アメリカにも仇打ちという習慣があったということが、まず何か不思議な気がした。14歳の女の子が助っ人を雇い先住民地区へ進んでいく。しかしそこに存在するのは【コーエン】の静かなアメリカ現代批判だ。
【コーエン】だからまともな西部劇にするわけがないと思ってはいたが、僕にはフレフレ西部劇というより、アンチアメリカをこの映画で見てしまう。先住民をただ、モノ扱いする主人公たちの言動は少ないシーンだが、あっと思う。足蹴りをするシーンは人間がまるで家畜のようであった。
そして女の子が父の敵を討つなどという発想も実は何が彼女をそうさせるのか映画では語られないのである。彼女と父親との愛情は観客の想像に任せられている。いわば理由なき仇討である。
またそこまでして彼らが追い詰めた悪人たちは何と普通の人間の風貌を呈している。通常の映画によくある極悪非道さを徹底的に排除している。何か親近感さえ覚える悪党たち。だから、主人公たちが彼らを追い、殺す理由も実は不明瞭なものになっていることに気づく。
これらの設定は当然【コーエン】の企みであり、我々は通常の西部劇にあるような正義が悪に勝つというような単純明快なものからすくい投げされていることに気づかされる。
仇討の本質的な問いは韓国映画『悪魔を見た』でも嫌というほどその無意味さを見せつけられたが、この映画でも十分それは垣間見れる。人を討つということはそれが自分に跳ね返ってくるということである。ラストの感傷的なエピソードは一転して精神的に堅物となってしまった彼女の哀しい変貌ぶりを僕たちは知るべきなのだ。
【コーエン】一流の醒めた映像である。相変わらず彼は人間が悪いねえ。
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