思考の部屋

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「共約不可能性」という考え方は、今も生きているのでしょうか

2013年12月10日 | 思考探究

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 今朝の見出しの写真は、昨日昼頃の中房川から見た有明山です。白く見えるのが雪。間もなく本格的な雪の季節になります。

 さて昨日にニュースで、“六本木襲撃事件、関東連合元リーダーが無罪主張「知らなかった」”という見出しの記事がありました。

 元暴走族のリーダで、変わることなき人生を歩んでいるようです。電話一本で集合がかかると金属バットを持って馳せ参じるのが常識なんだそうで、そのバットは野球のボールを打つのではなく、このバットの使用法は暗黙のマニアルで人に攻撃を加える道具と規定されているようです。

 社会秩序を守るため、人の財産や生命の保護を目的とした法律、処罰規定は彼らにとっては、何ら凶暴性の抑制力はなく、法律は単なる字面でしかない。

 彼らの理性も倫理も全ては彼らの集団内の者たちが正しいという行為が基準とされている。お手本というべきもの「パラダイム」がそこにある。

 彼らだけの道理の世界。

 世界と言ってもその集団の組織勢力は100単位であろうかと思う。そして今回の事件のきっかけが敵対する組織の存在であって、暴力的な組織で同じような道理を持つ集団は無数にあり、全国になると「万」はいるように思う。

 同じ道理の世界だが、単純に気に入らないだけ。

 以上は人の世界というか日々の暮らしの中に実際にある話で、科学哲学という分野の話に「共約不可能・通約不可能性」という考え方があります。やや古い話ですがアメリカの科学史家クーンが提唱した科学論上の概念で、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように解説されています。

 通約不可能性(つうやくふかのうせい)または共約不可能性(きょうやくやくふかのうせい)とは、英語 incommensurabilityの訳語で、科学哲学の分野、および価値論の分野で使われる言葉。より有名なのは科学哲学の文脈での使用で、体系、概念、方法論などに違いを持つ異なる体系(パラダイム)同士の間で、概念間の対応付けがうまく出来ない状態のことを指すのに使われる。

 価値論または倫理学の文脈で使われる場合は、二つの異なる価値や二つの異なる帰結に共通の物差しをあてがうことができない状況を指すのに使われる。これは功利主義の立場に対する、どうやって功利計算をするのか、といった問題と関わる。

 凡人には直ぐには理解できないので、大辞林 第三版の解説では、「異なるパラダイムに属する科学理論の間には,両者の優劣を比較する共通の尺度は存在しないとする説。」で、「共通の尺度は存在しない」異なる共同体間の話として社会学等にも応用されています。

 素人には分かりずらい話ですが、『99.9%図説』(竹内薫著・2006.2.20)という本の中に「共約不可能性」が次のように解説されています。

<『99.9%図説』(竹内薫著・光文社新書)から>

 ニュートンは江戸時代の地図だ
 
 たとえば、ここに江戸時代の地図があるとします。すると、そこには姫路城や若松城といったお城が載っていますよね。一方、現代の地図をみると、やはりそこにも姫路城や若松城は載っているわけですよ。
 でも、江戸時代と現代とでは、お城の意味合いってぜんぜんちがいますよね。
 江戸時代におけるお城というのは、政治の中心地であり、殿様の住居であり、軍事基地でもあったわけです。
 一方、現代におけるお城は、ただの観光名所やシンボルです。
 つまり、むかしは江戸時代の地図みたいなかたちでニュートン力学という地図があったわけですが、いまは相対性理論という地図があるんですね。
 そして、地図の構成要素である「お城」の意味は、いまとむかしとではぜんぜんちがうものになっているわけです。
 でも、姫路城や若松城といった言葉自体は同じですよね。言葉は同じなのに、背景がちがうので意味がちがっている。背景がちがう以上、意味を翻訳することはできない。
「質量」もおなじことです。
 まったく同じ言葉を使っているものだから、ついつい背景の地図が変わってしまっていることにも気づかず、同じものだと勘違いしてしまいます。
 でも、実際は、それらはまったくべつなものなんですね。だから、けっして翻訳することはできない。
 共約不可能性とは、そういうことなんです。

<以上上記書p218-p220>

 元々は1960年代に提唱されたもので、つい最近まで話題にされていました。個人的に『科学の解釈学』(野家啓一著・新曜社・1993.3)を読んでみましたが難しい。

 しかし「パラダイム(範型)」という言葉は、パラダイムシフトという用語でいまだに使われています。

 多様性の時代とは言われ、相対性や絶対性がそれぞれに異なる人々が社会を作り出している。

 構造変革も叫びたくなるし・・・・変わる機会は「今でしょう」とも言いたくなる。

「共約不可能性」という考え方は今も生きているのでしょうか・・・疑問ですが、今朝はこれを話題にしました。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
共約不可能性 (まぐろ)
2016-01-10 19:09:44
すごくわかり易かったです。概念が理解出来なくて困っていたので助かりました。
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