今や珍しい現地純ロシア映画。人類で初めて宇宙に飛び立った人間なんだから英語ではまずいとは誰でも思うが、ロシア語で安心する。でも最近英語を話すドイツ人なんて映画はざらなんだよね。
で、映画の方は、と言えば、これがねえ、丁寧には作ってはいるんだけど、想像していた人間が初めて宇宙へ行くということの恐怖感、訓練との葛藤、家族との絆等々、、が表現されておらず、結構普通の良好な人間像になっている。
でもそれは決して悪くはないんだけれど、ガガーリンほど全世界に夢を与え、影響を与えた人間は稀である(と僕は思っている)ことからすると、そのまま素直に喜べない何かが残るのだ。共産圏の人という概念を超えている。
たとえば自分が今、ちょっとした訓練を経て、宇宙ロケットに乗るということを想像してみると、とてつもない審美的な、宇宙的な瞑想も想い始める、、なんて夢想もするのである。あの遠いところから地球を見るまさにめまいをしそうな感覚。
映画は、20人のライバルから一人に絞られるまでをシビアに描いている。母親、妻などはやはり宇宙に行くということ、それはすなわち死への旅路であることも覚悟している。それはまあ理解できる。(実際恐らくそうだったんでしょう)悪くはない。
でも、ガガーリンの内面にもっと深く入ってもらいたかったのだ。宇宙へ行くということは一体全体彼にとってはどういうことだったのか。神の領域にまで感得するという感覚もあったのかどうか。実際のガガーリンがどう考えたかは別にして、そういう視点が欲しかったように思う。
映画は人類初めての宇宙飛行を成し遂げたガガーリンの帰還シーンで終わる。数年後に事故で死亡したガガーリンの生涯は字幕テロップだけで告げられる。この辺り、やはりロシア映画で制限があるのかもしれないが、ガガーリンの死の謎はもうちょっと映像化してほしかった。あれほどの有名人だが、意外と彼の早すぎる死を知らない人が多い。
全体に、映像はなかなか美しかった。ただ「地球は青かった」という映像は残念ながらあまり見られなかった。(実際、ガガーリンはそんなこと言っていなかったなんて話もあるけど、、)
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