特異な犯罪例のドラマ化だけに観客のそれぞれの心に個別の葛藤を与える作品ではないが、それにしてもやはりいろいろ考えさせられる。
実際本当にこういうことが起こったら、(子供を産んでしまったからの一言にかかるが)実の父親が孫の顔を見られないのも心情的には理解できる。見ていれば犯人の顔がオーバーラップしてしまうのである。そこが女性と違うところなのだろう。母性という神秘さにうごめいてしまう、、。
それにしてもあの報道質問はないだろうと思われる。いかに人間性を無視した報道番組で、この部分は逆に映画製作者のあざとさを感じてしまう。アメリカではああいうことがいけしゃあしゃあとやってのけられるものなんでしょうか、、。
でも見ていて、この子供も成長している間に、また何度も難関を超えなければいけないのだなあと思ってしまう。あれだけの事件だから学校でもいじめにも遭うのではないか、そんな嫌な予感もする。
作品的には脱走後の二人の暮らしがじっくり描かれており、(今までの作品では脱走した時点でジエンドだったんだよね。)この作品のテーマが明確になる。それは家族にとっても、本人たちにとっても、いばらの道である。ジョイの自殺未遂も理解できなくはない。心が死にますよね。
かすかな光明が見えるのは、隣の家の女性の明るい微笑とその子供との他愛ないボール遊びだ。事件の後はみんなの理解が必要なんだ。そっと見守る必要があるのだ。でも映画的にはどうなんだろう、自分にそれほど降りかかってるものはない。自分の人生に風は吹かない。ある事件で終わってしまうものなのか、、。
この映画を見た後、どうしても日本の類似事件が蘇ってくる。考えさせられますなあ、、。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます