朝の通勤時間帯にラジオで鈴木杏樹さんの“いってらっしゃい”という番組を聴くことがあります。先週(4/11~4/15)のテーマは『心理学』でした。
5回の放送を全部聞けたわけではありませんが、翌週のはじめには番組のブログにその内容が掲載されていて放送内容を知ることができます。それによると
『心理学を学ぶ意義とは?』
『投影について』
『日常生活で使われている心理学』
について5回に分けて放送されたようで、私が聞いたのは月曜日の一回目『心理学を学ぶ意義とは?』だけで、他は聞くことができませんでしたがこのブログを見ることによってその語られた内容を知ることができ、大変勉強になりました。
この“鈴木杏樹のいってらしゃい”ブログは文立てで鈴木さんの語りの雰囲気がよく出ています。
・・・"心理学を学ぶ意義"ですが、心理学によって"自分"を知ることが出来るそうです。
その結果、人間関係をスムーズにすることにも繋がっていくそうです。
ご家庭や学校、職場、あるいはご近所付き合い・・・
私達が日々、生活していく上で、相手が誰であっても人間関係は欠かすことが出来ませんよネ。
人間関係がスムーズにいっている時は、毎日が楽しく充実しています。
ところが人間関係が上手くいかないと、日々の生活は楽しいどころか苦痛なものになってしまいます。
それが続いてしまうと、あれこれ悩んでストレスがたまって体調を崩してしまうこともあります。
それ位、人は人間関係に左右されやすいそうです。
ところが人間関係というのは、本当に難しいもので、"どうして自分は、上手く人間関係を築けないのだろう・・"とか、"何であの人とは、他の人のように上手く付き合えないのだろう"と悩んでしまいますが、その疑問は"自分"に向けてのものだそうです。
心理学を学ぶことで"自分"を知ることが出来て、その結果、人間関係を築いたり、修復することへの糸口になるヒントを得られるのだそうです。
以上が私の聴いた内容です。
この鈴木さんのお話は、わたし自身がこれまでの学びの中で充分に知り得ていることですがあらためて月曜日の通勤時間帯の車内で語られると、我がこころの内の叫びに聞こえました。日ごろ何を学び何を根付かせてきているのかという問いでもありました。
昨年の春第二の人生で現在の職場に就職し、職場の老人との人間関係で心の落ち着かない毎日が続いています。
この心持を是正するにはどうしたらよいものか。
番組の次の日は、火・水曜日の二日に分け『投影について』について語っています。
・心理学では"人間の行動には、必ず理由がある"と考える。
・心理学を学ぶことで"どうして自分はそんな行動をしたのか?"その理由を推測して、自分のことをより深く知ることができる。
その方法の1つが『投影』です。
人間関係の中で"この人とは生理的に合わない"とか、"仲良くなれない"、"苦手"という人は必ずいます。
その人から"こんなことを言われた!"、"こんな不愉快な思いをさせられた!"というように何かしら原因があれば理解できますが、思い当たるものが、何もないのに、接しているとイライラしてしまったり、自然と距離を保ったりしてしまいます。
これは『投影』という心理によるものが大きいそうです。
まさに私の不愉快な毎日が語られているようです。
苦手な老人がいる。
避けることのできない毎日、番組ブログでは、
"苦手"と感じている人の"どんな所"が苦手なのか挙げてみます。
例えば"声や話し方が苦手"とか"仕草が不快に感じる"とか
いろいろあるかと思います。
実は今、挙げた"相手の苦手な所"というのは"自分の嫌な所"で、
"自分の苦手な所・嫌いな所"を、その人に映し出しているそうです。
"そんなことはありません!"と思われるかも知れませんが、
心理学ではそう分析しています。
例えば"あの人の八方美人の所が嫌い"というのは、
実は"自分自身も八方美人だから嫌い"というのと同じだそうです。
"あの人のああいう所って嫌だと思わない?"と人に言ったところ
"あなたもそういう所、あるわよ"って言われた経験ありませんか?
ここまで語られてさらにハッとさせられます。妻にこの苦手な老人の話をしたところ、私に似ている、といわれたのです。
これが、『投影』という人間の心理で、"自分の心を守る働き"の1つです。
自分の嫌な所を、無意識に心の中に抑え込んでいるため、
自分では気づかず、その代わりに相手に"投影"することで、
それが見えてしまい、その人を苦手だと思う、まさにその通りです。
"相手の苦手な所"というのは"自分の嫌な所"で、"自分の苦手な所・嫌いな所"を、その人に映し出している・・
人は自分の中にある"嫌いな所・許せない部分"を無意識に抑えようとする心の働きがあって、それと同じものを持つ相手を"否定"しようとすることになり、嫌な思いはまさにそこに原因があるということです。
ですから、"自分の嫌な部分"を認めることが、"嫌い"を減らすことになる、というわけです。
「投影」
妻との接し方に反省の余地ありで、変わる努力を続けています。するとどうでしょう、こころの依処の家庭がある、の大切さをしみじみ感じさせられました。
職場の嫌な思いは相変わらずですが、時が過ぎれば巣に戻る。それだけでも大いにありがたいことです。
今年に入りアドラーの心理学を学ぶ機会がありました。アドラーの『人生の意味の心理学』、2月にEテレの100分de名著で取り扱われたもので、哲学者で日本アドラー心理学会認定カウンセラー岸見一郎さんが講師で100分間の番組ですが、たいへん考えさせられました。
さっそくアドラーの『人生の意味の心理学』(アルテ)を購入しようとしましたが品切れで、入手まで1か月以上もかかりました。その間に岸見一郎著『アドラー心理学入門』(ベスト新書)を購入、読んでみると心にくさびを打ち込まれるようでした。
第五章「人生の意味を求めて」に、「他人を気にしない」というテーマがありました。
まさに私の今の心持へのアドバイスです。
「敵がいないということは絶えず人に合わせているということですから、不自由な生き方をしているといわなければなりません。」
「私たちのことをよく思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また、自分の方針に従って生きているということの証拠ですし、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。」
と書かれていて岸見さんは、「誰からもよく思われるか、自分のことをよく思わない人がいることのどちらかを選べと言われたら、私ならば後者を選びます。自分のことを嫌う人がいても自由に生きたいのです。」とまで語っています。(同書p149ーp151)
このアドバイスも、心に効きますねぇ。
まさに私にとっての敵である職場の老人。
さんざん、人に「気にしなければいいのに」とか「来年の春には退職してその後は天国」などといわれて「我慢、我慢」でしたが、この「自由」に対する思考視点の転回は、精神的無意識における意味器官に呼応して心持を転回してくれます。
老人に見る私の投影。
まさに私は敵を作っていました。私という敵を・・・。
この岸見さんの著書には、「自分が決める」というテーマも書かれていて、V・E・フランクルの名とともに次のように書かれていました。
アドラーと一時期一緒に仕事をしていたフランクルは次のように言っています(『宿命を超えて、自分を超えて』春秋社)、環境や教育、また素質でなく自分が自分を決める。人間であるということは、このあり方しかできない、他のあり方ができないということではは決してなく、人間であるということは、いつでもほかのあり方ができるということなのである。と。これはまさにアドラーの言っていることです。(同書p136-p137)
「自分が自分を作る」というのは私個人がこのブログにこれまで何回も書いていることで、いかに軽薄であるかがわかります。
わかるまで苦難はおとずれ意味を問う。
そんなこんなで親鸞さんの『歎異抄』が今月の名著。
人間だから縁によって常に心は行き来しています。たまたま悪人になれなかっただけでいつ悪人呼ばわりされるかもしれません。
ときどきの問いの機会に耳を傾ける、それが救いなのかもしれません。
鈴木杏樹さんの『心理学を学ぶ意義とは?』から始まった話ですが、自分の心を知る、そこに通じるのではないかと思います。