Sightsong

自縄自縛日記

ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』

2012-09-08 13:39:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

ピーター・エヴァンス『Live in Lisbon』(clean feed、2009年)を聴く。

Peter Evans (tp)
Ricardo Gallo (p)
Tom Blancarte (b)
Kevin Shea (ds)

この人の音楽は、最近の『Ghosts』(More Is More、2011年)でも強く印象付けられたことだが、聴き手がジャズという構造世界に対して持っている感覚の解体と再構築を迫るものである。

ベースやドラムスによって、複数の同時並行するテンポやラインがどんどん変化していく。まるで、筏のそれぞれのパーツが別々の方向に動き出し、立地点を見いだせないような。その中をエヴァンスのトランペットがビャーと切り裂き、ときに離れ離れになった要素をグルーでつなぎ合わせる。そして筏の運動はスタイリッシュな音楽となっている。これは聴いていて心臓がばくばくするようで気持ちが良い。よくいるジャズ好きを自称するオヤジ(偏見に基づく典型)が聴きながら身体でリズムを刻んでいくことを許さないのだ。

曲も実は愉しい。「All」は「All the Things You Are」、「Palimpsest」は「Lush Life」と「Duke Ellington's Sound of Live」、「What」は「What is This Thing Called Love」を基にした作曲である。リー・コニッツが原曲を完膚なきまでに解きほぐしまた組み上げたことを思い出せば、これならば、原曲名を掲げてもよかった。また、「For ICP」は言わずもがな、ICPオーケストラに捧げた曲であり、音を発して絡み合う嬉しさに満ちている。

●参照
ピーター・エヴァンス『Ghosts』


早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ』

2012-09-07 07:30:00 | 東南アジア

早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ 東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年)を読む。

本書は、第一次世界大戦前後に、東南アジア諸地域(シャム=タイ、仏領インドシナ=ベトナム・カンボジア・ラオス、英領ビルマ、英領マラヤ=マレーシア・シンガポール、オランダ領東インド=インドネシア、アメリカ領フィリピン)における植民地化と国家形成への模索についてまとめたものである。

確かに、欧米諸国による領土争いが熾烈であり、日本は後発の侵略国に過ぎなかったことを俯瞰できる。もっとも、日本は資源獲得という本音を、大東亜共栄圏や欧米列強からの解放などといった欺瞞で包んでいた。

気付かされたことは、こうした近代植民地化のプロセスのなかで、各地域のモノカルチャー化が進んだということだ。コメはその代表的な存在であった。東南アジアの水田を視て、手仕事の見事さや、水循環の実感を印象として持っていたのだったが、そのような現在の切り口だけでは明らかに不十分なのだった。そうではなく、この100-200年の権力や世界市場による変化を幻視しなければならない。

たとえば英領下のビルマでは、インド大反乱(セポイの乱)(1857年)やアメリカ南北戦争(1861-65年)による世界コメ市場の逼迫を受け、コメの生産・加工を中心とするモノカルチャー型輸出経済が進展した。

また、第一次大戦中に、英国は植民地のビルマからインドに大量のコメをまわし、ビルマから英領マラヤへの輸出が急減し、マラヤはやはりコメ輸出を最重要な輸出作物にしていたシャムにそれを求め、その結果、コメ価格の急騰やペナンでの暴動を招いた。

このコメ不足や、オランダ経由でドイツにコメが入らないための英仏による禁輸、シャムの参戦(1917年)などにより、オランダ領東インドではトウモロコシなどへの転作を増やし、水田と畑地の割合を逆転させた。

世界大恐慌(1929年)では、ナショナリズムをともなわなかったインドシナ経済は大打撃を受け、コメ価格暴落により失業者が溢れた。

このように、コメだけを取ってみても、如何に植民地東南アジアでのモノカルチャー化が地元の柔軟性を減じ、経済や大国の意向に左右されやすくなったかがわかる。アジア諸国を訪れて行うべき幻視とは、そのような歴史から、根っ子たる風景がどのように変貌したのかを想像することなのだろう。

●参照
中野聡『東南アジア占領と日本人』
後藤乾一『近代日本と東南アジア』
波多野澄雄『国家と歴史』


ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』

2012-09-05 07:18:46 | アヴァンギャルド・ジャズ

ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(Not Two、2011年録音)を聴く。ポーランド・クラクフでのライヴ録音である。何が八咫烏だ。

森山威男 (ds)
佐藤允彦 (p)
Peter Brotzmann (as, ts, tarogato, bflat-cl)

3人の巨大な個性がぶつかるセッションというだけで、聴くに値する。それぞれの演奏は、予想通りでありながら、聴いているときには予断とは無縁になる。したがって、巨大な個性だと言うことができる。

最初から、森山威男のドラムスが、どすどすどすどすと飛ばす。もっとも効くツボを休まず押し続ける屈強な整体師のようなものだ。こちらはツボをつかれるため、目をとろんとさせ、口を半開きにするのみ。そのなかを、ブロッツマンがいつものように唾を飛ばしながら叫び吠える。佐藤允彦は知的に斬り込んでいく。

それで、1時間以上ものあいだずっとヘビーウェイト級の闘いかといえばそうでなく、時には静かな独白(ソロ)や対話(デュオ)も見せる。相手をわかったうえで技を受けること、これは、総合格闘技ではなく、今の茶番プロレスでもなく、昔の本気のプロレスなのだ。

このようなものを聴くと、疲れたとか眠いとか言っている場合じゃないと思ってしまう。

●参照 
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン
ペーター・ブロッツマン
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(ブロッツマン参加)
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(ブロッツマン参加)
ペーター・コヴァルトのソロ、デュオ(ブロッツマン参加)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(ブロッツマン参加)
横井一江『アヴァンギャルド・ジャズ ヨーロッパ・フリーの軌跡』
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』
翠川敬基『完全版・緑色革命』(佐藤允彦参加)
姜泰煥『ASIAN SPIRITS』(佐藤允彦参加)
アンソニー・ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』(佐藤允彦参加)
渋谷毅+森山威男『しーそー』
若松孝二『天使の恍惚』(森山威男参加)
中央線ジャズ


クーパー・ムーア『The Ceder Box Recordings』

2012-09-04 00:50:54 | アヴァンギャルド・ジャズ

クーパー・ムーア『The Ceder Box Recordings』(Aum Fidelity、2008年)は、彼のソロ演奏集であり、ほとんど曲ごとに異なる楽器を使っている(しかも、聞いたことがないような・・・)。500枚限定ということだ。

Cooper-Moore (様々な楽器)

冒頭曲では、米国南部の黒人による手作りの一弦楽器・ディドリボーダリウス・ジョーンズ『Man'ish Boy』でも使っていた)。次にハープ。ブルースハープではない、あのでかいハープだ。次にアシンバという、本人が作って友人が命名したという、素朴なるマリンバ。次に竹笛。次にトゥワンガーというやはり自作の弦楽器。エレキベースのような感覚ながら、アナログに余計なノイズが入りまくる。

ここでようやくピアノを弾くが、これらの自由空間だらけの楽器による演奏を聴いたあとでは、いかにピアノという楽器がひとつの制約下にある楽器かということを実感する。

間を置くように、何やら作り話。次にマウスボー。口琴ではなく、でかい弓の一端を口でくわえる奇妙奇天烈なものである。そしてバンジョー、パーカッションやらシンセやら。

それにしてもヘンな人だね。ライナーノートには、自分はあらゆる楽器を演奏できるなどと書いているが、大言壮語にも思えない。演奏も、ブルースなどという一言で語ってもいけない。たぶん、このようなヘンな人がいるから世の中は面白い。

●参照
ダリウス・ジョーンズ『Man'ish Boy』(ピアノとディドリボーを演奏)
ウィリアム・パーカー『Uncle Joe's Spirit House』(オルガンを演奏)


安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』第2弾、安世鴻×鄭南求×李康澤

2012-09-03 00:01:20 | 韓国・朝鮮

安世鴻の写真展『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』を、ニコンサロンでの開催に続き、江古田のギャラリー古藤に観に行った。

ニコンは、ニコンサロンにおいて開催が決まっていた写真展の中止を安氏に一方的に通告し、地裁と高裁の命令に従って、不承不承開いた。中止を決めた理由はいまだ何一つ説明していない。これが異常事態だと捉えないならば、よほどその人の社会感覚は麻痺している。

今回、そのときと同じ、韓紙に焼き付けられた素晴らしい作品群に加え、見覚えのない作品も展示されている。また、それぞれの女性の出身地、慰安所の場所、徴用されたときの年齢(13歳だった人もいる!)の説明書も横に貼りつけられ、より良い展示になっている。ニコンサロンの展示では、会場のボランティアに、事実をちゃんと伝えないと何のことだかわからないじゃないか、と、クレーム気味の指摘をしている人を見たのだった。

夕方の6時からは、写真家本人と、ハンギョレ新聞東京特派員の鄭南求氏、そしてスマホを通じて、韓国KBSプロデューサーの李康澤氏の3人によるトークがあった。会場は満員だった。

各氏の発言は以下のようなもの。(敬称略)

●安
○1996年から「ナヌムの家」(慰安婦であった女性が共同生活を営む場所)に通い、写真を撮り始めた。2001年より、朝鮮から中国に徴用されて慰安婦として働かされた女性たちに会いに出かけるようになった。
○メディアはこの問題を政治的にアプローチするが、自分のそれは異なる。これは男から女への性犯罪にとどまらず、人間として到底耐えられない犯罪である。問題に向き合わないことは、弱者を被害者とする戦争を今も続けていることになる。自分のアプローチは、戦時下の人権蹂躙を世に示すことだ。
○ニコンは写真展を政治的活動だとした。ここには問題の本質を隠そうとする意図があり、日本政府の意向が影響しているように思われる。表現の自由、メディアの統制という問題もある。

●鄭
○ハンギョレ新聞は1988年に創刊した。80年代までの韓国の軍事政権下では、当局の意に沿わぬ発言をして新聞社から追い出される者が多かった。そして民主活動家たちが権力から独立したメディアを希求し、市民の力によって誕生した。部数は国で4番目だが、影響力は2-3番目である。
○ニコンサロン問題は、ハンギョレ新聞が最初に報道した(2012/5/24)。その後すぐに、保守紙の朝鮮日報でも、東亜日報でも、またテレビのニュース番組でも、この件を取り上げた。
○明確な理由なくキャンセルすることは表現の自由の侵犯である。
○韓国メディアでは、日本社会において慰安婦問題への反対の声が高くなっているのではないかと懸念した。
○ニコンサロン前の新宿の路上では、ソウルに設置された少女像の写真に、「私は朝鮮人によって慰安婦にされました/私は朝鮮人による歴史捏造の被害者です」と書きこまれた看板が誇示された。このような人間への冒涜には耐えられない。写真展がなかった方がマシだったとさえ思った。
○報道した日本のメディアは、毎日新聞、東京新聞、朝日新聞のみ。それも裁判の結果や写真展を開くことなど事実関係についてのみ報道しており、「何故」が報道されていない

●李
○韓国テレビのKBSもMBCも、慰安婦問題や竹島/独島問題について、情緒に流れ、愛国心に訴えかける報道を行う傾向がある。
○そうではなく、このような問題こそ冷徹に報道しなければならない。また、政府と一般人とを区別しなければならない
○そうしないと、日本に対する漠然とした反感だけを産んでしまう。

●安
○韓国では、いまではこのようなことは無いが、70-80年代にはそうではなかった。北朝鮮や労働問題についての出版を過敏に制限し、発禁された本を持っているだけで拘束・起訴された。
○いまでは、表現の自由を政府が逆利用している(意に沿う発言を政治的に利用)。これは、表現の自由を変質させるという、笑えない状況だ。

●鄭
○竹島/独島問題は正直言ってややこしい問題になっている。
日本は領土問題として、韓国は歴史問題として捉える違いがある
○韓国では、1905年に日本政府が島根県への編入を宣言したことを、対ロシアの軍事戦略利用、韓国侵略の第一歩だった、と捉えている。そしてこのような問題になると、日本が植民地支配の歴史を反省していないのではないかと考える。
○韓国のメディアは、誰の声かということを区別せず、すべて「日本が」というように報道したが、これは良いやり方ではなかった。
○日本のメディアは、概ね客観的な報道を行うが、本質には近づかない。韓国の人がどう思っているのかを伝えてほしかった。

●李
○慰安婦問題は反人道的な人権侵害だという視点、誰による犯罪なのかという視点を、日本のメディアは持っていないように思われる。
○これを見過ごしたら、日本国内の別の弱者にも同じようなことが行われることだろう。
○竹島/独島問題は、「何が客観的な事実か」「領土は市民にとってどんな意味を持つのか」といった視点によって取り扱わなければならない。メディアが徒に誇張している。

●鄭
○李大統領による天皇批判の方法について、韓国では大統領の誤りだという雰囲気がある。
○日本では怒る人が多いが、なぜ韓国側からそのような発言が出るのかを考える人はいなかった。

●安
○竹島/独島問題が世論化されないまま、話題がサッカー日韓戦のほうにシフトし、うずもれてしまった。
○李大統領の竹島/独島上陸や慰安婦問題に関する発言は、彼が普段からずっと考えてきた上で行ったものではなかった(ただの政治利用)。そうであれば、これらが世論化されていただろう。
○むしろ国際問題になるきっかけを与えるものだった。騒がれただけで、議論がなされていない

●安
○「ナヌムの家」には、雑誌の取材ではじめて訪れた。当初、怒りの対象である男性として、ハルモニたちにカメラを向けることは恥かしかった。3年通ううち、ハルモニたちの痛みを頭でなく心で理解するようになった。そして、自分がなしうることを考えた。
○2001年から中国に通うようになり、ハルモニたちが誰にも自分の過去を話すことができないでいたことを知った。
○もはや取材ではなくなった。ハルモニたちの痛みを写真で示そうと思った。それにより、ハルモニたち、写真家、写真を観る人が連帯して問題解決に向かうことができると思った。
○中国のハルモニたちは、日本政府がいかなる対処をしているかまったく知らない。日本の軍人に対する恨みは深い。
○彼女らの希望は、家族を探したいこと、故郷に帰りたいこと。しかし情報も乏しく、難しい。そして訪ねていくたびに一人また一人と亡くなっていく。遺体の灰はそこらの野原に撒かれているが、彼女らは「死んでからでも故郷に帰りたい」と言う。

●鄭
○韓国にいるハルモニについて、ハンギョレ新聞が1990年に連載を開始した。日本政府も調査を開始し、訊きとり調査により、日本軍の介入・強制を認め、河野談話や村山談話につながっていった。しかし、政府からあえて距離を置いたアジア女性基金は、日本政府の責任を回避するものだとして、オカネの受け取りを拒否するハルモニたちが多かった。
○安部首相(当時)の慰安婦問題に対する後ろ向きの姿勢が、国連人権委員会や米国での非難決議につながった。
○1965年の日韓基本条約では、慰安婦問題、韓国人の原爆被害者問題、反人権的犯罪問題は解決されていない。
○2011年8月30日、韓国憲法裁判所は、「元慰安婦らの個人請求権放置は違憲」という判決を下した。これに韓国政府は驚き、動くようになった。
○ハルモニたちの望みは、日本政府が罪を認めて謝罪することに尽きる(賠償の問題ではない)。そうすれば、楽に死ぬことができる、と発言するハルモニもいる。

●李
○李大統領の一連の政治行動は、問題を却って複雑化し、ねじれさせた。
○本来は両国市民共通の議論を冷静に行うべき問題であるが、大統領は政治戦略でのみこれを利用した
○両国のメディアも、問題の検証なく、情緒にのみ訴えかけている。これはやってはならないことだ。
○両国の良心的な知識人とメディアが、問題を整理しなければならないだろう。

最後に、安氏が、9月に予定される大阪ニコンサロンでの展示が危機的な状況にあり、抗議に対してもニコンからは何ら回答がないことを訴えた。

日韓メディアや問題の政治利用に関する各氏の指摘は、とても示唆的なものに思えた。

●参
安世鴻『重重 中国に残された朝鮮人元日本軍「慰安婦」の女性たち』
『科学の眼 ニコン』
陸川『南京!南京!』
金元栄『或る韓国人の沖縄生存手記』
朴寿南『アリランのうた』『ぬちがふう』
沖縄戦に関するドキュメンタリー3本 『兵士たちの戦争』、『未決・沖縄戦』、『証言 集団自決』
オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦
『けーし風』2008.9 歴史を語る磁場
新崎盛暉氏の講演
新崎盛暉『沖縄からの問い』


ジェリー・マリガン+ジョニー・ホッジス

2012-09-02 08:42:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Gerry Mulligan Meets Johnny Hodges』(Verve、1959年)を聴きはじめると、思いのほか気持ちがよくて、ちょっと殺伐とした気分のなかにスルスルヌルヌルと入ってくる。

Gerry Mulligan (bs)
Johnny Hodges (as)
Claude Williamson (p)
Buddy Clark (b)
Mel Lewis (ds)

特にジョニー・ホッジスのアルトサックスのソロになると、その音の滑らか、幅広、ゆるやかな運動に聴き惚れてしまう。完璧にコントロールされていたふわふわの柔らかい唇を持っていたのだろう。マリオン・ブラウンがホッジスに捧げたアルバム『Passion Flower』(BMG、1978年)を吹きこんでいるが(>> リンク)、音色のキャラ違いなのだ。

こうなると、あまり聴いてこなかったデューク・エリントン楽団の演奏も掘り起こしてみたくなる。

ジェリー・マリガンの音色は相変わらず大きなバリトンサックスを本当に軽そうに扱っていたような感覚だ。そのことは、バート・スターン『真夏の夜のジャズ』(1958年)におけるマリガンの演奏を観ると実感できる。二管のアンサンブルになるとやはり気持ちが良い。いまだに、マリガンの最後の来日公演を聴きに行かなかったことを後悔している。

●参照
バート・スターン『真夏の夜のジャズ』
マリオン・ブラウンが亡くなった


中国プロパガンダ映画(7) 『大決戦 遼瀋戦役』

2012-09-01 23:00:37 | 中国・台湾

何年か前に中国で買って以来本棚の肥やしになっていたDVD、『大決戦 遼瀋戦役』(1990年)を観る。

中国共産党創立70周年を記念して作られた三部作映画の第一作である。題字は江沢民により書かれたものであり、完成時には、党幹部が多数集まった試写会が開かれ、その様子は中央電視台によって放送されたという。(山本浩『<展望>現代中国映画管見』 >> リンク

久しぶりの休日ゆえ三部作をまとめて観ようかと思っていたのだが、この第1作だけで上下二部構成、約3時間半もあった。

なお、第二作は「淮海戦役」、第三作は「平津戦役」である。これらの戦いにより、国民党軍は壊滅する。

大戦役の火蓋を切った「遼瀋戦役」は、1948年9月から11月にかけて展開された。軍の規模において国民党軍に相当劣っていた共産党軍は、その活動を中国東北地方にシフトする。言うまでもなく、1945年まで満州国であった地域である。林彪らが指揮する野戦軍が中心となり、遼寧省の錦州、瀋陽、営口、吉林省の長春などを占領する。これにより、国民党兵士47万人余りが死に、国共の軍事比は290万人対300万人と逆転した。(天児慧『巨龍の胎動』 >> リンク

映画は、凍りついた河川の氷がばきばきと砕けていく様子を毛沢東が見下ろす、これ見よがしにダイナミックなシーンからはじまる。これだけでなく、毛沢東の描き方は礼讃そのものだ。プライドが高く、激しやすく、しかしオープンマインドで人間的、といったように。それに対し、周恩来の描き方は、冷静で人望のある優秀な指導者という雰囲気であり、これもステレオタイプとしか言いようがない。

面白いのは林彪だ。当初は毛の指示に従わず、リスクの高い錦州を攻めようとせず、まずは長春をターゲットとした(国民党の補給ルート上、港湾に近い錦州や営口をおさえることのほうが遥かに重要だった)。その振る舞いは小心者、卑怯者のように見える。それも当然で、林彪は1971年に毛暗殺計画を企て失敗し、秦皇島の空港(河北省、東北地方との国境近く)から軍機による逃亡を試みたがモンゴル上空で墜落死(あるいは撃墜死)した。従って、共産党の国策映画において、立派な描き方はされえない。

劉少奇も失脚して獄死した人であり、出番はほとんどない(文化大革命後に名誉回復されているのだが)。鄧小平は脇役で少し出るのみ。

一方の国民党の蒋介石は、わりに落ち着いて威厳のある人物として描かれている。夫人の宋美齢(三姉妹の末妹)も、流暢な英語で米国人と渡り合うなど華やかな姿を見せている。ところで、蒋介石は妻を本当に「ダーリン」と呼んでいたのか。

そんなわけで、政治的な制約だらけの中で映画としてすぐれたものになるわけがない。共産党軍が妙に快活で機敏に動くのも中国プロパガンダ映画の伝統である。戦闘シーンは比較的新しい作品だけあってわりとまともだ。しかし、何によって戦闘の潮目が変わり、国民党が惨敗したのかよくわからない。それに、いくらなんでも長すぎる。これを三作続けて観ることは不可能だ。

映画には岡村寧次(支那派遣軍総司令官・大将)も登場する。国民党に対し、絶対に東北地方を手放してはならぬ、日本には故郷を失っても満州を失うなという言葉もあるぞ、アメリカとソ連に支配されるぞ、などと悪人面をして助言する場面である。日本人が典型的な悪人として登場するのも伝統だが、次の指摘を勘案すれば、それも仕方がないことだ。

蒋介石は当然、連合国の一員としての中国を代表とするのは、自分を首班とする国民政府だと考え、日本軍に対して国民政府以外のものには絶対降伏してはならないと命令した。岡村はこの命令を忠実に実行し、中国共産党・八路軍による武装解除の命令には、武力による「自衛」権を発動しても従わないとして拒絶した。このため戦後になってから数千人の日本人が八路軍と戦って死んだのである。
 中国共産党はこの岡村大将を中国戦線における第一の戦争犯罪人として、戦後ずっと追求しつづけた。彼は敗戦時の最高指揮官であっただけでなく、華北での「三光作戦」の最高責任者(北支那方面軍司令官)であったからである。しかし蒋介石=国民政府は37年の「南京大虐殺」の責任者として松井石根大将はじめ数人を戦犯として追及したが、ついに岡村を追求することはなかった。彼の利用価値が高かったし、実際彼はよく蒋介石に協力したからである。この蒋介石の処置にはアメリカも同意していたのである。こうして戦後から今日に至るまで、日本人は「三光作戦」についての日本の戦争責任を感ずることもなく過ごしてきた。それどころか「三光作戦」が無罪になったのに「南京大虐殺」だけが戦争犯罪として裁かれたのは不公平だとして、大虐殺をも否定する風潮を作り出した。このような風潮がますます日本人の戦争責任感を弱めていったのである。
」(姫田光義他『中国20世紀史』)

●参照 中国プロパガンダ映画
『白毛女』
『三八線上』
陳凱歌『大閲兵』
『突破烏江』
『三峡情思』
謝晋『高山下的花環』


ジョニー・トー(17) 『暗戦/デッドエンド』

2012-09-01 12:57:53 | 香港

3枚3000円のDVDコーナーに、ジョニー・トー『暗戦/デッドエンド』(1999年)を発見し、一も二もなく確保した。

愉快犯(アンディ・ラウ)が腕利き刑事(ラウ・チンワン)に犯罪ゲームを挑むストーリー仕立ては、続編『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001年)と同じ。但し、ここでは愉快犯が末期ガンにより残り少ない命だという設定だということもあり、続編では犯人役が交代している。使えないダメダメ上司(ホイ・シウホン)も同じ。ラム・シューは、本作の犯罪集団のボディーガードから、次作では心の弱い警察官となっている。

いつものことだが、ジョニー・トー作品の常連で固められており、いちいち待ってましたという嬉しさを覚える。ラウ・チンワンは、『MAD探偵』(2007年)、『奪命金』(2011年)と時が経つに従って暑苦しさと食えなさが増大し続けているが、ここではまだ35歳、くどい顔の二枚目といっても通用する。

犯罪ゲームの工夫は、のちのトー作品に比べれば、まだ詰め込む余地を残している感がある。2年後の続編にして、既に著しく過激化・濃密化しているのだから。同じ年に撮られた『ザ・ミッション 非情の掟』(1999年)が、最高傑作『エグザイル/絆』(2006年)の原型となったように、この映画も、続編のみならず、多くの作品にとって源流的であるにちがいない。

それにしても面白い。香港でトー気分を追体験したいなあ。香港の仕事もないし無理かな。

ジョニー・トー作
『高海抜の恋』(2012)
『奪命金』
(2011)
『アクシデント』(2009)※製作
『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(2009)
『文雀』(邦題『スリ』)(2008)
『僕は君のために蝶になる』(2008)
MAD探偵』(2007)
『エグザイル/絆』(2006)
『エレクション 死の報復』(2006)
『エレクション』(2005)
『ブレイキング・ニュース』(2004)
『柔道龍虎房』(2004)
『PTU』(2003)
『ターンレフト・ターンライト』(2003)
『スー・チー in ミスター・パーフェクト』(2003)※製作
『デッドエンド/暗戦リターンズ』(2001)
『フルタイム・キラー』(2001)
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)


牛と茶畑

2012-09-01 08:19:46 | 東南アジア

ベトナム北部を自動車で走っていて、ガソリンスタンドでトイレ休憩したときのこと。

道路の向い側を見ると、牛のぬいぐるみを着た女の子が何やら踊っている。「ベトミルク」という牛乳の宣伝なのだった。ただでさえ暑いのに、御苦労さまとしか言いようがない。しかし、愉しそうにしていた。


乳牛さま


こちら側には牛の餌袋

標高が上がってくると、道路横の風景が水田から茶畑に変った。目を凝らすと、向こう側に新郎新婦とカメラマン。結婚の記念撮影である。これもまた暑そうで、愉しそうで。


ポーズ


カメラマンも大変だな


注文あれこれ

※写真はすべてPentax LX、FA77mmF1.8、Fuji Superia 400にて撮影

●参照 ベトナム北部
2012年6月、サパ
2012年6月、ラオカイ
デイヴィッド・マーティンという写真家
ベトナムのヤギ三昧
ベトナムで蜂食い
2012年8月、ベトナム・イェンバイ省のとある町