MA社会研究所情報

宇宙、世界、日本の歴史や未来。日常生活、社会情報を、しぐれ猫がお伝えします。

新年のアイディア。空中で脱出するために、旅客機にも射出座席を。パラシュートで空中脱出も可能。

2016-01-24 14:01:13 | Weblog
 新年のアイディアが出た。旅客機も戦闘機のように脱出できる射出座席にするといい。世界旅行や国内旅行でテロや事故が怖いが命がけで飛行機に乗らねばならないときがある。電車や自動車ならばすぐに脱出できるが旅客機で故障や爆発事故やハイジャックがあると脱出できず、自爆テロのみちずれにされて地面に激突して死ぬしかなかった。これからは銃撃戦や自爆テロが世界中の旅客機内で起きそうだから、脱出方法を考えなければならない。とりあえず乗客に救命胴衣ではなくパラシュートを配って、空中から脱出する練習をする必要がありそうだ。飛行会社や旅客機メーカーにこのアイディアを実行してほしいものだ。

大和政権が近畿地方にでき、大化の改新で律令国家になった。国名も倭から日本にした。

2016-01-23 16:39:50 | Weblog
30年前の教科書には大和政権と書いてあったが、現在の教科書にはヤマト政権と書かれている。奈良県を中心にした大和地方や大阪の河内地方を支配していた豪族の連合政権が大和政権と呼ばれた。4世紀ごろに大和政権が成立し、西日本を統一し、7世紀の645年には大化の改新が行われて律令国家になり大和朝廷に発展した。邪馬台国も正式にはやまとと読む。表記が大和に統一されたのは757年ごろで同じ年に発布された養老律令が大和という表記を広めた。中国や朝鮮では日本を小さな人々の国だとして倭国と呼んでいた。大和政権は倭国という呼び名を好まず、日の昇るところだとして日本という呼び名を使った。小人の国から太陽の昇る国に改名した。日本風のことを和というが、矮小で小さいという倭から転じたようだ。

日本人の起源は北方のバイカル湖の周辺か。縄文時代は定住して豊かだった。邪馬台国は奈良に。

2016-01-20 13:24:08 | Weblog
 学校で習った日本史の教科書は数十年後の現在ではどう変わっているのか。歴史は日々発見があり今までの教科書に書いてあったこととは違ってきている。30年前の教科書では人類の誕生は約200万年前だとしていたが、現在では約650万年前だとしている。日本人の起源は昔の教科書ではアジア大陸南部の縄文人で、北アジアの人々と弥生時代に混血して形成されたとしていたが、現在ではDNA鑑定の結果日本人のルーツはロシアのバイカル湖周辺の北方民族ブリヤ―ト人であるという研究が出てきた。アイヌ民族や沖縄の琉球人も北方系だという。日本の縄文人の祖先は約5万年前にチベットにいた民族に近い。朝鮮半島を通らずに北方から北海道に来たという北方ルート説が有力になっている。縄文人は昔の教科書では栽培農業はせず、狩猟や、採集で移動して生活したと書いてあったが、現代の研究ではクリ林を管理し、イモなどの栽培もおこない農業をして定住していたという。青森県の三内丸山遺跡で縄文人の豊かな生活がしのばれる。遺跡の総面積は40ヘクタールで約5500年前から4000年前まで1500年間におよび縄文人が定住していた。見張り台や集会所、作業所、500軒もの住宅があった。クリ、くるみ、ゴマ、ひょうたん、ごぼう、豆などの植物を栽培していた。ゴミ捨て場からあじ、サバ、イワシ、まぐろなどの魚介類の骨が出てきた。鹿やイノシシよりムササビやウサギも食べていた。かもやきじも食べていた。酒も飲んでいた。ヒスイや琥珀の装飾品も出てきた。おしゃれも楽しんでいた。日本地域が1万年も縄文時代のころに、中国大陸では紀元前6500年から5500年ごろ黄河流域であわやきびの農耕がおこなわれ、揚子江下流域では稲作が始まった。日本の稲作は約6000年前に始まった。昔の教科書では弥生時代に稲作が始まったと書いてあったが、縄文時代から稲作は始まっていて、揚子江流域から九州に伝わったという説が有力だ。2~3世紀の日本最古の統一王朝といわれる邪馬台国の所在地は畿内説と九州説がある。中国の歴史書の東夷伝に邪馬台国のことが書いてある。卑弥呼というっ女王が巫女になり、神託により国を治めた。男は刺青をし、着物は布を巻きつけてひもで結ぶだけ、親子、男女の差別はなく、酒好きで、寿命が長く百歳までも生きる人もいる。泥棒や争い事は少ないなどと書いてある。邪馬台国がどこにあったのかが謎になっているが、奈良県のまきむく遺跡で3世紀前半の遺跡が発掘され注目されている。昔の人の方が楽しい人生を送っていたのかもしれない。

日本の億万長者の歴史。戦後の成金、朝鮮特需、電機メーカー社長、自動車と石油、IT長者。

2016-01-19 10:28:11 | Weblog
 戦後70年の日本の長者番付を見た。長者番付は戦後の1947年に始まった高額所得者公示制度による順位表だ。1947年度の初代長者は織物販売業の加藤尚という人物だ。当時は戦後の混乱期で新興成金が多かった。48年度の1位は貸金業の森脇将光、50年には朝鮮戦争が始まり、日本は連合軍の補給基地になり工場はフル回転で朝鮮特需になった。50年度から52年度にかけて炭鉱業者が番付に並んだ。53年には朝鮮戦争が休戦になり、特需も減り、松下幸之助などの電気メーカーの創業者が番付に出てきた。54年度には三洋電機井植社長が1位になった。電化時代で洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビがよく売れた。高度成長期に入った。56年度には石油の出光興産社長が番付に並んだ。竹中工務店社長やホテルオークラを作った大倉社長も番付に出た。60年代は国民所得倍増計画により高度成長して車時代になった。60年度の1位は石橋ブリジストンタイヤ社長、63年度は本田技研社長が6位に入った。64年度の1位は大正製薬社長の上原正吉、65年度は鹿島建設社長など建築業が並んだ。69年度は土地長者が増えた。70年代は波乱の時代だった。76年度にダイエーの中内社長が4位になった。著名作家も儲かって財産ができた。80年代は相場師とバブル紳士の時代だった。90年代はバブル崩壊後でサラ金、パチンコ、テレビゲームの長者が出た。2000年代はIT長者が出てきた。2位に楽天の社長、3位にソフトバンク社長が入った。長者番付は04年を最後に廃止されたが、米国の経済誌フォーブス日本版が日本の億万長者を発表している。長者番付で戦後の日本経済の動きがわかるようだ。

新年の目標は。無駄遣いしない、整理整頓、倹約、私生活充実、夫に優しく。

2016-01-18 10:58:14 | Weblog
 新年を迎えて、今年の目標を決めた人も多いだろう。ネットでの調査を見ると、目標の1位は無駄遣いしない、2位整理整頓する、3位質素にして倹約する、4位仕事以外の私生活を充実させる、5位夫や妻に優しくする、6位がんばって運動する、7位多くの本を読む、8位病気をしない、治療する、9位向上心を持つ、10位親を大切にする、11位イライラしない、12位痩せる、13位貯金する、14位笑顔でいる、15位怒りを抑える、16位不節制しない、17位他人に優しくする、18位よく眠る、19位違う価値観の意見を聴く、20位早寝早起きする。身近な目標が多いようだ。