SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
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クラウディオ・アラウのショパン演奏

2006年12月14日 00時22分59秒 | ピアノ関連
★アラウ・プレイズ・ショパン
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)
1.スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20
2.スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31
3.バラード 第1番 ト短調 作品23
4.舟歌 嬰ヘ長調 作品60
5.即興曲 第1番 変イ長調 作品29
6.即興曲 第2番 嬰ヘ長調 作品36
7.即興曲 第3番 変ト長調 作品51
                  (1952年録音)

今回はクラウディオ・アラウの1950年代~60年台初頭のショパンのディスクを紹介します。
アラウはご存知のように、1960年代半ばから晩年に至るまでフィリップスに多くの録音を残しており、そのうちには名演の誉れ高いものも数知れず。。。
もちろん、私とて、今残された活動の記録を紐解くときには、まずフィリップスのディスクの中から探すのが普通だと思います。なんといっても、モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・シューマン・ショパン・リスト・ブラームス・ドビュッシーと主要な録音がアラウ・エディションとしてまとめられており、独墺系のレパートリーであればほとんどアラウの演奏で聴けるのではないかと思われるほどに充実したライブラリーなのですから。

しかし、敢えてその前のEMIなどに録音した音源をご紹介するのは、単に“SJester”がひねくれものだから。。。ではありません。
フィリップスに移籍後の演奏が、最早“押しも押されぬ大家”(日本での知名度は別にして)としてのそれであり、とにかくどっしり構えて、えもいわれぬ色気のある音色・フレージングを使いつつもときおり武骨に力技を「むん!!」と決めるというようなイメージがあるのに対して、このころの演奏は、磐石の足腰でありながら小股の切れ上がった機敏さが先ほどの音色・フレージングと相俟ってとにかく素晴らしいのです。

もちろん音質はそれなりで時折ピアノの音が“まんまる”に聞こえたり、割れてしまっていたり、モノラル録音だったりしますが、聴き取るべきものが音楽の中身であるならばショパンの演奏が好きな人ならきっとその演奏にひとつの頂点を感じ取ることができるでしょう。

さてこのディスクですが、すべて超名演。私の中では“殿堂入り”って感じです。
技術的に安定しているなんてものじゃなく、技術が凄すぎてそれを話題にすることも忘れ、とにかく音楽の内容のことにしか注意が行かないぐらい自然です。

後年のフィリップスへの録音では、ことにスケルツォなどは晩年間際の録音であったこともありちょいともたつくところ(アラウだから気になる程度)がありますが、それと比すると淡々と弾いているようでいて、フレーズの歌い口などほんの微妙にニュアンス付けするとかごく自然に隠し味が施されており、聴き手の緊張感を一切高めることなく曲のあるがままを興味深く伝えてくれています。

バラード第1番も、私はミケランジェリのそれと並んで最高の演奏に数えられるものだと位置づけています。後年のフィリップスのディスクも名演ですが、この演奏の前では「霞む」といっていいほど素晴らしい。

舟歌から即興曲も磐石の左手の伴奏の上に、えもいわれぬフレージングが縦横に飛び交い、先ほども述べたようにこちらをとにかくリラックスさせた状態で、楽しみを満喫させてくれるといった演奏です。

とにかくあらゆる工夫をされていながら、それらをやりすぎていないなかで充足させてしまうというのは実は結構大変なことではないかと思います。本盤はそれが完全に実現されていることで、アラウの数ある所有ディスクの中で最も感銘を受けたディスクです。

★ショパン;練習曲集
                   (演奏:クラウディオ・アラウ)

1.12の練習曲 作品10
2.12の練習曲 作品25
3.3つの新しい練習曲
                   (1956年録音)

このころのアラウの手にかかると、弾きたい曲が弾きたいように弾けてしまったのではないでしょうか?
ここでもどの曲もあわてず騒がずですが、1音たりとも揺るがせにせず磐石の構えで最後まで聴きとおさせてくれます。これらの曲が、技術的に困難さを伴う練習曲という性格を持っていることは、一瞬たりとも念頭に浮かぶことはありません。それぐらい弾けちゃっていると思います。
例えば作品10-6などは、このテンポでこれだけの詩情を溢れさせて演奏する人を他に知りません。作品25-1(エオリアンハープ)の歌いくち。作品25-10、作品25-11(木枯らし)の迫力など、それぞれの曲にそれぞれ聴き所がありますが、これらが白眉の一部かなとも思います。

しかし、この録音はちょっといただけませんなぁ。。。
翌年に演奏・録音ともに名盤の誉れ高い、ミケランジェリ/グラチスの“ラヴェルのト長調コンチェルト”をものにしたEMIの録音陣であれば、「もうちょっと何とかならんかったんかい!」ですね。それとも、テープの保管状況がいまいちだったのかしらん。
まぁ、文句を言っても仕方ないこと。
長らくお蔵入りだった音源を“忘れじのショパン名演奏”ということで廉価で再発してくれたことには大感謝です!!(^^)v

★ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番、幻想曲 ほか
                  (演奏:クラウディオ・アラウ)

1.ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 作品58
2.ショパン:幻想曲 ヘ短調 作品49
3.ウェーバー:ピアノ小協奏曲 ヘ短調 作品79
4.メンデルスゾーン:アンダンテとロンド・カプリチオーソ 作品14
                  (1962年録音 ショパンのみ)

アラウで残されたショパンのソナタ唯一の演奏です。これも長らくEMIでお蔵入りだったようですが、近年とうとう復刻されて私は喜んでいます。EMIさんありがとう。

アラウの演奏が過渡期に入ったように思います。美しい音色ではありますが、全体の構成を重厚長大に移しつつあるような、そんな時期の録音ではないでしょうか。でもまだ決して重すぎはしません。

第1楽章はじっくりと歌い、展開部の弱音の綾などはとことんまで味わいつくしているかのように感じられます。この演奏に関しては、通常演奏されているものと若干異なる異稿によるものと思われ、主題提示部の最後の音の配列が変わっています。この後にサハロフとルイサダがこの稿に拠っているので、アラウの勝手な改変ではないと思います。
第2楽章は、やはり後年の兆候が少し現れており、走り回る走句は軽妙ですが、ユニゾンから“じゃじゃじゃぁーん”と決めるところは横綱相撲ですな。
第3楽章、最初ペダルを控えめにしながらバスの音とか前打音の音色・ニュアンス巧みに進行していきます。やはり尋常でない集中力を発揮して、ピアノの響きをコントロールしていくさまは大家の技だと思いました。
第4楽章でもアラウの集中力は途切れません。じっくりしたテンポで、やはりひとつひとつの身振りに重みを与えるようにアラウ自身が意識して演奏していることが感じられます。とはいえ右手の走句は左手が持っている手綱を放したら、どこまでも走っていってしまいそうなほどの勢いと身軽さがあります。最後の最後まで、抜群の安定感で連れまわしてくれて、ゴールに着いた。。。という感じで終了。
アラウ60歳を前にしての演奏ですが、まだまだ闊達に指は動くものの徐々に重厚路線に移って、良くも悪くも枯れていくというタイミングでの録音だったと思います。

そしてこのディスクは、結果的にショパンのソナタ演奏史の中で特別な位置を占める一枚になりえているのではないでしょうか。
現に、アラウ自身がこの曲についてはフィリップスに遂に再録音しませんでしたから。それなりの満足感を得られているのではないかと思います。

フィリップスでは再度ショパンの大半の曲を録音しておりますが、そのなかでもノクターン全集は独特の妖しい色香が漂うというか、艶っぽい演奏で世評も高いようです。うちでもクラシック音楽に厳しいかみさんご用達となっています。これは極めて珍しいことです。
他の演奏家と比較した場合、相対的には重厚ですが、ときおり指を立てて鍵盤を押しているのかツメが当たる音みたいなのも聞こえ、それもなにか色気に通じているように思われなくもありません。単に演奏ノイズなんですけどね。。。
私もこれが名演として広く親しまれているのは不思議ではないと思ってますですよ。

70年代にはバラード全集も録音してくれています。
そしてその中の第4番が私の大のお気に入りだったのですが、“ショパンの旅路 Ⅴ”で高橋多佳子さんがさらにインプレッシブな演奏を届けてくれて、それに感動して (中略) 現在に至るわけです。

最後にアラウの略歴を。。。
アラウはチリに生まれ、幼児のころピアノ教師だった母親が生徒へレッスンしているのを横で見ているうちにとんでもなく上手に弾けるようになり、ドイツに渡ってリストの弟子の名教師クラウゼに師事。そのクラウゼに「私の最高傑作になる」と言わせるほどだったそうです。クラウゼ死後も自分の師はクラウゼしかいないということで自分で研鑽を積み、神童から中堅になる際に苦労をしたものの、それを乗り越えた後は亡くなるまで第一線のピアニストとして大活躍した人であります。
基本的にはドイツのピアニストと考えていいと思われ、ベートーヴェンやリストなどの独墺系のレパートリーを得意としているということになっていますが、ショパンも自他共に認めるレパートリーの中核でした。
(ただ決してラフマニノフ等には手を付けない、どころか嫌悪していたようです。)
そんなわけで、日本ではどっちつかずのハンパモンみたいな感じのイメージが勝手に出来てしまっていたようです。欧米での人気に比して、我が国で相応にブレイクしたのは随分遅かったと言われています。でも、晩年はどこよりも持ち上げられているようにも思われますので、通算でチャラかな。
どっちにしても、私には世間の評価云々は関係ないのでどっちでもいいんですが。。。

あらためてお名前をハンドルネームに使わせていただいていることに感謝します。
アラウさん、ありがとう!!