冒頭のタイトルは間違いじゃありませんよ。当然一般的には“秩父神社”が正しいのはわかっていますが、肝心のこのお社にこのように書かれているのですから・・・。
旧くの縁起をみても、そこには“知知夫神社”とあるらしいということで、敢えてそのように表記したものです。
決して字数稼ぎではありませんですよ。(^^)/
それにしても、2000年ぐらい前からという物凄く古い歴史を持ったお宮さんだなあと感じ入ってしまいました。
その後、妙見信仰と合わさって独特の文化を持った関東有数の神社となり、江戸時代には徳川家などとも近しい関係の神社となったなど、私にとってはとっても興味深いところでした。
そうとは知らずに、秩父三社(あとの2つは宝登山神社、三峯神社)のひとつがあるようだから、歩数稼ぎに足を伸ばそうぐらいの軽い気持ちで参詣した私。
立て看板に書かれている縁起を読んだり、建物の彫刻・装飾を眺めている間に優に1時間あまり経ってしまいました。
なかでも貴重と思われるのがこの彫刻・・・。

『つなぎの龍』と書いてある立て札を見たときには、「龍がつなぎを着ているのか? ダウンタウン・ブギウギ・バンドか?」などとまた突拍子もないことを考えたものですが、よく見ると龍が鎖でつながれているので『つなぎの龍』だということのようです。
鎖でつながれているこの竜は、もしかしたら哭いているのかもしれません。
でも「兄さん、背中が煤けてるぜ・・・」などと言ったという記録はないようです。
などとくだらないことを言って神罰を食らうといけないのでこれくらいにしますが、名工“左甚五郎”の手になるといわれるこの彫刻、その昔、近所の池だか沼だかで竜の目撃情報があった後にこの像の下に水が滴っていたため鎖で繋いだら、その後龍は現われなくなったという言い伝えがあるそうです。
やっぱり龍は哭いているのかもしれませんね。今、像の下が濡れているのだとしたらそれは龍の涙によるものなのでしょう。
誰ですか!? 龍の像に向かって「背中が煤けてるぜ」なんて言っているのは!!
今一点、左甚五郎作の名品(だと思う)があります。

『子宝 子育ての虎』像であります。
狩野派の流儀として複数の虎の絵を描くときは、一頭を豹にするならわしがあるということでこうなっているそうです。
ならわしというのには理由があるとは思いますが、描く対象を変えてしまうとは随分ダイタンな慣習だなぁと思った次第です。
画題のテーマはとっても神社に相応しいもので、古今東西最高の名声を誇る名工の作なので素晴らしいものを見せていただいたという気持ちにはなりましたけどね。
そうそう、この彫刻は正面に飾られており参拝するときにちょうど左上方に見えました。
随分装飾を眺めた後ではありますが、ちゃんとお参りもしましたですよ。(^^)v
この先ご紹介するのは、像が小さかったり、逆光になって携帯のカメラでは収められなかったので、わかりやすく表示されていた大きな絵馬型の説明書きを掲載します。
もちろんこの他に、詳細な解説プレートがその場にあったのはいうまでもありません。

実はこの神殿、東側に青龍があるのはいいとして、普通は南に朱雀、西に白虎、北に玄武がくるものですが・・・。
北側は“北辰の梟(フクロウ)”でした。まあ、他にもいっぱい動物の像はあって解説がついていたのがたまたまフクロウだっただけかもしれませんけどね。
この梟は、体は建物内のご神体のほうを向いて、首から上だけ180度反転し外敵を見張っているのだそうです。
広く物事を知ろうとしていることから、学業のお守りになっているんでしょうかねぇ・・・。
というわけで、フクロウの絵があしらわれたお守りを子供用に買っちゃいました。
「オマエが1番勉強が必要なのではないか!」という声が出ることも十分想定されますが、私は最早大学を卒業して久しいからいいのです・・・・・・。
なお、先の『子育ての虎』は南側の壁になります。そういえば日光東照宮にも『眠り猫』なる左甚五郎作の名作彫刻がありましたが、こちらは2つありますモンねぇ。世界遺産より勝ってるんじゃないですか?・・・・・・などと唐突に話題を変えて、次ぎ行きましょう。
さて、その日光東照宮の『見ざる 言わざる 聞かざる』の三猿にタメを張るようにこのようなお猿さんの像もありました。

西側の壁を飾るのは、よく見、聞き、話そうという『お元気三猿』であります。
神社の解説にも徳川家に所縁の東照宮と好対照を成して興味深いというような文句がありましたが、コミュニケーション不足が叫ばれる今の時代、よく見てよく聞いてよく話そうという『お元気三猿』のほうがマッチしているのではないかという見識には恐れ入りました。
そのとおりだと思いますです。
同じく西側の壁にはこのようなかたの像もありました・・・。

通玄仙人とは唐の時代の実在の人物だそうです。
白い馬に乗っていたそうですが、休憩のときは馬を小さな瓢箪に入れていたということらしいです。要するに瓢箪が車庫代わりということでしょうか?
瓢箪から駒の語源となる逸話ですけどねぇ・・・考えてみると随分お茶目なというか親しみやすい装飾でいっぱいですね。
実際の彫刻はさすがに年代を感じさせるものでしたが、この絵だけ見ると(彫刻にそっくりですよ)、ファンキーなリズムを感じますねぇ~、私なんか。
てなわけで、久しぶりに建物を隅々まで観察してしまいました。
いろんな部分を見るにつけ、昔の人の想像力というか発想には本当に畏れ入ります。私を含めて、かつて出来なかった身の回りのことどもがテクノロジーの進歩で出来るようになった代わりに、魂やら心、考え方の自由な飛翔というべきものがまったく失われてしまったような気がします。
コンプライアンスなどという考え方そのものが、それを端的に証明しているようにも思われます。コンプライアンスはルールを遵守することでいいことのように思われていますが、そして今の世では必要ないいことなのでしょうが、どうしても私にはピンとこないところがあるのです。
旧来からある礼節とはわきまえて自発的にするものであり、コンプライアンスにはどんなに言葉で巧みに表現しようとも強制感というか悲壮感がある・・・。
なにやら古のロシアのKGB的な発想のような気がしてならないのです。しょうがないから守ってるけど。
ちなみにテクノロジーの進歩で運動不足になって減量を余儀なくされている私が採っている手段を、テクテクノロジーといいます。(^^)/
さて、秩父神社を後にしてさらに歩いていたところ“今宮神社”というこれも旧い縁起を誇るお宮さんがあり参拝してきました。

もちろんこれはお社ではなくて、境内のど真ん中に鎮座している“駒つなぎのケヤキ”であります。
ここの縁起には役行者(えんのぎょうじゃ)が出てくるなど、この近辺はすこぶる霊験あらたかなところらしいですな。
このケヤキを近くで見るとこんな感じです。

龍神木と呼ばれる由来の説明には、なんと平成の御世になってから宮司さんが世にも珍しい神様の奇跡を目の当たりにされたということが記されていました。
いいですねぇ~。(^^)v
世の中まだ捨てたモンじゃないですね。
テクノロジーも大事だけれど、テクテクノロジーを忘れると人間生きていけないように、1000年前にあれだけ記録に残っている神仏の奇跡が今まったくないというのは寂しい限りですもんね。
こうして13000歩余り、芝桜に続いて神様のお陰でいろいろ仕事やらなんやらはさっぱりと忘れて、自分自身のために考えを巡らしながら歩くことが出来たこと自体が、そのご利益に他ならないのではないか・・・そう思っています。
いい一日でした。
ちなみに帰り際にこのような像も発見しました。

まこと秩父は奥が深い!! (^^)v
旧くの縁起をみても、そこには“知知夫神社”とあるらしいということで、敢えてそのように表記したものです。
決して字数稼ぎではありませんですよ。(^^)/
それにしても、2000年ぐらい前からという物凄く古い歴史を持ったお宮さんだなあと感じ入ってしまいました。
その後、妙見信仰と合わさって独特の文化を持った関東有数の神社となり、江戸時代には徳川家などとも近しい関係の神社となったなど、私にとってはとっても興味深いところでした。
そうとは知らずに、秩父三社(あとの2つは宝登山神社、三峯神社)のひとつがあるようだから、歩数稼ぎに足を伸ばそうぐらいの軽い気持ちで参詣した私。
立て看板に書かれている縁起を読んだり、建物の彫刻・装飾を眺めている間に優に1時間あまり経ってしまいました。
なかでも貴重と思われるのがこの彫刻・・・。

『つなぎの龍』と書いてある立て札を見たときには、「龍がつなぎを着ているのか? ダウンタウン・ブギウギ・バンドか?」などとまた突拍子もないことを考えたものですが、よく見ると龍が鎖でつながれているので『つなぎの龍』だということのようです。
鎖でつながれているこの竜は、もしかしたら哭いているのかもしれません。
でも「兄さん、背中が煤けてるぜ・・・」などと言ったという記録はないようです。
などとくだらないことを言って神罰を食らうといけないのでこれくらいにしますが、名工“左甚五郎”の手になるといわれるこの彫刻、その昔、近所の池だか沼だかで竜の目撃情報があった後にこの像の下に水が滴っていたため鎖で繋いだら、その後龍は現われなくなったという言い伝えがあるそうです。
やっぱり龍は哭いているのかもしれませんね。今、像の下が濡れているのだとしたらそれは龍の涙によるものなのでしょう。
誰ですか!? 龍の像に向かって「背中が煤けてるぜ」なんて言っているのは!!
今一点、左甚五郎作の名品(だと思う)があります。

『子宝 子育ての虎』像であります。
狩野派の流儀として複数の虎の絵を描くときは、一頭を豹にするならわしがあるということでこうなっているそうです。
ならわしというのには理由があるとは思いますが、描く対象を変えてしまうとは随分ダイタンな慣習だなぁと思った次第です。
画題のテーマはとっても神社に相応しいもので、古今東西最高の名声を誇る名工の作なので素晴らしいものを見せていただいたという気持ちにはなりましたけどね。
そうそう、この彫刻は正面に飾られており参拝するときにちょうど左上方に見えました。
随分装飾を眺めた後ではありますが、ちゃんとお参りもしましたですよ。(^^)v
この先ご紹介するのは、像が小さかったり、逆光になって携帯のカメラでは収められなかったので、わかりやすく表示されていた大きな絵馬型の説明書きを掲載します。
もちろんこの他に、詳細な解説プレートがその場にあったのはいうまでもありません。

実はこの神殿、東側に青龍があるのはいいとして、普通は南に朱雀、西に白虎、北に玄武がくるものですが・・・。
北側は“北辰の梟(フクロウ)”でした。まあ、他にもいっぱい動物の像はあって解説がついていたのがたまたまフクロウだっただけかもしれませんけどね。
この梟は、体は建物内のご神体のほうを向いて、首から上だけ180度反転し外敵を見張っているのだそうです。
広く物事を知ろうとしていることから、学業のお守りになっているんでしょうかねぇ・・・。
というわけで、フクロウの絵があしらわれたお守りを子供用に買っちゃいました。
「オマエが1番勉強が必要なのではないか!」という声が出ることも十分想定されますが、私は最早大学を卒業して久しいからいいのです・・・・・・。
なお、先の『子育ての虎』は南側の壁になります。そういえば日光東照宮にも『眠り猫』なる左甚五郎作の名作彫刻がありましたが、こちらは2つありますモンねぇ。世界遺産より勝ってるんじゃないですか?・・・・・・などと唐突に話題を変えて、次ぎ行きましょう。
さて、その日光東照宮の『見ざる 言わざる 聞かざる』の三猿にタメを張るようにこのようなお猿さんの像もありました。

西側の壁を飾るのは、よく見、聞き、話そうという『お元気三猿』であります。
神社の解説にも徳川家に所縁の東照宮と好対照を成して興味深いというような文句がありましたが、コミュニケーション不足が叫ばれる今の時代、よく見てよく聞いてよく話そうという『お元気三猿』のほうがマッチしているのではないかという見識には恐れ入りました。
そのとおりだと思いますです。
同じく西側の壁にはこのようなかたの像もありました・・・。

通玄仙人とは唐の時代の実在の人物だそうです。
白い馬に乗っていたそうですが、休憩のときは馬を小さな瓢箪に入れていたということらしいです。要するに瓢箪が車庫代わりということでしょうか?
瓢箪から駒の語源となる逸話ですけどねぇ・・・考えてみると随分お茶目なというか親しみやすい装飾でいっぱいですね。
実際の彫刻はさすがに年代を感じさせるものでしたが、この絵だけ見ると(彫刻にそっくりですよ)、ファンキーなリズムを感じますねぇ~、私なんか。
てなわけで、久しぶりに建物を隅々まで観察してしまいました。
いろんな部分を見るにつけ、昔の人の想像力というか発想には本当に畏れ入ります。私を含めて、かつて出来なかった身の回りのことどもがテクノロジーの進歩で出来るようになった代わりに、魂やら心、考え方の自由な飛翔というべきものがまったく失われてしまったような気がします。
コンプライアンスなどという考え方そのものが、それを端的に証明しているようにも思われます。コンプライアンスはルールを遵守することでいいことのように思われていますが、そして今の世では必要ないいことなのでしょうが、どうしても私にはピンとこないところがあるのです。
旧来からある礼節とはわきまえて自発的にするものであり、コンプライアンスにはどんなに言葉で巧みに表現しようとも強制感というか悲壮感がある・・・。
なにやら古のロシアのKGB的な発想のような気がしてならないのです。しょうがないから守ってるけど。
ちなみにテクノロジーの進歩で運動不足になって減量を余儀なくされている私が採っている手段を、テクテクノロジーといいます。(^^)/
さて、秩父神社を後にしてさらに歩いていたところ“今宮神社”というこれも旧い縁起を誇るお宮さんがあり参拝してきました。

もちろんこれはお社ではなくて、境内のど真ん中に鎮座している“駒つなぎのケヤキ”であります。
ここの縁起には役行者(えんのぎょうじゃ)が出てくるなど、この近辺はすこぶる霊験あらたかなところらしいですな。
このケヤキを近くで見るとこんな感じです。

龍神木と呼ばれる由来の説明には、なんと平成の御世になってから宮司さんが世にも珍しい神様の奇跡を目の当たりにされたということが記されていました。
いいですねぇ~。(^^)v
世の中まだ捨てたモンじゃないですね。
テクノロジーも大事だけれど、テクテクノロジーを忘れると人間生きていけないように、1000年前にあれだけ記録に残っている神仏の奇跡が今まったくないというのは寂しい限りですもんね。
こうして13000歩余り、芝桜に続いて神様のお陰でいろいろ仕事やらなんやらはさっぱりと忘れて、自分自身のために考えを巡らしながら歩くことが出来たこと自体が、そのご利益に他ならないのではないか・・・そう思っています。
いい一日でした。
ちなみに帰り際にこのような像も発見しました。

まこと秩父は奥が深い!! (^^)v