この映画は、ある夫婦の濃密な話とも取れるし、こういう夫婦・村組織いわゆる国民ムラを形成してしまった大日本帝国の犯罪話とも取れる。【若松孝二】の叫び声は執拗で、くどく、ストレートだ。
夫の脳裏に浮かぶ悪夢は何度も同じ映像が出現し、それは稚拙さも持ち合わせているが、それでもそのストレートなほとばしりは有無を言わせぬ強さを持っている。
この作品は反戦というテーマを超えてある夫婦を描き切っていることに僕はとても感心してしまう。手足がもぎ取られてキャタピラー状態になった夫はむしろ虫である。国家から人間をもぎ取られたのに、さらに軍神として広報戦略に利用されるのである。廃残人間の利用価値はまだあるという大日本帝国の真姿でもある。
貞叔で輝ける軍神の妻であるべき【寺島しのぶ】は暗い奈落の底に落とされるが、虫と共同生活することにより、逆に暴力を受けてばかりいた夫とは背徳的な快楽まで持つようになる。この辺りの描写は【若松孝二】、本当におどろおどろしくしかし清廉であり、男と女の深い性の世界を描写している。秀逸。目が点になるほどだ。
男は、妻とのセックスが逆転するにすれ、中国で女を犯し殺害した悪夢が迫ってくる。当然男は不能になり、生きる意味さえなくすことになる。
女は軍神の妻としてみせかけの家を強いられる国家を憎むようになる。それは敗戦を知ったとき初めて解放されたと女が思う時でもあった。狂人を偽装して徴兵を逃れていたズルイ男と全く一緒の解放感でもあった。
終戦の日を境に本来の人間に戻れて解放感に浸る女と、国家に要請されて犯した戦争という罪悪に悩まされ自分を喪失してしまう男との対比を映画はラストに描いている。
僕は【若松】の押さえることのない感情に少々映画作家としてのスケール感のなさを感じ取ってしまったが、彼にとってはそんなことはどうでもいいことなのだろう。
国家が一つの家族単位を崩壊させ、人間を喪失させる戦争という意味合いからは、一つの夫婦の真実の姿は小さい存在かもわからないが、僕にはこの犠牲者である夫婦の姿は、戦争犯罪というレベルを超えて、我々現代人にも通じている男と女の哀しいありのままの姿を見てしまうのである。
それは果たして【若松】が描こうとしていたものかどうかは僕には分からない。でも、繰り返し映像で示す【若松】の怒りの原爆シーンなどよりも、僕には夫婦の隠微な話の方がとても印象に深く残ってしまった。
だから、別に男は僕にはキャタピラーのような虫でなくともよく、むしろ寓話のような採り方も出来るのではないか、とさえ思われた。当時、戦地から戻ってきた男たちは、見目形は虫ではなくとも、精神的にはキャタピラー状態の人たちも多かったのではないか、と思う。
最後の、歌だけが延々と流れる歌詞だけの画面。この場面にこそ戦争の残虐な映像を映せばテーマがより鮮明になるのにと思ったのは僕だけだろうか、、。でも、やはりこういう部分にも彼のストレートな想いが出てしまっているんでしょう。
後々残ってしまう映画であることは間違いないです。秀作。
夫の脳裏に浮かぶ悪夢は何度も同じ映像が出現し、それは稚拙さも持ち合わせているが、それでもそのストレートなほとばしりは有無を言わせぬ強さを持っている。
この作品は反戦というテーマを超えてある夫婦を描き切っていることに僕はとても感心してしまう。手足がもぎ取られてキャタピラー状態になった夫はむしろ虫である。国家から人間をもぎ取られたのに、さらに軍神として広報戦略に利用されるのである。廃残人間の利用価値はまだあるという大日本帝国の真姿でもある。
貞叔で輝ける軍神の妻であるべき【寺島しのぶ】は暗い奈落の底に落とされるが、虫と共同生活することにより、逆に暴力を受けてばかりいた夫とは背徳的な快楽まで持つようになる。この辺りの描写は【若松孝二】、本当におどろおどろしくしかし清廉であり、男と女の深い性の世界を描写している。秀逸。目が点になるほどだ。
男は、妻とのセックスが逆転するにすれ、中国で女を犯し殺害した悪夢が迫ってくる。当然男は不能になり、生きる意味さえなくすことになる。
女は軍神の妻としてみせかけの家を強いられる国家を憎むようになる。それは敗戦を知ったとき初めて解放されたと女が思う時でもあった。狂人を偽装して徴兵を逃れていたズルイ男と全く一緒の解放感でもあった。
終戦の日を境に本来の人間に戻れて解放感に浸る女と、国家に要請されて犯した戦争という罪悪に悩まされ自分を喪失してしまう男との対比を映画はラストに描いている。
僕は【若松】の押さえることのない感情に少々映画作家としてのスケール感のなさを感じ取ってしまったが、彼にとってはそんなことはどうでもいいことなのだろう。
国家が一つの家族単位を崩壊させ、人間を喪失させる戦争という意味合いからは、一つの夫婦の真実の姿は小さい存在かもわからないが、僕にはこの犠牲者である夫婦の姿は、戦争犯罪というレベルを超えて、我々現代人にも通じている男と女の哀しいありのままの姿を見てしまうのである。
それは果たして【若松】が描こうとしていたものかどうかは僕には分からない。でも、繰り返し映像で示す【若松】の怒りの原爆シーンなどよりも、僕には夫婦の隠微な話の方がとても印象に深く残ってしまった。
だから、別に男は僕にはキャタピラーのような虫でなくともよく、むしろ寓話のような採り方も出来るのではないか、とさえ思われた。当時、戦地から戻ってきた男たちは、見目形は虫ではなくとも、精神的にはキャタピラー状態の人たちも多かったのではないか、と思う。
最後の、歌だけが延々と流れる歌詞だけの画面。この場面にこそ戦争の残虐な映像を映せばテーマがより鮮明になるのにと思ったのは僕だけだろうか、、。でも、やはりこういう部分にも彼のストレートな想いが出てしまっているんでしょう。
後々残ってしまう映画であることは間違いないです。秀作。
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