◆飛鳥時代(574~622年)
聖徳太子により、仏教が広められ、法隆寺や四天王寺などを建立した。
また、三経義疏を伝えた。
#法隆寺
用明天皇が自らの病気平癒を祈って薬師像と寺の建立を発願したが、その完成を待たずに崩御し、その遺命を受けた推古天皇と聖徳太子が607(推古15)年に完成した。
#四天王寺
物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安
置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
◆奈良時代(710~794年)
奈良時代に入ると、遣唐使によって唐から輸入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学ばれた。これは一口に南都六宗といわれており、三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の6宗をいう。
#興福寺(法相宗)
藤原氏の祖である藤原鎌足夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国(山城国)山階(京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である
#薬師寺(法相宗)
天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良皇后(うののさららこうごう)の病気平癒を祈願し、飛鳥の地に創建したものであるが平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した現在地に移転した。
#東大寺(華厳宗)
728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。華厳宗大本山
#唐招提寺(律宗)
唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、故・新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として開山した寺である。
◆平安時代(794~1192年)
#比叡山延暦寺(天台宗)
円(天台教学)・密・禅・戒・の四宗を学んだ最澄により、806年に天台法華宗を開創し、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。そして、日本天台宗の本山寺院として、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。
また、延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
・天台数学---「諸法即実相」の意味である。
・一乗思想---すべての人が仏になる
・三諦円融---「空諦」「仮諦」「中諦」の三つの諦(真理)です
・止観の実践行--心を統一しつつ自己と存在の実相を観察する。
#高野山金剛峯寺(真言宗)
真言密教を学んだ空海が823年に高野山金剛峯寺を総本山として、高野山真言宗を開いた。
密教というのは、歴史上の釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(いわば絶対者)である大日如来が、直接説いた教えという。生きとし生けるものは、宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も身・口・意の三密行の実践により即身成仏することができると説く。
◆鎌倉時代(1192~1333年)
#法然院(浄土宗)
比叡山に上り、次に南都に遊学した法然は諸宗の奥義を究めたが満足できず、ついに中国の善導大師の『観経疏』の一文に触発されて、専修念仏を唱導する浄土宗を開創し、1175年に法然院を建立した。
法然の教えは、三心の信心にもあるとおり、民衆に凡夫であるということをまず認識させ、その上で浄土に往生するためには、専修念仏が一番の道であるから勧めるから選択するべきだというものとなっている。
#東本願寺(浄土真宗)
文永9年(1272年) 親鸞の末娘覚信尼が住む地、現在の東山区林下町(知恩院山門北の崇泰院あたり)に大谷廟堂を造営、親鸞の影像を安置。寺院移転後は、この親鸞の影像を安置している寺を本願寺とするのが妥当と考えられている。
#西本願寺(浄土真宗)
1602年に石山本願寺の第12代門主の教如の異母弟の准如によって、創設された本願寺である。
■浄土真宗(日本の仏教諸宗中、最も多くの寺院(約22,000ヶ寺)・信徒を擁する。)
法然の弟子親鸞(1173~1262)が、
法然の教え(浄土宗)を継承発展させ、後に教団として自立した仏教の日本独自の宗派。宗派名の成り立ちの歴史的経緯から、現在、同宗に属する宗派の多くが宗派名としては真宗を名乗る。一向宗、門徒宗とも通称される。
念仏を称えることを通して、阿弥陀如来の慈悲を信知せしめられ、悪人を含む全ての人が浄土へ往生し成仏するという絶対他力への信順を往生成仏の正因とする。また、他の仏教宗派に対する真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある。
#大念佛寺(融通念仏宗)
比叡山の天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身。
教え
華厳経・法華経を正依(直接のよりどころ)、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を傍依(間接の副次的なよりどころ)とし、弥陀の直授による教えに基づいて、念仏はすべてのものにとけあうとする考えに立ち、口称の念仏で浄土に生まれると説くもの
#清浄光寺(時宗)
一遍は証空門下の聖達に学び、後に熊野本宮で神勅を得るなどして自らの教学を形成した。一遍は捨聖(すてひじり)といわれ、遊行(ゆぎょう)をこととし、彼の門弟も一遍に従って諸国を遊行した。
■禅宗に、臨済宗と曹洞宗がある
●臨済宗
中国禅宗五家(臨済、?仰、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(?-867年)を宗祖とする。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。公案に参究することにより見性しようとする看話禅
また、武士階級に好まれ、また、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道等、中世の文化に非常に大きな影響を与えた
#建仁寺
1202年、明庵栄西禅師により始められた日本最古の禅寺である。
●曹洞宗
中国の曹洞宗の禅を、道元(1200~1253)が入宋して伝えたものである。道元は初め、比叡山に上り修行し、その後、栄西にまみえて禅を修するようになった。さらに宋に渡って禅宗諸師に遍参し、ついに天童如浄の下に、「身心脱落(しんじんだつらく)、脱落身心」と大悟し、印可を受けた。帰朝したが、旧仏教の圧迫を受けたり、幕府にも受け入れられなかったりしたため、越前に移り、永平寺を開き、弟子の育成に尽力した。黙照禅(もくしょうぜん)は、禅宗における坐禅の流儀の一つを示す言葉
#永平寺(福井県)
開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。總持寺とならんで日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。
#總持寺(横浜)
奈良時代、行基によって現在の石川県輪島市に、諸嶽寺として創建。平安時代 真言律宗に所属し、1321年に曹洞宗に帰依して、總持寺と改名する。1898年に火事なり、1911年に横浜市鶴見区に移転する。
●日蓮宗
日蓮(1222~1282)を宗祖とする。日蓮は初め、清澄(きよすみ)山に登って仏教を学び、後、比叡山で天台教学を究めるなどし、故郷(千葉)に帰り、建長5年(1253)、清澄寺で南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされる。その後、鎌倉を中心に布教活動を展開し、幕府に対して法華経に帰依すべきことを訴えたが聞き入れられず、そのことにより数々の法難を受けた。1274年に身延山久遠寺を建立した。
#久遠寺
山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山
#池上本門寺
日蓮が生涯最後の20数日間を過ごし死去した、武蔵国千束郷(東京都大田区池上)の地に建てられた寺院である。
以上、簡単な仏教の流れでしたがこれ以外にも、多少の宗派が有ります。
お釈迦さまが開いた仏教でさえも、時代や人により様々に変化していきます。一相一味の法で有るからでしょうか?
聖徳太子により、仏教が広められ、法隆寺や四天王寺などを建立した。
また、三経義疏を伝えた。
#法隆寺
用明天皇が自らの病気平癒を祈って薬師像と寺の建立を発願したが、その完成を待たずに崩御し、その遺命を受けた推古天皇と聖徳太子が607(推古15)年に完成した。
#四天王寺
物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安
置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。
◆奈良時代(710~794年)
奈良時代に入ると、遣唐使によって唐から輸入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学ばれた。これは一口に南都六宗といわれており、三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の6宗をいう。
#興福寺(法相宗)
藤原氏の祖である藤原鎌足夫人の鏡王女(かがみのおおきみ)が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国(山城国)山階(京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である
#薬師寺(法相宗)
天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良皇后(うののさららこうごう)の病気平癒を祈願し、飛鳥の地に創建したものであるが平城京への遷都に際して、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大路に面した現在地に移転した。
#東大寺(華厳宗)
728年、聖武天皇が皇太子供養のため建立した金鐘寺が東大寺の始まり。華厳宗大本山
#唐招提寺(律宗)
唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、故・新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として開山した寺である。
◆平安時代(794~1192年)
#比叡山延暦寺(天台宗)
円(天台教学)・密・禅・戒・の四宗を学んだ最澄により、806年に天台法華宗を開創し、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。そして、日本天台宗の本山寺院として、高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であった。
また、延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍、融通念仏の開祖良忍、浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、日蓮宗の開祖日蓮など、新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称されている。
・天台数学---「諸法即実相」の意味である。
・一乗思想---すべての人が仏になる
・三諦円融---「空諦」「仮諦」「中諦」の三つの諦(真理)です
・止観の実践行--心を統一しつつ自己と存在の実相を観察する。
#高野山金剛峯寺(真言宗)
真言密教を学んだ空海が823年に高野山金剛峯寺を総本山として、高野山真言宗を開いた。
密教というのは、歴史上の釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(いわば絶対者)である大日如来が、直接説いた教えという。生きとし生けるものは、宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も身・口・意の三密行の実践により即身成仏することができると説く。
◆鎌倉時代(1192~1333年)
#法然院(浄土宗)
比叡山に上り、次に南都に遊学した法然は諸宗の奥義を究めたが満足できず、ついに中国の善導大師の『観経疏』の一文に触発されて、専修念仏を唱導する浄土宗を開創し、1175年に法然院を建立した。
法然の教えは、三心の信心にもあるとおり、民衆に凡夫であるということをまず認識させ、その上で浄土に往生するためには、専修念仏が一番の道であるから勧めるから選択するべきだというものとなっている。
#東本願寺(浄土真宗)
文永9年(1272年) 親鸞の末娘覚信尼が住む地、現在の東山区林下町(知恩院山門北の崇泰院あたり)に大谷廟堂を造営、親鸞の影像を安置。寺院移転後は、この親鸞の影像を安置している寺を本願寺とするのが妥当と考えられている。
#西本願寺(浄土真宗)
1602年に石山本願寺の第12代門主の教如の異母弟の准如によって、創設された本願寺である。
■浄土真宗(日本の仏教諸宗中、最も多くの寺院(約22,000ヶ寺)・信徒を擁する。)
法然の弟子親鸞(1173~1262)が、
法然の教え(浄土宗)を継承発展させ、後に教団として自立した仏教の日本独自の宗派。宗派名の成り立ちの歴史的経緯から、現在、同宗に属する宗派の多くが宗派名としては真宗を名乗る。一向宗、門徒宗とも通称される。
念仏を称えることを通して、阿弥陀如来の慈悲を信知せしめられ、悪人を含む全ての人が浄土へ往生し成仏するという絶対他力への信順を往生成仏の正因とする。また、他の仏教宗派に対する真宗の最大の違いは、僧侶に肉食妻帯が許される、無戒であるという点にある。
#大念佛寺(融通念仏宗)
比叡山の天台宗の僧の良忍が、大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により開創した。摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身。
教え
華厳経・法華経を正依(直接のよりどころ)、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経を傍依(間接の副次的なよりどころ)とし、弥陀の直授による教えに基づいて、念仏はすべてのものにとけあうとする考えに立ち、口称の念仏で浄土に生まれると説くもの
#清浄光寺(時宗)
一遍は証空門下の聖達に学び、後に熊野本宮で神勅を得るなどして自らの教学を形成した。一遍は捨聖(すてひじり)といわれ、遊行(ゆぎょう)をこととし、彼の門弟も一遍に従って諸国を遊行した。
■禅宗に、臨済宗と曹洞宗がある
●臨済宗
中国禅宗五家(臨済、?仰、曹洞、雲門、法眼)のひとつで、唐の臨済義玄(?-867年)を宗祖とする。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。公案に参究することにより見性しようとする看話禅
また、武士階級に好まれ、また、絵画(水墨画)、演劇(能)、茶道等、中世の文化に非常に大きな影響を与えた
#建仁寺
1202年、明庵栄西禅師により始められた日本最古の禅寺である。
●曹洞宗
中国の曹洞宗の禅を、道元(1200~1253)が入宋して伝えたものである。道元は初め、比叡山に上り修行し、その後、栄西にまみえて禅を修するようになった。さらに宋に渡って禅宗諸師に遍参し、ついに天童如浄の下に、「身心脱落(しんじんだつらく)、脱落身心」と大悟し、印可を受けた。帰朝したが、旧仏教の圧迫を受けたり、幕府にも受け入れられなかったりしたため、越前に移り、永平寺を開き、弟子の育成に尽力した。黙照禅(もくしょうぜん)は、禅宗における坐禅の流儀の一つを示す言葉
#永平寺(福井県)
開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。總持寺とならんで日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。
#總持寺(横浜)
奈良時代、行基によって現在の石川県輪島市に、諸嶽寺として創建。平安時代 真言律宗に所属し、1321年に曹洞宗に帰依して、總持寺と改名する。1898年に火事なり、1911年に横浜市鶴見区に移転する。
●日蓮宗
日蓮(1222~1282)を宗祖とする。日蓮は初め、清澄(きよすみ)山に登って仏教を学び、後、比叡山で天台教学を究めるなどし、故郷(千葉)に帰り、建長5年(1253)、清澄寺で南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされる。その後、鎌倉を中心に布教活動を展開し、幕府に対して法華経に帰依すべきことを訴えたが聞き入れられず、そのことにより数々の法難を受けた。1274年に身延山久遠寺を建立した。
#久遠寺
山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山
#池上本門寺
日蓮が生涯最後の20数日間を過ごし死去した、武蔵国千束郷(東京都大田区池上)の地に建てられた寺院である。
以上、簡単な仏教の流れでしたがこれ以外にも、多少の宗派が有ります。
お釈迦さまが開いた仏教でさえも、時代や人により様々に変化していきます。一相一味の法で有るからでしょうか?
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