SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
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リスト没後120年特集 (その11 ロ短調ソナタ編8)

2006年12月08日 22時57分29秒 | ピアノ関連
★リスト・ピアノ・ソナタ/愛の夢/他
                  (演奏:ホルヘ・ボレット)
1.ピアノ・ソナタ ロ短調  S.178
2.ヴァルス・アンプロンプチュ S.213(即興的円舞曲)
3.愛の夢 ―3つの夜想曲 S.541
4.半音階的大ガロップ S.219
                  (1982年録音 ベヒシュタイン・モデルEN―280使用)

“ロ短調ソナタ編”、しんがりは鬼籍に入ってしまわれたこの方々から。

ボレットは19世紀のグランド・マナーを身につけた最後のヴィルトゥオーゾなどと呼ばれておりましたが、主にベヒシュタインを使って非常にスケールが大きく懐も深い、かといってあんまり深刻にならないとても聴きやすいピアニストでした。そのように肩がこらないとはいえ、超本格派であるところがまた凄い!!
晩年にリスト作品集をまとめて録音し多くの著名な作品が遺されましたが、企画としては他にも予定があったとのこと。まぁ、これだけでも録音できててよかったと思うしかありませんけれども。
ちなみにこの“ロ短調ソナタ”が初演されたときハンス・フォン・ビューローが弾いたピアノこそ、開業2年目のベヒシュタイン製のピアノであったそうであります。

さて、私のようにクラシック音楽の専門教育を受けていないものからすると、昨今の演奏家は、“楽譜至上”というか“楽譜の奴隷”のように見えてしまうことがあります。
もとよりそれを否定や非難しているわけではありませんが、次に紹介するボレットの発言など今時どのように受け入れられるのであろうかと、非常に興味深く思っていたりします。

曰く、(意訳です)
リストはとても多忙だった。リストの作品にリスト以上に長く接することができている私には、リストが何を言おうとしているのかが分かる。だから、彼が慌てていたため書き漏らしてしまった音などを足して弾いてあげるのだ。

ボレットは楽譜に対して時として大胆に振舞うことがあります。先の話のように和音に音を足すことはもちろん、削ってしまうこともあるようです。
“ロ短調ソナタ”中でも私が気がつくだけでも何箇所か、他のディスクにない和音の構成音が増えていると気付くところがあります。
また、最後の和音が3回鳴るはずのところが2回しか鳴りません。
その合理的な理由はわかりませんが。。。シロートには結構どうでもいいことです。

このような彼の演奏からはとてもおおらかで気品にあふれた、やや語弊があるかもしれませんがメロウな“ロ短調ソナタ”を聴くことができます。
(でも、スピード感に乗っているし、弛緩した演奏ではありません。)
聴くたびに優雅で楽しい気分を味わうことが出来るため、私には大変に好ましいものに思えます。
そんな風に意図的に楽譜に手を加えることを不遜と見るか、愛着とみるか。。。
今の風潮だと、問題外・論評に値せずという感じになりはしないかと思ってしまうのですが。。。
とにかく、この曲をこんなに安心して聴かせてくれてしまう彼のテクニックが、凄すぎるぐらいに凄いからこそ気にならないのではないでしょうか?
文字通り他にはない、かけがえのない演奏であります。 

フィルアップの“愛の夢”も、インティメートでロマンチックさに気品があって大好き(!)です。
殊に第3番。。。
この曲の中間部のクライマックスなど音符足しまくり(♪)で凄くファンタスティックですよ。
音符を足した効果につき、ここならきっと誰が聴いても納得いただけると思います。

★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.メフィスト・ワルツ第1番
3.愛の夢 第3番
4.ウィリアムテルの礼拝堂:巡礼の年 第1年 スイスより
                  (1989年録音)

故クラウディオ・アラウもリストを得意としたピアニストです。
フィリプスで録れたリストの集大成のセットも持っていますが、そこには1970年録音の“ロ短調ソナタ”が入っています。
そこではまさにバリバリの演奏が聴かれますが、ここでのアラウは枯れています。
実は、ヘタしたらこの演奏はクラウディオ・アラウのものだからありがたいだけなのではないか、私には残念ながらそんなふうに思えてしまうものです。
確かに世の批評家の方が仰るように、“音楽の本質のみが鳴っている”とか言われればそのとおりかもしれません。威厳も確かに感じられます。
しかし、やっぱりこの曲にはノー・エクスキューズで聴いたらばもう少し運動性能があったほうがよいのではないでしょうか。
その意味では旧の演奏のほうが、アラウの闊達にして味わい深い演奏が楽しめるように思われます。
当盤では、最後の“ウィリアムテルの礼拝堂”の荘重さが出色であり、ここにこそアラウの志の高さや気高さが自然に現れ出でているのではないかと思われます。

なお、この企画自体の冒頭で紹介した小品集のすばらしさは、ここでももう一度アラウの功績として言及しておきたいと思います。
やはり、この点からもアラウの最盛期は50年代から70年代にかけてではないか?
晩年、ようやく我が国でも真価が認められた大巨匠ではありますが、少なくとも技巧的に指がもつれそうな楽曲の演奏については、それ以前が旬だった。。。そう思われます。
“ロ短調ソナタ”新盤も含め、晩年の演奏は凄いのではなく“尊い”といったほうが私にはぴんと来ます。
こんどはアラウ特集をしようかな!

★リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調 / 演奏会用パラフレーズ / オーベルマンの谷
                  (演奏:エマニュエル・アックス)

1.ピアノ・ソナタ ロ短調
2.演奏会用パラフレーズ
3.オーベルマンの谷 巡礼の年 第1年 スイス より

アックスって、本当はとてつもなく凄いピアニストだと思うのです。
ヨーヨー・マとかとの室内楽の伴奏の名手っていうイメージがありますが、このリストの“ロ短調ソナタ”なんて一瞬も弛緩することなく聴かせきってしまうその力量たるや。。。
スケール・迫力・構成力ともに申し分なく、中庸の解釈といえると思いますが平凡でない!
とにかく、揺ぎ無い安定感のうちに堰を切ったように走り抜けるかと思えば、旋律をスタッカート・テヌートを駆使して強調してみたり、この効果のためにペダルを使うのだといわんばかりの模範的なよく分かる演奏。

ただ最後のクライマックスでは、高音を連打するところもインテンポで駆け抜けてしまう。。。
他の人はみんなそこで2度見得を切ってから上り詰めていくのになんでだろう?
その後の盛り上がりは迫力満点で申し分ありませんけれど。
それでもこの人で聞くと、宴会の中締めで安易な3本締めではなく、十分に盛り上げたうえで1本締めを決めたのだと感じられる、そんな説得力をもっているところがまたスゴイ。
余白の3曲もとっても味わい深くてステキなディスクです。