★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調
(演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.伝説1 小鳥に語るアシジの聖フランシス
3.伝説2 波を渡るパオラの聖フランシス
4.悲しみのゴンドラ 第1番
5.悲しみのゴンドラ 第2番
(1981年録音)
ブレンデルは私が初めてディスク(LPレコード)で触れたピアニストです。
70年代に彼が2度目にベートーヴェンのソナタ全集を録音したうち3大ソナタ(8番、14番、23番)を抜粋したものでした。
この人も自分の特許取得済みのピアノの音色を持っています。
当初聴いたころより“まろみ”が出てきたというか、わずかな変遷はありますが基本線はもちろん大きく変わろうはずがなく、この音を聴くと今でもホームに帰ってきたという思いがします。
このディスクを手に入れたころは80年代半ば、本格的にクラシックを聴き始めたころでした。その10年前の小学生時分から聴いていたブレンデルのピアノの音は、既に私のDNAに刷り込まれていたと思いますが・・・。
当時のブレンデルは、一連のリスト作品の録音をちょうど終了したころに当たっていたと思います。媒体もLPからCDに劇的に変遷を遂げようとしていた、そんなころ。。。私はまだまだ音のみでなく文字からも多くの情報を仕入れないことには、自分の感じ方が正しいのかどうか、自分の耳が心もとなくて判断できかねる、そんな気持ちでひたすら多くのディスクを聴いていました。
要するにライナーノートが欠かせなかったわけです。
そしてブレンデルの一連のリスト録音のブックレットの解題を読み、リスト弾きの第一人者であるとの認識を持ちました。
そしてこのディスクや巡礼の年などを「この良さが判るようにならなければ人間失格! 成長など覚束ない!!」ぐらいに思い込み、部屋を真っ暗にしてひたすら集中してお坊さんがお経を暗記するように集中して聴き込んだものです。
そんなことをしていた暫く後に、NHKでブレンデルのロ短調ソナタのリサイタルを見て、遂に開眼してしまった次第です。
というわけで、リストのみならずクラシックのピアノ演奏を楽しむためのコツを、まったくの五里霧中の中から手繰り寄せるときのよすがとしたディスクのうちの一枚であり、言い方を換えれば私にとって“教科書”みたいなディスクだということです。
肝心の演奏ですが、ここでは2つの伝説曲についてのみコメントします。
当時滝に打たれて修行する思いで、これらリストの曲をまとめて聴いていた(今と似てるなぁ~)のですが、例えば“巡礼の年”中の“オーベルマンの谷”のよさはあまり良くわからなかったのですが、この2曲とエステ荘の噴水だけは実に耳に心地よかったし、ピアノが表現の幅が広く雄弁な楽器であることを実感できた初めての楽曲でした。
特にアシジの聖フランシスのほうは、息を殺して耳を傾けるうちに“ピアニスティック”というものがどういうものか、単語ではなく実感として理解できた演奏だということができます。
パオラの聖フランシスは、主題の旋律が涙が出そうなほどヒロイックであること、波のしぶきを表現していると思われる左手の駆け回る動き、こんなに弾ける人はほとんどいないに違いないと思いました。
当時の私の世界には輸入盤が存在しなかったので、このブレンデル盤がCDのカタログ上唯一だったと思います。
後になって、これを録音してる人がわんさかいることを知ったのですが。ブレンデルほど伝説を客観的に語って聞かせてくれている人は、やっぱり稀ですね。
初めて聴き込んだピアニストがブレンデルだったことは、おおらかで親しげに語りかけてくるといったタイプでもなく、コケオドシというタイプでもなく、極めてオーソドックスである故に、いろんなディスクの特徴を冷静に判断できる素地を作ってもらえたという点でよくよくラッキーだったなぁ、と折りに触れて思っています。
ブレンデルには心からの感謝を捧げたいと思います。
★変奏曲集
(演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 ニ長調 K.573
2.メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 ニ短調 作品54
3.リスト:バッハの主題による変奏曲
4.ブラームス:主題と変奏曲
(1989年録音)
知性派と言われるブレンデルが、変奏曲に造詣が深いのは当然であると思います。
真摯というよりも“くそ真面目”に近いものがあるブレンデルの態度からは、上に述べたとおりオーソドックスな奏楽が聴かれますが、聴く側の態度としてはやはり曲にある程度精通しており、ブレンデルの演奏の聴き所のポイントを外さないための訓練を経ていないと、これを楽しむという境地にはなかなかたどり着けないものではないでしょうか。
モーツァルトの出だしが極めて晴朗であることに耳を引かれる以外は、このディスクも心行くまでブレンデルしています。
テーマのリストの“バッハの主題による変奏曲”はもちろん、ディスク全般に普遍的な魅力がある、よく聴けば味わい深い演奏と言っておきましょう。
ちなみにこの曲はホロヴィッツがその生涯の最後に遺した曲ですね。
それぞれに演奏のコンセプトというか、何のために演奏するのかの意味合いが違っているのが聴き取れて興味深いです。
ホロヴィッツが自分を曲に投影させているのに対して、ブレンデルはあくまでも客観的に曲のあるべき姿をひたすら求めて、それを具現化しようとしているように思われます。
もちろんこの落ち着いた威厳に触れた私には「この曲はこのように演奏されるために作曲されたのだ」と言われれば、ニコッと微笑んで「そうですね」と言うだけの準備があります。
しかしまぁ、このジャケットの写真ときたら。。。
だらしなく居眠りしてるところから、お行儀よく座っているところまでを4段階に分けて撮影していますが、もちろん“変奏曲”のディスクだからなんでしょうね。
ものすごく頭が良くユーモアの持ち主と呼ばれる方が、なまじ「皆に判るように」などと気を遣ってサービスしてくれちゃったりすると、とんでもなくハズす結果になるという典型でしょうなぁ。。。
このことは演奏の価値には一切関係ありません!!!
★ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
(演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
2.リスト:王の御旗
3.リスト:スルスム・コルダ(心を高めよ) ~「巡礼の年:第3年」より
4.リスト:夕べの鐘 ~「クリスマス・ツリー」より
5.リスト:祈り ~「詩的で宗教的な調べ」より
(1985年・1986年録音)
ブレンデルのロシアものってこれが唯一無二ではなかろうか?
独墺系の曲に特化したレパートリーに拘ることを決意した以降のブレンデルが放った、唯一の“禁じ手”ともいうべきディスクがこれですが、ブレンデル品質は保証されているものの“いまいち”と言うかあんまり楽しいと思えません。
今や“展覧会の絵”なら高橋多佳子だよねというのが、私にとっての常識です。
まぁ、ここまで思い入れが強くなってしまうと自分でも「フェアじゃない」とわかっていますので、多佳子さんは別枠にして考えないといけないかもですね。
でも、やはりピアニストが「展覧会の絵」という曲を演奏するのであれば展覧会に絵が飾ってあることを客観的に表現するのではなく、その絵を通して得た感興を演奏を通じて表現してほしいですね。
その点では、いうまでもなく多佳子さんの演奏のほうに軍配が上がると断言できます。
要するにコンセプトの違いですね。
私が求めているこの曲のコンセプトには、はるかに多佳子さんの演奏のほうが近いということです。
そうは言ってもブレンデルは私の最初のお師匠さんですから、ツボにはまればDNAに刷り込まれたその音色でブレンデル・ワールドへ拉致されてしまうこと請け合いです。
ベートーヴェンのバガテル集なんか最高ですよ!
ところでフィルアップにリストが4曲。
余程聴きこんだ人でないと知らないだろう曲が収録されています。
一聴してブレンデルのリストへのこだわりと、熱い思いが伝わってくることを痛感します。
ただどうしてもブレンデルさん、ラスト曲で迫力いっぱいに“祈る”ときにも客観的に(知性的に)抑制を効かせまくっています。
この演奏は、はっきり言って詩的でも宗教的でもない。
音色・強弱・フレージングで全てを表現しようとしているために、ある種の窮屈さを感じることは否めません。ピアニストもそれは十二分に判っているとは思うのですが、響きの向こうに何かを託すという解釈は取らず、客観的事実を怜悧に描きつくそうとしているように思えるのです。
いつもはそんなことを感じないのですが、まぁ仕方ありません。
それこそがブレンデル、それでこそブレンデルなのでしょうから。
“展覧会の絵”とカップリングするということで、曲や演奏内容をいつもの独墺系の曲の演奏要領とすこし変えているのかしら・・・。
そういえば“夕べの鐘”なんて曲集「クリスマス・ツリー」のうちの一曲だから、あたしゃ未だにクリスマスを引きずってるんですねぇ。(^^)v
いよいよ新しい年を待つばかりになってきました。
この特集、今年中に終えられないと120周年が狂ってしまうんだ・・・。
今気づきましたが、ムリっぽくない・・・?
とにかく、ちゃんと段取りしなくっちゃ。(汗)
(演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.伝説1 小鳥に語るアシジの聖フランシス
3.伝説2 波を渡るパオラの聖フランシス
4.悲しみのゴンドラ 第1番
5.悲しみのゴンドラ 第2番
(1981年録音)
ブレンデルは私が初めてディスク(LPレコード)で触れたピアニストです。
70年代に彼が2度目にベートーヴェンのソナタ全集を録音したうち3大ソナタ(8番、14番、23番)を抜粋したものでした。
この人も自分の特許取得済みのピアノの音色を持っています。
当初聴いたころより“まろみ”が出てきたというか、わずかな変遷はありますが基本線はもちろん大きく変わろうはずがなく、この音を聴くと今でもホームに帰ってきたという思いがします。
このディスクを手に入れたころは80年代半ば、本格的にクラシックを聴き始めたころでした。その10年前の小学生時分から聴いていたブレンデルのピアノの音は、既に私のDNAに刷り込まれていたと思いますが・・・。
当時のブレンデルは、一連のリスト作品の録音をちょうど終了したころに当たっていたと思います。媒体もLPからCDに劇的に変遷を遂げようとしていた、そんなころ。。。私はまだまだ音のみでなく文字からも多くの情報を仕入れないことには、自分の感じ方が正しいのかどうか、自分の耳が心もとなくて判断できかねる、そんな気持ちでひたすら多くのディスクを聴いていました。
要するにライナーノートが欠かせなかったわけです。
そしてブレンデルの一連のリスト録音のブックレットの解題を読み、リスト弾きの第一人者であるとの認識を持ちました。
そしてこのディスクや巡礼の年などを「この良さが判るようにならなければ人間失格! 成長など覚束ない!!」ぐらいに思い込み、部屋を真っ暗にしてひたすら集中してお坊さんがお経を暗記するように集中して聴き込んだものです。
そんなことをしていた暫く後に、NHKでブレンデルのロ短調ソナタのリサイタルを見て、遂に開眼してしまった次第です。
というわけで、リストのみならずクラシックのピアノ演奏を楽しむためのコツを、まったくの五里霧中の中から手繰り寄せるときのよすがとしたディスクのうちの一枚であり、言い方を換えれば私にとって“教科書”みたいなディスクだということです。
肝心の演奏ですが、ここでは2つの伝説曲についてのみコメントします。
当時滝に打たれて修行する思いで、これらリストの曲をまとめて聴いていた(今と似てるなぁ~)のですが、例えば“巡礼の年”中の“オーベルマンの谷”のよさはあまり良くわからなかったのですが、この2曲とエステ荘の噴水だけは実に耳に心地よかったし、ピアノが表現の幅が広く雄弁な楽器であることを実感できた初めての楽曲でした。
特にアシジの聖フランシスのほうは、息を殺して耳を傾けるうちに“ピアニスティック”というものがどういうものか、単語ではなく実感として理解できた演奏だということができます。
パオラの聖フランシスは、主題の旋律が涙が出そうなほどヒロイックであること、波のしぶきを表現していると思われる左手の駆け回る動き、こんなに弾ける人はほとんどいないに違いないと思いました。
当時の私の世界には輸入盤が存在しなかったので、このブレンデル盤がCDのカタログ上唯一だったと思います。
後になって、これを録音してる人がわんさかいることを知ったのですが。ブレンデルほど伝説を客観的に語って聞かせてくれている人は、やっぱり稀ですね。
初めて聴き込んだピアニストがブレンデルだったことは、おおらかで親しげに語りかけてくるといったタイプでもなく、コケオドシというタイプでもなく、極めてオーソドックスである故に、いろんなディスクの特徴を冷静に判断できる素地を作ってもらえたという点でよくよくラッキーだったなぁ、と折りに触れて思っています。
ブレンデルには心からの感謝を捧げたいと思います。
★変奏曲集
(演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 ニ長調 K.573
2.メンデルスゾーン:厳格な変奏曲 ニ短調 作品54
3.リスト:バッハの主題による変奏曲
4.ブラームス:主題と変奏曲
(1989年録音)
知性派と言われるブレンデルが、変奏曲に造詣が深いのは当然であると思います。
真摯というよりも“くそ真面目”に近いものがあるブレンデルの態度からは、上に述べたとおりオーソドックスな奏楽が聴かれますが、聴く側の態度としてはやはり曲にある程度精通しており、ブレンデルの演奏の聴き所のポイントを外さないための訓練を経ていないと、これを楽しむという境地にはなかなかたどり着けないものではないでしょうか。
モーツァルトの出だしが極めて晴朗であることに耳を引かれる以外は、このディスクも心行くまでブレンデルしています。
テーマのリストの“バッハの主題による変奏曲”はもちろん、ディスク全般に普遍的な魅力がある、よく聴けば味わい深い演奏と言っておきましょう。
ちなみにこの曲はホロヴィッツがその生涯の最後に遺した曲ですね。
それぞれに演奏のコンセプトというか、何のために演奏するのかの意味合いが違っているのが聴き取れて興味深いです。
ホロヴィッツが自分を曲に投影させているのに対して、ブレンデルはあくまでも客観的に曲のあるべき姿をひたすら求めて、それを具現化しようとしているように思われます。
もちろんこの落ち着いた威厳に触れた私には「この曲はこのように演奏されるために作曲されたのだ」と言われれば、ニコッと微笑んで「そうですね」と言うだけの準備があります。
しかしまぁ、このジャケットの写真ときたら。。。
だらしなく居眠りしてるところから、お行儀よく座っているところまでを4段階に分けて撮影していますが、もちろん“変奏曲”のディスクだからなんでしょうね。
ものすごく頭が良くユーモアの持ち主と呼ばれる方が、なまじ「皆に判るように」などと気を遣ってサービスしてくれちゃったりすると、とんでもなくハズす結果になるという典型でしょうなぁ。。。
このことは演奏の価値には一切関係ありません!!!
★ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
(演奏:アルフレッド・ブレンデル)
1.ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
2.リスト:王の御旗
3.リスト:スルスム・コルダ(心を高めよ) ~「巡礼の年:第3年」より
4.リスト:夕べの鐘 ~「クリスマス・ツリー」より
5.リスト:祈り ~「詩的で宗教的な調べ」より
(1985年・1986年録音)
ブレンデルのロシアものってこれが唯一無二ではなかろうか?
独墺系の曲に特化したレパートリーに拘ることを決意した以降のブレンデルが放った、唯一の“禁じ手”ともいうべきディスクがこれですが、ブレンデル品質は保証されているものの“いまいち”と言うかあんまり楽しいと思えません。
今や“展覧会の絵”なら高橋多佳子だよねというのが、私にとっての常識です。
まぁ、ここまで思い入れが強くなってしまうと自分でも「フェアじゃない」とわかっていますので、多佳子さんは別枠にして考えないといけないかもですね。
でも、やはりピアニストが「展覧会の絵」という曲を演奏するのであれば展覧会に絵が飾ってあることを客観的に表現するのではなく、その絵を通して得た感興を演奏を通じて表現してほしいですね。
その点では、いうまでもなく多佳子さんの演奏のほうに軍配が上がると断言できます。
要するにコンセプトの違いですね。
私が求めているこの曲のコンセプトには、はるかに多佳子さんの演奏のほうが近いということです。
そうは言ってもブレンデルは私の最初のお師匠さんですから、ツボにはまればDNAに刷り込まれたその音色でブレンデル・ワールドへ拉致されてしまうこと請け合いです。
ベートーヴェンのバガテル集なんか最高ですよ!
ところでフィルアップにリストが4曲。
余程聴きこんだ人でないと知らないだろう曲が収録されています。
一聴してブレンデルのリストへのこだわりと、熱い思いが伝わってくることを痛感します。
ただどうしてもブレンデルさん、ラスト曲で迫力いっぱいに“祈る”ときにも客観的に(知性的に)抑制を効かせまくっています。
この演奏は、はっきり言って詩的でも宗教的でもない。
音色・強弱・フレージングで全てを表現しようとしているために、ある種の窮屈さを感じることは否めません。ピアニストもそれは十二分に判っているとは思うのですが、響きの向こうに何かを託すという解釈は取らず、客観的事実を怜悧に描きつくそうとしているように思えるのです。
いつもはそんなことを感じないのですが、まぁ仕方ありません。
それこそがブレンデル、それでこそブレンデルなのでしょうから。
“展覧会の絵”とカップリングするということで、曲や演奏内容をいつもの独墺系の曲の演奏要領とすこし変えているのかしら・・・。
そういえば“夕べの鐘”なんて曲集「クリスマス・ツリー」のうちの一曲だから、あたしゃ未だにクリスマスを引きずってるんですねぇ。(^^)v
いよいよ新しい年を待つばかりになってきました。
この特集、今年中に終えられないと120周年が狂ってしまうんだ・・・。
今気づきましたが、ムリっぽくない・・・?
とにかく、ちゃんと段取りしなくっちゃ。(汗)