思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

本当の「祈り」に気づかされて

2013年03月01日 | 思考探究

 以前「かしこ」という言葉を中心に日本的無神論を書きました。敬虔的な畏まりも含まれ、それがまた日本語の表現として「そこ畏しこに現れる」という、心の深層からの問いに対する応答が、感応が、態度として立ち現れるのではないか。

 それは人間に必然的に現れてくる「祈り」という自然な行為ではないかと思うのです。「子は親から生まれる」「親は子から生まれる」という話も最近言及しましたが、その関係性の中にこの「祈り」というものがあるということを最近気づかされました。今朝はそんな話をしようと思います。

 テレビ静岡が放送している「テレビ寺子屋」という子育ての教育番組があります。先月半ばごろに静岡で放送された番組が2月に入り長野県の民放で放送されていました。ピアニストで作曲家の樹原涼子さんの「祈り」というお話で、

「子は親から生まれる」
「親は子から生まれる」

一見矛盾的な話ですが、同一性の現れが息づいている話でした。

樹原涼子さんの話は次のような内容から始まります。

【樹原涼子さん】
 人は親になると祈ることが多くなります。
 子どもが小さいころもそうですが、少し大きくなると手が届きにくくなり、ただ祈ることのほうが多くなります。
 「祈る」という言葉からは、ご利益を願う感じが強いですが、 音楽を仕事にして、子どもを育てるようになってからは、「祈り」は特別のものになりました。・・・・・何のために祈るかですが、子どもが学校に入ることとか、 お金がたくさん儲かるようにということではない「祈り」があります。・・・・・
 
 次男が高校受験の時一緒に合格発表を見に行った時、 私は息子がその学校に入れるようにと祈っていましたが、その時 彼は、「どこに受かるかではなく、 自分の人生にとって一番いいところに入れるように祈っている」と言うのです。 私は感動し、負けたと思いました。
 もちろん勝ち負けではありませんが・・・。 そして、祈ることは深いものだと思いました。・・・・・・・
 
<以上>

このような話から始まり自分自身の子供の頃の「いじめ」を受けた経験とその時のいじめる子に対する自分が取った態度も語られ、「誰かのために祈るということが祈りの強さではないか」と話されていました。

 不思議な話ですがこの番組を録画したままこの話を「親は子から生まれる」というブログを書いた後に見たのです。「涙こぼるる」とはこういう深層の感動でした。樹原さんは現在ピアノ教室もなされているということでその際、ピアノの生徒が受験を迎えるときに、 お母さんたちには、「その子にとって一番いい結果が出るように」という話をなさるそうです。

 「誰かが人のために祈れるように祈るという境地に立てたことが新しい気づきでした。」

私も気づかされました。

番組の最後に「祈り」という曲を弾き語りで歌われたのですがとても素敵な歌でした。

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