演劇では名作と名高い作品です。僕も2回ほど見ています。そのため、見どころは映画化でどうイメージが変わるのかということでした。そしてそれは見事成功していると思います。実に映画的な映画でした。
映像が美しいし、酒場以外に遠景を持たせたことで、演劇作品であることを忘れそうでした。俳優陣も(韓国語は知らないが)関西弁が実に鍛えられていて、自然でした。かなり特訓したんでしょうな。
導入部。次女が結婚届を夫が破ってしまい揉めるシーン。ここは井上真央の演技を見てあげるシーンなのでしょう、強い韓国女でイメチェンに成功している。
でもやはりこの作品の一番重要な部分なんですが、大泉が真木を好きなのになぜ妹と結婚してしまうか、がすっきりしないんですね。井上も姉たち2人の気持ちは分かっているはずなのに、変だ。というより、説明が全くないんです。
その後、大泉がみんなのいる前で、真木にお前がずっと好きだったなんて、言いのける。とても違和感が残りますね。ちょっと理解不能です。
たまたま家に闖入してきた見知らぬ男に女(井上、一応若妻)の方からキスをする。それもハードな。後で、セックス的にも疎遠にされていたんだろうと想像するが、映画的にはまたまた違和感のある場面でした。
韓国人はそういうもんなんだ、ということではないと思う。
というか、人通りの多い通りの水道の蛇口辺りで、大泉が真木の傷口に接吻したりなど、いくら何でも人前をはばかるだろうと思われるシーンも多々あり、さらに違和感が募る。
そして最後は変なことにみんな一様にハッピーエンドに帰結し、一瞬これでいいのか、とも思うが、これは演劇でも一緒です。でも、演劇と映画とではリアルという視点から考えるとかなり違うはずなんだよなあ。
演劇ではどうしても俳優のセリフに重点が置かれるが、映画では心の演技を要求されるので、セリフは省略されるはず。同じ脚本でなければならないということはない。むしろ変えるべきだと僕は思う。でもだいたい演劇とほぼ同じセリフだったように思う。ここにも少々の違和感が、、。
息子の自殺シーンが一番覿面で、演劇では確かあのトタン屋根から飛び降りたはず。だからかなり抒情感が残る。しかし映画では鉄橋の上から川に飛び降りる。その川は浅くて(溺れるような気がせず)落ちると打撲が激しいのではなかろうか推測される。ところが、息子は立派に溺死でした。
と、いろいろいちゃもんをつけておりますが、在日の人の日本での生活を描いて、僕らが気づかなかった苦悩、喜び、悲哀、怨念をきっちりと描いており、やはり秀逸な映画だと思います。
単一民族である我が国は特に韓国系の人たちに対して、僕の子供の時から家でも徹底した差別教育を受けたのは事実であります。彼らは極端におとなしいか、もしくは狂暴だったか両極端でした。あまり関心を持ってはいませんでしたが、大人になってから日本人がそうさせたことは後で分かってきました。
その部分、すなわち日本人と在日朝鮮人との関係を鬱陶しいと思う人はこういうテーマの映画をただただ退屈だと思うのでしょう。けれど、親子で言語の違う家族たちが存在するのを見て、僕たちは何とも思わないのでしょうか、、。
この映画で描かれている家族は、自ら日本に逃亡してきたいわば今でいう難民のような人たちですが、日本人が現地から強制的に連れて来て、戦争にまで参戦させた暗い時代もあるのです。
いやあ、いろいろ考えさせられる映画でした。北へ行った真木夫婦は恐らくはもはや生きてはいないのではと思われます。昔見た「キューポラのある町」でもトラックに荷材を運んで喜んで北に行ってしまった吉永の友人を思い出しますネ。
深みのあるいい作品でした。家族を描いて、先日観た血縁のない「万引き家族」とは対照的な映画になりました。
演技的にはキム・サンホと真木よう子が静謐な演技を要求されていたからでしょうか、目立ちました。井上真央と大泉洋は例の違和感からかちょっと損な役回りでした。好きな映画です。
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