職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

ダメ四チャンネルの為の法華経九

2007年01月04日 | 学問

新年


明けましておめでとう御座います。

今年も、宜しくネ!
さて、ここまで方便品を見てきて、如何だったでしょうか?
お釈迦様の説いた事が分かったでしょうか?つまり、この世で起きるすべて出来事には”原因があり、その原因を成立させる縁がある”と言う事です。だから、苦も原因と縁がある。

例えば、ダーウィンの進化論で有名な鳥ダーウィンフィンチに見られるように環境により口ばしがその環境に応じて変化している。それと同様に私たち人間の心も、住んでいる所の生活環境に応じて、価値観や考え方が備わる。

だから、苦の原因はあるものに執着し苦と感じる心、縁は日常生活で身につけた価値観や行動だと言う事でしょうか?そして、それらの事は人それぞれで違うため、解決法も異なる。だから、一佛乗なのではないのでしょうか?

では、方便品の偈の続きをどうぞ!

我がむしろ法を説かない方が早く涅槃に入る事が出来る。ついでに過去の佛の説の方便力を考えて観るに我が今、得た道も三乗とした方が良いと考えた時、十方の佛の皆が姿を現し、梵天王が我を慰め諭すように声をかけて下さいました。

「釈迦文、あなたは正しい、そしてあなたは真理の法を教え導く導師の第一人者です。
この上ない法を得たのにも関らず、諸のすべての佛を受け入れ、そして従って方便力を用いて下さいました。

我らもまた、皆最高に難解な第一位の法を得る事が出来たけれども、諸の衆生類(息をしているもの)の為に、分別して三乗(仮説)と説きます。

愚か者は愚かな法を願いって、自ら佛に成らなければいけない事を信用しない為、方便をもって分別して諸の果(因縁の成り行き)を説きます。また、菩薩を教えんが為、三乗を説くと言いましょう。」

舎利佛、まさに知りなさい!
我は聖師子の清らかで、重々しい不思議な声を聞いて、喜んで「南無仏」と声を出して
唱える。共に「我は濁悪世に生まれたり、諸佛の諸説に従いって、修行する。」ことを祈願する。我はこれれの事を念じ終わって、波羅奈に向かって行った。

・聖師子(しょうしし)
仏教では文殊(もんじゆ)菩薩の乗物とする。または佛の異名
・波羅奈
インドのガンジス河中流、北岸のベナレス市の古名

諸の法は寂滅の相を持つ、故に”静寂かつ徐々に移ろい、やがて消え去る”特徴を有する為、言葉をもって述べる事ではない。ただ方便力をもって、五比丘の為に法を説いたのです。そして、この事を転法輪と名ずけまた、それぞれ別の名があり、五比丘を阿羅漢・転法輪を涅槃の音と言う。

久遠劫と言う、無限に遠い過去より今まで涅槃の法をほめたたえ”永く、生死の恐怖を味う事がない”事を示しながら、我は常に涅槃の法を説いてきた。

舎利佛、まさに知りなさい!
我は我が弟子たちを見て、佛道を追い求める者が千萬憶と言う数限りないほどいて、すべての者がつつしみ敬う心を持ち、皆が佛の修行を成し遂げる事を確信した。

かつて、諸の佛を敬いながら従って、方便の所説の法を聞いて、如来(釈迦)がこの世に出現した訳は佛の悟りを説かんが為である。そして、今がその時である事を観じた。

舎利佛、まさに知りなさい!
濁った根を持った愚か者は著相驕慢の者である為、明らかにおごりたかぶり、他の者を馬鹿にし、勝手気ままにふるまうを成し、この法を信じない事は明らかである。

今、我は喜んで、恐れなく、諸の菩薩(法を求める人)の中において、正直に方便を捨てて、ただこの上ない佛道を説く事にする。菩薩である者はこの法を聞いて、皆すでに疑網を除いていた。

千2百の阿羅漢もまた、今まさに、悉く佛に成るべきです。
三世諸佛の説法の儀式の如く、我もまた同様に無分別に法を説いたとしたら、諸の佛が世に厳しくに出現したとしても、人々から遠ざけられ、人々から価値あるものとして認められる事が難しい。

仮に、佛の使者として世に出現したとして、この法を説いたとしても、人々から認められる事が難しい。また、想像も付かないほど、長い年月を経てたとしても、この法を聞く機会が有る事が難しい、またまた、この法を聞く者を探す事も難しい。

まだまだ、続く今日はこの辺で、終り

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