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ある過去の行方 (2013/仏=伊=イラン)(アスガー・ファルハディ) 80点

2014-05-03 12:50:39 | 映画遍歴

またまたあっと驚く技巧を見せてくれたファルハディ、この人の作品は本当にすべてのカットに目が離せない。今回は何故かいつものいやあな(何で見ちゃったのだろうという)波紋が広がるような不安感が全くありませんでした。

だいたいいつもファルハディは無理に不安感をあおる展開が多いんだよね。今回はある意味ミステリーに徹しているためか、ちゃんとミステリーの醍醐味である「あっと驚くどんでん返し解決篇」を見せてくれている。そのためなんだろうなあ、今までの作品にあったような、途中の苛々感はほとんど払拭されている。

余裕があり過ぎなんだよ。その余裕が観客とのギャップを呼ぶ時もあるのではないかな。そんな秀才監督と付き合うのは、吾輩のようなボンクラの観客はほとほと疲れまっせ。でも今回は僕のレベルに落としてくれたようで、最後まで僕は余裕を持って観賞できました。

今回もあらゆるところに技巧を貼っているが、一番大きいのは、物語にとって主役とは何なんだろうという1テーゼですね。

まずアーマドを主役にする。結婚するごとに子供を生んでいる別居中の妻(マリー)のもとに彼はイランからパリにもどる。空港での別居中の妻とのガラス越しのやり取り。一枚のガラスの遮断が人間を疎通にする。相変わらず思わせぶりだなあ。彼の映像では意味のないシーンは全くないのだ。

こうして夫が何故か4年も別居中だった妻の家に泊まる。勿論子供もいる。そして何とこの家には妻の新しい男(サミール)もいるのだ。これで何かが起こらないわけがない。そして長女が秘密を抱えているのを観客は知ることとなる、、。

完全にミステリーの設定である。主役は夫と妻と思われた。そして長女の告白によりサミールの妻(セリーヌ)が自殺未遂を図り、現在植物状態であるのを知る。しかし会話に出てくるだけで彼女は映像では現れない。

その後は長女の心理状態が謎解きの中心となる。夫はこの段階では完全に探偵役である。彼の心情はもはや説明さえされない。主役は一応長女となっている。

と、それから微かに見え隠れしていたサミールが経営するクリーニング店が突如クローズアップされる。サミールの妻に謎解きの重点が置かれていくのだ。映像にはまったく登場しない植物状態の妻セリーヌが話の中心になる。

そして夫アーマドも、あれほど画面を占めていた妻のマリーもこの段階ではただの脇役に変貌し、何とこの映画では妻の恋人サミールとその妻セリーヌとの真実の愛が示されていくのだ。

妻マリーは2カ月の身重の身でありながら、恋人サミールからは事故で出来た子供であると愛を否定される羽目になる。マリーもこの段階で完全に主役から身を引くことになり、画面からこぼれ落ちる。

そして脇役でしかなかったサミールとセリーヌの夫婦愛に話は急展開する。そして、な、なんとこの映画のラストの3分間。(やっと観客に)顔を露呈したベッドのセリーヌの植物状態寝顔。そして彼女に寄り添うサミールとの握りしめた手のクローズアップ。愛の確認。そしてここで映像は止まる。

2時間観客に見せていたくだくだした話をすべてこの3分間に昇華させる。

そうこの映画の本当の主役はセリーヌであった。全くノンセリフの寝たきり女性がこの映画の主役であった。夫も、妻も、子供たちも、すべて脇役でしかなかった。ミステリーで言うところのどんでん返し。言わばうっちゃり。

観客をけむに巻いたようなその鋭さは称賛に値するがちょっと自由過ぎる気もしないではない。けれど面白い。映画の可能性をまだまだ引き出してファルハディはこれからも前進する。どこにいくのか。


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