竹橋の東京国立近代美術館に足を運び、トーマス・ルフ展を観る。
かれはドイツでベッヒャー夫妻に師事した写真家であり、アンドレアス・グルスキーと同様に、ベッヒャー夫妻の影響下からはじまって独自の世界を発展させている。例えば、90年頃の「Haus」のシリーズでは、ベッヒャー夫妻が複数のガスタンクなどを同じ構図と条件において撮ったのとは異なり、まるで、あるがままに家々を無機質に撮っている。<あるがまま>の掘り起こしと挑発であるかのように。
大判カメラ・自然光で室内の様子を切り取った、80年代前半の「Interieur」では、そこに居る者・居た者の跡を感じさせるものだった。このあたりは、ヴィム・ヴェンダースの写真作品(『Written in the West』等)と通じるものを感じるのだが、ヴェンダースはドイツ写真のトレンドとどのように接していたのだろう。
Thomas Ruff、Interieur 5E (1983)、「トーマス・ルフ展」、東京国立近代美術館
やがてルフは、デジタル技術を利用しはじめ、また、写真家が個人単位で努力しても実現できない作品に取り組んでいく。「jpeg」のシリーズでは、画像を圧縮して情報が落ちた結果としてのピクセルを前面に押し出した。2001年のアメリカ同時多発テロ事件をこれにより図像化した作品など、技術のお遊びではなく、情報や認識に関わる多くの示唆を含んでいる。また「cassini」のシリーズは、国家の保有する巨大な画像データを用いて精細な土星の環(カッシーニ)を写真作品として実現したものであり、もはや写真撮影と制作という活動を暴力的なまでに相対化したものだと言うことができる。
Thomas Ruff、jpeg ny01 (2004)、「トーマス・ルフ展」、東京国立近代美術館
本展での展示作品はさらにヴァラエティに富んでいる。ここまで拡がりを持つ作家とは思わなかった。
(ところで、立体視の作品群があり、左眼を眼帯で隠している自分にとってはタイミングが悪かった。)
●参照
アンドレアス・グルスキー展@国立国際美術館(2014年)