SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

礒 絵里子 ヴァイオリン・リサイタル “ベルギー・コレクション”

2007年11月27日 23時15分03秒 | 礒絵里子さん
★礒絵里子ヴァイオリン・リサイタル “ベルギー・コレクション”
 《デビュー10周年記念 礒 絵里子 
        ヴァイオリン・リサイタル・シリーズ 第1回》
            (演奏:礒 絵里子(vn)、岡田 将(P))

 《前半》
1.ヴュータン:失望 作品7-2
2.イザイ:遠い過去 作品11-3
3.イザイ:悲劇的な詩 作品12
4.ヴュータン:ラメント 作品48-18
5.ヴュータン:ロンディーノ 作品32-2
6.ヴュータン:アメリカの思い出 作品17
  (ヤンキー・ドゥードゥルによるおどけた変奏曲)

 《後半》
7.ルクー:ヴァイオリン・ソナタ ト長調

 《アンコール》
8.イザイ:子供の夢 作品14

    (2007年11月27日、東京文化会館小ホール)

こうみえて(見えないか・・・)私とてちゃんと仕事に就いている。
今回のリサイタル、何としても聴きたいと思っていたが、今日に至るまで行けるかどうか判らなかった。
ともあれこうして出向くことができ、念願だった礒さんの演奏によるルクーのヴァイオリン・ソナタを堪能することができて本当に満足している。(^^)/


昨晩はこの時間を作るためにほとんど完テツ状態で作業をした。
おかげで今日の昼間は眠くて仕事にならなかった・・・が、とにもかくにもリサイタルには行けてよかったということである。

東京文化会館小ホール前の案内板・・・前半はこのドレス。(^^;)
     

この圧倒的な睡眠不足は、きっとリサイタル中の私の状態にも影響を及ぼしていたであろう・・・。
オチはしなかったが、前半は礒さんの音を漏らさず「浴びた」記憶はあるものの脳があまり適切に反応していなかったようである。
否、脳への伝達系に問題があったのかもしれない。

要するに、いつもは個々の曲へのコメントをくどくど書いているが、前半は多分はじめて聴いた曲ばかりだし、次の総論的な印象以外にどうしても文章にできない・・・ここまでの字数を使ってその言い訳をしたいだけである。(^^;)


このリサイタルは多佳子さんたち、あるいはデュオ・プリマとしてのコンサートのときとは違って、最初から最後まで1言もなく純粋に音楽だけを発信する体裁(こっちが普通なのかな?)で行われた。
もちろん、礒さんは気合の入った圧倒的な演奏で聴衆を唸らせたわけであるが。。。(^^)v

前半で気づいたこととして、まず最初楽器の響きがあまり伝わってこなかったように思えたことがある。
雨が降っていなかったからか・・・と思いもしたが、イザイの半ば辺りからだんだん音に艶も張りも出てきたような気がして、ヴュータンの楽曲に戻って後は、いつもと同じ私が「この音」と思って止まない音色が現われたので安心したことが上げられようか・・・。

前半をしりあがりに盛りあげていくことによって、後半のソナタに気分を高めるという意味では、それも綿密な計算のうち・・・なのかもしれない。(^^;)


そして楽曲については、それぞれに独特なメランコリーを湛えており『知られざる名曲』というに相応しいものばかり。

ベルギーに留学をされていた礒さんならでは・・・かどうかは知らないが、間違ってもお手軽な曲ではないけれど晦渋でもない。。。
一見禁欲的にも思えるが、よく聴くと退廃的とも聴こえるしエロス&タナトスを感じるとも言えるし固有の味わい深さをもっていた。

特にイザイの曲などヴァイオリンとピアノでポリフォニックにびみょ~にずれたことを言っているようで、そのあわいにたち表れる感情の揺れみたいなものに、きっとベルギーってこんなイメージなんだろうな・・・という思いを感じた。
もちろんヴュータンの曲も聴かせるものだったし。。。

もっとベルギーの・・・というよりこの2人の・・・音楽を聴いてみたいと思わせられる楽曲であったし、そう思わせられる演奏でもあった。


ヴュータンの“アメリカの思い出”は新津美術館で多佳子さんと演ったときに、アンコールで奏されたもの。
新津ではアフターアワーズで思わず会場を気楽かつ盛大に沸かせるように楽しく弾かれていたのに対し、今回は、気分が盛大に盛り上がったのは同じだが、なぜか随分格調高く弾かれているように思ったのは思い過ごしだろうか?

やはりプログラムの本割り・・・それも前半の締めくくりに配されている曲であるから、余韻を残したかったんだろうとは察しがつくのだが・・・。


下の写真は、礒さんのサイン入りプログラムである。(^^;)
     

冒頭写真は、そのサインをいただいている時に撮らせていただいたもの。談笑中の素敵な笑顔のところでシャッターを切ったはずなのだが、携帯なんでシャッターのタイミング、解像度、手振れ補正などさまざまな点において限界があった模様・・・。
後半はこの衣装にお召しかえであった!(^^)/

さて、前半最後にヴィルトゥオジティ全開で盛り上がった気分・・・どれほど盛り上がったかは、休憩時間に入った手洗いで「アルプス一万尺」をハナウタで歌ってた人が2名もいたことから明らかである・・・を引き継いで、メインディッシュというべきルクーのヴァイオリン・ソナタに期待がいや増す状況となっていた。

そして果たしてその演奏には全編完全にノックアウトされたと言ってよい。
主催者へのアンケートに「来てよかった」とまで書いたぐらい、気に入った・・・。(^^)v

この曲だけはずいぶん前から知っていた。
それも結構しっかりと・・・グリュミオーの2度録音したうちの後の録音のほう(伴奏がヴァルシのもの)を随分昔から持っていたから。
ただ、この演奏はひたすらセンシティブで美しいグリュミオーのヴァイオリンの音色に対して、必ずしもピアニストが鋭敏に反応していない・・・他にもアルペジオが強いと思われたり、伴奏というよりも、自分勝手に思うとおりに弾いているようなところがあるのも事実。

礒さんたちはそれをどのように解釈してくれるのか、今日はそれがもっとも関心ある楽しみであった。
聴衆のいる生演奏、NHKが録画しているなどの緊張感(演奏中は感じなかったけど、礒さんが気にしていないわけはないと思う)であることが幸いしてか、グリュミオーが考え抜いて出した弱音から若々しさがやや聴き取りにくかったことに比して、礒さんはずっとストレートに曲の機微を伝えながら若々しさも感じさせて素敵であった。

冒頭の夢見がちな若者の空想をたどっているようなところ、半ばピアノとともに盛り上がって語りかけてくるところ、(会場に聴きに(応援に?)来ていた)高橋多佳子さんが「泣けそうにいい」と評した第2楽章・・・(中略(^^;))・・・最後の高らかな終結に至るまで、雄弁でありながら礒さんの伴奏であることを止めなかったピアノと有機的に反応してモニュメンタルな演奏を聴かせてもらうことができた。
もちろんグリュミオーとはちがった流儀ではあるが・・・私には礒さん流のほうが好みだな。日本人だから・・・かもしれないが。(^^;)

ちなみに、私は出だしの入りの瞬間にゾクッと来て、それで最後まで参ってしった。(^^;)


そして、アンコールはイザイの“子供の夢”であったが、これも件のグリュミオーとヴァルシのアルバムに収められていたので知っていた。

ただテンポがぜんぜん違ったために、最初はそれとわからず印象的な子守唄だな・・・と思ったが、いやどこかで聴いたような・・・という感じで思い出したのである。
タイトルからすれば“子守唄”であって何ら可笑しくないと思われるが、礒さんと岡田さんのコンビはアンコールであるにもかかわらず、入念で入れ込んだ表現を聴かせてくれて、この曲も新しい魅力を教えてもらったような気がするブラヴォーな演奏が圧巻であった。


これほどの内容のリサイタルであったから、終演後に、シャイ・・・だと思う・・・な礒さんが「終わった・・・ホッ。」という表情ではなく、あれだけの笑顔で来場者と談笑し、満足そうにしてられたのも頷ける。
10周年記念のメモリアルとして、会心の演奏ができたと感じているのに違いない。



礒さんおめでとう。(^^)/
素晴らしい演奏をありがとう。
そしてこれからも頑張って、素晴らしい音楽を届けてください。

Art Museum SKY Concert

2007年11月19日 04時23分47秒 | 礒絵里子さん
★Art Museum SKY Concert
          (演奏:礒 絵里子さん(vn)、高橋 多佳子さん(p))
 《前半》
1.エルガー:愛の挨拶
2.クライスラー:美しきロスマリン
3.クライスラー:中国の太鼓
4.篠原敬介:Forest of the Piano
5.ショパン:スケルツォ第2番 変ロ短調
6.ラヴェル:水の戯れ
7.ヴィヴァルディ:「四季」より『秋』
 《後半》
8.フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
 《アンコール》
9.ヴュータン:アメリカの想い出
10.ハーライン:星に願いを
          (2007年11月17日、於新津美術館アトリウム)

家人と一緒に新潟の新津美術館にコンサートを聴きに行った。
この日、日中は雲ひとつない快晴であったが、夕刻の会場直前にパスタ料理を賞味し車に乗り込むとき辺りから俄かに強い雨足に見舞われ、雷鳴が轟いた。。。

もちろん礒さんの絶好調を告げる前兆にちがいないと、にんまりしたことは言うまでもない。(^^;)


会場である美術館のアトリウムとはどんなコンサートホールなのかが気になっていたが、大理石をベースに作られた空間はなんともゴージャス。
演奏時にステージを除き灯りが落とされると、宮廷ほど大仰ではないけれど夜空も覗ける独特の雰囲気がいいムード・・・である。
イスはオシャレであるとはいえチャチかったが・・・。(^^;)
しかし演奏時ののライティングは幻想的でステキであった。


いつもこうしてコンサートの感動をしたためているが、難しいことは抜きにして、私にとってはこの二人が演奏して悪かろうハズはない・・・。
家人とともに掛け替えのない時間を楽しむことができた・・・で十分である。

とはいうものの、気づいたことだけ自分の覚えとして書いておくこととする。(^^;)

     

プログラムのうち4・5・6は先日立川でも聴いた演目である。
しかし、会場のロケーションやピアノが違うとこれほどに違うのかというほどに音の粒立ちの雰囲気が変わり、透明感が上がったりロマンティックに聴こえたりと不思議なほど。。。
要因のひとつには、横に家人がいたからと・・・いうことも挙げておいた方がなにかと都合がよさそうであるので、そうしておくこととする。

多佳子さんの演奏ではスケルツォ第2番の炸裂も爽快であったが、なによりもカンタービレの歌いくちの気分が颯爽としていて新鮮だった。
もうひとつこの演奏で忘れられないのは、わずかにだが珍しくそれと判るミスタッチがあったのだが、そこでひるんだりナーヴァスになることなく演奏の集中力は更に昂まり、コーダに至るや曲想に引きずり込まれて息が詰まりそうだったこと。

水の戯れについても、この会場のロケーションでは音の肉厚は望みにくかったけれど、粒立ちはさっぱり聴こえる傾向があったので、多佳子さんの言うキラキラはより強く感じられるようになっていたと思う。

前回の立川ではこの曲は「生涯2度目のお披露目」とのことだったが、この短期間の間にもいろんなところで弾き込まれたとみえて、ずっと手についたイメージがあった。
立川で「寝起きでもすらすら弾けるようになりたい」と仰っていたの境地は、すでにかなり現実味を帯びてきているのだろう。
もちろん、指慣らしはしなければならないのだろうが・・・。


さて、この記事を投稿するにあたりカテゴリーを磯さんにするか多佳子さんにするかで迷ったのだが、このコンサートのメインはやはりフランクのヴァイオリン・ソナタであろうから「磯さん」カテゴリーにするとした経緯がある。

初手のエルガーの「愛の挨拶」での磯さんのヴァイオリンの音色に早々と鳥肌が立って以降、クライスラーの小品やヴィヴァルディにおいても多様な音色を期待通りに楽しんでいたのだが、正直に言えばフランクではこのような演奏になるだろうと私の抱いていたイメージとは必ずしも一致していなかった。
もちろん演奏内容に不満があったわけでは決してなく、曲の新しい側面を聞かせてもらった思いである・・・といって差し支えないと思ってはいる。

全体的に言って、このような感想を持った主因は「ソリスト・・・それもB型」のおふたりがコンビを組んでいることであろう。
真意を表現するのは難しいのだが、2人で共に曲(のムード・・・曲調?)を形作るところ、それぞれが曲の求めるところに応じてかあるフレーズを非常に印象的に刻むことがあった・・・と言い換えたら少しは伝わるだろうか?
将来の自分のためにもわかるように書き残しておきたいのであるが・・・。

「流れに棹差す」というと昨今「流れに乗る」という本来の意味のほかに「流れを堰き止めようとする」という意味もあるそうだが、そのそれぞれの繰り出すフレーズがどっちの意味でも『流れに棹差している』状態になるような、それもごく何気ないところで「えっ!?」と思わせられるように弾かれていることがあったので、新鮮だったというかビックリしたというか・・・「はっ」とするぐらいならまだしも。。。(^^;)

ただこのお2人が協調して「曲」に挑んでいく姿勢のときの凄みにはいい悪いは関係なく、また私のしょぼい感性が抱きうる期待などはるかに越えて鬼気迫るものがある・・・そしてこれは正に期待通りであった。
そのときに私が感じるフィーリングこそが、この2人の演奏に求めるものなので、結果としてその意味では大満足!!・・・なのであるが。(^^;)


具体的には第4楽章のコーダ、お気楽メロディーの曲だと思っていましたが、こんなアスリートな曲だとは。(^^;)
最後の前の音、弾ききったという感じの礒さんのボウイングには、以前ブラームスのトリオの最後で聴いたあの熱狂が感じられ、頭の先から煩悩がスカッと抜け出ていく気がした。
ヘンな表現だろうか?

逆に新たな気づきとも言うべき印象を持ったのは第3楽章。
展覧会の絵のプロムナードみたいに第1楽章冒頭のヴァイオリンのメロディーがピアノで表される辺りなど、このように感じられたのははじめてである。
各楽章で朗々とあるいは強奏される、例の循環形式の主題みたいな3つの下降音階に始まるフレーズにせよ、巧みに配されている曲であり、その意味では展覧会の絵の例えの他、リストのロ短調ソナタみたいに手を代え品を代えしているんだということが、しっかり認識できた。

ここからが「新たな気づき」なのだが、件のフレーズは強奏されるときは絶対に悲劇的・絶望的なニュアンスであるものだと思い込んでいたのだが、この第3楽章においての御二人の表現は楽観的とまではいわないが英雄的・あたたかさ・おおらかさ・慈しみをも感じさせるような趣があった。
多佳子さんの左手の湛える底光りのする深み、磯さんの野太い(というと語弊があるが言葉が思い浮かばないので失礼)・・・そんな感じの深みある音が今も耳の奥に残っていて、この夜の白眉だったと思っている。

ところで多佳子さんには「第2楽章を期待しています」と言っておいたところ、ベラ・ダヴィドヴィチを意識して脱力して弾かれるとの所信表明を戴いていた。
いつもながらの豊かな響きを湛えていながら、毅然としてもたつかない左手のリズム(グルーヴ?)に乗って進行していく演奏に私は満足したのであるが、ご本人はまだ課題を見出しておられるようである。

この楽章に限らず、またおふたりで楽譜から新しいことを発掘していただき、我々に届けていただくことを願って止まない。

     

さて、アンコール最後に奏してもらった「星に願いを」はピノキオのあの曲である。

昨年の今時分、静岡時代の同僚が亡くなったときに磯さんのディスクにあるこの曲の演奏に深く慰められた記憶がある。
折りしもコンサートの少し前に、その同僚の奥様から「一周忌を迎えたが、新天地で元気で頑張っている」との音信が取れたばかりであった。

私にとっては掛け替えのない曲であり、この演奏の間中そんなことどもを思い出しながらしんみりと聞き入った。
これは(後に事情を話した)家人にあっても同じ思いになったろう・・・。

礒さんに話したら「そういってもらえると・・・」と仰ったが、彼女の芸術にはそんな個人的なできごとに更に深く感銘を与えてくれる力がある。

ここでこの曲を選び、その芸術の力を十二分に魅せてくれたお2人にあらためて深く感謝したい。


多佳子さんは終演後、プログラムにサインしてくださる際に「私たちもっとうまくなるよね!」と礒さんに向かって仰ったが、「おふたりが音楽に向かって真摯に信じるところを研鑽し続けられる限り、その成果を聴くために追いかけていきますよ」と応えたい。

このデュオにあっては、その鳥肌が立つほど感激するというお互いの音をよ~く聴きあって、2人がこうだとおもう音楽を楽しんで作り上げていただければ、それで夢は叶うんじゃないかと・・・そう信じて疑わない。

もちろん夢には演奏者だけではなく聴き手である「私」のそれも含まれている。

録音コンセプトの違いで・・・

2007年05月17日 00時00分00秒 | 礒絵里子さん
★モーツァルト:ミサ曲 ハ短調 KV427
                  (演奏:エマニュエル・クリヴィヌ指揮 シャンプル・フィルハーモニック)
1.ミサ曲 ハ短調 KV427
                  (2005年録音)

今回は2種類のモーツァルトのKV427の演奏を聴いた感想であります。
まずは、先般メンデルスゾーンの交響曲『イタリア』ほかのディスクを紹介したクリヴィヌ指揮シャンプル・フィルの演奏・・・といっても私にはデュオ・プリマの神谷未穂さんがいるオケという受け止め方のほうが大きいのですが・・・であります。
ここでは神谷さんは第一ヴァイオリンに名前が見えます。
メンデルスゾーンでは第二ヴァイオリンだったのに・・・。
そりゃ楽器が変わるわけじゃないからどっちでも良さそうなもんでしょうが、どうやって決めてるんでしょうね?

指揮者というのはとても耳がいいと聞いているので、「君の楽器の音色と弾き方の傾向を考えると、第二ヴァイオリンの2列目の2番目だと他の奏者とのバランス的にもぴったりだけどいいかい?」というような打診がくるのでしょうか?
ブーレーズならそんな感じでやってるのかもしれないと思いますが、バーンスタインの言に「オレはブーレーズじゃない!」と些事にこだわろうにも能力が足らないと開き直っているような大指揮者さんもありますから、みんながみんなそうするわけにも行かないんでしょうね。

でも、ツィメルマンは弾き振りのリハーサルでフルートの音が通るように構え方を指導したという話もあるようだし、一人ひとりの音は聴きわけているようで・・・凄いもんです。

実は案外くじ引きで決めてるとか、オケ主導で指揮者の意見は参考に過ぎないとか・・・なんてね。(^^)/
オケの経験がない私には、見当が付きません。年功序列ってことも・・・あるのかなぁ?


さてさて肝心の演奏ですが、非常に直接音をきれいに捉えたうえで美しく残響を乗せたという感じの録音であるために、ほどよい距離で思わずうっとりと引き込まれてしまいました。
このやや間近な距離感が現実感・生々しさ・真実味という雰囲気をこの演奏に加えていることは間違いありません。
加えて楽器の音それ自身にも非常にあったかみが感じられるために、それなりの編成だと思うのですがインティメートな空間の大きさいっぱいに音が行き渡っているというイメージの音場が形作られています。

でも最も感銘を受けたのは、声・・・それも独唱・・・と楽器のバランスであります。
冒頭キリエで合奏が先に述べた温度感を持って鳴り渡り、合唱が入ったときのバランス、さらに(サンドラ・ピオーだと思いますが)ソプラノ独唱が現れるときの声を引き立てるように器楽・合唱がふさわしく慎ましくなっていく感じが凄くゾクゾクして印象的でした。
もちろん、それに応えてこの世のものとも思われぬほど美しい歌唱を聴かせてくれるソリストもすごいんですけどね。
要するに、主役同様脇役もあまさず凄いと思わせられるということです。

ミサっていうのはキリスト教の典礼に則ってるわけですから、実際に教会でこのような演奏に出会えるということもあるんですよね。
そんなときこそ、本当に心洗われる思いになれるかもしれませんね。


★モーツァルト:ミサ曲 ハ短調「グレイト」
                  (演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イギリス・バロック管弦楽団)

1.ミサ曲 ハ短調 K.427「グレイト」
                  (1986年録音)

これも手に入れたのは遥か昔・・・。
シャンプルを聴いて、聴いてみようと思ったディスクです。こういう聴きかたってピアノではしょっちゅうしてますが、オケでは余りないこと。。。
もとより持ってるディスクの数が断然違いますから、当然といえば当然です。
すべてのジャンルに、全力投球しちゃったら金も時間も足りませんから・・・。

でも、新しく手に入れたディスクを聴いて、何がしか思うところがあって記憶の彼方に行ってしまっているようなディスクをディスカヴァーすると、一粒で2度おいしいって感じでトクしたような気になりますから、今後とも注意して新しい発見ができるように虚心に聴いていきたいなと思います。

こちらは当時日の出の勢いだったガーディナーによる演奏。
最初に聞いたときは、線の細い、あえて言えば貧弱にも思える演奏と思いましたが、いにしえの大時代的な現代オーケストラばかりに慣れていたわたしの耳が素直に受け付けていなかった、あるいは当時の感覚ではこの演奏、録音のよさを受け付けるレセプターがなかったということになるのでしょうか?

まずはシャンプルと比べると少しオフ気味の録音であることがわかります。
それによって、大き目のホールでの広い空気感を表した音作りを目論んでいるのは明らかです。
当然、細身の音色のする楽器もマイクまでの距離が遠いから、残響を伴った音としてフォーカスされてこのような音になる・・・。
で、トゥッティなどでは“総奏”というより残響などの付帯音も含めた音の塊として音盤の中に収められているため、音が前にせり出してくるのではなく後ろに展開するように聞こえるのだということもわかりました。

これだけでシルヴィア・マクネアーのこれも透明な美しい声の印象が生々しさではなく、全体の中のひとつのパートとして聴こえることの説明ができるように思います。
要するに録音のコンセプトがまったく違うので、同じ曲でありながら受ける印象が大きく変わるということです。

というわけで、こちらは広大な声・器楽の空間でスケール感(スケールが大きいのではない)豊かに、生気にあふれる演奏が聴かれます。
技術的にはクレドの後半でのソリストの声のコントロールが巧みで、よくぞ自分の意思であれだけ声のゆれをコントロールできるものだと恐れ入ったことが最も印象に残っていることでしょうかね。

わたしの楽曲の好みでは、シャンプルのところで触れたようにキリエなどでひきこまれる箇所もないわけではないのですが、イマイチまだ馴染みがないというのが正直なところです。
特にミサという典礼の儀式上、最後がどうなっているかわからないのですが騒々しいもんなんですか?
フォーレのレクイエムにしたって、最後は消え入るように幸せに静かに終わるのに・・・。
ベートーヴェンの運命といわないまでも、シベリウスのヴァイオリン・コンチェルトもかくやというような分厚いリズムに乗ってミサって終わるんですかねぇ?
ミサの目的にもよるんでしょうが、天国に行きましたよ・・・という感じで終わってほしいですね。

曲に文句つけてもしょうがありませんね。
でもいずれの演奏とも、最初から最後まで興味深く聴きとおさせてもらいました。
演奏もそうですが、録音が好対照だったこと・・・やっぱり、CDの再生芸術には演奏の好悪と並んで、録音の要素が非常に大きなウエイトを占めるんだなということを再確認した次第です。


ところで、神谷さんのブログによると、フランスにおいてシャンプル・フィルはベートーヴェンの運命を演奏会にかけていた由。
是非とも、聴きたいものですねぇ。そのディスクができることを心待ちにしていたいと思います。(^^)v



※出張のため先日付投稿します。

まろやかな色彩感と躍動感

2007年05月12日 00時00分20秒 | 礒絵里子さん
★メンデルスゾーン:交響曲集 イタリア、宗教改革
                  (演奏:エマニュエル・クリヴィヌ指揮 シャンプル・フィルハーモニック)
1.交響曲第4番 イ長調 『イタリア』
2.交響曲第5番 二長調 『宗教改革』
                  (2006年録音)

メンデルスゾーンの交響曲が時代楽器で演奏され、またそれがディスクになることは珍しいことなのかもしれません。
しかも、あのクリヴィヌの指揮だという・・・。

この方は私にはドビュッシーのエキスパートのように思われてまして・・・ケルン響との間に、素晴らしく精妙なドビュッシーの“夜想曲”などが収められたディスクがありますよね。
あと思い出すのはピリスのショパンの第1番コンチェルトのディスクで付けていたことぐらいでしょうか?

このディスクを手に取ったきっかけは、レコ芸の海外盤の紹介の欄に推薦されていて、第2ヴァイオリンに(デュオ・プリマの)神谷未穂さんの名前があると記されていたこと・・・そのうえで彼女のブログを覗いてみたら、確かに紹介されているので間違いないと思い、良いか悪いかわからないまま購入してみました。

しかし、このディスクがなかなか素晴らしいのです。
まず音がしっとりとまろやかにほどよく濡れているのがいい。そしてクリヴィヌの解釈はまったく奇を衒ったところがなく、全てのパートが極めて自然に溶け合って一つのまとまった世界を作り上げているのです。

全般的に躍動感にあふれ、聴き手にもそのパワーが伝わってくるような演奏であるため、あっという間に1枚を聴き終えてしまうような感じがします。
とにかく音量の増減・・・フォルテでもピアノでも・・・音楽の密度感が薄まらないのは「なんでだろぉ~」と思えるぐらい不思議であります。

特にイタリアには数々名演があるわけですが、これだけ“ほどよい”加減の演奏を他に知りません。
確かに、イタリアの風光明媚さを感じさせ明るい陽光をイメージできる演奏は数々あります。でも、えてしてそれらはオゾン層が破壊されたんじゃないかと思われるほど直裁にすぎ、明晰にすぎて、「ちょっと紫外線強すぎ!」と悲鳴を上げたくなることも少なからずありますからねぇ。

宗教改革はこのディスクでしか聴いたことがないのであんまり比較論は出来ないのですが、一聴して言えることはとてもよくまとまった演奏であるということ。

メンデルスゾーンはよく松竹梅のうちの竹の音楽、要するに中庸を行く音楽などとよい意味でも悪い意味でも評されることがありますよね。
この演奏は、その中でも最良の意味で最も中庸をいく解釈・演奏であると申し上げておきましょう。(^^)/

そして特に「イタリア」において、溌剌とした躍動感を内に秘めていると感じさせる点については、数あるこの曲の演奏のうちでも出色のディスクであると私は思います。

この次はどんなレパートリーを開拓してディスクをにしてくれるのか、とても楽しみです。

礒絵里子さんのオール・バッハ演奏会

2007年02月26日 01時16分53秒 | 礒絵里子さん
 木野雅之プロデュース “ヴァイオリン・スピリット” ―第1回―

★J.S.バッハ:“ゴールドベルク変奏曲”、弦楽トリオ版。
               (演奏:礒 絵里子(vn)、谷口 真弓(va)、水谷川 優子(vc))
1.小フーガ ト短調 (加藤昌則編) BWV.578 <弦楽三重奏>
2.主よ、人の望みの喜びよ (加藤昌則編) カンタータ第147番 BWV.147より
                             <ヴァイオリン & チェロ>
3.シャコンヌ ~無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番二短調 BWV.1004より
   ※ 休 憩 ※
4.ゴールドベルク変奏曲 (シトコヴェツキ編) BWV.998 <弦楽三重奏>
   ※アンコール※
5.ガヴォット ~無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番ホ長調 BWV.1006より
6.小フーガ ト短調 (加藤昌則編) BWV,578 <弦楽三重奏>
                  (2月23日(金)、杉並公会堂大ホールにて)

いよいよ礒絵里子さんのオール・バッハ・プログラムによる演奏会を記事にします。

最初にぶっちゃけた感想を言えば、「彼女の真価が顕れたとても素晴らしい演奏会であった」ということになりましょうか・・・。

人に伝えるためだけならこれだけで十分なんでしょうけど、後は自分の記録のために書きますね!
でも、せっかく書くんだから皆さん読んでねって思ったりもするんですけどぉ~。
・・・って、かわいくないから残念!
いままで散々前振りをしたことでもあり、もう少し書かせてくださいな。(^^)/



前半の礒さんの衣装は紫っぽい色でした。
そう言えばチェロの水谷川さんは、熱帯魚のグッピーの尻尾を思わせる色合いの衣装で印象的でしたねぇ。

プロデューサーの木野さんの挨拶の後、お三方が登場されて第1曲。
あれ・・・?
“小フーガ”が始まったので、一瞬戸惑いました。
というのは、印刷されているプログラムには1曲目が“主よ、人の望みの喜びよ”になっていたからです。

しかし、そのユニゾンというか3人の合奏で始まった響きの美しかったこと!!
お客さんの入った会場での響きの具合を確かめるかのように、伸びやかでしなやかな中にも神経を行き渡らせた音響が、すぐに私の心を演奏に引き込んでくれました。

それにしても、この会場の響きは抜群です。
説明でも「響きは世界的に見ても有数」と言われていましたが、納得であります。
普通弦楽合奏をしたときに響きがいいといわれる会場は、確かに音が溶け合っていたとしても音が前の方に出てこないことが多いように思います。
でもここは音がきちんとブレンドされていながら、きちんと前の方に届いてくる印象があります。
この追い風もあって、小フーガは私にこのアンサンブルの無上に美しい響きを印象付けてくれたのです。

あと特筆すべきは編曲の妙。
私はヴァイオリンにせよなんにせよ冒頭は単一の楽器から始まって他の楽器が絡んでいくように思っていましたので、いきなり全員の合奏から始まったのには驚きました。
でもそれが前述のように、アンサンブルの美しさを強烈に印象付けることにも繋がったので幸せな編曲だったと思います。

続いては、プログラム上では第1曲となっていた“主よ、人の望みの喜びよ”です。
礒さんと水谷川さんによる演奏。

ヴァイオリンもチェロも重音のアルペジオで旋律を奏でなければならない世界があるので、とんでもなく厄介な曲になっているのではないでしょうか?
曲の要請でそうなっているわけで、編曲者のせいじゃないんでしょうけど・・・。
こんなことができるんだ・・・って感じでした。

とはいえ、コラールの合唱のうえでオブリガートをつけているフレーズなどは、やはりヴァイオリンじゃないと“こうはいかない”というしなやかさを感じさせましたし、いろんな編成で聴くのも楽しみがあっていいもんです。
でも多分、やってるほうはメッチャ大変だったと思います。

礒さんは曲が進むにしたがって人数を3-2-1と減っていくようにしたと述懐されているのですが・・・。
3曲目は礒さんのソロ・ヴァイオリンによる“シャコンヌ”。

この演奏会に行くと決めた最初の動機は、この“シャコンヌ”聴きたさといっても過言ではありません。
このときは私のほうが気合はいりました。

普段なんの思い入れもなく弾き始めるような印象のある礒さんも、この曲ばかりはほんの一瞬ですが「いくぞ」ってな素振りをみせてから弾き始められましたね。

その演奏の素晴らしかったこと!!
あっという間に全曲終わってしまったような気がします。
一音たりとも聞き逃すことなく、文字通り手に汗握って聴きました。
もはや私の心の中では“シャコンヌ”を聴くときのリファレンスになってしまった感があります。

Tiaraのデビューコンサートでの“ブラームスのトリオ”の最後で一瞬感じたあの感覚が随所で味わえました。
それは礒さんの全身全霊を込めたボウイング・・・。

礒さんは曲を演奏するときにオーバーなアクションは一切ないし、表情もほとんど変わらない・・・演奏中にコーコツとしてるような表情は一切ない。
そして出てくる音の形についても極端にタメを効かせたり、見栄を切ったりするようなところはない・・・。

そういう表現法を取るのではなく、決まったテンポ、決まった音価の音の流れの中で全てを表現しつくすことこそが礒流だと感じてきました。
そしてそれができちゃうのが、礒絵里子をとんでもなく凄いヴァイオリニストだと信じる所以であります。

ヴァイオリンから繰り出される音色・音質は聴く者の心にダイレクトに働きかけてくるようだし、場面が転換するときは決して大袈裟ではないけど鮮やかに“ハッと”変わる・・・。
礒さんが音量をふっと落として息を潜めると、こっちもそうなる。

ヴァイオリンってそういうところが悪魔的なのかもしれませんが、左手は指板を押すと同時に私達の心のツボも圧しているようで、ボウイングによってマリオネットのように心を操られるような感じがしたりもする。

いつまでも礒さんの演奏の虜になっていたいと思いながら聴いておりました。

休憩時間になっても、1分ぐらい余韻に浸って動けなかったですことよ。(^^)/



当日のプログラムです。礒さんの写真の下にサインしてもらってます!


さてさて後半に入って、お三方とも真っ白なドレスに着替えられまぶしいくらい。

終演後、礒さんに冒頭の写真を撮らせていただいて少しお話したときに見たら、えらい刺繍とか手が込んでるんですね~。ビックリしました。遠くからじゃわからないヒダヒダがいっぱい。
演奏同様、作りこんであるんですねぇ・・・、という余談はこれぐらいにして、と。

後半は“ゴールドベルク変奏曲”1曲のみ、といっても1時間以上かかる大曲ですから・・・。

全曲楽しんで聴きましたが、間違いないだろうと思ったのは編曲者のシトコヴェツキさんは「チェロ奏者じゃない」だろうということ。
さんざんバスの音ばかり担当させていたかと思うと、第26変奏ぐらいだと思いますが、高速な旋律をヴァイオリン⇒ヴィオラ⇒チェロと何度も受け渡すところがあって、あれはシロート目に見るからに編曲にムリがある。

それを弾きこなして違和感を感じさせない水谷川さんもすごいのだろうが、他の楽器のパートでも大変だと思うのに「あれをチェロにやらすの?」って感じで容赦がない・・・。
プロデューサー様も終演後にロビーでお話されている中で、そんなことを仰っているのをたまたま耳にしてしまいました。
「自分がチェリストだったら、あんなふうに書かないでしょう。」と思っていたら案の定違いましたね。編曲者はこの編曲版をグールドに捧げたという話も後から知りました。

ところで、この曲は構造上3曲ごとのまとまりとして構成されているとよく言われるようです。

これに対して礒さんが愛聴しているというペライアは、冒頭と最後のアリアを含めて32曲あるのを8曲ごとの組曲であると考え、なおかつアリアの旋律の役割に各変奏をなぞらえたうえで、8曲ごとの4つの組曲をキリストの活動(たとえば最後の8曲は磔刑になってのち復活する)をあらわすドラマとして構成された曲であると考えているようです。
何が正しいかは別にして、とにかくいろんな解釈があるのです。

しかしながら、この編曲に関してはそのような何曲ごとにまとめてとかいう考えはないように思いました。
単純に(とはいっても難しそうだが)その曲が弦楽トリオで麗しく響けばよいのだという考えに沿って編曲がなされているのだろうし、少なくともお三方の演奏はそのスタンスではなかったかと思います。

その編曲の特徴ですが、演奏効果の点からは低音楽器のピッツイカートに乗って進められたり、いろんなパターンの二重奏でいつもひとりお休みしている変奏があったり、先ほども触れたロックさながらの早弾きの受け渡しがあったり、ヴァラエティーに富んだ構成で飽きさせないように出来ています。

どの変奏においても礒さんが終始アンサンブルをリードして、極めて密度の高い演奏になっていました。

やはり弦楽ということでいくつか気づいたことは、最初のアリアでチェロとヴィオラが和音を保持しながら礒さんが旋律を奏でる中で、持続する音の音色を変えることで曲の雰囲気を一瞬にして変えてしまうのはやはりこの編成ならではだなと思いました。
ピアノじゃこうはいかない・・・。
そもそも持続した音がないし、一旦出した音色を途中で変えたり、音を大きくすることは構造上できないわけだし。

また鍵盤楽器のときはアルペジオで弾かれているところが、どう雰囲気を出していたとしても前打音のように聴こえるところがあったこと。

そして25変奏(だと思う)などのゆっくりした曲では、このうえない精妙なアンサンブルがアタック感のない音色でウットリさせてくれました。
この曲はピアノで弾いたのを聴くと、私にはいじけているように思えるので新しい発見でしたねぇ~。こんな麗しい曲だったとは!

この後、原曲では高音部で早いパッセージが続く曲が何曲かあるのですが、礒さんのヴァイオリンはその旋律を“天空を駆けるごとく”というのではなく、アンサンブルに溶け込ませてという解釈を取られていましたね。そして極めてそれが座りがいい。
ピアノだとあのパッセージが前に出ないと、何弾いてるかわからなくなっちゃうところかもしれません。
あらためて編成が変わると、曲に当てるべき光の角度も変わるんだなと思った次第です。

そして最後の変奏のクォドリベット。
この曲が終わったときに、私には弦楽トリオなら「ここで終わってもいいのでは?」というぐらい充足感を感じました。

もちろんその後、アリアが回帰して大団円となるわけですが・・・。


で、最初の曲からずっと感じてたことですが、前列のやや右の方に曲の最後の響きが消える前に大喝采をし始める人がいる・・・。

なんかこう違和感を持ってたんですよねぇ~。
クラシック音楽のうち曲の途中から拍手していいのは、ニューイヤーコンサートのラデッキー行進曲だけだと思ってたもので。
まぁラヴェルのボレロとかだったら、転調した後ぐらいからなら大歓声とともに壇上に登っていって指揮者をハグしてもいいかもしれませんけど・・・。
あくまでもカンドーしたらですよ!

このテの室内楽ってピアソラとかジャズとかとは違って“じんわり”感動がきてるわけですから、最後の音が消えてのち、さらに一呼吸おいてから、感動した人は拍手すればいいと思うのです。
というか、そうなるはずなのです。

パフォーマンスに拍手しているというより、パフォーマーに拍手しているような気がしてた私。
「ボクの拍手を一番先に届けたい!!」っていう感じかな。
それはそれで分からんでもない・・・。

最初に拍手を始めた一団が、他の人が感動に浸っていて拍手を始めないのですぐ止めちゃったために少々オモシロい雰囲気になりました。

じっくり聴いてたお客さん、「やっぱりオトナだねぇ」って・・・。



そして、アンコール。

まずは礒さんによる“ガヴォット”でしたが、“シャコンヌ”とは打って変わってリラックスしたなかに充足した喜びを感じることが出来る演奏。
十分に格調高い演奏だったけれども、きっと弾いてる礒さんにも、そして聴き手にも同様の満足感を共有できているものだったと思います。

最高の意味でのアフターアワーズ的な演奏でした。アンコールはすべからくこうありたいですね。

そして当然お三方によるアンコール。
冒頭に弾かれた“小フーガ”の再演となりました。

ゴールドベルクのアリアが回帰するのに倣ったのかな・・・と即座に思いましたが、当初響きを重視していたように思われたこの曲が、こちらも開放的にというか殆ど奔放な演奏となって興味深かったです。
特にヴィオラの谷口さんが弾んでたように思えたのですが・・・。(^^)v

かくして非常にすっきりと座りのいい構成のプログラムとなり、私も大満足。
少し斜め後ろに座っておられたプロデューサー様もまん丸の体を弾ませて、満足の意を表明しておられるように拍手されておりました。


それにしてもゴールドベルク変奏曲ってこんなに人口に膾炙した作品だったんですね。
やっぱりグレン・グールドの影響が大きいのでしょうか?
彼が現れるまでは敬して遠ざけられていたような感があったようですものね。
私も一時そうでした・・・長いし・・・。

このような弦楽トリオ版のほか、ギター、リュート、サクソフォーンによる編曲版もあるようだし、今月のレコ芸の海外盤紹介によると管楽合奏によるヴァージョンもあるらしい。
ピアノとチェンバロの演奏は何種も持っていますけど・・・。

弦楽トリオ版は、今回の演奏を私の中でもう少し発酵させて寝かせておきましょう。
ぜひ礒さんには、今回のトリオでディスクにしてもらえれば愛聴盤がひとつ増えると思うので・・・と期待しておきたいと思います。


最後の写真は私もゴールドベルグ変奏曲の構成に倣って、前座の記事“召しませ花を・・・”の冒頭の写真と同じ湯島聖堂の脇で咲いていた大輪の花をもう一度回帰させましょう。

“アリァ!?”っていう感じで、サプライズになれば嬉しいな。(^^)v 

今のオヤジギャグを“さむ!”といわれると悲しいな。

ともあれ礒さんたちの素晴らしい演奏に捧げたいと思います。


礒さんへ
写真を撮らせていただき、サインまでいただいてありがとうございました!

前の記事にも花はあるので、ここに2輪しかないからってけんかしないで分けてくださいね!!
なんちって・・・。(^^)v

“デュオ・プリマ&鈴木大介さん”のコンサート

2007年02月01日 00時00分50秒 | 礒絵里子さん
冒頭写真は、新潟市民芸術文化会館。
通称“りゅーとぴあ”の5階にある“能楽堂”であります。
光っててよく見えませんが、舞台&橋渡しの向こう側に竹林(!)があります。

さて、デュオ・プリマおよび鈴木大介さんはすでに新潟、ことに“りゅーとぴあ”ではおなじみのアーティストでいらっしゃったようです。
このクラシックのコンサートには似つかわしいとはいえない空間も、よくご存知でいらっしゃったようだし、聴衆もデュオ・プリマの礒さんおよび鈴木大介さんのことはよく知っているという間柄のようでしたね。
私はここで礒さんに会うのは初めてでしたが・・・。

なにしろ、りゅーとぴあにおいて行われたワン・コイン・コンサートに出演した人を対象にして聴衆向けに人気投票を実施し、得票の多い人によるガラ・コンサートを企画したときの1位が鈴木さんで2位が礒さんだったわけですから当然といえば当然か。。。

そのガラ・コンサートはチケットを入手しながら転勤のドサクサで、知り合いに切符を譲らざるを得なかったといういわくつきのものでありまして、またその知り合いが“良かった”なぞと念入りに礼を言ってくれたりして、余計にクヤシー思いをしたという経緯があります。

したがって今回のこのコンサートはたいへんに楽しみにしていたものであり、まさに半年振りに溜飲を下げることができました。礒さん目当ての私としては、彼女がステージに出ずっぱりでいてくれる今度の方が良かったには違いないのですが、やっぱり前のも見たかった・・・。
いや、聴きたかった。

そんな思い入れもあってか、コンサートの感想は大満足です。
いや、演奏そのものもとても素晴らしいもので、軽妙とは言いがたいけれど、つかみどころもなかったけれど、何か独特の雰囲気を醸し出していたトークと相俟って、思い入れの如何にかかわらずかみさんともども楽しい時間を過ごさせていただきました。

個々の曲などの感想を書き出したらキリがないので、演奏に関して3点だけ振返ることにいたします。

まずヴァイオリン2台にギター1台でどのようにバランスを取られるのか、そしてどのようなアレンジを施されるんだろうということ。
聴いた結果は、もちろん流石“従姉デュオ”という感じでしたけれど。

ツィゴイネルワイゼンで顕著でしたが、主題のメロディーをユニゾンで奏することによって雄渾さが増し、ひとりが旋律を弾いているときにもうひとりがカウンターメロディーであり、ほんのわずかな音色を添えることで驚くほど色彩感が豊かになる・・・。
例えば一人が急速なパッセージを弾いているときに、もう一人はピツィカートで応え、繰り返しでは役割を交替するとか。。。
それが技巧が確かなだけというのなら驚かないですが、フレージングの音色も表情もまったく揃っているのには舌を巻きましたねぇ。べろんって・・・。
そんなに揃えて弾けるのならば、ステージでの立ち位置を頻繁に変えなくってもいいのに、とかまた余計なおせっかいを思ったりして。

ギターの鈴木さんも、デュオ・プリマのお二人が「立体的な演奏をされる」と評しておられましたとおり、1人が緩急自在に弾いたとき以上に、一人ひとりが緩急自在な2人がお互いの音を聴きながら生み出す音である訳ですから、表現の幅は飛躍的に広くなるんだなと納得した次第です。
なんたって3人とも自在なわけですから・・・。どうとでもできちゃうんでしょうね。

コンサートに行くまでに“トラヴィアータ・ファンタジー”というデュオ・プリマのCDを聴き込んで行きました。
(ジャケットにサインをいただいたので後日ご紹介します。)
最初に聴いたとき、2台のヴァイオリンの絡み合うさまを聴いて「どっちが礒さんで、どっちが相方の神谷さんかを聞き分けられるようにする」ということを目指して聞き込んでいたわけですが、弾いている姿を見ていてもあれだけ音色からフレージングが同質で聞き分けにくいとしたら、ステレオで聴いたときの位置関係から判断してどのフレーズをどっちが弾いているかということで聞き分けるしかないと思い至りました。
これだと2台の弾いているフレーズは追えるのだけど、誰がどっちだかわからない。
んじゃ、ダメじゃん。。。残念!!

さてさてコンサートでは礒さん、神谷さんがそれぞれソロで弾かれた曲もあります。
礒さんの弾いたファリャ、神谷さんの弾いたパガニーニが印象に残っているのですが、そこでは確かにヴァイオリンの固有の音色の特徴もあるし、お二人それぞれの演奏に由来する特徴もありました。

具体的には、礒さんは左のブックマークのコメントにも書いたように「表現できない感情がない」というか、私の脳裏にちゃんとしたイメージが浮かぶような演奏をされます。神谷さんはとにかく音がすっくとしていて、見栄を切るかのような音の素振り(身振りも伴いますが)が小気味良いという感じでした。

しかしデュオ・プリマになると一人が息の長い旋律を歌うような場面でない限り、弾き出される音質は非常に似通ったものになります。
ワザだなぁ~。
聞き分けようなんて思わずに、単に楽しんで気楽に聴かせてもらったほうがいいみたい。

次に印象に残った曲ですが、すべてです・・・。
では始まらないのでピアソラとアンコールのモーツァルト“トルコ行進曲”について少々。

ピアソラは礒さんに合ったレパートリーだと思います。礒さんがピアノの高橋多佳子さんとチェロの荒庸子さんと組んだ“Tiara”で聴いたときもそう思いましたが・・・。
とにかくやりたいことを思い切り演っても曲が表現を許容してくれちゃうというように私には思えました。曲の懐が深いというよりも、相性がいいのでしょう。

神谷さんとも相性抜群のようですし、特にギターの鈴木大介さんには思い入れの深い作曲家のようですね。我が国ギター界では鈴木さんがピアソラの第一人者であるとのコメントがあり(本人も自負されているようでした)、それも首肯できる味わい深い演奏でありました。

トルコ行進曲は、デュオ・プリマおふたりでの演奏。
モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番イ長調の第3楽章ですが、ヴァイオリン2台に見事に置き換えられています。

先ほど書いたとおりかたや旋律の際に、もうお一人がピアノで言えば左手の伴奏のパートを受け持たれて推進力を生み出している・・・。
中間部では、旋律を担当する方が細かいパッセージながらヴァイオリンならではの旋律の流麗な歌い口に魅了され、もう一人はピツィカートやカウンターメロディーを奏でることで立体的に生き生きと表現されていました。

この曲はCDにも入っていますが、さすが実演で聴くとイメージが鮮明になりますね。
生を聴くとディスクを聴くときイマジネーションを豊かに広げられるようになり、楽しみも倍増するのです。

最後に、鈴木大介さんの演奏についてです。
直接彼の実演に触れるのは初めてでしたが、その名声はつとに伺っておりました。
かの渡辺香津美さんが鈴木さんを意識した発言をしたインタビューをされているのを読んだことがあったし、レコ芸でも発表されるディスクがことごとく高評価を受けているわけですから。。。

演奏で印象に残っているのはファリャの“ナナ”ですが、ハーモニクスの使い方が絶妙のコントロールで単調なはずの伴奏が、私にはとても迫ってくるものでした。
礒さんのヴァイオリンともよくマッチしてたし・・・。もちろんどの曲も伴奏は適切で、かといってヴァイオリンに埋もれてばかりでいるわけでもなかったですよ。

ギターは小ぶりなものでしたが、ホールドする台を取り付けそれを膝の上に置くことで最適な位置に固定するという初めて見る仕掛けがあって、単純にそれを見ただけで驚いてしまいました。
また私の座席は鈴木さんを左側の真横から見られる位置でして、右手の動きが逐一見えたことで、フォークギターを演奏する私としてはとんでもなく多くの示唆を受けることができました。
これも実演ならではでありがたいことです。
右手の位置が不動といっていいほど常に安定していること、アポヤンドとアルアイレの指の使い方のイメージ、かき鳴らすときの指の使い方・・・どれをとっても達人はそのようにするのかと感嘆することしきりでありました。

ゴルフのアプローチなどと一緒で、タイガー・ウッズがやってるのを見ると「簡単じゃん」と思っても実際はできないに決まってるのですが、こんなにいっぱいお手本を見せてもらったらもしかして・・・、と思わされるものでした。
鈴木さんありがとう。(^^)v

いろいろ書いてきましたが、1曲1曲がそれぞれに聴かせどころをもったアレンジで、アンコールでは“橋掛かり”を使われるなど演出面でもさまざまに工夫された楽しいステージで大満足でした。
デュオ・プリマおよび鈴木大介さんには、ぜひまたいろんなレパートリーを聴かせていただきたいものです。

この後サイン会がありました。
その様子と帰りの車の中でのかみさんとのやりとりは、サインをいただいたディスクをご紹介する記事をあらためて起しますので、そこに書きたいと思います。
究極のノロケ話が出るか・・・? あんまり期待しない方がいいかもですよ。


最後に“りゅーとぴあ”の入り口では2体の著名なキャラクターが迎えてくれますので、ご紹介したいと思います。

まずは新潟市出身の高橋留美子先生作、“犬夜叉”です。

知ってます・・・?

そして・・・。

 ♪~ がんばれ、がんばれドカベン! やぁまだ たぁぁろおぉ~

勿論、水島新司先生も新潟市ご出身。
新潟明訓高校の隣の白新中学校に通ってたんですよ~。
そういえば明訓のライバルに、不知火投手のいる白新高校っていうのもありましたねぇ。

新潟出身の著名人は思いのほか多いですが、かくのごとく漫画界もしかりでありました。

礒さんの記事を見て・・・

2006年11月19日 00時20分46秒 | 礒絵里子さん
モーストリー・クラシック12月号に礒絵里子さんが出ていました。

礒さんについていろいろ書きたいことはありますが、要するに素晴らしいヴァイオリニストです。
彼女のブログとリンクを貼らせてもらい、はたと気づいたことがありこの前から悦に入っています。
すなわち、よくみるとリンクを貼らせてもらっているのは全員素敵な女性だなぁ。。。オレも捨てたモンじゃないねぇ。。。ってわけです。

また、11月4日の記事で礒さんの「踊る人形」というディスクを紹介しています。
どんな心境のときにも自分の心との距離感が快い、とても素敵なディスクで普段からよく聴いています。ピアノだとどんなに素晴らしい演奏でも耳障りがキツイと感じるときがありますが、弦だとそういうことが比較的少ないように思います。もちろん曲によりますが。。。そして、このディスクは楽しいときも、悲しいときもちょうどいい具合に見守ってくれるのです。

礒さんと初めて会ったのは、5月の連休の軽井沢でした。
Tiaraのデビュー前のお披露目コンサートに(かみさんと一緒に)行ったときのことですが、間近でその演奏に触れていっぺんに魅了されてしまいました。
印象深いのは、まずチェロの荒さんとのヘンデルのパッサカリアのデュオ。
空間を切り裂くほどに厳しくありながらも、潤いあるアンサンブル。。。
演奏されていたのが本当に目の前だったのでデビューコンサートで聴いたときよりも峻厳に聴こえていたように思います。
そして忘れられない“タイスの瞑想曲”と、アンコールに皆さんで演奏された“愛の挨拶”。。。
礒絵里子は天才だと思いましたねぇ。彼女のブログにもどっさり書き込みしたような。。。

Tiaraのデビューコンサートでは、ブラームスのピアノトリオ第1番の終楽章の終わり近くで、今度は物凄く壮絶な印象の音の質感を感じさせる全身全霊のボウイングで引き込まれてしまいました。
そんなときでも結構クールにあっけらかんとしているようにみえる。。。

ヴァイオリンはピアノほど多くの人の演奏を聴いたことがないけれども、実演で聞く分には、私には礒さん一人いればこと足りるのではないかと思えるほどにオールマイティです。
とはいえ、彼女にはソロのディスクが一枚しかないんで、いろんな人のを聴いてますがね。。。
と、ここまで書いてデュオ・プリマのディスクで、どこが彼女のパートだかわからないとは書きにくいですが。。。実はわからん!


礒さんの紹介はこれくらいにして、モーストリー・クラシックのヴェルビエ音楽祭の特集で
1999年に彼女がI.オイストラフ先生の勧めで音楽祭に行ってイダ・ヘンデル女史に指導を受けたという記事が載ってたのを見ました。

礒さんは生まれついての天才で、師匠連中の上手な指導もあり弾けない曲などなくプロになったというイメージを持っていました。
黒いドレスを着て“練習に励む”写真を見て修行時代もあったのか・・・“意外である”と。
ヴァイオリンのソリストってややふんぞって、コーコツした表情で上を見て弾いているという図がよくありますが、反対にやや上方から下向きで髪の毛で顔が隠れる感じで写真を撮ってあるので「修行中」という感じは出ていましたねぇ。常働曲なんか弾くときは、ソリスト本番でも見た目は修行中状態になるかも知れませんね。。。

礒さんを指導したというイダ・ヘンデル女史のシマノフスキの“神話”やエネスコの第3番ソナタをアシュケナージのピアノで収録したディスクを持っています。(写真は記事冒頭)
この“神話”、とくに“アレトゥーザの泉”の演奏は非常に素晴らしいと思います。
ヴァイオリンの音色が独特で、なんかピト~ッとしている。技術的なことはよく分からないですが、この曲でやたら出てくるトリルの仕方などもここでしか聴けないものがあるように思います。
ディスクで私がよく聴く“濃いくち”のムター姐さんの豊満な音色と比較すると、女史のそれは対照的に思えます。逆に、ヘンデル女史のトリルはムター姐のあの小指のビブラートにも匹敵する独特な必殺技にも思えてきます。
同じことを慣れないヴァイオリニストがやったら、ブヨがたかっているような音になってしまうのではないだろうか?
この曲では、ダンチョフスカがツィメルマンと入れたものがステキでしたが。。。
この2点ぐらいですね、知ってる限りの“神話”のディスクで違和感がないのは。

さて、ヴェルビエ音楽祭の記事は他にもいっぱいありました。
キーシンが散歩してたり、プレトニョフがあーしてた、レーピンがこーしてたなどと。。。アルゲリッチもこうした音楽祭のことになると必ず絡んでいるようですね。とても興味深く読むことができました。
ところで、かねてよりこの演奏会でキーシンがショパンのポロネーズや即興曲を録音していて、本人がたって発売して欲しいといったという音源の存在が言われていました。それが何ヶ月か前に発売予告されていたように思いましたが、知らない間に中止ないしは延期になっていました。
それが、今回発売になっていた。。。

★キーシン・ショパン名曲集
                  (演奏:エフゲニー・キーシン)

いずれも一聴してそれとわかる、こゆ~い演奏。
凄く集中力が高いのはわかるけれども、なにもそこまでという方もいるかもしれない。
この前、多佳子さんの実演を録音したものを比較して聴いた耳で考えると、プレイバックでこうなんだから本番は恐ろしく沈潜したというか息詰まる演奏だったと思われます。
濃厚な味付けのショパンを所望するときにはこたえられないディスクかもしれませんよ!

しかしタワレコ新宿のアナウンスには“1・3・6・8トラックがお勧め”とある。
順にポロネーズ第1番、即興曲第1番、幻想即興曲、英雄ポロネーズって、単に有名な曲ってわけではないですか?
私なんかゼッタイ、“2・4・5・7トラック”のほうがこの演奏に相応しいと思いますけれども。。。
ちなみにポロネーズ第2番、即興曲第2番、即興曲第3番、ポロネーズ第4番です。
この燃焼度の高いテンポをじっくりとった演奏には、特に即興曲2・3番がばっちりで素晴らしい演奏になっていると思います。
ヴェルビエ音楽祭のライブということでついでにご紹介しました。


さて、モーストリー・クラシックでは礒さんがDVDに出て、なんとあのタイスを3ケ月で弾けるように指導してくださるという。。。
うーむ、マスネの“タイスの瞑想曲”、エルガーの“愛の挨拶”、クライスラーの“愛の悲しみ”は弾いてみたいぞぉぉぉ!!

軽井沢で聴いたタイスが聴けるとあれば、そのDVDはゲットせずばなるまいて。
ちなみに今は“タイスの瞑想曲”といえばこのディスクを聴くことが多いですなぁ。
初めてこの曲を聴いたディスクなのでパブロフの犬のように反応するのかもしれない。。。

★チゴイネルワイゼン
                    (演奏:前橋 汀子)


礒さんに師事するということは、イダ・ヘンデルの孫弟子、D・オイストラフの曾孫弟子になるということなのだから、この際チャレンジしてみますか!
そしてゆくゆくはシベリウスのコンチェルトのイントロとか。。。R=コルサコフのシェラザードのテーマとか。。。(^^)/

さだまさしの“精霊流し”の前奏だったりして。。。

そういえばタイスを弾くための練習用ヴァイオリンは、モーストリー・クラシックの付録でついてこないのだろうか?

Tiara & Duo Grace

2006年11月04日 02時53分28秒 | 礒絵里子さん
このブログでいつも私が大騒ぎして推している高橋多佳子さんにはソロ活動のほかに、ユニットとしての活動が2つあります。
今日は高橋さんではなく、2つのユニットとそのメンバーの方について書きます。。。

ユニットひとつめはヴァイオリンの礒絵里子さんとチェロの荒庸子さんとの3名によるピアノ・トリオ“Tiara”~ティアラ~、もうひとつはピアノの宮谷理香さんとのピアノデュオ“Duo Grace”~デュオ グレース~です。いずれも魅力的なユニットであり、今後の展開にとても期待をしているのです。
また、双方ともに今年デビューしたばかりで、グループとしてのディスクは残念ながらまだありません。。。コラボレーションを重ねるにしたがってどんどん解釈が練れてきていると思うので、そろそろその演奏を世に問う「ふんぎり」をつけてもらいたいもんだと思ったりもします。

さて、“Tiara”の由来はピアノの高橋さんの「T」、ヴァイオリン磯さんの「i」、チェロの荒さんだけフル苗字で「ara」ということ、あと宝石のついた冠といった意味があるんだそうです。
ふむふむ。。。わからんでもない。
キャッチコピーは「美しきピアノ・トリオ」。そんなこたぁ、私が見てもわかります。。。
その演奏は、デビュー前にチェロの荒さんの軽井沢の別荘での「お披露目(?)」演奏会、浜離宮朝日ホールでのデビュー、埼玉プラザイーストでのオータムコンサートと楽しみました。
いずれもブラームスのピアノ三重奏曲第一番をプログラムのメインに据えて、ピアノ三重奏だけでなくそれぞれのデュオやソロもフィーチャーした構成で、テイストは変わらないけど編成がかわることによって多様な聴きかたもできようと言うもの。一回のコンサートで何度もおいしい。
そのブラームスのトリオの演奏も、3回のコンサートでそれぞれ味わいが違ったりするからまた楽しい。最新の演奏の解釈のほうが練りあがってきているのはもちろんでしょうが、ホールの音響とのかねあいもあるように思われ、本当に演奏というのは・・・というより耳に届く音楽というのは・・・一期一会なんだとおもいます。そして、この曲の演奏に限っていえば、デビューコンサートの演奏が雄渾でスケールが大きくて最も起伏が激しかったように思われ、とても深い感銘を受け夢見心地で東京から新潟に帰ったのが今でもとても印象に残っています。
最新のコンサートでは、アンコールでピアソラの「ブエノスアイレスの秋」が演奏され、これもとても洒脱な演奏で会場が盛り上がりました。礒さん、荒さんにはお得意のフィールドでしょうが高橋さんからはイメージできない選曲だったので、「ん・・・」と思ったものですが、高橋さんに聞いたら彼女も楽しんでたみたいなのでこういうジャンルへの展開も楽しみです。
オフィシャルな紹介はこのサイトでされています。(これをクリックしてというわけにはいかなさそうなので、アドレス欄にコピペしてください。)
   → http://www.japoland.pl/takako/tiara.html

一方の、デュオグレースは一説では高橋さんのマネージャーさんが名付け親らしいのですが、その意味は下のアドレスを見てください。敢えてコメントしません。(笑)
高橋さんも宮谷さんもショパンコンクールの入賞者で美人、というお二人。ハクがついてるからいいということではありませんが、なかなかこんなデュオは望めないと思います。
デビューコンサートは演奏にもトークにも底抜けに明るいお二人のキャラが前面に出たものでした。
お二人のショパンのソロも交えて、モーツァルト、ドビュッシーを前半に、ロシアものを後半に据えたプログラムで華やかに、旋律を歌わせるところなどはお二人ともそれぞれの流儀で曲を生かしていかれました。
さらに競演を重ねていけば、どんどん2台(4手)ピアノのレパートリーに得がたい解釈が生まれるし、より深い解釈が期待できると思います。
100歳になって、今弾いているテンポが倍になってしまっても一緒に弾き続けていたいといわれるぐらい意気投合しているようで、そこまで言われると逆に羨ましいような気になります。
   → http://www.japoland.pl/takako/duograce.html


そんなメンバーそれぞれのソロのディスクを簡単にご紹介しましょう。

☆DANCING DOLL (踊る人形)   (写真は記事冒頭)
                 (ヴァイオリン演奏:礒 絵里子)
1.3つのプレリュード                  (ガーシュウィン/ハイフェッツ)
2.思い出                         (F.ドルドラ)  
3.踊る人形                       (ボルディーニ/クライスラー)
4.まるでバラのようにすばらしい            (ネヴィン/クライスラー)
5.アモローソ                       (フィシェル)
6.行進曲~3つのオレンジへの恋より         (プロコフィエフ/ハイフェッツ)
7.なつかしい土地の思い出 作品42          (チャイコフスキー)
8.金髪のジェニー                    (フォスター/ハイフェッツ)
9.そんなことどうでもいいさ~「ポギーとベス」より (ガーシュウィン/ハイフェッツ)
10.ジャズ・、ピチカート~ジャズ・レガート       (L.アンダーソン/今野・阿部) 
11.イージー・ウィナーズ                  (ジョプリン/パールマン)
12.この素晴らしき世界                 (ヴァイス・タイル/今野・阿部)   
13.星に願いを                       (ハリー・レイ/今野・阿部)

礒絵里子さんは“Tiara”の3人組の中で多分最もセンシティブでシャイで天才だと思います。天才に語弊があるなら天才肌と言い換えます。
軽井沢のTiara「お披露目」で聞いたとき、時間・空間を切り裂くようなヴァイオリンの音(音色もそうだが音の身振り)を感じて、イッパツで引き込まれてしまいました。
ソロ(フィーチャリング礒さん)では、エルガーの「愛の挨拶」、マスネの「タイスの瞑想曲」と定番を聴いたのですが、まったくさりげない、勿体をつけたところがない素直で伸びやかな音楽はこの人ならではだと思います。

しかし、Tiaraのデビューコンサートのブラームスのトリオで最も印象に残っているのが、終楽章、曲の大詰めでの礒さんの熱演、気迫のこもったボウイングからあふれだした音がどれほど曲に厳かにして強靭な趣をもたらしたか。

そして、ディスクはこの夏以降の私の定番。プログラムを見て判るとおりなんでもありの様相を呈していますが、聴いてみると見事に礒さんの流儀で一本筋が通った作品に仕上がっています。
一聴して、礒さんのブログに「誠実」で「潔い」とキーワードを書きました。それはそのとおりと思うのですが、ずっといろんな気分で聴いたときかならず心に反映する音楽であることに驚いています。
気分のいいときに聴くとより軽快で明るい音楽に聴こえ健やかな気持ちになれる、逆に何か心配や心に気がかりがあると憂いを帯びたトーンに聴こえ時には癒してくれるような、また時にはそっと絶妙の距離に寄り添ってくれるようなところに音が在る。
夏を過ぎ秋がここまで深まっても、手に取る機会が多いディスクです。

ピアノをメインに聴く私ですが、弦楽器は声と同じ効果を持っているように思われます。つまり、ドイツ語やイタリア語で歌われている声楽曲は、その言葉の意味がわからないことを考えると、その「オト」としてのトーン・振る舞いで様子を伺った結果、心に反映した心象風景を愛でているにすぎません。そして「声」という楽器はピアノと違い音の持続、その持続する音の中での強さの漸増・漸減が自在だと言う特徴があります。その意味で、ヴァイオリンも言葉を持たない「声」ではないかと。。。
私のメインステージ(仕事場)で常識とされていることにメラビアンの法則というものがあって、それによると、「他人の印象」は身振り・手振り・態度などが約60%、声のトーン・抑揚などが30%強、言葉そのものは約7%しか影響を与えないとされています。
逆に言えば、声楽ないしはヴァイオリンを演奏することで90%は相手に伝えることができると言うことになると思います。個人的には、しゃべってしまってはスポイルされてしまう情報まで「演奏」というものは伝えることができ、ヴァイオリンは減衰音しかでないピアノにできない可能性をもっているように思われてならないのです。

誤解を恐れずに表現すると、礒さんのこのディスクにおける音楽が心に訴えてくることは余りありません。訴えてくる音楽が欲しいときにはムター姐さんや厳粛になりたいときはシゲティ小父さんを聴けば良いわけで、礒さんのこのディスクはもっとフランクでプライヴェートなものだと思えるのです。
このディスクでは奏楽や音は「訴えてくる」のではなく、その演奏に「自分の心が投影された」その結果を心が感じ取ることになるという風情なのです。
したがって、気持ちが強いときはより励まされ、弱気になっているときは自分を思いやるような気持ちにさせられる。。。そんな気持ちの媒介を果たしてくれる稀有なディスクです。
これは、のびやかな演奏をしている礒さんが、静かな泉の水面のような心持であくまでも素直に曲の求めるところを自分の感性に従って音に変換しているからであると思います。
こんなことが出来る人って、やはり天才なんじゃないかなぁと。。。

特にラスト2曲には、何度目頭を熱くさせられたか・・・、でも同じ曲なのに日によっては、逆に気持ちが軽く、心があったかくなるような想いを抱くことも多く。。。
気安く手に取れるくせに、自分にも気づかなかった自分の心の在りようが「裸にされてしまう」、じっくり聴くとそんな想いにもなる不思議なディスクです。

で、礒さんは高橋多佳子さんと同じくご自身のブログを持っています。そこへカキコすることでいろいろ学ばせていただきました。このブログ開設もご両人の影響であるのは間違いありません。
直接会ってお話したのは、実はわずかしかないし内容もほとんどないに等しいのですが、ブログでのやりとりでとてもよく存じ上げているような気がしています。また、私のダイエットに関して「ダダモ博士」をブログで紹介いただきました。何やかや言いながら可能なかぎりその「教え」に今もって従っている。。。B型であるのも一緒。礒さんのおかげでずいぶんいろいろなことを知ることが出来ました。
私の恩人のひとりであり、とても感謝しています。
でも、ブログには食べ物を節制している私が見ているのに、しょっちゅう栄養価の高そうな食材がおいしそうにならびます。ブログに羨ましいと書き込むと「はい、いいもの食べてます」と返ってくる。。。 うぅぅ~~ん。。。
従妹の神谷未穂さんとのデュオプリマの活動も活発にされていて、来年1月に新潟で初めてコンサートでお目にかかれそうです。
自然保護活動やアウトリーチ活動なども積極的にやってらっしゃって、あらゆる部門でご活躍されています。
いずれの活動も楽しみにしたいものです。

礒さんブログのアドレスは。。。http://yaplog.jp/iso-diary/

☆THE CINEMA OF REMINESCENCES -PLEIN SOLEIL- 
         (想い出の映画館~太陽がいっぱい)
                       (チェロ演奏:荒 庸子)

1.ムーン・リバー ~ ティファニーで朝食を
2.タラのテーマ ~ 風と共に去りぬ
3.ひまわり
4.ライムライト
5.太陽がいっぱい
6.魅惑のワルツ ~ 昼下がりの情事
7.ロミオとジュリエット
8.ゴッドファーザー
9.シャレード
10.エデンの東
11.白い恋人達
12.シェルブールの雨傘
13.慕情
14.ジェルソミーナ ~ 道

いずれも映画の名曲。荒さんはとても雄弁に気分よく聴かせてくれます。
とっても映画音楽がお好きなのがわかりますし、このほかにピアソラもお好きなようです。
そしてこれは荒さんと、ピアノの安宅薫さん、ヴァイオリンの高嶋ちさ子さんのディスクであるとともに、編曲家の編曲の妙を楽しむというのも大きな趣向のひとつとなっています。
「のだめ」がはやっている昨今、このディスクのそこここに仕組まれたクラッシックの名曲の挿入で「にやり」とするのも気軽な楽しみ方なのではないでしょうか? 私には、「まんま」の形で挿入されている以外にも、ほんの一瞬ににおいと言うか気配を忍ばせてあるような箇所がいくつもあるように思えてなりません。肩の力を抜いて、さりげなく楽しむのが似合うように思えます。

いずれ遠からずに出るであろう、クラシックの本格的レパートリーのディスクにも大きな期待をしたいと思います。

実演では、軽井沢の演奏会で荒さんのチェロのまん前に陣取って聴かせていただいたのですが、ホンッとにそのチェロの音色に魅せられました。特に最低音のゴリッとした音の感触。ディスクではなかなか耳にしない印象深いものでしたが、魂の底が震えるような思いがしました。
コンサートのソロでも白鳥やバッハの無伴奏から弾いていただくうちに、持続音の途中で「ぐっ」と音価を上げられると魂をサイコキネシスで振り回されるような気分になります。
でも、そんな酔わされ方なら大歓迎!
実際にはお目にかかってご挨拶した程度なのであまり人となりは存じ上げませんが、ステージでのトークで、見事に進行されるさまを見ると「頼もしや、頼もしや」と思うことしきり。。。
この点でもこのトリオは、いいチームワークですなぁ。
あと、荒さんのお父様がそれはそれはステキな方。もう少し年配になったら、あんなふうに歳を取っていたいものだ。。。

☆2002年12月6日 紀尾井ホールライヴ
                  (ピアノ演奏:宮谷 理香)
1.シューベルト     ピアノソナタ変ロ長調 「遺作」 D.960
2.シューマン      カーナヴァル  作品9
3.アンコール・ショパン エチュード作品10-12 「革命」

ライヴレコーディングでこの曲を録ろうというのも結構勇気のいることなんじゃないでしょうか? 企画した人はなかなかサディスティックな人、もしくは演奏家がマゾなんでしょうか?
そして演奏。シューベルトの21番変ロ長調ソナタ。尻上がりに演奏内容が充実していくように思われます。とくに第2楽章は沈潜しているのにもかかわらず音楽が停滞しないで、まったくスムーズに流れる、ライヴ演奏だったのが却って良かった部分と言えるのかもしれませんが、とてもいい感じです。第3楽章は軽快になりすぎず堅実に進み、第4楽章はまともにやると不器用につっかかったような演奏になってしまう懸念があるし、現にそういったディスクもいくつも持っていますが、舞曲的な要素を消さずに変につっかえた感じを抱かせずノド越しのよいともいうべき出色の解釈・演奏だと思います。
シューマンもわずかに聴衆の前だという意味での高揚感を全体に感じさせつつ、非常に華やかで輝かしい音色をここぞというときに駆使して、安定した演奏をつくりあげておられます。
アンコールもさすがショパコン入賞者だけあって、これぞ「革命」っていう感じ。。。
とても聴き応えのあるディスクでした。
しかし、題名について変ロ長調ソナタに21番という数字がなかったり、謝肉祭をカーナヴァルと異国語読みをしたりと何かこだわりがあるんでしょうかねぇ?

演奏会での印象はピアノの音色でした。イメージを正直に言うと、もちっとした感じ。もっと具体的に言えば、新潟の魚沼産の天日干しの最高級の米を最高の状態にに炊きあげて、透明なプルンプルンしたその米粒を箸の先でつんつんして跳ね返ってくるような弾力のあるなおかつ湿り気・粘りのある「音」です。独善的な感覚ですみません。
その音をメインで遣っての、ショパンのノクターン7番(作品27-1だったと思うのですが)はやや微熱を帯びたようで、創り出されるアトモスフィアの温度感・緊張感といったものが非常に心地よく極めて印象的でした。
さらに今後、演奏は成熟・円熟していかれると思います。どんなレパートリーをどんな風に仕上げていかれるのか・・・興味津々。

高橋さんは宮谷さんのことを「りかりん」と呼んでいます。
そして「りかりん」さんはとんでもなくユニーク。
ステージ上でのお二人のトークは、高橋さんがいろんな話題を、猪熊コーチが鮎原こずえにどんどんボールを投げつけるがごとく、次から次へと振りかけていくのですが、りかりんさんは、(テキトーに)受け止めてきれいに切り返します。
トークの進行のイニシアチブは「りかりん」さんの圧勝であるように思います。

高橋多佳子・宮谷理香のお二人を「異母兄弟」と呼んだ人がいるらしく、その際何歳か年下の「りかりん」さんがお姉さんというのも、こんなところからうなづけるような気がします。
それだからこそ、高橋さんも安心して話題が投げかけられるのでしょうが。。。

ユニットになるとメンバーが複数いることで、コンサートのトークはみなさん飾らない会話調で進められ、いろんな話が伺えて楽しみは増していきます。その点でも、サービス精神旺盛なユニットなので楽しいコンサートを期待していきたいと思っています。

りかりんさんHPのアドレスは。。。 http://www.miyatani.jp/rika/


最後に、これらのディスクには写真でお分かりのようにサインをいただいています。
目の前でサインをいただいたりすると、「私だけ」のディスクという気になります。
そして、これらは私のCDラックの前面ディスプレイにならんで収まって(もちろん高橋さんのディスクも)、たとえそのオトが出ていないときでも、魅力的なポートレートと私のひとりよがりな思い込みによって、私を悦に入らせてくれるスグレモノなのです。