思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

自然の摂理

2004年11月25日 | 風景
 昨夜のテレビ番組で百獣の王ライオンのある一面を知った。
 百獣の王ライオンの雄は生殖能力が備わると今までいた家族集団を出て行かなければならず、雌を求めて原野をさ迷う。
 他の集団(雄1匹と雌とその子供たち)を発見すると集団内にいる雄と死闘を重ね、集団内の雄に勝つと同じ集団内にいた子ライオンをすべて殺し雌を手に入れる。

このような自然の摂理で分かるのは、このときのライオンには人間が持つ愛などという感情は無く、ただ動物的な生殖本能があるだけで、その本能がそのような行動をさせているという事実である。

 このような内容のテレビ番組を見ると子供を殺すなんて考えられないことである。が、最近は人間社会でも自分の子供、他人の子供を平気で殺す事件が頻繁に報道されている。

 こんなことが無いために古より「愛」を叫ぶのであるが、人をそれとは反対の行動に駆り出す動物的な本能は消えることなく今日に至っている。

 何千年何万年何億年経れば動物的本能は消えるのであろうかなどと考えるが、動物的本能があるから人間は生きていける。

 本能には欲もあるが、欲の無い人間は生存できない。苦は生きるという意欲を失わせ「死」という選択をさせる。「死」は人間に必然的に到来する事実であるが、「苦」はそれを許さず、同類相憐れみの愛で集団自殺を行う。

 愛も苦も死も全て相互依存性があるようだ。

 貪瞋痴(とんじんち)の煩悩を断ち切るが宜しいのであるが、2000年以上も経ても変わらぬ世界であるところを観ると悲しいかな成るようにしか成らない。

 自然の摂理には美しいものもあれば悲しいものもある。神や精霊が人を慮りになすものならばどんな意味があるのだろうか。