★ショパン:ワルツ集(全19曲)
(演奏:ソルタン・コチシュ)
1.第1番 変ホ長調 作品18 「華麗なる大円舞曲」
2.第2番 変イ長調 作品34-1 「華麗な円舞曲」
3.第3番 イ短調 作品34-2
4.第4番 ヘ長調 作品34-3 「華麗な円舞曲」
5.第5番 変イ長調 作品42 「大円舞曲」
6.第6番 変ニ長調 作品64-1 「小犬」
7.第7番 嬰ハ単調 作品64-2
8.第8番 変イ長調 作品64-3
9.第9番 変イ長調 作品69-1 「別れ」
10.第10番 ロ短調 作品69-2
11.第11番 変ト長調 作品70-1
12.第12番 へ短調/変イ長調 作品70-2
13.第13番 変ニ長調
14、第14番(第16番) 変イ長調 遺作
15.第15番 ホ長調 遺作
16.第16番(第14番) ホ短調 遺作
17.第17番(第19番) イ短調 遺作
18.第18番 変ホ長調 遺作
19.第19番(第17番) 変ホ長調 遺作
※ヘンレ版使用。( )内は一般的に用いられている番号。
(1982年録音)
ただやるだけでは、つまらない!
何かをプロデュースする際に、思い入れが深いほど、またそれが真に有能なスタッフによって製作されるときほど、シンプルな中にも奥行きのある“こだわり”のウリが存在することが多いものであります。
また、そのウンチクを傾けることこそ、えてしてスキモノの悦楽であったりするので「お、あんさんわかるのかい?」ってなもんで、相手との距離がぐっと縮まるきっかけになったり、気づいてない人から「教えてください!(^^;)」的な質問でも来ようモンならチョッとした優越感を感じながら懇切丁寧極まりなく説明してやるやら、いい人間関係が出来たりするんですよね。
その後は、秘密をシェアしたもの同士(同じ穴のムジナとは言いたくない)としての親密感を感じることが出来るようになる・・・。(^^;)
そういうディスクも案外あるものですが、このコチシュの作品も全くそのようなこだわりぶりを示してくれている好盤であります。
ちなみに、私が最初に手に入れたショパンのワルツの全集盤であります。
さて、まず特徴の第一は曲間がほとんどなくシームレスに繋がっていることです。
これにより基本的にヘンレ版の番号順に並べただけのプログラムですが、深夜のラジオ番組を聴いているような流れが出来ているように思います。
これも、エンターテイメントの一要素・・・なんじゃないかと思います。
次に、コチシュの演奏に関して言えば、新鮮で鮮やか!
冒頭、“華麗なる大円舞曲”から“華麗なる円舞曲”への派手な曲の流れで、若々しく早めのテンポを取り、それを明るく華やかにそして何より音楽的に弾きあげられています。
この技術上なんの心配もなく、目くるめく疾走感で聴き手にカマすこともできる技巧と音楽的センスあっての企画であることは明白であります。
エンターテイメントとして大きな成功を収めていると思えるのも、エンターテイナーとしてのコチシュの力量に負うところ大でありましょう。
フレッシュで若々しい感性に彩られた演奏というのであれば、まず思い浮かぶのが閃きにあふれたリパッティの盤、そしてショパンコンクール優勝直後のブーニンの録音も霊感という霊感をディスクに詰め込んだ感のある演奏でした。
霊感やら閃きやらという観点だけではコチシュの盤は後塵を拝するかもしれませんが、コチシュとて負けてはいません。
もとより霊感やら閃きといった感覚的な切り口でこの人は勝負をしようとしているわけではないと思うのです。
先に述べた使用する楽譜へのこだわり、ワルツという楽曲が本来持っているものをこだわりぬいて音に変えたその昇華こそを「聴き手に問いたい」と考えているのに違いありません。
繰り返しますがコチシュの姿勢は「この演奏を聴いてほしい」ではなくて、自分のこだわりとそれに対するソリューションを自信たっぷりに提示して、聴き手を屈服させようと企んでいる突っ張ったにーちゃん・・・そんな感じがするのです。
素直に聞いて、素直に楽しんで、素直に「よかった」といってやれば、単純に満面の笑みになりそうなピアニスト、コチシュとはそんな人ではないかと思います。
それでは何を聴いてやれば満足してくれるのかというと、まずは当たり前ですが演奏そのものですよね。
フレッシュな感性を完全な技巧でコントロールしたそれを、ワクワクして聴いたと表明すればコチシュでなくとも喜びますよね。(^^;)
果たしてこの演奏は、弾き手も聴き手もハッピーにさせられるものであり、その意味からも最高のエンターティナーの手になるものといって過言ではないでしょう。
そして最もコチシュがこだわっているであろうことが、このディスクを企画した出発点ともいうべき“研究の成果”であります。
コチシュはヘンレ版に従い、曲順も敢えて通常のものと違えて演奏しているのですが、そんな資料的価値のみに留まらず、彼としてはこの版で演奏することが聴き手にも十全な楽しみを与えるのに有効であるとの仮説の下にこの演奏を世に問うているに相違ないはずです。
ですから“別れのワルツ”以下、作品番号のついた第13番までの遺作としてショパンの友人であるフォンタナにより出版された曲についても、出版譜ではなく原典にあたり演奏しています。
その通常の版との味わいの違いを楽しんだと言ったら、コチシュは喜んでくれるのではないかと・・・。
どう違うかといえば、“幻想即興曲”の決定稿とフォンタナ版との差ほどは歴然としていないとはいえ、私には同様に若干ソフィスティケートされた改変があるのではないかと感じられました。
もしかしたらそれは演奏者のアゴーギグの問題なのかもしれませんけど、若干ぎこちないというかイモっぽいというか、洗練されていないクセのようなものを聴き取ったつもりです。
“幻想即興曲”にせよピアニストは人口に膾炙したフォンタナ版を使うのが普通だと思います。
有名な曲であるほど、やはりたとえ正統であるとしても異った稿を使うのは勇気がいるんでしょうね。
その点、好漢コチシュは敢然と自身の信じるところにしたがってやってのけている・・・“こだわりのエンターティナー”と銘打ったのは正にこのことに起因します。
その後のコチシュが、ドビュッシー、バルトーク、ラフマニノフ等に秀演を残しているのはみなさんご承知の通りです。
でも、私にはこのディスクに続くショパン、そしてリスト、最後はシューベルトの演奏をピアニストとしての彼に望みたい・・・そんな気持ちで一杯です。(^^)v
なお、全くどうでもいいことですが、作品34-2に「華麗なる円舞曲」とのサブタイトルを付けなかったことが私にはスマッシュ・ヒットに思われます。(^^;)
(演奏:ソルタン・コチシュ)
1.第1番 変ホ長調 作品18 「華麗なる大円舞曲」
2.第2番 変イ長調 作品34-1 「華麗な円舞曲」
3.第3番 イ短調 作品34-2
4.第4番 ヘ長調 作品34-3 「華麗な円舞曲」
5.第5番 変イ長調 作品42 「大円舞曲」
6.第6番 変ニ長調 作品64-1 「小犬」
7.第7番 嬰ハ単調 作品64-2
8.第8番 変イ長調 作品64-3
9.第9番 変イ長調 作品69-1 「別れ」
10.第10番 ロ短調 作品69-2
11.第11番 変ト長調 作品70-1
12.第12番 へ短調/変イ長調 作品70-2
13.第13番 変ニ長調
14、第14番(第16番) 変イ長調 遺作
15.第15番 ホ長調 遺作
16.第16番(第14番) ホ短調 遺作
17.第17番(第19番) イ短調 遺作
18.第18番 変ホ長調 遺作
19.第19番(第17番) 変ホ長調 遺作
※ヘンレ版使用。( )内は一般的に用いられている番号。
(1982年録音)
ただやるだけでは、つまらない!
何かをプロデュースする際に、思い入れが深いほど、またそれが真に有能なスタッフによって製作されるときほど、シンプルな中にも奥行きのある“こだわり”のウリが存在することが多いものであります。
また、そのウンチクを傾けることこそ、えてしてスキモノの悦楽であったりするので「お、あんさんわかるのかい?」ってなもんで、相手との距離がぐっと縮まるきっかけになったり、気づいてない人から「教えてください!(^^;)」的な質問でも来ようモンならチョッとした優越感を感じながら懇切丁寧極まりなく説明してやるやら、いい人間関係が出来たりするんですよね。
その後は、秘密をシェアしたもの同士(同じ穴のムジナとは言いたくない)としての親密感を感じることが出来るようになる・・・。(^^;)
そういうディスクも案外あるものですが、このコチシュの作品も全くそのようなこだわりぶりを示してくれている好盤であります。
ちなみに、私が最初に手に入れたショパンのワルツの全集盤であります。
さて、まず特徴の第一は曲間がほとんどなくシームレスに繋がっていることです。
これにより基本的にヘンレ版の番号順に並べただけのプログラムですが、深夜のラジオ番組を聴いているような流れが出来ているように思います。
これも、エンターテイメントの一要素・・・なんじゃないかと思います。
次に、コチシュの演奏に関して言えば、新鮮で鮮やか!
冒頭、“華麗なる大円舞曲”から“華麗なる円舞曲”への派手な曲の流れで、若々しく早めのテンポを取り、それを明るく華やかにそして何より音楽的に弾きあげられています。
この技術上なんの心配もなく、目くるめく疾走感で聴き手にカマすこともできる技巧と音楽的センスあっての企画であることは明白であります。
エンターテイメントとして大きな成功を収めていると思えるのも、エンターテイナーとしてのコチシュの力量に負うところ大でありましょう。
フレッシュで若々しい感性に彩られた演奏というのであれば、まず思い浮かぶのが閃きにあふれたリパッティの盤、そしてショパンコンクール優勝直後のブーニンの録音も霊感という霊感をディスクに詰め込んだ感のある演奏でした。
霊感やら閃きやらという観点だけではコチシュの盤は後塵を拝するかもしれませんが、コチシュとて負けてはいません。
もとより霊感やら閃きといった感覚的な切り口でこの人は勝負をしようとしているわけではないと思うのです。
先に述べた使用する楽譜へのこだわり、ワルツという楽曲が本来持っているものをこだわりぬいて音に変えたその昇華こそを「聴き手に問いたい」と考えているのに違いありません。
繰り返しますがコチシュの姿勢は「この演奏を聴いてほしい」ではなくて、自分のこだわりとそれに対するソリューションを自信たっぷりに提示して、聴き手を屈服させようと企んでいる突っ張ったにーちゃん・・・そんな感じがするのです。
素直に聞いて、素直に楽しんで、素直に「よかった」といってやれば、単純に満面の笑みになりそうなピアニスト、コチシュとはそんな人ではないかと思います。
それでは何を聴いてやれば満足してくれるのかというと、まずは当たり前ですが演奏そのものですよね。
フレッシュな感性を完全な技巧でコントロールしたそれを、ワクワクして聴いたと表明すればコチシュでなくとも喜びますよね。(^^;)
果たしてこの演奏は、弾き手も聴き手もハッピーにさせられるものであり、その意味からも最高のエンターティナーの手になるものといって過言ではないでしょう。
そして最もコチシュがこだわっているであろうことが、このディスクを企画した出発点ともいうべき“研究の成果”であります。
コチシュはヘンレ版に従い、曲順も敢えて通常のものと違えて演奏しているのですが、そんな資料的価値のみに留まらず、彼としてはこの版で演奏することが聴き手にも十全な楽しみを与えるのに有効であるとの仮説の下にこの演奏を世に問うているに相違ないはずです。
ですから“別れのワルツ”以下、作品番号のついた第13番までの遺作としてショパンの友人であるフォンタナにより出版された曲についても、出版譜ではなく原典にあたり演奏しています。
その通常の版との味わいの違いを楽しんだと言ったら、コチシュは喜んでくれるのではないかと・・・。
どう違うかといえば、“幻想即興曲”の決定稿とフォンタナ版との差ほどは歴然としていないとはいえ、私には同様に若干ソフィスティケートされた改変があるのではないかと感じられました。
もしかしたらそれは演奏者のアゴーギグの問題なのかもしれませんけど、若干ぎこちないというかイモっぽいというか、洗練されていないクセのようなものを聴き取ったつもりです。
“幻想即興曲”にせよピアニストは人口に膾炙したフォンタナ版を使うのが普通だと思います。
有名な曲であるほど、やはりたとえ正統であるとしても異った稿を使うのは勇気がいるんでしょうね。
その点、好漢コチシュは敢然と自身の信じるところにしたがってやってのけている・・・“こだわりのエンターティナー”と銘打ったのは正にこのことに起因します。
その後のコチシュが、ドビュッシー、バルトーク、ラフマニノフ等に秀演を残しているのはみなさんご承知の通りです。
でも、私にはこのディスクに続くショパン、そしてリスト、最後はシューベルトの演奏をピアニストとしての彼に望みたい・・・そんな気持ちで一杯です。(^^)v
なお、全くどうでもいいことですが、作品34-2に「華麗なる円舞曲」とのサブタイトルを付けなかったことが私にはスマッシュ・ヒットに思われます。(^^;)