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思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

馬頭観音のある風景・祈りの道

2011年09月03日 | 風景

 NHK連続テレビ小説「おひさま」もあと1ヵ月余りの放送となりました。今年の夏は観光客も急増し、私の住む安曇尾の山麓方面のそば屋さんは大変な賑わいでした。

 賑わいでしたというと過去形になってしまいますが、多分秋の紅葉の季節もこの賑わいは続くのではないかと思います。

 そば屋さんが繁盛していることもあってか、安曇野の風景の中で少々変化がありました。そばの白い花が咲く畑を多く目にするようになったことです。

 山麓線を松本方面に向かうと、馬頭観音の石塔がある田舎道があります。私の好きな風景です。

 霧の中に、秋の紅葉する山をバックに建つ馬頭観音。そんな風景にそば畑の白い花の背景が加わりました。

 実りのこうべを垂れる稲穂、その向こうに白い畑が見えます。

 長野県の郷土史家の藤森栄一さんが書かれた「命の道」という短文があり、時々風景写真とともに紹介しています。

 今朝は馬頭観音のある風景写真とともに紹介したいと思います

< 祈りの道 >
 
 救いは、ただ、祈りだけだった。
 平安のはじめから、釈迦入寂後二千五十二年の末へ入って、人々はもう弥勒出世の五十六億七千万年後の永劫の未来まで救いのない現世に生きて、けわしい山や深山にその弥勒との結縁を求めて修行した。
 
 信濃の高山のほとんどはそういう衝動から拓かれた。
 修験者、行者、遊行僧、それから武士たち。民衆はただ弥陀の浄土に迎えられることをだけ願い生涯の望みとして、善光寺へ、そして伊勢へ旅をした。信濃のいたるところに残る善光寺道、伊勢道という道標はそれである。

 やがて、その道標の立つ辻には、馬頭観音が立ち、庚申塔が立ち、道祖神が立った。この岐の神は、村を災害から守り、生殖を司り、やがて男女相愛の像となって、息のつまりそうな封建の村の中の唯一の笑いとつらなり、そして救いとなった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この馬頭観音ですが、「おひさま」に時々登場する双体道祖神がある場所から東に1キロほど離れた場所にあります。

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新・「空気」の研究

2011年08月27日 | 風景

[思考] ブログ村キーワード

 『新・「空気」の研究』という特集見出しが目にとまりました。新潮45の9月号にはその他に「釈迦とドラッガー」と題した対談集も掲載されています。

 『「空気」の研究』というとあの山本七平先生の著書を思い出しますが、この表題はそれを意識しての特集です。山本先生の著書も最近再版され文庫本コーナーに山積みになっていますので、それなりの世の中の流れにあるのかと思ったりします。特集に掲載されている執筆者は、

吉崎達彦・蓮舫・堀井健一郎・中野翠・正高信男・片山杜秀

の6氏で、筆題ではありませんが

時代の趨勢

メディアの風向き

古代からつづく同調システム

座持ちの笑いに見る強さ

「心のケア」ということばへの批判

明治憲法と戦争自爆への道筋

という内容の小論が掲載されています。今朝はこの中から表題にもなっている山本七平先生が現況を読むとしたらという視点で双日総合研究所取締役副所長吉崎達彦氏の『日本を覆う「3・11シンドローム」』から最後の部分を引用紹介したいと思います。

<引用新潮45・9月号から>

・・・・・略・・・・

 エコノミストとして興味深いのは、今回の震災があのリーマンショックからわずか3年後に起きていることだ。せめてこれがリーマン以前であれば、財政状態もここまで悪化してはいなかった。今後の復興は、少子・高齢化現象が続く中で、財政再建との二兎を追わなければならない。つくづく「有年に一度」の経済危機の後に、「千年に一度」の天災が続いた不運を感じるところである。
 
 とはいえ、このような不運が過去に絶無だったわけではない。わが国は戦前に、「関東大震災」(1923年)の6年後に「世界大恐慌」(1929年)に見舞われたことがある。今回とは天災と国際金融危機の順序が違うが、どちらも「踏んだり蹴ったり」の経験であったことに変わはないだろ。

 当時の日本も、大方の予想を裏切って関東大震災からの復興を迅速に成し遂げた。恐慌からの脱出も、高橋財政によって世界に先駆けて成功した。つまりは2つの試練を立派に乗り越えた。この国の人々にはそういうDNAが流れているのであろう。
 
 しかしながら、あまりに不運な1920年代を経験した日本は、それ以後、満州事変(1931年)、二・二六事件(1936年)、真珠湾攻撃(1841年)と、破局への道をひた走ることに在る。政策判断にミスが続いたのは、その前の2つの不運と無関係ではなかったのではないか。今と同じように、「異常な空気」に支配されていたことは想像に難くない。
 
 1920年代がそうであったように、日本は今回の危機を乗り越えるだろう。それは災害の多いこの島国に住む人々が、昔から繰り返してきたことでもある。日本は震災ではつぶれない。だがそういうとき、政策の方向を誤りやすい。それはきっと「空気の支配」が強まって、政治が暴走してしまうからであろう。
 
 昨今の原発論議などはすでにその兆候が表れていて、うかつな発言をすれば人扱いをされかねない。が、一時の感情的な勢いで国策を動かすべきではないだろう。
 
 かの山本七平翁は、「空気の支配」に対抗するために「水を差す」ことが重要であると説いた。「3・11シンドローム」も放置しておくと、国の進路を誤るかもしれない。従って、われわれも積極的に水を差さなければならない。
 
 あの北野武は、震災直後に「僕たちには歌うことしかできません、と言って知らない歌手がテレビで歌っている」などと、いつも通りの毒舌を振りまいていた。今必要なのは、そんなノリではないかと思うのだ。  

<以上上記書から>

 NHKのさかのぼり日本史や終戦記念日頃の戦争関係の番組などを見ていると、今の時代は確かに戦争への道であった、過去の日本の歴史に重なる部分があります。

 大きな違いは軍事官僚が内政までに入り込んではいないだけだろうと思います。しかし自衛隊、検察、警察関係いわゆりある種権力畑の空気を吸った者の国会議員がいないわけでもなく、昔の軍関係者とは質が異なりますので懸念がないわけでもありません。

 国民もそれほどまでに、毒に弱いとは思われませんが作られる風評に乗りやすい面は昔も今もまったく同じで、現代社会は昔よりもその風評の流れる速さが切なくなるほど刹那です。

「そんなノリ」もこれまたある種の流れでありますが、愚かな政争を見ていると不謹慎ではありますが「そんなノリ」でクリアーしないと「やってられない」・・・・・そんなご時世ではないかと思います。

 どうして政治家は愚か者になるのか「気高き使命感」を言うが、あの鳩山のお坊ちゃまが、刑事事件の被告人が何で日本の動かそうとしていることに不思議で仕方がありません。

 茶かしの世相、する方なのか、やっている方なのか、「そんなノリ」・・・・しかし、日本という国の凄いところは、底力があることでしょう・・・・どうにかこうにか今日があります。

 最後ですが、思うに本当に貧乏になりました。それでも生きています。

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北アルプス展望美術館・有明山のある風景

2011年08月25日 | 風景

 NHK連続テレビ「おひさま」に登場する安曇野の風景の中で次のシーンが印象的でした。安曇野に住んでとても安曇野らしい風景で、安曇野を遠く離れた人にとっては望郷の念に駆りたてられる風景だと思います。






 昨日は、隣の池田町にある見出しの写真の北アルプス展望美術館(池田町立美術館)に出かけました。ちょうど美術館まで行く道の途中に番組の撮影現場があるので立ち寄ってみました。

 以前にも紹介したのですが、田植えをする前の風景で春先の風景でした。現在はご覧のとおり稲穂がしっかりつき本格的な刈り入れの秋を待つばかりとなっていました。

 有明山は雲がかかり、有明富士という別名をもつ有明山は雲に覆われていました。

 さて北アルプス展望美術館ですが、昨日が俳優の榎本孝明さんの「水彩紀行展」の最終日であることを失念して妻に言われ出かけてきました。

 榎本さんが紀行画を描く方だということは多くの人が知っておられるかと思いますのでここでは紹介しません。

 「北アルプス展望美術館」名前のとおり常念連峰とくに番組でも有名になった有明山を全面に見ることができる美術館です。高速道路の豊科インターを降り、北アルプス白馬連峰のある白馬に向かう国道の東側(右側)の山の斜面にある美術館で田畑のある平野の向こうに北アルプスを見ることができます。

 この美術館は池田町美術館、奥田郁太郎館、小島孝子記念美術館の3館で構成され、先の榎本孝明さんの特別企画の展示会も開催されるほか、これ等の方々の絵画を見ることができます。










美術館にある池の蓮がちょうど咲いていました。

 芸術の秋これから北アルプスの勇壮な山岳風景を見ながら絵画を見るのもよろしいかと思います。

 榎本孝明さんの特別展が終わり、同美術館では『日本の祭り絵展』と題した傳益瑶(フ・エキヨウ)さんの展覧会を企画しています。



 傳さんは現在日本の祭りを題材に多くの祭画を描かれています。祭りと言えば魂の躍動の姿や葵祭のような時代の風景などがありますが、紹介パンフに使われているのは諏訪の御柱風景で分かりづらいですがとてもその躍動感が感じられる絵を描かれる方です。

 これからの季節、秋の北アルプスを見ながら芸術に触れるのもよろしいかと思います。

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古刹を巡る

2011年08月01日 | 風景

 久しぶりに晴れ間が見られた昨日、東筑摩郡朝日村と塩尻市にあるお寺の二ヵ所に出かけました。

 朝日村西洗馬(にしせば)の光輪寺(こうりんじ)

 塩尻市洗馬の興龍寺(こうりゅうじ)

の二ヵ所です。

 光輪寺は、空海さんがひらいた高野山金剛峯寺を本山とする真言密教のお寺です。






朝日村の西洗馬三ケ組という地籍に小高い山を背に立っています。春は樹齢400年と云われる枝垂桜が咲き見事なものです。

 あの木曽義仲のゆかりの寺で山門入口には大きな旭将軍の名が刻まれた石碑が立っています。



 連日の大雨が上がり、木々が青々した中、境内に入り一番の印象は建物の古さから漂う重さです。茅葺の屋根、あまり見ることがなくなってしまった茅葺の屋根を持つ寺です。

 村の重要文化財で、一度に茅葺屋根を新しくできないので中央部は苔むしてはいませんが正面に向かって右の屋根は苔むし歴史そのものとなっています。

 伊勢神宮の屋根を修繕される小谷村の松沢さんという方が屋根師の方が多分またたずさわるかもしれませんが、茅葺というものは歴史遺産の中に残されるべきもののように思います。

 次に曹洞宗少林山興龍寺です。塩尻市洗馬の小曽部(こそぶ)という地籍にある寺で、先ほどの光輪寺よりも木曽谷に近い谷あいの小さな集落にあります。



 このお寺には蓮池があり時々見に出かけています。7月の中ごろが見ごろなのですが、休日になると天気が悪く、また用事ができて手足を伸ばすことができずにいました。



 少々遅すぎたというところですが、綺麗な蓮の花が咲いていました。石像の大きな観音様も拝し、句碑などを見て回りました。



 寺周りの際は般若心経を唱えることができるところでは必ず唱えているのですが、光輪寺ではこれまで感じたことがないほど響きを感じました。

 勝手な私だけの感覚です。ご住職の住まわれている寺は300mほど離れていて、一見無住の様な感じを受ける寺で、まったく人の気(け)がありません。

 自然と対峙している、あるがままの歴史と対峙している、周囲に立つ大樹と対峙しているそのような中で唱えることができることに感謝です。


安曇野有明山麓の朝

2011年07月17日 | 風景

 晴天の朝、大気はまだ冷たい。6時前に家を出発し松尾寺に向かう。蝉の声が林の中を響きます。





 途中紫陽花の鮮やかな青色に目に入りました。連休で交通量が増える昼間では歩道がないこの道路はとても危険。タクシーや一般車両が県道中房線を燕岳登山口方面へ数多く向かって行きます。

 鐘の鳴る丘有明高原寮からは有明山しか見えませんが、昨日に引き続き北アルプスは絶好の登山日和になりそうです。

 燕岳へは既に地元の中学校は集団登山を開始しているようです。私もいかねばと思うのですが、時間が取れず残念です。

 有明神社の開運・招福の石をくぐる。

 吾唯足知:分に、安んじて貪(むさぼ)らない
 吉呼員和:喜びを集めて和む

 1級河川の穂高川(中房川)大王橋の欄干にトンボが一匹、夏真っ盛りですが、着実に来るものは来ているというところです。

 道路脇に大きなキノコを発見、名前は知りません。

 穂高川にて30分ほど坐る。

 北アルプスから川の沢づたいにヒンヤリとした風が吹き、清流はこのところの晴天でとても澄んでいます。

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今朝の安曇野有明

2011年07月10日 | 風景

 今朝の軽いランニングを実施。

山麓に

「ホーホーホー」と山鳩の鳴く声。

「コツコツ」とキツツキの木を叩く音が響きます。

 途次、松尾寺に寄り、般若心経を唱えました。

 境内に住職さんが居られたので、参道にある石仏にお地蔵さんにするような前掛けが施されているので、不思議に思い聞いたところ「に三日前に誰かが掛けた」とのこと、「思いがあって掛けてあるので・・」という話で・・・心豊かに納得、朝の光明でしょうか。



 ウグイスもまだホーホケキョと鳴いていました。

 松尾寺にはNHKの連続テレビ小説「おひさま」に出てくるような水車小屋がありちょうど紫陽花が朝日に照らされ微笑んでいるので撮ってみました。

 湧水の音を聞きながら坂を上がるとちょうど正面に朝日に照らされた有明山。

 その後畑に向かい途中にある桑の木を見ると桑の実。これも微笑んでいました。熟したのを手に取り食するとしっかり甘く、手を見ると紫色にインクが付いたようになっていました。

 ニホンミツバチは大きなうねりの様なうなりを響かせていました。

 ブルーベリー畑に行くとまだ時期は早いようですが、50粒ほど食してみました。酸っぱいが目に効きそうです。

 昨日は常念連峰は時々雲が出ていましたが、今日はよいようです。

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花(蓮・バラ)のある風景

2011年06月20日 | 風景

 昨日は、睡蓮とバラを見に行きました。

 蓮華は二年ぶりになりますが、NHK連続テレビ おひさま の道祖神のある風景からもさほど遠くない旧三郷村に古墳のようにこんもりした「室山」という小高い山のすそのにある「室山池」という池に咲いています。

 最近NHKの鶴瓶の家族に乾杯で松本市が放送されましたが、三郷のリンゴ畑もしぐ近くにあります。

 二年前の記録を見ると7月半ばごろでしたから、少し早いのではないかと思います。

 仏像の台座の花弁は蓮(ハス)なのか睡蓮なのかと言う疑問がありますが、

 <蓮も睡蓮も仏典の中では混同されて用いられ、共に「蓮華」と訳されている。>

ということで、どちらにしても仏教に関係が深い花です。

 鳩摩羅什さんは、沼地の泥の中から美しい花が咲く蓮華にとても仏教の教えを重ね好きな花だったそうです。

 エジプトでもこの花は神聖な花とされていたようです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 豊科近代美術館のバラがとてもきれいだとの情報を受け、風の画伯の中島潔先生の展覧会を見に行った、5月下旬の頃の美術館とは異なり、色と香りのある風景になっていました。








 バラにはいろいろな種類があります。形・色それぞれ種類が多く、同じ赤でも色が微妙に異なり見ていて飽きません。

 今週中が最後のようです。

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そこはふるさと・人形作家高橋まゆみの世界

2011年06月18日 | 風景

 NHKの「みんなのうた」 昨年の暮れ「グランバツイスト」という曲を放送していました。

グランバツイスト・風景[2010年12月20日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/c0c728b54743e1d8a54c2c57ee53b94d

 でその歌を紹介しましたが、長野県の飯山市に住む 高橋まゆみ さんという人形作家の作品が登場し、どういうわけか惹きつけられてしまいました。人形ですので動いてはいませんが、曲に合わせて村人総動員のツイストをしているようでした。

 午後本屋さんに出かけ棚を一回りしていると「そこはふるさと」(高橋まゆみ人形館)という本が目にとまり、買わずにはいられない衝動に駆られ買いました。

 これはいいということでブログで時々紹介したいと思います。

「祈り」と題した、一人のおばあさんが手を合わせ拝んでいる姿です。

言葉が添えられていて、

 祈ること

 拝むこと

 それがわしの日課だよ

 何をって?

 それは

 神さましか

 知らん!


のどかな田舎の、ある家のおばあさんの姿。

 本物ではなく写真集ですが、見ているだけでのんびりします。

「お迎え」と題した、傘日本を小脇にし、雨の中を孫に傘を届けにゆくおじいさんの姿。

 しけしけと

 降る雨道を

 たどる足

 下校のチャイム

 待つ門の袖

こういう風景があるといいなあーとなぜだか思ってしまいます。

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心の二重性

2011年05月25日 | 風景

 バラエティ番組とは、歌・コント・コメディ・視聴者参加型の企画などのいくつかの種類の娯楽を組み合わせたテレビ番組のことである。

と、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に説明されています。このバラエティ番組に最近必ず登場している人たちの中に、性の二重性におかれている人たちです。

 嫌がる人は徹底して拒否的な反応を示すでしょうが、私などはその二重性の中に引きつけられるのです。

 同類であるとか否かの問題ではなく「心の二重性」として見た時に、人の本来あるべき姿態度、しぐさとは何であるか非常に探求したくなるのです。

 二元的よりも一元的であるべきである。相対的なものの考え方を高次元的に総合的な視点で見るべきである。多即一、この極みこそ存在性の本幹ではなかろうか。・・・・限りなき俯瞰的な思考の世界です。

 そういうところに引かれているのだと思います。

 今朝は、そういうことで中途半端な話をというよりも、著書の紹介を得意の引用でしたいと思います。10年ほど前に広島大学大学院文学研究科教授の松本陽正(まつもと・ようせい)先生が書かれた『心の二重性-文学エッセー』(溪水社)序文です。

 松本先生は言語表象文化学分野、フランス文学語学が専攻されているとのこと・・・・私はフランス文学が得意というわけではありませんが、その題名に魅かれて購入しました。

 購入しましたというよりも、購入していました、と言うのが正解かもしれません。ある事柄に興味を持つと徹底したくなる性格が、収集という行為に走らせるのです。

 雑談はさておいて、その惹きつける序文を紹介します。今日は先ほど話しました通り、中途半端な、生煮えの話としますので全文ではありません。

<引用>

 レジスタンス文学の金字塔ともいえる『海の沈黙』を書いたヴェルコール(一九〇一~九一)に、『二人のカミーユ』(伊藤晃編、芸林書房)という童話がある。残念ながら訳本はない。逆にそれが理由で以前勤めていた女子大学で中級のテキストに使ったことがあるが、なかなか興味深く読み進むことができた。
 
というのも、この童話から「心の二重性」についていろいろ考えさせられたからである。
 邦訳がないので、前半のストーリーを少し詳しく辿っておこう。おとぎばなしの体裁をとって、物語は始まる。
 
 ずっとずっと昔、君のお父さんもお母さんもまだ生まれていなかった昔むかし、一組の夫婦がいました。その夫婦には子供が生まれたところでした。(二頁)
 
この後には少々もったいぶった第二バラグラフが続く。

 この子が男の子だったのか女の子だったのかは、いますぐ君に言うわけにはいきません。だって、もし言ってしまったら、もうお話ができなくなってしまいますから。(二頁)                              
第三バラグラフ、少し長いが引用してみよう。

 君に言っておかなくてはいけないこと、それはその当時、世間の親というものはまだ偏見にみちていて、自分たちの子供に対して変な考えを抱いていたということです。それはまるで、男の子売り場と女の子売り場とがあるデパートで子供たちを選んでいたようなものでした。男の子が生まれると、その子は、男の子売り場の男の子たちにどこもかしこも似ていなくてはなりませんでした。また、女の子だったら、その子は、女の子売り場の女の子たちにどこもかしこも似ていなくてはなりませんでした。

そんなふうになるように、親たちは、男の子を育て、女の子を育てていたのでした。女の子は大きくなって家事ができるよう料理と裁縫を学ばなくてはなりませんでしたし、男の子は大きくなって生活費を稼げるよう算数と機械を学ばなくてはなりませんでした。女の子は美しく、口数少なくならなくてはいけませんでしたし、男の子は勇敢で人に命令できるようにならなくてはいけませんでした。

そういうわけで、その当時は、夫は家では王様でしたが、かわいそうに妻はちょっと奴隷のようなものでした。幸いにも、その当時とは状況が変りましたでも、一般に思われているほどにはまだおそらく変ってはいないでしょう。(二~四頁)

 第一バラグラフで 「昔むかし」 というおとぎばなしの常套句を用い、昔話を装ってはいたが、この第三バラグラフから、作品に描かれている時代は、どうやらこの作品の書かれた時代、つまり二十世紀の中葉あたりと考えてさしつかえなくなってくる。 
 それでは、このような時代にこの夫婦はどのように子供を育てようとしたのだろうか?
 
 男の子なら男らしく、女の子なら女らしく、まるで規格品のように型にはめて子供を作りあげていく風潮に逆らって、この夫婦は子供を「女の子としてとか男の子としてとかではなく、同時に女の子でも男の子でもあるように」(四頁 強調ヴェルコール)育てようとする。そうすることの方が、子供の将来のためになるだろうと二人は考えるのである。

そのために二人は子供に、男の名前としても女の名前としても通用する「カミーユ」という名をつける。日本だと、さしずめ、「歩(あゆみ)」「薫」「静香」「忍」「千秋」「千尋」「直美」「緑」といったところだろうか。だがこれらの言葉以上に「カミーユ」という名前は男性にも女性にもつけられる名だ。

文学の中に例を求めると、女性では、コルネイユの四大悲劇の一つ『オラース』の主人公の妹やコレットの『牝猫』のアランの結婚相手がカミーユだし、また実在した人物に例を求めても、ボール・クローデルの柿で彫刻家ロダンと深い関係をもったカミーユ・クローデルの名が浮かぶ。逆に、男性としては、ゾラの出世作『テレーズ・ラカン』 のテレーズの夫はカミーユだし、大革命の折活躍したジャーナリストにカミーユ・デムランがいる。

 このように男女双方につけられる「カミーユ」という名を子供につけ、男や女であるよりも、まず一人の人間として子供を扱おうとしたこの夫婦の態度には、意識的にあるいは無意識的に、子供に「男らしさ」や「女らしさ」を求めている我が身を反省させられるものがある。・・・・・・略

<以上同書p5~p8>

先に話した通り性の二重性について話そうとか、差別的な話をしようと化するものではありません。本の表紙の二重性の重なる部分日常生活の中に多々ある心の現象です。

 この本はページp116のお手頃本、文学上の二重性、興味のある方は是非読んでみると参考になると思います。

 昨日の夕方腰痛に治療に整骨院に生き返りに松本市と安曇野市の境の峠の道を通りました。明暗の風景、薄暮時の山のシルエット、北アルプスの山々と安曇野平の風景。

明暗もまた二重性の重なる部分は惹きつけられます。

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