飛行機の中で読むものがなくなってしまい、ドバイの空港で、ミラン・クンデラ『The Festival of Insignificance』(Faber & Faber、原著2014年)を買った。そのときは未邦訳の新作かなと思っていたのだが、実は、『無意味の祝祭』という題で既に邦訳されていた。わたしは余っていたカタールリヤルを使って、さらに残り20米ドルを払ったのだが、邦訳版は2千円未満。それに、もともとフランス語であるから、英訳版を読むことの意味はまるでない。まあ、買ったものは仕方がないし、「無意味」と題されていることでもあるから、だらだらと読んだ。
人生に幻滅する男たち。『不滅』(1990年)がそうであった以上に、読む者をひらりひらりとかわし続ける対話と思索である。
道ですれ違う女の子たちはヘソを出している。なぜヘソに魅せられるのか。ある男は言う。ほら、女性の胸や尻のあり様はひとりひとり違って、その人の記憶と結びつくだろ。でもヘソはみんな同じようなものだろ。無意味だけどそんなもんだろ。
スターリンは、得意になって自身の考えを披露する。見えるものの背後には何もないんだよ。無意味なんだよ。それでは哲学の意味はどこに?
無意味の意味がなんであろうと、無意味が無意味であろうと有意味であろうと、それが人生。そんな達観なのだろうが、残念ながら今のわたしには余裕がないため、文字通りエクリチュールが脳の表面をつるつるすべっていくだけ。読むタイミングが悪かった。
●参照
ミラン・クンデラ『不滅』(1990年)
ミラン・クンデラ『冗談』(1967年)