一碧湖近くの池田20世紀美術館を久しぶりに訪れたら、フランシス・ベーコンの「椅子から立上る男」が展示されていた。ピンクのカーテンが背後に掛けられた部屋、真ん中には小さいステージのような円。その上に椅子があり、裸の男(らしき肉の塊)が立上っている。影は青い。
ベーコンは昔から好きな画家で、久しぶりに原画を観たような気がする。そんなわけで嬉しかったので、ベーコンのインタビュー集である『肉への慈悲』(デイヴィッド・シルヴェスター、筑摩書房)を棚から出して読んだ。1996年の発売後すぐに読んで、13年間くらい棚で眠っていたことになる。
画家は第三者的に自らの方法論を分析・批評できるとは限らないが、ここで示されているのは、その例外的な存在だ。その考えは偏っていて、だからこそ興味深い。ベーコンは抽象絵画を審美的なものとして否定していた。自分の絵画制作は、偶然を利用しつつも、そこから生まれ出る結果を再解釈し、当初の目論見とは外れた方向に敢えて進んでいた。そして画商が訪ねてきては、ベーコンの言葉をもとにタイトルを付した。
ベーコンは作品の傾向が極めて狭いタイプの天才だった。歪み、破壊され、腐り、それでなお生命として屹立する対象は、有機体としてのつながりを破壊・再構築しつつも踊る暗黒舞踏のようだ。この怖さに比べたら、ゴキゴキいわせて動く変な女が迫ってくるジャパニーズ・ホラーなんてメではないのだ。