映画を見る前に、マクドで時間つぶし。その時の一首(超字余り)。
「マクドの2階から春そよぐ舗道見ゆ 行き交うヤング 我の出番すでに終わりぬ」
さて映画です。
淡々とした展開で、感情をあまり出さない映画である。置かれている現実をことさら強調することなく、述べてゆく姿勢はとても好感が持てる。ただ見ているうち、この題名がどうもそぐわないと思っている自分に気づく。
親から疎外されている子供が一人、そしてもっとひどい状況の姉妹が二人。彼らを気にしながらも、見て見ぬふりをする大人たち、、。
食堂をやっている夫婦の息子ユウトがその目撃者であり、物語を誘導してゆくのだが、しかし彼がなぜそこまで彼らを気にするのか、僕には最後まで分かりそうで分からなかった。説明がないし、ある意味人工的なのだ。
しかし、この物語は動いてゆかねばならないし、彼の行動がなければただ硬直しているだけなのだ。だから後半は彼の行動が危ういものとして映るも、僕らはただただ観客として優しいまなざしでもって見続ける。
そしてやっとラストに辿り着いたこの「こどもしょくどう」という題名の意味。そう、この作品は子供たちの悲惨さに対して、一つのある方法を提示する。そしてこの映画作りはとても強い。ラストの2,3分で子供食堂が出現するのだ。まるで夢のような現実感だ。
でもみんなが努力すれば、こんな生活空間は日本のあちこちに実際存在することは僕たちも知っている。でもこの作品は劇映画なんだよなあ。なんだか、啓蒙ぶっている感もあり、ちょっと違和感も漂うのであった。
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