記者のDさんに案内していただき、広島市内の戦跡をいくつかまわった。知らないことばかり、勉強になった。
■ 広島大本営
1894年、日清戦争の際に、大本営が広島に設置された。軍港・宇品港があったことも評価され、広島は兵站基地となった。なお、広い練兵場は、現在、公園になっている。
それに伴い、首都機能が広島に移され(!)、約7か月の間、明治天皇がここに移り、戦争を指揮した。これは明治維新以降ただ一度だけの首都移転であるという。
原爆により、大本営跡は破壊された。現在は、建物の基礎と、昭和十年設置の碑石が残されている。碑石からは、「史跡」という文字と、それを指定した「文部省」の文字が消されている。
■ 旧日本銀行広島支店
日本銀行広島支店は、建物自体は頑丈であったためか破壊を免れた。しかし、爆風で窓ガラスが割れ、部屋の壁に刺さった跡をいくつか見つけることができる。
地下の金庫室(分厚い扉に驚かされる)では、「被爆仏石写真展/地蔵の記憶」が展示されていた。
原爆によって、首が折れたり、皮膚がはがれたりした地蔵群。もの言わぬ存在であるだけに却って痛々しい。
■ 世界平和記念聖堂
戦後、原爆被害者の慰霊のために建造されたカトリック教会である。
設計は村野藤吾。確かにDさんの言うように、手仕事の跡があえて残された味のある外壁であり、円鍔勝三による入口上の彫刻も素晴らしい。また、鳥居のような門、松や梅の形をした窓など、「和」のテイストが面白い。
特筆すべきことは、同じ敗戦国であるドイツからの寄付が多いことだという。聖堂内部正面のイエスの壁画はアデナウアー元首相、パイプオルガンはケルン市、玄関の鉄製の扉はデュッセルドルフ市から、などというように。
デュッセルドルフ市寄贈の扉
■ 地下通信室
原爆投下についての第一報は、軍の地下通信室からなされたという。それも、学徒動員された女学生たちによって。
護国神社の横にあるのは、何とも皮肉なことである。
■ 広島第一劇場
まったく戦跡とは関係がないが、広島市内に唯一残るストリップ劇場。残念ながら覗かなかった。
●参照
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)
○被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)
○新藤兼人『原爆の子』
○『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
○原爆詩集 八月
○青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
○『はだしのゲン』を見比べる
○『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために
○アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』