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SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

知知夫神社

2007年04月17日 00時00分04秒 | 思い出
冒頭のタイトルは間違いじゃありませんよ。当然一般的には“秩父神社”が正しいのはわかっていますが、肝心のこのお社にこのように書かれているのですから・・・。

旧くの縁起をみても、そこには“知知夫神社”とあるらしいということで、敢えてそのように表記したものです。
決して字数稼ぎではありませんですよ。(^^)/

それにしても、2000年ぐらい前からという物凄く古い歴史を持ったお宮さんだなあと感じ入ってしまいました。
その後、妙見信仰と合わさって独特の文化を持った関東有数の神社となり、江戸時代には徳川家などとも近しい関係の神社となったなど、私にとってはとっても興味深いところでした。

そうとは知らずに、秩父三社(あとの2つは宝登山神社、三峯神社)のひとつがあるようだから、歩数稼ぎに足を伸ばそうぐらいの軽い気持ちで参詣した私。
立て看板に書かれている縁起を読んだり、建物の彫刻・装飾を眺めている間に優に1時間あまり経ってしまいました。

なかでも貴重と思われるのがこの彫刻・・・。
          

『つなぎの龍』と書いてある立て札を見たときには、「龍がつなぎを着ているのか? ダウンタウン・ブギウギ・バンドか?」などとまた突拍子もないことを考えたものですが、よく見ると龍が鎖でつながれているので『つなぎの龍』だということのようです。

鎖でつながれているこの竜は、もしかしたら哭いているのかもしれません。
でも「兄さん、背中が煤けてるぜ・・・」などと言ったという記録はないようです。

などとくだらないことを言って神罰を食らうといけないのでこれくらいにしますが、名工“左甚五郎”の手になるといわれるこの彫刻、その昔、近所の池だか沼だかで竜の目撃情報があった後にこの像の下に水が滴っていたため鎖で繋いだら、その後龍は現われなくなったという言い伝えがあるそうです。

やっぱり龍は哭いているのかもしれませんね。今、像の下が濡れているのだとしたらそれは龍の涙によるものなのでしょう。
誰ですか!? 龍の像に向かって「背中が煤けてるぜ」なんて言っているのは!!


今一点、左甚五郎作の名品(だと思う)があります。
     

『子宝 子育ての虎』像であります。
狩野派の流儀として複数の虎の絵を描くときは、一頭を豹にするならわしがあるということでこうなっているそうです。
ならわしというのには理由があるとは思いますが、描く対象を変えてしまうとは随分ダイタンな慣習だなぁと思った次第です。
画題のテーマはとっても神社に相応しいもので、古今東西最高の名声を誇る名工の作なので素晴らしいものを見せていただいたという気持ちにはなりましたけどね。

そうそう、この彫刻は正面に飾られており参拝するときにちょうど左上方に見えました。
随分装飾を眺めた後ではありますが、ちゃんとお参りもしましたですよ。(^^)v


この先ご紹介するのは、像が小さかったり、逆光になって携帯のカメラでは収められなかったので、わかりやすく表示されていた大きな絵馬型の説明書きを掲載します。
もちろんこの他に、詳細な解説プレートがその場にあったのはいうまでもありません。
               

実はこの神殿、東側に青龍があるのはいいとして、普通は南に朱雀、西に白虎、北に玄武がくるものですが・・・。

北側は“北辰の梟(フクロウ)”でした。まあ、他にもいっぱい動物の像はあって解説がついていたのがたまたまフクロウだっただけかもしれませんけどね。
この梟は、体は建物内のご神体のほうを向いて、首から上だけ180度反転し外敵を見張っているのだそうです。
広く物事を知ろうとしていることから、学業のお守りになっているんでしょうかねぇ・・・。
というわけで、フクロウの絵があしらわれたお守りを子供用に買っちゃいました。
「オマエが1番勉強が必要なのではないか!」という声が出ることも十分想定されますが、私は最早大学を卒業して久しいからいいのです・・・・・・。

なお、先の『子育ての虎』は南側の壁になります。そういえば日光東照宮にも『眠り猫』なる左甚五郎作の名作彫刻がありましたが、こちらは2つありますモンねぇ。世界遺産より勝ってるんじゃないですか?・・・・・・などと唐突に話題を変えて、次ぎ行きましょう。


さて、その日光東照宮の『見ざる 言わざる 聞かざる』の三猿にタメを張るようにこのようなお猿さんの像もありました。
     

西側の壁を飾るのは、よく見、聞き、話そうという『お元気三猿』であります。
神社の解説にも徳川家に所縁の東照宮と好対照を成して興味深いというような文句がありましたが、コミュニケーション不足が叫ばれる今の時代、よく見てよく聞いてよく話そうという『お元気三猿』のほうがマッチしているのではないかという見識には恐れ入りました。
そのとおりだと思いますです。

同じく西側の壁にはこのようなかたの像もありました・・・。
     

通玄仙人とは唐の時代の実在の人物だそうです。
白い馬に乗っていたそうですが、休憩のときは馬を小さな瓢箪に入れていたということらしいです。要するに瓢箪が車庫代わりということでしょうか?
瓢箪から駒の語源となる逸話ですけどねぇ・・・考えてみると随分お茶目なというか親しみやすい装飾でいっぱいですね。
実際の彫刻はさすがに年代を感じさせるものでしたが、この絵だけ見ると(彫刻にそっくりですよ)、ファンキーなリズムを感じますねぇ~、私なんか。

てなわけで、久しぶりに建物を隅々まで観察してしまいました。
いろんな部分を見るにつけ、昔の人の想像力というか発想には本当に畏れ入ります。私を含めて、かつて出来なかった身の回りのことどもがテクノロジーの進歩で出来るようになった代わりに、魂やら心、考え方の自由な飛翔というべきものがまったく失われてしまったような気がします。

コンプライアンスなどという考え方そのものが、それを端的に証明しているようにも思われます。コンプライアンスはルールを遵守することでいいことのように思われていますが、そして今の世では必要ないいことなのでしょうが、どうしても私にはピンとこないところがあるのです。
旧来からある礼節とはわきまえて自発的にするものであり、コンプライアンスにはどんなに言葉で巧みに表現しようとも強制感というか悲壮感がある・・・。
なにやら古のロシアのKGB的な発想のような気がしてならないのです。しょうがないから守ってるけど。

ちなみにテクノロジーの進歩で運動不足になって減量を余儀なくされている私が採っている手段を、テクテクノロジーといいます。(^^)/


さて、秩父神社を後にしてさらに歩いていたところ“今宮神社”というこれも旧い縁起を誇るお宮さんがあり参拝してきました。
     

もちろんこれはお社ではなくて、境内のど真ん中に鎮座している“駒つなぎのケヤキ”であります。
ここの縁起には役行者(えんのぎょうじゃ)が出てくるなど、この近辺はすこぶる霊験あらたかなところらしいですな。

このケヤキを近くで見るとこんな感じです。
             

龍神木と呼ばれる由来の説明には、なんと平成の御世になってから宮司さんが世にも珍しい神様の奇跡を目の当たりにされたということが記されていました。

 いいですねぇ~。(^^)v

世の中まだ捨てたモンじゃないですね。
テクノロジーも大事だけれど、テクテクノロジーを忘れると人間生きていけないように、1000年前にあれだけ記録に残っている神仏の奇跡が今まったくないというのは寂しい限りですもんね。

こうして13000歩余り、芝桜に続いて神様のお陰でいろいろ仕事やらなんやらはさっぱりと忘れて、自分自身のために考えを巡らしながら歩くことが出来たこと自体が、そのご利益に他ならないのではないか・・・そう思っています。
いい一日でした。


ちなみに帰り際にこのような像も発見しました。
     

まこと秩父は奥が深い!! (^^)v

太陽の塔はメタボ?

2007年04月10日 00時00分00秒 | 思い出
タイトルに関しては上の写真を見てみなさんがどう思われるかにかかっています。
メタボの私はご同病であると感じておりますが、太陽の塔自身や岡本太郎さんがどう思ってらっしゃるかはわかりません。

かく言う私は、そのメタボやBMI改善のためたゆまぬ努力を継続しておりますが、万歩計の歩数を増やすために出張中の空き時間を利用して万博公園に行ったわけであります。
太陽の塔は昭和45年以来0歩ですからねぇ・・・と歩数自慢をしても、相手が悪いかもしれませんね。

ちなみに太陽の塔のデータを少々・・・。(万博記念公園土産の「チーズ蒸しケーキ」の記載の転載です。)
 ◆高さ       :70m
 ◆基底部の直径 :20m
 ◆腕の長さ    :25m
 ◆構造       :本体鉄骨コンクリート、スプレースコッタ吹き付け、ボンタイル仕上げ
 ◆正面の顔    :直径20m、FRP成形
 ◆頂部黄金の顔 :直径11m、鉄骨下地鉄板溶接、スコッチカル フィルム貼り
 ◆黄金の顔の目 :両眼3.6kw クセノン投光器
 ◆背後の黒い顔 :黒色陶判4丁掛け (背後の緑の炎ガラス・モザイク貼り)
なんだそうです。

今日は万博公園を訪れたときの日記を遅ればせながらアップします。


まずは、万博公園の入口であります。
 

万博公園と標した石の横で、桜およびハナカイドウが最高の見ごろを迎えていました。
       

ハナカイドウのアップです。どうですか?本当に見た目に鮮やかに映える花で立派でした。
            

その脇の売店の横に、このようにキレイにアヤメが咲いているのも見逃しませんでしたよ。
    

カキツバタとかイチハツだったりして・・・。私に言わせれば全部同じようなもんだから・・・。違ってたら、またご指摘お願いしますね。

花といえば当然この時分は桜の盛りでありまして、ここでも桜まつりが開催されていましたねぇ。
              

そして園内にはこのように素晴らしく咲き誇った桜の樹が、太陽の塔の周りや塔の奥の通り沿いに立ち並び目を楽しませてくれました。
       

そして、自然文化園の入口ゲートをくぐって目前に見えるのはご存知“太陽の塔”。
             

「芸術は爆発だ!」の岡本太郎さんの作品であるのは皆さんご承知のことと思います。
この“太陽の塔”を後ろから見るとこんな模様だったってご存知でした!?
足元を満開の桜の花で飾られた太陽の塔が見られたのも、いいときに行ったもんだと喜んでおります。
   

こころなしか子供の好きなポケモンの、ラティオス・ラティアスやらカイオーガに似ているような気もしないでもない・・・。
無論どちらが似せているのかについてはいうまでもないですけど。別にそんなつもりはないのかなぁ~?

桜まつりと言うことで、角度を変えて花を背負わせてみました。
        

樹木から頭が出ていることから、改めて大きさが伺えますね。
ところで、岡本太郎さんが亡くなった後にタモリさんが言っていた逸話がどうしても忘れられません。
   

どんな話かというと、ある日タモリさんが岡本さんが三角巾で腕を吊っておられるのをみてどうされたのかを尋ねたんだそうです。
すると岡本さんの答は、ワインを何本かを持っているときに自分がワインを持ったまま転倒してビンが割れ、ワインをだめにしてしまうイメージが脳裏に浮かんだということらしいのです。
そんな岡本さんがどうされたかというと、ワインが割れてはもったいないからワインを脇に置いて、手ぶらの状態になってから自分から転倒してひっくり返ったら腕を痛めた・・・ということらしいのですが・・・。
ほんとかよって感じですが、あながち作り話とも思われないのが、岡本さんの岡本さんたる所以。
スゴイかたでした・・・。

梅園やお茶畑を抜けたところに休憩所が有り、こんな水車の風景も見られました。
      

そして、その付近には現代彫刻の数々が・・・。
            

これ“ケツァルコアトゥル”という題の作品です。
そう、代々木公園に同じタイトルの作品がありましたね。メキシコの神様で羽毛のある蛇の象徴でした。けっこうメジャーな題材だったんですね。

数々の作品が満開の桜を背負って映えていましたよ。
また、桜ばかりではなくていろんな花が万博公園を彩っていました。
     

これは水仙の畠から奥に桜の花を臨む図であります。
そしてチューリップの祭も、私が訪れたのは4日だったのですが5日から開催されることになっていたようですね。
   

赤・黄色・白・紫(ピンク)の花や蕾が、スタンバッてました。
整然とチューリップが並んでいる様は、それだけでもとても目に鮮やかだったのですが、背景に桜の花をあしらったり、角度によっては太陽の塔が視界に入ってみたりとどうやって写真を撮ろうか迷ってしまうほどでした。

ここまでの写真をご覧になってずっと天気に恵まれたように思われているかもしれませんが、実はこの直前に夕立に見舞われてこのとき私は濡れ鼠だったのであります。
          

でも、おかげさまで曇(大雨)の最中のまったく同じシチュエーションの写真と、2周目の晴れた写真の2種があって思い出としてはさらにいっぱい詰まったことと、万歩計がここ1ケ月計り始めて最長不倒の16,000歩に登ったことでメタボ解消の目的にはいい効果があったと認められるので、私はとても気分がよいと思うことにしているのです。
帰り際熱っぽかったし、そう信じ込むにはちょっとムリがあるとは思うけど・・・。

最後の1枚は、入口にあった胸像の写真を・・・。
        

知っている人は知っているだろうが、知らない人はご存じないだろう石坂泰三翁であります。

第一生命・東芝の社長を歴任し、わが国が高度経済成長を遂げている間、永年にわたって経団連会長を務め“財界総理”と謳われたかたです。ちょうど先般亡くなった城山三郎さんの著書『もう、きみには頼まない』のモデルですね。
私もこの方の生き方に触れていろいろ感じるものがあったのですが、一言で言って『漢』ですね。

GHQがらみだと、先般ちょっとだけ触れた白洲次郎さんもマッカーサーと筋を通してやりあったという溜飲の下がる話がありますが、彼とは違い生粋の財界人という立場でこの時代を代表する好漢であったことに間違いはなさそうです。

なぜここにそんなかたの胸像があるのかというと、もちろん日本万国博会長だったから・・・。(^^)v
人選に難航し、80歳を目前にして乞われて就任されたそうですが、終わってみれば「万博の成功は石坂泰三なしにはありえなかった」とまで言われているようで、あっぱれ・さすがの御仁であります。

何がいいたいかというと、この方から経団連会長のことを“財界総理”というようになりそれはずっと継承されているのですが・・・。
誰とは言いませんが、現在の“財界総理”の品格には問題があるのではないかと内心思っています。
渦中の朝日新聞はともかく、実際多くのジャーナリストから私が感じているような指摘がなされているようでもありますしね。

この記事の内容としては、極めて不適当かつまったく蛇足ではありますが・・・。

何だこりゃ!?

2007年04月08日 00時26分45秒 | 思い出
これも出張で行ったところなのですが・・・。さて・・・駅前広場の端っこみたいなところに、こんなものがある・・・。
どこだか分かりますか?


面妖なり大阪! ここは御堂筋線の千里中央駅です。
転勤で来たハナは、だいたい馴染んだ東京についても「面妖なりTOKIO」と言っていたので、私にとっては慣れない土地ははじめはみんな面妖に思えるのでしょう。(^^)/

もしかしてこれは、地球に刺さった導火線で、火をつけたら「たまやぁ~」みたいに地球が吹っ飛んでしまうようになってるんでしょうか?


実はこれは『千里地層形成物語』という芸術作品(?)だったようです。
確かにこの写真の角度から見ると、そのように見えなくもないわけでもないわけでもないわけでもないわけでもないわけでも・・・・・∞・・・ないと思えなくもありませんかもね。

新幹線の新大阪駅にある千成瓢箪の置物です。


大阪に行くのは何年ぶりか覚えていないぐらいでしたが、久しぶりに行って聞きしに勝る薄味さ加減に驚いたものです。
というのは、お好み焼き屋に入ってねぎと牛筋が入ったお好み焼きを頼んだら、ふかふかの見るからに美味そうな(実際美味かった)お好み焼きが出てきて、ねぎ入りのお好み焼きにはこのタレをとわざわざ持って来てくれたのですが、それをどれだけかけても私に言わせれば味がしない・・・。

結局、辛口ソースなるものをかけて青海苔をかけて、かつお節を山盛りかけていただいたのですが、さすが食い倒れの大阪!
食感がたまらなく上品で美味しかったです。近々また行くので、こんどは最初からソースをかけて食べよっと。

ところで、先の地下鉄の駅にこんな写真が・・・。


関西方面のかたには何ら珍しくもないポスターかもしれませんが、それ以外の地域の人にとっては結構インパクトのあるものであるように思いますよ。

 へたりこまざる・・って!?

どんなシチュエーションでどんなかたが、電車内でへたりこむんでしょうか?
私が知っている地域、最近では主に関東と新潟では、具合が悪くて倒れちゃった人を見たことはありますが、へたりこんでる人を見た記憶はありません。

関西には・・・・・・・・・・いらっしゃるんですか!? 
教育勅語に「夫婦相和し・・・」とあるのが当時も夫婦喧嘩があったことを示しているように、こんな標語が貼られているようではやっぱりあるんでしょうねぇ。

だとすればやはり“面妖なり大阪”といわざるを得ませんねぇ。(^^)/
それとも関西ではへたりこむという言葉自体、関東と意味が違うんでしょうか?
でも、絵を見る限り違うとは思えないけどなぁ・・・。

とにかく、電車の車内ではへたりこまないようにしましょうね。

宝登山を登ったときに感じたこと

2007年02月25日 00時50分44秒 | 思い出
宝登山に登ったのは2月3日のこと・・・。えらい昔のことのように思えますねぇ。

そりゃ、今月はそれから今までの間に出張が2度、長岡の留守宅にも2度帰ったし長野の戸狩にスキーまで行っている!
考えてみりゃ、すごくハードにあっち行ったり、こっち行ったりしてるわけですね。他人事みたいに言ってるけど・・・。

「ギターやらなんやら楽器にほとんどさわっていないなぁ~」なぞと今も弦を緩めたままの“SJ-200”を見ながら、「ちょいと練習せんとあかんな・・・」などと考えております。
とはいえ、公私ともにそれなりに充実しているようにも思えるので、とてもありがたい状態であると思わなければウソでしょうな。

その宝登山の記事を書いたときは“狼狽づくしで蝋梅を見ることになった”というオチありきで文章を構成したので、達成感などのキモチも多少は織り込みはしたものの、続編で触れようと思っていた“想い”を残してありました。
もう少しでオクラになるところだったなぁ~と思いますが、礒さんのコンサートの記事の露払いにちょっとだけ書き残しておきたいと思います。

まず冒頭の写真は、宝登山のほぼ山頂にある宝登山神社奥社です。

その昔、日本武尊がこの山に入り、山火事に苦しんでいるところを白犬・黒犬に助けられ頂上に着いたとたん犬がいなくなっていたという故事があるそうです。
そのときに日本武尊がこの山を「火止山(ほどやま)」と名づけ、神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと=神武天皇)・大山祇神(おおやまづみのかみ)・火産霊神(ほむすびのかみ)の三社を祀ったという縁起があるようです。

こうして興った宝登山神社に“宝珠の玉が光り輝きながら山上に飛翔する”という神変が起こったときに、山の名と神社の名が“宝登山”に改められたということらしいですね。

要するに、まがいなりにも日本武尊の歩いた足跡を自分の足で踏みしめて上がったということが後から分かって、さらに充実した達成感が味わえて嬉しかったということであります。(^^)v


さて、次の写真は登る途中に“よしの平”と書いてあった立看板がある付近から見た絶景です。


写真にすると周りが切り取られてしまうのでどうしても限界があるのですが、とても美しい景色でした。

ここには整地をしつつあるスペースがあったので、この景色を道中休息しながら眺められるような屋根つきの休憩コーナーでもできるのでしょう。

そのことはどうでもいいのですが、これは歩いたから見える景色・・・。
さらには歩きだからこそ、立ち止まって堪能できる景色であるということ。

ロープウエイからは、確かに歩きでは見えないところの景色まで見えるのでしょうが・・・

立ち止まれない!

一般的な話として、お上であるお役人、政治家、会社の経営陣の人たちなどはロープウエイ式でしかものを見ていないのではないでしょうか?
もちろん彼らの境遇からすると、いざコトが進んでいくときには立ち止まってはならない局面が多いのは承知しています。

でも大半(それこそ99%以上?)の下々を歩いている市民や末端の事情をよく知らない新入職員の見ている世界と違うところで政策や方針が決まっていくように思われてなりません。
政局なんて見ていると、登りと下りのロープウェイがすれ違ったときにドンパチやっているだけのような気がする。

それをヘリコプターでマスコミがワーワー報道しているようにも思えるのが、また重ねて腹立たしい・・・。

世論という地対空弾で全部まとめて撃ち落してやりたいと思うようなことが少なくないのは、私だけでしょうか?

要するに、我が国のリーダーたるエライ人にも大多数の国民に目線を合わせてほしいということです。
別に私の横を歩いて登ってくれと思っているわけではないけれど、登る道筋で同じ思いを共有してくれないかなと・・・。

ロープウエイの上と下で、美しい国の見え方も違うと思いますよ。

と、またイランコトを書き連ねてしまいました。

何はともあれ、そうして登って拝んだ蝋梅の花たちはやはり格別でしたね。


ここにご紹介しているのはそれなりに写りのいいものですが、やはり携帯では限界がありますな。
でも、このブログでは身の回りのことを自分で撮ったスナップショットを基本に紹介していくつもりですから・・・いささか不自由なことがあっても、それを工夫で乗り越えるような作りにしたいと思っています。

少し前の記事がウソのように、殊勝なもの言いだなぁ~。いいぞいいぞ!!!

西武秩父駅のペインティング

2007年02月24日 20時43分44秒 | 思い出
こういうブログを毎日書くようになって、身の回りのものがやたら新鮮に思えるようになってきました。
いろいろここで吐出しているから心に隙間が出来て、今まで飽和状態で入らなかった類のものも目に映るようになってきたのかもしれません。

気になったものは全てケータイで写真を撮っているので、結構記事にならない写真がたまってしまっています。
放っておくのももったいないというより精神衛生上よくないので、記事として紹介できない写真などは記事の合間にこうして垂れ流して行きたいと思います。

基本的に見ればわかるというものについては、この記事でのように写真のみ陳列していきます。

自分自身の記録としても有意義(なんてったってブログは日記として使っている人もいるぐらいですからね)だし、もしご覧になった方がプチ旅行気分でも感じていただければ望外の喜びです。


この記事でご紹介しているのは、西武鉄道の西武秩父駅の仲見世通りにある壁画(?)です。
ビール会社・清涼飲料会社が提供しているもののようです。
先日は仲見世通りのこの絵の前を通って秩父鉄道の“おはなばたけ”駅に乗換えました。
絵のせいではありませんが見とれて写真を撮っていたために、おはなばたけ駅の電車に間に合うようにとダッシュする羽目になりました。


晩年のラヴェルは交通事故の後遺症と言われていますが、頭の中にあることを整理して表現することができなくなり、泣き崩れたといわれています。
そんな彼と違って、今こうして気軽に発表できる環境にある自分は幸せものだと思います。

一応音楽ブログなので、ラヴェルなどと言ってみました。
書きたいことも、紹介したい写真もいっぱいあります。
もしよろしければ、これからもお付き合いくださいな。(^^)v

戸狩スキー場にて(その4)

2007年02月21日 00時00分01秒 | 思い出
戸狩スキー場での2日目は、前日の快晴とは一転して雪。
山の高い方ではときには吹雪でした。

こういう日のスキー場の楽しみは、幻想的な雰囲気もありますよね。
冒頭写真はかみさんと一緒にペアリフトに乗ったという、非日常の幻想的なシチュエーションで撮影したものです。
考えるだけでクラクラしちゃいますね。(・。・)

なんか一昔前、さかんに環境音楽などといっていたころのレコードジャケットにこんな図柄のものがいっぱいあったような気がします。
ウィンダム・ヒルとかね・・・。想い出しません?

これはゲレンデの連絡路である林道を、ノルディックというかクロスカントリー状態でえっちらおっちら登っているときに撮影したもの。


あのときは、なんでこんなところに迷い込んじゃったんだと思ってたけど、後からみたらこんなステキな景色だったとはね。


前日の下界を一面に見渡す絶景と、こんな真冬の厳しくも美しい景色の両方を楽しめるとは、とてもラッキーでしたね。
これも私の日ごろの行いがよいからでありましょう。(^^)v


※18日より出張のため21日深夜まで更新ができなくなります。
 したがいまして記事だけ先に投稿しております。ご了解ください。

戸狩スキー場にて(その3)

2007年02月20日 00時00分01秒 | 思い出
今年は暖冬であります。
まっとうに雪をご覧になったことのないかたも多いかと思いますので、戸狩スキー場の景色でもご覧くださいませ。

今回の記事は、2月10日の晴れた景色。次の記事は11日の雪の戸狩です。

まずは麓の旅館がある方向から見た戸狩スキー場です。

続いては、同スキー場のペガサスゲレンデ中腹から谷間の町の向こう側にある野沢温泉(スキー場)を臨む景色です。


こうして写真にしちゃうと何か曇っているような感じがしてしまうのですが、実は陽光差すとても明るい雰囲気の中で撮影しています。
それは晴れた日にスキー場へ実際に行っていただいて体感していただく、ということで・・・。
ともあれ、スキー場からの景色の雰囲気を感じていただけましたでしょうか?(●^o^●)

さてさて、前の記事で板の話はしましたがウェアの話がまだでしたね。(^o^)丿


別にムリに紹介する必要もないのですが・・・余白を埋める意味で書きますと、今着ているコレは社会人になってから3着目のものです。

最初は入社した年に(昭和61年)白のツナギタイプを手に入れました。
そして平成元年に長野に転勤になったとき、スキーに頻繁に行けるようになった関係で(着れるけれども)“ちょっとキツくなったからヤだな”ということで黒のレーサータイプのもの(これもワンピース)を購入しました。

ところでこの選択は大正解でして、このころスキー場にせっせと通った遺産で今何とか子供に対してカッコ付けてみようというほどに滑ることができているのだと思います。
ちょっとツッパった、若者らしいスキー・ルックだったと思いますし、気合入れて滑らないとサマにならない格好でもあったために、大胆なすべりを常に意識していましたから自分で言うのもなんですが、運動神経が鈍い割にはウマくなりました。

そういえば前回記事の黒いダイナスターの板にした決め手のひとつに、このウェアに合わせるためだったということもありましたねぇ~。
とにかく当時の冬は真剣にスキーに取り組んだことを覚えています。
嗚呼青春万歳\(~o~)/。

後先になりますが、入社時の私の体重は54kg、長野に移ったころは60余kgだったのですね。
今振り返ると、身長170cmの私にとってはこのころがベスト体重であったことが分かります。
この黒のツナギが今でも着れるのであれば、メタボなどということはありえないんすけどね。
今、苦労して減量してやっと70kg台まで戻したということで、・・・黒のツナギがどうなったかはご想像いただけると思いますけど・・・。

そう、結婚してしばらく後に長崎から島根の瑞穂スキー場(今は名前が変わっているかも)へ行った際“着れる”ではなく、はち“切れる”ことになってしまいました。
レーサースタイルでがんがん攻める滑りをしていた訳で、そのときにも相当のスピードを出していたわけですが、初心者の女性が目の前に急に飛び出してきたのを必死の思いで避けたとき・・・
(>_<)

なんというか、当時の言葉で表すと「ハニー・フラッシュ」状態というか、今だと仮面ライダーカブトの「キャスト・オフ」状態というか、袖・胴回り・肩・その他全ての縫い目という縫い目が一挙に“パン”と弾けて、黒い表面の生地がズタズタになってしまった・・・。

その女性も「ごめんなさい」と言いながら吹きだす始末で、あーみっともない!!

そして否応なく今のものに買い替えることになった訳です。
結婚してからは小市民らしく過ごしておりましたので、ブランド志向で“エレッセ”の当時の最先端だったこのデザインを迷わず選びました。
平成6年ごろかな~。

吹雪の場合などでも視認性が高く、仲間は私を目印にして集まってきたりするので重宝しています。
要するに私が仲間内を先導したりもするのですが、後ろから付いてきた女の子から、ゲレンデでの私のことを“赤いドラえもん”などと呼ばれたりするのはちょっと・・・びみょ~。。。

ところで今でもゲレンデに行くと、けっこうな確率で同じウエアの“おとうさん”を目にします・・・。
ことスキーに関しては同じような経歴を経ているんだろうなぁ~と、お互い一瞬だけ目があったりするときに感じます。
先方もきっとそうだと思いますが・・・。(^^)/

体型が似てたりすると、そんな思いがいや増しますね。。。

ところでスキーパンツは白なんですが、ずいぶん新しかったりします。

  ♬~ なんでだろぉ~???

戸狩スキー場にて(その2)

2007年02月19日 00時00分01秒 | 思い出
本邦、初公開!! 家族です。
私は写真を撮っているので写っておりません。

先頭がかみさんで、だいだい色が次男、そして長男、一番後ろが長女です。

5年前の冬、福島県のスキー場で、私の不注意によりそり遊びで次男を大けがさせてしまいました。
さすがに一時は雪遊びを怖がるようになってしまったため、非常に申し訳ない思いに苛まれておりましたが、こうして初級の林間コースとはいえ家族そろって滑れるようになったということが嬉しくてたまりません。
・・・からこうして書いちゃうわけですが。(^^)v

初日は天気がよかったのでやや水気を含んだ重い雪となっており、これなら崖下に落っこちることもなかろうと、子供の実力がわからないなりにもリフトに乗せて林道コースに連れて行くことができました。
結果は心配することないぐらいでして、ボーゲンでうまくコントロールできていましたけどね。
ホント、(うちの子に限らず)子供は物覚えが早い。
“すぐかなわなくなるんだろうなぁ”と思わされました。ありがたいことです。

そんなこんなで子供にいいところ見せようとカッコつけて、ターンを高速で踏み替えたりしているうちに足腰がついていかず、みんなが見ている前で10年ぶりぐらいの大転倒をしてしまいました。
すると、すかさずトシなんだからと言ってくるヤツがいる・・・。

さて、これが私の板です。


平成元年に長野県に転勤になって翌年に買ったものです。それも3年前のモデルを半値以下で・・・。(^^ゞ

ダイナスターの“Fusion HZ”というモデルですが、このモデルの特徴はエッジの工夫にあります。
大きくシュプールを描くときと、コブ斜面などで細かく踏みかえる必要があるときで板を左右逆にすると対応しやすくなるそうなのですが・・・。
きちんと実践している割には、実感が余りないのは私の技術力のせいなんだろうか?

考えようによっては子供よりはるかに長い付き合いの板ですけど、私の毎年の体重の推移を最も身をもって感じている道具なのかもしれません。

ストックは“オガサカ”です。
この板を買ったころ私たちのスキー仲間内でのトレンドは、まず“オガサカ”、そして“ニシザワ”って感じだったですねぇ。
“ロシニョール”とかは何故か私のスキーの師匠連中にはウケが悪かった。使ってもいないのになぜそう言い張るのか不思議でしたが・・・。

で、ダイナスターの板を買った私は、なぜそのようなものを選んだかを尋問されるハメになり、“それでは”とストックだけ“オガサカ”にしたのでありました。
これも安くなってたからなのですが・・・。

個人的にはさんざん刷り込まれちゃってるので、“オガサカ”の板を使ってみたい思いはありますが、ダイナスターで何の不便もないもんで・・・。
愛着もあるしねぇ・・・。

サロモンのブーツとビンディングにしても、そこまで買うならイキップだろうとかチロリアのほうがいいとか、ご親切な仲間内でした。

実はこの仲間はゴルフ(もう今はしませんが・・・)の師匠筋でもあり、コースに出てからもやれスタンスが、アウトサイド・インがどうとか・・・。
その結果がどうなったかはお察しいただいたとおりであります。
まぁ、よくある話かもですね。
よく面倒を見ていただいて感謝してはいるつもりですが・・・。びみょ~。。。

★流線型’80
                  (演奏:松任谷 由実)


NM(ニューミュージック)世代の私にとって、ユーミンはやはりカリスマの一人です。
強烈に信仰しちゃってるわけではないですが、どうしても避けて通れないというか避けようがないアーティストですよね。

オンタイムの感覚でいくと“ノー・サイド”ぐらいまでのアルバムは全てがエポック・メイキングなバイブルといっていいような重みがある作品じゃあないでしょうか?
昨今のユーミンもとてもオシャレだし品質はきわめて高いけれど、カリスマを聴くというイメージではなくなっちゃいました。
でも、こんなに息ながく第一線で活動するということは、驚くべきことですよね。

そんなユーミンですが、私にとっての最高傑作は文句なくコレです。

ここでご紹介する理由はもちろん一曲目の“ロッヂで待つクリスマス”ですけど、これこそがFMのエアチェックを通じて、“やさしさにつつまれたなら”とともにユーミンに邂逅したきっかけの曲であります。

それはNHKの“昼の歌謡曲”っていう番組でしたけどね・・・。今でもあるんでしょうか?
当時、週ごとにジャンルを一にしたアーティストの日替わり特集してました。
この番組をタイマーでカセットテープに録音したことで、どれだけ多くの楽曲に触れることができたか・・・。
なつかしゅ~おますのぉ。。。

今のほうが便利になっているかもしれませんが、当時のほうが手間ヒマかけても多くの情報を手に入れようと努力していましたねぇ。もとより学生で、家族も背負ってなければ、責任ある仕事してるわけでもなかったからこそできた訳ではありますが・・・。
そうはいってもオールナイト・ニッポンを聞いたりとかしてたわけだし、ヴァイタリティーあったよなぁ~。
これでは「どっちなんぢゃ、われェ!!」って感じですね。(^^)/

彼女の楽曲の最高峰は“埠頭を渡る風”で決まりでしょう。
カラオケによく行っていたころは、歌ってましたね。ユーミンと同じ高さで。ファルセットも出たし。最後の“ららら~”もハモってみたり、曲の仕掛けという面でもとても面白い曲です。

ユーミンの声もともすればクセっぽくて(特徴的ですよね!)気になりかねない声質なのに、妙にイメージにハマるんですよね。
これは明らかに後天的なものだと思います。つまり、ユーミンのステキな歌を聴くときには必然的にこの声で流れてくるので、気に障るはずの声でも脳が許しちゃうようになってしまっている・・・それほどにスゴいパワーを持った楽曲であるっていうことです。
ハイ・ファイ・セットなどが美しい声でユーミンを歌うのもそれはそれで素晴らしいのですが、ユーミンの声でないと醸し出せない雰囲気というか“空気”があるのも確か。
星の数ほどいる歌い手の中で、こんな芸当ができた女性はあと山口百恵さんと、カレン・カーペンターぐらいではないでしょうか。

これだけ永い間、ましてや現役でがんばっているのだから、私ならユーミン(の声)を“重要無形文化財”に指定しちゃいますけどねぇ。
とにかく彼女の声は、もはや“文化”であります!

来生たかおとのデュエット“コルベット1954”とか、シングルカット(懐かしい言葉ぢゃ!)された“入り江の午後3時”なんてのも名曲だし。

高校生ぐらいのとき、こんなオトナ(三十路になる前までぐらい)になれるかななどと夢見てたのに・・・今や不惑を越えてメタボのおじさんというのは・・・。
歳月は人を待たず、コーイン矢の如し!!

久しぶりに音楽ブログにしたんですが・・・。
なんて寂しい終わりかたなの!! (T_T)/~~~

戸狩スキー場にて(その1)

2007年02月18日 00時00分01秒 | 思い出
2月10日と11日に、ウチの家族とかみさんの妹さんのご家族と一緒の戸狩スキー場へ行って来ました。
当方は長岡からなので2時間半くらいで行けちゃうのですが、妹さん一家は我がふるさと愛知県からということで結構大変だったようです。

何はともあれスキー場でこんなかわいい雪だるまとかまくらを見つけました。
どなたが作られたのかわかりませんがゲレンデのど真ん中に作られていて、思わず写真を撮ってしまいました。
いかがですか? とってもいい味が出ていると思われませんか?

しばらく後にはなくなっていたので無邪気なこどもさんか、“こころ”か“技術”のいずれかがないスキーヤーによって蹴散らされてしまったのかもしれません。
記録できてラッキーだったなと・・・。


さてさてこれは長男なのですが、何を持っていると思います?


実は“トカゲ”です。

宿に荷物を置いて、「さあ午後から滑りに行こう!!」ってなわけで子供を先に表に送り出しておいたら、庭先にいたのを捕まえていました。

しかしねぇ~、暖冬っていっても山岳スキー場のお膝もとでトカゲとはねぇ~。
まだ2月でっせ。啓蟄だって3月6日でしょ? このときは春一番もまだでした。

でもおかげさまで雪はちゃんとありました。
ブッシュはちょっと出てたけど・・・。
10日は天気がよかったのでなにより・・・、と思うことにして。
スキー場のようすは後続の記事に委ねたいと思います。


そういえば飯山市を抜けてスキー場に行く途上、このようなモニュメント(?)を見つけました。


この“まねきねこ”だか”モアイ像”だか“宇宙人のドラえもん”だかわからない雪像は、雪のかけらひとつない芝生の上に鎮座ましましておりました。
宇宙からの来訪者をひたすらまっているように、中空を凝視して・・・。
このときはウルトラマンで似たような境遇の怪獣がいたよなぁ~、などと思っていただけでしたが。

昼間、“雪祭り会場”と銘打たれた学校の校庭みたいなところで、演説台からスロープ状に5㎡ぐらいありったけの雪をかき集めました・・・というような周りに村の衆(?)が集まっているのをみました。
話している人もよく見えなかったし、内容もよく聞かなかったのですが、私が1番感じたのは“悲壮感”。
除雪の悩みがまったくない中での雪祭りになるとは、飯山市じゃないみたいですよねぇ。
それでも整斉とイヴェントが行われたのには敬意さえ覚えてしまいました。

他人事ながら“みんなたいへんだなぁ~”と思っておりましたが、驚くなかれ翌日11日は待望の雪。
それも山頂近くのゲレンデでは吹雪っていうほどに・・・まさにみんなの執念ですね!!
2日ともまったく違ったコンディションによるスキーが楽しめましたです。

ネコモアイ像恐るべし。霊験あらたかなことよ。(^^)v

ただトカゲ君の消息が心配・・・。やはり早起きはするもんじゃ・・・。

宝登山で観た花たちによせて

2007年02月06日 00時06分17秒 | 思い出
宝登山はほとんど年中何がしかの花が、目を楽しませてくれると地元のオジサンに言われました。

もちろん私も訪れてみて存分に楽しむことが出来ましたので、3種類ほどご紹介をしておきたいと思います。

まず、冒頭写真の福寿草です。

梅園の脇にひっそりと、でも可憐に咲いているさまには、いまどきメインで咲き誇っている蝋梅とはまたちがった趣を感じました。
私にはむしろこっちのほうが親しみが持てるようにも思ったぐらい・・・。
本来ならばもう少し雪が残っている中でお目見えするのかもしれません。

判官贔屓かもしれませんが、明らかにタンポポとは違いますね。
日本古来のタンポポの色とは近しいようにも思えますが、特に西洋タンポポとは花をつけるたたずまいが違います。たとえロゼッタのように地面にへばりついて開花したんだとしても、どうしても私にとっては福寿草のほうが凛々しく意義深い花という結論になってしまいます。


そして次は現在の主役の蝋梅です。


蝋梅園には3種類の蝋梅があるとのことですが、違いは私にはわかりませんでした。
目の前にある今を盛りと咲き誇る花々の生気に、思わず頬が緩みます。
群生しているかのよう植えられているため、芳しいにおいが芳香剤のように漂い、上品さをさらに強調していました。

蝋梅というのは花弁が蝋細工のように見えることからその名があるという説が主流のようですが、まさにそのとおり。
中国原産の樹木とのことですが、それもまさにそんな雰囲気を湛えた木であります。

アジア発祥・蝋・いい香りというと、

“青空の下のアロマテラピーやぁ~~~”   by.アラマロ


そして蝋梅の後の主役はといえば、梅です。


紅梅はぽつぽつと花をつけておりましたが、白梅はまだ極めて少ししか咲いていません。

拙者の携帯電話のカメラは“接写”ができないので・・・。(お約束)
ボケちゃうんです。

でも他のつぼみに先んじて一輪だけこのようにしゃんと咲いている風情は健気で好きです。
開花した梅の花をお伝えするのであればもう少し適当な写真もありましたが、あえてこの一枚をご紹介させていただきます。

みな蝋梅園の蝋梅をこぞって愛でている間に、誰も見ていないところできちんと咲いている姿、福寿草にせよこの白梅にせよ、そんなものをこそどうしようもなくいとおしんでやりたいという思い・・・。

天邪鬼にも通じるのでしょうが、私のこういった考え方の傾向はどうしても変わらなさそうです。

もちろんいまのこの時期にここぞとばかり一生懸命咲いている蝋梅にもそんな気持ちを抱かないわけではないですけど・・・。(^^)v

最後に音楽ブログなので歌をご紹介します。
“古文の授業”で禁止の文法「な~そ」の例として習ったものですが・・・

  ♪~ 東風吹かば 匂い起せよ 梅の花
               主なしとて 春な忘れそ

同じサイクルで淡々と時を刻む自然はエライ・・・いよいよ春間近、ですね!!

ロウバイづくし

2007年02月04日 00時37分18秒 | 思い出
今日は朝からいい天気・・・。
当初仕事の予定が入っていたけれど、キャンセルになったというめでたい日でもありました。

思い立って外出をしようと決めました。
しばらく前から気になっていた埼玉秩父は“宝登山(ほどさん)”に行ってみようと!
宝の山に登るっていい名前でしょ!
あらかじめ言っておきますと、冒頭写真は宝登山の頂上付近からの景色です。

外出に先立って、昨年秋に“紅葉を見に御岳渓谷に行こうと思ったとき大失敗をやらかした”歯がゆい経験をよい教訓とするべく、PCで(手段は失敗時と同じだけど)十全な情報収集をしました。

降車駅は“長瀞駅(ながとろえき)”か・・・。
長野県佐久市にも長土呂って地名があるから、間違いないか確かめないとな。
もっともあそこにはバス停はあっても駅はないけどな・・・。
などと、ひとり合点しながら準備は完了。
いでたちも山に行くということでスタジャンを着て防寒対策、ズボンもGパンで万全ねっと・・・。
今回こそは決して狼狽するなどということのないようにと、心に誓ったのでした。

さて、やってきました西武新宿線の最寄駅。
出社とは別方向への電車になるので切符販売機へ・・・。

あれ、長瀞駅がない!!

すでに《狼狽第1号》を放つ私。「はや!」って感じですね!
えっ、そんなカワイイモンじゃないって・・・!?。

隣の窓口に聞いたら「長瀞駅は秩父鉄道ですから!」ということで、秩父鉄道のフリーパスの付いた値打ちな切符があるということでラッキーしてしまいました。
なまじちゃんと調べて、西武鉄道から乗り換える“西武秩父”駅の切符を買っちゃったらフリーパスが使えなくなっちゃいますもんね。
「これだから人に尋ねながら行かなきゃ!」などと、先だっての失敗をまるで反省しない感想を抱きつつ急行で所沢へ向かいました。

所沢駅で西武池袋線と合流するのですが、そこで特急に乗り換え。
待合の時間が約30分もある・・・。
そういえば多佳子さんの住まいはこっちの方だったよなぁ・・・なぞと思いつつ、うちの家族とも何日か連絡を取っていなかったことを思い出しました。

金曜日のわが家族は子供がスキー学級を受けてて、かみさんも当番で手伝いに行ってたため連絡がこないのだとは判っていましたが、「電話でもするか」と携帯をかけたらひとこと「使えません!」といって切れた。。。

あれ・・・!?

もう一回やってダメだったので、メールを打つこと10分(これも長いんで・・・)、送信・・・と。
これも“送信できません”とメッセージが出、“OK”かと聞いてくる・・・。

んなもんOKなわけないやろ~!!!

《狼狽第2号》・・・。
慌てて駅員さんに公衆電話の場所を聞いて、テレカを購入してウチにかけた・・・。

「この前携帯を(留守宅に)忘れていって、FOMAから前の携帯にかかるように設定を変えたのを戻してないんじゃないの!」
とかみさんに即答された。

ご名答!!

私のミスに関しては鋭い嗅覚を持つ彼女の面目躍如ですなぁ~、と思いつつも原因がわかって安心。
感謝、感謝!

さてさて特急は飯能駅でスイッチ(進行方向が逆になる)して秩父へ向かいます。
ここまではすこぶる順調ではないですか!?
でも、とある駅で停車した際に乗り込んできたウエンツ某風のコートの兄ちゃんが横を通り過ぎた途端に、くしゃみ8連発ぐらいどうしても止まらない!!
《狼狽第3号》だぁ~!!

あいつ、ゼッタイ鬼太郎みたいに、杉の木の上に家があってそこで寝泊りしてるに違いない!

私以外にもくしゃみした人が何人かいたので、花粉男だったのでしょう。
ちゃんと鬼太郎なら鬼太郎らしい“黄色と黒の横縞ちゃんちゃんこ”を着て、危険であることを周りに判るように知らしめてほしいものです。

えっ、ウエンツくんに似ているからといって、鬼太郎かどうかは判らないって?
とにかくハタ迷惑なヤローがいたんです。

気を取り直して・・・と。
“西武秩父駅”に着きました。
駅の横の仲見世名店街を抜けて、秩父鉄道のその名も“御花畑駅”に歩いて向かうのですが、途中のお店、キリンやコカコーラの見事な看板などに見とれて時間を食っている間に小耳に挟んだ「秩父鉄道は30分に1本しかない」の台詞に《狼狽第4号》して猛ダッシュするはめに!

東京かぶれして電車なんて“一本やり過ごしても大したことない”という先入観が出来てしまっていました。
長野県・長崎県・福島県・新潟県に住んでいたときは、時刻表を必ず頭に入れて余裕を持って行動するようにしてたのにねぇ。そういう習慣はあっという間に抜けちゃうようですね。
あ、私の場合はですが・・・。

ちなみに“御花畑駅”にお花畑はなさそうでしたし、どこにでもある葉の落ちた木ぐらいしか見当たらなかったですけどねぇ。
なんでそんな名前になったんだろう?
「ブーメラン蛙」の祠というかちっちゃなお社はオモシロくて、御参りしちゃいましたが。
さて御花畑駅ですが、とりあえず発車時間には間に合って無事“長瀞駅”に着きました。
この長瀞駅が侮れない! いきなり前に岩の間をくりぬいたような電光掲示板がある!!

さあ折角ここでも最高の天気だし「ロープウエイ乗り場へ行くにもシャトルバス(?)の力を借りずに歩いていこうか!」と景気よく歩き出しました。
所要時間も15分ぐらいらしいしいい運動になるだろうぐらいに・・・。

宝登山神社の大鳥居がある交差点を過ぎ、神社手前の交差点の看板を見るとロープウエイは駐車場と同様左折とある・・・。
これが結構な勾配の坂で駐車場に上がるまでで結構息が上がってしまいました。
でトロトロ歩いていくと、なんと頭の上をロープウエイが通過していく・・・!?

なんで?????

《狼狽第5号》なわけです。これは帰りに気づいたのですが、この看板の記載は間違っているというか、そうでないとしても不親切!
宝登山神社の参道をまっすぐ行けばロープウエイ乗り場にすんなり行けるのに、そのように書かれていない。

というわけで、すごいアップダウンを経て大回りした挙句、ようやくロープウエイ乗り場に着くことができて・・・。《狼狽第6号》ってか!?


これは読みきれませんでした・・・。
鉄道路線までは間違っていないかプレ・シンキングをしておりましたが、ロープウエイ乗り場がこんなんだとは!

サービスでお茶が振舞われていたのでありがたくいただき、混雑していて申し訳なさそうにしている係りの人に、ロープウエイの山頂までハイキングコースとなっている所要時間を聞いてみました。

ゆっくり1時間程度で行けるって・・・。

ロープウエイの待ち時間は、臨時スクランブル運航をしているけれども1時間半以上ということは・・・。

会社の仕事ならヤだと思っただろうけど、好きでここまで来たんだから歩いて登りますわな。
体力は2年前に体を壊してからガタ落ちだけど少しずつ復活してきてるし、これが歩けたら(さらに)いい運動に、そして自分への自信になると思ったし・・・。

以前の私なら味気なくすたすた歩いて早く頂上に着かないかばかりを考えていただろうけれど、景色を見ながら楽しんで登れましたよ。

歩いていると立ち止まれるのがいいですね。
素晴らしい景色は展望台があるところ以外にもたくさんある。
そこで深呼吸をして見入ったり、写真を撮ったり・・・。
ゴールしか見てこなかった自分に、こんなところでも気がついてしまって。

特にカンゲキしたのは、木の葉を笛にして達者に鳴らすことが出来るおじさんがいたこと・・・。口慣らしに2・3音を出した後、おもむろに“ロング・ロング・アゴー”を吹いちゃってくれてスバラシイもんです。その後、そのご一行だけでなく周りの人も一緒になって、やりかたの講釈をうかがうことが出来ました。

ロープウエイではこうはいきません!

『人生において重大なのは生きることであって、 生きた結果ではない』

ゲーテの名言が自然と口をつく・・・。
ちんたら楽しく登っていることそれ自体が意義のあることであって、頂上に着くことだけが問題ではないという意味に解釈しました。

こういうの結構知ってるんだけど、なかなか実感として摑んでなかったのよね。
倒れるまでは・・・。判るようになって、ちょっと複雑だけどウレシイ。(^^)v
以前の私には、スタートとゴール以外の中間地点は目標達成の阻害要因としか思えなかったので、よもやその間にこのような楽しみ、否、楽しみ方があるということに思いが至らなかったんでしょうね。
気づいてよかったと心底思えるようになりました。

でもそのときのいでたちときたら、スタジャンが暑くて暑くて脱いだうえに肩にひっかけ・・・。

心臓はやはり負担でバクバクで、顔は上気してまっかっかだったと思うし、背広姿にしたら夜の歓楽街のビルの谷間をいい気分でふらついてるオッサンそのものだったんでしょうね。

さて好きで登ってるので誰に文句を言うでもなく、それなりに楽しみながらえっちらおっちら歩いておりましたが、途中では健脚のご年配に抜かれ、そうはいいながらも何人かのかたを追い越させていただき、休憩所で件のご年配がお茶してるのを抜かしたところで小さくガッツポーズって「ウサギと亀ごっこ」みたいな顛末で頂上に着きました。

山頂にはやはりたいへん多くの人がいらっしゃって、目的地をまわった後に“宝登山頂レストハウス”で「とろろ御飯定食」をいただき相席いただいた地元のオジサンと話が盛り上がった・・・。
で、山頂に程近い宝登山神社の奥の院を参拝して来ました。ここで携帯の電池が切れちゃったんですよね・・・。狼狽するまでには至りませんでしたが。

この山頂付近には小動物園までがあります。
そこでトイレに入ったのですが、狭い!
スタジャンを着ているせいもあって、トイレットペーパーを巻き取るのがタイヘン!!
大悶絶しちゃったので《狼狽第7号》といわざるを得ません。

動物園ではヤギを羊だと子供に教えているお父さんがいて、子供が必死に抵抗しているのに譲らない・・・。
何か思惑があるかとも思ったので、何も言いませんでしたが。

サルがアスレチックみたいに木を組み合わせてある遊具で、お客さんが餌をやるバケツを持って凄い勢いで走っていったときバケツを落としてしまって、足で逆さづりになってとろうとしたり、それで届かないと見るや見事に飛び降りて(人間なら骨折してる!)地面を転がるバケツを追い回す姿に思わず吹き出したり・・・。

これも以前の私なら“ふん”って思うだけだったのにねぇ~。
やっぱり歳をとったのかなぁ。
でも、そう感じられるようになった自分がとてもいい感じに思えるのも事実であります。

その他一匹だけやたらぶーぶー喚いているミニブタとか、鹿園では“鹿が放し飼いになっていて鹿の機嫌がよければ触れ合える”などという謳い文句が書いてあったのに、ど真ん中に陣取っているのは風光明媚な背景で写真を撮ろうとする人間様でありまして、肝心の鹿クンは、ほうきでもはいってそうな倉庫の脇で2頭寄り添って人が去るまでやり過ごそうとしているようでした。

古いけどなかなかオモシロい動物園なんですけどねぇ。
お客さん、特に子供が少なかったのはちょっと残念ですね。

さて、これからは帰路であります。
登りの時もクマ除けのために鈴を首にかけている人もいたし、“いのしし注意”とかいう看板もそこここに立っていました。
で、私一人で動物園から出てもとの登山道の本流にむかう一本道の終わりごろ、まさにいのしし注意の看板の前で“ガサガサッ”と草をかき分ける音がした!!

ドキッとして「すわ、いのししかっ!!」《狼狽第8号》

獣道をショートカットで下りてきたおじさんでした。
「びっくりさせるんじゃないよ!」とも言えず、それでも会釈したら、おじさんまたとんでもない道なき道をショートカットして入ってちゃった・・・。凄いもんだねぇ。

そしてまた一人になって、冷え込んできたからやっぱスタジャン着てきてよかったなどと思いながら歩いていたら、いきなり「どん・どん・どん」と大きな音が山間の谷間じゅうにとどろき渡りました。

“びくぅっ”ですよ、そりゃ!! 《狼狽第9号》

「何だろう?」と思う間もなく、また「どん・どん・どん」で”びくっ”《狼狽第10号》

時計を見たら4時ジャスト。なんだこの辺りではこんな時間の知らせ方をするんだ・・・と思った瞬間に、またまた「どん・どん・どん」でビクつく私。《狼狽第11号》
このときは花火は破裂する光まで見えました。

なるほど4時だから“もう一回来るな”と思って身構えていましたが、遂に鳴りませんでした。
なんで3回なんだろう・・・!?

流石に帰りの距離は短く感じ、下りるスピードはこんなに速いんだと思いました。
ウラを返すと「これしきの距離にあんなに苦労したんだ・・・」ということになります。
でも今の私にはこれが実力だということ。それ自体はいいことでも悪いことでもない。
宝登山神社の本殿(麓にある)にお参りしながら、そう思っていた私。

かくて無事“長瀞駅”まで歩きつき、あとは電車で来た道を引き返していきました。

久しぶりの運動で心地よい疲れに襲われた私が、所沢で寝過ごしそうになって慌てて降りたという《狼狽第13号》はさらっと触れるのみにいたしましょう。
音楽ブログなので申し訳程度に音楽の話題を書いておきますと、帰りの車中、ディスクマンで聴いていたのはジェィムス・テイラーの“オクトーバー・ロード”です。
何曲目からかは夢の中でしたが・・・。

そしてそして家に帰り着いてからも、財布の中身を見て《狼狽第14号》。
残金を確認したら、ロープウエイに乗っていたら帰りの特急代が払えていなかった!

宝登山神社に祀られている神武天皇ほかの神々が護ってくれたのかしら。
ラッキーというかぞっとしたというか・・・。

後はなけなしの残金で“恵方巻”を買ってきて、ありがたくいただきましたとさ。

オシマイ




で、オマエは結局“宝登山”に何をしに行ったのかって?


蝋梅(ロウバイ)園に満開の蝋梅を愛でに行ってきたんです。
だから、タイトルのロウバイはカタカナ、だったんです。

静岡の絶景

2007年01月07日 00時00分01秒 | 思い出
松の内もいよいよ今日まで。

ムカシは15日までの小正月いっぱいが“松の内”だったようですが、スピード時代の現代ではそうもいっておれません。
私とて4・5日を有給休暇をとっている(単身赴任してるウチでは若い方なので、同僚のみなさんが快くご了解くださったのです。感謝です)ために、今もってのんべんだらんとしておりますが、ちゃんと子供と交流から許してちょーだいませませ。

さてお正月も仕切りなおしで縁起のいい写真をということで、再度富士山の写真を掲載させてもらいます。
これは静岡にいたころ景勝地の日本平山頂からデジカメで撮影したもの。アップにせずに全景を撮ったところが私としては珍しい一枚です。
ちなみに下に見えるのは清水港です。日本平周辺での観光案内によると、この清水港まで含めた風景が“日本一の景色”だということになっているようです。
阿蘇山近辺ではどこが日本一の景色となっているかはわかりませんが・・・。

静岡にいるころ、富士山って見えただけで何か得したような気分になりました。日本人としての固定観念に拠るところが大きいリアクションではありますが、さすが霊峰富士。この辺の“ありがたみ”では、浅間山やあだたら山の近くにも住んでいましたがその高さのとおり一頭群を抜いています。

もっとも浅間山はもっと身近な四季折々がそれぞれ美しい山、あだたら山は晴れていればマンションの9階の自宅から出てすぐに目に入ったので、天気の尺度を図るフレンドリーな山ってイメージでそれぞれに印象深い山ですけどね、こと私にとっては。

ともあれ山というものは多かれ少なかれなぜかそういった畏怖・畏敬の念を想起させてくれるので、私は好きです。

逆に私は海を見ていると、現実世界のことをずっと思い浮かべることが多いですねぇ。
ホント海べりでは釣りをしているときでも、いっつもとりとめのない考えをめぐらせますねぇ・・・。ぼーっと。
いや、ぼーっとしているのは何も海を見ているときに限りませんが。。。

お次は・・・

静岡市の用宗港の近く、“広野”海浜公園の海賊船です。こどもとよく行ったものです。ここからも富士山が遠景で見えて、これもなかなか風情がありました。

もっとも私は川を隔てた向こう側の港で、釣りをすることのほうが好きでしたが・・・。当時子供が小さくてほっとけなかったので、ここに来ちゃうと釣りができずにつまんなかったですけど。
海の景色も含めて、天気が良かったら最高のスポットですね。同じ海沿いでも新潟にはこういうところはちょっとない・・・。

いきなり話が飛びますが、冬場といっても実は新潟市近辺はほとんど雪は積もりません。
でも海沿いの晴天率が低いというか、天気が猫の目のように変わってしまうのでこのような施設はなかなか屋外に作りにくいのかもしれません。
まったく新潟の冬場の天気予報なんか「曇り時々晴れ、ところによっては雨または雪、海沿いは風が強く雷があるかも」と言っておけばまず当たるような気がしますから・・・。

また戻って静岡の用宗には、海水浴場近くに干物屋さんがあって、そこの油の乗った干物を(魚がつれなかったときに)買って帰るのも楽しみでした。そのほうがおいしかったですし・・・。

さいごに・・・。

静岡の駿府城址では内堀周りの紅葉がきれいです。
そのなかのイチョウの樹を撮ったものがあったので掲載してみました。
隣接する市役所・県庁の方には、巽櫓の前から家康公の散歩道なる路がありそちらも彫刻など見所はありますが、樹木の壮麗さはやはりもっとも際立って美しい景色だと思います。

天気さえよければ、その辺をそぞろ歩いてみると案外いろいろ発見することがあるものですね。
特にブログを始めてから強くそれを感じます。

季節外れのネタが出てきても温めてたなと思し召して、温かく受け入れてくださいませ!

ポケモンセンターで思ったこと

2007年01月05日 00時00分01秒 | 思い出
今朝帰省先というか私の親元を出発して現住所の東京を通り越し、先ほど新潟の留守宅に帰り着きました。

時間がかかったのは、途中、東京駅一旦途中下車して駅近郊のポケモンセンターなる場所に行ってきたからです。
なにしろ息子二人が初詣で「ポケモンセンターに行けますように!」という、言われた神様も困るのではないかと思われるお参りばかりしておりましたので・・・。

ウチの息子は賽銭を投げるときに「お達者でぇぇ」などと言って周りの失笑を買うのを楽しみにしているような輩ですが、さすがに二人がかりでこれをみんなに聞こえるような声で拝まれてしまうと、親としては早く神様にお楽になっていただかないとと考えざるをえなかった訳です。

実は12月の末、家族が帰省する途中にもポケモンセンターには行っているのです。
これはそのときの店舗のガラスに描かれていたキャラです。

本日行ったときはパルキアとディアルガという最新のゲームソフトのキャラクターの絵に変わっていましたから、前にもちゃんと訪れた証にそのときのを掲載します。
まぁ、今日のはキャラがデカ過ぎて画面にきれいに収まりきりませんでしたし、掲載したことでゲームの宣伝みたいに思われるのもナンですし・・・。
この後つらつら書くようなことをいろいろ考えちゃったもので。

話を戻して、昨年末には、せっかくそのために途中下車してポケモンセンターに出向いたのに、店舗を眺めただけで中には入らず、家族を愛知県に帰してしまいました。

なぜなら“1時間待ち”のプラカードをもったお兄さんが玄関前に立ちはだかっていて、店舗前の道路からみえないところに入場待ちのお客さんの長蛇の列が、それこそ見えないところまで連なっていたから。。。
新幹線の時間に制約があったがために(子供は)涙を飲んだわけであります。

そんなこんなで、最初に(子供のために)ポケモンセンターに行こうと言い出したのは私であるにもかかわらず、それ以来「もう行かない!」と居直っておりました。
が、結局、前述の通り神仏の力にも頼りだす始末の子供の熱意にほだされて、とうとう行く羽目になったという次第であります。
子供はご利益のある神様だと思ったに相違ありません!

一応かみさんには今朝ほども「俺は自宅に一旦戻って、あれやこれやと準備することがある・・・」とだだをこねて、並ぶのを忌避するための最後の抵抗を試みましたが、ケンモホロロに一蹴され玉砕の腹を決めました。

で、行ってみたらキモチよく“待ち時間1時間半(!!)の看板”。
店舗対面の小路から高島屋方向に連なり、さらに角を曲がって伸びるひとひとひと・・・(中略)・・・ひと!!
天皇家の系図よりも“ヒト”が並んでいるのではないかと思わせる長さ。

さて、いつも面倒なことを私以上に嫌がる子供はどうか・・・?
近来見たことのないご機嫌な表情(!)でした。
 私)ホントに並ぶの!? 待つのいやじゃない?
 子)待つのいやなの、お父さんでしょう?
 私)・・・。
 子)ホントに、来れてよかった!!
 私)・・・・・・。

というわけで並びましたよ・・・。1時間半!!
男の子2人はワイワイと大はしゃぎで、長女に向っていろいろ話している。かみさんと私は一言もありませんでした。

そして100坪もないような店舗内、小1時間にわたり子供は目を輝かせていろんなものを物色してました。

この写真で店内の混雑振りは伝わるでしょうか?

私はイモ洗いの只中で、なすがママ・きゅうりがパパ状態で陰惨な気分でおりました。
結局は長女に男の子2人を任せて、欲しいものがあったらかみさんに報告するように告げたのみで隅っこのほうにたたずんでいた。。。
かみさんも口には出しませんが人ごみの中を漂いながら、私と似たような気分でいるだろうことは一瞥しただけで認識できましたねぇ。
ちゃんと1時間後に、会計してあげているところなど私より数段エラいなぁと思ってみていたら・・・。なにやら私を呼んでいる。。。

「財布貸して!」だって・・・。「何をどれだけ買ったんじゃぁぁぁ!?」

というわけで、ホウホウの体で新潟に落ち延びたのでありました。

さて、私はポケットモンスターに10年位前でしょうか・・・当初は好感を持っておりました。
キャラクターもかわいいし、何より子供が喜ぶ。
サトシ君も旅をするにつけポケモン、人とのかかわりを通して成長していることが子供にもわかるように構成されていたように思います。

製作側へのインタビューでも「あと5年は市場に通用するキャラクターなので、大事に育てたい」ような発言が聞かれ、確かに子供の情操教育にも有用と思っていたものです。

しかし、最近は考え方が少し変わってきました。
というのは、なまじっか、ゲームソフトやショップでの物品販売が絡んでくるビジネスモデルを展開しているだけに、売り手の理論が勝ってしまっているように思われてならないのです。
確かに商売としては“5年”と言っていたのが10年を過ぎてもまだまだ規模を拡大できるほどの大成功を収めていますし、文句の付けようはないのですが・・・。

決定的に私が違和感を覚えるのは、ポケモン同士がバトルをするのであって、“トレーナー”と言われるポケモンの飼い主は、たとえポケモンに共感することはあっても、絶対服従の命令を出すばかりで一切戦わないし傷つかない・・・。
王様ゲームじゃないっちゅーの!!

ここにどうしてもなじめないところがあるのです。
なじめないどころか、子供の当事者意識の芽を摘んでしまうような悪影響があるのではと懸念したりもします。

コトが起こったときには、「行け!ピカチュウ!!」であって、自分自身は指令を出すだけ。劇中の登場人物はそれで成長するのかもしれませんが、現実社会では下積みを経て、自分で悩み挫折を重ねて強くもたくましくも、優しくもなれるのに・・・。
戦略・技能を競う物語を演出する場合に、将棋のように駒に対して指揮を執るとか、ルパンがワルサーP38を百発百中で命中させる腕前であるとかいう前提であるなら許せます。商業主義にのっとっている場合でも、ベイブレードの独楽とか、クラッシュギアの自動車を戦いの対象にしているのなら、いいと思うのです。

これを仮想のとはいえ、生き物・・・それも人と心を通わすことの出来る友達という設定のポケモン・・・を戦いの道具として利用しているところがイヤなのです。
闘牛・闘鶏など生き物を戦わせることは古今東西いろいろあるのですが、それは最初から戦わせる前提があるもの。心を通わせ本当にその痛みを分かち合うような付き合いをするポケモンなら、破壊光線や炎の渦やらという禍々しい技の使い手が跋扈するリーグ戦などというものに出場させようと思ったりしないのではないでしょうか?

昨今の問題と照らして考え合わせると、ちょっと力の強い子は、ポケモンのように自分の手足として思い通りに出来る“生きた”心の通う友達が欲しくなるのではないでしょうか。ポケモン扱いされる子は、きっとおもしろくない以上に居心地が悪いに違いありません。でも、自称サトシ君たちはピカチュウのキモチは全然わからないでいると思うのです。

「相手の立場になって考えろ」と子供にいくらサトシても、相手の立場になったことのない子供にわかるわけがありません。だって、子供なんですから・・・。

この番組を見てると戦国武将の戦のように思えてしまうのです。武田信玄なども若気の至りで無茶な作戦を遂行した挙句に重臣を戦場で失ったりしていますが、そんな帝王学的な付き合いが出来る立場の人間は現代ではあまりいないのではないでしょうか?
むしろ社会に出たとたんに「行け、○○」みたいに管理職から、へヴィーな指令をいただけてしまう・・・。そのときに「立場が違う!」と受け入れられなくなるのがオチです。

少なくとも心の通った友達に、めったやたらにバトルをさせて傷を負わせるのは教育上よろしくない!!

ついでにいえば、スーパー戦隊シリーズも今の時勢に照らしたらあまり芳しくない番組になってしまったと思います。

出てくる俳優さんはかっこいいし、内容もどんどん洗練されてきている(他の玩具会社が亜流の番組を制作していますが、できばえは天と地ほどに違うと思います。役者の差というより、脚本・演出の差だと思いますが・・・。)のは出色だと思いますし、既に水戸黄門にも似た万全なマンネリズムの域に達しているかもしれません。この点では、ウルトラマンより仮面ライダーより成功しているように思います。

それでもなぜ“芳しくない”かというと、5人が1人の怪人に対峙するからです。
この際、怪人の部下の雑魚はムシしていますが・・・。

スーパー戦隊のもともとのコンセプトは“5人が協力して巨悪を倒す”ということではないかと思います。
たとえその間におもしろおかしい演出が混じっても・・・です。

でも子供の世界に反映させると、もちろんうまくそのメッセージが伝わっている例もたくさんありますが、一部には協力して増幅されたエネルギーを向けるベクトルを誤る輩が出てしまっているのではないかと思わせる件が少なくないのです。

つまり“弱い”何人かが徒党を組んで、さらに弱い人(友達であれ、一般の人であれ)を責めることが昨今目立ってやしないでしょうかということが気になるわけです。

やはり戦いをテーマにした場合には、ウルトラマンのように自らが一対一で敵と対峙して、自力でこれを駆逐するというのが基本だと思います。
もしヒーローが困ったときはカプセル怪獣が助け舟を出すとか、防衛軍が援護するとかならいいですが、5人のウルトラマンが一匹の怪獣を袋叩きにする姿は見たくないですね。

もう一方の雄、仮面ライダーなんですが、ストーリーが最近意味不明なので論評の対象外です。
本郷猛と一文字隼人が懐かしい・・・という私はやはりどうしようもなくおじさんですな!

ちなみに帰省先では中日新聞を読んでいたのですが、正月から1面で特集が組まれている「ドラえもんのいない世界で」という記事は、出色の文章だと思います。
今の教育だけでなく、我が国の社会風土をかなり的確に抉ったものではないかと感じました。
もしご関心があり、手立てがあればご覧になってください。

何か今日はポケモンセンターで疲れた腹いせに、いろいろ書いてしまいました。

思い出のコラージュ。。。

2006年11月27日 00時31分59秒 | 思い出
ビートルズの新譜“LOVE”を買いました。

周知のとおりジョンとジョージは既に亡くなっています。
どんな新譜かというと、レット・イット・ビー以外のアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティンが、息子とともに長い時間をかけてアビーロードスタジオですべてのマスターテープを検証して、それらを繋げて一枚のアルバムにしたものです。
だから、私にはビートルズのアルバムというよりもジョージ・マーティン親子の労作のアルバムという感が最初からありました。

さて、一聴して「とても楽しめたよ」とお伝えするのにはいささかもためらいはありません。
殊に気づいた点としては、何よりもアイデアの秀抜さ。
例えば“ゲットバック”の歌が始まる前に“ハード・デイズ・ナイト”の最初のギターの一撃が出て“バースデイ”のリンゴのドラムソロが入って・・・イントロが始まるといった趣向、同じように“ストレベリー・フィールズ”のエコーに乗っていくつものビートルズナンバーが現れるなどの楽しみが満載です。
ときたま“ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス”のようにどこから音源を拾ったのかわからないようなものもあり、さすがにレコーディングのすべてを掌握していたプロデューサーが息子というなんとでも使える、それもプロフェッショナルなパートナーを得てこしらえただけのことはあります。
ビートルズのメンバーには、リンゴはもちろんポールであったとしても、こんな芸当はできなかったでしょう。。。

ですから、このディスクはジョージ・マーティン親子のビートルズへの愛情が作り上げたオマージュに他ならない作品といえます。
彼らの流儀でビートルズの素材を活用して“思い出を走馬灯のようにコラージュ”することで、ジョン・ジョージはもちろん、今は亡きビートルズそのものを悼むような気持ちで、思いを表現したのではないかと思います。

ただ気持ちはともかく手法面では、メドレー方式はアルバム“アビーロード”のB面で既にされていることは誰もが知っていることですし、曲の途中に他の曲が聞こえると言うのは“愛こそはすべて”の後奏で“シー・ラブズ・ユー”やら“グリーンスリーブス”が織り込まれている例もあり、そのアイデア自体はビートルズが既に実践していたものの踏襲といえなくもないでしょうけど。。。
最新のデジタル技術、エレクトロニクスを駆使して、それらの可能性を徹底的に追求した執念の作品だと評しておきましょう。

その他の関心事としては、すべからくリミックス的な要素も多々あるため、今までのミックスでは聞き取れなかったことがいくつも確認できたことは大収穫でした。
特にジョンのサイド・ギタリストとしての腕前はよく話題になるところですが、改めてそれを痛感しました。EW&Fのアル・マッケイとはタイプは全然違うけれども、彼と場合と同じように、こんなギターがリズムを刻んでいたらリード・ギターはもしかしてなくてもいいのでは?
・・・そうとまで思わせられました。


この後は、いささか個人的な話をさせてください。

この土日、静岡に行ってきました。
2年前まで静岡で勤務していた際、社宅が一緒だった会社の仲間が先だって突然亡くなりました。
葬儀に出向けなかったので、この週末を利用して家族でご挨拶に伺ったわけです。
家族ぐるみで本当に世話になりました。
奥様とも多少しんみりしながらもお話でき、特に子供たちはまるで昨日と同じように。。。何もなかったかのように新作のゲームに興じていました。
そんな様子に安心するとともに、勇気をもらえたような気がします。

以前、彼のお宅でこれもビートルズメンバー没後の新譜“レット・イット・ビー・ネイキッド”を聴いたことを思い出したため、今回の新作にも興味を持ち購入したのです。。。

今日の午前中いっぱい、 ―家族はそれぞれの友人たちと旧交を温めあっている間― ひとりで静岡市の旧社宅から駿府城址、彼が亡くなった病院周辺を歩いてみました。
静岡での思い出が本当に走馬灯のように順不同に浮かんでは消え、次々と移り変わっていくさまは、まさに頭の中で思い出たちが“コラージュ”されているといった感じ。。。

当時住んでいた社宅はこの清水山公園のすぐそばにあります。




駿府城址の内堀沿いにあるこの“母子像”の前では、思わず立ち止まって見入ってしまった。。。


実は私自身も静岡にいるとき無理を承知で、それまで働かせ続けていた自分の体がとうとう音をあげて、まったく動けなくなっってしまった経験があります。
暫く会社を休み回復しかけたところで復職に必要な体力を戻すために、一時毎晩駿府城の周りを歩いてリハビリしていたんです。

内堀の一周は約1.4キロぐらいなのですが、当初は何度も休憩をとらないと歩ききれませんでした。それが2週間ぐらいで何とか歩ききれるようになり、1ケ月してようやく普通の速度で歩けるまでに回復したのでした。
そこには多くのオブジェがあり、次のオブジェまで「何とかがんばるぞ」という励みにしながら歩いたもの。。。よく覚えています。
そんな深夜のトレーニングから帰ってきたところに仕事帰りの“彼”がちょうどハチ会わせたこともあり、そのときは応援してもらっていたのに。。。

気になっていた弔意を伝えるご挨拶は何とか終えることができましたが、気持ちとしてはこれからも彼のご冥福と、遺されたご家族の平穏をお祈りするよりありません。

そして、深夜のトレーニングのとき。。。
ずっと一緒に歩いてくれて、気持ちも体も支えてくれた“かみさん”への感謝の気持ちを新たにしました。

おかげさまでそんな今日の私は、当時の動かぬ心身と闘う形相とも切羽詰った気持ちとも無縁のまま、かつて苦行を続けた“その道”を当たり前に歩くことができるようになっていました。
ともに生きてくれる人のいるありがたさをつくづく思ったこの週末。。。

走馬灯のような思いは、これから先も折りに触れてきっと現れるでしょう。
私の人生とともにある。。。
そんなシーンをすこしずつ増やしながら、これからも精一杯生きていけたらいいな。。。
と思っています。

紅葉狩り!?

2006年11月19日 02時03分38秒 | 思い出
今日も東京はピーカン!(^^)/

閃いて、今日は紅葉狩りに行こうと決めた。
地理にはまだまだ明るくないが、ネットで調べれば楽チンなので便利な世の中になったものだ。。。

青梅の御岳渓谷がよさそうだ、ということで乗換案内も調べていざ出発。
12月並に寒くなっているらしいから、さぞかし紅葉もきれいであろうと、もこもこに着込んで出かけた。ところが電車は思いのほか混んでおり暑かった。。。

乗換駅の五反田には初めて行ったが、結構都会ではないか。
実は東武線に乗りかえるときに、「ここから150円圏内に紅葉のきれいな渓谷があるのか?」と思わなかったわけではない。
人のせいにするわけではないが、五反田駅の警備員さんに「この先“みたけやま”駅ってありますか?」と聞いたら、「“おんたけさん”駅があります」と答えていただいたから信じちゃったのだ!
いや、勝手に思い込んでしまったのだぁぁぁ!!!

結局到着したのは、青梅ではなく田園調布の御嶽山駅。。。
着いてすぐ、「あんれぇ~!?」と線路を渡って歩いてみれば御嶽神社があったので早速お参りをした。

私は小さいころから長野県の御岳山に先祖が神様として祭られているのでお参りに行っていたからだ。なにかゆかりがあるに違いない。

それはそうと道行く人に、「この辺で紅葉の名所ってありますか?」さすがにこの風景で「渓谷はどこだ?」とは聞けなかった。。。そして、だれも知らないという答えであるのもこの町並みの中ではいたしかたない。

駅前の商店街の飾りつけのもみじを愛で、御嶽神社で家族の健康を祈願するなど、サイコーの紅葉狩りじゃぁぁぁ!!

ほれ、駅のもみじも見事に色づいておろうがぁぁあ・・・がく。

駅前ジャスコのイタトマで昼飯を食べながら、青梅に行けるか確かめてみる。。。
携帯の乗換案内で調べるとやはり東武線の御嶽山駅が出てしまう。。。なぜだ?

要するに御岳登山鉄道の御岳山駅を検索すると、通常の鉄道ではないらしくエラーになるため御嶽山駅を検索することになってしまうようなのだ!
よし原因究明はできた。。。これで青梅へ行くと・・・4時!。。。
もう暗いじゃん・・・ばた!
あえなく紅葉狩り終了。。。

商店街の人ごみを音楽が包んでいる。。。
“HONESTY”かぁ~~~。。。あれ、レゲエのリズムだ!
このケーカイなリズムに何とゆうこゆ~いヴォーカルなんじゃぁぁぁ。
イタトマの入口なんかクリスマスのデコレーションみたいになってるしぃ~

音楽は夏していて、町並みと目的は秋していて、店の飾りつけは冬している。
恐ろしく季節感がない!
やはりここでかけるなら、本家本元のビリー・ジョエルのヴァージョンでしょ~がぁ~!
と、勝手に思いつつ帰ってきた。


いうまでもなく本家のディスクは記事冒頭の写真のもの。
私はこの“ニューヨーク52番街”のディスクはSA-CDのフォーマットとCDのフォーマット2つを持っている。
SACDだと自然な音、CDをエソテリックでかけると力強い音が楽しめるからだ。。。
スペックはSACDの方が高いことになってるだろうが、どちらの音も気に入っている。
ちなみに“オネスティ”だけなら、ビリー・ジョエルのベスト盤にも入っており同じ音源であるため、もうひとつヴァージョンを持っていることになる。これはクリアで伸びのある音。やはり音がちょいと違うような気がする。
さらには、ソ連でのライブ盤がありこのピアノ一本弾き語りって言うのもこたえられない。
家人ならずとも「何故に同じものを?」とはよく言われるが、なかなか分かってもらえないところである。

新宿に戻ってきて高島屋のHMV新宿に寄っていくことにした。
フラっとそこここを眺めていたら高橋多佳子さんの新譜が目に入り、説明が書いてあったので読んでみた。。。
なになに「・・・・・・・どうやっているかは分かりませんが銅鑼の音がはいっている・・・」だって。

私は自慢だが2回(渋谷・安曇野)もご本人から説明を聞いて、2回(安曇野・紀尾井)も実際に演奏しているところを拝んでおるぞぉぉお!!!

思いっきり溜飲を下げさせていただきました。
すっごいご利益。。。
何柱もの神々とあわせて、やはり多佳子さんにも手を合わせておかなければ。。。
弐禮二拍手!