのほうが聴後の充足感があるという感じでしょうか。
これまでの私をご存知のかたであれば、私がどちらを採るかはお分かりですね!

★シマノフスキ:弦楽四重奏曲第1番/第2番
                  (演奏:カルミナ四重奏団)

1.シマノフスキ:弦楽四重奏曲 第1番 ハ長調 作品37
2.シマノフスキ:弦楽四重奏曲 第2番 作品56
3.ウェーベルン:弦楽四重奏のためのラングザマー・ザッツ
                  (1991年録音)

これはカルミナ四重奏団のデビューアルバムなのですが、大変に素晴らしい演奏だと思います。

シマノフスキの室内楽曲は何かしら3曲しかないらしく、それは1907年のピアノ三重奏曲(後に破棄)、1917年の弦楽四重奏曲第1番、1927年の弦楽四重奏曲第2番、そして1937年に亡くなっているわけですから、極めて分かりやすい10年サイクルになってる訳なんですね。
したがって、このCDはシマノフスキ室内楽全曲集と銘打っても間違いじゃないんでしょうが、そうしないところが奥ゆかしいというか良心を感じさせやしませんか?
かく言う私もそんな風にはつゆほどにも思いませんけれど・・・。

シマノフスキの弦楽四重奏曲のイメージは、ロマン派音楽と現代音楽のちょうど中庸を行くといった感じに聴こえます。
第1番はハ長調とされていますが、時としてどこがハ長調なんだと思えなくもないけれど、第2楽章などではけっこう美しいハーモニーが聴かれたりもする・・・。
でも、現代音楽的な不協和音の雨嵐みたいなところもあるわけで。。。
そうではあっても、実は聴き易い曲なのです。なぜかを一生懸命考えてみましたが、楽曲に関しては少し息の長めの旋律かもしれないようなフレーズが情緒的に組み込まれているように思えなくもないことがあげられます。
さらに演奏しているカルミナの諸氏がそのような情緒的なフレーズをきちんと情緒的に再現してくれているからであります。そしてその情緒的なフレーズと思しきフレーズを下支えする和音(チェロと第二ヴァイオリンが伴奏して、第一ヴァイオリンとヴィオラがメロディーのやり取りをしているだろうところが印象に残ってますが)からとっても人間的な響きを聴き取ることができるので、とっても聞きやすいと思われるのです。

第2番になると、静かに始まりフーガみたいになったり、表現の幅は広がりときにエキセントリックに聴こえなくもないフレーズの雄叫びも出てくるようになります。しかしどんなに現代音楽風になっても旋律がブツ切れになったり、演奏者の出す音から人間的な響きが消えることがないために、チョイとクールなロマン派音楽の延長線上の曲だということで認知できるのです。

私はこれは名盤だと思いますよ。

そして、この名盤のラストを飾るのが若きウェーベルンの超ロマン派的作品、ラングサマーザッツであります。
私はこの曲が実は大好きなのですが、私にはお師匠さんのシェーンベルクの“浄められた夜”にも似た表面上はさっぱり感を装いながら、心のうちか腹の中か胸のうちかは判りませんが、どうしようもないカオスがウルトラセブンの冒頭の題字が出てくるところのように渦巻いているのを聴き逃すことが出来ません。

そんなウェーベルンのこの曲が、どうしようもなく人間くささに溢れていることに気づかせてくれる意味でも、このディスクはかけがえのないものだと思えるのです。

なぜかしらこの後、シマノフスキが弦楽四重奏曲を作曲する頃には、ウェーベルンはご承知の通りのブツ切れの音楽を志向するようになっていました。
その意味では、シマノフスキは最後までロマン派音楽の砦に留まっていたと言えるのかもしれません。
ここでの第2番は調性音楽かどうか明示して有りませんし、演奏家の解釈や表現力に恃んで初めてロマン派の残滓を感じられると言うことなどを考え合わせると、相当隅っこの方であることには違いないでしょうけれど・・・。

ここらへんのことになると印象派にカテゴライズする人もいるようなので、私としては「勝手にしてくれ!」という観もあります。分類は専門家にまかせちゃって、気にしなきゃいいんでしょうけどねぇ・・・。

ある程度音楽を聴いたものとしては、たとえそれが“予断”につながり本質を見逃しやすくなる危険性を孕んでいたとしても、分類を頼ればとりあえずの“曲そのもの”の“お宝”を見つけやすくなることがあるのも確か。
この文章も含めて、音楽の“音響”から受けた印象に対する文章には、聴き手の主観が非常に多く入り込むうえ、その人の文章の表現能力にも大きく読み手のキモチは左右されるので、やはり自分で聞いて確認しかないのかもしれません。

たとえば、評論を読んだときの率直な感想がその人の曲の捉えかたに共感できるか否かであればいいんですが、たまに「読みにくくてわからん」という文章も少なくないですもんね。。。
こんな文しか書けない私が、自分のことを棚にあげて言っているんだから、そいつらは相当“キテる”文章を書いているということなんですけどねぇ・・・。(心のつぶやき完)

だいたい私の感覚に照らせば、印象派の音楽家にカテゴライズできるのはドビュッシーとタケミツしかいないように思われます。
よく対比されるラヴェルはドビュッシーとはまったく違う独自の個性を持っているのであって、“水の戯れ”を除けばドビュッシーの印象派とはちょっと毛色が違うような気がします。例えば“鏡”にしても、ドビュッシーとは違う方向に歩を進めているように思われますし・・・。そんな二人を同じ印象派に放り込んでよいのかと思いますけどね。

ここで書いたことは私が聴いた経験を下敷きに言っているだけであって、楽譜とかを精緻に研究していらっしゃるかたが、カテゴライズするのに相当な理由があって、動物の系統図みたいなのを書いてみたとき「こいつらは印象派だ」という結論付けをされているのであれば、ゆめゆめそれに反論する企てのキモチを持っているわけではありません。
「オイオイ」と思った人も気色ばむようなことのないようにね。(^^)/

余談はさておき、シマノフスキはナニ派なんでしょうか?
それがわかれば、ラトルとのおしくらまんじゅうがより白熱したものになるような気がしないでもありません。

ショパンの死因は?

2007年03月23日 00時00分00秒 | ピアノ関連
★《幻想ポロネーズ》《舟歌》~ショパン・ピアノ作品集
                  (演奏:ヴラディーミル・アシュケナージ)
1.バラード第4番 ヘ短調 作品52
2.子守唄 変二長調 作品57
3.ポロネーズ第7番 変イ長調 作品61《幻想》
4.ノクターン第17番 作品62-1
5.ノクターン第18番 作品62-2
6.ワルツ第6番 変二長調 作品64-1《子犬》
7.ワルツ第7番 嬰ハ短調 作品64-2
8.ワルツ第8番 変イ長調 作品64-3
9.マズルカ第36番 イ短調 作品59-1
10.マズルカ第37番 変イ長調 作品59-2
11.マズルカ第38番 嬰へ短調 作品59-3
12.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
                  (1999年録音)

ロイターおよび時事通信の報道によると、ショパンの死後150年以上も行方が分からなくなっていた、彼が最後の演奏会で使用したグランドピアノが、イギリスで発見されたようですね。
なんでも英国人収集家が50万円弱で購入していたとか・・・。
そんなんだったら、私でも買えたのにねぇ・・・判らないまでも購入されていたその収集家の方が偉いのはもちろんですけど残念です。
とはいえ、私ではメンテできないんで、ちゃんとした方の手許に納まってくれていて、キチンと美しい音で鳴るという状態が確保されているらしいことはラッキーだったといえましょう。
フランスのメーカーのシリアルナンバーを追跡して発見に至ったそうですが、プレイエルのピアノだったんでしょうかねぇ~?

この記事を見つけて関連リンクを見ていたところ、ショパンの死因についての記載をみつけました。
一般にショパンは結核を患っていて、それが悪化した結果とうとう亡くなったといわれていると思いますし、私もそう思っていたのですが“嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)”という聞いたこともないような病気である可能性もあるという記述に目を引かれました。
ウィキペディアによると、この病気は遺伝性疾患の一種で、要するに体の粘液の粘度が高くなる病気なんだそうです。例えば痰の粘性が高くなると気道を閉塞し肺炎を繰り返す・・・ってことはショパンの症状にも確かに似ていますよね。

そしてさらに見ていくと、こんな記述がありました・・・「白人に高頻度で見られ、最も頻度の高いユダヤ人のアシュケナジーでは25人に1人は保因者である」・・・って、えっ、“ユダヤ人のアシュケナジー”って何!?

というわけで調べてみたところ、今日のユダヤ教徒社会の事実上の2大台勢力は“アシュケナジム”と“セファルディム”って言われる人たちだというんですって。
この違いも難しいことは判りませんが、簡単に言えばどこに定住したユダヤ人のご先祖様の子孫かということらしいです。違っていたらごめんなさい。

“アシュケナジー”と“アシュケナジム”というのは単なる表記の違いなんじゃないかと思うのですが、今日アシュケナージのショパンのディスクを全集を録音していた頃のものから最近に至るまでご紹介しようと思ったのは、ここにアシュケナージの名前を髣髴させるユダヤ人の分類の方法があることがわかったからであります。

要するに現在N響の音楽監督としてご活躍されているユダヤ人アシュケナージ氏は、正にショパンに深く関わりのある音楽家であるのみならず、そのユダヤ人としての出自からしてショパンと同じ病気にかかりやすい系統なのかもしれない・・・彼の高い評価を得たショパンの一連の録音は、そうした彼の血統にも保障されたものだったのか・・・などと考えての記事なのであります。

そのアシュケナージがユダヤ系のロシア人であることは前から承知していたのですが、ウィキペディアの“ヴラディーミル・アシュケナージ”欄をよくよく見ると「名前の通りユダヤ系だが母はロシア人」とある・・・。
これはやっぱりアシュケナージはユダヤ人の中でも、由緒正しい(?)ユダヤの民“アシュケナジー”の子孫なんだと勝手に思ってしまったのですが・・・。

とにかくも、彼が嚢胞性線維症でないのは確かですから幸いなことでございました。よかったよかった。(^^)v


さて、そんなこんなでアシュケナージの最新のショパン演奏のディスクからご紹介したいと思いますが、冒頭写真のこのディスクを最初に聴いた時に私は戸惑いました。
選曲は後期の作品ばかり、まさにこの曲が聴きたいという大傑作を網羅した超豪華版であります。

しかし、肝心の演奏がなんとも言えない・・・。
もとよりオーケストラの指揮についても世界的な第一人者と目されるほどになったアシュケナージのこと、それまでのディスクにおける実績からしても奇を衒ったところのないよく練られた解釈であるということに、いささかもためらいは有りません。
演奏技術について私がとやかく言うまでもなく、最高水準のそれが保証されていると考えて間違いありません。
よくよく聴けば、瑞々しい音といえなくもない音色だし、物静かであっても味わい深く生気がないとは・・・いや、残念ながらこのディスクに関しては、私はやっぱり生命力が弱いと感じますと言わざるを得ないのです。

この盤を聴いての違和感の原因は、多分この一点のみに起因するだけではないかと思うのですが、とくに冒頭のバラ4や幻想ポロネーズなどに顕著であるように、何かしら恐る恐る弾いているように感じられてならないのです。
彼はきっと声高にならず落ち着いた語り口で、慎重により深みを味わわせようと図っているのだと思いますが、残念ながら私の不徳の致すところで未だにそれを聴き取るだけのスキルを持ち合わせていないことを痛感させられます。

世界的ピアニストの彼のこと、登るべき高みを見つけてそれを表現できたからこそ演奏を世に問うているのだと思いますから、受けてたった私としてはその真意を汲み取ることが出来るようになるまで、根気よくこのディスクとは向き合っていく必要がありそうですね。
虚心に聴いた私の感想は以上です。

ちなみに、このころ時を同じくしてエクストン・レーベルにショパンのソナタ2篇を録音していますが、その録音ともどもメディアの評価は二分されているようですね。

このディスクで思い出されるのは、その演奏評を読んだ時に私はその評者の演奏を捉える姿勢をシビアに測った覚えがあるということ。
カンタンに言えば誰の論評を参考にしたらいいのかを、はからずも極めて鮮明な形で表してくれることになった作品なのであります。

「アシュケナージという名前を評価したのでは?」という方も、逆に「アシュケナージを叩くことで大勢に迎合していない自分自身のアピールを図っているのでは?」という方もいらしたように思います。
あくまでも私の感じ方ですが・・・。

もちろんこの文章も、もしかしたら“そのような評価の対象になりうる”とは思いながら書いているのですが、なにぶんシロートがいいたいこと言ってるだけなモンで、と開き直っておきましょう。
みなさんの評価の対象になるほどのものが書けているのであれば望外の喜び・・・なんてね!(^^)/

なお、先のソナタのディスクの関連で、アシュケナージは指が太くて短いのでソナタ第2番は大好きな曲であってもとても弾きづらいんだそうです。
「あれだけ弾けるくせに、そんなこと言うなよ!」という声が聞こえてきそうではありませんか?


★ショパン:26の前奏曲、4つの即興曲
                  (演奏:ヴラディーミル・アシュケナージ)
   
1.24の前奏曲 作品28
2.前奏曲 第25番 嬰ハ短調 作品45
3.前奏曲 第26番 変イ長調
4.即興曲 第1番 変イ長調 作品29
5.即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36
6.即興曲 第3番 変ト長調 作品51
7.即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66 「幻想即興曲」
                  (録音年はバラバラです)

さて、これこそかの世評の高い全集収録の音源であります。
24の前奏曲はもちろん一時に録られているとはいえ、アシュケナージの全集は発表された当初、バラード集・ノクターン集といいったカテゴリーごとのアンソロジーではなく、各種作品をバラバラにプログラムしてリサイタル形式でリリースされました。
ですから、ここにある曲集はプレリュードとアンプロンプチュにカテゴライズされていますが録音は別々にされているものであります。

しかし、しかしです・・・。
確かに違う時期に録音されたであろうと思われる、音色や残響の質感の違いこそあれ、本当に極めて高い次元で整った解釈、演奏を展開しているこの凄さ・・・。
ことこの全集にあっては、いずれの録音をとってみても脱帽するよりありません。

全般的に、決して声高にならない温和にして柔和な表情をたたえ、仮に即興曲第1番のように翳りを帯びていたとしても、内的燃焼度は高いに違いないと確信させられる出来栄えです。
若い頃は行け行けどんどん的演奏スタイルを取り、このころもなおポジティブな解釈をするアシュケナージが、それぞれの曲から受け取った感興を静かに丁寧に語ったらこんなに含蓄のあるものになりました・・・という演奏であります。

『強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない』などとよく言われますが、このアシュケナージの演奏は限りなく慈しまれていながら頼もしい・・・こういうのを“優しい”というのではないでしょうか?
全集の中で“バラード・スケルツォ集”といずれを紹介するか迷いましたが、彼の美質がより生かされているのは、私は即興曲であると思います。

第一級の演奏が揃っているアシュケナージの全集の中にあって、なおかつそのデリカシー溢れる演奏が最も生きている“即興曲”は超第一級だと思います。
特に第2番・第3番・・・。この魅力にはなかなか抗うことが出来ません。

ついでにもう一つ感激させられるのは、録音の素晴らしさであります。
とくに左手に旋律が現われるような場合のピアノの音色の捉え方に出色のものがあると思います。
弾き手よし、録リ手よし。類まれなめぐり合わせと言えるのではないでしょうか。

なお蛇足ですがこの演奏を聴くと、私はフォーレの気配を極めて濃厚に感じます。彼のピアノ芸術には、アシュケナージがこれらの即興曲から感じ取ったのと同様な感覚を自分の中で発酵させ、発展させて行ったんだと確信させられるような要素がふんだんに感じられます。


★ショパン:24の前奏曲、ピアノ・ソナタ第3番
                  (演奏:ヴラディーミル・アシュケナージ)
   
1.24の前奏曲 作品28
2.マズルカ第49番 へ短調 作品68-4(遺作)
3.ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
                  (1992年録音)

さて最後に全集を完成して約10年、再びショパン録音を(単発で)世に問うた作品を最後にご紹介しましょうか。

これは私が長崎にいる時に発売されたディスクであります。

これを手に入れようと思って長崎市浜町(はまんまち)のとある販売店を訪ねた折に、店員さんにレコ芸を示して「これください(^^)/」と言ったところ、生憎在庫が切れていたか何かだったんでしょうけど、その店員さんからハラシェビチだかのショパンの名曲集を差し出されて「ショパンだったら、これでダメなんですか?」と尋ねられ唖然とするあまり目が点になってしまったディスクでもあります。
あんときゃ怒る気になる気力も吸い取られたなぁ~。

結局、お取り寄せで購入したのですが、このディスクで最も強く印象に残っているのはこのことかもね・・・・・・・・なんて言ったらぶん殴られそうなのでちゃんと感想を書きます。

全集時代より落ち着きを増した演奏、よい意味で枯れた演奏の兆候を示していると思います。
無理のない素直な解釈でありながら、勢いやパワーで押す部分はホントにわずかになり(わずかだからそのイザというときには効果が大きいように思われます)、表情付け表現のニュアンスの幅を広げることで、そこはかとない魅力とでも言うべきものを見つけ始めた頃であったのではないかと思います。

プレリュード最終曲の最高音から下ってきた最後の3音などに独自のアゴーギグというか“えっ”と思わせるようなアクセントを置いていることとか、中間のマズルカ(つなぎとしては好選曲だと思います)のラストのトリルの打ち震えるようなニュアンスとか、ソナタの第1楽章第2主題を奏でる時のバスの音(主題を繰り返し刷るときはまた少しニュアンスが違う)など、挙げ始めたら枚挙に暇がありませんが、かつては弾き連ねる文脈の中で旋律のセンテンス単位で表情付けをしていた彼が、“音そのもの”にもより多くの役割を演じさせることによって表現の幅を広げようと考えたのではないかと思われます。

私自身は、当時は上記のようなことを考えこそすれこのディスクをあまり高く評価していなかったのですが、本日ただいま聴きなおしてみてやはりアシュケナージはこの頃も凄かったんだと再認識した次第です。
特にショパンのソナタ第3番は落ち着いた運びの中にも“屈指の食いごたえのある演奏”であるように思い直しました。

そもそも発売当時、濱田滋郎先生がレコ芸の評で「CD時代になってようやく現われたこの曲の名演と認められる演奏」というような文章を示してらっしゃったのでこのディスクの購入を思い立ったのですが、一聴したとき以来その言をずっと怪訝に思っておりました。
しかし今、ようやく首肯できるというところまで自分の耳が育ったのかな・・・と思うと少し感慨深いものがありますね。

評といえば、このディスクにおいても「全集時代のアシュケナージと比して全然オモシロくなくなったので心配である」というようなものもあったように思います。
あの頃はむしろその言に共感を感じていた私ですが、本日ただいまから宗旨替えですな。
この盤も美しい音でなかなかに聴かせてくれる流石の内容である・・・・・と。

これだからクロートになれないんでしょうね。(^^)v


というわけでアシュケナージのショパン演奏について、全集制作以降の何枚かの変遷をご紹介しました。
これ以前の彼のショパンは極めて生気に溢れた、挑戦的と言っていいほど闊達な演奏のように聴かれます。そこから枯れ切った現在に至るまでのちょうどいいバランスの頃合で全集が制作されたことは、普遍的なスタンダードができたということに他ならないように思われるのでラッキーだったといえるのではないでしょうか。


ところで“ショパンの死因は?”というタイトルで書き始めましたが、本当のところはなんだったんでしょうねぇ~?
新婚旅行でペール・ラシェーズ墓地に墓参りまでした私としては、ハッキリした科学的根拠がもしわかるなら知りたいものであります。


最後に、ウィキペディアを読んでてズルッと来た一言を引用します。

“なおAshkenazyという苗字を名乗るユダヤ人の多くはセファルディムである。”

ややこしやぁ~・・・。

没後70周年トリオ

2007年03月22日 01時18分47秒 | トピックス
★モントゥルー・ジャズ・フェスティバルのビル・エヴァンス
                  (演奏:ビル・エヴァンス)
1.イントロダクション/ワン・フォー・ヘレン
2.ア・スリーピング・ビー
3.伯爵の母
4.ナーディス
5.愛するポーギー
6.あなたの口づけ
7.エンブレイサブル・ユー
8.いつか王子様が
9.ウォーキン・アップ
10.クワイエット・ナウ
                  (1968年ライヴ録音)

ガーシュウイン、シマノフスキ、ラヴェルの3人が1937年に揃って亡くなっているということで、没後70周年のお三方のピアノにまつわる曲の特集をしようと思い立ちました。

おいおい、ルーセルもピエルネも貴志康一さんだっているではないかと仰る方、ごもっともですがレコード芸術の3月号で特集されていないということで、ご勘弁を・・・。
この号ではメインの特集が『ラヴェル&ガーシュウインとその時代』で、シマノフスキは265ページからその生涯が特集されていますものね。
そこで特集されているかたを選んだんだから「私のせいじゃありませんよ~」ということで・・・。(^^)/

しかし、これだけ著名な音楽家(作曲家)が揃って逝去した年というのもあまりないのではないでしょうか?

さて“ピース・ピース”の記事でも触れたように、ビル・エヴァンスはジャズファンの殆どの方にとってそうであるように、私にとってもジャズ・ジャイアンツの筆頭に挙げられるピアニストであります。

エヴァンス ― ラファロ ― モチアンのトリオによるリヴァーサイドへの録音が取りざたされることが多く、私もそれらは彼のキャリアにおいての白眉だと思いますが、このモントゥルー・ジャズ・フェスティバルのライヴも決して忘れてはならない名演だとも思うのであります。

ただ今回はガーシュウインが主役なので、エヴァンスその人の話題やその他の曲については説明を割愛しますね。
で、このディスクでは“愛するポーギー”“エンブレイサブル・ユー”の2曲がガーシュウインの曲ということになります。でも、“エンブレイサブル・ユー”はエディ・ゴメスのベース・ソロがフューチャーされているという印象の方が強いので“愛するポーギー”に話を絞りたいと思います。

ご承知のようにガーシュウインはジャズのイディオムを大胆に取り入れた作曲をしております。
そうはいっても、ちゃんとクラシック地平に根ざした曲作りはできてるように思うんですけどねぇ。

ただ、ガーシュウインに注目してアメリカ楽旅中に彼の演奏会場まで足を運んだラヴェルに、当のガーシュウインが弟子入りしようとしちゃったりしたことなどから、クラシック音楽家としての自信がなかったんじゃないかとか勘ぐられちゃったりしているようですね。
そのうえ、ラヴェルには“自分に就いて勉強しようモンならガーシュウインの良さがスポイルされちゃう”という趣旨で弟子入りを断られるわでお気の毒様な経験があったりします。

その時にラヴェルが言ったと伝えられる「あなたは最早一流のガーシュウインなのに、今から二流のラヴェルになる必要はない」という話は、どうやら“ガセ”のようですが、でも、事実としては言いえて妙だと思いますね。
誰がなんといっても、ガーシュウインはクラシックの畑でもちゃんと根を下ろし、ちゃんと花まで咲かせているのではないでしょうか。
ガーシュウインの音楽がジャズの演奏家にとって最高の素材として頻繁に採り上げられているのは事実ですし、その名演に枚挙の暇はないといって過言でないことも確かですけどね。

そしてその中の筆頭が、このビル・エヴァンスのソロ・ピアノによる“愛するポーギー”だといいたいのです。

最も叙情的なジャズの演奏を挙げよといわれれば、「多分この演奏を筆頭に持ってくるでしょう」といいたいぐらいセンシティブな演奏。初めて聴いた時は、涙が出ました。
キース・ジャレットなどと異なりオリジナルの旋律を大事にしながら、独特の和声で彩っていくエヴァンスの手法は、テンポを自由に伸縮しながらまるで魔法のように私の心に入り込んできます。感情にダイレクトに作用するのです。
曲中、テンポが倍になって軽くスゥイングする中間部なども、とても人間の気持ち(愛?)の表現として、ぎこちなさを感じさせても紛れもなく本物であることを伺わせてくれるような演奏・・・。

私はなんかのジャズ専門誌に閉じ込まれていた“完コピ”のピアノ譜を持っていますが、とてもエヴァンスのフィーリングで弾き表せないということで諦めました。
餅は餅屋で『エヴァンス弾く人、私聴く人』を決め込んだ方が、お互いの幸せのためにいいことは明らかですから。(^^)/

ジャズの好さを感覚的にも音楽知識としても完全に自分のものにしたクラシックの作曲家の作品をモチーフに、クラシックの素養を十全に身につけた歴代最高のジャズ・ピアニストが、名門フェスの聴衆を前にしてその霊感が最高潮に高まった瞬間に産み落とされた2度とない名演と言ってしまいましょう。

そういう意味では、「ガーシュウインは単なる曲のメーカーであって、ここにチョイスされるにいたった功績はエヴァンスのものではないか?」という質問も出るでしょう。
その通りなのですが、そのことは不問にしてください。お願いします。(^^)v


★シマノフスキ:ピアノ・ソナタ第3番、マスク、メトープ
                  (演奏:ピョートル・アンデルシェフスキ)

1.仮面 (ピアノのための3篇の詩) 作品34
2.ピアノ・ソナタ第3番 作品36
3.メトープ (ピアノのための3篇の詩) 作品29
                  (2004年録音)

次は、アンデルシェフスキによるシマノフスキのピアノ作品集です。
このピアニストのディスクは国内発売されたものはすべて持っており、多くの感銘を受けるとともに啓発されてもおります。高橋多佳子さんを除けば、私の中ではもっとも国際的なピアニストで旬のヒトではないでしょうか?

それにしてもレコ芸の記事を読んで、初めてシマノフスキの生涯に触れましたが(輸入盤を買うことが多いので私にはライナーノーツ上の情報が少ないのです)、読んだ記事の情報どおりであるとすればスゴイ壮絶なヒトですねぇ。

要するに、現在ではシマノフスキは後年のルトスワフスキなどと並んでショパンに次ぐポーランドを代表する作曲家とされていますが、実は当時のポーランドの楽壇の中にあっては人望ないしは力量を買われてトップに立ってもいますけれど、急進的な改革派だったようなのです。
当時の主流派の感覚ではポーランドらしくなかったということになるんでしょうか?

2頁の特集でとうてい全貌はわかりませんし、情報リテラシー上、真実を確認しようと思えばもっと多くの文献に触れる必要もありましょうが、当時のポーランドの音楽界の旧守派に属する人たちとドンパチする孤軍奮闘ぶりには悲壮感さえ覚えてしまいました。
“ナニが彼をそこまで駆り立てたのか・・・?”

自らの正義に基づく使命感なのか、単に反骨精神なのか、それともバランス感覚を失した思い込みの激しい人だったのか・・・。

記事だけでは分かりませんし調べる気もありません(ここナイショ)が、求道者のような人生の選択をし続けた挙句に、矢折れ刀尽きて、あれ、矢尽き刀折れてだったかな・・・要するに戦いに疲れて亡くなっているのです。
記事だけでは、やりたいことをやって思うように行かなかったとはいえ充実した人生と思っていたのか、失意のどん底で“うらめしや~”状態だったのかは読み切れなかった(多分後者の立場で書いているとは思われましたが)のですが、あらゆる分岐点で厳しい方ばかりというか不利な方ばかりを選んで闘争していたように思われます。
「こりゃ、磨り減るわい」と思って読みましたが、少なからず自分の経歴にも共通したものを感じましたので、反省しなきゃとも思っております。特に、命日が私の誕生日と一緒というところにインネンめいたものを感じてしまった私。

シマノフスキさん、アナタの生き様からいろいろ感じるものがありました、感謝しています。
南無阿弥陀仏、成仏召されよ!

結論は、やはり人生『おきらくごくらく』にすごす部分もなくっちゃね・・・ということで。

蒸し返して恐縮ですが、レコ芸の記事にシマノフスキが亡くなったときに楽壇で仇敵であった旧守派により盛大な葬儀が営まれたという件がありました。
そのように感じられるように記事を書かれているからなのでしょうが、その頃のポーランドの国情が見えるようで空恐ろしいものを感じましたね。もちろん、我が国もその頃といえば第二次大戦に向かってまっしぐら状態だったので、人様の国のことを言えるわけではありませんが・・・。

というのは、ここで盛大に葬ったというからには文字通り“葬った”のでしょう。

大昔の中国の秦の時代に“焚書”が行われたこととか、さらに梅原猛さん流に言えば、聖徳太子一族を抹殺した一派が太子の霊を鎮魂するために法隆寺に閉じ込めて出て来れないようにした(“隠された十字架”より)とか、大国主命の国譲りとは出雲に大社を建てて祀ることで讃えるように見せていながら、実は島流しにしたみたいなものだ(“神々の流懺”より)とかいうことにも通じる、事実上の「あばよ」宣言をしたということなんでしょうから・・・。

さすがに現在の我が国では、たとえ仇敵というべき人が物故した(“ぶっころした”ではない!)時に・・・たとえ心の中でホッとしても・・・しめやかにドンちゃん騒いで葬り去るようなことはないように思います。

そう思う時、アンデルシェフスキが「今でもポーランドは戦慄すべき国」といっているというレコ芸の記事には、少し引っかかるものが有りますね。
ポーランドは、ワルシャワがショパンがその地を出てすぐ陥落して以来、やはりずっと心の傷を負ったままなんでしょうか?
すごく親近感を覚える国であるだけに、真実を知りたいとこの点については思います・・・。

シマノフスキについては、今なおその作品を愛する人によりその作品がこうしてゾンビのように復権しつつある・・・。
それは、やはりシマノフスキの作品そのものに未来永劫の命が宿っていたからに他ならないのではないでしょうか?

とはいえ、かのツィメルマンがシマノフスキの3大名曲と称したうちの2曲(“仮面”と“メトープ”、ちなみにもう一つは“神話”)が収められている、このディスクに接してなお私には今はまだよくその良さがわかりません。
でも、きっといつかはわかる日が来るのではないかと思っています。

後日アップしますが、ポーランドのピアニスト、ベアータ・ビリンスカがそのリサイタルのアンコールで弾いたシマノフスキの作品1のプレリュードのうちの2曲からは、確かにスクリャービンの作品にも似た感興を味わうことが出来たのですから・・・。(^^)v

というわけで、演奏の感想はアンデルシェフスキが、(いろいろ思うところはあるようですが)祖国の音楽として愛してやまない楽曲を心からの共感を持って慈しんで弾いているように思われること、およびピアノの音のソノリティーの美しさ、そして感情に訴えるほどの感覚的な美しさを感じ取る瞬間が多いディスクであるということをご報告することで・・・汲み取ってください。(^^)/


★ラヴェル:ピアノ協奏曲/左手のためのピアノ協奏曲 他
                  (演奏:クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団)

1.ピアノ協奏曲 ト長調       (ピアノ:マルタ・アルゲリッチ)
2.左手のためのピアノ協奏曲 二長調 (ピアノ:ミシェル・ベロフ)
3.バレエ《ジャンヌの扇》のためのファンファーレ
4.古風なメヌエット
5.組曲《クープランの墓》
                  (1984年・1987年録音)

これは私にラヴェルの楽しさ、凄さを教えてくれたディスクです。
多分私がCDを収集し始めた最も早い段階のうちから、私の手許にあったもの・・・。
マルタ・アルゲリッチというピアニストが如何に素晴らしいかを、最初に意識することが出来たディスクだったかもしれません。

アバドとのラヴェルの共演は2度目であり、世評ではショパコン優勝後のデビューしてすぐに録音された1度目のものと人気を二分していたと思います。
もっとも最近では元夫のデュトワとの友情を確認する云々とか言って、3度目のスタジオ録音盤がEMIから発売されており、それもそれで名演ではありますけど・・・。
結局どれも素晴らしいということに間違いありませんが、一枚選べといわれたら私はためらわずにコレです。

1度目のは若さゆえの才気煥発さ、霊感・直感、閃きまくり、感性丸出しの名演といえましょうが、より完成度を求める私としては、2度目のこのアバドとのチャレンジが感覚面は後退したとはいえ、音楽的にも常人の感覚的にもより射程に入れやすい解釈になっているように思います。要するにこなれてきたんでしょう。
3度目のは記念写真ですね。3枚揃うと、なおアルゲリッチの軌跡が捕捉出来るので、偉人伝の裏づけ資料みたいな位置づけで持っているのもいいかもしれませんね。

ラヴェルのピアノ・コンチェルトをこんなにも自分の分身のように弾きこなせる人は、アルゲリッチを措いてそうはいないんじゃないでしょうか?

またベロフの左手も名演だと思います。
このころのベロフは右手が故障していて、私には大半の人が再起を絶望視していたように思われていましたが、ご承知のように更にスケールアップした大家として復帰を果たし、ドビュッシー全集を再録音したり、NHKのピアノ・レッスン番組の講師を務めたりと活躍されているようなのはうれしいことです。

アルゲリッチの強い推薦でこのソリストとして白羽の矢が立ったということのようですが、管弦楽の全曲録音を続けていた指揮者アバドにとっても、故障中である意味失意の底にあったベロフにとっても幸せな結果を招いた録音だったのではないでしょうか?
とくに、曲の終了間際の長大なカデンツァに於けるベロフの集中力ある音楽の運びには、他のピアニストからは聴かれない歌心が聴かれるところなど、私はこのディスクの白眉ではないかと考えています。

アバドはいずれの曲でもCD時代になったことで可能になったダイナミックレンジの幅を最大限に活用するディスク向けの解釈をとりながら、きわめて自然な息遣いで曲を運ぶことが出来るという自分の美点を充分に意識して、ピアニストのサポートに当たっています。

その結果アルゲリッチには色彩豊かに、ベロフには重厚に、これらは曲の要請でもあるのでしょうが、いずれもピタッと決まって据わりのよい演奏となっているのです。

その他の楽曲では、クープランの墓の“フォルラーヌ”“リゴードン”が興味深いですね。
アバドで初めて聴いたためか、楷書体でありながら情感の深さについても他のどの演奏にもひけをとらないように感じられます。
要するに、この演奏のこの呼吸・間合いがスタンダードとして刷り込まれちゃったということなんでしょうね。

数多くのディスクを聞き比べてみましたが、ラヴェルの管弦楽曲を聴くための基本とするのに、今もって最も望ましい演奏であるように思えます。
ホント、ラッキーでありました。

さて、3人の曲を収めたディスクをひととおりご紹介しました。
運動会の玉入れのように、3人とも1日1枚ずつディスクを紹介していって、もっとも長い日数もつのは誰か見届けるのもいいかもしれませんね・・・。

と思いましたが、ラヴェルの圧勝になるのは明らかなのでやめることにします。
ひとりずつ、まとめて紹介するのが正解だと思うからです。(^^)v
もちろん、今日の3名全員についてそのようにするかはまだ決めていませんが・・・。

とにかく次回はシマノフスキの特集としたいと思います。

祝サザエさん 放送1900回

2007年03月21日 00時05分35秒 | トピックス
上記の写真はお台場のフジテレビ本社にある、サザエさんショップです。

3月18日の放送で、サザエさんは1900回を迎えたそうです。記録的な長寿番組なんじゃないでしょうか?

昭和44年から始まったそうですから、私が幼稚園の年長だった頃に始まったということですな・・・。
その私が既に不惑を過ぎて久しいということであるからして、まぁ、タラちゃんよりは大きかったかもしれませんが、ワカメちゃんを抜き、カツオくんを抜きして、いまや主人公より年上という成長ぶり。

小さい頃は欠かさず見てましたねぇ。
私はめざましテレビを見る関係上、フジテレビにチャンネルがあっていることが多いので、日曜日などつけっぱなしにしておくとまる子ちゃんから、サザエさんに自動的に見ることが出来てしまいます。間違いなくホッとすることができる番組なので、映りさえすれば消したり、チャンネルを変えたりすることはないですね。
末永く続いてもらいたいものです。

でも、サザエさんの前後の番組っていくつ変わっていったんだろう?
考えてみれば“いなかっぺ大将”や“ガッチャマン”も今の“ちびまる子ちゃん”の時間枠だったような気がします。

関係有りませんが、その後7:30からのカルピス子供劇場が大好きでした。
“ムーミン”や“フランダースの犬”、“母を訪ねて三千里”など名作が目白押しだったですよね。


さて、1900回を記念してサザエさんでは豪華なゲストが出演されましたね。


私はこの号外記事を新潟駅前で受け取ってからずっと、お守り代わりに書類入れのファイルに入れ持ち歩いています。勇気がもらえますよね。


★ネッスンドルマ
                  (演奏:錦織 健)

1.ネッスンドルマ  ~“トゥーランドット”より
2.泣くな、リュー  ~“トゥーランドット”より
3.カタリ・カタリ
4.オー・ソレ・ミオ
5.マッティナータ
6.帰れソレントヘ
7.踊り
8.なんとすばらしい美人  ~“マノン・レスコー”より
9.さらば愛の家  ~“マダム・バタフライ”より
10.妙なる調和  ~“トスカ”より
11.ネッスンドルマ  ―アンコール―
                  (1994年録音)

荒川選手といえば、プッチーニの“トゥーランドット”ですよね。
荒川選手は、開会式でパバロッティがこの“誰も寝てはならぬ”を歌ったことに運命を感じたと仰っていますが、まあ、この曲は音楽好きであれば誰でも知っているといっていい曲とはいえ、お茶の間に一挙にブレイクした感があります。
荒川選手の影響力はこんなところにも大きな効果を残したといえましょう。

さて、このディスクで素晴らしい歌唱を聞かせてくれている錦織さんはクイーンのフレディマーキュリーがお好きで、歌を志したと伺いました。
彼のよさは場面を噛み砕いてとっても素人にも機微を感じ取りやすく、それも大変にドラマティックに表現してくださるので分かりやすく聴けることだと思います。

オペラというか声楽曲は余り聴きませんが、荒川選手が勝った後に、このディスク(かみさんのものです)を引っ張り出して、勝利の余韻に浸りながら聴いたのを思い出しますな。

サザエさんを見てもう一度聴きたくなったので、この後じっくり堪能することにいたしましょう。
今度留守宅に帰るとき、忘れないようにこのディスクを返しとかなきゃ・・・。



明日からまた出張です。毎度のことであいスミマセンが、先日付で投稿しておきます。

そうそう私は仕事で大勢の人の前で長時間話すことがあるんです。実はあしたの仕事もそうです・・・。
今晩、この歌を覚えて(言葉がわからん!)眠そうにしてる人がいたら、いきなり歌ってやろうかしら・・・。
※3月18日記※

このひとは誰!?

2007年03月20日 00時53分22秒 | その他

   キムチがたくさん・・・・・


あるいは・・・
  
   キムチと、タクあん・・・・・


















彼が女装したと思えるぐらい似てると思うんですが・・・
   
        工藤静香さんも人妻になっちゃいましたもんねぇ~。


















フジテレビに遊びに行ったとき、館内見学コースで写したものです。
     
私本人がビストロ・スマップのセットに腰掛けた写真も有りますが、それはヒミツです。





SMAPファンのかみさんに随分前にこれをやったんですが、しばらく口をきいてくれませんでしたねぇ~。
ウケルと思ったんですけど・・・。

しかし今日はこの記事を書くために、初めて予算を割きました。
ご飯の時に併せて食べてしまえば、元は取れるのでいいですけどネ!


みなさん、もうお判りになりましたよね!
万一これでもわからなかったなら、『一分』考えてみてください・・・。

それでも判らなかったら、いたしかたありません・・・・・諦めてください。
でも誰かに聞けば、判るかもしれませんよ。(^^)v

似非“鳥の歌”

2007年03月19日 00時12分59秒 | その他
★エブリボディ・ディグズ・ビル・エヴァンス
                  (演奏:ビル・エヴァンス)
1.マイノリティ
2.ヤング・アンド・フーリッシュ
3.ラッキー・トゥ・ビー・ミー
4.ナイト・アンド・デイ
5.エピローグ
6.テンダリー
7.ピース・ピース
8.ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ
9.オレオ
10.エピローグ
                  (1958年録音)

前回は“バード・サンクチュアリ”ということで、鳥の種類を観察する方向に話を進めてしまったので、あまりこのブログらしくなかったかもしれません。


しかし、前回記事では3種のディスクの紹介をしたとはいえ、ものすごく久しぶりだなと思い直した私・・・。

なぜかというと、ブログ編集画面の画像ホルダーの写真がひどく多様性を帯びているのに気づいたからです。
ちょっとご説明すると、プログを作成し写真を掲載する場合には、まず写真のイメージをいったんブログを編集する画面の画像ホルダーにアップロードします。gooブログの場合画像ホルダー1頁に直近の15枚が表示されるのですが、その写真の何と多様なこと・・・。

音楽ブログといいながらCDのジャケットの写真がぽつぽつとしかなかったら、やはり考えてしまいますよねぇ。
11月ぐらいは何ページにも渡ってリストの曲が収められたディスクの写真が続いていたわけですから・・・。う~ん、音楽ブログしてたなぁ~・・・。

このところの写真は、花の写真はともかくとして、東京の風景であったり、テレビに折り紙・・・果ては『パン※』まで!!



はい!!
     いま『パン※』に入る言葉はナニを連想されましたか?     正直に思い出してください。

えっ、もしかして・・・まさかネ!?  (^^)/



さてさて、“鳥の歌”といえばまずは若き日の杉田かおるさんの名唱があげられましょうが、それと並んで称されるのが大チェリストにして指揮者のカザルス編になるカタロニア民謡がありますね。
人によっては、この順が逆になる人もいるかもしれませんが、そんなことはこの際大した問題ではないということで・・・。

さて、残念ながらいずれの“鳥の歌”もCDではもちあわせていないので、ここでは代わりのディスクを紹介しようという趣向であります。


ここまで書いたところで既にネタバレを起しているかもしれませんが、選曲のタネあかしをします・・・。

カザルスはスペインのフランコ政権独裁に反対し、「これが解消されるまで(フランコ政権を承認する国での)自身の公の席でのチェロ演奏を封印する」としていたようですが、まず1961年にケネディ大統領の考えに感じホワイトハウスでの演奏会を行い、そのアンコールで自身の編曲した“鳥の歌”を演奏したということのようです。

その10年後1971年に国連の招待演奏において、演奏前に雄弁なジェスチャーを交えて以下の通りの有名なコメントを残しております。その後にやはり“鳥の歌”を演奏し、全ての聴衆をコメントとともに感動させたということらしい・・・。


 “私の国の鳥は“ピース・ピース”と鳴くのです。”


 ♪~  あ~ だから ビル・エヴァンスぅ~  (IQ都道府県ではありません・・・)

このように感動的な話の前では、いささかのスペリングの間違いなど大きな問題ではない!(小泉首相ではありません・・・)

というわけで、ビル・エヴァンス畢竟の名演であるこの“ピース・ピース(Peace Piece)”を収めたこのアルバムには、ジャケットにマイルス・デイヴィスやらアーマッド・ジャマルの賛辞が書いてあることも話題です。
当のエヴァンスは「ウチのお袋のコメントも載せておけば・・・」とコメントしているようですが、これは彼一流の照れ隠しなのでしょう。

そして、この直後にマイルスのコンボに9ヶ月間加わり“カインド・オヴ・ブルー”の制作を含めモード・ジャズを確立していくわけであります。
この演奏と“カインド・オブ・ブルー”でのそれを比べると、いかにエヴァンスが長足の進歩を遂げていた時だったのかが実感として分かります。
エヴァンスが特別変化したわけでないというのであれば、“カインド・オブ・ブルー”があれほどまでに異彩を放つ永遠の名盤となったのは実力者がコラボレートした時の幸福な相乗効果なのでしょうか?
もちろんその最大の功労者のひとりがエヴァンスであることに疑いはなく、マイルス名義の作品でありながら、私などはエヴァンスのほうに圧倒的な存在感を感じてしまいます。

この後、エヴァンスはスコット・ラファロとポール・モチアンというパートナーを見つけて、リヴァーサイド・レーベルの白眉である一連の録音を遺したのであります。

このディスクのジャケットのコメントに戻りますが、そのマイルス・デイヴィスは「エヴァンスはピアノをこう弾かなきゃいけないという風に弾く」と紹介しています。でも、このアルバムの演奏を聴く限り、私にはエヴァンスらしさはまだまだ形成途上だと思われます。
ソロ・ピアノによる演奏であれば、デビュー・アルバムの“マイ・ロマンス”からして唯一無二の個性を顕していたとおり、ここでも“ラッキー・トゥ・ビー・ミー”なんかはこれぞエヴァンスという感じですけどね。

やはりこのアルバムの白眉は“ピース・ピース”であるというのが、衆目の一致したところなのでしょうね。
私もそう思っていますから・・・。

“サム・アザー・タイム”の左手伴奏が延々繰り返されるのに乗って、右手が自由に飛翔していく・・・たぶん半分正気で、半分夢見心地ってな感じでエヴァンスが即興演奏の世界に遊んだ記録なんでしょうね。
後年エヴァンスが「ファンからレコードの通りに弾いてくれというリクエストが多いが、意識してあんな心境になって弾くことなどできないから無理だ」とこぼしているインタヴューを読んだことがあります。
「そりゃそーだ!」と私は納得してしまいました。

このトラックは、たまたまテープが回っていて録音できたというエピソードを聞いたこともありますが、本当にラッキーだったと思います。
逆の例としては、先に出てきたマイルス・デイヴィスは彼のコンボで“ネフェルティティ”を録音したときに、最初のテイクで最高の演奏が出来たと喜んでいたら、録音技師が聞きほれてしまっていてスタートボタンを押してなかったというエピソードがあるらしいし・・・。(^^)/

併せて、この録音はエヴァンスがクラシックの素養を充分に備えていることを如実に示した演奏でもあります。
つまり、左手が終始繰り返しの伴奏で右手が変奏曲のように同じモチーフを自在に展開していく・・・といえば、ショパンの“子守唄”のスタイルそのものでありませんか?
そして音の選び方についてはかねて指摘されるように、ドビュッシーの影響がモロに現われています。
これが“半睡半醒”の状態でこれだけ自在に弾き表せるというのは、やはりエヴァンスの立っている地平にはクラシックの肥沃な土壌があって、そこから新しい音響の世界を求めていったのだな・・・なんてね。

とにかくご存じない方には、ぜひとも一度お聴きになってみてはと申し上げたい曲であります。

★幻想飛行
                  (演奏:ボストン)

1.宇宙のかなたへ
2.ピース・オブ・マイ・マインド
3.フォープレイ/ロング・タイム
4.ロックンロール・バンド
5.スモーキン
6.ヒッチ・ア・ライド
7.サムシング・アバウト・ユー
8.レット・ミー・テイク・ユー・ホーム・トゥナイト
                  (1976年)

ボストンのデビュー・アルバムです。
ここに出てきた理由は、2曲目が“ピース・オブ・マイ・マインド”とピースがらみであるためです。“PEACE”のほうね。

でも、このアルバムを聴いた時(セカンドの“ドント・ルック・バック”も一緒に聴いたんですけど)にはとんでもない衝撃を受けましたですねぇ。
とにかくカッコいいもん!!
マサチューセッツ工科大学卒業で博士号をも持ったトム・ショルツの音を具現化するためのバンドということなんですが、まずギター・オーケストレーションがスゴイ。さらには、トム・ショルツのオルガンもメチャクチャうまい・・・。

完璧主義で恐ろしく長い時間レコーディングに、さらにはミックスダウンに費やすということで、いろいろトラブっていましたね。待てど暮らせど、この次のレコードが出てこないことをずっと残念に思っていましたっけ。
果たしてその後“サード・ステージ”というアルバムが出たら、ファースト・シングルの“アマンダ”があっという間にチャートのナンバーワンになっちゃったんでしたよね。
とにかく、伝説のバンドであることに間違いありません。恐ろしくワン・パターンを貫いたバンドでもありましたけど・・・。
裏を返せば、それだけ最初から完成されていたということでありましょう。

冒頭のナンバー“宇宙の彼方へ”の“モア・ザン・ア・フィーリーング”と歌われるどこまでも伸び行くヴォーカルから、幻想飛行を楽しみつつ最後まで爽快に聴きとおせる一枚であります。

★PIECES OF A DREAM
                  (演奏:ケミストリー)

1.PIECES OF A DREAM
2.TWO
                  (2001年 マキシ・シングル)

今度は“PIECE”のほうネ。これで、“Piece Piece”の完成!! (^^)/ 
この曲を初めて聴いた時には、我が国を代表する新しい男性デュオが誕生したと思ったものです。
もはやこれ以上私がご紹介することはないでしょう。むしろ、この記事をご覧になっているみなさんのほうがお詳しいでしょうから。


★カザルス:ホワイトハウス・コンサート
                  (演奏:パブロ・カザルス、ミエチスラフ・ホルショフスキー、アレクサンダー・シュナイダー)

1.メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49
2.F.クープラン:チェロとピアノのための演奏会用小品より
3.シューマン:アダージョとアレグロ 変イ長調 作品70
4.鳥の歌 ~ カタロニア民謡 (カザルス編)
                   (1961年ライヴ録音)

この記事を書き始めたとき(実は2月)には聞いたことがなかったのですが、たまたま会社の同僚と音楽談義をしたところお持ちでいらっしゃって、お借りできちゃいました。なんとグッド・タイミング! (^^)v
ありがたいことです。エセではなく正真正銘の“鳥の歌”がご紹介できるという意味でもネ。

さて、その演奏ですが驚嘆したことが2つ。
まずはテクニカルな面についてなのですが、アンサンブルが縦・横ともにほつれたり(メンデルスゾーンの第4楽章など)してるような気がしたり、最近の正確さを売り物にした演奏に慣れてしまっているとアレっと思ったりして・・・。
もうひとつは、そんなこと全く関係ないといわんばかりの説得力です。

哀切の情の深さ、演奏に際して呻き声も聞こえるのですが、グールドのそれとは違ってまったく気にならないばかりか、チェロから溢れる憂愁の想いをいや増しているようにも思えてしまうのですからパラドキシカルです。ホントに、伝わってくるものの切実さ、重さは尋常ではありません。

世界情勢の混沌を認識しヒューマニズムを痛切に希求するカザルスのその気持ちが、時間と空間を越えて音盤を通して私にそう語りかけてきているのでしょうか?
いずれにしても想いが伝わるかどうかの境目は、決して技の巧拙だけによるのではなく、結局はその“想い”自体の強さと気高さ・・・なんでしょうね。

この盤の前では、ひたすら頭を垂れてようと思った私なのでした。


《追伸》
でも、メンデルスゾーンの三重奏曲で楽章が終わるごとに拍手が入っているのはなぜだろう?
このころは、楽章が終わるごとに拍手をするのが通例だったんでしょうか?
それとも、聴衆がわきまえてなかったんだろうか・・・。でも、聴衆の中には当時の楽壇の最高峰の方々も名を連ねていたはずなんだけど・・・。
・・・そっか、中には知らない人もいたということ・・・なのかもしれませんネ。

いずれにせよ、そんなこと気にするまでもない演奏内容であることは、先ほど述べたとおりです。
えっ、オマエは気にしてるじゃないかって?

いえ、そんな、決して、メッソーもありません・・・。

バード・サンクチュアリ

2007年03月18日 00時00分01秒 | ピアノ関連
★メシアン:《鳥のカタログ》
                  (演奏:アナトール・ウゴルスキ)
第1巻 第1番:キバシガラス
     第2番:キガシラコウライウグイス
     第3番:イソヒヨドリ
第2巻 第4番:カオグロヒタキ
第3巻 第5番:モリフクロウ
     第6番:モリヒバリ
第4巻 第7番:ヨーロッパヨシキリ
第5巻 第8番:ヒメコウテンシ
     第9番:ヨーロッパウグイス
第6巻 第10番:コシジロイソヒヨドリ
第7巻 第11番:ノスリ
     第12番:クロサバクヒタキ
     第13番:ダイシャクシギ

           ニワムシクイ
                 (1993年録音) 
前回記事で触れたように、代々木公園にはバード・サンクチュアリなるカラスの巣窟、否、都心には珍しい野鳥の楽園がありました。

よく訪れる野鳥につき、看板まで掲示されていたようなので、それに倣って鳥にまつわる曲を収めたディスクをご紹介しようという趣向です。私にしては珍しく、きわめてまともな発想の記事だと考えております。(^^)v

まずは何といっても“鳥のカタログ”ですよねぇ。
代々木公園の看板など比ではないぐらい、多くの鳥たちが紹介されていますね。
このメシアンという作曲家は、日本の軽井沢でも鳥の鳴き声をテープに収録して音化するべく分析研究をしていらしたらしいのですが、やはり経験なクリスチャンが“神の使い”だと鳥のことを思っていた・・・その思いの強さを髣髴させる力作であると思います。

この作曲家の場合には、どこが何の鳥が何をしているところだとストーリーがちゃんと明確になっているようですが(解説に詳しく書いてあります)、私個人としては何の思い込みもなく、とりあえずこの作曲家の楽譜を下敷きにピアニストにより繰り出される音響を受け止めること、敢えて言うなら浴びることを心がけますね。
そうするとメシアンの曲に共感した手練れのピアニストが弾いた演奏であれば、人間くささも志の高さも、もちろん形而上的な要素も感じ取れ、何かしら心の内に信仰心にも似たイメージが浮かぶのを感じます。

全ての事象がとっても抽象的に表現されているのだけれど、感情に訴えてくるところだけはリアルに感じられるのよね。
常にじゃないけど人肌が感じられる瞬間があるのが、他のゲンダイオンガクカと呼ばれる人たちとの決定的な差でありますな。

ウゴルスキは、さすがこの曲にはきわめて強い共感を覚えたと言っているだけあって、手の内に入った素晴らしい演奏ではないかと思います。テレビの実演で本当に陶酔的にこの曲の一部を演奏しているところを見たことがあります。あの姿にうそはないと思いました。
ウゴルスキにとってのエポックメイキングな作品を、万全な準備のもとに細心の注意を払って(楽譜を確認しながら)弾き表していた・・・。
このCDの演奏でも、きっと自身の解釈を何度も確認してメシアンが感じたことをその極めてデリケートな感性で、ピアノのクラルテに託すことに成功した演奏だと思います。

そうはいっても大曲だし、現代音楽としてのソノリティーもふんだんに感じられる楽曲でありますので、人様に大声で一聴をお勧めするようなことはしませんが・・・。

それにしても、冒頭の曲がカラスだなんて、やはりカラスのしたたかさを感じますね。

★ひばりとカッコウ
                  (演奏:ヴァーノン・ハンドリー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団)
   
1.ヴォーン=ウィリアムス:揚げひばり
2.ヴォーン=ウィリアムス:劇音楽「すずめばち」 ~アリストファネスの劇のため
3.ヴォーン=ウィリアムス:プレリュードとフーガ ハ短調
4.ディーリアス:間奏曲 ~歌劇「フェニモアとゲルダ」より
5.春初めてのカッコウを聞いて
6.そりすべり
7.イメルリン前奏曲
8.ラ・カリンダ ~歌劇「コアンガ」より (フェンビー編)
                  (1977年~1985年録音)

ヴォーン=ウィリアムスとディーリアスというカップリングの一枚です。
タイトルが“ひばりとカッコウ”だなんて、まさにバード・サンクチュアリというに相応しいディスクじゃありませんか?

この指揮者もこのテの曲が得意とみえて、何も変わったことはしていないと思いますけれど積極的にツボを押さえた聴かせる演奏になっています。
春の陽を浴びた幸せな楽曲・演奏と言えましょうか・・・。
ディーリアスの管弦楽曲といえば、ビーチャムやバルビローリの演奏が定評のあるところですが、この“ヴァーノン・ハン鳥ー(^^)v”の演奏も最も新しい名演奏と言っても過言でないと思います。

といって、いつもちゃんと聴くというより、ポケッと聞き流すか(殆どのディスクがそうだろう・・・とか勘ぐらないように!)、別の仕事をする時のBGMでかけ流していることが多いのですが・・・。
その意味ではとっても使い勝手があるディスクであります。

★サン=サーンス:チェロ協奏曲 第1番
                  (演奏:スティーヴン・イッサーリス) 
   
1.チェロ協奏曲 第1番 イ短調 作品33 (オケ:マイケル・ティルソン・トーマス指揮 ロンドン交響楽団 )
2.白鳥 ~「動物の謝肉祭」より (ピアノ伴奏:マイケル・ティルソン・トーマス&ダドリー・ムーア)
3.ロマンス 二長調 作品51 (ピアノ:パスカル・ドゥワイヨン)
4.ロマンス ヘ長調 作品36 (ピアノ:パスカル・トゥワイヨン)
5.チェロ・ソナタ 第1番 ハ短調 作品32 (ピアノ:パスカル・ドゥワイヨン)
6.サッフォー風の歌 作品91 (ピアノ:パスカル・ドゥワイヨン)
7.ガヴォット (遺作) (ピアノ:パスカル・ドゥワイヨン)
8.アレグロ・アパッショナート 作品43 (ピアノ:パスカル・ドゥワイヨン)
9.祈り 作品158 (オルガン:フランシス・グリエール)
                  (1992年・1993年録音)

イッサーリスによる、チェロ名曲の定番の演奏であります。
このディスクをチョイスした理由は、数ある“白鳥”のディスクのうちでも元々サン=サーンスが書いたとおりの2台のピアノによる伴奏によるものであるためであります。
作曲者は、もともと私的な演奏会程度を念頭に作曲しており、これを公にするつもりはなかったのだといわれてますよね。
リストがこれは出版すべきだと推したとかいう話・・・。ホントかしら!?
いずれにしても、これが本来の“白鳥”の演奏スタイルであるのは間違いないところであると思います。

しかも、その伴奏ピアニストは1人目がマイケルティルソントーマスであることはともかく、もう一台のピアノは俳優のダドリー・ムーアなんですって!
彼がピアノに堪能であることはつとに有名ですが、こんなところに名前を連ねるなんて、やはり相当の腕前なんでしょうね。小市民の私は、思わずあら捜しのために耳を立てましたが、ごくごく流麗に曲は流れていきます・・・。恐れ入りました。
まあ、曲の説明は無用でしょうし、演奏は可憐にカンタービレなカンティレーナという“か”の3段活用ってことで・・・あとは特に付け加えることはござんせん。
それはそれで、いいことなのかどうかわかりませんが・・・もしかしたら、褒めていないかもしれませんね。

“白鳥”のディスクとして選んだ理由にウソは有りませんが、このディスクを紹介したかった理由はもう一つあります。

それは、最後に“祈り”というオルガン伴奏の1曲があるから・・・です。

もちろん“白鳥”がサン=サーンスの最も有名な作品であり、すこぶるつきの名曲であることに異存は有りません。
作曲者の思い入れの深さがどうだったかは知りませんが、後世の人間にとって、“白鳥”以外のサン=サーンスの作品を知っている人のほうが少ないのではないかと思いません?
逆に“白鳥”を聴いたときに、よしんば作曲者を知らずとも曲まで聴いたことがないという人もまた少ないのではないでしょうか。

私はチェロの荒庸子さんによる“白鳥”の演奏をかぶりつきで聴いた時に、息の長い旋律の半ば、ボウイングする弓の圧力をグッとかけられると、ガッと心をつかまれるような思いがしたのを生々しく覚えています・・・。
名演奏家の手にかかると、心がサイコキネシスで振り回されるような気がするときってしばしばありますよね。まさに、そんな感じだったのです。

こんなに有名で、名演奏にも事欠かない作品であるにも拘らず、私にとってはこの“祈り”が存在するがために、サン=サーンスの最高の作品として認識されていないという事実をお伝えしたかったのです。
簡単に言えば「“祈り”は稀有な名曲ですよ」言いたいだけだったりして・・・。
この静謐で敬虔な空気に満ちた小品、サン=サーンスの人生最期の瞬間にこの世に遺してくれた作品がもっと人口に膾炙したものにならんことを願っています。

ここまで引っぱった理由は、サン=サーンスの“白鳥の歌”だと言えば「鳥の関係の曲になるな!」と思ったためでありますが、私は本当に掛け値なしの名曲であると信じていますですよ。


このほか鳥に関するディスクといえば、以前の記事でご紹介した中にもキーシン・有森さんによる凄く耽美的な楽曲であるグリンカ作曲(バラキレフ編曲)“ひばり”のそれぞれに特徴ある演奏やら、高橋多佳子さんのみならず多くの人の録音があるムソルグスキー“展覧会の絵”の“殻をつけたヒナの踊り”なども挙げられるんでしょうけど・・・。

さらにさらにご紹介したことのない曲では、例えばグラナドスの“ゴィエスカス”に“嘆き、またはマハと夜ウグイス”とか出てくるし、コロラトゥ~ラ・ソプラノの超絶的な曲も鳥がらみのものがあったような気がしないでもありません。これらは、またの機会にご紹介できればと思います。


最後の最後に、私が子供がつまんないことを言ったときなどにあざけって歌う鳥の歌を・・・

 ♬~ しぃらけどぉりぃ とぉんでゆぅく~ みなみのそぉらぁへ みじめ・みじめぇ~~~

(鳥だけに)トンデモでもいい、たくましく育ってほしい! (^^)v

ケツァルコアトゥル

2007年03月17日 00時00分50秒 | JAZZ・FUSION
代々木公園にきています。

噴水を見やるカップル・・・。
羨ましいことに本当に親しそう、楽しそうにお話していましたね。
自分にはあんな頃があったのだろうか?
時々ふとそう思うときがあります。

何を話しているのでしょう・・・?

かみさんとの話題に詰まることの多い私には、「何をそう話すことがあるんだろう?」などと思ってしまうのですが・・・。
ぜひともどんな他愛のない話でもいいから、二人で談笑できる、いや笑えなくてもいいから会話が出来るネタが欲しいものです。
何故かお互い話をすると、「子供の勉強を誰がみる」とか業務連絡みたいになってしまうんです・・・。

そういえば、代々木公園にはこんな像もありました・・・これぐらいのときならいいんだよね、まだまだ。
幼稚園の勉強ぐらいなら楽勝でみてあげられるから・・・。(^^)v
          

しかしまぁ、こんなんでよくもまあ結婚することが出来たもんだ。

といいながら、多かれ少なかれ“結婚”というものはそういうものであるというか、そういう経過を辿るということを聞いてはいるので安心している私。

要するに幸せならいいんです。


と、どうでもいい話は措いて“ケツァルコアトゥル”というのはこの像の題名です。
     

メキシコのフェデリーコ・シルバという方の作になるこの彫刻、台座の説明によると、古代メキシコの文化神“ケツァルコアトゥル”の化身ということなんですが、いったい何だと思いますか?

“羽毛のある蛇”なんだそうです・・・。


羽毛といえば代々木公園には、バードサンクチュアリなんて看板がありました。
   

さまざまな鳥が観察できると絵まで描いてあったけれど・・・確かにツグミとスズメはいましたが、後はカラスしかいませんでしたねぇ。
しかもそのカラスの数が尋常ではない!!
いつヒッチコックの映画状態になってもおかしくないぐらいでした。

自分の名前が載っていない“鳥の名を紹介をした看板”にとまっているカラスと思わずにらめっこになっちゃったりして・・・もちろん人間の意地で撃退しましたよ!(^^)v
思えば、抗議の意志表明だったのかもしれないので、少々可哀そうだったかもしれませんが・・・。


よく見ると看板には“よく訪れる鳥たち”と書いてあるので、いつも居座っている鳥は描いてなくてもおかしくないのか・・・?


いずれにせよヒッチコックの鳥も恐いけど“羽毛のある蛇”も目の前にいたら結構恐いような気がします。
この“ケツァルコアトゥル”という3日後には間違いなく言えないだろう神様も、いろんなサイトを調べたのですがかの国では相当ワケアリな神様のようですね。

そういえばこの写真を撮るときにも、像の上にカラスがいるのを追っ払ってからでした。愛知県一宮市出身の私には、カラスという言葉はどうも好きになれない事情がありまして・・・。仕方ないかもですね。カラスのせいじゃないですけど。

           ミモザの木です。



★星へのきざはし
                  (演奏:ニューヨーク・トリオ)

1.恋人よ我に帰れ
2.星へのきざはし
3.木の葉の子守歌
4.煙が目にしみる
5.アイル・ビー・シーイング・ユー
6.キャント・ヘルプ・ラヴィング・ダット・マン
7.ボディ・アンド・ソウル
8.ザ・マン・アイ・ラヴ
9.スリーピング・ビー
10.星影のステラ
                  (2004年録音)

ディスクの紹介をするのはエラく久しぶりのように思ってしまう私であります。
チョイスした理由は、単に冒頭写真とジャケットが似ているから・・・であります。
シチュエーションが・・・・・・・・・・ね!

結構お気に入りで、一時よく聴いたCDです。

私が思うにニューヨーク・トリオのピアニスト、ビル・チャーラップはヴィーナス・レコードにあって最も普遍的な魅力を持ったピアニストではないでしょうか。
“万人ウケするピアニスト”と言おうと思ったけど、何か語弊があるような気がしたのでそうは言わずにおきますね。(^^)v

高音でころがすフレーズが、ロックのウィスキーの氷が解けてグラスに当たったときのような雰囲気の音に聴こえます。
要するにムード満点ってことね。

そして、どうしてもエヴァンスゆかりのレパートリーが並ぶと聴いちゃうんですよね、私・・・。

モントルー・ジャズ・フェスティバルでの“スリーピング・ビー”、“1958マイルス”の冒頭を飾った“星影のステラ”など私の好きなエヴァンスの名演奏も頭に浮かんできます。

チャーラップとエヴァンスとではぜんぜん演奏の傾向は違うんだけど、同じ曲を演奏するということでどうしても背景に他人の演奏が見え隠れしてしまうのです。
そんなところも「同じ素材をいろいろな人がどう加工するのかが聴く際の一つの醍醐味」であるジャズを聴く楽しさなんですよね!


しかしながら、ヴィーナス・レコードのハイパーマグナム・サウンド・・・。
このエネルギーは相当高い。
受け皿を早く探さないと・・・スピーカーがビビること、ビビルこと・・・折角いい演奏なのに。

ぐっすん・・・(>_<)