子供たちが親からも親族からも実質的に見放され、過酷であれ、それでも生きていくという人間の絶対的な本質部分を黙々と淡々と、そしてロングショットを多用して客観的に描いてゆく。その荒れ野に放たれた野生の少年たちの生き様からは人間の根源を見る。
ラスト、父親の亡骸の上を歩き始める少年は一卵性双生児の一方とも別れ、初めて己の人生を闊歩し始める。なんと爽快なラストであることか。人間というより、むしろ動物の生きざまを見ている感もある。
人間が、文明も文化も教育も愛情も喪失している状況では、生きるということはまず飢えに立ち向かうことから始まるのだろう。年齢にかかわらず通常であれば一身に受ける愛情さえかなわぬ状況であれば、そこで受ける唯一の優しさは絶対的なものになる。
少年たちの、祖母・父母と唯一優しさを受けた老人との対比は、だから当然の帰結であり、残酷であるが現実の生きざまを表している。それはまさに動物の成長記のようにも思えるほどだ。
人間が過酷な状況で生きていこうと思えば、人間そのものの覆いを捨てて行かざるを得ないのであろう。それはすなわちこの現実世界、勝ち組・負け組といわれるこの現代においてシビアに生きていくことの術をいざなってくれる。
現実の厳しさはもうそこにまで来ているのに信じようとしない、あるいは信じられない人間への啓示のように思える作品でした。
秀作です。ずしんと後に残る作品です。
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