Sightsong

自縄自縛日記

『世界』 「沖縄戦」とは何だったのか

2007-06-14 00:19:32 | 沖縄
2007年7月号の『世界』(岩波書店)では、『「沖縄戦」とは何だったのか-「集団自決」問題を中心に』という特集を組んでいる。執筆者は、石原昌家、高橋哲哉、目取間俊、仲里効、新城郁夫の五氏。

●石原昌家 『書き換えられた沖縄戦 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗して』

先日行われた「沖縄戦首都圏の会」での講演内容(→報告)を確認する形となった。

近い将来、日本が戦争に巻き込まれるか加担するかの場面に備え、現政権は「軍民一体」を醸成しようとしていること、またそのために、過去の都合の悪い記録・記憶(為政者にとって)を消し去ろうとしていることが示されている。軍隊が国民を守らず、殺害したり死に追い込んだりさえすることが、われわれの共通認識になることが不都合だからである(為政者にとって)。

ここで石原氏が強調していることは、

○「集団自決」は、「戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つ者」(旧防衛庁資料、1968年)などではなく、「軍事的他殺」であり、「強制集団死」に他ならない
○「集団自決」は、日本軍が植えつけた米軍への究極の恐怖心に起因するものであり、日本軍の指導・誘導・説得・強制・命令などによって発生した

であり、現在の大江・岩波裁判にあるように「直接的な命令」があったかどうかを争点にしていることが戦略的であることがよくわかる。

結語として、石原氏は、今後「国内戦場を想定した「有事法制」下の日本は、「軍民一体」・「戦意高揚」を促すさまざまな法律を準備していく」であろうことを警告している。唯一の地上戦が行われた沖縄、それが今後の国内戦想定のもと消され、改竄されていくということだ。

先日の講演では、この石原氏の原稿において字数の関係からカットした部分を、石原氏自ら配布している。そこでは、特に、福田政権以降、「強盗戸締り論」や「ソ連脅威論」を煽ることによって、「国防予算」の増大を図る世論形成が行われたことが示されている。これは、まさに、現在の「北朝鮮脅威論」「中国脅威論」などと同じだ。

●高橋哲哉 『浮かび上がる「靖国」の思想 教科書修正の背後にあるもの』

今号で最もハッとさせられる指摘があった。

○歴史観に関する限り、日本の極右勢力が政権をジャックしてしまったのが実態
○憲法と教育基本法(首相のいう「戦後レジーム」)が、軍と靖国と愛国心教育の復活をぎりぎりのところで阻んできていた
○憲法改定は、日本軍の復活に他ならない
○仮に戦死者が出たときに、その死を、美しいものとして顕彰し讃えることによって、「戦争をする国」を成り立たせる
○これはそのままの「戦前回帰」ではなく(昔のような姿の復活はいくらなんでも難しい)、新たなグローバルな戦争を行いやすくするための動きと見るべき
○つまり、現政権は、国のために命をなげうつことを国民に向かって要求しているのだということをはっきりと知る必要がある
○為政者は犠牲者側には決してならない(現首相が、祖父である岸信介について、それを正当化して評価している)

●目取真俊 『ある教科書検定の背景 沖縄における自衛隊強化と戦争の記憶』

米軍基地問題と軌を一にして自衛隊強化が行われていること、また、その自衛隊は決してわれわれ国民を守るものではないことが、示されている。目取真氏の下地になっているもののひとつが、家族や住民から聞き取り続けた「記憶」であり、これこそを実態的な根拠となるものだろう。その意味で、教科書修正に象徴される、記憶を「なかったことにする」のは、逆に、記憶が再軍国化に向けてもっとも都合の悪いものだということを、如実に示しているのだということになる。

仲里氏、新城氏を含め、五氏に共通した主張は、教科書や政治における「沖縄戦」の扱いは将来の日本全体の軍国化に直結していること、それは架空の脅威などではなく着実に迫ってきていること、である。

前政権のパフォーマンス、それも郵政民営化など限られた政策(をネタにしたイメージ合戦)に勝った現与党が、いまだに、数にものを言わせて好き勝手をしているわけだ。では与党の中に「良心的政治家」はいないのか―――と考えても、おそらく政治のダイナミクスはもはやそれに期待できないものだろう。まさに数の暴力に対する歯止めとして、7月の参院選の結果に期待するべきなのだろうか。

この流れを押しとどめるどころか、沖縄を「癒しの島」としか捉えず、気付きもしない風潮が、明らかにある。いいじゃないですか、休みに沖縄に行ってリゾートホテルに泊まり、国際通りでおみやげを買うだけだし、政治のことや昔の戦争のことを知らなくたって―――これは、無邪気なのではなく、犯罪的でさえあることを知る義務が、われわれヤマトンチュにはあるのだろう。また、自分が過去の戦争に加担したわけでなくても、申し訳なさと、後ろめたさを感じ続けることが、将来われわれや子どもたちが新たな戦争に加担し、犠牲になることの抑止力のひとつにはなるだろう、間接的には。

目取真俊『沖縄「戦後」ゼロ年』(NHK出版)より

「ここで私達が考えなければいけないことは、沖縄の住民を虐殺した日本兵で、戦後、みずからの行為を悔い、謝罪し、虐殺にいたった経緯や理由を自己検証した日本人がいないということです。」

「沖縄大好きヤマトンチューは、自分が気に入った「沖縄」をつまみ食いするだけで、気に入らないところは無視してすませます。今の「沖縄ブーム」は、ヤマトンチューにとって都合の悪い沖縄の歴史や現実を見ないために利用されています。」

「沖縄戦の中で、人に語れない体験をした人達が数知れずいます。そして、死者は何も語り得ないし、絶対の沈黙のかなたに置かれています。せめて、彼らがどう生き、どのように死んでいったかを知ることで、彼らの語られなかった言葉を考え続けることが大切だと思います。」

「特攻を美化する言説というのは、沖縄での飛行兵達の無惨な死の有様を見ないことによって成り立っているのではないかと思います。」

「何よりも、沖縄に巨大な米軍基地があり、在沖米軍が東アジアだけでなく、中東にも展開していることによって、私達はアフガニスタン、イラクに対する米軍の侵略戦争といやがうえにも繋がりを持たされています。」

「そして「戦後六十年」が経った今も沖縄に軍事基地を集中させ、一部の地域を除いては日米安保体制の負担を感じることもなく生活している。その醜さを日本人は自覚すべきです。」






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2 コメント

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Unknown (Sightsong)
2007-06-14 22:01:03
24wackyさん
神保町、三省堂ではいつもの1列、書泉には置いてもいませんでした(なんか保守系のオピニオン誌はあるのに)。部数はかつてとは違って苦しいのでしょう、それに岩波だから買取だろうし。
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Unknown (24wacky)
2007-06-14 12:34:43
売り切れ予想がされるので昨日買いました。
「世界」が新刊本コーナーに2列平積みになっている光景はまたとない光景でしょう。
さすが沖縄。
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