脚本があってないかのような何が飛び出してくるか分からない面白い映画だった。劇映画であって、ドキュメンタリーでもある不思議な映画だ。俳優全員が「家畜とペット」についての考察を1年を通してやっている。
カメラのレンズを通して俳優が1生徒になりきってしまうその素晴らしさ。彼らのセリフはほとんど脚本にないものだろう。自分で考え自分で発言する。それは生の人間の言葉だ。ある意味、脚本のないディスカッション映画だとも言える。まさにフリートーキングの嵐である。
映画から何かが生まれてしまうその瞬間を観客たる僕たちが感じてしまう。映画の可能性を、広さを、大きさを感じてしまう。映画を見終わってからは「家畜とペット」として2時間近くただ考えたのではなく、映画から創造される大きなチカラを感じ取り、映画ファンとして観客としてではあるが、これに参加出来得た自分を嬉しく思った。
たまにはこんな考える映画もいいですね。思いがけず感動し怒涛の涙でした。
カメラのレンズを通して俳優が1生徒になりきってしまうその素晴らしさ。彼らのセリフはほとんど脚本にないものだろう。自分で考え自分で発言する。それは生の人間の言葉だ。ある意味、脚本のないディスカッション映画だとも言える。まさにフリートーキングの嵐である。
映画から何かが生まれてしまうその瞬間を観客たる僕たちが感じてしまう。映画の可能性を、広さを、大きさを感じてしまう。映画を見終わってからは「家畜とペット」として2時間近くただ考えたのではなく、映画から創造される大きなチカラを感じ取り、映画ファンとして観客としてではあるが、これに参加出来得た自分を嬉しく思った。
たまにはこんな考える映画もいいですね。思いがけず感動し怒涛の涙でした。
ペットとして育てた豚を最後は皆で食べましょう~という先生のお約束、尊い命を生徒全員で感謝を込め食するという、小学生へのこの先生の教えにとても感動したのを覚えてます。
最初は全員賛成するのですが、時が経つにつれ子供達のこころが揺れ動き、名前までつけた豚を今更食べることは出来ないからと反対する子供と約束どおり自分達が食べるのは豚にとって幸せなんだ、という双方の涙のディスカッションは、最後まで続くんですよね。 これは難題過ぎて先生のこころも大きく揺れ動くわけで、、、当時は父兄も学校側もマスコミも大騒ぎ、、、
普段何気なく食べている生き物の命への感謝というより残したらもったいないというのが現実で、菜食主義にはなれない自分、この時の子供達の涙は胸に響きました。
当時小学生だった彼らは確か30代になっていると思うんですが、皆この時の価値観を大事に自分の子供達にも伝えていると言ってました。 こういう問題を真剣に考える子供、大人がこれから増えるといいんですがねぇ~。
自分も少し食べながら考えるとしますかっ!
これだけ俳優の気持ちが出てしまう映画って、ある意味怖いですね。妻夫木以下子役の俳優たちはみんな結構つらかったんじゃないかな、と思います。
結構、「食物連鎖」まで考えてしまった僕ですが、でもこの先生は最初にブタにピー子という名前を命名させてしまったところで失敗をしてるんですよね。
それと、ある程度限定期間の飼育ということにしておけば、また変わった展開になったんでしょうね。
どう考えてもあれほど大きくなってしまったら、いくら下級生といえども安全面で問題が出るんじゃないでしょうか、、。
でも、実際はどうだったのか、、。映画とはかなり違うのかもしれませんね。
僕は演劇もよく見に行くんですけれど、たまに観客も劇に介入させられてしまうものもあるんですよ。そういう状況も考えて、俳優たちが大変だったろう、と逆に同情しちゃいました。
でも、大変面白く感動する映画でしたね。
では、また。