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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

日本の情の世界・落語ぢから

2010年10月12日 | 文藝

 今朝も引き続き「情」という言葉に視点を置いてみようと思います。情の話というと「人情ばなし」ということになります。そうなると落語、講談、歌舞伎、浄瑠璃など古くから日本にある芸能があげられます。

 1ヶ月ほど前にNHK「爆笑問題の日本の教養」で江戸学が専門の法政大学江戸学田中優子先生をむかえて「落語ぢから」という番組が放送されました。

               

 落語は、若い時から好きでよくカセットテープに落語のラジオ番組録音して聞いていました。最近はラジオを聞く機会が少なくなり、テレビも含め落語番組も少なくなったためほとんど聞いてい状態です。


 落語は極めて哲学的で、、人間存在とは何なのか、人間の業(ごう)とは何なのか、そして人間とはどういうものか見せてくれる。

と田中先生は語り、落語が何話か紹介され、日本の人情ばなしのもつ不思議さの中に、

 現代人にとっても救いになるのではないか

という話になるのですが、非常に印象的で興味深い話でした。まず紹介されたのが、「粗忽長屋(そこつ・ながや)」という噺。

               

 浅草寺参りでのいき倒れ、熊五郎、昨日死んでいるのに、気がつかずに帰ってきている。仕方がないので死骸を引き取りに行く、という内容で、まったくもって論外なのですが、落語だと全く普通に納得のいく話です。

 こういう熊五郎のような人間を、落語では、変な人を変だとは言わずに「粗忽もの」といいます。「お前は粗忽ものだね~」で、争いも起こらず納得し終わってしまう。

 そういう粗忽集団も世間で生きていけるのが落語の世界です。次に「かぼちゃ屋与太郎」という噺。

 遊んだばかりの与太郎、二十歳(はたち)になったんだからと言われると「おらあ・・・はだしじゃねえー」と答え、「30歳の人は、いたち」などとアホさと恍(とぼ)けの世界に遊ぶ人間、これもちゃんと世間で生きられる。

 遊んでると世間体が悪いので、棒手振(ぼてふり)という天秤棒(てんびんぼう)に商品(一品程度)で売り歩く商売をやるように勧める近所のお節介やき・・・・・。

               

 利口でないと、目端がきかないと生きていけない社会ではない。

 この与太郎の世界、与太郎は段ボール生活をすることもなく世間の中で何とか生きちゃっている人間です。またそういう人間を粗忽ものとして扱う慣わしのある世間でもあります。

 実際に落語は身近な話で、実際江戸にはそのような世界があったのではないでしょうか、江戸しぐさも含め、見直しをしましょうという番組です。

 幕末に外国人が来て、江戸の町民生活を見る。長屋に住み、家具らしい家具もないそれでもみんながにこやかに生きている。不思議だったようです。

 太田光が、落語の世界はチャンとしていればというものではなくて、

 「これでいいじゃん。」

 ロクなもんじゃありませんよ、世の中は!

という世界で、いまだに政治をとやかく言うが、心の隅にはこんな感情が残っているのではないかと話していましたが、変に納得してしまいます。

 落語の「粗忽長屋」もそうですが、「死」というものをお笑いの題材にしているものがあります。

 太田光は「日常の延長線上に『死』がある」と言っていました。

 番組で次に取り上げられる古今亭志ん生の有名な「黄金餅(こがねもち)」という落語です。

               

 これは病気になっても薬を買うのがもったいないというケチな西念という坊さん。この西念が病気になり、病気が悪化、自分の最後が間近いと思い、見舞いに来た隣に住む金兵衛に餅を買ってくるように頼み、買ってこさせます。

 すぐには坊さんそれを食わず、金兵衛が帰ってからこの餅に「2部金」を練りこみ始め、次から次へとと呑み込んでしまいます。

 おかしいと思った金兵衛は、壁にあいた穴から中の様子を見てびっくり、・・・・。間もなく西念は病気がもとで死にました。

 近所のよしみで金兵衛が責任をとり、火葬から一切弔いごとを引き受けます。
 
 >桐ヶ谷の焼き場に一人で担いで持ってきた。朝一番で焼いて、腹は生焼けにしてくれと脅かしながら頼み、新橋で朝まで時間を潰してから、桐ヶ谷まで戻り、遺言だから俺一人で骨揚げするからと言い、持ってきたアジ切り包丁で、切り開き金だけを奪い取って、骨はそのまま、焼き場の金も払わず出て行ってしまう。<

というとんでもない、残酷非常な話なのですが、最後の落ちは、この金兵衛がこの時のお金をもと金に、目黒に餅屋を開いてたいそう繁盛したという。江戸の名物「黄金餅」の由来でございます。

さらにあっけらかんとした落ちなのです。

 太田光氏に言うに、立川談志師匠は”業の肯定 ”と言うらしいのですがなるほどです。

 お金をあの世まで持っていこうとする業欲、死体の腹をかき分け金を得ようという業欲実にとんでもない強欲の世界ですが、これが落語になってしまうわけで、実にとんでもない世界です。

 田中先生は「別に悪いことをするんじゃない・・よくかんがえると」とおっしゃっていました。確かに人を殺したわけでもなく、現代人の目で見ると倫理的に、道徳的にいかがなものかとは思いますが、現実ではなく落語であるとなぜか許されてしまう。

 それでいいんだよ・・・人間なんてそんなもんだよ。

 落語は、みんな未熟でお金が欲しいし、欲望に弱いんだ。

 この様な落語というジャンルが日本の芸能にあることは実に見事だ。

               

と太田光は述べていました。

 田中先生が、映画やテレビにはできないこと、確かにリアル過ぎてお話になりません。

太田光が「反道徳的」と話し、田中先生は「そういうところを超えて、”とにかく人間がいるのだ ””人間が生きているんだ ”とそのまま語っている。」と話していました。

 反道徳というよりも道徳という言葉に相当する概念はなく情のみの世界のように思います。情動の世界で、近代的な情動という言葉ではなく「情」に動かされる世界がひょっとすると、江戸学にも通じるという話です。

 「三方一両損」という噺。大岡裁の話にもなりますが、「宵越しの金は要らね、ましてや自分の懐から落ちた金なんか俺のもんじゃない」という一途な男と正直な男、これも中々近代的なものの考えでは通らない、お上の手を煩わせる話です。

 しかしこれも落語のお笑いの世界だが、「いいじゃないの・・・それで」

 本当は欲しいけれど、お金には執着したくない。(田中先生談)

 本当にそうです。わかるんですねその気持。かっこよく粋に生きたい野郎の世界がある分けです。

【田中先生】
 江戸ってひとまとまりの価値観、ある種の文明があったと思う。それは社会の構造とか人間関係とか、かなりしっかりした価値観があって、それをみんなが共有していたんだと思う。

 次に大田が「千両みかん」の噺をしていました。

「千両みかん」という落語は、恋い焦がれた若旦那が病気になり、ミカンが好きなのでミカンを食わせれば元気になると考えた大旦那が千両で、店の者に捜させます、季節はずれですのでどこにもありませんが、しかし不思議に一つだけあった。それを手にした番頭が、ひと房食べ残りの房が何両の値打ちがあるか計算をします。そして結局残りのみかんを持って逃げてしまう話です。

 リーマンショック、株投資の数字の価値の話をしていましたが、確かにお金の価値観は落語の世界そのもの、似ています。

 暮らしている人の感覚、寄席になればお客さんの生活感がくっついてくる。(田中先生談)

 大田はここで、「赤穂浪士」の話をしています。城中での刀を抜く大騒ぎ、絶対に許されないことでありながら、話は捏造されて吉良悪人にされた。歌舞伎・情釣り・講談・浪局が描くヒーロー者の世界がある中で”これだけじゃつまらない””おれたちの話も ”そういうところに落語が入った、

そんなことを言っていました。

 「長屋の花見」という噺

               

 花見の季節が来ました。貧乏長屋も大宅さんを中心にお花見に出かけます。かねがある分けでないので、酒はお茶、卵焼きはたくあん漬けと言ったところ、しかし貧乏ながらも話は進みます。

 「きっっといいことがあるよ、大家さん」「どうしてだい」「だって、さけ柱が立っています」

といった調子の話です。

 落語の登場人物は決して”貧乏 ”だとは思っていない。

と自分育った生活環境にも照らし合わせながら田中先生はいいます。

それを受けて大田が、

 今の貧乏は貧乏がすぐにわかちゃう。テレビなどを見てこんな生活があるんだ、友達がいっぱいいて楽しいやつ、そんなものしか見ない。すると俺は孤独と思ってしまう。

 今の貧乏な人や孤独な人は、何でも知ることができるので、厳しい。それは本当は幻想ではないか。

<今年の6月に広島県の自動車工場で起きた車による連続殺傷事件。犯人は2か月前までこの工場で働いていた42歳の派遣社員。>

              

 あいつは何が不満だったのか、・・・想像力の足りなさ・・・

 友達もそこそこいて、彼女はいないかも知れないが、生活はできていたがそれ以上のことを臨んだのではないか。

 自分で自分をいいよ、と思う想像力は彼には絶対必要だったのでは、まあ~人間というものはこんなもんじゃないの、・・・・。

 というのが落語なんかが教えてくれたことではないか。

と語り、田中先生は、

 貧しさが深刻な問題になるときは、人間関係ができていないからじゃないか、・・・・。”江戸っ子は宵越しの銭はもたない ”という言い方があり、どうして宵越しの銭をもたないか、それは稼いではいるし、そこそこに美味いものも食べている、お金が余りましたそうすると他の人に使っちゃおうじゃないか、と言って自分の処に居候がやってくれば、”ああ~いいよ ”と招き入れて、ここで暮らしていけば、・・・・。となるが、今は自分の生活を楽しくしようとすると、自分の周りに携帯電話、お風呂など、全てを集めてしまうほうが居心地がいいと思ってしまう。

 しかし落語の世界は逆で、人とつながっていないと幸せでない、・・・・世界。

「落語」とかけて・・・・

 土壇場の将棋指し」と解く・・・・

               

 そのこころは・・・・、

 ぜひとも(聴き・危機)に(行って・一手)ほしい。

               
 
という「落語ぢから」というはなしでしたが、日本的な「情」の世界を知る手掛かりになりそうな話でした。

 
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呼吸と日本文化・本間生夫

2010年10月07日 | 文藝

 「調身(ちょうしん)」「調息(ちょうそく)」「調心(ちょうしん)」、身を調え、呼吸を調え、そして心を調える。心身を調和を図り、落ち着くべきところへ整えていく世界にとって、この「身・息・心」の関係は密接な関係にあります。

 心が乱れれば呼吸も乱れ、身体へも影響を及ぼす。緊張のあまりの身振るい、興奮のあまり過呼吸となり身体を痙攣させる、全てはそのように表われます。

 ひと呼吸、ひと呼吸の一休さんではありませんが、今朝はこの呼吸に視点を置いた話を紹介したいと思います。最近はどうもテレビ番組紹介ばかりになってしまいますが、惹きつける番組が多く、語らずにはいられない、紹介しないわけにはいかない衝動に駆られます。

 NHK教育の「視点・論点」この番組は、ニュース解説と異なり、その道の達人の個性豊かな主張といった趣のある番組です。

 10月5日に昭和大学医学部の本間生夫教授による「呼吸と日本文化」という番組が放送されました。

 明治大学の斉藤孝教授は、身体論において日本的呼吸法の重要性を説き「腰肚文化(こしはら・ぶんか)」における呼吸の重要性を説いています。腰をすえる、肚をすえることが日本文化の特徴であり、現在そのよき「腰肚文化」が失われつつあり、取りもどす必要があると多くの著書で語っています。

 今朝は、呼吸研究の専門家の先生のお話です。能という日本の世界に誇る古典芸能における呼吸がその中心となりますが、大変呼吸というものの不思議と能の芸術論を知ることができました。

 なお、いつもの通り私情が入らない、本間先生の言葉をそのまま起こし、誰もが参考にできるように起こしました。

 放送の冒頭に本間先生は「専門は呼吸生理学、常道と呼吸に関する研究を手がける。」と紹介されていました。

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【本間生夫教授】
 生命を維持していくために必要な呼吸、私たちはあまり意識することはなく、そのありがたみを実感することもありません。その呼吸が心を反映すると言われると興味を持つ人もいると思います。

 呼吸の科学的研究を通して、心と呼吸の関わりを説明し、日本の古典芸能である能に焦点を当て日本文化と呼吸の密接な関係を明らかにしていきたいと思います。

              

「能と呼吸」私の能との出会いは、15年前ある本がきっかけでした。その本を通して、観世流シテ方の梅若猶彦(うめわか・なおひこ)さんと出会いました。それから彼の御能を何回か観るうちにお能における心の表現をは何なのか、興味を持ち始めました。

 動きは静的で大きくなく、表情は表(能面)の中に隠れて見えません。

 能の心の表現は呼吸である。呼吸生理学者がそこに至った過程をお話ししたいと思います。

 呼吸リズム・呼吸運動の指令は脳の中にある呼吸中枢で作られています。酸素を取り入れまた、体の中の二酸化炭素の量を調節する呼吸中枢は、脳幹という脳にあります。

 生きるのに必要な脳です。ここで作られる呼吸を代謝性呼吸と呼んでいます。一方外界の温度など外的環境の変化や内的環境で変わる呼吸を行動性呼吸と呼んでいます。この行動性呼吸の中に喜怒哀楽の感情即ち情動に関わる呼吸があります。

 私たちはこの呼吸を情動性呼吸と呼んでいます。この呼吸が脳のどこで作られているのか、そしてどのような働きをしているのか、これが今日のテーマにつながってくる疑問です。

          

 能に情動をつかさどる中枢があります。その中枢は大脳の内側、脳の最も深いところにあり、大脳辺縁系と呼ばれています。ここはたくましく生きるための脳と言えます。この大脳辺縁系の中に扁桃体と呼ばれるアーモンドのような形をした部分があります。

 扁桃体は情動を生み出していると言われています。私たちは次のような研究を通してみました。それは不安実験です。現代において不安を感じない人はいないくらい誰もが経験するネガティブな情動です。被験者の指に電気ショック用の電極を取り付け、2分以内に電気ショックが来る、と伝えます。

 実際に与える必要はないのですが、そのリズムの間、被験者は電気ショックがいつ来るのかと不安になります。これを予知不安と言いますが、この時の呼吸の変化と脳波の変化を捉えるのです。ただ脳波だけでは脳外の活動部位は解りませんので、開発してきた双極子追跡法(そうきょくし・ついせきほう)で脳波に組み込み測定しました。不安に駆られている間、被験者の呼吸数は増加し、その呼吸に同期して、ここが重要なのですが呼吸に伴って情動の中枢である、扁桃体が活動していたのです。

 興味深いことに、不安度が高い人ほど呼吸数の増加が激しく、不安度が低い人ではあまり変化しないのです。

 そして不安度と呼吸数の変化はきれいに相関し、呼吸が変化するにつれて不安も変化してくるのです。つまり同じ刺激であれば、呼吸数の変化を見ればその人の不安度が分かるのです。

 この結果が呼吸と心の関係へという研究へと導いてくれました。不安に限らず悲しみや、怒りなどネガティブな感情を抱くと呼吸が速くなり、喜びや安心など、ポジティブな感情を抱くと呼吸はゆっくりとなります。

 さて情動は心につながります。この心の表現には、二種類の表現法があります。身振り手振り表情の変化など、自分の心を外の表現する方法と、まったく外に表すことがなく内面だけで表現する方法です。

 外に表すことを外的表象、内面だけで表現することを内的表象と呼んでいます。

 日本は古くからこの内的表象を重んじる国です。この心の表象の違いは、舞台芸能にあらわれてきます。多くの舞台芸術、特に西洋の舞台芸能では、心の表現は外的表象です。表情豊かで美しいしぐさ、彼らは身体の表現の美しさに価値を見出します。

 役者の身体性が物を言います。以前名優と言われる女優さんの脳の活動を調べたことがあります。彼女はわたくしの目の前で、突如泣きはじめ、そしてピタッと泣くのをやめ普通の表情に戻っていました。

 彼女は、「私は今悲しくないのですが、演じました。」と、正に真に迫った演技だったのですが、脳の中では大脳皮質の運動中枢の活動が強まっていました。情動の中枢ではなかったのです。

 さてもう一方の内的表象です。先ほど心の内的表象は日本的だと申しましたが、それは日本の古典芸能に深く関わってきます。日本が世界に誇るお能は、600年以上前に生まれその舞台様式が現在まで変わっていないのが世界の中でも稀であると言われています。

 このお能における心の表象が内的表象なのです。私は梅若さんに頼みシテ方の何人かの脳の活動と呼吸を調べさせて貰いました。研究室でお能の名曲である「隅田川」の中で、子供を失い嘆き悲しむ母親を演じてもらいました。その時表情は全く変化していませんでしたが、唯一呼吸が変わっていました。激しく乱れていたのです。 

 脳の中では情動の中枢である、扁桃体が強く活動していました。しかも冒頭で述べた不安と同様、その脳の活動は呼吸に同期していたのです。悲しみや不安など情動の変化は呼吸の変化に伴って出現しているのです。梅若猶彦さんは、彼の書の中で、

 お能の先達は心が変わると呼吸が変わること、呼吸を変えると身体の様相が変わることに気づきそれを芸術体系へと組みこんで行った。

と述べています。私は呼吸の生理学者であり、生きるための呼吸の研究をもっぱらにしてきました。しかしこの10年の研究から、呼吸と心の関係を見出し、私自身その呼吸の美しさを表現したいと思うようになりました。そして創作の「オンディーヌ」を創りました。

          

 泉の妖精が人間の男に恋をし、しかし最後に人間の男は彼女を裏切り、泉の掟(おきて)によって息ができなくなり死ぬ、というヨーロッパで有名な戯曲を題材にしています。

 この物語を能に創り変えたひとつの理由は、我々呼吸の臨床の世界に「オンディーヌの呪い」という疾患、すなわち睡眠時無呼吸症候群と呼ばれる疾患があるからでもありますが、大きな理由は魚であり、魚は生きるための呼吸中枢死か持ち合わせていない、一方人間は意思で呼吸を変えられるのでいくつかの呼吸中枢を持っている。

 呼吸と心は一体という考えから、妖精は一つのただ純粋な心を持ち、人間はいくつかの心を持ち合わせている、邪悪な心も持ってしまう、というところにあります。

 「能オンディーヌ」は国内ばかりでなく、来年ヨーロッパでも講演する予定です。心の内的表象と呼吸、そぎ落とされた美。芸術としての呼吸の美学。日本の文化は、呼吸から生まれているのではないでしょうか。それは呼吸が心を映しているからです。

以上


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 能に関しては、今年の夏に「この花は誠の花にあらず」で紹介しています。有名な観阿弥・世阿弥篇による花伝書(風姿花伝)という名著がありますが、能は素人ですが実に深みのある古典芸能です。このブログには、道元禅師の「花」についてのtenjin95のコメントがあり道元禅師を研究されている方には参考になると思います。

 今朝の終わりに、ひと呼吸、ひと呼吸でのんびりと生きましょう。

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個性ぬきの閑(しずけ)さ 

2010年08月09日 | 文藝

 毎年行われる安曇野有明の宮城地区にある道祖神の旧暦の七夕飾りです。毎年ブログで紹介している変わらない風景、こと静かに続いている行事で何気ない風景ですが、何となくよいのです。

 NHK教育は昨年までは万葉集を紹介し、今は漢詩の世界です。俳句教室や短歌に関する番組は今も放送され、いわゆる詩的な創作のこころが当然、人にはあるということは説明する必要がないことです。

 芭蕉の句に、有名な

 閑(しずけ)さや いわにしみ入る 蝉の声

があります。自分の思い、感じる心をそのままに表しており、知らない人はいない俳句です。

 この句に個性はあるかと聞かれると、個性ではなく感性の問題だろうと思うのですが、個性のない俳句というもの自体認められないという人もいるようです。

 そもそも芭蕉については、富士川のほとりの捨て子の歌、哀れを歌うだけで、社会批判があるわけではなく、ただ事実だけを淡々と表現しているように思えばそうなのですが、なんでも社会を批判すれば落ち着くというものではないように思います。

 世の中にはどうしようもないこともある。それを時には詠みたくなるものです。それがまた日本の文化として残っているのです。いいのか、悪いのかそういう問題ではないのです。

 今朝は、『蛙飛び込む』(上田 真著 明治書院)の次の文章を紹介したいと思います。

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 閑さや岩に しみ入る蝉の声  芭焦
 
 『奥の細道』の旅で、芭蕉が立石寺に詣でた時の吟である。人里離れた深山のこととて、夏の木立はただ静寂、何の物音むなく静まりかえっている中に、どこからともなく透き通った蝉の声が聞こえてきて、それがあたりの岩にしみ入るようだという。「岩にしみ入る」というのは烈しいことはであって、あたりの静かさと、その静かさの中でひとり持続的に鳴く蝉の声の強さを印象づける。「閑さや」の初五は、もと「さびしさや」という形だったらしいが、「さび」ということはがよくあてはまる感じの句である。
 
 西欧人の中には、俳句ファソが多い一方、俳句が大嫌いだという人々も多い。ただ、俳句が嫌いだということを公に宣言するのはかなり勇気のいることで、だからそれを活字にして発表するなどということは、ごく珍しい。その珍しい例が、英国の詩人で、日本でも教壇に立ったことのあるD・J・エンライトである。『露の世』という日本文化論のなかで、彼はどうして俳句がきらいなのか、つぶさに説きあかしているが、その理由は二つあるように読みとれる。
 
 その第一は、俳句に人間性がないということである。日本の俳人たちは何事に対しても批判することがない、とユンライトは非難する。彼によれは、俳句には概して社会性がなく、人間が出てきてもそれは作者ひとりで、しかもその作者に個性がない。「私たち西洋人は、あまりにも読者がどうとか社会的責任がどうとか、論議しすぎるのかも知れない。しかし、私見によれば、社会にも自己の個性にも興味がないような詩人は、すべからく頭を剃って僧院へ入るか、大学の哲学科でくすぶっているのがいいのだ」と、彼はなかなか手きびしい。
 芭蕉の「閑さや」の句は、このような文章に関連して引用してあるわけで、直接槍玉にあげて攻撃されているわけではないが、エソライトの指摘した反社会性や反個性的な面は、十分にもっている。蝉の声が岩にしみ入っている、というだけでは、そこに社会性がないのはもちろんのこと、人間性さえ薄い。じじつ芭蕉は立石寺へ来ていて、世間からはるか離れた深山にいるわけである。
 
 エンライトの俳句非難には、どう反論すればよいのであろうか。俳句が反社会的・反人間的だということについては、答えようがないであろう。芭蕉・蕪村の正統派俳句は、まさにその通りなのであって、エソライトを待つまでもなく、戦前のプロレタリア俳人たち、戦後の社会性俳句唱導老たち、共に同じ不満を述べているのである。ただ、俳句の反社会性・反人間性には、否定的な意味ばかりでなく、積極的意味もあることを忘れてはなるまい。俳句はその本質において、反社会的というよりも超社会的であり、反人間的というよりも超人間的である。
 
 芭蕉の「さび」の理論は、さびしさに徹することによって、いくら社会を改革しても得られることのない精神の安定に人々を導こうとする。岩にしみ入る蝉の声を聞いていると、是が岩に向かって坐禅しているような気持になるのであり、蝉も岩も自己も渾然として一体となったよな至福の境地に至る。それが俳句の積極的意味なのであって、それを無視して社会性のみを求めるのは見当ちがいであろう。
 
 社会性なら、俳句よりもむしろ川柳のほうに求めるべきなのであって、事実、俳句のきらいなエンライトも川柳には好意を寄せている。つまり、エンライトの俳句論には、川柳の基準によって俳句を論じたようなところがあり、それが弱味となっているように思われる。 (同書p66~p68)

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 俳句というものは独特です。川柳を整なわせる番組がありますが、個性抜きで俳句を整なわせる番組も成立するような気がするのですが。

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志貴皇子の歌に思う

2010年01月27日 | 文藝

 皇族の権力闘争の渦中に生きた天智天皇の皇子の志貴皇子。時々日めくり万葉集に登場する皇子です。
 
 今のように皇室典範でその皇族の範囲も規定されている時代ではなかった古代では、権力者としての天皇の地位が確定されていて、その権力をめぐっての戦いが行なわれ、多くの皇子が不遇の死を遂げています。
 
 その中で志貴皇子は、万葉集に残る歌でもわかるのですが、穏やかな権力闘争とは別格な皇族でした。

むささびは
木末(こぬれ)求むと
あしひきの
山の猟師(さつを)に
あひにけるかも

 今朝の日めくり万葉集は、絵本作家安野光雅先生が選者で、上記の志貴皇子の歌でした。

 「むささび」という空を滑空する小動物を森の中で見た、猟師に捕まってしまうよ。

という単なる目撃を歌にしたのですが、時代的背景、作者の境遇を知ると「あまり高い地位を望むと殺されてしまうよ」とも読み取れます。

 志貴皇子が天皇になり、歌人として、また権力とは無縁の象徴的天子で、その皇室家も下々の「範」であったなら・・・・・・

と思うのであります。
 開かれた皇室も良いのですが、あまり「範」でないのはいかがなものか。

 天皇は天子であった時代はあったのだろうか。日本には今もその天子の座はあるような気がします。被災地を訪れる美智子妃殿下のお姿を見ると、「母」の温かさを感じます。

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「日めくり万葉集」から「R・Nベラー」まで

2010年01月18日 | 文藝

 NHKの「日めくり万葉集」は、昨年の放送されたものの中から選んだものを再放送しています。

 日めくり万葉集では、ドナルド・キーンさん・リービ英雄さん、アレックス・カーさんなど外国の方も選者となって、万葉歌を紹介しています。

 今朝はアレックス・カーさんで、昨年の6月に放送されたものでした。誠に時のすぎるのが速いものです。

 巻3ー351沙弥満誓(さみまんせい)の歌で「世間」とでも題しても良い有名な歌です。昨年もブログに書いていますのでないようもダブってしまうかもしれませんが、今日もその歌を紹介したいと思います。

世の中を
何に喩(たと)へん
朝開(あさびら)き
漕(こ)ぎ去(い)にし船の
跡なきごとし

世の中を何に喩えたらいいのだろうか。それは、朝早く港を漕ぎ出していった船の航跡が、何ものこっていないようなものだ。

 江戸時代以前にはわが国には社会を示す言葉がほかになかったから、「世の中」や「世」という言葉がしばしば用いられていた。しかしそれが本来仏教用語であり、無常観に浸された言葉であったことは記憶しておく必要がある。

と「世間」研究家で有名な、阿部謹也先生は、著書(岩波新書『学問と世間』)の中で述べています。 

 「無常観」そういえば、この無常観を考察の対象にしていたことを思い出しました。仏教ブログに参加しながら最近は仏教的なことも書かずに、その都度興味のあることに書いています。

 最近は、江戸時代が見直されているようで、巷にはこの類の書籍が多く出版されています。「江戸時代の仏教」となると「つれづれ日めくり」さんが、時々R・Nベラーの『徳川時代の宗教』岩波文庫を参照されながら解説しています(2007-06-28「或る禅僧のつらつらなる日暮らし」・2009・7・28「或る禅僧のつらつら日暮らし」)。

 万葉集を語る外国のかたがたではありませんが、このR・Nベラーという方、社会学者なのですが、日本人の学者とは異なる視点ですばらしい研究をされている方です。明治維新も含め江戸期から戦後へと、日本がどのように独自の発展をとげていったかを社会学的に研究された方です。

 江戸期がこれまでブームになってもR・Nベラーを語る人はいません。類型変数図式というタルコット・パースンズという社会学者の理論で、独自の解析をしています(『日本近代化と宗教倫理』未来社)。

 から出されていましたがいるのですが

ということで、今日もメモ的なブログになってしまいました。
 今日の写真は、土曜のとは異なり昨日(日曜日)場所を変え、安曇野から見た北アルプス方向の山々です。

             
この写真は、松本平方面です。

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今朝の「日めくり万葉集」

2010年01月12日 | 文藝

 昨年の予報では、今年の冬は暖冬という話でした。年末から北陸方面では大雪、北安曇郡小谷村では2メートルからの積雪となっているらしいのですが、やはり暖冬のようで、安曇野の山麓方面には10センチあまりの積雪があるものの安曇野平から松本平にかけての平地の雪はすっかり消えてしまいました。

 この3日間の連休には、各地の真言宗の寺の厄除けが行なわれたり、松本市内では「あめ市」という祭りが行なわれていました。

 「敵に塩を送る」戦国時代に塩に窮した武田信玄に、上越の上杉謙信が塩を送ったという古事にもとづく祭りで、冬のこの地方の伝統行事です。

 毎年のことですので今朝はこのくらいにして、今日の「日めくり万葉集」の話しにしたいと思います。

 奈良の都にあった、元興寺の僧侶が呼んだ有名な歌。選者は文芸評論家の馬場あき子先生です。

巻6ー1018
白玉は
人に知らえず
知らずともよし
知らずとも
我(われ)し知れらば
知らずともよし

この歌は旋頭歌という形の歌で、同じ旋律を3回繰り返しています。
 「知らずともよし」と最後に自分を慰安しています。

 自己の存在という「なぜ私はあるのか」という命題は、ある人にとっては通過儀礼のような迷題で、ひとつの答えとして「人間は社会的動物である」と、他者との関係の上に存在していることに気づきます。

 他者との関係は、他者に自分を知ってもらい、相互の存在確認ができて成立しますが、今朝の歌の「人に知らえず」は、その存在確認が人間の欲望にまで高まった時の心情です。

 政治にもかかわる立場にあった高僧かも知れませんが、自分で考えるほどによい立場を与えられないことへの慰めの歌。
 
 本人が詠ったかは定かではありませんが、今もむかしも変わらずに出世欲はあり、そのような心情を旋頭歌で表現するという歌の芸術、万葉集とは本当に文化遺産だなあと思います。

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能と日本文化を語るとき

2010年01月01日 | 文藝

     (写真は、現存する最古の能舞台図:国立歴史民族博物館蔵) 

 NHK新春能狂言は、能「八島(やしま) 弓流(ゆみながし)・素働(しらばたらき)観世流」でした。シテは武人義経、面は「平太(へいた)」でとても凛々しい姿でとても美しい映像でした。

 若いころはまったく能などというものには興味がなく、その中で語られるものにどのような価値的な要素があるなど考えたこともありませんでした。

 三箇日の初日に能を観るのもなにかの縁。やはり能は伝統芸能、日本の文化であることを改めて認識しました。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 八島の後半部分の抜粋です(日本古典文学全集 謡曲集一 小学館)。

 地謡(義経)
 武士の、八島に入るや槻弓の、八島に入るや槻弓の、もとの身ながらまたここに、弓箭(きゅうせん)の道は迷はぬに、迷ひけるぞや生死(しょうじ)の、海山を離れやらで、帰る八島の恨めしや。とにかくに執心(しゅうしん)の、残りの海の深き夜に、夢物語申すなり。夢物語申すなり。

 地謡(義経)
 忘れぬものを閻浮(えんぶ)の故郷に、去って久しき年なみの、夜の夢路に通ひ来て、修羅場(しゅらどう)の有様あらわすなり。

 戦場で弓を海に流してしまった義経は、流れ行く手の平家の陣営方向に取り戻しに行きます。

 シテ(義経)
 知者は惑はず。

 地謡
 勇者は恐れずの、弥猛心(やたけるこころ)の梓弓、敵(かたき)には取り伝へじと、惜しむは名のため、惜しまぬは一命なれば、身を捨ててこそ後記(こうき)にも、佳名を留むべき、弓筆の跡なるべけれ。


 諸国の一見の旅僧の前に現われる義経の亡霊は語り内容です。「勇者は恐れず・・・」の地謡の人称は、義経ではなく後追いの説明表現です。

 素人でうまく説明できませんが、能における地謡の人称、これは詩(うた)の中に現われます。

 僧・シテ・地謡の三者の語りの次元は、哲学的な「時間と場所」では説明できなように思います。

 「閻浮」という言葉が出てきます。解説書によると「この世。人間世界。この語りは、あの世の者がいうのが普通である」という意味ですが、語りの言葉の中に、語り手の存在する次元を持たせています。

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 能学評論家戸井田道三(といた・みちぞう)先生の『「能」と「時間の逆行」』という文章(日本文学全集 月報27 小学館)の中で、次のように語っています。

 年をとると子どもにかえるとかいう。私はちかごろ人生のはじまりへの回帰、つまり一種の退行現象が自分に起きていることをみとめないわけにはいかない。
 そのためであろうか。能という舞台芸術は、老人の退行的時間そのものを身体的に感じさせるものだという考えが、最近の私にある。能が三老女などと、とかく老人の出る能を重要視するのも、そこに理由がありそうに思える。
 人間は過去の記憶によってしか、未来を想像できない。ある人が「人間は将来に向かってうしろ向きにしか進めない」といったそうだが、今の私には身にしみる言葉だ。行く川の流れは二度とかえらない。だがもとの水として考えないと未来をはかることができない。
 川が水源から海まで流れくだるように、人間もそれぞれの一生を、生れてから死ぬまで流れくだる。人間は同じではない。だが、ひとりひとりの生は、水源から海まで、つまり歴史のはじまりから終末までであろう。
 わたしの退行現象は、終末へ近づくにつれて原初へ回帰しようとする矛盾した心理の作用らしい。記憶の蓄積が重くなると、記憶のない時代、つまり生れたばかりの無限の可能性へと指向するのだ。そこには根源的なカオスがなつかしく存在している。
 歴史は川の流れのように非可逆的である。しかし、非可逆的であればあるほど、人間の個々の心情は可逆的でありたいと祈願する。だから、還暦などという年齢の区分もでき、子どもにかえるなどともいう。フィルムの逆まわしは、ただ忍者を現実的ならしめるためではなく、退行的時間の模写でもあるわけだ。
 歴史の非可逆性で考えれば、つねに原因は結果のまえにある。しかし、結果がまずあらわれて原因を求めるから、原因が姿をあらわすともいえる。それは非可逆的な歴史と別の秩序である。
 由来とか縁起とかいう考えかたはそれにちかい。能の進行はおおよそ、そのようなかたちで展開する。

という内容で、感動を受けました。

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 日本文化の代表として能が伝統芸能といて存在している事実、要するに好む人々が存在したからということです。

 この好む人々が所属する階層についての蘊蓄(うんちく)は意味がありません。また日本の文化を語るときグローバルな思考では掴み得ません。必要の用と好む人がいたからという単純な事実があるのみだとつくづく思いました。

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